きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

体調不良

2024-02-29 | 健康とか病院とか


今日はプルコギの乗っけ弁当です。
ただしニラは入っていません・・・昨日使ってしまったから。。。


思いっきりキャベツの芯が乗ってます。^^;

昨日の夜も体調不良で、レトルトカレーを温めて食べました。
花粉症で鼻水が止まらないなぁ~と思っていたら、だんだん関節が重くなったり咳が出てきました。今朝は熱がないので会社へ。
でも咳が時々出てしまうので、社長はドアを何気に閉めています。

この時期、毎年ではありませんが時々あります。この花粉症だか風邪だかよくわからない症状。。。でも鼻水も今朝からはつまり気味なので治る方向には行っているようです。kekeに「今日は帰ったらすぐに寝る(夕飯は自分で用意するように)」と送って、すぐに寝るつもりが、あさり缶詰と野菜でスープを作り、冷凍のパンをトーストで焼きました。ご飯も炊いてお腹がすいたら食べられるように。。。だから本当にすごく調子が悪いわけではないみたい。
真っ黒になってしまったバナナも早く食べてしまおう・・・・。

それにしても今回はどこから風邪がうつったのかよくわからない。連休も出かけていないし、周りもせいぜい花粉症になってるぐらい・・・それともこれも花粉症に対する体のひどい反応なのだろうか・・?

家に葛根湯があるので、それを飲んで寝るとする。^^
明日は治ってますように・・・・。<(_ 人_)>


伝播

2024-02-28 | 会社の仕事

今日のお弁当です。
チヂミはどうかなぁと思いましたが入れてみました。タレはお弁当についてきた焼肉のタレです。こういうお弁当でも良いそうです。(^o^)


月末になっていつもの銀行に行きました。うちのメインバンク、とにかく処理が早くて待ち時間が短いように感じます。職業柄ほかの銀行にも行きますが、ここほど早くやってくれる所はないように思っています。同じ銀行で違う支店に行くこともありますが、やっぱり早いように思うのです。

そして今、窓口にいる女性がすごく気が利いて、さわやかなんですよ。人情味もあるというか、目が合うと微笑が伝わってくる・・・そういう女性で、彼女に会うだけでも楽しいというか。

そこへ新しく別の窓口の女性が入るようになって、先月だか先々月は私は税金から何からいろんな納付書を持っていくので処理するのが大変だったようでした。だけど、今日は慣れてしまったのか、すごく早くてしかも効率がいい。笑顔も素敵で、その社内の空気というのは伝播するのかも?!と思うのです。


というのは、私がいつも行く郵便局も皆さん感じがよくて、いい方ばかりで・・・金融機関は数年で異動になり入れ替わり立ち替わりまた違う方になるのですが、その雰囲気は変わらない・・・新しく配属になった方にもその社内の空気は伝播するのでは・・?と思うのです。

もっとも性格が美しい方でないと金融機関で採用されないのかもしれませんが・・・それにしても、そのどちらの方々も親切で真面目な方が多いですね。

今や観光でもお仕事でも日本に来られる方が多いです・・・・できればそういう優しい気持ちがいろんな国に伝播するといいですね。^^もちろん悪事を働く方は厳しくお国に帰っていただきたい。日本も、日本に来る方々もそういう良い雰囲気を世界に伝播する役割を担っているのでは?!・・・と私も思うのは、あまりに買いかぶり過ぎでしょうか・・・・?(^_^;)


私も共感性が高くすぐに影響されやすい「繊細さん」ぎみなので、出かけ先でそういう笑顔あふれる思いをすると、しばらくその気持ちが持続するのです。そしてニコニコ話し掛けたりすれば、またその相手の方にもその「ふんわりまろやか」な気持ちは伝播すると思います。それが続いた結果が、あの銀行さんや郵便局の方々の対応なのではないでしょうか。。。

もしかしたら、「頑張って努力すること」よりも「スポーツや勉強ができること」よりも、そういう周りの人を優しくするオーラがあることは、一番価値があることかもしれません。その伝播はいろんな人の心を温かくする力がありますからね。
そういう温かいことに素直にうれしいと思える私も少しは成長したのかな~~(^_^;)アハッ

今日は昼休みも少し散歩しました。
あるお宅の庭に梅の花が咲いていました。
遠く、すだれ梅も見えました。
川の水は澄んで、しかもたくさん流れていました。(何となく氷が解けたような春の速さがある)

