さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

虫武一俊『羽虫群』

2017年01月13日 | 現代短歌
虫武一俊の『羽虫群』という歌集のタイトルを見たときに、何だかずいぶん「虫」にこだわったな、という印象を持った。「虫」というのは、たぶん定職につけないとか、人に認められないといった社会的な負の評価に関する自意識の投影されたイメージなので、そこをあえて自分自身へのレッテルとして引き受けてみせようという心理機制が見える。

「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない
防ぎようのなく垂れてくる鼻水のこういうふうに来る金はない

 一首めの関西弁は、日本の企業社会が持っている暗黙の強制力のいやったらしさを拒否する者の言葉だ。こういう歌はよくわかる。
 
 私がおもしろいと思うのは、次のような異物感を自ら押し出すような感じの歌だ。

マネキンの首から上を棒につけ田んぼに挿している老母たち
抱き寄せる妄想にだけあらわれる裏路地はありどこへ繋がる

 すいぶん薄暗いイメージだけれども、この人にはユーモアの感覚があって、陰惨になりそうな景色が、どこか諧謔味を帯びた軽さを持っているために、救いがある。それが、穴に落ちた自分の髪を自分の手で引っ張り上げるというような自助自救のアクロバットを可能にしているのだろう。

作業服は枯れたくさいろ 左胸ポケットに挿さるペンのぎんいろ
剣豪のように両手にハンガーを構えてしまうひとときがある

 こうして「くさいろ」と「ぎんいろ」をぱっと言葉でつかんだ時の軽さと明るさ。その感性のビビッドなところ。「剣豪のように」というポーズの楽しさ。

それなりに所有をしたいおれの眼に九月の青空はうすく乗る
 
この「おれの眼に九月の青空はうすく乗る」という句法は、なかなか高度なわざで、こういう日本語のよじり方をできる人のことを、わざわざ私が心配する必要もないわけなのだ。

堤防を望遠レンズ持ったまま駆けていくひと 間にあうといい

こういう歌をみると、作者はけっこういい人なのかもしれないな、と思えたりするのも歌の効用だろうか。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