きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

あなたが私にくれたもの

2012-11-29 | 今の会社
今日もkekeが元気でうれしい。

今日もkekeがバイトにでかけて行った。

今日もおいしいご飯を一緒に食べれてうれしい。

Aさんと電話で話ができたこともうれしい。

お仕事が手伝えることもお天気がよいことも、忙しいこともうれしい。


私もまわりは「うれしい」であふれているのに気づいたら、毎日楽しくなりました。(^^)

ナプキンの吸収力が素晴らしいことも、コンビニでお菓子を選ぶことも
ひとつひとつが「ギュッ」となるほど愛しくなりました。

そのひとつひとつが私のしあわせのかけらになっているのです。^^

誰とも比べず、自分に今あるものだけを数えていけたら、私はいっぱいいろんなモノを手にしていることが分かったのです。^^

ただ今をお互い愉しく過ごして行こう、毎日はその積み重ねだから。

私はそう思うようになったのです。

kekeも会社のみんなも妹も、今だから一緒にこうしていれることに気がついたのです。^^



昨日、社長の元に保険屋さんの女性(古くからの知り合いらしい)が現れました。

そしてお茶菓子とタオルを置いて行かれたのですが、私は「sake君コレお茶菓子だよと言われたら、みんなで食べられるのになー」と内心思っていたのですが、翌日社長からもらえたのはタオルの方でした。

開けてみると、ディズニーキャラクターの可愛い小ぶりのバスタオルで、「これはこれで良いけれど我が家ではちょっと使わないかもなぁ。。。」いきなり雑巾では申し訳ないので、帰りにリサイクルショップに持って行こうか、ガソリン代にもならないと思うけど・・・と思ったら、秀クンが戻ってきた。

秀クンは今、奥さんと赤ちゃんが実家から戻って来たばかりで「怖くてお風呂に入れられないから、お風呂を沸かすのが自分の役目」「カミさんがお風呂に入っているとどうしていいか分からない」と言っているような有様だったので、もしかしたらこのタオルが丁度赤ちゃんのバスタオルになるかも?!と思い、こっそり「持って帰る?」と言うと、「ちょうど子供のタオルになるから持って帰る」と言って、持って帰りました。(要らない時はハッキリ要らないと言う彼が。)

この時、「あぁこのタオルは、秀クンのおうちで大切にされる運命だった。そして、タオルなりにどうしたらそこにたどり着くのか考えていたのかも。」と思ったのでした。


たかが運命、されど運命。
だけど、私はそれを信じてみようと思うのです。

それは最近読んだ本もそうだけれど、母がいつも言っていた「感謝すること」「自分が人にいいことをすれば巡り巡って自分に戻って来るんだよ」と言う言葉が原点だと思うのです。

昔は「そんなバカなことがあるかいな」と鼻で笑っていましたが、年を取ってそれを信じてみたくなったのです。

だって、親が子供に間違ったことを教えるわけがないから。


なぜか?どうしてか?

その説明はできないけれど、私は残りの人生でそれを信じることにしたのです。
信じてみようと思ったのですよ。

心もおしりもサラサラ

2012-11-28 | 女だから思ったこと
昼時から下ネタで男性には大変申し訳ないと思うが、若い独身の男性はここにはおそらく来ていないと思い、遠慮なく書かせていただこうと思う。

それは夜用ナプキンの吸収力の素晴らしさである。

もしかしたら前にもチラッと書いたかもしれないが、こんなにまで吸い取ってくれて、今日ほど感激したことは無い、ありがとう。
本当にありがとうと思い、ここに記す次第である。

思えば、毎月のようにお付き合いが始まってから30年以上、下手すれば40年近くの歳月が流れようとしている今日この頃である。
「あぁうっとうしい」だけだったアレ。
この頃は名残惜しむかのように、あったりなかったり、あっても不定期だったり、いつになってもダラダラ続いたりして、それでも身体はかすかに感覚として「そろそろのはずだけど」と言うのがあり、「あれ?おかしいな」と思うのだが、それが何の理由か付きとめようとしないまま、思い出させるかのように訪れる、更年期入りのアレに様変わりしつつある。

