きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

イクラが10倍返し

2012-10-31 | 今の会社
昨日は見切スーパーに行ったら、鉄火巻きやサーモン丼、イクラまでもが半額半額で、大漁であった。

時間も特に狙ってない。
こんな日があるなんて、私はうれしかった。

冷蔵庫の冷凍室にはkekeが帰りに買ってきた冷凍ポテトが入っているので、私はそれを揚げることにした。
だったら、もう1品おかずがほしいよな、と思って豆腐ハンバーグも定価で買って帰った。

kekeに今日はいろいろ大漁だよと言うと、「こんなに買ったら結局一緒じゃん」と言いながらも、冷凍ポテトが揚がっているのを見て喜んでいた。


そして二人で半額見切の寿司と、残りご飯とポテトや豆腐ハンバーグを食べた。
「イクラはもったいないから明日会社で食べよう」と私は思った。(kekeはイクラは食べないのである。)

翌日の朝、ご飯をチンし、昨日のスープの残りをスープ弁当につめ、私はイクラ定食にワクワクしながら会社に向かった。

が、アクセルを踏んだ時点であることに気がついた。
イクラはギリギリまで冷蔵庫に入れておこうと思って、そのまま冷蔵庫に置いてきてしまったのだ。

しかし、今日も遅刻ギリギリの時間だったのでそのまま会社に向かった。
家に戻っていたら5分は間違いなくオーバーしてしまうからだ。


私は会社についてから課長に、かくかくしかじかイクラを家に置いてきてしまいました、と言う漫談をして、笑いを取った。
(どうせ同じ失敗なら、せめて周りの人の笑ってもらおう。)

課長は今、書類作りに忙しく、しばらくすると半ば申し訳そうだが断れないような言い方で「sakeさん、手伝えるかな?」と言うので、いいですよと元気に言うと、「これ、差し替えをしたいので、コピーを取ってほしいんだ。」と言う。

はいはい何でしょうと思ったら、いつかの大量のマニュフェストがそこにはある。
「これ、つづりの一番上だけでいいから」なんてことを言う。

私もアホじゃないから、いったいこの前のコピーの何が悪かったのかを探る。
よくよく比べて見てみると、課長のハンコが抜けていたのである。

まぁ私は人には要求しない人間になったのさ。。。なんて事を思いながら、私はまたもっぱらコピーを取った。
(前回のように4枚つづりの各ページでは無く1ページだけだから、大したことではない。)


そしてお昼になり、じゃぁ私はイクラの代わりにコンビニでコロッケでも買って来ます、と出て行こうとすると、課長が「sakeさん、これでチョコレートでも買って」と、なんと!そこに見えるは1,000円札!!(^O^)/
私はたちまち元気になり、「いっぱい買って来ます~」と出て行った。

実は昨日も二人で書類作りをしていた時に、私はお腹がすいたので、コンビニで「チョコフレーク」(買うのにいろいろ迷ったけど)を買って、課長にも少しだけ分けたのです。
それがこんな形で10倍返しになって返ってくるとは・・・あぁシアワセ~~^^/

これからもっともっと、人のためになるように優しいsakeさんで居ようと思うのでした。(1000円のお菓子による誓い)

ちなみに私が買ったのは、
・ハッピータン250%パウダー(105円の小袋)←普通のがなかった。
・サラダせんべい(2枚入りが何袋も入ってるやつ)←みんなが食べる
・アーモンドチョコの甘さひかえめ版←私が好き
・クランキーの105円の小袋
・プリングルスのポテチ(小さい筒の)pontaポイントがつくから。
・わさびの柿の種(100円ぐらいの小袋)←1つ変わり種
・歌舞伎揚げ←みんなが好き
・ローソン仕様のえびせん(105円)←量の割に安い

その後でnanuさんが帰ってきて「誰が買ったお菓子?」と言うので、「課長に買ってもらったんですよ。」とわざと喜ぶ私なのだった。(←なにげにイヤミ)


▲昨日のポテトと豆腐ハンバーグ。
 買ってきたお惣菜でもお皿に乗せると手作り風・・・?

