定期的に行っている「白髪染め」だが、節約のため今回は1週間延ばそうかなと考えた。
今日の朝、Nさんと話をしていて「この前、社長の奥様がグレーヘアなのを見ました。カッコイイです。」と言うと、Nさんは「グレーヘアじゃないだろ」と言い、わざわざ写真を探し出してくれて、「ほら、グレーヘアじゃないよ」と言い、よく見るとお洒落に白めに染めているようだった。
「そこでケチる訳ないですよね、お金があるんですから。」
「そうだろ。」
だが私はそこをケチらねばならない。悲しきワーキングプア。
そこで買ってきたのが、ジャン。自宅で染める白髪染め用染料。最近ヘナで染めているので、同じくヘナで挑戦することにした。だが私、かなり不器用。前にも挑戦したことがあるけれど、うまく染まらなかった。理由は分からん。
今回は1週間だけ持てばいいので、頭のテッペンの白髪が染まれば良しとする。余力があればフェイスライン周りの髪も染まれば尚良しとする。これだけ。
ゴム手袋や、ケープ、耳カバーのセットも100均一で用意してある。すぐに出来るように全て同じ紙袋に入れて準備してある。だがしかしそれだけではいけないようで、やる前に染料がよく入るよう髪を湿らさないとならない。霧吹きでシュッシュッシュ。そして部屋が温かいと更に染料が入るというので、滅多につけないエアコンも入れる。(エアコンを入れた割には洗面所にかかりきりでほとんどその部屋にはいなかったが。)
上から下まで黒の下着になり、首回りも開いているやつにし、カーディガンを羽織り、セットのケープもつけた。あー、耳カバーがうまくつかなくて、それだけでも時間を要する。黒いタオルも用意して、洗面所には新聞紙を敷き、いよいよ手袋装着して開始。
ヘナの粉の分量を量り、それに見合う水を40何度まで温めてから溶かさないとならないそうで、慌てて温度計を持ってきて、温度がどくどく上がるのを見て、そろそろだなと鍋のガスを止め、少しづつ溶く。さて塗らねば、と慌てて洗面所に行き、一番大切なてっぺんに溶かした粉を乗せていく。「マヨネーズぐらいの固さ」と書いてあるが、今私が塗っているのはそれよりちょっと固いような気がする・・・が、もう今更どうにもならん。ペタペタペタ。
粉が余っているので、顔回りの生え際もやってみよう。どのぐらい染まるかよく見えるし。ペタペタペタ。まだ塗るのがあるので、てっぺんだけは・・と最後祈るようにてっぺん周りを塗る。そして説明書には「キッチンタオルで生え際を抑えると尚良し」とあるが、この真っ黒な手でどうやってキッチンペーパーをちぎればいいの?台所に行き、キッチンペーパーを床に落とし、足で踏んで破る。そして顔回りに乗せようと思うが、もともとの染料がマヨネーズより硬いので、ペーパーを乗せてもハラハラ下に落ちてしまう。更に無理やりでもラップをしなければ・・・と思い、ラップを破るがこれをどうやって巻けばいいのか分からない。もっと大きく破ればいいのだろうかと思うと、巻く前にくっついてグジャグジャになっちゃうし、下を向いて巻けばいいのかなと思うと、黒い粉がパタパタ落ちてくる。(そして汚れたキッチンペーパーもヒラヒラまた落ちる)
ほらな・・・こうなると思ったよ。。。。その結果たいして染まらないというオチになるから、美容院でやってもらっているというのを思い出す。。。。もうちぎったラップを何枚も頭に乗せたままタオルをぐるっと回して止める(でも脇はスカスカ)。ここからシャワーキャップをかぶって、2~3分ドライヤーを当てるといいそうだが、シャワーキャップが見つからない。どこかのホテルに泊まった時とか持って帰ればよかったのに、まさか我が身にシャワーキャップを使う日が来るとは思わなかった。仕方ないからビニールをかぶせて後ろで結ぶことにした。(でも脇もみんなスカスカ)
