きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

腹をくくる

2013-07-30 | 女だから思ったこと
腹をくくる、という言葉が好きだ。

糸のように幸と不幸はこよっているものだと言った友達がいるけれど、腹をくくるとは、その両方を覚悟することではないだろうか。

いいことだけを当たり前に受け取ろうとしていた。
それは驕りでなくて何なのだろう。


出会いがあれば、必ず別れの悲しみは控えている。
振り子のように大きければ大きいほど。

悲しみのかげには、必ず喜びがあるはず。
できればそれを胸に抱いていたい。

腹をくくるとはそういうことのような気がしてしまう。





帰りの車で

2013-07-29 | 息子keke
帰りの車の中で叔母さんの話をkekeとした。

でもそのうち話は尽きてしまった。
もっといろんな話を聞いておけばよかったなぁと思う。
父が元気な時にもっといろんなことを。

話が尽きてしまったので、不謹慎だとは思いながらも、「自分の時もささやかでいいから」と言う話をした。
kekeは「そういうものを信じないから、自分はしなくてもいい」と言い、「私もしなくてもいいぐらいに思うけど、キミの対外的問題もあるかもしれないから、キミに任せるよ、でも私自身はいらない意思だから。」と言った。

「そういうのはともかく、kekeが1人になってしまってがっくりするのが心配だな。」と言うと、「アンタの存在は自分の中で0.1ぐらいしかないから平気。」とkekeは言う。

「私いなくなってもホントに大丈夫かしら。」と言うと、「今も存在感ないから。」とkekeは言う。
でも、私はそれを聞いて安心もし、うれしくも思った。

赤信号で止まって、「だって人はいずれ死ぬんだから。」と私は言った。


死に対する考え方が、どこか人とズレていることは気がついていた。
でもkekeは私と同じ感覚のようだ。

「私が居ても居なくても変わらないなら、kekeは誰?何?を励みに生きてるの?」
「それが分からないから、生きていたくない。」とkekeは言い、アンタは何が楽しいのか?と言うので、「毎日ご飯を食べる時かなぁ」等と言う。

「あとカラオケとか、ピアノとか。うまくないけど楽しいって言えば楽しいのかな。」
「うまくないのに、虚しくないの?」
「好きだからかしら。あと最近はドライブとか。」

「40過ぎてからだよ」と私は言い、「それまでまさか車なんて運転するなんて思わなかった。分からないもんだ。40過ぎてからでもやれるんだから。」等と言う。

「あとはお前の仕事だけだ。」
「何が?」
「40になっていても、このままだと心配だ。」
と言うと、「それはないでしょう」とkekeは言い、「お金好きだから働かないわけがないでしょう。」と言う。

「それは安心した。」と私は言い、「別にたくさん稼ぐ必要なんてないんだ。少なくても、その中で暮らす能力があればいいんだよ。kekeにはその力がある。」と言う。

「少なくても稼げるかどうかが問題だ」とkekeは言うので、「少なくてよければいくらでも仕事なんて見つかる。うちの業界はどこもそうだから。」と私は言う。

二人で車をおりて並んで歩いた。
少しだけ、kekeがたくましく思えた。

有休休暇

2013-07-28 | 今の会社
妹曰く、もう当日まで何もないと言うので、社長に報告と、お休みをいただくことにする。

電話1本では気を悪くするかも・・と思って出向くと、たまたま会社にいて「分かった」と言う。
たまたまその時電話がきて、客先で火事(ボヤ)があったらしく「それじゃ行ってくるからよ」とすぐ出て行った。(会社に行ったのもいいタイミングだった。。。)

月も火も休む事になったので何が困るかなァと考えて、月末の支払いの用意、打っておかなければならない見積もだいたいできてるし、お茶場もちょっと片付けたりゴミをまとめたり、魚もしばらく来ないからとエサをあげ、万が一現金をおろすことになった時のために(分かっていると思うけど)通帳の場所もフセンに書いて、社長の机に貼っておいた。
納涼会の領収書はそのあとでも間に合うけれど、万が一来れない時誰でも作れるように名簿を机の上に分かるように置いておいた。