「買う予定」を楽しむ倹約術

2012-10-31 | 私の倹約術
私は柴田トヨさんの「くじけないで」と言う詩集をもう一度読んでみた。

96歳のトヨさんが時々1人で涙をこぼしているシーンがところどころに出てくる。

私は96歳になっても涙を流す、と言うのが驚きだった。
(と言うのは、そのぐらいの年になればもう何が起きても泣くようなことはないと思っているから。)

そしてその理由ははっきり書かれてはいないのだが、私はおそらく「ひとり暮らしが淋しいのではないか?」と推測した。

陽だまりが窓から差し込んでくると「一緒におしゃべりしましょう」と書いていたり、またある日は「私ほんとうは」と一行書いて涙を流してしまうが、遊びに来たコオロギさんに「明日は笑顔で待ってるからまた来てね」みたいなことを言っている。
そして月に1度息子さんが訪ねてくるに至っては、とてもの幸せぶりである。

私は勝手に「トヨさんは本当は息子さんともっと会いたいのではないか」と推測した。
でも、決してそうは言わない。
日曜日に会いに来た息子さんに「心配するな、仕事をしろ」と言ってみたりするのである。
(ここらの辺りは原文どおりではなく、あくまで私の妄想である。)


思うけれど、言わないのだ。
(昨日のririさんのコメントにヒントあり。)

私は今まで「執着しない」とは「思いをなくすこと」だと思ってきた。
思わないようにするにはどうすればいいのだろう、と考えてきた。
そうじゃなくて、思ってても、それを人に言わず守ればいいのか。

いろんな思いを持っている自分は、それでも自分を見失わないで生きていけばいいのかな。
人が何をしていても、自分を見失わずに生きていけたら・・・。
それだったら、これからちょっとできそうな気がする。

変えることは頑張って何かを手に入れてくることだと思っていた。
車の練習もそうだし、資格試験もそうだった。
これが足りない、あれが足りない、それを埋め合わそうとしてきた。
頑張れば変わる。だから、頑張らなければいけないと思ってきた。

それも間違ってはいないけれど、そうじゃないことも同じぐらいいい。
ましてや、人を頑張らせる事は。。。。

さぁ、そんな風に考えるようになってきた私に、周りの誰が気付くかな?!
(見た目は変わらないか・・(^o^)↑)


今週のお楽しみは手帳を買うこと。
先週から近くの店はあちこち覗いた。

最近図書館でよく借りる金子由紀子さんの手帳も昨日見たし(部屋が片付けられるかしら?)、李家幽竹さんの風水手帳(毎日のラッキーポイントが書いてある)のも面白そう。

でも、もうちょっと表紙がカラフルでカワイイみたいなのが今の私のモード。
それを取り出すだけで、何か今日も楽しいことがありそうでワクワクできるようなのがいい。

ピンクのキティちゃんのシステム手帳もいいのではないか?と思ってる。
それもバリバリ仕事してます的にいろんな予定を書いて(雑用はいっぱいある)、アドレス帳にも会計事務所や役所、労基署をちょっと書いてみると「あぁ私仕事してるんだわ」と言う充実感も増すかもしれない。
しかも中身を取り替えれば、途中で挫折しても来年また使える。

でも、やっぱり買わないかもしれない。^^;←無くて今年も不便じゃないし。
ただこうして買おうかなって、手に入れるまでの買う予定があるのが楽しいんだよね、私って。

むしろ、最近のマイブームはこうして「買う予定」をわざと作ってみて、それを長らく持続させることなのダ。ははは。。。
(これだけで楽しめることは節約にもつながると思う。)

求めない

2012-10-30 | 読んだ本
日曜日に母のひざの痛みを思い出し、親からの愛情を思い出した。

信じられないことだが、それから腰の痛みはなくなってしまった。

私はびくびくしながら、ズボンを履いてみたり(立ちながら履く行為が結構キツイ)、湯船からおそるおそる立ちあがってみるけれど、痛いことはない。
中二日あけた昨日は、行動はほとんど通常通り。今日になっては少々走ることすらできている。

物理的要因はいろいろあるのだろうけど、(早くにサポーターをつけたこと、医者から湿布薬をもらって貼ったこと、土日はほとんど安静にしてたこと等)、私はこれはきっとご先祖さんのプレゼントにちがいないと思うことにした。
だって、そう思った方が楽しいもの。


図書館で借りた本はこの2冊。

●求めない(加島祥造さん)

●くじけないで(柴田トヨさん)

