きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

イキルノガツラスギル-検索キーワード

2015-10-23 | 日記
昨日は飲みかけの午後の紅茶を会社に持っていこうとして冷蔵庫から出したまま、忘れてしまった。

最近ボケが始まっているのではないか?と真剣に思うのはこう言う時である。
冷蔵庫から午後の紅茶を取り出すまでにも他の事を考えていて忘れており、それでも「あ、午後の紅茶を持って行かなくては」と思って、玄関からわざわざ靴を脱いで上がったのにもかかわらず、何か別の事が目についたのだろう。それに気を奪われて、まんまと忘れたのである。

それはしょうがない。しかしせめて冷蔵庫に戻してもらわねば・・・と思って、kekeにメールを打ったが通じないようだ。なんでだろう。・・・くそぅ。


銀行に向かうと、道の両端の赤い葉がきれいだ。
これは覚えた。ハナミズキである。よく見ると赤い実がついている。
72歳のおばあさんが「年に3回楽しめる」と言ったハナミズキだ。

昨日コメントを書いていたら、たまたま「このブログの人気記事」と言うのが目に入った。
その中に【「生きているのがツラすぎる」から1年が過ぎ】というのがあり、たぶん誰かお1人なのだろうけれど、どうやってその人はその日にたどりついたのだろうと想像して、たぶん「生きているのがつらい」と検索してたどりついたのではないだろうか、と勝手に想像した。

というのも、私もそうやってよく、自分の思う気持を検索キーワードに入れて検索することがよくあるからである。
「生きているのがつらすぎる」と打ってみたり、時には「あんなヤツくたばってしまえ」と検索することもある。どんな言葉もググってみると、同じように思う人がいたりして、フムフムなるほど同じく同じく・・と思ってみたり、検索ボックスの中にその言葉を入れるだけで、それは私から離れてプラスチックのように軽い文脈となって流れ消えていくのだ。(案外面白いものだよ。)

きっとあの日のあの記事にたどり着いた人は「生きるのがつらすぎる」と検索して流れてきたのだろう、と勝手に想像するとうれしくなった。
私も生きるのがつらい、あなたもつらいでしょう。でもそう思う方がマトモだと思うの。
生きるのが楽しい、これからいいことばかり、だって私は努力するものね、と思えて生きている人の方が私に言わせれば感性がどこか欠けている。もちろん生きていることへの感謝は忘れてはいけないけれど。

そして自分のブログはその言葉でヒットするのだろうか、と考えて検索ボックスに「いきるのがつらすぎる」と打ってみた。自分のその記事はこなかったが、やがて読んでいるうちに森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」という歌詞にたどりついた。

そんなに死ぬと言うのをデカく考えないで、真剣に悩まず自分を許してごらん、真剣に悩やまなければならないほど重要なことは何も無いんだよ、悲しい時はそれを包んで守ってごらん、と言う歌詞である。

そして最後に「生きてることが辛いなら、くたばる喜びとっておけ」と書いてある。
ほんとうにそうだわ、生きていることが辛い人なら、死ぬ時は人ほど苦しまなくて済むにちがいない。死ぬ時辛い人は生きている間は幸せだったのだろう。それはその時になってみなければ分からないけれど、どちらであっても私は満足してその日を迎えよう、と思う。

でもこの歌、前に読んだな、と思って過去の記事を検索してみたら、やはり自分のブログで書いていた。
しかも7年前に同じことを書いていた。

本当に物忘れがひどすぎる。


かじきまぐろ(味噌漬け)のお弁当。トマト鍋の残りもつめた。

昨日は鶏のから揚げネギソース弁当。鶏のから揚げネギソースはkekeの好きなメニューの一つ。