そこから待つこと40分。。。本来ならこの間に台所仕事でも何でもする予定だったが、また黒い粉が落ちそうで、そう言えばラップを巻く前に全体的に染料を馴染ませなくて良かったのだろうか・・・(色むらが出たらどうしよう)と思い、一度はタオルやラップを取ろうと思うが、またクッキングペーパーがヒラヒラ落ちるだけでどうにもならないと思い、諦めた。(また次回の為に染め染めグッズ達を洗ったりして時間を過ごす。)
最後の10分はお風呂に入って体ごと温めるのも良し、とどこかにあったので、お風呂を沸かす。こういう時に限って(ではなかろうが)、お湯もなかなかわかず、40分どころか50分以上になってしまった。それでも湯舟に入って、説明書の通りお湯で染料を流そうと思うが・・・あ!!「お湯で流した後にホットタオルを当てましょう」lと書いてあるので、その前に慌てて濡れタオルを電子レンジでチンして温めた。そしてたっぷりお湯で染料を流し(シャンプーは今日はダメらしい)、ホットタオルを巻き(既にホットでは無くなっているけどそのつもり)、お風呂から出た時は2時間ぐらい経っている感じ。。。。ふぅ。
そしてドライヤーで乾かしてみると、全然染めてない場所と比べると、てっぺんはどうにか染まってるように見えなくはない。こめかみ辺りはちょっと染め残しもあるみたいだけど。。。ヘナは途中から色が変わることがあるので、これでうまく行くのかどうか・・・・。
家で染料を流して風呂場が汚れたら嫌だなぁと思ったけれど、ヘナはもともと染料がそんなに強くないので、すぐにお湯を流せば落ちるみたい。しかし今晩はこれだけで大騒ぎだった。。。
実はこのお弁当箱を買うのに3年ぐらい悩んでいました。容量が大きいから食べすぎてしまうような気がしたし、今更新しいお弁当を買わなくても、今あるので十分ではないかと思っていたから・・・でも3年も気になっていたので、ついに買ってみました。
kekeのいつものから揚げ弁当。
さて、今日はたまたま目にした動画がありました。
https://x.com/hujimari/status/1904449769835245658
「あなたの近くに、あなたをコントロールしようとする人がいたら、距離をおきましょう」と言う動画なのだけど、確かにそうだなぁ・・・と思いました。
私も「お前のために」と言いながら、息子をコントロールしようとしていた口なので、あまり人の事は責められませんが、友人でも家族でも「コントロールしようとする・される」は結構起こりうることだと思います。
私は割と人から軽んじて扱われることが多いので、例えば表裏で逆さまの年賀状が届いたり(裏にsakeちゃんなら大丈夫だと思って出したと説明が書いてありました。)するのです。
その時は「そうだよね、私ならそういうの気にしないから」とアハハと思いましたが、今になって冷静に考えると、正月に出す30枚とか40枚の年賀状の中で、私が一番粗雑に扱える人間だと見なされているとも言えますね。
例えばの例で、年賀状の例をあげましたが、そういうことが結構多いんです。「言いやすい」とか「話しやすい」みたいに乗せられて、結局粗雑に扱われてしまうことが多いんです。
一度そういう風になると、なかなか対等な関係には戻らないから、距離を置いていくしかないかもしれません。私の経験だと、そんな友人関係は、仲が良くても何か違和感を感じるはずなんです。何かモヤモヤしたものが残るんです。そりゃ相手の顔色を伺いながら行動しているから、何かストレスがあるんです。
それがヒントだと思います。
「友達は多い方がいい」「喧嘩別れはしてはいけない」と言う世間体みたいなものもあるけれど、仕事でもないプライベートで対等にモノが言えない、こちらばかりが相手に気遣っていると感じる関係は、距離を置いた方が楽かもしれないですね。
「コントロールされる関係」と言うと、真っ先に親子関係が思い浮かびますが、友達も、男女関係でも起きますよね。一度そうなると気が弱い方からは変えていくことは難しいので(強い方は自覚がないだろうし)、距離を置くしか無いのかも。