また今年も新しい発見がありました。


続編

2024-02-27 | 母子家庭だから思うこと

「今日図書館に寄ってから帰る」
と、kekeにラインして、と。


連休中に作ったシュウマイをご飯に乗せて食べた写真。

3連休、ほとんど出掛けなかったけれど、これはこれで良かったかも。シュウマイも作ったし、ナスは南蛮漬け、キュウリも甘酢につけた。冷蔵庫には麻婆豆腐もある。
たまに10年前のブログを読むと切なくなる。kekeが毎日ご飯を作っていたからだ。

なんで私、あんなに怒っていたのだろう。
あんなに悩んでいたのだろう。
働くなり何なりしてほしい!と切実に思ったのは、愛情ではなく見栄だったのか?見栄とも思わないけれど、子育てから脱落することは、何か自分自身にも欠陥があるように思えてならなかった・・・・そんな気持ちだったと思う。不安で仕方なかったのだと思う。

あの頃、毎日どんな気持ちでkekeが夕飯を用意していたのだろうと思うと、胸がキュンとする。

長い物語には続編(第2章)がある。古くは源氏物語も、第2章になると主人公は彼らの息子たちに変わっていく。キャンディ・キャンディもやがてキャンディは学生生活を終えて、看護婦さんになってまた新しい物語が始まっていったっけ。

サザエさんや、ちびまるこちゃんが例外中の例外で、あれは桃源郷なんだよね。
物語は変わらずにいることは無い。みんな年を取っていくし、仕事も辞める日が来るし、体も心もだんだん年を取る。

このままでいたくても、それはできないこと。
それが当たり前の事だったとは。

私ら親子の物語も、もう近いうちに世代交代になるのだろう。
親子と言う形はまた変わっていくのだろう。
まだそんなに近いとは思っていないけれど、いずれ変わっていくことは間違いない。

私は第2章というのが、何につけあまり好きではなかった。
何につけ変化を好まない性格で、とってつけたような続編が好きではなかった。
でも、よく考えたら、自分の生きてきた道も、周りの人も続編を突き進む。それが生きとし生けるものの決まりだったのだろう。。。。

この生活がいつか変わってしまうのかと思うと、本当に切なくて、出かけるのももう止めたくなるぐらいだ。それは誰もが通る道なのだろうけれど。。。


カレーのその後の記憶

2024-02-26 | 日記

社長も帰って、みんなも帰るというので、(今日は帰ったらカレーを温めれば食べられるんだっけ)と考えていると、朝たしかカレーを温めるべく火を入れてからの記憶がない。
ちょっと火を入れて、お弁当の写真を撮らなきゃと思いながら、「他の事を始めると忘れちゃうから、換気扇マックス音でつけておこう」と思ってからのカレーに関する記憶がまったく無い。

(もしかしたら火を消し忘れたのかも・・)(でも換気扇の音にどうして気がつかなかったんだろう)と思いながら、kekeにラインを送るもkekeも何も注意していなかったそうで、まさかずっとつけっぱなしなのでは?!「でも自動で火が消えるはずだから鍋が焦げるだけだから大丈夫」と送るも、3分早く会社を出て帰ることにした。

(どうしてこう、あっちでもこっちでもやらかすのだろう・・)と思いながら慌てて家に帰って、kekeにガス台はどうだった?と訊くと何も異常ナシのようで、本当に何も起きていなかった。
現場の状況から想像できることは、「カレーを温めなきゃ」と思いながら他のことを考えてしまい、火をつけることすらもう忘れていたらしい。。。

ともあれ、何事も無くてよかった。
また今日も明日もこの家に住めてよかった。
年を取ると思うようにできないことがどんどん増えるから、当たり前の全てのことが愛おしくなるのだろうか。

kekeに「これからは家を出る前にガスの火を確認してほしい」というと、しぶしぶ返事をしていた。たぶん解釈すると「自分はいつまでこの家にいるか分からないから自分を頼らないでほしい」と言いたいのだろう。

年を取ってからの一人暮らしは想像以上に大変なのかも・・・。
自分ひとりしかいない。
ガスの火を消し忘れても誰も気に留める人はいない。フォローも何も無い。
kekeだって気をつけている訳ではないから、結局は今もみんな自分でやっているのだけど、それでもやっぱりセーフティネットというか、誰かがいてくれるとやっぱり違うと思う。

でも、kekeの足出まといになる訳には行かないから、ちゃんと一人でやらなきゃね。

その後の私の人生って、いったい何なのかな・・・??

