さてさて、時間があいてしまいましたが、「11.25」でございます。三島由紀夫がどうやって死んだか・・と言うことを淡々と描いていったようにも思えた一本でした。
私が三島由紀夫の名前を知ったのは、この事件のとき。確か小学三年生でした。
このポーズを撮ってる三島の映像はそのときにしっかとニュースで見て、覚えてます。
いまだに三島が、なぜにこの道を選んだのか、なぜに自決をするに至ったのか、彼の思想はなんなのか??とんと理解できていませんが、彼をして行動に至らしめた時代や状況、日本に対する憤り、誰かが何とかしないとならない!誰もしないのなら、自分がやる!!!と立ち上がった気持ちはわかるような気がします。
さあて、本編。
映画は社会党委員長、浅沼稲次郎刺殺事件から始まる。日本が左傾化することを憂いた右翼の少年による事件だったが、三島の動機も同様だ。彼にあったのは国をなんとかしたいと思う強い気持ち。左の場合も右の場合も、国を思うからこそ!と言うのは、そう違わない。
思うに、あんだけの小説を書くほどのペンの力があるのだから、自分の強い思いをペンで変えて行こう!とは思わなかったのだろうか。いや、書いて行った。それでもこの国は何も変わらなかった、と。変えられるのは力、武力となっていく。
彼が大きな期待を寄せたのが自衛隊。今の日本で武力を持ち、その力でなんとかしたいという思いを持っている人たちがいるはず。。。武力決起を期待し、自分の思いと同調することを待つのだが、それはもろくも打ち砕かれる。さらに彼の焦りを増したのは、次々と起こる大きな事件。金嬉老事件、よど号事件等々。それがいいとは決していわないが、己の主張を通し、世間に知らしめるには、好都合だった。
そして1970年11月25日。彼が目指したのは2・26事件。軍人がその力を見せつけ、国を動かすこと。自分達の檄を発表し、自衛隊の決起を待つ。応じるものを率いて国会に入り、憲法改正を訴えること。この実力行使に望んだのは「楯の会」の中でも、三島が信頼を置く5人だ。そして、その時がやってきた。
と言うことで、映画は思ったより淡々と進んでいきます。若干、線の細さが気になった新生新さんでしたが、そのなりきりぶりはお見事。見なれた演説風景など、全然風貌は違うのだけど、一つの信念を持って、がむしゃらに貫いた男ってのが、よーくにじみ出てました。
映画が終わり、いよいよお待たせの監督と井浦新さんの舞台あいさつの始まりです。うわ!生新さんにお目にかかれるなんて、生きててよかった~と。「ピンポン」以来のファンですから、テンションあがりまくりであります。
おりょ、若松監督が杖をついて登場にはちょっとびっくり。大丈夫か?と思ったのですが、いつもの若松節は健在でした。もう、はじめから写真、ツィッター、FB、全然OK。がんがん宣伝して下さいとの弁もあって、もうぱしゃぱしゃ、カシャカシャとうるさいのなんのって!うううぅぅ、失敗した。。。この後の交流会もあるし、写真は駄目かなあと思って、まともなカメラを持っていかなかった!!返す返すも残念でした。
こんな感じでご勘弁。
さらっと説明、なぜにこの映画を撮ったのか!と言うことを監督御自身からお述べになって、あとは会場からの意見や質問に答えて行くという方式でした。で、なぜにこの映画を撮ったのかと言うと、まず資金が出来たこと。いつものように、どこからも資金援助を受けず、好きなものを好きなように撮ると言うことを貫く監督ですが、そうやって撮った「キャタピラー」が、おかげさまでたくさんに人に見ていただいて、若干懐があったかい。それで好きなものが撮れる!という具合であったと。
それでこの映画を撮ったのですが、その同じセット使って、同じ時期にもう一本、完全に監督の趣味で、好きなように撮ったのが「海燕ホテルブルー」なのだそうで。三島の方は、少々色気と言うか、入って欲しいな~、見てくんないとなあ~と言う思いがあったそうですが、「海燕・・」の方は、本当に好き放題に撮ったそうで。監督御自身が言うのもなんですが、すげーー面白く出来た!のだそうです。
監督と言えば、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」ですが、これをなぜに撮ったのか言うと、こちらにありますので、よければご覧下さい。