そういうのも「自己肯定感」がキーだと思います。自分が粗雑に扱われても構わないと自分自身が思ってしまうと、そういう人をまた引き寄せ、うまい具合に粗雑に扱われてしまうようになるんです。だから、自分自身が自分を大切にして、「そんな扱われ方はおかしい」とちゃんと気が付けるといいですね。
確かに「あなたのために」って言うことで、結局こちらのためではなくて、そういう方向に仕向けたいんでしょ、ってことよくありますからね。特に政治関係とか。そういうのもコントロールだと思うと、納得しますね。
ハンバーグ弁当。
コロッケの中身までは作りましたが、衣を着けて揚げる所までは行き着きませんでした。自分は残ったカレーのお弁当です。
さて、またマドモアゼル・愛さんが数日前に興味深い話をされていました。
人は誰でも幸せを願い、今が変わらないことを望むけれど、「変化」するのは当たり前。
執着を捨てて、変化を受け入れるようになれた時に本当の喜びが見出せるのだとか。
なるほど~~~~^^
というのも、今までの私は執着のカタマリで(古くからお越しの方はご存知でしょう)、「これだけは叶ってほしい願い」とか、「息子にはこうなってほしいという欲望」やらが渦巻いていたのです。(-_-;)そうか・・・(息子によかれ)と思って念じていた思いも、その他数限りない欲望も、執着であり、それにはまればはまるほど、幸せから遠のくというのは、本当にその通りですね。
今、最高に幸せな人も、とてももがき悩んでいる人も、必ず「変化」は訪れる。・・・そう思うと、誰を羨ましいと思うのでしょう。誰を妬みたくなるのでしょう。
そこに現れる大きな塊が「努力」という言葉。
「私はこんなに努力しているのに幸せになれない」とか、「あいつは怠けているから」と見下げる物の見方。
こんなに頑張っているということは、相対的に他人をどうしてもバカにしている傾向があるんですよね。
周りに感謝するとか、神様に感謝するという優しい気持ちと違う雰囲気を感じるのです。
私がこうしてペラペラ書くことも、次元が低いというか、わざわざ人に言うことかい?とツッコんでいる自分もいるのですが・・・今、また私はひざが痛くなってきて、日常生活には支障はないのですが、年をとって体のコントロールがきかなくなると、考えますよね。
どんなに気をつけていてもダメなことはあるし、特に肉体は年齢と共に衰えていくのを認めざるを得ません。
今まで「もっと頑張らなければ!」と自分にも人にも厳しかった気持ちも、「頑張ってもダメなことがある」と思うようになり、そうすると少し優しい目で周りを見るようになりますね。気がつけば私の周りにいる人も、年と共にだんだんそうなってきているのかもしれません。
このブログで過去にさんざボヤいてきた「今日はこんなことを言われて悔しい」とか、そんなことも今にして思えば「なぁんだ、言ってる方がアホなだけ」だったのです。再婚しないのかとか、息子はまだ働かないのかとか、凝り固まった価値観で人の人生に勝手に踏み込んで平気で文句を言うだけの人たち。悪意はないのですが、浅はかだったのです。
私は私で、もしも離婚することもなく、お金にも苦労せず、子供もすくすく優等生で育ったら、すごく天狗になってて今の境地には到底いたらなかったと思うのです。私の身近でもお子さんのことで苦労している方もいますが、(自分と一緒にしては本当は申し訳ないけれど)それがなかったら、間違いなくその彼は天狗になっていたと思うのです。なぜならそれまでの言動がそうだったから。。。
それが原因かどうかわかりませんが、その方はだんだん周りの人にも優しくなって、私のこともあまり言わなくなりました。人生のつまづきの全てがその人に原因がある訳ではない、どうにもならないことがやっぱりあると悟ったからだと思うのです。
もちろん人生に何もつまづきもなく、それでも優越感を持たずに謙虚な友人も何人もいます。
結局、子供の頃から「競争」させられ、頑張ることを求められ、それに素直にしたがって自分を消耗してきた人ほど、優劣で人を見るようになり、頑張ることだけで自分をすり減らせて生きているように思います。それは良く回る時は良いですが、必ずどこかでブーメランで自分に返って来てしまうようにも思うのです。