今日は会社でも私のうっかりミスのせいで、お客様に渡す書類を作り直すことになった。それもまた私が勘違いしていて、来てから更に作ることになってしまった。その間、社長がお話をしててくれたのだけど、抗がん剤の話になっていた。
社長が知り合いの先生から抗がん剤の話を聞いて、その話をしていたけれど、やっぱり近藤誠先生の本の話と同じようなことを語っていた。果たしてこれから抗がん剤や、医療は、どういう方向に進んでいくのだろう。でもまさか社長がそんな話をするなんて。

やっぱり今、世界は何か変わっているように思う。
今まで隠されていたいろんな情報が表に出つつあるのかも。。。


今日のツマミ。これに昨日のカレーの残りを食べて、ポッキーも食べた。
あっちもこっちも、これからは気をつけよう。


怒られ慣れ

2024-02-26 | 女だから思ったこと


今日はスマホで撮るだけで精一杯だった写真。月曜日のハンバーグ確率高し。
自分の方はご飯が少ないから、冷凍してあるパンか、昨日作ったプリンを持って行くつもりが、すっかり忘れてしまった。最近はひらめきをその場で処理しないと、次の瞬間にはもう忘れてしまうんだよね。

今日は朝から会社さんから言われて修正した書類の間違いが原因でいろんな作業が中断してしまい、社長がよその会社の社長さんに怒って電話をしていた。

そんなことを1時間以上やっていて、(やっとこのまま進めていいことになって良かった)とS君に連絡したりしていたのだが・・・ここに来てその朝から始まったゴタゴタの原因が、なんと!!実は自分が作った書類が原因だったことが判明してしまった。最初にそれに気づいていればこんなことにならなかったのに、誤解が誤解を生み、社外の何も悪くない方にまで波及していたのだ。。。。

自分だけがその事実に気が付いた時(ドヒャー\(◎o◎)/!)と思い、このまま黙ってシラバっくれようかと言うのも頭をかすめたが、(言うことで、かえってまた揉めないかな)と思いつつ、本当のことを話して、その後はいろんな人に謝るor報告することになったけれど、全てが白日の下にさらされ、落ち着いて良かったです。

その時は例え怒られても、正直に言ってしまった方がその後は楽かも。特に私は生まれながら怒られ慣れしているので、自分が悪くて怒られることは、それほど堪えないと言うか、まして自分が悪いなら仕方ないと思える。そして最近になると、シュンとしている自分をもう一人の自分が客観的に見ていて(実はこの人半分演技で本当はたいして堪えていないんだよね)と囁いたりして、ほくそ笑んでいる自分がいたりする。

怒られ慣れしているのは、両親が年がら年中私を怒って説教していたからだと思うけれど、私はそういうスポンジみたいな役目が得意だった。何か言っても平気そうに見えるみたいで、ピアノの先生も妹には怒れないけれど、sakeちゃんは怒れると言っていた。

そんなスポンジみたいな自分が嫌いで、嫌で、本当に生きていくのが嫌だった。かと言ってどうしたら妹みたいに怒られなくて済むのかと言う分析もしなかったし(そういうことをするのが卑怯な気がしていた)、自分が嫌いだったから、もっともっと怒られてしまえばいいと思って、怒られることで安定していたような気がする。
自分が怒られていれば、家族一家が平和になっているような気もした。

そんな自分の怒られ慣れだけど、ここに来てそれも悪い事ばっかりじゃなかったな、と思う。怒られてもいいから正直に言っておこうと思えるのは、怒られ慣れしていて怒られるのが怖くないから。

でも、相手のヒステリックからの理不尽な怒られ方はまた別。
それもだんだん最近、言い返せるようになってきた。
噛みつかれれば噛み返す。踏みつけられたら足をすくう。(by中島みゆき)
大丈夫だよ、私。

