最近、不倫のニュースも話題になっているけど、そういうのに怒りを覚えるのは若い証拠なのかもしれない。
私も20年前は憤慨した。けしからんと思った。
自分の人生を返してくれ、ぐらいの勢いで怒っていた。
60年も生きていると、まぁそういうこともあるよ、と思ってしまう。
周りを見ても何人もいる。この前離婚したばかりなのに再婚してる男の人。
それで鼻の下を伸ばして幸せそうにしている。
そんなものなんだよ、人生って。
他人に頼るのではなくて、一人でしっかり立たないとね。
って、浄水器1つ付けられない私が言うのも何だけれども。
ほんとに、ほんとに結婚した時のままの気持を維持して、結婚相手を大切にしている人って全体の何パーセントいるのだろう?
大抵は、慣れ切ってぞんざいにしている人も多いんじゃないの?
芸能人は姿形もきれいだし、恋する機会も当然多いし、巻き込まれる可能性もそれは高いだろう・・・。
今、不倫を批判している人だって、この先そういうことに巻き込まれる可能性は高いと思う。「自分は絶対にしません」と言うことは誰も言い切れない。
そう思うと、そんなに人がすることも否定できなくなる。
やっぱり絶対に犯してはならない人殺しのような犯罪とは種類が違うと思う。
人の心は変わるものだから、もしも不倫をしない、されない可能性を高めるとしたら、やっぱり感謝の気持を持つことではなかろうか。
相手がいいとか、悪いとか、好きとか嫌いとかではなく、今の暮らしがあることに感謝すること、相手がパートナーでいてくれることに感謝すること。またそういう気持のある人を結婚相手に選ぶこと。
不倫はイケマセンではなくて、傍にいてくれる人に感謝することだと思う。
私達は「自分がこんなに頑張っているだから、相手も同じようにするのが当たり前」と考えてしまいがちだけど、相手は相手の考え方があり、疲れている場合もある。
相手に求めるよりも、自分が楽に生きることをチョイスした方がいいかもしれない。
旦那のいない私が言うのも説得力がなくて、ただの理想論かもしれないけれどね。
でも、正直うらやましい。
愚痴が出ても、パートナーと言う存在がいる人が。
もっと大切にしてあげてほしい。
一昨日のごはん。煮物は煮返して、カキフライはスーパーの市販品。
昨日のお弁当。さんまの缶詰もそのまま入れる。
夜はピザ。冷凍した生地を解凍して使ってみた。
やっぱりビール。
一日のおしまい。
いよいよ今年も終わりに近づきました。
スーパーに行くと、もう伊達巻など、おせちセットも売られていて、それを見るだけでウキウキしています^^
kekeにお正月どうしようか?おせちセット買ってみる?と訊くと「いらない」と言い、「カレーでいい」と言います。
そう、我が家は「おせちもいいけどカレーもね(昭和時代のCM)」ということで、毎年大みそかにカレーを煮てお正月に温めて食べる習慣なのでした。(^^;
kekeはかまぼこや伊達巻はあまり食べないので、買うのがもったいないんですよね。一人で食べるのも大変だし。
両親が元気だった頃は実家に行ってごちそうになっていたのですが、今や妹たちも元旦は旦那さんの実家に行っています。
元旦かぁ~~kekeもずっと寝てるし、暇なんですよねー(^^;
今年は年間のお出かけスケジュールでも立てようかな~。
話はさておき、昨日だかいつもより早い時間に家を出て会社に向かった時のこと、あるお宅のご主人と鉢合わせしました。おはようございますと挨拶をしていると、その方が両手に腕時計をされていたのです。
「両手に時計をされているんですね。^^」と話すと、片方は新しい腕時計で、だけど今まで使っていたのが可愛そうなのでそちらももう片方の腕につけているそうです。優しい方ですね。
その方も朝の横断歩道で旗をもって旗振りをされていて「今日もご苦労様です」と毎回声をかけていただくのです。私にではなくて皆さんにそのように挨拶をされていると思います。
そんなことも思いふと、(こういう方と結婚していたら、私幸せに暮らしていたかも)と想像してしまいました。でも若い頃はそういう人を見抜く力がなかったんですよね。
昨年、何十年ぶりに昔の職場の同僚を会う機会がありましたが、その時も昔を変わらずいい人だなぁ~と思う方がいました。(もっともその時会ったのはみんな良い方なのですが)