監督にあるのは公平の理念。左とか右とか、それは重要かもしれないけど、自分はどちらでもない。大事なのはどちらであるとかの差別をするのではなく、両方を公平に描くことが必要であって、左を描いたのなら、右も描くのがバランス的に大事であると。そりゃそうだ。
そしたら出てくるのはやっぱ三島であろうと。監督の人脈で、赤軍派の人たちも、「楯の会」の人たちともしっかと付き合いがあって、撮れるのは自分だけ。
三島や赤軍派の人たちに通じるのがとにかく純粋であること。純粋すぎて、あんなふうになってしまったと。そりゃ右のはじっこと左のはじっこかもしれないが、それは非常に似通っていて、ほんのちょっとのボタンの掛け違えがこうなってしまったのだと言うことが分かる。今、話題の事件を起こした新興宗教の人たちにもあおれは言えると。教祖はどうしようもないが、信者たちは高学歴で、現状に憂いを抱き、なんとかしたいと純粋に思っていた人たちの集まりであった。それを教祖は利用したことになる。
映画は一切の美化はなく、実際に「楯の会」の方たちの話から忠実に本を起こして作ったものだそうな。たたえる気は一切なく、そのまま撮って、新さんもそのまま演じていた。国を憂い、なんとかしようと行動を起こすことを決意した男を撮りたかったということだ。
さて、新さんにこの映画を打診したとき、なんと新さんは骨折してさっぱり動けなかったそうな。それを「一か月で治します」と言って、マジに一か月で復帰。自衛隊に入隊して、走るシーンの足を引き摺っていたのは、真面目に足が動かなかった時だったそうで。ただし、三島自身が下半身は全然だめだったらしく(上半身は知ってのとおり、超むきむき)、本当にあんな感じだったとか。
もっと文学的側面も見たかったという意見に対しては、多くの人が見たいのは、三島の最期と最期へいたる道だろう。自分もそれを見たいし、それを撮るのが自分。映画と言うのは、撮るものだけど、同時に自分が見たいもの。よって表情のUPが多いのは、自分がそれこそ見たいからなんだそうだ。なるほどねえ。
つうことで、いろいろな質問に丁寧に答えていただいて、予定時間を超オーバー。満員にパイプ椅子まで出て、感激の監督と新さんはサイン会も丁寧に。サインはこちら。
これで監督のサインは3つ目です。いつも監督は、「この本買って、恵んでください。また映画が作りたいんです!」と言われるんですが、あたしはちょっと貢献してるかな~。
その後、スタッフその他と監督と新さんとちょっとお酒呑み。
そこでもいろいろとレアなお話を聞かせていただきましたが、そこは内緒に!一個だけ。テスト、リハは一切ないそうです。一発本番で、撮ると!!凄い話だ。本気の一発なんだなあと。
新さんは、とってもクールで、やさしく、そして!!!!いい匂いがしました。。全くもうの感想ですが、オーラが違ってたわ。素敵な夜となりました。
以上、かなり時間が経ってしまい、申し訳ない!ぜひとも、映画の方もよろしくお願いします。昭和の懐かしい風景と、三島の人となり、新さんの見事な演技が堪能できます。
◎◎◎●
「11.25 自決の日 三島由紀夫を若者たち」
監督 若松孝二
出演 井浦新 満島真之介 寺島しのぶ
私が三島由紀夫の名前を知ったのは、この事件のとき。確か小学三年生でした。
このポーズを撮ってる三島の映像はそのときにしっかとニュースで見て、覚えてます。
いまだに三島が、なぜにこの道を選んだのか、なぜに自決をするに至ったのか、彼の思想はなんなのか??とんと理解できていませんが、彼をして行動に至らしめた時代や状況、日本に対する憤り、誰かが何とかしないとならない!誰もしないのなら、自分がやる!!!と立ち上がった気持ちはわかるような気がします。
さあて、本編。
映画は社会党委員長、浅沼稲次郎刺殺事件から始まる。日本が左傾化することを憂いた右翼の少年による事件だったが、三島の動機も同様だ。彼にあったのは国をなんとかしたいと思う強い気持ち。左の場合も右の場合も、国を思うからこそ!と言うのは、そう違わない。
思うに、あんだけの小説を書くほどのペンの力があるのだから、自分の強い思いをペンで変えて行こう!とは思わなかったのだろうか。いや、書いて行った。それでもこの国は何も変わらなかった、と。変えられるのは力、武力となっていく。