30ン年前、当初は「夜用ナプキン」と言うのもがなく、ナプキン自体もあまり種類がなかったのか、母が同じものしか(おそらく安い奴)買ってこなかったのかは定かではないが、私のかすかな記憶では「アンネ」と言う所のナプキンだったような気がする。

そして夜になると、これを2枚重ねにするんだよ、と母は教えてくれた。
そのやり方とは、1枚のナプキンの底に敷いてある防水シートみたいなのを破いて取り出し、それをナプキンの上に重ねて使用するのである。
「そうしないと、2枚重ねる意味がない」と母は言った。

何となく2度も3度も教わる内容ではないので、私はこの誓いを頑なに守って毎月過ごすのだが、これの貧弱なこと。
横にもれるわ、後ろにもれるわで、やがて「酷い時は真上に寝るもんでは無い」と悟りつつ、同じ姿勢で寝られないのが子供である。
そして極めつけは、当時の母の怒った時の捨て台詞がコレ。

「汚れたアレのパンツをいつも洗ってやってるのに!」

この極めつけのセリフはかなり大きくなるまで(おそらく2度目の家出に近い出方をするまでだな)延々と言われ続け、子供心に「そんなにイヤなら洗わなくてもいいわい!」と毎回思うのだが、決して「だったら自分で洗うわい」とは思わなかった私であった。

そんな時代を乗り越え、やがてナプキンに羽つきが現れ、これも初めて知った時も「画期的だ!すばらしい!」と思ったものだが、いや、最近の夜用ナプキンの素晴らしさは、すごいね。

私はケチ人間なので、できれば割高のものは買いたくない主義。
安いものを工夫して使いたいと考えるタイプなのだが、夜用ナプキンは割高でも素晴らしい。
今日、朝起きて、トイレに入り、「こんなにまで一晩で吸い取ってくれたのか!」と思った時、世界がバラ色に輝く。
それも羽をほとんど使わずに、中でしっかり吸収してくれると言うこの素晴らしさ。

割高な夜ナプキンなので、少々損したなと思う日もある。
「そこまでするほどの事はないけど、後ろに回るのがイヤだから」で夜ナプキンを使ってしまい、拍子抜けするほど使い出がなかった時もある。そう言う時は少々残念なのだが、逆にこれでもかと言うぐらい使い出がある時は、充分に満足心を満たしてくれるナプキンに感謝の意を表したい。

そして、近い将来、完全にオサラバするだろうアレをもうしばらくゆっくり味わおうと思う。

7時過ぎのサンドイッチ

2012-11-27 | 母子家庭だから思うこと
週末、kekeが寝ているので「今日はバイトは休みなのかい?」と尋ねると、「代わりの人が来て休みになった」と言う。
私と同じ年の女の人がバイトに入ってきたと言うので、もしかしたら同級生かもしれない、名前は何て言うの?と尋ねると、「余計な情報は知りたくないから聞かないでおく。」と言う。
その女性が入る前に、「週に6日きてほしい」と言われた時もあったが「断わった」と言う。

「やる気があることを見せれば、そのうち正社員になれるかもしれないよ。」と言うと、また怒る。

部屋には新しい服が袋のまま、置いてあった。
本もあった。
kekeは今の稼ぎに充分満足しているようだった。
車がほしい訳でもないし、将来どうしようとも考えてない。
服も必要最低限あれば充分だし、あとは趣味の小さいもの。

ただ、ずっとこれでいいのか?と言うと不安が残る。
私にそれを言われると怒る。

それ以外の事は、何も不満が無いようだった。


近所のサンドイッチ屋で、夜7時15分から、サンドイッチが半額になったのはいつからだったのだろう。
私が気がついたのは数年前だった。
この頃は行けばすぐに買うことができた。

それがこの数年であれよあれよと人が増え、今では6~7人並んで買っているばかりではなく、半額の札が降りるのをショーウインドウの前で待っている人も居る。
そうかと思うと、15個ぐらい(独り占めせんばかりに)買っていく人も居る。
この前は「もう時間なのにまだ半額の札が出ない」と文句を言わんばかりに並んでいる人達が居た。

なので私は平日は滅多に買えなくなった。
それで日曜に行くようになった。

昨日はたまたま3番目で買えたが、それでも後に数人人が並んでいた。

自分も買っていて何なのだが、こんな真っ暗の日曜の7時過ぎに半額のサンドイッチを並んで買っている人達は、いったいどんな人達なのだろう。
そんな晩餐を「しょぼい」とは思わないのだろうか。