若い頃って、良い人(良いって断言するのも忍びないけれど)というのが分からなくて、ついつい見た目とか、ちょっと強引そうな人に押されて惹かれてしまう私ですが、この年になって、やっと幸せにしてくれそうな人って、ちょっとばかり見えてきたような気がします。いぶし銀っていうのかな。。。
そういう人は決して華やかではないんです。目立たないけれど優しくて、決して拗ねたりしないで、周りの人にホットな空気を送っているというか。
中居君のニュースを見て、ふとそんなことを思ってしまいましたが・・・芸能人やモテるような男性は普段からチヤホヤされているから、そういう地味な優しさは少ないのかもしれませんね。
そう言えば、この前誰が結婚するしないの話題になって、誰がまだしてない、という話になって、私が「(彼は)理想が高すぎるのではないでしょうか」と言ったら、「そうだよ、もういい年なんだから、年上とかでもいいんじゃないの?・・・子連れのバツイチとかさ、そーいうの。」と言われて、私のことを言った訳じゃないと思いますが、何かその言い方何だかなぁーと思いましたよ。
いかにもバツイチとか子連れは、それだけでランク外みたいなあの感じ。
そういう発想が軽いというか、失礼というか。
私の周りはそういう考えの人ばかりで、勤め始めた若い頃は毎日のように泣いたり怒ったりしていましたが、もう慣れたというか、ここはそういう考えの人がたまたま多い環境なんだと思う
あの古い腕時計を「かわいそうだから」と二つつけているおじいさんと比べては失礼なのでしょうが、比べてもいいよね。何か違う。
私は次に生まれ変わったら、今度はいぶし銀みたいな優しい人と結婚しようと思う。
それから、中学に入ったらブラスバンド部に(例えクラスに一人しかいないくても)入ろうと思う。ちょっと生まれ変わるのは懲り懲りでもあるんだけどね。(^^;
もっとも人間に生まれ変われるかどうか分からないけど!
そうそう、お正月また今年もカレーにするかぁ~と言っていたら、kekeが「ビーフストロガノフは?」と言うので、「その方がお正月ぽいよね、そうしよう!」と来年のお正月はビーフシチューにする予定です。^^
今日のお弁当は焼肉となすの南蛮漬けです。
ほうれん草を食べきってしまったので、緑のものがありません。。。
最近、103万の壁とか何とか言ってるけど、まったく興味がないと言うか、私から見ればそんな何万の壁という時点で「人生勝ち組さん」なので勝手にやってれば、って感じです。
「あ、これ以上働くと扶養からはずれちゃうから止めなきゃぁ・・・」って言う選択肢そのものが羨ましく、妬ましいんですよ。
それで、たしかご主人が亡くなっても遺族年金というものがもらえると思う(幾らなのかは知らないけれど)。
またいつもの堂々巡りですが、それに比べてさぁ・・・・・。
ほんとにこの国の制度は一人で子供を育ててる人間をナメきってるとしか思えない。30年も厚生年金を払い続けてこれかい?!比べては失礼だとは重々承知だが、それで「103万以上は働けないワぁ~ん」と言っている方々は、遺族年金までご丁寧にもらえて不自由もなく老後も保証されると。
つまり、この国は「日本男性と結婚し尽くし歓ばせる人間でないと価値がない」ということなんでしょうな。
離婚されるような女は死ね同様、逆に日本人でなくても年金を納めなくても、妻として日本人男性に尽くす女性は末永く老後を年金で保証されるのでした、終わり。
・・・とここまで考えると、この何万の壁なる言葉を聞くだけで何だか胸糞悪くなってくる。ただ単に年金の原資が足りないから、有閑マダムを少しでも長く働かせたいだけなんじゃないの?そもそもその年金の原資が足りないって言うのも政治の仕方が悪いんじゃん。これだけ消費税も上げてるくせに、そんなお金もキープできないのか、どうせまた裏金や使途不明金としてポッポに入れてるのでは・・・とまでグルグル考える。
しかも最近ある発見をしたのだった。
それは毎年毎年あがる健康保険や年金についてだが、毎年、1000円とはいかなくても、700円とか800円とか、毎年毎年徴収金額が改ざんされて値上がりするんですよ。
でもね、ひと月に例えば1000円上がるとしたら、1年で12000円多く差っぴかれているわけで・・・・それ、10年続けてやられたら、私たちはいったい幾ら徴収額が増えているのでしょうか。毎月毎月ちょっとづつだから気にしないようにしてるけど、それ20年もやられてたら相当持ってかれてるということですよ。それで給料はほとんど上がらず、消費税も上がってればそりゃ生活がどんどん苦しくなるわけですよね。