彼が大きな期待を寄せたのが自衛隊。今の日本で武力を持ち、その力でなんとかしたいという思いを持っている人たちがいるはず。。。武力決起を期待し、自分の思いと同調することを待つのだが、それはもろくも打ち砕かれる。さらに彼の焦りを増したのは、次々と起こる大きな事件。金嬉老事件、よど号事件等々。それがいいとは決していわないが、己の主張を通し、世間に知らしめるには、好都合だった。
そして1970年11月25日。彼が目指したのは2・26事件。軍人がその力を見せつけ、国を動かすこと。自分達の檄を発表し、自衛隊の決起を待つ。応じるものを率いて国会に入り、憲法改正を訴えること。この実力行使に望んだのは「楯の会」の中でも、三島が信頼を置く5人だ。そして、その時がやってきた。
と言うことで、映画は思ったより淡々と進んでいきます。若干、線の細さが気になった新生新さんでしたが、そのなりきりぶりはお見事。見なれた演説風景など、全然風貌は違うのだけど、一つの信念を持って、がむしゃらに貫いた男ってのが、よーくにじみ出てました。
映画が終わり、いよいよお待たせの監督と井浦新さんの舞台あいさつの始まりです。うわ!生新さんにお目にかかれるなんて、生きててよかった~と。「ピンポン」以来のファンですから、テンションあがりまくりであります。
おりょ、若松監督が杖をついて登場にはちょっとびっくり。大丈夫か?と思ったのですが、いつもの若松節は健在でした。もう、はじめから写真、ツィッター、FB、全然OK。がんがん宣伝して下さいとの弁もあって、もうぱしゃぱしゃ、カシャカシャとうるさいのなんのって!うううぅぅ、失敗した。。。この後の交流会もあるし、写真は駄目かなあと思って、まともなカメラを持っていかなかった!!返す返すも残念でした。
こんな感じでご勘弁。
さらっと説明、なぜにこの映画を撮ったのか!と言うことを監督御自身からお述べになって、あとは会場からの意見や質問に答えて行くという方式でした。で、なぜにこの映画を撮ったのかと言うと、まず資金が出来たこと。いつものように、どこからも資金援助を受けず、好きなものを好きなように撮ると言うことを貫く監督ですが、そうやって撮った「キャタピラー」が、おかげさまでたくさんに人に見ていただいて、若干懐があったかい。それで好きなものが撮れる!という具合であったと。
それでこの映画を撮ったのですが、その同じセット使って、同じ時期にもう一本、完全に監督の趣味で、好きなように撮ったのが「海燕ホテルブルー」なのだそうで。三島の方は、少々色気と言うか、入って欲しいな~、見てくんないとなあ~と言う思いがあったそうですが、「海燕・・」の方は、本当に好き放題に撮ったそうで。監督御自身が言うのもなんですが、すげーー面白く出来た!のだそうです。
監督と言えば、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」ですが、これをなぜに撮ったのか言うと、こちらにありますので、よければご覧下さい。
監督にあるのは公平の理念。左とか右とか、それは重要かもしれないけど、自分はどちらでもない。大事なのはどちらであるとかの差別をするのではなく、両方を公平に描くことが必要であって、左を描いたのなら、右も描くのがバランス的に大事であると。そりゃそうだ。
そしたら出てくるのはやっぱ三島であろうと。監督の人脈で、赤軍派の人たちも、「楯の会」の人たちともしっかと付き合いがあって、撮れるのは自分だけ。
三島や赤軍派の人たちに通じるのがとにかく純粋であること。純粋すぎて、あんなふうになってしまったと。そりゃ右のはじっこと左のはじっこかもしれないが、それは非常に似通っていて、ほんのちょっとのボタンの掛け違えがこうなってしまったのだと言うことが分かる。今、話題の事件を起こした新興宗教の人たちにもあおれは言えると。教祖はどうしようもないが、信者たちは高学歴で、現状に憂いを抱き、なんとかしたいと純粋に思っていた人たちの集まりであった。それを教祖は利用したことになる。
映画は一切の美化はなく、実際に「楯の会」の方たちの話から忠実に本を起こして作ったものだそうな。たたえる気は一切なく、そのまま撮って、新さんもそのまま演じていた。国を憂い、なんとかしようと行動を起こすことを決意した男を撮りたかったということだ。
