今日もkekeが元気でうれしい。
今日もkekeがバイトにでかけて行った。
今日もおいしいご飯を一緒に食べれてうれしい。
Aさんと電話で話ができたこともうれしい。
お仕事が手伝えることもお天気がよいことも、忙しいこともうれしい。
私もまわりは「うれしい」であふれているのに気づいたら、毎日楽しくなりました。(^^)
ナプキンの吸収力が素晴らしいことも、コンビニでお菓子を選ぶことも
ひとつひとつが「ギュッ」となるほど愛しくなりました。
そのひとつひとつが私のしあわせのかけらになっているのです。^^
誰とも比べず、自分に今あるものだけを数えていけたら、私はいっぱいいろんなモノを手にしていることが分かったのです。^^
ただ今をお互い愉しく過ごして行こう、毎日はその積み重ねだから。
私はそう思うようになったのです。
kekeも会社のみんなも妹も、今だから一緒にこうしていれることに気がついたのです。^^
昨日、社長の元に保険屋さんの女性(古くからの知り合いらしい)が現れました。
そしてお茶菓子とタオルを置いて行かれたのですが、私は「sake君コレお茶菓子だよと言われたら、みんなで食べられるのになー」と内心思っていたのですが、翌日社長からもらえたのはタオルの方でした。
開けてみると、ディズニーキャラクターの可愛い小ぶりのバスタオルで、「これはこれで良いけれど我が家ではちょっと使わないかもなぁ。。。」いきなり雑巾では申し訳ないので、帰りにリサイクルショップに持って行こうか、ガソリン代にもならないと思うけど・・・と思ったら、秀クンが戻ってきた。
秀クンは今、奥さんと赤ちゃんが実家から戻って来たばかりで「怖くてお風呂に入れられないから、お風呂を沸かすのが自分の役目」「カミさんがお風呂に入っているとどうしていいか分からない」と言っているような有様だったので、もしかしたらこのタオルが丁度赤ちゃんのバスタオルになるかも?!と思い、こっそり「持って帰る?」と言うと、「ちょうど子供のタオルになるから持って帰る」と言って、持って帰りました。(要らない時はハッキリ要らないと言う彼が。)
この時、「あぁこのタオルは、秀クンのおうちで大切にされる運命だった。そして、タオルなりにどうしたらそこにたどり着くのか考えていたのかも。」と思ったのでした。
たかが運命、されど運命。
だけど、私はそれを信じてみようと思うのです。
それは最近読んだ本もそうだけれど、母がいつも言っていた「感謝すること」「自分が人にいいことをすれば巡り巡って自分に戻って来るんだよ」と言う言葉が原点だと思うのです。
昔は「そんなバカなことがあるかいな」と鼻で笑っていましたが、年を取ってそれを信じてみたくなったのです。
だって、親が子供に間違ったことを教えるわけがないから。
なぜか?どうしてか?
その説明はできないけれど、私は残りの人生でそれを信じることにしたのです。
信じてみようと思ったのですよ。
今日もkekeがバイトにでかけて行った。
今日もおいしいご飯を一緒に食べれてうれしい。
Aさんと電話で話ができたこともうれしい。
お仕事が手伝えることもお天気がよいことも、忙しいこともうれしい。
私もまわりは「うれしい」であふれているのに気づいたら、毎日楽しくなりました。(^^)
ナプキンの吸収力が素晴らしいことも、コンビニでお菓子を選ぶことも
ひとつひとつが「ギュッ」となるほど愛しくなりました。
そのひとつひとつが私のしあわせのかけらになっているのです。^^
誰とも比べず、自分に今あるものだけを数えていけたら、私はいっぱいいろんなモノを手にしていることが分かったのです。^^
ただ今をお互い愉しく過ごして行こう、毎日はその積み重ねだから。
私はそう思うようになったのです。
kekeも会社のみんなも妹も、今だから一緒にこうしていれることに気がついたのです。^^
昨日、社長の元に保険屋さんの女性(古くからの知り合いらしい)が現れました。
そしてお茶菓子とタオルを置いて行かれたのですが、私は「sake君コレお茶菓子だよと言われたら、みんなで食べられるのになー」と内心思っていたのですが、翌日社長からもらえたのはタオルの方でした。
開けてみると、ディズニーキャラクターの可愛い小ぶりのバスタオルで、「これはこれで良いけれど我が家ではちょっと使わないかもなぁ。。。」いきなり雑巾では申し訳ないので、帰りにリサイクルショップに持って行こうか、ガソリン代にもならないと思うけど・・・と思ったら、秀クンが戻ってきた。
秀クンは今、奥さんと赤ちゃんが実家から戻って来たばかりで「怖くてお風呂に入れられないから、お風呂を沸かすのが自分の役目」「カミさんがお風呂に入っているとどうしていいか分からない」と言っているような有様だったので、もしかしたらこのタオルが丁度赤ちゃんのバスタオルになるかも?!と思い、こっそり「持って帰る?」と言うと、「ちょうど子供のタオルになるから持って帰る」と言って、持って帰りました。(要らない時はハッキリ要らないと言う彼が。)
この時、「あぁこのタオルは、秀クンのおうちで大切にされる運命だった。そして、タオルなりにどうしたらそこにたどり着くのか考えていたのかも。」と思ったのでした。
たかが運命、されど運命。
だけど、私はそれを信じてみようと思うのです。
それは最近読んだ本もそうだけれど、母がいつも言っていた「感謝すること」「自分が人にいいことをすれば巡り巡って自分に戻って来るんだよ」と言う言葉が原点だと思うのです。
昔は「そんなバカなことがあるかいな」と鼻で笑っていましたが、年を取ってそれを信じてみたくなったのです。
だって、親が子供に間違ったことを教えるわけがないから。
なぜか?どうしてか?
その説明はできないけれど、私は残りの人生でそれを信じることにしたのです。
信じてみようと思ったのですよ。