柴田トヨさんの本は泣けた。
どの詩だったんだろう。

その後で、この本が有名な詩集であることを知った。
淡々と1人で語っているようで、自分が励ましてもらったような気持になるのである。


私は数年前のある日、悩みを人生の先輩に相談した時に、「なんでそこに執着するの?」と言われ、それ以来自分の「執着」をずっと考えて来た。
ある時は車をかっ飛ばしてみたり、試験を受けてみたりした。

でも、結局その方法では執着は消えない。
それは目先だけをどこかに変えようとしているだけだからだ。

執着しないと言うことは「求めない」と言うこと。。。

この詩の「求めない」は人生の先輩から聞いていて、検索もかけてだいたいの内容を知っていたけれど、まえがきを読んでハッとした。
人は求めやまないものなんです、と言うようなことが書いてある。

もともとが求めなければいられない人間の性。
その執着から開放されたい。
その方法を私はこれから探したい。

見つかるかどうかは分からないけれど、いつも頭の片隅にあれば何かの足取りは見えるかもしれない。

あの日あの時懐かしい時

2012-10-29 | 父の記録と母の思い出
昼間図書館だけ行こうかな、と腰を上げて行ってきた。

この腰痛も何回も経験しているだけあって、サポーターはすぐつけたし、昨日1日ゆっくりしてたのも良かったのだろう、もうゆっくり歩けば大丈夫だろうと思われた。

しかし、階段を登るにつれて「やっぱり階段はちとキツイ」と思った時、亡き母の事を思い出した。

母はひざが悪かった。
けれども、私とkekeに会いに両親は時々訪ねにきてくれた。
団地は、エレベーターが無い最上階であった。。。

(あの時の母のひざは、今の私の腰のように痛かったのだろうか。)
ひざが痛いと言いながらも、いつも笑顔で階段を登ってきてくれたこと。

会えてうれしいばかりで、そんなこと今まで考えた事がなかったよ。。。


私は今、こうして1人で、周りには助けてくれる人など誰も居ないように思うが
振り返れば、母に父にしてもらったこと、山のようにあり
おそらく、当時は他の人よりもいっぱい愛情も物も与えれていた。

そして、かつて得られたその愛情は、今の誰をもってしても、
ひっくり返すことも、裏切ることもできない、100%確定。
ただ、それに今まで気付いてこなかっただけ。。。

それを誇りにしていこう。。。

私は昔、いっぱい両親にもらえて生きてきた。
そこで一生分もらったのかもしれない。
もうもらえることではなく、与えることを考えていこう。

小さい人間関係だけど、kekeにも会社でもできることはまだあるはず。
ひがむことは無い。
その分を両親からたくさんもらえてきたのだから。

今回の腰痛は、それを教えてくれるものだったのかもしれない。
掃除をしてたから、神様からプレゼントが届いたのかしら。
(私の中ではそう言う事にしておこう。)


kekeがバイトから帰ってくるのに合わせて、おにぎりと豚ドンを作ることにした。
昨日整形外科にあった雑誌で見た、手まりおにぎりである。

雑誌にはレタスを巻いたり、サーモンやチーズを巻く、色とりどりのアイデアがあったが、これ以上歩くのもためらわれ、冷蔵庫を見ると、kekeの買った牛肉があるので、ふりかけを混ぜたご飯にこれを巻いて焼こう!と思う。

しかし牛肉が厚手だったため、フライパンで見事に分離し、焼肉のタレをまぶしながら肉を焼いて冷ました後ラップで丸くするはずが、ネギは散らばるわ、悲惨な状態になっている時にkekeが帰ってきて、「やぁこれ、昨日雑誌で見た手まりおにぎりだよ、一応・・・」と言うと、kekeが見るなり「うまそう!」と言う。

(え?!(+o+)これがうまそう???)
       ↓


kekeの美的センスに戸惑いながら、おいしくおにぎりと豚汁を食べた。。。

夜はkekeが買ってきた半額サンドイッチに、焼肉は60円だったと言って豚のタンを買ってきた。
(タンって舌だよねぇ。。。)
私はその手がどうも苦手で、でも何も言わずに焼いていると、kekeが代わりに焼くからTVを見たら?と言う。

なんでー?と思ってTVを見ると、明菜のヒット曲のオンパレード!◎◎
あの日あの時懐かしい時。
TVの前で正座して釘付けで見ている横をkekeはパクパクご飯を食べている。