こんな不平不満ばっか言ってもしょうがないけどさ。
ほんとにこの国の制度は子育てする人間をバカにしている。特に一人で育ててる人間をバカにしきってる。子供なんてどっかにやっちゃって、ガンガン働いて稼いだり、稼ぐ男と再婚することを考えた方が老後は勝ち組じゃないか。
でもいいんだ。
子供をどこかに預けてまで遠くで働くなんて考えもしなかった。
老後にこうなることも分かってた。
そもそもkekeが18になるまではどうにかしよう思って働き始めたんだし、実際それより10年以上も生き延びちゃった。
別に自分の権利を今更ギャーギャーわめくつもりもないよ。
でも、虚しいわな。。。
100万の壁とかで「じゃ働かないでおこうっと」って言える人と、自分とのこの老後の待遇の違い。。。
私が働いてきた30年はいったい何なのか。
能力がないから、お前は稼ぐ能力がないから、これしか年金がもらえないのだ、ということなのだろうけど。
それじゃどうして、主婦の人は遺族年金までもらえるのさ・・・・。
そして主婦の人が家事や子育てで頑張ってきたから老後を保証されるというなら、どうして私にはそれが無いんだよ。。。。本当にそれを(比べてはいけないものだけど)考えていくと、泣けてくる。
はいはい、日本男性に寄与しなかった私はさっさとあの世に行きますよってーの。
ざまあみろ。。。
今日は、そう言えば自分が離婚した時のことを思い出してた。
最初から弁護士の先生は離婚しろなんて言わなかった。当時の夫が不倫をして家を出ても「長い目で様子をみましょう」って言っていた。それが変わったのは、彼が離婚届を送りつけてきてからだった。「あまりに無責任だ」と言って、こんな人と関わらず離婚した方がいいと言って、今ある財産と親権をこちら側にするよう片をつけるから離婚してしまいなさい、と言われたのだった。
そんないきさつで離婚した私だったが、それから10年間怒りにふるえた。
今ある財産と言ってもたいしたものじゃないし、それは結婚前に私が貯めてた貯金がほとんど。これから再婚して新しく家庭を作るヤツが親権なんてほしいわけがない。つまりヤツは何の償いもせず、痛くもかゆくもなく、せせら笑って新しい人生をやり直そうとするのが許せなかったのだ。
「やっぱり裁判をすればよかった」と後悔したのは1度や2度ではない。いや、ほとんど毎日そう思っていた。何年かかってもかまわない!!あの男の非情極まりない行動を白日の下にさらせばどんなにスッキリしただろうに!!と思った。
それが急展開するのがその10年後ぐらいだと思う。
なんと、ヤツが仕事もせずに新しい妻から愛想をつかされ(たのか自分から身を引いたのか知らないが)、別居して実家にいるのが判明したのであった。いったい何があったのだろう?それはよく知らないが、何の障害もなく、借金もなく、これから好きな人とさぞかしお幸せに暮らせるはずのヤツがそうなっていないのを見て、「神様は見てるんだな」と思ったのだった。別にざまーみろとも思えなかったし(イヤ多少は思ったかもしれない)、あんなにアリ地獄のように不幸にしたかったヤツなのに、いざそうなっているのを見ても思ったほど勝った感はなかった。
結局最後の1年は養育費は催促しなかった。だからいまだに払われていない。(ヤツの脳内では完済に記憶が摩り替わってるかもしれないが)
その頃は借金もしてるという話だったし、これで更に催促して首でもくくられたらこっちがまるで加害者みたいになっちゃうと思ったし、その頃はもうkekeと十分に幸せだったから、くれてやってもいいかなと思ったんだよね、私らしくないけど。
何が言いたかったかというと、あの10年間、私は裁判にすればよかった、とずっと後悔していたのだ。こんな悪い方のヤツが何も償いもせず、痛みもなくヘラヘラ笑って生きていくのが許せない!自分がどんなことをしたのか、どっちが悪いのか裁判で白日の下にさらしてやればよかった!とずっと思っていた。
でもさ、今になって想像すると、裁判になっていたら、ヤツだって弁護士をつけるだろうし、そうしたら入れ知恵されて、まず親権を取りにくるだろう。私は当時はパートで数万程度の収入しかない、それをネタに親権で脅して、財産分与をよこせと言ってくるだろう。それから、不倫や家出を正当化するために、私の悪態を捏造してでも触れ回ったに違いない。それで「こうなったのは悪妻のせいだから仕方ない」という結論に持って行こうとするだろう。