そう言えば、この前隣に住む男の人がこの半額のサンドイッチを買っていた。
乗っている車はベンツで、奥様は美人で、娘が二人居て、絵に描いたような裕福な家庭っぽいのに、そこのご主人がここの半額のサンドイッチを買っていた。

これを見た瞬間、「これじゃ敵いはしない!」と思った。
こんな絵に描いたような裕福な人が、こうして見切りのサンドイッチを当たり前に買えるとするなら、私はどこで差をつければいいのだろう?!
どんなに頑張っても、何を頑張っても、どうにもならないとその時悟ったのだ。

小学校の低学年の頃、私は学校からお手紙をもらって帰ってきた。
「収入の低い世帯の方は給食費など免除されます」と言う内容の手紙だったと思う。

「うちはこれとは関係ないんだよ。」
祖母は堂々と言った。
鼻たかだかではなく「堂々」とそう言った。
それを誇っていた。

今では、免除されてもいないのに給食費を払わない親も居ると言う。

私は自分の卑しさをよく知っている。
良いとも思っているし、悪いとも思っている。
そして、どこかで「母子家庭」に甘えていることも分かってる。
「母子家庭」だから、たぶんよそより苦しいはずだから、少々見苦しくてもいいだろう、と甘えている。
それが「ステータス」だった頃さえあった。

でも、他の人達は何に甘えられて、それができているのだろうと思う。
他の人達もそれぞれに、苦しい事情があって、それでも「頑張って」生きているのだろうか。

昨日は雨でやたら寒かったせいか、半額物がたくさん売ってた。
(結局それでも買う。)
kekeがお皿を洗ってご飯も炊いてくれたので、あまり買わなかったけど。

sakeさん、ついに怒る

2012-11-25 | 今の会社
休日だが、会社に向うとnanuさんが居た。

「来たのか」と言うので「来たんですよ」と言う。
「何してるんだ」と言うので、「社長に頼まれた書類を作ってますよ」
「いつのだ」と言うので「12月5日です」と言うと「まだかなり先じゃないか」と言うけど「社長がいつ【あれどうした?】と言いかねないので作っておくんです」と言うと「それはいいことだな」と言う。

そしてnanuさんが外に出て行った後、私も父の病院に行ったり戻ってきたりして、また続きをやっているとAさんが来て「今日は仕事してるんだね」と言い、足もとを見て「オシャレなのを履いてるね」等とお世辞まで言う。

「あ!これはプードレッグと言いまして、これを靴と一緒に履くと普通の靴がブーツに見えると言うオバサン向きのアイデア商品なんです。」とか言いながら、おしゃれと言われたのがうれしく、エヘヘと言う感じで答えた。

Aさんはこの地図、コピーできるかなぁと言い、大きすぎてムリかぁと言うので、二つに分けてセロテープで貼るとかどうでしょうねぇ、なんて言いながらやってみたが、どうしても余白の大きさが合わなくてズレてしまうのだった。

それに付き合っているとせっかく休日に来たのに仕事ができなくなるわとほどほどに自分の仕事に戻っていると、nanuさんが戻ってきて、「何をしてるんですか、手伝います」みたいなことを言っている。

私はこれを聞いた途端、ムムムと思ったのは、まだ私のデスクのついたてにnanuさんから頼まれた見積が二つもやらずに残っていたからである。しかも、それが終わるとnanuさんは今度はPCでネットニュースを見始めたのである。

(あんたねぇ!人の仕事を手伝う余裕やネットニュースを見る余裕があるなら、自分の仕事を全部自分でしなさいよ!)