やっぱり繊細さんじゃないかも。


最近のカラオケの話。

2024-02-25 | 歌謡曲・カラオケ

3連休最後はカラオケ練習に行きました。^^

ひざの調子はもうだいぶ良くなっているように思うのですが、まだちょっと心配で・・・というのも夏に転んで打ち付けた時と感じが良く似ているのです。その時は整形外科でレントゲンを撮っていただき「骨に異常はないようです。(もしかしたら見えない小さいヒビがあるかもしれないけれど)異常は見えませんでした」と、そのまま帰宅したのですが、(ということは見えない傷があるのかも・・まだなんかおかしいし・・)と気になってしばらく安静に過ごしていたのでした。その時の感じとよく似ている気がして・・・まだお出かけは控えているのです。(-_-;)取越し苦労かもしれません・・・何しろ繊細・・いや神経質な私です。

でも仕事も行っているし、必要最低限の買い物も行っているし、そんな訳で今日はカラオケに向かいました。

カラオケでは、最近練習している「アイドル」「残響散歌」「ミックスナッツ」のほかに、新しく「あなた」(宇多田ヒカルさん)と「怪獣の花歌」の練習が加わりました。
「あなた」と「怪獣の花歌」はお正月に姪っ子が歌っていたのを聴いて「私も覚えよう!」と思った曲です。^^♪

しかし、最近の曲は難しくって、覚える以前に低い音と高い音の間がオクターブどころではないような開きがあって、これまた覚えるようになるまでにすごく時間がかかります。今の子供たちはこういうアニメソングを当たり前に聴いて歌っている訳だから、そりゃ歌がうまくなると思います。

そう言えばお正月のカラオケでK-POP好きの妹と姪っ子を驚かせようと、私は密かにパク・ヨンハさんの歌の和訳リメイクの「初めて出逢った日のように」を覚えて、二人を驚かせようと曲名を伏せてデンモクから入れたんですよ。。。。で、曲が掛かってもなぜか二人とも無反応。。。

「何この曲?」と言っていて、やがて「このサビ聞いたことあるような・・」と言って、検索してやっと曲が分かったようです。(曲名も歌詞も韓国語で覚えていたから日本語で歌われると分からなかったのだとか)
「えー?!せっかく驚かせようと思ったのにー」と言うとみんなでアッハッハ!!となりました。(^o^)


それはさておき、その日から「あなた」と「怪獣の花歌」を覚えて、今まだ練習中の身・・・。本当は普段からyotubeのカラオケで練習すれば早く覚えられるのですが、どうしてもこういうぶっつけ本番みたいな形で発声練習をしているのです。

「あなた」と言う曲は歌うたびに、誰のことを指して「あなた」としているのだろう?と思う歌です。「ダーリン」と言う歌詞が出るので、通常なら愛する彼とかだんな様を指すと解釈するのでしょうが、私は個人的にはそうではないだろう、と想像しています。
だんな様や彼氏だったら、この歌詞にはならないだろうと思うのです。いつも宇多田さんの曲はキーをうんと下げないと歌えないのですが、この曲は♭2ぐらいで歌えそうです。だからキー変なしで歌える方も多いと思います。カラオケの音が静かでちょっとメロディーが取りにくいような気がするけれど、そこは練習でカバーできるかな?と思って練習中です。


「怪獣の花歌」は珍しくキー変なしで、高い所が裏声で大変だけど、キーを下げると今度は低いところが歌えないのでどうにかこのキーで歌いたいです。本当にカラオケ向きの曲で、まず前奏がない、間奏もあまりない、後半で周りが掛け声が入れて盛り上げられる、と言う3拍子そろったカラオケのためにあるような曲です。^^
・・・と言っても私が歌っても同年代の人は誰も知らないかもしれないけど。。。

怪獣の歌とは関係ないけど、このPVがあまり好きでないと言うか、金魚鉢が割れて金魚がバタバタしているシーンはちょっと怖いような・・・色合いは青ぽくて好きだけど、あの金魚がなぜこの曲で出てくるのかよく分からないんですよね。。^^;

最近のカラオケのPVは凝っていて、それを見るだけでも楽しいですが、時々「これはちょっと・・・」と言うのがありますね。これも最近覚えている曲ですが「前前前世」の後半からメンバーが猿の姿になるのもあまり好みではないかも。

ちなみにカラオケPVで一番好きなのは、今現在は「残響散歌」ですね。(^o^)色も派手できれいだし、ストーリー性もあり、1番だったか2番だったか歌が終わったタイミングで、花火がボンボンボンと上がるんですよ!そういう所とか。(^^ゞ・・・月・桜そして富士山と豪華絢爛!
歌はあまりうまく歌えないけど、PVが好きで毎回入れてまうのです。