うーん、あとは何かなぁと考えて、よく考えたら、ここに来てから5年間、有休取るのが初めてだったのだ。平日会社が動いているのに自分だけは休むってことがなかったので(土曜は現場だけは動いているけど)、何だか気がかりで、あとは社長の「sake君これメールで送って。」の類だけど、どうにかやってもらうしかない。

それから図書館もあちこちで借りてしまっているので、本やCDを返しに行ったり、行った事がなかったので斎場に行く練習もして駐車場もどこにあるか確認してみた。

まてよ、もしかしたら遠くから来る人を駅まで乗せてくなんてことも充分ありうるなぁと思って、車の中も片付けた。喪服も着れるかどうか試してみた。(どうにか大丈夫そう。。。)


この数日、葬儀とか墓とかあとを継ぐとか、脇役ながらそんな事ばかり考えた。
会社のことは考えた。
休む事になったらどうしようか、それまでに何をしておかないととか。
kekeのことも考えた。
元気なうちに自分もその時のことを考えてkekeに伝えておいた方がいいんだな、とか。

でも不思議なくらい、恋愛問題とか、そういうことは考えなかった。
頭の片隅にもよぎらなかった。
こうなってしまうとまったくどうでもいいこと、何でもないことのように思えた。
関係ない、と言うか。
もっと大きな問題が起きたら、もうどうでも良くなってしまうようなことなのか。

まっとうに生きるの「まっとう」と言う言葉をここしばらく考えていたけれど、こういうことなのかもしれない。人の死や、墓や相続とか、そういう問題に向き合っていると、他のちまちましたことがくだらなく思えてしまうのだろうか。年をとると、こう言う風に物事を捉えるのだろうか。

いずれにしても、その日がきたら自然に受け入れることができるといい。
私もそんな風に思う。

本当は支払いの明細も先に先方に送っておきたくて、帰りも会社に寄ってみたけれど、社長の稟議はおりていなくて送れなかった。一つ二つ資金繰りのつまったところから「まだ支払い金額が出てないのか」と電話がくるかもしれない。

巡りあわせ

2013-07-27 | 父の記録と母の思い出
妹の打ち合わせは進んでいるようだった。

妹はお墓をすぐ行ける所に作りたいと思っている。
父の病院の近くにも霊園があるのでそこに相談したいと言う。

「それはいい考えだね」と私も言う。
妹は常に常識的かつ、思いやりあふれる考え方をするので、とても尊敬しているのだ。
機転がききバランス感覚がある。
それでいて腰も低く、目立とう前に出ようという姿勢がまったくないので、人から憎まれる事も無く話をまとめるのがとてもうまい。頭が良いと言うのは、妹のような頭の使い方をすることを言うのだろうといつも思う。


20年前に、叔母はとても仲の良い占い師の友達がいて、いつも行動を共にしていた。
その占い師の人は、妹のことをとても褒めていて(面識があった訳ではない)、あの子をぜひ養子にもらうといいと叔母に言ったそうだ。

「だけど、冗談じゃない!と姉さんに断わったよ、ハハハ!」と父は笑っていた。
その頃はkekeの顔を見に私の所に来ていたころだから、妹ももう両親と一緒に住んでいただろう、冗談話になっていた。

 sake「何の占いでそう言われたの?」
 父 「誕生日だよ。」
 sake「アタシは占ってもらったら何て言われるかなぁ~?」
 両親「・・・・・」←不自然な沈黙

ふと、そんなエピソードを思い出した。(苦笑)