それに気がついた時、他人を見る目が変わりました。
頑張るという価値観で人を優劣で考えている人は(自分も完全にそれから離れている訳ではありませんが)、話しているとすぐに分かるのです。自分が同じものを持っているから。
そういう価値観から、幸せみたいなものは生まれにくい。。。。頑張って何かを得なければと言うのを今の世界は賞賛するけれど、本当の安寧の地?みたいなものは、常に何かを求めることではなく、今あるものを受け入れることなのではなかろうか。。。。
お金がいっぱいある人が常に常に物を買いたがる人も「頑張れ教」だと思うのです。常に常に今の自分に満足できない・・・必ずしもそれを「悪」とは言いませんが、それで買い満たされた満足感はちょっとするとまた消えてなくなってしまう。(本人がそれでいいならいいですが)
私が今毎週、観光地に足を運んでいるのも「頑張れ教」じゃないのかなと思うことがあります。楽しいならいいけれど、求め続けることから安寧の地?にはつかないだろうとも。これらはただの承認欲求にすぎないことも薄々気がついています。
(それを言っちゃ何もできなくなりますが)
そして頑張るという気持ちはどうしても執着につながるんだよね。
「頑張れ教」を否定する訳ではないけれど、優劣感は控えめにしたい、気持ちだけは周りに優しくいたいと思うのでした。
昨晩はシュウマイを作りました。この冷凍があるとお弁当も楽になります。煮物はお弁当に入れるときは緑を入れようと思います。
(いつも忘れますが)
昨日の晩ご飯はミートソースです。
合びき、玉ねぎ、ニンジンのみじん切り、ピーマンのみじん切りなどを炒めて、市販のトマトソース(パスタ用)を入れて適当に塩コショウ、コンソメ等で味付け、それでも「ん??」って感じだったので、ケチャップも入れてみました。
昔からあまりあれこれ言わない息子ですが、1度小学生の時に「給食のミートソースと同じのが食べたい」と言われたことがありました。今だったら「それならば!!」と思ったかもしれません。でも、当時は今以上に料理ができなかったし、市販のルーを使わずにミートソースを作るなんて想像もできませんでした。でも確か給食のレシピが学校からのお手紙のどこかに書いてあったように記憶します。それはどんなレシピだったのだろう・・・と今になって思い出します。
(でも何となくそんな雰囲気で作ってみました。^^;)
ちなみにお酒はこちら・・・・昨年の夏にクリームソーダを作ろうと思って買ってみたものです。その時に飲みすぎてしまったので、この味がちょっと苦手になっています。
今日のお弁当はプルコギ弁当です。これだとkekeも野菜を食べるので1週間に1度は作っているように思います。
今日の晩ご飯。kekeはテイクアウトで夕飯を買ってきていたので、自分だけです。賞味期限が過ぎてしまった豚肉とゆでたばかりのブロッコリーを焼肉のタレで炒めました。ミートソースは昨日の残り物です。
今日は明け方、外の暴雨で目が覚めたような感じです。窓もゆれて、外の風の音がすごくて、怖いぐらいでした。朝の通勤時間帯も雨がひどかったし。。。(こんな1日になったら、旅行中写真も撮れないし、どうやって過ごそう)などと、また不安の雲がモクモク湧いてくるのでした。(-_-;)
家に帰って、kekeと顔を合わせたので(会話が生まれるほど顔を合わせないことが多いのです)、「かくかくしかじか、夜行バスに乗れるか心配、ホテルで話し相手もいないし1人で過ごすのが心配」と言うと、
「夜行バスに乗りそびれるかも」→翌朝新幹線で行けば?
「ホテルで1人で淋しいかも」→家でも話し相手がいなくて1人なのでは?
「朝昼晩×3日も外でご飯を食べるなんてどのぐらいお金を使うのだろう」→朝食を抜けば2/3なのでは?
と、次々に言い、「たら・れば~たら・れば~」と言いながら行ってしまった。。。
アヤツは親をバカにしとるんか!