・・・とは言えず、遠まわしに「nanuさん、この見積はいつまでですか?」等と訊いてみた。

「片方はもうじき、片方はまだしばらくいいんじゃないか?」と言いながら「なんで?」と言うので、「あのぉ、どっちかnanuさんが打ってくれたらなーなんて思って」と言うと、「他に何かすることでもあんの?」と言うので(あーるから休日まで会社に来てるんだろうが。バカモン!)とは言えなかったが「自分の仕事ができないんです」と言った。

そしてAさんが居なくなった後もしばらく二人で見積を打っていたが、nanuさんはだんだん飽きてきたようで帰りたいけど、仕事を頼んでいる以上帰れないようなムードになっていたこともあり、「そっちもオレがやるわ」と言い、「材料屋に寄って帰る」と言い残して去っていった。


「そうかあの時、sakeさんは怒っていたんだね」アハハハとAさんが笑うので「アハハハじゃないですよ。人に仕事をふって休日まで出てるのを知りながら、自分は他の人の仕事を手伝うって言うのは何なんでしょうかねぇ。」と私は言った。

「これから家で見積打つんだと思いますよ、会社のPC持って帰ってましたから。」
「あれ?nanuは家にPCがないのかな?」

そんなこと知りませんよと私は言った。

Aさんは「今度の選挙は応援をしたいから、ますますsakeさんに仕事を頼むようになっちゃうなぁ」と言い、「社長にも選挙の手伝いができるように許可をもらったんだ。」と言う。

「これからも頼むよ」
「Aさんにそう言われるなら頑張ります。

こうして私は、たまってきた仕事を少々強引にリセットさせながら、また次に進む。

神からの試練

2012-11-24 | 友人
G子から久しぶりに電話がきた。

仕事が忙しくて大変なこと、入ったサークルをケンカして辞める事になったこと。
その後でサークル活動の後に行っていたお店で泣いていたら、そこのマスターに声を掛けられて、今年いっぱいはそこでバイトもすることになったそうである。

そして相変わらず、あれも大変これも大変と連呼していた。

私が最近あまりG子と接触したがらなかったのは、この「大変大変頑張らなきゃ急がなきゃ」と言う言葉が、現在私の心の中で水をあげて育てている「周りの人に感謝して毎日ニコニコ生きていきましょう」と言う概念を片っ端からぶっ壊して行きそうだからである。

この「感謝してニコニコ」と言う生き方が本当に硬く確固たるものになれば良いのだが、まだ生まれたばかりのヒヨコみたいな状態なので、これは大切にしていきたい。
しかし、G子を否定するとまた大ゲンカになるし、とても難しい局面なのだが、これも「神様が与えた試練」と思い、どうにかG子にもこの「感謝でニコニコするときっといいことあるよ」と言う概念を伝えたい。

と思い、私は話の区切れをつかんで最近の良い話(例えば、マックを食べようと思ったら朝マックが届いた話とか)をしようと試みるが、やはり今日も何か私が言おうとすると、その前にG子の次の単語がすぐに出てくるようで、私はほとんど相槌を打つだけで終わった。
「kekeがバイトを始めてもう5ヶ月ぐらい続いてるんだ」と言うのが精一杯で「でも、決して好きで楽しくて行ってるわけじゃないけどね」と言うと、「仕事なんて好きでしたい人、居ないよ」と言う。

「そんな事は無いよ、毎日周りの人に、今の自分に感謝すれば、仕事だって楽しくなるんだよ」と言おうと思ったが、言う前に電話は切れた。

いや、でも幾ら感謝をし続けても、大変で辛い仕事もあるかもしれない。
たまたま今の私の環境が「大変」でないだけかもしれない。

私はそう思って、また一つ「ありがとうございます」と思う。

今日、またいつものスーパーで3割引のお寿司をたくさん食べられたことも
こうして布団に入ってあたたまりながら寝れることも

なんてうれしいことなんだろう。

今まで給料が少ないとか文句ばかりたれていたけれど、その分、他から授かっている事がたくさんあるのではないか、と考えることにした。
社長→私へは、この程度かもしれないが(失礼)、その分親から私はいろんな物を授かってきた。

1対1の損得で考えると、これだけだから損だの得だのって考えてしまうが、大きな流れから考えると、知り合いの知り合いのそのまた知り合いの知り合い辺りで、社長が施した誰かから、巡り巡って私は何かを授かっているかもしれない。

そう考えると、そんな1対1の損得で一喜一憂するより、自分が授かっていることをひたすら見つけて手を合わせていけたら良いのではなかろうか。


そこで私はG子のことをまた考える。

いつも私が一方的に話を聞かされているような気持でいるが、知り合いの知り合いのそのまた知り合いの知り合い・・・をうんとたくさん辿っていくと、やはりどこかで帳尻が合っているのかもしれない。
だからそこで一喜一憂しないで、来るものは受け止めよう。
但し影響があまり出ないように、自分をしっかり確保しながら。(これが重要なポイント)