同じサル年で、妹をぜひ養子にほしいと願っていた叔母。
巡り巡って妹が喪主になり墓も守ると決めたことを、とても喜んでいると思う。

もしかしたらこれも巡り合わせではなかろうか。
人は落ち着く所に落ち着くのではないだろうか。

今日はそんなことを考えた。

待ちわびるキーボックス

2013-07-26 | 今の会社
課長の現場の引渡書類を作っていて、「sakeさん手伝ってくれる?」と言うので一緒に手伝った。
今日引き渡すのだと言うのは知っていたけど、書類のことは言われるまで気がつかなかった。当日こんなにバタバタ作るぐらいだったら、前もって私ができる所まで用意をしておくんだった。

課長が「いつキーボックス来るのかなぁ」と言うのは、今日届くはずのキーボックスだ。
「中身はこんな風にテプラで打って、キーホルダーを作ってほしい」と言うので、それにカギをつけてお客さんに渡すのだろう。

「何時ごろ来るかなぁ」と言うので、「いつもだったら午後イチぐらいに届きますよ。届いてすぐに作れば間に合いますね」と言ったものの、最近宅配の人の来る時間がまちまちなので、若干不安になった。

案の定、1時になっても2時になってもキーボックスは届かず、課長は「まだかなぁ」と繰り返し、私もいよいよ今日は届くのが遅くなるかも・・・と予想しつつ、「最悪、間に合わなかったらどうなりますか?」と尋ねると、課長はウーン、と言って、「そしたら、この箱に入ってるカギを見せて、キーボックスがまだ届かないのでと説明するからいいよ」、と言う。

「頼んだキーホルダーがちょっと特別で、普通のより幅が狭いんです。だからそれを見てから作った方がいいと思います。」
と言って二人で待っていたが、あまりにも来なくて「そろそろ持っていきたいんだけど」と課長は言うので、それじゃキーホルダーだけでも、今ここにあるやつで作ってすぐに取り付けましょう、と思ったが、こう言う時に限って数が足りない。それを売っている店もここらには無い。

更にしばらく待っていたが、「もう別件で行かなきゃ」と出て行った。格好悪いけど、もうしょうがないとカギの箱も持って行った。

その後はnanuさんがやってきて、「この材料と止める金具を通販で頼んでくれ、分量はOROからメールが来るから」と言い、「あ、こっちに来てたこれだこれだ」と言い、「これとこれとこれね」と言い、「納期も電話して訊いてみて」と言うので言われた通りにすると、「そちらは受注生産になるので2~3週間掛かります」と言うので、その通りnanuさんに伝えると、エーそれじゃ困るOROは1週間ぐらいと言っていたぞ、と言い、電話してすったもんだやっていた。

その頃にやっとキーボックスが届き、これだこれだと私は早速パカとあけて、即行作り始めていた。nanuさんがまだ何か言っていたが、こっちもこっちで忙しかったのでそれどころではなかったのだ。
そして、半分近くできた段階で読めてきたので(それまでは誰に何を頼まれるか分からなかったから)、課長に「今、届いて作っています。」と電話したら、それじゃ戻ると言って、間も無く戻ってきて、よかったこのカギをつけておいてね、後でまた来るからと言って、また現場に戻っていった。

nanuさんが「特別便みたいなので、もっと早く届かねーかな」とつぶやいていたが、「電話で2~3週間って言うものが1週間やそこらで届くはずはないでしょう。」「無理ですよ。」と言った。
どうにかできるものならどうにかしたいが、どうにもならないものについては、私が考えてもどうにもならない。

これからは引渡しが決まったら、書類やカギをどうするか自分から相談しよう。
今日はたまたまヒマだったからキーホルダーに全力投入できたけど、社長にあれこれ言われていたら、それどころじゃなかった。


叔母の方も、親類が来て話し合ったが、妹の考えで葬儀が進められるようになった。妹も「お姉ちゃんいっしょに来てくれてありがとう」と言ってくれた。
私は居るだけで何を提案するわけでもないのだが、それでも妹は良いみたいだ。
万が一変な風に言われてしまう事があっても、私が「だってあの時こう言う話だったじゃないですか」みたいに妹を援護することもできる。それだけでも全然違うのかもしれない。