それからSDカードも1枚予備に買っておこうか・・・と思いましたが、古いカメラを開けてみたらSDカードがあったので、これを予備に持っていくことにしました。いつも1/3も撮っていないので、3枚あれば足りなくはないと思うのです。そして、説明用に撮るような写真はSサイズで撮る事にしました。そうすれば少しは容量も押さえられるかなと思います。(うっかり全部の写真をSサイズで撮ってしまいそうだけど・・・)
昨日は帰りに予備の下着を買おうと寄ってみたら・・・もう下着が半袖ばかり。まだ寒いのにどうしてもう半袖?服ももうすっかり春ファッションなんですね。半袖のシャツは何枚家にあるか数えてこなかったのでまた出直すことにしました。
最近、下着も黒に限るなァと思います。何故なら破れても黒糸でかがれば目立たないからです。たまに透けてしまうようなブラウスの時は、肌色の下着の方が目立たなくていいので1枚だけそういうのを揃えておいて、後はスパッツも下着も黒でいいですね。汚れ(汗じみ)も目立たないし。最近次々に長袖下着の袖口が破れてしまって、そこを縫って目立たないようにしました。こうして縫ってもまた他の所が破れてしまうのですが、それでもあとワンシーズンぐらいは持つと思います。
そうだ、靴下は用意しておかないと。気になるのが羽織ものです。温かめのカーディガンで行くつもりですが。。。そうすれば暑くなったら脱いでリュックにしまってしまうことができます。コートだと脱いでもリュックに入れられないから。
明日も明後日も天気が良さそうで、ここで桜も開きそうですね。^^
昨日は後半は疲れて書きそびれてしまいました。
マドモアゼル・愛さんが時々、今の教育はおかしいという話をしているのです。何がおかしいかというと、純粋に生まれて子供を大人たちが一定の枠にはめ込んで価値観を植え付けているのではないか、というのです。
確かにそうだなぁと思うんですよ。子供は生まれた時は純粋で、いつもニコニコしたり泣いたりするだけなのに、大人が「もっと勉強しなきゃ」とか、偏差値や点数にこだわったりして、どんどん優劣を意識させていくんですよね。そういう価値観を植えつけていることで、「こんな自分じゃいけないんだ」と、頑張っても頑張っても「もっとやらなきゃ」って思い込んでしまったり。
そういう気持ちが人生の楽しみを半分ぐらい無くしていることに気がついたのです。
「この人といても何かくつろげないなぁ」と思うことがあって、それは「一生懸命頑張っている」人だったりします。そういう方と一緒に話していると「今の自分じゃいけないんだ」「もっと頑張らなきゃいけないんだ」とついつい感じてしまうのです。そういうオーラってありますよね。それを感じ取ると、しんどくなってしまうのです。
頑張るということは、「評価」にもつながっていて、よい評価をいただくことはうれしいことだけど、それにこだわってしまうと、また次も頑張らざるを得なくなってしまう・・・・前にどこかの本で「子供の成績や点数がいいことをほめては良くない」と言うのを読んだような気がするけれど、結局「成績が良い」ことをほめるということは、「成績が良くなければ愛されない」というメッセージにつながるそうなんです。(親は条件付けではなく、子供の存在そのものを愛することが大切だそうなんです。)
難しいですよね、子育てって。
私自身もずいぶん失敗して、ずいぶん遠回りをしてきました。でも、その結果が今の息子でいてくれているのだから、結果的にはこれで良かったのだけど、私自身の子供に対する指導は最低ランクでした。
でもそれがなかったら、今もまだあの固定概念の塊を抱えて生きていたのかもしれません。
「頑張る」ことに疑問を持ち始めたのは他にも理由があって、頑張っている人は結構愚痴や悪口が多いのです。もちろんニコニコして人知れず黙って努力をしている人も大勢いるとは思いますが・・・愚痴が出る人が多いのはたぶんしんどいからだと思うのです。人と競り合って比較して頑張って上を目指すことは心が休まらない・・・・だから愚痴や羨みが出るのではないのでしょうか。
事実、私も「頑張っていた」頃は、愚痴や人の悪口が多かった。他人と競り合って生きているとそうなるのだと思います。それが評価につながっている時は良いのですが、そうでない時はしんどくなる。。。評価がいいことが正しいということは、評価されないことを快くは思えない・・・。しかも競争相手は無限にいる訳で・・・・それは羨みや妬みのような気持ちにすらなることもあり、もうそういう考え方自体が疲れてしまうんです。
最近「おひとり様」が流行っているのも、もうそういう比較や頑張ることに疲れている人が増えたこともあるのかなぁと思っています。空や花や鳥は何も言いません。そもそも頑張らなきゃいけないと思っていますのは、昔のアニメが努力して栄光をつかむ系のものが多かったのもあるのかも。
たしかに努力してオリンピックやプロ野球の道を進む方々は素晴らしいと思いますが・・・・それでも命の重さは同じというか、彼らが100点満点で自分がゼロ点ではないと思っているのです。
本当の評価は数字ごときで表せないのでは?。。。とも思うのです。
今日のお昼。買ってきたパンと、かぼちゃで作ってパイプキンスープに、イチゴ(値段が同じなので大きいほうを買ったけれど、甘くておいしかった!!)