それから古い曲では最近、「勝手にシンドバッド」を練習してるんです♪何となく知っているようで、歌ったこともないし早口の所とかよく知らなかったので。ちゃんと本家本元の歌を何度もリピートして覚えてます(^_^;)
この曲も最後掛け声が掛けられるので、場によってはカラオケで盛り上がる歌ということで。。。ただ私が歌っても誰も声を掛ける事はないので一人で両方やれるように練習中です。^^

一般的に歌って、最初低音で始まり、サビで高めの音になるパターンが多いのですが、この曲は逆で、最初に高い音から入るんです。なのでキーを大幅に変えてしまうせいか、最初の音がとれずによくはずします。なので最初のラララ~~から腹の中で口ずさんでおくのがポイントです。


では、また新しい曲を覚えるようになった頃、このコーナーをお届けしたいと思います~♪
(いったい何ヵ月後??)


繊細さん

2024-02-24 | 息子keke

今日は3連休の2日目。もう終わりつつあります。
晴れた休日にのんびり家にいるのは珍しくて・・・こんな日もいいな・・と思いました。

昨日は「HSP」なるものを調べていると、日本では「繊細さん」と訳されている?みたいで、その「繊細さん」の本がこの数年でいろいろ出ているようです。(*^o^*)繊細さんとは、ちょっと「敏感な(感じやすい)人」なのだそうで、病気ではなく、また生まれつきのもの(脳の偏桃体が活発)で5人に1人ぐらいの割合でいるのだとか。病気ではないので治療の必要はないそうです。(^_^;)

一時期あった「メンヘラ」なる言葉と何が違うのだろう?と思ったのですが、そちらは「あの女メンヘラだってよ」みたいな上から目線で悪意的ニュアンスがあるけれど、「繊細さん」は雰囲気が優しくて同じ目線で使えそうな気がします。^^共感力が高くて感受性や芸術性が豊かだそうなんですよ。

私は実は、駐車する時に後ろのタイヤをギリギリまで下げるのが苦手で車止めよりちょっと手前に止めてしまうのです。(車止めをうっかり超えてしまったことが過去にあって怖いから)それもいつかある友人に「もっと後ろで止めなきゃだめだよ」と言われたのですが・・・・できません。

・・・・なぜなら私は「繊細さん」だから。。。。

だと思うんですよね(^_^;)・・・人が当たり前にできることも、繊細さんだからできなくて。。。。

と言い続けるとまたその他大勢の人から何を言われるかわからないので、あまりアピールせず黙っていることにします。(-_-;)「繊細さんだから」と逃げるのではなく、「そうか・・私は繊細さんだからそういうことが苦手なんだよねっ」と自分で自分をフォローしてあげよう・・・それがこの言葉の使い方なのではないでしょうか。。。

でも、繊細さんって5人に1人だというけど、そんなに少ないかなぁ・・・・私は女性は少なくても半分近くの人は「繊細さん」ではないかと思っているんですけどね。今、実際に自分の周りの女友達ではあまり感じないけれど、職場とかで奥さんが怒ったとか、こうだったとか、そういう話を聞いていると「いや、私もそうだから」ということもあります。だから女の人の「繊細さん」の比率は2割ということはないのでは?!と思ってます。逆に男の人の繊細さんの比率はすごく低いのでは?

それでkekeが台所に来たので「繊細さんって言葉知ってる?」というと「知ってる」というので、「私、絶対繊細さんだよね、光や音に敏感だし^^」というと、「(光に敏感な)繊細さんは(明かりをつけたまま)そんなにすぐ眠れないのでは・・・」と言い残して部屋に戻って行った。。。。

・・・・(-_-;)



肉が少し残っていたので、冷蔵庫にあった豆腐と白菜、ねぎとすきやき味で煮込んでみました。
肉があまり入ってない割には、濃い目の味つけなので何回もご飯が食べられました。
豆腐たくさんでヘルシーだし、こりゃいいやと思ってこれからはちょいちょいリピートするつもりです。


「今日も一歩も外に出なかったけどいい一日だった。」/なおにゃんさん著

2024-02-23 | 読んだ本

「何もしないでダラ~ンと過ごすぞ」と決めた3連休の最初はまず寝っ転がって本を読んだ。

「今日も一歩も外に出なかったけどいい一日だった。」/なおにゃんさん著

イラストもふんわりしてるし、軽いノリで読んでみたが、(良い意味で)考えさせられることが多くて愕然とした・・・。というのも、私自身の10代20代がこの本の著者さんとそっくりだった。
すごく傷つきやすくて、自分の悪口なんかを知ったりしたらショックで1週間ぐらい立ち直れなかった。自己肯定がすごく低いくせにやたらプライドが高いので、不満ばかり持っていた。「謙遜ばかりしているクセ」とか、本当にその通りだった。