ふと考えてみたら、私は今まで誰かと相談して物事を進める、ってことがなかったのだ。
子供も1人で決めてきたし、結婚していた頃すら、元夫はあまり話をするのを好んでなかったので(それもおかしな事だったのだけど)、習い事やその他いろんなことも自分で決めて、元夫に事後報告みたいな感じだった。
またそれで済んでしまうぐらい、決断も狭い範囲で済んでいたのだ。

でも、こういうことは側にいる人間が1人いるいないで全然違うのだと思う。
私はたいしたことはできないけれど、何があっても妹側につけるのだ。それだけで全然違うのだ。
とりあえず方針が決まったので、あとは打ち合わせしながらどうにかなるだろう。
土日は私もできるだけのことはできるし。

叔母が亡くなる

2013-07-25 | 日記
叔母が亡くなった。

夜だったせいか、葬儀屋さんとの打ち合わせは明日妹が行くことになった。
「お通夜やお葬式の時は会社を休むようでしょ。明日は私が行ってくるよ。」と妹は言ってくれたが、無言の圧力を感じてしまう。
「同じ姉妹なのに、どうして私が何もかもしなければならないの」的なズシンとした空気である。

妹のように明晰な頭脳、常識的な判断力があれば、私みたいな判断力の無いうなずきマーチがそこに居ても居なくても変わらないように思うのだが・・・・日頃人付き合いが少なく、冠婚葬祭もろくに出ることがないので、イイ年してもこう言う時に何をどうすればよいのかサッパリ分からない情けない自分である。

が、今さらどうにもならないので、できるだけ妹の役に立てるようにならなくては。。。と文章にするとますます情けない。
昔、K女史が「母が亡くなった時、兄には何もしてもらえず全く頼りになりませんでした。」と言っていたけれど、お兄さんは何もしなかったわけではなく、何をして良いか分からなかったのではなかろうか。

後々そう言われないようにせめて連絡だけはマメにして、できることがあったらなるべくしたい。
叔母の悲しみより、そんなことばかり考えてしまう。

ピアノをポロロン

2013-07-24 | 歌謡曲・カラオケ
ハワイアンのピアノやウクレレの音を聴いていたら、自分でもピアノが弾きたくなってしまった。

私は2~3年に1度こうして突如ピアノのフタをあけるのである。
もう10年以上前に、「やっぱり昔のようにピアノが弾きたい!」と思い、突如電子ピアノを買った。
しかし、それから2~3年に1度こうしてフタをあけて、ポロロン♪と鳴らすだけなのである。

だって、難しいんだもん。。<(_ _)>


私がヘタクソだからこうなのか、誰でもこうなのか知らないが、1曲をマスターするのに1年ぐらい掛かるのである。
それはまるでレース編みをチクチクしているかのようである。

しかもヘタクソなので、何百回いや何千回かそれ以上、同じところを繰り返し繰り返し、その上また繰り返し練習しないと、曲が出来上がらないのである。そこにたどり着くまでにイライラするのだ。

若い頃もピアノは年中叩いていたけれど、まともな練習はしていなかった。
弾けると分かってる同じ曲ばかり弾いていただけなのだ。

でも、私からピアノを取ったら、いったい何が残っているのだろう。
それくらい思い入れはあるのに、2~3年に一度フタをあけてポロロンと鳴らすだけなんて、なんか情けなさすぎる。

あぁもう一度弾きたい。。。。



そう思い、昨日はポロロンポロロンと弾いてみた。
やはりちゃんと叩けない。
そもそも性格ががさつなので、ちゃんとキーにしっかり指が当たらずすべってしまったり、そもそも楽譜に書いてある難しいターンの指づかいも全くその指りに動かさないので、早く弾けない。音がすべる。隣のキーを叩く。くやしい。