今日はスマホで撮るだけで精一杯だった写真。月曜日のハンバーグ確率高し。
自分の方はご飯が少ないから、冷凍してあるパンか、昨日作ったプリンを持って行くつもりが、すっかり忘れてしまった。最近はひらめきをその場で処理しないと、次の瞬間にはもう忘れてしまうんだよね。
今日は朝から会社さんから言われて修正した書類の間違いが原因でいろんな作業が中断してしまい、社長がよその会社の社長さんに怒って電話をしていた。
そんなことを1時間以上やっていて、(やっとこのまま進めていいことになって良かった)とS君に連絡したりしていたのだが・・・ここに来てその朝から始まったゴタゴタの原因が、なんと!!実は自分が作った書類が原因だったことが判明してしまった。最初にそれに気づいていればこんなことにならなかったのに、誤解が誤解を生み、社外の何も悪くない方にまで波及していたのだ。。。。
自分だけがその事実に気が付いた時(ドヒャー\(◎o◎)/!)と思い、このまま黙ってシラバっくれようかと言うのも頭をかすめたが、(言うことで、かえってまた揉めないかな)と思いつつ、本当のことを話して、その後はいろんな人に謝るor報告することになったけれど、全てが白日の下にさらされ、落ち着いて良かったです。
その時は例え怒られても、正直に言ってしまった方がその後は楽かも。特に私は生まれながら怒られ慣れしているので、自分が悪くて怒られることは、それほど堪えないと言うか、まして自分が悪いなら仕方ないと思える。そして最近になると、シュンとしている自分をもう一人の自分が客観的に見ていて(実はこの人半分演技で本当はたいして堪えていないんだよね)と囁いたりして、ほくそ笑んでいる自分がいたりする。
怒られ慣れしているのは、両親が年がら年中私を怒って説教していたからだと思うけれど、私はそういうスポンジみたいな役目が得意だった。何か言っても平気そうに見えるみたいで、ピアノの先生も妹には怒れないけれど、sakeちゃんは怒れると言っていた。
そんなスポンジみたいな自分が嫌いで、嫌で、本当に生きていくのが嫌だった。かと言ってどうしたら妹みたいに怒られなくて済むのかと言う分析もしなかったし(そういうことをするのが卑怯な気がしていた)、自分が嫌いだったから、もっともっと怒られてしまえばいいと思って、怒られることで安定していたような気がする。
自分が怒られていれば、家族一家が平和になっているような気もした。
そんな自分の怒られ慣れだけど、ここに来てそれも悪い事ばっかりじゃなかったな、と思う。怒られてもいいから正直に言っておこうと思えるのは、怒られ慣れしていて怒られるのが怖くないから。
でも、相手のヒステリックからの理不尽な怒られ方はまた別。
それもだんだん最近、言い返せるようになってきた。
噛みつかれれば噛み返す。踏みつけられたら足をすくう。(by中島みゆき)
大丈夫だよ、私。
やっぱり繊細さんじゃないかも。
昨日のお弁当だったかな?^^;いなり寿司と焼きそばです。
焼きそばの残りだけではちょっと少ないかな?と思って、すきまにご飯も入れています。
(この日は中華スープもつけたんです。)
前の晩のカツの残りをカツどんにして、野菜炒めを入れました。
お惣菜貯金もポテトサラダしかありません。。。
お昼のトマトスープにお餅を浮かべて、ピザと餃子を焼きました。
餃子はあまったら明日のお弁当にします。ピザが余ったら自分のお弁当にしようかな。
休日のお出かけが楽しいにつれて、どんどん食生活がやっつけになる私です。(-_-;)
今日はそれでもまだピザを焼いたり(生地は市販のもので、乗せて焼いただけ)、冷凍の餃子を焼きましたが、最近はなかなかここまでやれていません。
最近また一段とスローモーになったように感じます。40代のころはもっと、テキパキ動けたし、一日にもっと詰め込んでいろいろできていたように感じるのは幻なのでしょうか。。。
今はまず、帰ってから、服を(家用の)着替えます。そこで家用のスパッツを探したり、メガネの場所をあとですぐに見つかるような場所に置きなおしたり、買い物袋から野菜や肉を冷蔵庫に入れたり、洗濯物を洗濯機に入れたり・・・それで平気で30~40分はかかるんです。下手したら1時間ぐらい掛かっているかもしれません。