20代の頃勤めていた会社は今に比べると全然条件もよく安定していて、「何故あそこから踏み外れてしまったのだろう」と時々思う。だがしかし、それでも当時の私はその職場がしんどくて、早く辞めたいと思っていた。何がそんなに辛かったのかは、仕事というよりも(そりゃやる気がないから仕事もできないけれども)、周りにいる人の言葉やちょっとした態度が自分の心に突き刺さるのであった。

ならばそんなにひどい人間関係だったのかと言われると、そんなことはなく、むしろ今よりも多くの人からは良くされていて辞める時に部長に「社内で一番人気者だった」と言わしめた程だった(お世辞かもしれないが)。。何があんなに辛かったのか良くわからないが、ある日電車に乗りながら涙を流して、男性から声を掛けられたことがあった。(結局それに乗らなかったのでナンパか何かの勧誘かは良く分からず)
声を掛けられたのはその時だけだったけれど、年中そんな毎日だった。

そして今の私は誰が見ても都落ちのような状況になっている。(今の状況を「都落ち」と言うのは今の周りの人に申し訳ないがそれが一番わかりやすい表現なので採用)ところがどっこい、この本を読んで「まてよ?」と私は思った。
あのまま当時の会社で働き続けていたら、私はこの著者さんのように「うつ病」になっていたかもしれない。周りとか環境ではなく、自分の心が感じやすく、傷つきやすく、些細なことで大きく心が震えるから。。。。

当時の私は頑なに「謙遜は美徳」だと思っていた。自分は相手の気持ちを汲み取らず自分の気持ちだけでガーガー言うような人間にはなるまいと心に誓っていた。だからいつも強く出れなくて「ごめんなさい」「すみません」と言っていた。それでいつも相手から舐めきられてコバカにされ、いつも大切にされなかった。そして「誰からも大切にされていない」といつも思っていた。

だが、待てよ?
私の中の「大切にする」と言う概念が、世間一般とズレているのかもしれない。

というのは、この本によるとそういう「感受性や刺激を感じやすい人」と言うのはHSPと言う言葉があり、世間一般とズレがあるようなのだ。今まで「自分だったらこういうことを言われると傷つくから、そんなことは言わない」とか「どうしてそんな相手が傷つくような言い方をするのだろう?もっと気を遣えばいいのに。」と言う場面が、度々あった。

でもそもそも、彼ら(例えばHSPではない人々)は、「自分がそう言われても傷つかないから、平気で誰にでもそう言える」のかもしれない。私は「誰からも大切にされないし」と言うけれど、そもそも彼らは「誰も大切に」はしていないのかもしれない。(何を持って相手を大切にしているかは、その人その人によって基準も違うだろう。例えば食事を奢ることが相手を大切にしていると考える人もいるだろう。)

それに気がついて、この本を読んで愕然としたのである。
今まで私は「私の気持を想像しない(大切にしてない)から、こういう言い方ができるんだ」と思ってきたけれど、もともとそういう想像ができない人にとっては、それってハードルが高いことだったのかもしれない。それを「どうしてそんな言い方ができるの??」と考えて「私は大切になんてされてない」と思えば、そりゃいろんな人間関係が破綻するはずである。

「自分は誰からも大切にされていない」のではなく、世間一般に「そんなに他人に気遣いをしていない」のではなかろうか。。。。

自分が勝手に感じやすく、人の顔色ばかりをうかがい、勝手に解釈し、時に振り回され疲弊しているだけだったのだ。それはすなわち自分がHSPだったから・・・・(か、どうかは分からないけれど、そう解釈するとここでは全て解決。)


それでHSPで検索したら、「光や音の刺激を感じやすい」と言うのがあって、これも本当にその通りで今、会社でもブラインドの争奪戦をしている。というのは、私は窓の向こうの車の窓ガラスの光の反射が目に飛び込むのが嫌いで、10時過ぎるとなるべくブラインドを閉めるのだけど、明るいのが好きな人が戻ってきてすぐブラインドを開けるのだ。私は内心「そんなの嫌がる人に合わせればいいのに・・暗くたって仕事はできるんだから」と思っているけれど、そういう刺激が分からない人にしてみれば理解できない・・・(一度思い切って口に出して伝えたけれど変わらず・・・)

