さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

日記 今朝の夢

2020年11月28日 | 日記
 毎日の仕事を淡々とこなすというのも、それなりに努力のいることで、そんなことはいちいち言うまでもないことであるが、今朝見た夢では、

山道を駆けていって公園に行き、なぜか放置されている美容院にあるようなマネキン人形の頭に茶髪のかつらが被せて置いてあるのを、ぐるりと見回りながら三、四個確かめて、「ひどいなあ、これは」というような事を思いながら、(※これは少し前の座間の事件の裁判報道が影響しているようだ)以前どこかで会ったことがある少年がそこにいるのに気がついた。しかし、少年はすぐに駆け去ってしまい、私は復路をもどり始めた。山道にさしかかると、三メートルほどの急な斜面に大きな葉っぱの草がぼうぼうに生えている。私を走って追い抜いた青年が、その斜面の草や草茎を手に引っ摑んで体を起こしながら、ぐいぐい勢いよく上って行き、あっという間に姿を消してしまった。それで私もその後に続いて斜面の草の中に足を突っ込み、先程の青年のようにのぼってやるぞ、と思うのだが、横倒しに近くなった上半身がどうしても持ち上がらない。ああ、体が起き上がらない、重い、ともがいているところで、布団から、がばりと体が起き直って目が覚めた。
 
 これは年齢による自分の体力の衰えを気にしているからこういう夢を見るのだろう。現実に起きられたから良かったけれども、これで起きられないと夢の続きはどうなったことやら。
続けて体調の話をすると、今年の前半までは、ヘルニアで片足が痺れていた。それが今年に入って毎日朝夕通勤のバスを使わずにバス停三つ分を歩いていたら、だいぶ良くなった。でも今度は毎日筋肉痛で、特に上半身がどこかしら痛い。持っている鞄が重いせいもある。これは上手なストレッチを心がけていると痛みがけっこう軽減できる。若い頃は好んで自己流のダンスや合気道風の動きをやっていたのだが、この頃はおっくうになってなかなかやらない。それで椅子にすわったまま両手を斜め上に上げてみたり、弓を引くような姿勢、それから投球フォームのような動作と、やってはみるのだが、これがけっこう面倒くさいので、しばしば忘れる。以前VWT体操というのを教わった。教えてくれた人は厳しい職場でいっしょに働いたことのある世界史の先生で、これを読まないで死んだら心残りだと思って一念発起して「源氏物語」を読み始め、講座に参加してほぼ読み終えたというようなことを何年か前におっしゃっていた。まだお元気だろうか。それで、Vは両手を後にVのかたちに伸ばし、Wはゴリラの自慢のポーズ、Tは両腕を左右にまっすぐ伸ばすというもので、アルファベットの文字の中心が胴体なわけだ。こんなふうに、年をとると健康談義に熱中するようになるので、私はこのブログではそれを戒めてなるたけ書かないようにしているのだが、今日は書いてしまった。
 
 ほかに雑談を記すと、先の大阪維新の会の住民投票に関しては、コロナという一種の非常事態のなかで緊急性の感じられないやっかいな問題を市民にはかるということ自体が、政治的な状況判断のセンスが鈍っていると思われた。ついでに書いておくと、基本的に「道州制」や、それと親縁性の高い発想で地方行政を考える方向性は、まちがっていると思う。その証拠に、平成の大合併で地域から行政の庁舎がなくなった市町村は、多くが人口減少という事態に見舞われている。道州制はまちがった提案だったという事を肝に銘ずるべきである。トランプについては、コロナ対応の誤りが、大きかっただろう。マスクを放り投げている映像をみて、家の者が呆れていた。

 近刊で佐高信著『竹中平蔵への退場勧告』という本が出た。私は佐高信の書くものはあまり好きではないが、これに関しては勇気ある本と思う。竹中が先導して水道法の改正にかかわり、私企業が水道事業にかかわれるように法律の運用を変えたあと、市場に参入できたオリックスのポストについているなんて、わかりやすすぎるではないか。竹中は、人材派遣会社パソナの重役を勤めながら、正社員の首切りについて問題発言を繰り返してきた。平成日本で義理も人情もない冷淡なカイシャ経営を標準化してきた張本人の一人が、菅内閣の高官に再び収まった。その世間の風を冷たくしてきた人がベーシックインカムを説くという、提言自体が何やら眉唾の気がして来るのは、私だけだろうか。まあ、この人が消費税の停止を提言してくれたら、評価を変えてもいいけれども。その方がベーシックインカムよりは現実的だし、一挙に悪名をそそぐことができるだろう。

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