さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

安岡章太郎『カーライルの家』

2018年04月08日 | 
 今日は朝から部屋中を引っくり返して捜し物をしたのだが、結局みつからず、午後から用事があったので職場に行って、戻ってきて夕方になったから、まず缶ビールならぬ発泡酒の350ミリリットルをひと缶あけ、続けて出羽桜の辛口を冷蔵庫に冷やしておいたのを出してきて湯呑に注いで飲み始めたと思ったら、手がぶつかって引っくり返した。それがたちまち足元の本や紙類の上に降り注いだのをあわててタオルで拭くやら何やらしているうちに、自分がいま何を考えようとしていたのだか、忘れてしまった。

 それまで読んでいたのは、安岡章太郎の『カーライルの家』という本で、これは古書で五一〇円也。例によって適当に拡げたところから読み始めたので、中身はどうでもよかったのだが、読むうちに粛然として来て、酒なんぞ飲んでいる場合ではなくなった。引いてみようか。

ここで小林さんの「満州の印象」に戻るが、満蒙開拓青少年義勇隊孫呉訓練所、この「どうしてかういちいち面倒臭い名前を附けるのだらう、と訝しい」訓練所を見学に行った折の印象は圧巻である。
「孫呉の雪野原には、未来の夢を満載した十六から十八の少年の千四百名余りの一団が、(中略)満州ではじめての冬の経験をしている。」ところが、これを指導する幹部にも、満州生活の経験者と呼び得る人物はなく、「天地乾坤造りとかいふ小屋は、夏が近づいてみると、湿地の上に建ってゐた事が判明し」、準備の整わぬうちに冬が来てしまったという状態だった。そんななかでつい最近、一人の少年が亡くなった。ペーチカが燃えないのに苛立ち、ガソリンを掛けようとして、抱えた缶に引火し、焼死したのだという。

 事件は簡単だが、無論その原因は、少年の無智などといふ簡単なものにありはしないのだ。ぺエチカの構造、薪の性質、家の建て方、生活の秩序と、果しない原因の数を、僕は追はうとしたのではない。凍った土間に立ち、露はな藁葺の屋根裏を仰ぎ、まちまちな服装で、鈍い動作で動いてゐる、浮かぬ顔の少年達を眺めただけで、僕は、この事件が、まことに象徴的な事件である事を直覚して了ったのである。

 ※安岡の引用では促音の「つ」は「っ」に直されているので、私のまちがいではない。念のため。

 小林さんがこう書いた数年後に、私自身、孫呉に軍用電車で向う途中、訓練所から引っ張り出されたらしい少年たちを見ている。十七、八歳の少年が、満州の雪原をポツリ、ポツリと一人ずつ、子供の体には明らかに大き過ぎる三八式歩兵銃を持たされて立っていた。(略)
われわれより何歳か年下の少年兵はけなげに、一人でポツン、ポツンと、長い満鉄沿線にほっぽり出されて、おそらく前後千メートル近くも離れて一人で立っている。その姿は、恐ろしく孤独なものに思われた。

 こういうものを読むにつけ、戦前の日本を賛美するような人たちは、同じ目に合って見ろ、と言いたい。そうして、この少年たちの無念は、最後まで語り継がれなければならないと思う。

 私は昭和十六年前後の「朝日グラフ」を何冊か持っている。そこには、ここで「ほっぽり出されて」と語られているような少年たちの姿が、繰り返し「いきいきとした姿で」写真に写って掲載されているのである。今見ると、労働にいそしむ人々の姿や少女たちのマスゲームの写真などは、何となく今の北朝鮮風である。全体主義というものは、外見が清潔でいきいきとしていて美しく見えるイメージを多用するものなのだ。戦前の日本にいたような、無欲で公に身をささげようと念ずる心のきれいな人たちが現代の北朝鮮にはたくさんいるのだろうと思う。その人たちを戦争の悲惨に叩きこもうとするような言説は、天につばきするようなものだと私は思う。あれは戦時中の日本の似姿に他ならない。


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