そう言う風にして、「神様からの試練」を乗り切ろう。(^o^)丿
(勝手に「試練」と名づけているが。)

たのしい頼まれごと

2012-11-22 | 今の会社
図書館で小林正観さんの本を読み漁っている私であったが、「1冊ぐらいは手元にあっても」と思って買ったのがこの本である。

●宇宙を貫く幸せの法則

第一章はぶっちゃけ、ちょっとオカルトっぽくて好き嫌いがあるかもしれない。
第二章はまさに「幸せになれる法則」が日めくりカレンダーのように100個並んでいる。
第三章は、実際にこの人が講演会で語る話そのまんまだそうである。

そして私は「騙された」と思って、この「幸せの法則」に則って毎日過しことにした。
例えば、「愚痴や不平を一切言わず、「幸せ」「うれしい」「ありがとう」(などの7つの言葉)をできるだけ唱えましょう。そうすると3~4ヶ月すると【頼まれごと】がどんどん降ってきます。それを(好き嫌いでえり好みせずに)誠実にこなし続けることです。」のような内容(私の解釈であり原文どおりではない)が書かれていて、「ほんまかいな」と思いながら、いいことをメモったり、楽しいラッキー幸せと口にしてたら、3~4ヵ月後の今、本当に頼まれごとが山のようだよ。

そして、私も本来(素)の妬みツラミの性格であると、「くそっ、金にもならない仕事ばっか!!」と思うはずなのに、心も余裕で「仕事もあるうちが花。今日もお役に立ててうれしい、感謝感謝」みたいな気持になってきたから面白い。
そして、頼みごとを持ってくる人達も「sakeさんありがとう」と口にするようになり、会社に笑顔が増えているような気がする。(そこは気のせいか。。)


そして今日も会社に行くと、nanuさんから「これやって」と言われ、見ると「施○結果報○書」と言う名前の書類である。(途中○を入れたのは身内の検索でうっかりヒットしてほしくないため)
「これ、下書き通りに作って」と言う。

(テンプレートがあるのだから、鉛筆で下書きする時間にPCで作れるのでは)と思いながらも、「頼まれごと」なのでハイ分かりましたとやってみると、元がワードなので、字が揃わない字の幅が伸びたり縮んだり行の変な所で改行になったり(原因不明)して、この時になって彼が下書きを私に回してきた謎が解けた。

「nanuさん。。この小さい囲む丸はこんなにたくさんだと、どうしてもズレてしまってうまく入らないので、手書きでいいですか?」と言うと、「かまわねぇ」と言うので、最低限記入してマルは手書きにした。
そして、できあがるとホイヨとnanuさんの机の上に置いた。

今日はそれどころじゃないんです、2時から年末調整の説明会に行くんですから!と私は思う。
年末調整の説明会とは、年末調整のやり方を教えてくれる説明会である。
毎年だいたい同じなのだが、少しづつ税制が変わったりして、まったく行かないのも不安になるイベントである。しかも必要な提出用紙はそこに行くか、直接税務署に行かないともらえない。

nanuさんは戻ってきて「できたかできたか」と書類を見て、「ゴメン、こことここだけちょっと直して」と言うので、また直してプリントアウトして、ハイヨと机に置いた。

その時ガガーンと気がついたのは、社長から「これ○○さんが来たら渡して」と言われた書類が見えた。私のメモで「11月22日2時半頃○○さんへ」と書いてある。
しかもその書類は契約書に匹敵するような重要書類である。
「説明会に行ってしまって、渡せなかったら大変な事態が起こるだろう」と思う。

課長に「午後はここにずっと居ますか」と尋ねると、「ちょっと出ちゃうなぁ」と言うので、「何時ごろですか?」と言うと、「まだわかんないんだよ、業者から電話がきてからなんだ」と言う。

こうなったら今年の年末調整は最悪、私の独断で勝手にやらせてもらうしかないかなァなんって覚悟を決めていたが、課長が1時半に戻ってきてくれた。
そして、すばやく会場に向う。