自分、自慢ではないですが小学生の頃は、すごくテキパキ動けて、ドリルやテストもさっさと終えて、トイレもすぐに出てくるタイプでした。なのに今はその真逆です。何をやってもモタモタしていて、トイレでシャツの裾をズボンの中に入れるのにも時間がかかること。。。(リュックを背負いながらということもありますが)・・・みにくいアヒルの子が白鳥に成長したという物語があるけれど、その真逆は情けないですね。。。。でも人生そんなものかもしれません。
学生の頃は近眼メガネがすごく嫌だったけど、おかげでまだ裸眼でも本が読めるという、良い逆転現象もあったり。
「私って健康だよね~~~とうぬぼれていたら・・ひざが痛くて動けなくなったり。。。(-_-;)
人生は逆転現象も多いですね。
「うぬぼれてはならない。思うように行かないのはその人の原因とは限らない」と肝に銘じているつもりが、またもやうぬぼれて、しっぺ返しを食らう私です。でも歩きすぎも良くはないと知れば、またこの先気をつけることでしょう。
最後までわかりません。だから軽く人様のことを決め付けたり批判したりできないと思うのです。
今日ある人が「自分は裁判に負けたら、(正しさを証明するために)お金がかかっても控訴する」と言っていました。でも正しさの証明って、相手は相手の言い分もあるし、何を持ってどっちが正しいなんて、言えないことも多いだろうなと思います。
今日久しぶりに万歩計をポケットに入れておいたら、家に帰って着替えるまで3600歩でした。今日は社長が休みだったのであまり足を動かさないでなるべく安静にしていたのです。それでも3600歩。これで昼休み散歩をしていたら、6000歩近く行っているかも。
と思うと、休日そんなにたくさん歩かなくてもいいのかなぁ。。。
今度の三連休はとことん休もう!!
早く足が良くなりますように・・・(^人^)
グツグツグツ・・・
このすき焼きのお肉は、kekeの選べるギフトで送られてきたものです。^^うふっ
さっそくすき焼きにしてみました。白菜とお豆腐もたっぷり入れて。。。1人用の鍋2個に250gの牛肉を分けたのです。
いつもは牛肉のこま切れですが、今日は大きなつながっているお肉。
白菜や豆腐を食べながら・・・パク。いつもと香りも味もちょっと何か違う・・・・。
う~ん・・・・
これはこれでおいしいけれど・・・・いつもの牛肉(100g398円)でも十分においしいかも。
後でkekeにも訊いてみると同じことを言っていました。
高いお肉かもしれないけれど(にしてはバラの脂身がすごく多かった)、そういうのを食べ慣れていないから、おいしいとは何なのかがよくわかりません。
おいしいって何なんでしょうね。たぶんキャビアが目の前にあって食べてみても、何がおいしいのかわからないと思います。普段おいしいものをよく食べていて初めて「これはおいしい」「そうではない」とジャッジできるようになるのかもしれません。
そんな私の今日のお弁当は・・・・
麻婆ナス弁当。
ひき肉を何かしないといけないので、ショウガやにんにくと炒めてネギがなかったので、代わりに玉ねぎを入れて作りました。
半分詰まってしまったので、後はほうれん草を乗せただけ。
いよいよ仕事納めです。
今日は飲み会もありました。元々がそういう場が苦手な私。。。。でも年々それかどんどん加速するように思います。
隣の人と共通の話題を見つけるのが大変です。
何しろテレビを見ていないので、バラエティ番組どころか、芸人の名前、俳優の名前がわからない。ドラマもわからない。スポーツほとんど見ないしわからない。ペット言われても犬の種類も全然分からない。。。。
今このいろんな情報がある社会で、どうして隣の人と話をしなきゃならないのだろう、という気持ちになります。前にも書きましたが、ふと気づくと、左の人はその左の人と話しており、右の人はその右の人と話していたりします。仕方ないので、あたかも聞こえるフリをして、ふんふんと聞いている顔をしなければなりません。(私は耳が少し遠いのか、全然聞こえないのに)
前にも書いたとおり、私はワンツーマンでしか、対話ができない人間なのです。
3人以上になると、もう話しについていけなくなるというか、いつしか私が分からない話題になっているというか。
それでその場の話題を変えるとか、うまくおちゃらけるとか、そういう不自然なこともできないし、だから本当に飲み会は疲れます。
さらにこの2~3年、カメラを持って一人で出かける癖がついたので、余計人の顔色をうかがったり、聞こえるフリをし続けるのがもう面倒でならないのです。これも年を取ったせいかもしれません。若い頃はもう少し人の話も聞けたように思います。