おぉー2回しかカラオケ行って無いのに、よく私の好きな曲を知ってるじゃないのよ。(^o^)丿
そうなのだ、そうなのだ、私は明菜が好きなのだ。
TVに出てるマツコも女性陣(島崎和歌子や友近や北陽ほか)も「こんな歌も知ってるの?」と言う歌を口ずさんでる。
みんな明菜ちゃんが好きだったんだねー

それにしても、久しぶりに三浦靖子を見たらやせてきれいなので、驚いた。
またついつい最後まで見てしまった。。。
(寝てばかりいるから具沢山。。。)

お菓子総選挙

2012-10-28 | 巷の話題
昨日は、心行くままにゴロゴロした。
何ヶ月か前に買った「雑学の本」を読んでみたけど、あまり面白くなくて、放り投げて昼寝をした。

夜になって冷蔵庫の中を覗きながら、「焼きそばでも作るか。。」と思っていたら、kekeが来て「コタツを300円で組み変えてもいい」と言ってきた。「20分ぐらい掛かるからそのぐらいが妥当だろう」と言う。
バカ言え、それなら毎日の夕食代、洗濯、全部手間賃払ってくれ、と言うとブツブツ言いながら組み立てた。
そして私は焼きそばを焼いた。

片方はソース焼きそば、片方は一昨日の残りの野菜炒めをリメイクしたあんかけ焼きそば、kekeは昨日のナポリタン弁当をチンして、それが夕飯である。
kekeに「ビール買ってきて」と言うが、「冷蔵庫にカクテルがあるだろう」と断わられた。
「買い物行かなくて済んじゃったね」と二人で食べた。

kekeが部屋に戻ると、本を読む気にもならなくてTVをつけた。
こうして気がつくと、本を読むと言う行動は、私の場合健康と連動しているのかもしれない。
もっぱら読むものが「今したいこと」がメインなので、借りてきた本は今週は家の片付けの本ばかり。

TVでは「お菓子総選挙」と言うお菓子のベスト15を決める番組である。
お菓子の製造過程や、プチエピソード等も語られていて、お菓子がランクインされるとメーカーのお偉いさんがぬいぐるみを着たマスコットと総立ちで喜ぶのである。

そして、私は自分の好きなお菓子が入るのをワクワクしながら見守っていた。

ハッピータンもスナック菓子で5位ぐらい(?)に入った。
ハッピータンは製造工程まで流れていて、あのハッピータンの白いパウダー(それはハッピーパウダーと言う名前らしい)はより味がしみるようにせんべいに筋が入っているそうである。

ハッピーパウダーがよくしみているハッピータンと、そうでないハッピータンのバランス、また1枚のハッピータンでも端によりパウダーがしみている辺りが「もう1枚食べたい」と思わず思ってしまう大きな理由もあのふりかけ方にあるのだろう。
個人的にはハッピータンがカール(3位)に負けているのが疑問だが、ハッピータンを知らない世代(年寄り)がいるのかもしれないと納得することにした。
(ちなみに1位は亀田の柿の種)

チョコレート部門では、きのこの山が7位で、たけのこの里が5位なのが納得行かない。
どうして逆ではないんだろう。
きのこの山は最初にチョコレートを心行くままに堪能し、その後にビスケットと言う二度楽しみがある。たけのこはチョコレートをなめきるうちに、ビスケットもどうしても食べてしまう。しかもビスケットも生地が歯につく生地のような気がするが、どうでもいいか。。。

何か物足りない物足りないと思って考えたいたら、チョコレート部門に「クランキー」が入っていない。
あれが入ってないのはゼッタイおかしいと思い、またまたいろいろ考えたら「パイの実」も入ってない、どうしてチョコボールが入ってないのだろう、と思っていたら、ロッテと森永のメーカーの菓子は一つも入ってない。
作り手側の問題なのかもしれないが、ベスト20にして、名前だけは出してほしかったように思う。

なのでビスケット部門でも、マリービスケットが入っていないのは残念だった。

これを見ていたら、だんだんお腹がすいてきて、しかし観る前に歯をみがいてしまったので、食べるのを我慢した。
その後TVは消したけど、昼寝をしすぎたので夜は何時間も目が冴えたまま起きていた。