しかし、私がそこでしたことは、ひたすら居眠りをするだけだった。
(そのつもりで一番後ろの席にした)
もしかしたらイビキをかいていたかも、と思うぐらい熟睡してしまい、やっと目が覚めてちょっと説明を聞いてみたのだけど、今度の土曜も休日出勤するのに、こんな所で暇つぶしてる場合ではないワと思い、途中で退場した。

そして帰ってくると、nanuさんも帰ってきた。
「sakeさん、手書きのマルを1個も書いてなかったでしょ」と言い、「向こうでメチャメチャ恥かいた」と言う。

「あっ!直してプリントアウトしたあと、手書きのマルをそう言えば1個も書いて無かったですねぇ」と言うと、でもどうにかなったらしい。

そして社長も4時半ごろ「それじゃね」と言って居なくなり、5時半を回った辺りから課長もnanuさんも秀クンもくつろぎ始め、6時になったら「もう帰りたいけどsakeさんが珍しくまだ仕事しているから」みたいな空気が充満してたので、「先に帰ってもいいですよ、どうぞどうぞ」と言うと、それじゃそうするか、nanuさんも「午前中つぶして悪かったなァ」と言いながらも、サッサと帰って行った。

「まァそのうち、きっといいこともあるよ」
と、しばらく仕事をしていた私だったが、朝と違って夜の1人は淋しく、またいつゴキブリが出るか分からない事務所なので、サッサと鍵を掛けて家に帰った。

ツリーと入浴剤

2012-11-21 | 車の練習
ある工事中のマンションの住人から電話がきた。

「お宅の所で○○○○(マンション名)の工事をやっているでしょ。」と言うので「ハイ」と言うと、「工事のせいでTVが見れなくなった。」と言う苦情である。

「それでは、担当に折り返しお電話するように伝えますので、お名前をご連絡先を」と言うと、それは言いたくないらしい。
「今、そこには誰もいないのか!」と怒るので、「私しか居なくて分かる者がいないんです、それでは担当にこのような電話が来ましたと言うお客様のご用件を伝えておけば良いでしょうか?」と言うと、それも気に入らなくて名前と部屋番号だけ名乗って「最初TVがおかしくなって買い換えようと思ったんだが、さっきからついた。お宅の工事のせいだろう!」と一方的に言って切れた。
(そしてその後二度と電話はなかった。)

ふぅ。。。。(+o+)


そうかと思うと、今日は残業をしていると携帯(古い方)が鳴った。

誰かと思うと某ディーラーからである。
「担当のN浦さんにしては珍しい、まだ会社にいるような時間だし、いつもならもっと長く鳴らすのに。」

でも折り返し電話すると携帯代が掛かってしまうので、家に帰ってから掛けようと思っていたら、社長もnanuさんも帰ってしまい、私きりになったので、会社から掛けて「さっき携帯に電話があったのですが、N浦さんでしょうか?」と尋ねると、今日は休みだそうである。

それでは誰か?と思ったら、車検を担当した人が出てきて、「sakeさん、実はまだあの時の修理で署名いただかなくてはならない書類があったんです、時間がある時に来てもらえませんか?」などと言う。

私はこの言葉を聞いた瞬間、「まだあの件は完結していなかったのか!」と言うショック、それから「今週の土曜と日曜って何か無かったっけ?」と言うかすかな記憶、そしてこう言う場合、封書と返信用封筒で対応できないのかしら?とか、何故こう言う時にN浦さんはスルーなの?等、いろんな思いがグルグル回る中、「あーーもう早くコレをサッサと終わらせて頭から消去してしまいたい」と言う思いだけで、「これからそちらに向かいます」と言ってしまう。

着いてみると「sakeさん、すみません。これに署名お願いします」等と言われ、「示談書」と書かれた紙が出てきて、「この一件(修理)に関してこれ以上の異議を申し立てません」みたいな文面が書かれている。

私は「あのぉ~・・・」と半ば冗談っぽく、「示談書でこんな事が書いてあると、逆に【ごねようとしたら、ごねれたのかしら?】なんて思ったりしますよね、今更になってこれが出てくると。」等と回りくどい言い方をすると、担当の人はいえいえそれは全く違いますなどと言い、「実はあの修理にはうちも保険を使ってるんです」と言い、「その手続きでこのような書類が必要だと今になって言われたのです」、と言う。