いろいろ書いてしまったけれど、結局今自分が30年近くも働いていられたのは、この環境(ブラインドとかエアコンの温度とかある程度自分で動かせる)が幸いしているのだろう。大きな会社で大勢の人や後輩が生まれ、ましてや気の利く女の人が何人もいるような環境で自分が果たしてストレスなく働けただろうか・・・。
そう考えると、運に恵まれうまく収まるべき場所で働かせていただいているのかもしれない。
そして、最後には「結局この人生でよかったんだ、kekeと巡り合えたから。」と言う結論で終わる。(子供がいるということは、その最強の切り札がいつでも使えることでもある。)


本とはかけ離れてしまうけれど、最近「親ガチャ」なる言葉がある。我が家でも息子の口から何度も出てきている言葉である。我が家は親ガチャでハズレらしい。

そんな私が言うと言い訳がましいけれど、そういう人は親ガチャに外れた分、違うツキを持っていて、それがこの後の人生のどこかで出てくるように思えて仕方ない。というのは、私の知り合いで借金で首が回らなくなり最終的には自己破産に至る・・と言う人がいる。
私は何を持ってもこういう人生だけは歩みたくないと思っていた。だがある日、そのような「この人だけにはなりたくない人」でさえ、奥様がいることに気がついた。それも離婚もしてないし家庭内離婚もしていないようで普通に暮らしている。自分が「これだけはなりたくない」と思う人でさえも、自分には居ない生涯連れあうパートナーがいるのである。もしかしたら彼らこそ私のような寂しい人生は送りたくないと考えているかもしれない。

つまり、どっちが上か下かなんて言えないのだ。今のところ生活保護なる制度もあるし、ある意味お金の心配より、夫婦や友人関係を豊かにするほうが「恵まれた人生」とも言える。(私は人間関係が苦手なのでお金の方を優先するけどね。)

「親ガチャに外れた分、違うツキがあるのでは?」と考えるのは、世代でも人でも、とことん運に見放されている世代や人を見たことがないから。私の両親は子供時代戦争で大変だったけれど、その後の好景気で中年~晩年は恵まれて暮らせた。私らの時代は若い頃までは良かったが、今や国も傾いてどんどん税金で吸い取られつつある。もっと若い人たちは更に待遇でも苦労をしている分、そのうちどこかの時代から恵まれてくる運を持っているのではなかろうか・・・と思うんだけど。
今まで巡り合った人達で、中には稀に非の打ち所も無い良き人生を歩いているような人もいるけれど、本当に気の毒すぎる人はいなくて、誰だって何かしら恵まれたツキを持って、ほとんどの人は、手に入らなかった部分と、恵まれた部分と両方を合わせ持っているように見えるから。


ちなみにこの表題の本によると、HSPの人は「直観力が優れていると言われている」そうである。

だから、やがてこの国はまた良くなってくる。今の若い人が喜べる時代がこの後どこかで来るのではないか・・・・・と思うのだけど。。。それともまだ私は本当のどん底の時代を知らないだけなのだろうか。。。。(前者であると思いたい)

 


今朝見た夢

2024-02-22 | 日記

私はめったに夢を見ない人間だし、例え見たとしても目覚めたらすぐに忘れてしまうはずなのに、今日は久しぶりに夢を見て、しかもまだ覚えている。それはもう10何年ぶりとか、そういう珍しいことだ。

しかも2本見ていたのに、最初の夢は目が覚めたら忘れてしまった。もうひとつのが覚えていて、会社に着かなければならない時間なのに会社がどこにあるか分からないという夢である。しかももう切羽詰った時間なのに、自分は遅刻を許せず、駅に向かって走っていて、ひざも痛いはずなのに、あまりに必死でひざを押し殺して走っているのだ。それで秋葉原の駅に向かって走っているのである。
そして、改札を探すのに間違えて駅ビルみたいなカフェに入ってしまい、慌てて外に出ると店員さんから「注文もしないでトイレだけ使わないでください」と言われて「えー・・・トイレになんて入っていないのにぃ・・・」と思いながら無念をかみしめていると、プップーといつもの目覚ましの音で目が覚めた。(まるで漫画のようなオチ)