そんなになったら、こっちのメンタルが先に殺られたよ。
今だからこそそう思う。そのぐらいは絶対にやってきたはず。
なぜなら、加害者は正攻法じゃ勝てないから悪知恵使うしかないんだよ。。。今日はそれに気がついて妙に納得した。
当時の私は自分が正しい、それを白日の下にさらしてやればよかった!と思っていたけど、果たして裁判は私を正しいとしただろうか。。。悪知恵にはかなわなかったのでは。。。それが人間がする裁きの限界なのかもしれない。
でも神様の目はごまかせないというか、おてんとさんは見てるんだろうね。
それに比べると小さな次元だけど、「自分の言ったことは返ってくる」というのも見たことがある。例えば私の離婚を笑いものにしていた人は、その後10年以上も経ってから今度は自分が離婚するハメになった。ただの偶然かもしれないが、私は「自分が発した言葉がめぐりめぐって返ってきたのでは」と思っている。。。
「今日図書館に寄ってから帰る」
と、kekeにラインして、と。
連休中に作ったシュウマイをご飯に乗せて食べた写真。
3連休、ほとんど出掛けなかったけれど、これはこれで良かったかも。シュウマイも作ったし、ナスは南蛮漬け、キュウリも甘酢につけた。冷蔵庫には麻婆豆腐もある。
たまに10年前のブログを読むと切なくなる。kekeが毎日ご飯を作っていたからだ。
なんで私、あんなに怒っていたのだろう。
あんなに悩んでいたのだろう。
働くなり何なりしてほしい!と切実に思ったのは、愛情ではなく見栄だったのか?見栄とも思わないけれど、子育てから脱落することは、何か自分自身にも欠陥があるように思えてならなかった・・・・そんな気持ちだったと思う。不安で仕方なかったのだと思う。
あの頃、毎日どんな気持ちでkekeが夕飯を用意していたのだろうと思うと、胸がキュンとする。
長い物語には続編(第2章)がある。古くは源氏物語も、第2章になると主人公は彼らの息子たちに変わっていく。キャンディ・キャンディもやがてキャンディは学生生活を終えて、看護婦さんになってまた新しい物語が始まっていったっけ。
サザエさんや、ちびまるこちゃんが例外中の例外で、あれは桃源郷なんだよね。
物語は変わらずにいることは無い。みんな年を取っていくし、仕事も辞める日が来るし、体も心もだんだん年を取る。
このままでいたくても、それはできないこと。
それが当たり前の事だったとは。
私ら親子の物語も、もう近いうちに世代交代になるのだろう。
親子と言う形はまた変わっていくのだろう。
まだそんなに近いとは思っていないけれど、いずれ変わっていくことは間違いない。
私は第2章というのが、何につけあまり好きではなかった。
何につけ変化を好まない性格で、とってつけたような続編が好きではなかった。
でも、よく考えたら、自分の生きてきた道も、周りの人も続編を突き進む。それが生きとし生けるものの決まりだったのだろう。。。。
この生活がいつか変わってしまうのかと思うと、本当に切なくて、出かけるのももう止めたくなるぐらいだ。それは誰もが通る道なのだろうけれど。。。
昨日はふとしたことがきっかけで、kekeから「自分は被害者」という話を聞く。
「なんで私が加害者で、お前が被害者なのか?」と言うと、私が離婚したせいで、自分は子供の頃から言われもないようなことを言われて傷ついた、というのである。
「私が好きで離婚した訳じゃない。お父さんが出て行ったんだよ」と言っても、「そういう人と結婚したのは自分じゃないか」と言い、こんな不幸な人生だったら生まれて来ない方がよかった・・・とまでは言わないけれど、そう思っているのはミエミエである。
自分自身も「生まれてよかった」とは思えないから、そう思うのも仕方ないけれど、当時の自分のことを思うと涙が出てしまう。kekeは「あなたが一人で育ててくれたのは分かっているけど、その一方で自分は被害者だと思っている」「それは分かってほしい」と言う。
と言うことは、この先も、私が認知症になって、分からないまま何をするかも分からなくなったら、やはりkekeはまた自分は被害者だと考えるのではなかろうか。そうなる前に、そういう芽が出つつある前にこの世からオサラバしたいものだと思う。(が、安楽死制度が無いのでどうにもならないが。)