「まぁしょうがねぇ」と思ってサインをして帰ろうとすると、「わざわざ来ていただいてすみません、おみやげにこれでも」と入浴剤ミニセットが。

「入浴剤!!」
となると、私は手のひらを返したように「やっぱり来て良かったワ、今日もラッキーが降ってきた。」と思い直すのであった。。。


せっかくなので、クリスマスツリーと一緒に置く事にしました。
ツリーの方は378円ぐらいでした。^^
洗面所に置いてあります。

ちなみにこう言う「お風呂の素」はもったいないので、我が家では量は半分で使い、1袋で2回楽しんでいます。^^

「評価」ではなく「感謝」で

2012-11-21 | 日記
宅配ピザの1,000円クーポンがチラシで入っていて、いつか使おう使おうと思っていた。
そして、今日使うことにしたのです。

kekeに「今日ピザ取りたいんだけど」と言うと、いいんじゃないのと言う。
(生地は厚い方がいいと言う)

私はそれだけでは足りないような気がして、コンビニでLチキを買うことにした。
まごまごしているうちにピザは先に届いてしまった。
kekeは先に食べてもいいか?と言うので、「どうぞ」と言った。

そしてローソンに行くと、何とこう言う日に限ってLチキが無い。

頭の中ではピザとLチキを既に一緒に食べているイメージだったのだが。。。ダメもとで「Lチキはもうありませんか?」と店員さんに尋ねると、「あと2分で揚がります」と言う。

何と言う絶妙なタイミング!
Lチキが1日に何回に分けて揚げられるのか知らないが、そのまさに揚がるタイミングに買いにきたとは!(^o^)

そして私は熱々のLチキを持って帰るのだった。

そしてkekeとLチキを食べながら、さぁピザも食べようとふたを開けると、既にkekeは8切れのうちの3切れを食べ終わっており、最後の1切れはLチキを食べてからゆっくり味わう算段だったようである。
「もっと食べていいよ、私は昨日のおでんの残りもあるからね」

いいよいいよと言ったが、kekeはそれ以上は食べなかった。

そう言えば、kekeはそう言う謙虚なところがある子だなァと今日は思った。


私が今日思ったことは、「自分のこう言う接し方がよくなかったかも」と思ったこと。
私はいろんなことを「評価」してきた。

例えば、お笑い番組を見ても「これは面白い」とか「この人のギャグはつまらない」「このモノマネは似てない」とか評価をしてきた。
そしてkekeに「そんな事を言うもんじゃない」と何度か言われたことがあった。
「みんな一生懸命仕事をしているのだから、そんな事を言うもんじゃない」と言うのである。

あれは、kekeの感性の方が正しかったのではなかろうか。
(「正しかった」と言うのも実は「評価」なのだが。)

周りのいろんなものに対して「感謝する」と言うのは、裏を返すと自分で「評価」をしないことである。
周りの全てを「良し」と受け止めることである。
私は今までそう言う事をしてこなかった。

全てが「良い」「悪い」「正しい」「間違っている」
いろんなモノサシで「評価」してきてしまったのである。
さらに誰に比べてどうとか、そう言う事もさんざしてきたのである。

そう言う姿勢は、必ずしも自分にも矢のように向く。
自分を評価してしまうクセがついた時、そしてそれに自信が持てない時、生きていくのが辛いことになるだろう。

それには私が「評価する」と言う姿勢ではいけなかったのだ。
みんな誰でも、いい所を見て、感謝できるように考えなければいけなかったと思う。

でも、こう言う親は私だけでは無いだろう。
何故なら、私の育った時代が既に偏差値があり競争があり、隣の人より頑張って良い成績を取ることを良しとした時代だったからである。それに勝ち得た(と思っている)者ほど、同じ事を子供に期待するだろう。
幾ら「ゆとり教育」に変えた所で、親の生活姿勢が頑張って隣より勝つことを「良し」としてしまうのだ。

それを根源から否定するつもりはないけれど、人を幸せな心にするには「感謝」をすることは大切なのかもしれない。努力ではなく負かすことではなく、今の自分で、今持って居るもので充分に幸せになることができるのだから。

