さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

永田典子さんのこと 季刊「日月」2021年4月号

2022年03月05日 | 現代短歌
手元に季刊「日月」の2021年4月号が出て来たから、こういう機会にでもないと書けないので、書くことにする。まず永田典子さんのページを開く。ネットで検索すると、永田典子さんの同姓同名の政治的な有名人がいるうえに、ふつう歌人で永田さんというと永田和宏、河野裕子夫妻、ならびにその子らのことを思い浮かべるから、一般の人にはかなりまぎらわしいだろう。本題に入る。

2021年4月号の「日月」の永田典子さんの「父の出征」という一ページの随想文には、僻地の小学校で教える父への召集令状が来たときの思い出がかかれている。父は村で一人目の出征兵士であった。

「僻地の子供達の教育改善を唱えて師範学校に入った父にすれば、その主義主張のゆえに「イの一番に召集された」ことを万事承知であった。だが父は何も言わずに出て行った。」

ここで「その主義主張のゆえに」「イの一番に召集された」という時代的な背景は、現代ではもうわかりにくいのかもしれない。危険思想の持ち主と目されるところがあったのだろうと思う。

「父は最後まで人も通わぬ鉱山跡や木地師の部落などの分校で子供たちと学び、丈余の釣橋を渡って六帖一間ほどの教舎に寝泊まりして教職を終えた。」

「丈余の釣橋を渡って六帖一間ほどの教舎に寝泊まりして」という簡潔な文章がいい。一昨年ネパールの僻地の学校の映画が、現代日本でもしずかに評判になったが、それと同様の現場で働き、理想に殉じた作者の父への崇敬の念が伝わって来る。

同じ号の永田さんの短歌作品を引く。

庭先の大輪の花くろずむとわれのまなこのあしたおどろく

朝、庭先の椿の花をみたら、ふいにそれが黒ずんで見えたという。体調異変のきざしを告げる歌である。


  夏の蚊帳広きめぐりをひたすらに逃げてゐし身よ十三の夏

  子を持ちて知る愛ふかし、愛されず育ちし一世いまにし昏き
   ※「一世」に「ひとよ」と振り仮名。

二首つづけて読むと事情が推察される。蚊帳を吊る家もいまはないが、折檻しようとする母からぐるぐる逃げ回ったということなのだろう。蚊帳を持ち上げてつかまえるには時間がかかる。追いかける方はすぐさま自分の気分を晴らさないと気が済まないからぐるぐる回ることになるわけである。内田百閒だったか水上滝太郎だったか忘れたが、近所の芸事の師匠さんがその女弟子を折檻する悲鳴が定期的に聞こえて来るという文章があった。現在言うところの虐待は、昔は折檻という言葉で表現されていた。

  指を噛みぐみの木下にたたずみて父を恋ほしと泣きゐし少女

この少女は、作者自身のことである。哀切な作品である。

「日月」の編集には、作者の生き方がひとつの表現行為として現われ出ていた気がする。一度だけ私の方から歌会に挨拶にうかがったことがあるが、その時にかなり長い時間会話を交わした記憶は私にとって大事なものとしてある。「日月」は私がつねづねその玄人好みの文章に敬意を払っている清水亞彦や、福島の歌で知られる三原由起子をはじめとして、永田さんの娘さんの朋千絵、それから十谷あとり、黒沢忍、浅川洋、青沼ひろ子ほか個性的な作者を多く集めている雑誌だった。同誌には、特に幾人かの旧世代の歌人に依頼して回想を書かせた記事があったと思うが、あれは埋もれさせるのはもったいない気がする。

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