でも年に2~3回の飲み会のために、テレビを買うのも馬鹿らしいし、もう少しこのままどこまで「話題がない人」が続けられるか試してみます。いつも注目してる、自民党のキックバックが~とか、トラさんとプーさんがほんとに世界を変えるのか?とか、ワクチンがどうたらとか、この週末はどこの観光地に行くとか、そういう話なら目をランランと輝かせてできるように思いますが。(世間の人はそういう話好きじゃなさそう・・・)
自分が悪いのは分かっているけど、なんかもう、人に話を合わせるって面倒くさいですね。
そう思ってしまうのも年なのでしょうか。。。
お昼の散歩の、松ぼっくり。
ひっそり咲いていました。この季節に緑が青々としているのは、松ぐらいじゃなかろうか。。。
昨日のお弁当です。
前の晩に炒めたチャーハンがまだ残っていたので、それを詰めて、卵やブロッコリーを添えています。(^^;
お昼の散歩道にて。
やっぱり葉が枯れっぽくなってきました。だんだん秋から冬へと向かうのですね。
でも、これはこれで素敵にも見えます。
葉がだいぶ落ちてきました。
小鳥のさえずりが聞こえると、姿も見えるようになりました。
鳥撮りのお好きな方にはいよいよのシーズンになってきたのでしょうか。
先日、昔の職場の同僚と会う機会があり、私と一番仲の良かった友人がその幹事(?)までしてくれました。そんなこともあり前々から彼女が行きたがっていた(と思う)場所に案内することにしたのです。
すると、ご主人が車で現地まで送迎をすると言われたそうです。二人の邪魔にならないように自分は別行動で良いと。。。。
それはとんでもない!と思い、3人で回ることにしました。
しかし何て優しいご主人なのでしょう。私の周りの人たちでは考えられない発想です。
(もっとも彼らも奥様には優しいのかもしれません。)
クラス会とか、昔の同僚とかに会うと人々が優しいので驚くことが多いですが、もしかしたら私の今いる環境の方が変わっているのかもしれません。・・・どっちでももう関係の無い事です。
もう誰にも期待していませんから。
昨日はご飯がなかったので、チヂミにしました。ニラを入れすぎてしまい、慌てて小麦粉と水を加えました。
しっかり固めに焼けて、ナイフできれいに切れました。ニラは少し細やかに切った方が切りやすいことにも気が付きました。おいしかった。
今日のお弁当。またから揚げです。
他は冷蔵庫にあるもので詰めました。
最近やっつけが多いです。
今に始まったことではないですが、料理に集中できません・・・と言うか、やる気がないと言うか、明日のお弁当どうしましょう状態です。帰ってきてから服を着替えるのもダラダラして無駄に時間を掛けているように思います。
今日は田村セツコさんの本で「なるほど!」と思ったことがあったので紹介します。
ニーチェの言葉だそうですが「同情するのは厚かましい」と言う言葉があったそうです。「同情って一見親切に見えるけれど、上から目線で相手を気の毒と思ってる。それって厚かましいですよね」と田村さんは言われています。
ここまでは何年か前でもブログで書いたと思うのですが、更に付け加えると「人前で同情するのはパフォーマンスになっちゃうわ」と書かれているのです。これを読んで「なるほど!」と思ったのです。
今はさすがに無くなりましたが、昔「まだ独身の男性のために女性を集めて合コンをする」と言うことを、私の周りではよくやっていました。やっている人は親切のつもりでいたのでしょうが・・・それで仮にうまく行けば鼻高々、だけど失敗すればお酒の場での笑いネタに・・・私はこれがすごくお節介に思えてならなかったんですよね。
(とは言うものの、私ももっと若い時はこういうノリをしてました、白状すると。)
結局合コンをセッティングするということは、「上から目線の同情」なんですよね。本当に相手のことを尊重するのなら、やるにしてもそっと誰にも言わないでささやかにセッティングするでしょう。上から目線の同情だから半分は面白おかしくみんなでやってる。。。
相手の生き様を否定して「こうした方がいい」と思うこと自体がもう失礼なんですよね。
https://twitter.com/tyomateee/status/1724035514922332346
中島みゆきさんのラジオ放送の中からの2分半の動画。
↑
これだけの動画で感動してしまった。
自分も心のレベルをもっと磨こうと思いました。
もっと広い心で!!
お昼休みに撮った「穴の開いた葉っぱ」の写真です。(今日の1枚)