ピアノは大好きだけれど、それに向かい合うことはとってもしんどいことなのだ。

あぁ、ジブリのジャズとか、はやり歌のジャズとか弾けたらどんなにカッコいいだろう。。。

少なくても「え?!sakeさん、ピアノ習ってたの?だったら弾いてみてよ」と言われた時に弾けるようになりたい。
ほんの2~3曲でいいのだ。

「あれだけ練習しないで、先生の所で初めて譜面見てたりしていたぐらい怠けていて、よくお母さんは(私達に)月謝払ってくれてたよね。」
と妹も言う。
今、こうして振り返るとあんなに怒り狂い叫んでいた母だが、要所要所で黙っていてくれていたことがたくさんあったのだ。
あれだけ何年も金を掛けてもらい、ピアノを触っていたにもかかわらず、今何も弾けないのがとても悲しい。

そう思って、私はポロロンと鳴らしてみる。

はじめての道路使用

2013-07-23 | 今の会社
nanuさんから「道路使用とってきてくれ。」と言われたので、警察署に行くことにした。

nanuさん曰く、②番窓口に行って、領収書に書いてあるこの番号を言えば(と指をさし)道路使用と言う名前の書類を渡されるので、それを持って帰ってきてくれればよい、とのこと。

さらに、警察署の真向かいにコインパーキングがあるからそこに車を止めろ、と言う。
警察署にも何台かおけるスペースがあるけれど、真向かいにコインパーキングがあるから、と3回ぐらい言う。

そして私は前の日に社長に「明日は道路使用をもらってから来るので出社が遅くなります。」と断っておく。
それではサヨウナラ、と帰る辺りで秀くんが疲れた顔をして帰ってきた。

「今日、健康診断してきましたよ、皆さんもそろそろ予約しませんかねぇ。」などと言ってみると、「時間が無くて車検も出せないのに、それどころじゃないよ。車検だって今週までなんだ。」と相変わらず忙しい忙しいみたいな感じ。

秀クンは電話しながら「あぁ。。。。」と言い、電話を切ってファファファみたいな力なき笑いをしているところを、脇を通って帰ろうとすると、「sakeさん、カマキリだって。」と言うので、「カマキリがどうしたんですか?」と言うと、「かみさんが『カマキリがいるから取って』だって。」と言う。
真顔で「ゴキジェットではダメでしょうかねぇ。」と言うと秀クンは無言で(それができてたら、電話こないでしょ)と言わんばかりなので、「それじゃ今日は早く帰りましょう。」と言うと「こっちでやることがいろいろあるんだよ。」と言う。

私は車に乗ってから「秀クンはこの場合いったい何て言ってほしかったのかなァ」と考えるけど、「カマキリも取れない奥さんで大変ね」と言ったらそれはそれで気を悪くするだろうに、あれは婉曲したノロケと解釈することにしよう。


翌朝、警察署に向かった。
そこは2車線の道であるが、真向かいのコインパーキングを探すために、左車線を速度を落してゆっくり進むとパーキングの看板が見えたので、左チカチカして入ろうとすると、3台のうち3台全て駐車済み。
ゲゲゲと思って、またお尻から道に戻ろうとするが、戻れるか、ダメか、絶体絶命か、と思ったら、後ろの人がとても良い人で、私がお尻から戻るまで待っていてくれた。(こんなこと、めったにないよね。)

そしてまたその先を見逃さぬようゆっくり走って行くと、コインパーキングがあり、ここがnanuさんの言う「向かい側にあるコインパーキング」のようである。どうにか止める。

さて、警察署に入る。
悪いことをして怒られるわけでもないので警察署と言ってもビビることはないのだった。

入っていきなり「②番窓口はどこかしら」と左右キョロキョロしていると、受付に居た3人ぐらいの人がほぼ同時に(そんなに初めてっぽかったのだろうか)、「何のご用ですか?」と言われ、「道路使用を取りに来ました」と言うと、ここですよと言われ、「この番号札を取ってください」と言われる。

順番が来て領収書の番号を告げるとあっけないほど、何のアクシデントも無く例の書類が渡された。
感想を述べると、役所より年齢層が高く、多くはおじさんみたいな人が事務っぽいことをしている、と言う印象であった。どこか村役場的な雰囲気もあり、割と親切そうな人が多い。