(あー!遅刻もアキハバラもみんな夢だったのかー良かった!!)と思いきや、あまりに強烈だったので、夢占いで調べてみると、不安や焦りで心が迷っている状態なのだそうである。


そして今日のお弁当。
鶏のから揚げ、筑前煮に卵焼き、ブロッコリーを焼いたもの。
なんと、お弁当の蓋をしようとしたら、蓋が見当たらないのである。あちこち探したけれど、なんせ散らかりすぎてて分からない。。。orz
もう出る時間になったのでkekeに「蓋を探して」と言い残して出て行った。。。。

(蓋・・・見つからないだろうな・・・あれだけ探しても無かったんだから)と思い、帰りにラインできいてみると、違うお弁当箱にうつして持っていったそうである。(その手があったか!!)

結局蓋はシンクの中にあった鍋の下の方にあった。(見つかってよかった)

・・・・この3連休は少し家を片付けたいと思います。。。(-_-;)
写真は撮りに行くのではなく、場所とかリサーチをして楽しむつもりです。。。


逆転現象

2024-02-21 | 女だから思ったこと


昨日のお弁当だったかな?^^;いなり寿司と焼きそばです。
焼きそばの残りだけではちょっと少ないかな?と思って、すきまにご飯も入れています。
(この日は中華スープもつけたんです。)


前の晩のカツの残りをカツどんにして、野菜炒めを入れました。
お惣菜貯金もポテトサラダしかありません。。。


お昼のトマトスープにお餅を浮かべて、ピザと餃子を焼きました。
餃子はあまったら明日のお弁当にします。ピザが余ったら自分のお弁当にしようかな。

休日のお出かけが楽しいにつれて、どんどん食生活がやっつけになる私です。(-_-;)
今日はそれでもまだピザを焼いたり(生地は市販のもので、乗せて焼いただけ)、冷凍の餃子を焼きましたが、最近はなかなかここまでやれていません。

最近また一段とスローモーになったように感じます。40代のころはもっと、テキパキ動けたし、一日にもっと詰め込んでいろいろできていたように感じるのは幻なのでしょうか。。。
今はまず、帰ってから、服を(家用の)着替えます。そこで家用のスパッツを探したり、メガネの場所をあとですぐに見つかるような場所に置きなおしたり、買い物袋から野菜や肉を冷蔵庫に入れたり、洗濯物を洗濯機に入れたり・・・それで平気で30~40分はかかるんです。下手したら1時間ぐらい掛かっているかもしれません。

自分、自慢ではないですが小学生の頃は、すごくテキパキ動けて、ドリルやテストもさっさと終えて、トイレもすぐに出てくるタイプでした。なのに今はその真逆です。何をやってもモタモタしていて、トイレでシャツの裾をズボンの中に入れるのにも時間がかかること。。。(リュックを背負いながらということもありますが)・・・みにくいアヒルの子が白鳥に成長したという物語があるけれど、その真逆は情けないですね。。。。でも人生そんなものかもしれません。

学生の頃は近眼メガネがすごく嫌だったけど、おかげでまだ裸眼でも本が読めるという、良い逆転現象もあったり。
「私って健康だよね~~~とうぬぼれていたら・・ひざが痛くて動けなくなったり。。。(-_-;)

人生は逆転現象も多いですね。
「うぬぼれてはならない。思うように行かないのはその人の原因とは限らない」と肝に銘じているつもりが、またもやうぬぼれて、しっぺ返しを食らう私です。でも歩きすぎも良くはないと知れば、またこの先気をつけることでしょう。

最後までわかりません。だから軽く人様のことを決め付けたり批判したりできないと思うのです。
今日ある人が「自分は裁判に負けたら、(正しさを証明するために)お金がかかっても控訴する」と言っていました。でも正しさの証明って、相手は相手の言い分もあるし、何を持ってどっちが正しいなんて、言えないことも多いだろうなと思います。

今日久しぶりに万歩計をポケットに入れておいたら、家に帰って着替えるまで3600歩でした。今日は社長が休みだったのであまり足を動かさないでなるべく安静にしていたのです。それでも3600歩。これで昼休み散歩をしていたら、6000歩近く行っているかも。
と思うと、休日そんなにたくさん歩かなくてもいいのかなぁ。。。

今度の三連休はとことん休もう!!
早く足が良くなりますように・・・(^人^)