小林勇は、日本人が本当のうまいものを食べることができた時代の人である。どれも随筆の一篇ごとに自分で描いた絵を配して、交流のあった数多の文化人のエピソードを織り交ぜながら、話題は食べ物を中心にして何やら懐かしい文章だ。そうして、「食通」とか何とかいう人のような語り口は微塵もない。雉酒で御機嫌になった露伴先生の話がある。「貧乏人」の食う美味いてんぷら蕎麦の話がある。こんな本が、古書店の百円棚にあるんだからなあ…。引いてみよう。
ひとを愛する時は「たべてしまいたい」という。ところで牡丹の花はたべて、好ましいものだ。大輪の白い牡丹の散る前に花弁だけとって熱湯の中をさっと通し、すぐ水に放す。冷えたら静かに出して、二、三枚ずつきれいに重ね、白磁か染付の皿に、河豚の刺身のように美しく並べる。紅い花弁を二つ三つ飾りに入れると美しい。少量の塩を入れた日本酒と酢半半の二杯酢をつけて食う。ゆで過ぎたり、手荒く水をしぼったりして、くしゃくしゃにしては駄目だ。豊満の花一個は三、四人のたべるに適した量となる。「多きは卑し」だ。正倉院の美女を連想してたべるのもしゃれているではないか。 「牡丹を食う」
名文である。機会があったら、若い者に筆写させてみたい。そういう教育法もある。本書は、昭和五十三年刊。牡丹散つて、昭和も遠くなりにけり、ということだ。
ひとを愛する時は「たべてしまいたい」という。ところで牡丹の花はたべて、好ましいものだ。大輪の白い牡丹の散る前に花弁だけとって熱湯の中をさっと通し、すぐ水に放す。冷えたら静かに出して、二、三枚ずつきれいに重ね、白磁か染付の皿に、河豚の刺身のように美しく並べる。紅い花弁を二つ三つ飾りに入れると美しい。少量の塩を入れた日本酒と酢半半の二杯酢をつけて食う。ゆで過ぎたり、手荒く水をしぼったりして、くしゃくしゃにしては駄目だ。豊満の花一個は三、四人のたべるに適した量となる。「多きは卑し」だ。正倉院の美女を連想してたべるのもしゃれているではないか。 「牡丹を食う」
名文である。機会があったら、若い者に筆写させてみたい。そういう教育法もある。本書は、昭和五十三年刊。牡丹散つて、昭和も遠くなりにけり、ということだ。
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