夜はろくな考えが浮かばないことが分かった。

昼間言われた些細なことがとてつもなく大きくなってしまったり、夜起きていて誰かと話ができれば良いのだけど、ひとりで何もする事も無く目を開けていると、楽しい考えは浮かばない。
夜は眠る事によって、昼間の出来事をリセットしていくのかもしれない。

昼間ほどほどにするべき事があって、夜ぐっすり眠れる・・・。
それだけでも、幸せなことなんだと今日は分かった。

腰椎捻挫

2012-10-27 | 健康とか病院とか
整形外科の先生の所に、かくかくしかじか、いつかお伺いしたのが5年ぐらい前、それから4回ぐらいこのような状態になりました、と説明すると、カルテを見ながら「2008年、この時ですね」と言う。「フローリングの床で寝て起きようとしたら、急に腰が痛くなったと書いてあります。」

「はぁそうです、それから4回ぐらいこのような感じで腰が痛くなるのです。」と言うと、「毎回この程度ですか?」と言うので、「こんな感じです」と答える。
そして、腰を押して「ここが痛いか」「ここはどうか」と調べてもらい、レントゲンを撮ってもらったところ、「骨に異常は見られません」と言うことである。

「これはギックリ腰ですか?」と尋ねると、「ぎっくり腰とは医学用語ではありません」と言われ、「腰椎捻挫か弱いヘルニアの可能性もありますが、腰椎捻挫と考えていいでしょう」と言い、「ヘルニアはレントゲンでは厳密には分からないのですが、この程度ならまた良くなるので安静にして様子をみましょう」と言う考えのようである。

「どんな予防法がありますか?」と尋ねると、引き出しから「腰痛体操」と言う紙を取りだして、「良くなったらこれを少しづつ試してみてください」と言うことである。

そしてまたシップ薬をもらって帰ってきた。
やはりこうなのだ。

私はシップ薬を数日使い、残りは次回に備えて大切に保管しておこうと思う。
先日棚の整理をする時に、このシップ薬を捨ててしまったかもしれない。
それはうかつだった。
マジックで「ぎっくり腰!」と大きく書いて、棚の奥に入れておこうと思う。

昨日kekeに足腰が冷えるから、明日でも良いからコタツを出してくれ(と言うか今のちゃぶ台の足をコタツ用に組み変えてくれ)と頼んだのだが、あっさり断わられた。
「それなら布団に入ったままご飯を食べればいいのでは」と言う。

「そうしたら布団が汚れるだろう」と言うと、「コタツでも同じでしょ」と言い、自分はバイトに疲れて帰るからそんなのヤダと言う。

コタツコタツと言うが、足を組みかえるなんて30分も掛かるようなものではないじゃないか、あとコタツの布団を掛けるだけだろう、腰さえ良ければ自分でやるのにできないから頼んでるんじゃないか、前回は私がやってたはずだよと言うと、いいや、この前は自分がやった。この(移動した)ベッドの前でやったんだから間違いない、とそう言う所だけ偉そうに言う。

そして生きているのがツライと言う。

またそれか。
何かやりたくない事が起こるたびに「生きているのがツライ」。
それに関わるキーワードが無かっただけで、私から見ると「ツライ」と言うハードルがバイトを始めた事によって、さらに下がったような気さえする。

「物事は悪い方を見るか、いい方を見るかの違いだよ」と言うけど、分からない。
分かるわけは無い。私だって最近若干分かったぐらいなのだし、悪い方悪い方に溺れていくのも、一つの生きる戦略、期待がなければ裏切られない。考えは自由だ。

今回、考えたことは「コタツを組み変えてくれ」「やだ」
そこで、話をストップさせることだ。
なんで?どうして?私は腰が悪いのにではなく、「やだ」「あ、そう」

相手がしたくないことをさせようとする所に間違いがあるのだろう。
期待をなくせ、望みを持つな。

コタツがほしければ自分でしろ。

忘れた頃にぎっくり腰

2012-10-26 | 健康とか病院とか
あぁ、忘れた頃にやってくるのはギックリ腰。。。

もう何度目になるのだろう。
数えるのも分からなくなる程になった。

ブログによると最後になったのはおそらく1年半前のこの時だろう。
だんだんこれも日常化しつつある。

今回はさすがに下半身の冷えを疑ってみた。
今朝も朝、台所に靴下だけで立ち、皿を洗っていたが、なんだか足下が寒い。
これはマットを敷いた方がいいなぁと思った矢先である。