さて、新さんにこの映画を打診したとき、なんと新さんは骨折してさっぱり動けなかったそうな。それを「一か月で治します」と言って、マジに一か月で復帰。自衛隊に入隊して、走るシーンの足を引き摺っていたのは、真面目に足が動かなかった時だったそうで。ただし、三島自身が下半身は全然だめだったらしく(上半身は知ってのとおり、超むきむき)、本当にあんな感じだったとか。
もっと文学的側面も見たかったという意見に対しては、多くの人が見たいのは、三島の最期と最期へいたる道だろう。自分もそれを見たいし、それを撮るのが自分。映画と言うのは、撮るものだけど、同時に自分が見たいもの。よって表情のUPが多いのは、自分がそれこそ見たいからなんだそうだ。なるほどねえ。
つうことで、いろいろな質問に丁寧に答えていただいて、予定時間を超オーバー。満員にパイプ椅子まで出て、感激の監督と新さんはサイン会も丁寧に。サインはこちら。
これで監督のサインは3つ目です。いつも監督は、「この本買って、恵んでください。また映画が作りたいんです!」と言われるんですが、あたしはちょっと貢献してるかな~。
その後、スタッフその他と監督と新さんとちょっとお酒呑み。
そこでもいろいろとレアなお話を聞かせていただきましたが、そこは内緒に!一個だけ。テスト、リハは一切ないそうです。一発本番で、撮ると!!凄い話だ。本気の一発なんだなあと。
新さんは、とってもクールで、やさしく、そして!!!!いい匂いがしました。。全くもうの感想ですが、オーラが違ってたわ。素敵な夜となりました。
以上、かなり時間が経ってしまい、申し訳ない!ぜひとも、映画の方もよろしくお願いします。昭和の懐かしい風景と、三島の人となり、新さんの見事な演技が堪能できます。
◎◎◎●
「11.25 自決の日 三島由紀夫を若者たち」
監督 若松孝二
出演 井浦新 満島真之介 寺島しのぶ
丁寧で物腰柔らかで、真面目で誠実な空気が全面に出ていました。
サイン会での一瞬の会話でしたが、その人となりが伝わって、嬉しくて嬉しくて・・
腰が抜けかけて駐車場まで歩くのがやっとでした。蛇行運転気味で帰りました。
「ワンダフルライフ」の望月くんを少しタフにした感じ・・。
映画は思った以上に面白くて、好感触でした。
三島さんがなぜああなったかは、今もちゃんとわからないのですが、
少しあの時代に近寄れたかなあ、と。
若松監督の作品は、いつも熱くて、でもちゃんと人の心を捉えようとする姿勢に溢れている。
「海燕~」も見たくなりました。
交流会、うらやましいの一言!!!!
おまけにいい匂いがしてましたよ!
って、一体あたしは・・・。
あの半端な半ズボンが似合っちゃう。。。
監督的には「海燕・・」の方を見て楽しんで!だそうです。
セットで見ると、また面白さが見えてくるよって。
交流会、緊張でしたわ。
話をするときは、きちんとこちらを見てくれるんで、どきどき。監督を立ててるし、もっと個人的にいろいろと聞きたかったのですが、ちょっとその辺は無理でしたわ。
監督の目指すは、新藤兼人監督だそうで、100までは無理だろうけど、あんなふうに死ぬまで映画を撮っていきたい!だそうです。
心ばかり応援ですが、パンフはせっせと買いますわ。
そうですか、敢えて監督自身の想いを排除する事で、
観客側の感情を映画が反射する様になっていたのか…
僕自身、三島の自決事件自体を「カッコ悪い」と思っていた節があります。
三島の小説は彼の生き方と真逆で内向的な主人公ばかりで、
世を憂いてハラキリした人の書いたものとは思えなかったのを思い出します。
本来の三島は小説の様な性格だったのかもしれませんね。
ところで…はじめて知りましたが、
三島の自決した年、sakuraiさん小学三年生ですか!?
じゃ、きっと僕も同い年です!!
いや~、ますます親近感わきました!!(^^)
たんび監督の思いを聞いてるのですが、とりたいものを撮る!その姿勢に一歳の揺るぎと妥協なし!
あの年になって、全然ぶれないのはすごいなあと感服です。
目指すは、新藤兼人産だそうですよ。
いまだ三島のことは、よく咀嚼できてないし、それほど興味のある人物でもないのですが、彼が目指したものと、意図したことと、その結果は、ずれてしまったような気はします。
小説もまともに読んでないのですが、結構うじうじタイプだったかもですね。
70年、万博の年。。。たしか小3だったはず。。。
ははは、半世紀過ぎました。
何とぞよろしくです。