さいかち亭雑記

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嶋岡晨「一つの家具」

2018年05月20日 | 現代詩
嶋岡晨「一つの家具」      『弔砲』平成十三年 獏の会刊

 最近のさまざまな報道を見ていると、これはなかなかぴったりと来る詩なので、引いてみよう。

一つの家具   嶋岡晨

椅子がつぎつぎに 待っている
かける人びとを しかしどの椅子も
腰をおろしたとたん 崩れるのだ
汚れに敏感な雪のように

ときに 椅子は
たちまち人をかき削る
製氷器のように
氷いちごだ! 溶けやすく
椅子は 人事だ 奪われやすく
――まれに 強力接着剤がぬってあり
一生くっついて 離れない

だれも電気椅子とは呼びたがらない
が 似たような場合が しばしばだ。

  ※   ※        
 椅子に坐った瞬間に崩れる椅子というのは、なかなか意地が悪い椅子である。「汚れに敏感な雪のように」というのだから、椅子は「汚れ」がいやなのである。あんたなんかに坐ってほしくないね。汚れた不潔な人間に敏感な椅子だ。この椅子は良識が豊富なのか、それとも潔癖症?

 二連目は、もっとすごい。「製氷器のように」坐った人を削ってしまうのだ。葉山嘉樹に『セメント樽の中の手紙』という小説があったが、あんなふうにセメントになるのではなくて、「氷いちご」にされてしまう。これは、長時間労働のはてに過労死するようなものだろうか。テレビ画面に映し出され、報道機関のカメラによるフラッシュを浴びている人たちの顔を、いまここで思い浮かべてみてもいいかもしれない。

 次の「強力接着剤がぬってあ」る椅子というのは、古いコントにもありそうな場面だが、「一生くっついて 離れない」のは、実は悲劇以外の何ものでもない。けれども、人はその地位に恋々とし、たとえば一度権力の味を知ったものは、なかなかそれを手放そうはしない。 

 三連目。坐ったとたんに死刑宣告に等しい目に合うような、「だれも電気椅子とは呼びたがらない」椅子というのも、この頃は目にする機会が多いような気がする。たとえば某国の国会にも、そんな椅子がひとつはありそうだし、それ以外の場所でもこのおそろしい椅子は、大活躍の模様である。





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