そして私は駐車場に向かうために信号を待つ。
ぼんやり「これがその道路使用の副本かぁ」とながめていると、背後から「朝からごくろうさんです!」と言う声がして、振り向くと「私達警察チームです」みたいなことと彼は言い、何人かの人達がズラズラと一緒に横断歩道を横断してどこかにいくようである。

私も駐車場についた。
nanuさんが言うように、警察署に備え付けの駐車場は道路から直入れの駐車場で、お尻から出すにしても、お尻から入れるにしても、バンバン車が往来してとてもじゃないが、私では難易度が高すぎの所であった。

nanuさん。。。一度も乗せたことがないのに、なんで私が下手なことを分かっているのだろう。
そんなことを思いながら、200円払って駐車場を出た。

ハワイアンでうなぎ

2013-07-22 | ぶきっちょさんの家事一般
今週は傾向を変えて、ハワイアンのCDを借りることにした。

暑い夏は、暑い地域の暮らしを真似してみようと思い、まずは曲から入ってみた私である。
歌謡曲以外のCDをかけるなんて、今までの私の人生にあっただろうか。。。

歌声が入っていると、ムードが壊れるので、音楽だけのハワイアンっぽいCDを選んで、借りることにした。

そしてCDデッキを入れる。

すると、たちまち部屋はハワイアンになった。
私のもくろみ通りである。
大袈裟かもしれないが、体感温度が1~2度下がった気がする。

そして私はkekeのベッドに横たわり、ハワイアンを聴きながら目を閉じる。
あのうだるような暑さもちょっとやすらいだ、この週末は窓から風もそよいでくる。

(そう言えばこのサウンド、どこか懐かしい。。)
と思ったら、加山雄三である。
ウクレレで♪もぉしも、この船ぇで、きみの幸せみつけたらぁ~♪(byお嫁においで)とか、「あい らぶゆう~いえす あいどゅ~♪(by恋は紅いバラ)のバラードは、ハワイアンだったのか。。。(と気がついた。)

しかし、このハワイアン音楽は横たわって聴いていると、まるでプールサイドのようでもある。
家から一歩も外に出てないのに、旅気分になれる。

そして私はハワイのコンドミニアムで、料理を作る。
トントントンと玉ねぎをスライスし、サラダを作る。

その間にもハワイアンは部屋に流れ、なんくるないさー、と言う気持にさせてくれる。

kekeも部屋にやってきて、苦笑。
ゴロンとベッドに横たわり、「何もする気がなくなる」と言う。


そして私は「ウナギご飯」を作ることにした。

1.それは半額になったうなぎ半切れを買ってくる。
2.炊飯器に2合のお米とそれに相当する水を入れる。
3.うなぎを細かく切って、炊飯器に入れる。
4.ついているうな丼のタレと山椒を回しかける。
5.タレが1袋しかない時は味が薄いので、酒・しょうゆ・みりんで少々味付け。
6.スイッチを入れて炊ければできあがり。

今高いうなぎであるが、数年後には養殖物が出て値段が下がるという噂もある。
栄養価が高いので、私は700円ぐらいだったらウナギを食べてもよいと思う。
しかし、700円だとちょっとしか買えないので、こうして「うなぎご飯」にすることにした。

これは簡単な割りにおいしい。
うなぎがさほど好きでなかったkekeも小さい骨も炊飯器で柔らかくなるのでよく食べる。

ちょっとウナギ気分を味わいたい時にお勧めである。

受いれる/加島祥造さん

2013-07-21 | 読んだ本
また図書館で加島祥造さんの本を借りる。
この本は予約を掛けている人が何人もいて、こうして手元に来るまでに何ヶ月か掛かった。

この「受いれる」は前にも紹介した「求めない」の第2弾みたいな感じである。
だいたいこう言う内容ですよ、と紹介したいのは山々なのだが、表現も詩のような語り口調で抽象的でもあるし、今の自分が40年も長く人生を生きてきた方の表したものを正確に理解しているとは思えない。