今月イイ気になってまだスカートをはいて(でも足はタイツにしてたが)いて冷えたのだろうか。
これはジバラでも足下ヒーターを買った方がいいだろうか。

最初は洗面所で急に立とうとした瞬間「あれ?」と思って、あぁたいしたことないや、と思って車を運転して会社についたらいよいよ辛くなった。
ギックリ腰はどうやら、だんだん重みを増してくるらしい。

また今回もヨロヨロ椅子に捕まりながら立ち上がっているが、案の定、誰も気にとめることはない。
(というより、事務所に誰もいない。)

今となっては朝のいろんな出来事が走馬燈のように浮かぶ。

例えば、朝風呂につかって腰を温めれば良かったとか、厚手の靴下をもう1枚履けば良かったとか。
他人の結婚願望にケチをつけた罰当たりかもしれないとか。

しかし、なるものはなった。
今考えることは、できる限り早くこれを治して元の体に復帰したいのと、二度とこのような事が起こらないように考えよう(お金は掛けずに)と言うことである。

明日は幸い土曜だ。
腰を休めるべく、横になろう。

乳ガン検診・子宮ガン検診に今から申し込もうと思ったが、余計に歩く気がしない。
明日、部屋の片づけ・父の面会もできないかと思うと残念である。

手帳さがし

2012-10-25 | 日記
そんな私は「来年こそ、スケジュールを手帳に書こう!」と手帳売り場に足を運んだのは先週末からである。

あちこちに行っているから、いろんな手帳を見てきた。
手帳の世界もピンキリで、月の予定だけ書ける薄い手帳から、日記や家計簿も書けるものまでいろいろあった。

私は「書くこと」が好きなせいか毎年この時期になると手帳売り場行ってしまう。
そして、片っ端から手帳を見定める。

2~3年前に「これは!」と思ったのが、月の満ち欠けが毎日書いてある手帳である。
月の神秘に魅入られた私は、ほぼ「買ってしまおうか」と思うぐらいに手は伸びていたが、その寸前で止めた。
何故なら、手帳に書くほど予定が詰まってないからである。
それからkekeの学費とかで物入りだったせいもある。

今年、手帳売り場を幾つも歩きわたって、あの手の「月の手帳」が何種類も発売されていることを知った。
私が「お!」と思って手を伸ばしたように、あれを買った女性(だと信じたい)が多かったのだろうか。

やはり、女は太陽より「月」なのではなかろうか。
(そうとは限らないか。。。?)
あの月の神秘さには母性本能をくすぐる何かが潜んでいるような気がしてたまらない。

今年は更に月の満ち欠けにとどまらず、自分の月が何座に位置するかを判定してくれる西洋占星術を網羅した手帳があったり、風水占い師さんの「何年生まれの人は○○がラッキー」と言う内容が毎日書いてある手帳もあった。
その他にも、願いが叶う手帳、「男にモテるコツ」anan編集の手帳、歳時記の手帳・・・・見れば見るほど、だんだん分からなくなって行った。

いったい私は何を書きたいのだろう。。。
月の予定が掛けて、できれば写真なんかも切って貼れて、カバンに入るぐらいの大きさで、かわゆい手帳。

頭の中をいろんな手帳が回っていく。。。
もしかしたらそうではなく、決まったアドレス帳があり、他にカレンダーみたいな予定が書ければよいのでは?それだったら、システム手帳なんてどう?と思っても、入れ替える中身ばかりで外の表紙がどこにあるのか分からない。

いったい私は何が書きたいんだろう、何が。。。。
あぁそうだ、ただ「仕事をしてます」と言う自己満足感がほしいだけなのかもしれない。

そして私は孤独だった。
例えば、あとで一緒に「あぁそんな事もあったよね」と言える相手がいるならまだしも、自分1人でそれを開いて「あぁ懐かしい」と感慨にふけるとは思えない。(そんなヒマがあったら、次に何をしたいかを先に考えるだろうから。)という事は、その今、何の予定が入っているか分かるだけでいいんだよね?
でも、それだけじゃ卓上カレンダーでいいんとちゃう?