kekeも言っていたが、今でこそシングルマザーという言葉があり、一定の認識ができたけれど、当時はそうではなかった。片親はクラスに一人だった。担任の先生に尋ねると「一人なんてことはないのですが・・・そういえばkeke君だけですね」と、何年生の時も言っていた。
しかしあれから20年以上の歳月が流れて、この年になって今でも自分は被害者だと思うのか?!と言うが、そうらしい。それでまた、「もっとお金がある家庭だったら」自分の人生は変わっていたと言う。
何を言うか。私は当時を覚えているぞ。赤ペン先生だってやりたいと言えばやらせたし、立派な図鑑を揃えた所で当時のkekeがそれを全部読んで天才になったとはとても思えない。確かに塾はお金が掛かるから中3だけだったし、「図鑑を読むような子供に育てなかったのはアナタなのでは」と言うだろうけれど。
あー、本当に、人間とはどんな因果を持ってこの世に生まれてきてしまったのだろう。
三途の川を渡る前に「楽しんできたか」と訊かれて、「楽しめました」とは口が裂けても言えない。かと言って、もうこの世には戻りたくない。
ひと世代違うのだから何を言ってもしょうがないけれど、あの「自分は被害者」「親ガチャがはずれた」と未だに思っているのは何なのだろう。もういい年なのだから「そういう環境を背負いながらも自分の人生をまっすぐ生きる」と言う風にはならないのか。それが一人暮らしを始めるということなのだろうか。
そう言えば先日も友人Uちゃんと話していたら、Uちゃんの高校時代の友人の旦那さんが病気で亡くなったそうである。61歳だとか。それも病気が分かって入院して2週間だったとか。親なんていつまで生きているか分からないのに。
Uちゃんは、家にまだお父さんやお母さんのものもあって処分をどうしようかと言っている。定年になったら片付けるつもりだったけれど、「それ無理よ、業者に頼めば1日だから」とアドバイスをされたと言う。200万だって。
つくづく「人は自分は死なないと思っているからね」と言っていた。
私もそうだ。もうじき迎えが来る来ると口では言うけれど、死なないと思っているから、雑誌も何も片付けていない。まだこの先読む時もあると心のどこかで思っているのだ。
子供が増えないのは、お金が無いと育てられない以上に、お金がないと十分な環境を子供に与えられないと考えるから。そういう社会だから。本当にお金の潤沢さが、子供の幸せを決めるのか??そんなことを訊かなかったけれど、kekeは言うだろう。そうだよ、だから自分は子供を幸せには育てられない、だから諦めていると。
keke曰く、私が自分(keke)に「離婚してから一人であなたを育ててきたでしょ」と言うのは、誤って車で人を殺してしまった場合の遺族に「もう刑期が済んだから私は悪くない」と面と向かって言っているのと、同じ意味なのだそうである。
本当にそれと、これは同じなのかなぁ。。。。
今日のお弁当です。合びきがあったので(傷む前に)ハンバーグにしました。
お弁当二つです。
お昼の散歩は、冬らしく葉が散った枝なんぞ。
今日はkekeがまだ帰ってきません。
1度家に帰ってから、また出かけた様子。(お弁当箱があったから)
いつも居るはずの息子が家にいないと、何となく淋しいですね。特に何を話すわけでもないのですが。。。
当たり前のように暮らしている日々。
お弁当を二つ作って、「ここに置いとくよー」と言って、家を出る朝。
玄関を開けると、先にkekeの靴があって「ただいまー」と言う夜。
いつか人影も何もなくなり「咳をしてもひとり」と言う日が来るのだろうか。。。
想像するだけで切なくなりますね。
誰もが通る道なのでしょうか・・・・
息子には幸せになってほしいです。
小さい頃、あまり幸せにしてあげられなかったから。
人生の後半は幸せになってほしいですね。
お風呂で温まって早く寝よー
今日は珍しく画像がありません。
今日こそ、三脚を買おうかなと思ってそのつもりでしたが、この暑さで外に出る気も薄れました。(-_-;)ふと気がついたら11時を過ぎていたのです。そして返す前に図書館の本を読んでしまわねば、と雰囲気だけ読んでいるうちに1時になり、図書館に行って終わってしまいました。
無計画な私です。(-_-;)