この本の主軸からだいぶ離れた末端のところで、具体的にはっきり書かれた文脈があり、そこだけは思うところがあったので、メモ程度に引用しておこう。

  教会や神前で
  ふたりの愛はいつまでも変わらない
  と誓い合うのは
  大嘘さ
  愛はいずれにしても形を変える
  でも、いいじゃないか
  その時はそう思ったけれど
  いまはこう変わったんだ、と
  言えばいいんだ
  何の後ろめたさもなしにね


人の思う気持はいずれにしても変わるのだ。
と私も思う。

例えば、4年前にあんなに車が大好きで朝4時に家を飛び出してレンタカーを借りに行った自分の情熱は、今では正直もう無い。
たしかに情熱はなくなってしまったけれど、それでは車が嫌いになったかと言えば、そうではない。いつもの当たり前の通勤道路でも、季節は変わるし空の色も毎日違う。昔と形を変えたけれど、愛着はあるのだ。

人間同士だって同じではないのだろうか。
たしかに最初はあんなに情熱があったのに、それが当たり前すぎてしまって少しづつ形が変わっていくことがあるだろう。
気持が変わることを大抵の場合「悪く」解釈してしまうけれど、「落ち着いた」と考えて、そこからどう舵を取っていくか、お互いに考えたり話し合ったりすれば良いのではなかろうか。

けれども、「二人の愛情が変わらない」ことが誓い=正しいと考えると、「落ち着いた」ことを「情熱がなくなった」みたいな捉え方になってしまうことが時としてある。変わっていくことが許せなくなる。
しかも自分が変わっていることはあまり見えずに、相手の変化だけが見えてくる。そうすると今の自分達の立ち位置が悪いような気になってしまう。これは残念なことだ。

人の気持は変わっていくのが、当然なんだ。
これを前提にすれば、どうせ変わるなら悪くではなく、よく変えて行くためにこうしましょう、ああしましょう、と言う前向きな姿勢になれるような気がする。それの方がはるかに有益ではなかろうか。(もっともそうなるには双方でこの愛情を保ちたいという気持がある場合に限られるけれど。)

この加島さんの「大嘘さ」と言う切り方がうれしかったので、本題から離れた末端のところだったのに引用してみた。


生きていれば、思いもよらない穴に落ちることが何度かある。
どうしてもこれたった一つだけは、と願うことが叶わないこともある。

でもそこで悔やまない。
受いれる。
流れてくることに理由を求めない。自分にも他人にも求めない。

私はいっぱい失敗をした。
結婚もそうだし、子育ても口には出さないけれど、私の考え方や思い込み方で間違いがあったな、と思っている。

でも流れてくることに理由と求めるのをやめようと考え始めてから、少しづつ変わった。
人のせいにしないようにしてきたら、自分にも理由を求めなくなった。

ハッキリ「私が当時悪かったな!」と思えるのは、自分が好きになったからなんだ。
たしかに誤ってしまったのだけど、その時は一生懸命真面目に考えてそうしてた、そんな自分をも受け入れようと思っているのだ。

私はひとりぼっちだ。
結婚も2度も失敗してるし、子供もよその子のようには就職していない。
「あの人失敗ネ」と指差す人もいるだろう。

でも内心はこう思ってる。
そういう指の差し方をしてしまう人より、いろんなことを経験して考えてここまで来たのだから、私はそういう一方的な見方はするまい、と言う自負がある。

同じようにkekeに対しても自負がある。
私がこうやって考えてきた同じ時間を、同じようにあの子はあの子なりに別の何かを考えてきたはずだから、それなりのものを積んできてるはずだ、と。

だから私は口では「失敗です」と言いながらも、本当の失敗なんて誰にも分からない、と思い切ってるのだ。
それが私の「受いれる」なのである。