今日も「ありがとう」

2012-11-20 | 息子keke
なるべくたくさん「ありがとう」を見つけよう。
そう思うようになってから、毎日が楽しく思えてきた。

お昼マックにしょうかなと思ったら、朝マックが届いたり
たまにボーナスも時々届いた。

それから土曜に出勤したのは正解だった。
私がしたことは、社長の案件の見積を客に出せるように打っておくことと、カレンダーを巻いていつでも配れるようにしたことだったのだが、月曜の朝一番にその客から「早く見積が見たい」と社長宛に電話があったのである。

偶然とは言え、用意できててイイ感じ。^^v


そんな私をまだ不安にするのが、kekeである。

朝はやっとこさ起き、不平不満さながらに重い腰を上げてバイトに出かける。
そして、夕方から寝てる時もあるし、PCをしている時もある。
口から出るのは「疲れた」と言う言葉だけ。

「これから先の事はどう考えているのかねぇ」
私は遠慮しながら言ったつもりだが、先日この言葉を口にしてから、ニコリともしなくなった。
今までもニコニコしてないが、ニコリともしなくなった。

オォマイガー・・・・まさにそんな心境である。

毎日いいことを見つけてみようよ。
「ありがとう」を言ってみようよ。

そんな事を言って通じる相手ではない。
分かってる、分かってる。
でも、きっとそれだけで何か変わると思うのだが。


今日は風呂にチャプンと入って考えた。

私はkekeに感謝の念が足りていないのではなかろうか。

今日も元気でいてくれてありがとう。
今日もバイトに行ってくれてありがとう。
今日も一緒にご飯が食べられて幸せ♪

そうだそうだ、kekeに「ありがとう」が足りてないのかもしれない。
今日からは、それをやってみよう。

あの最初に「バイトに行って来る」と言った日のことを思い出すのだ。^^v

チーズケーキを焼いて

2012-11-19 | 日記
日曜日、チーズケーキを焼いた。


正直、体が重くて重くてイヤイヤだった。
でもそれでもどうしても焼いたのは、チーズの賞味期限が昨日までだったからだ。
これに使う何とかチーズ、高いんだよ。
350円とかそのぐらいしたはずだ。
何故買ったかって?
つまみでリッツの上に乗せて食べようかと、ある日考えたのだ。
しかし、2~3枚、私が塗って食べて終わった。

何年か前はケーキを焼いた。
うそじゃない。ブログに証拠写真もあるはずだ。

今はその気持がかけらほども無い。
車を乗るようになったのは理由の一つかもしれない。

ケーキを焼かなくなった。
パンも焼かなくなった。
料理は明らかに手抜きになった。

時間そのものが車にとられたのもあるが、車がもたらした「スピード」が
私をじっとさせなくなったこともある。

すぐ到着したい、すぐ決着したい、すぐに食べたい

そこまで極端ではなくても、生活に「スピード」がかかった。
ほんの少しの隙間があれば、何か押し込みたくなる癖がついた。

あ、それは車じゃなくて、年のせいかな。

何のせいかはさておき、ケーキを焼くのに、まずケーキ型にクッキングペーパーを敷く。
丸型にハサミで切って、クルクル巻込みたがってるペーパーを油で型にとどめる。
丸型も切るためには、型をペーパーに乗せてサイズに描く。

これら全ての1つ1つの行為がとろい。
そして、「とろい」と感じる自分に腹がたつ。
それが思いあがりのような気がして。

いったいいつから、私はこんな人間になったのだ?
自問自答する。

ケーキのもたらすゆっくり静かな時間と、車の軽快な時間が、まったく相容れないかけ離れているもので、私の中でうまく混ざらないのである。
おそらく車を手離さない限り、ケーキは作れるようにならないだろう。

どちらが良い悪いでは無くて、どちらかしか受け入れられないのである。

携帯は車と同じ匂いがする。
それ以上にキツイ匂いがする。

あれがどれほど、人を飲み込んでいるのかなんて
考えるのは、私だけなのだろうか。

知らなくていいこと、むしろ知らないで済んでいることも
可能であれなら知りたいと思うだろう。
それは「知って当然だ」と言う感覚になるかもしれない。

私はそれがいやだ。
自分がそうなってしまうのがいやなのだ。

でもそんな風に思う私を人は「変人」と呼ぶ。