グルグル悩み考えた挙句に、私は何も買わずに帰った。
時計は8時半を過ぎていた。

家に帰るとkekeが居ない。
そんな事はこの1~2年あった試しがない。
あまりに遅いので1人で食事に行ったのだろうか。
携帯を鳴らしても返事がなく、しばらくぼんやりしていると、玄関が開く音がした。
「ネギトロが半額だから買ってきた」と言う。

バイトが終わって昼飯を買いに行った時に昨日付けのネギトロがたくさんあったから、きっと夜になったら半額になっているだろうと思って、買いに行ったと言う。
案の定半額がたくさんあって、2パック買ってきた、と言う。

kekeと二人でネギトロ丼をパクパク食べた。
「実は手帳を買いに行って、いろいろ見たけれど、買うのを止めた、なぜなら予定が手帳に書くほど無いから。」と言うと、kekeが「虚しいね」と言った。

でも、だから毎日したい事が気ままにできるのかもしれない。
これはこれでいいことなのだ、そう思うことにしよう。

それから、手帳は無印良品の手帳を買うことにしよう。
自分で日付を入れるカレンダー式の手帳だけど、たしか100円ぐらいで買えるはずだから。

子供がほしいから

2012-10-25 | 母子家庭だから思うこと
nanuさんの弟夫婦の子供がもうじき生まれるという。

「それじゃ、もうじき【叔父さん】ですね!」と半分冷やかすと、「それ以前にオレは【父親】だ」と否定する。
(nanuさんには顔もほとんど見ないまま別れて暮らしている息子がいるのである。)

ここから先はnanuさんの愚痴なのだが、その弟夫婦が出産後しばらくは大変なので嫁の実家に居候することになったそうである。(1年ぐらいではないかとnanuさんは言う。)

「だから、その間に運びきれない荷物をオレの家に置いておいてくれと言うんだな。」
「はい。」

で、オレは来月家でイベント(分かりやすく言うと合コン)を2つ3つ計画しているそうである。
それで急遽、その荷物が邪魔になったそうである。

その辺りから私の相槌も「はぁ。」と言うものに変わって行き、(はぁ、また女探しですか)と言う印象をぬぐいたかったのか、nanuさんは「オレも子供がほしいんだ。」と言うので、「子供は会えないだけでいらっしゃるのでは?」とはハッキリ言わずに「お子さんにそのうち会えるといいですよね。」と言うと、「自分で育てた子供でなければ。」と言う。

「子供がほしいから結婚したい」と言う女に違和感がないけれど、同じ事を言う男に違和感を感じるのは、変かしら。

Aさんに言うと「そういう事は突き詰めて考えるコトじゃないよ」と言い、「今から生まれても二十歳で60だぜ、大変だよな」と言うので、やっぱりそんなことなのかしら、と私は思う。

私は「自分で産んで自分が育てた」と言う意識が強いだけなのかもしれない。

最期のグラスキャット

2012-10-24 | 今の会社
いつものようにエサをあげていると、1匹様子がおかしいグラスキャットがいる。

尾びれはちぎれてほとんど無く、体もヨレヨレ。
だいぶ弱っているようだ。

私はわざとそいつの真上からエサを入れ、少しでも食べてもらおうとしたが、入れれば他の魚がワッとやってきて、そのグラスキャットはその勢いを避けるかのように逃げてしまう。

ちょっと前にもこう言うことがあった。
その魚は間もなく死んだ。
もうたぶんダメなんだろう。
食事する元気も無いのかもしれない。
(それでもエサの方向に体は向こうとしているようにも見えるのだが。。)

こう言う状態になった時、魚も「死期が近づいてきた」と思うのだろうか。
もしかしたら思うのかもしれない。

その時はどんな気持ちなのだろう。
そこにあるのは満足なのか、安堵なのか、悔いなのか、心配なのか。。。
それとももういちいち考えることはないのだろうか。

死ぬ前の最期にヨレヨレの姿はいたたまれず哀しい。
でもきっと、「死ぬ」と言うことがそう言うものなのだろう。

いつか私もその姿を息子に見せることになるのだろうか。
自分なんてどうでもいいと思うけれど、それを想像すると胸はキュッと痛い。

でも、生まれて来たことは悲しいことばかりじゃなかったよね?

何の変哲もない今の暮らしだけど、今を大切にしようと思う。。。。

あの父があの頃ああだったって事が今の私の元気につながるように、今の私の姿がずっとkekeの心には残るはずだから。