昨日会社で、いつも愚痴りがちなある人が、「何かいいことないかね、sakeさん」と(ため息ぽく)言うのです。この後の展開がだいたい今までのパターンだと、「もっと~~だったらいいのに」と言う職場の愚痴になるので、私はその展開を今回は打開すべく!!「いっぱいお給料もらっているじゃないですか、私の倍ぐらい」と言ってみたのです。
そしたらその人は「だってsakeさんの倍、働いているからね。」とこう言うんですよ。
それが事実そうだとしても、そういう言い方を相手にするって、失礼じゃないでしょうか。
彼は彼で、いろいろ支払いもあって大変かもしれませんが、でもそれも本人が分かって、そう言う現状になっている訳で、他の誰のせいでもないんですけどね。なのに、自分は生活がいっぱいで大変、それは会社がボーナスを出してくれないから、よそでは、このぐらいもらっているのに、自分はそうじゃない。。。。
20年以上の長い付き合いですから、そういう彼の一面も分かって、嫌っているわけじゃないし、話も合わせながら付き合っているつもりですが、「sakeさんの倍、自分は働いているからね」みたいな言い方されると、本当に残念です。
そう言う驕り高ぶった考え方が、愚痴を呼び、その考え方が逆に自分を不満だらけにもしていくのでは。。。。
自分ばかり我慢している、頑張っていると思うから、愚痴になるように思いますね。
あと、人と比べてしまう事。
私も離婚して間もない頃は、他の仲良し家族を見ると切なくなりました。どうして自分はそうじゃないんだろう、って。
でも当時だってkekeは一緒だったし両親も元気で、よく考えれば今よりも恵まれていたんです。でも人と見比べて自分ばかり不幸だって思ってました。
やっぱりそこは自分の考え方次第なんですね。
たぶん、自分に起こってくることを淡々と受け入れていく人は、愚痴はそんなに出ないように思います。・・・あ、でも政治のことは愚痴が出てしまいますが。。。
昨日の電車では10年以上前の息子のことを思い出していました。
当時、息子は「自殺をしたい」と言っていました。その意味が今になってやっと分かったような気がします。
例えば、私がこの先60を過ぎて定年になったとして、その後年金だけで暮らしていけるのでしょうか。今まで接客も営業も、肉体労働もしたことがありません。事務職は人気がありますから今の年齢で見つかるかどうかは分からないでしょう。
新しい職場を探して自分なりには頑張るでしょうが、そもそも記憶力も自信がなく任務が果たせるかどうか分かりません。自分にできないこともいっぱいあるでしょう。仕事を探しても探してもみつからないかもしれません。
それでも働け、何が何でも働かなければならないと言われたら・・・・「死ぬ」という選択肢も頭を横切ると思うのです。
当時、息子はそういう状態だったのではないでしょうか。
だから本人は死にたかった。死にたいほどそれが嫌だったんです。
それはマッチポンプなんですね。
片やこうしろ、こうしてみろと言い、それができないから死にたいと言ってもそれを許さない。
自分の身に置き換えてみれば分かるように思います。
絶対にしたくないこと・できないことをやれと責められて、嫌だから死にたいと言っても、それを許さない。
本当は相談できればよかったけれど、息子が自分の気持ちを述べようとしても、私は大学は出なければいけないとそれをただ正論ぶって押し付けるだけ・・・・そんな親子関係だったと思います。
どうしても嫌なことをやる必要はない。
息子が働くことができなければ、私が働けばいい。
それでも、生きていてほしいと思うのです。それは甘やかしとは違います。
生きていれば・・・また何か楽しい事も見つかるだろうし、思わぬ良い展開も起こるかもしれません。
ただゆっくり呼吸をして、自然の音を聞いたり、緑を見たりして、心が回復するのを待っていれば、きっと何か現れる・・・・そんな風に思えるようになりました。
自殺は良くないと言うのは、日本全国でほとんどの人が思っているけれど、それを押し付けていくだけでは、死んでしまう人は後を絶たないのでは、と思います。
もっと優しい気持ちというか、別に無理をしないでいいんだよ、もう頑張らなくていいんだよ~という、もっと傷ついた人への尊重が大切なのではないかなぁ。。。(と、どの口が言うんだか・・ですよね・・・)
また「読むテレフォン人生相談」のサイトをチラチラ飛ばし飛ばし読んでいたら、加藤諦三さんが面白い事を言われていました。「~~しなければいけない」と思いがちな人は、恨みを心に抱えているそうです。
それを読んで「あぁなるほど」と。私もめちゃめちゃ元夫や世間にも恨みを持っていたのは過去のブログの通りです。
だから心のどこかで「頑張らなきゃいけない」「~~~しなければいけない」と常に思いがちなのかもしれません。
その詳しい心理は想像するしかありませんが、人や世間に恨みがあれば、何か頑張って力で見返してやろう・・・そんな気持ちが無意識に働くのかもしれません。
それが家族や子供にも向いてしまうのかもしれません。
同じように頑張らなきゃいけない、同じように・・・・と。
でも例えどんなに酷いことをされても、そういう人間関係を持ったのは自分なんですよね。結婚も、恋愛も全て自分が選んだことなんです。離婚するそのことだけを取り上げて全て人のせいにはできません。
もっと深い深い根っこでは、私は親から愛されていないとずっと思っていました。親もまた私を頑張らせて結果だけに一喜一憂して、そういう評価しかしてこなかった部分もあったかもしれません。だから潜在的に自己評価が低くて、いつも疎んじられるように仕向けてしまう。
でも、もうみんな全て過去のことです。
私が完璧になれないように、両親だって私に完璧である訳がないんですよね。
それを全て、全て認めて、もうこれ以上頑張るしかないようなしんどい人生は(すぐには無理でも)フェイドアウトする方向に行くつもりです。
そして私はもう大人だから、誰の助けもいりません。
昨日撮ったバラ(バラの名前は分かりません)
昨夜のすき焼きの残りをお弁当に詰めました。(^_^;)
本当はkekeに作っておいたのですが、夕飯は済ませたそうなので、自分で食べました。
牛肉、いっぱい入れておいしかった~!
最近、昔よく聴いた曲・歌った曲をかけながら通勤してる。今週は中島美嘉。その前はEvery Little Thing。
Every Little Thingと言えば、私が離婚して仕事探していたりしてる転換期に、バリバリ人気絶好調のグループだった。今の仕事を教わった先輩(女子)も好きだと言っていた。
「あのあまりアイドルっぽくない、どこにでも居そうな感じのボーカルのどこがいいのでしょう?」と訊くと、「そこがいいのよ」と言っていた。私のアイドル歌手という感覚はまだ(結婚前の)80年代で止まっていたので、そこからしても面食らったし、ポケベルだの携帯だの、今まで使ったこともないような道具も当たり前に使われていた。ある意味浦島太郎だった。
それでもこれからはkekeを連れて女で1人で生活せねばならないという事で、仕事をしていた訳なのだが、そこの会社の人達はまだ結婚してない人がほとんどで、育児も子供も、結婚という事すらよく分かっていない人達だった。それで仕事をして、さっさと帰ってkekeと一緒に過ごすという私を見て、奴らは言い放った!
「そんなに子供ばっかりかまってて、それで子供が父親の方に行っちまったら悲惨だな。」
私はその言葉を今でも覚えているし、一生忘れない。
悔しくて、家に帰って泣いた。
それがEvery Little Thingが絶好調だった時代の話だったので、ついついそんなことまで思い出してしまった。
だがしかし、その後彼らも結婚して、子供が生まれれば同じように「お迎えだ~」とかバタバタ帰ったりして、中には離婚する人間もいたりして、何のことはない、結局皆そうなってみれば同じだったのだ。
それで20年経った今では、自分らがそういう酷い言葉を放ったことさえ忘れているのであろう。まったく当時の泣いて帰った傷ついたココロの弁償をしてほしい。いやしなくていい。多数派の「正しさ」なんて実にエエ加減なものだと教えてくれたのは、紛れも無く彼らなのだから。。。
10年20年経つと、人の気持ちも、境遇も変わっていたりする。
むしろ変わっていないことの方が珍しい。
10年後には今想像できないことが起こっていたりする。
結婚する時にはみんな「今この状態が永遠に続く」と思い、願うはずなのに、そうでない夫婦がいったいどのぐらいになることか・・・(=人生とはそんなもの。)
今まで30年間経済的に低迷と言われている日本も、そろそろこれから変わっていくような気もする。
今は歴史の転換期ではないかと思うんだよね。
どうか、どうか良い方に変わっていきますように。。。。
(今日も念じて夢見よう!)