私は、脳外科医永田和哉先生に手術をしていただいたわけでもなく、
診察を受けたことがあるわけでもないので、実際にお会いしたことはなかった。
単に2年足らずのネット上のおつきあいであった。
先生のホームページはくも膜下出血を経験した私には
とても有用なことなどが書かれていて何度も読み返した。
自分の本を出したり、ホームページを作ってみたりした時に、
有名な先生のサイトには珍しく掲示板がついていたので、
私も参加してみたくなって恐る恐る書き込み(忘れもしない2004.8.25)をして、
自分がくも膜下出血になったこと、ホームページを作ったことなどを書いてみた。
するとすぐにお返事を下さり、暖かい言葉を下さった。
相互リンクも付けて下さった。
それからはやみつきになり、何度も書き込んでみたり、
自著「しぶとく生き残るためのヒント」をお送りしたりしたが、
そのたび、お返事を下さった。
先生のホームページには先生の意見や、お仕事の様子などが、書き込まれていた。
脳神経外科医として真っ向から病魔と勝負する様子にはいつも「すごい!」と感じた。
掲示板で知り合った、ネット友達とも楽しい関係が出来た。
皆、脳神経外科関係の患者さんだ。
そんな関係でしかないのに、先生が御危篤という報に接した時、
何故か、ものすごいショックを受けた。
そして、どうしても最後のお別れがしたくて今日、
先生の掲示板で知り合った、
わはは@むーむーさんと一緒に告別式に参列させて頂いた。
そこで、何故私がこんなにショックを受けたのかが分かった気がした。
先生は、4年前からお亡くなりになるまで
NTT東日本関東病院の脳神経外科部長を務めていらしたが、
その病院のご勤務が決まる時に
ご自分がガンに冒されていることをお知りになったそうだ。
それからは、手術、抗ガン剤とご自分の闘病を続けながら、
脳神経外科医という過酷なお仕事を人の何倍も精力的に続けられていた。
マスコミにも登場し、色々なところで名医といわれ
先生の手術を受けたくて全国から来る患者を一人でも助けようと、
自分自身をむしばむ病魔と闘いながら、長時間の手術もこなしていたとか。
そうその気迫が、あの先生のホームページ「脳と健康のホームページ」の中に
あったのよね。
会場に流れていたビデオで先生が
「医者のやることはまず、患者さんの痛み、苦しみを分かること」
とおっしゃっていたのと
最後に奥様が
「主人は早くに逝ってしまいましたが、皆さん気の毒と思わないで下さい。
とても幸せな一生でした」
とご挨拶されたのが、心に迫りました。
48才で天に昇ってしまった先生。
飛行機操縦がご趣味でしたね。
思い切り飛び回って下さい!
診察を受けたことがあるわけでもないので、実際にお会いしたことはなかった。
単に2年足らずのネット上のおつきあいであった。
先生のホームページはくも膜下出血を経験した私には
とても有用なことなどが書かれていて何度も読み返した。
自分の本を出したり、ホームページを作ってみたりした時に、
有名な先生のサイトには珍しく掲示板がついていたので、
私も参加してみたくなって恐る恐る書き込み(忘れもしない2004.8.25)をして、
自分がくも膜下出血になったこと、ホームページを作ったことなどを書いてみた。
するとすぐにお返事を下さり、暖かい言葉を下さった。
相互リンクも付けて下さった。
それからはやみつきになり、何度も書き込んでみたり、
自著「しぶとく生き残るためのヒント」をお送りしたりしたが、
そのたび、お返事を下さった。
先生のホームページには先生の意見や、お仕事の様子などが、書き込まれていた。
脳神経外科医として真っ向から病魔と勝負する様子にはいつも「すごい!」と感じた。
掲示板で知り合った、ネット友達とも楽しい関係が出来た。
皆、脳神経外科関係の患者さんだ。
そんな関係でしかないのに、先生が御危篤という報に接した時、
何故か、ものすごいショックを受けた。
そして、どうしても最後のお別れがしたくて今日、
先生の掲示板で知り合った、
わはは@むーむーさんと一緒に告別式に参列させて頂いた。
そこで、何故私がこんなにショックを受けたのかが分かった気がした。
先生は、4年前からお亡くなりになるまで
NTT東日本関東病院の脳神経外科部長を務めていらしたが、
その病院のご勤務が決まる時に
ご自分がガンに冒されていることをお知りになったそうだ。
それからは、手術、抗ガン剤とご自分の闘病を続けながら、
脳神経外科医という過酷なお仕事を人の何倍も精力的に続けられていた。
マスコミにも登場し、色々なところで名医といわれ
先生の手術を受けたくて全国から来る患者を一人でも助けようと、
自分自身をむしばむ病魔と闘いながら、長時間の手術もこなしていたとか。
そうその気迫が、あの先生のホームページ「脳と健康のホームページ」の中に
あったのよね。
会場に流れていたビデオで先生が
「医者のやることはまず、患者さんの痛み、苦しみを分かること」
とおっしゃっていたのと
最後に奥様が
「主人は早くに逝ってしまいましたが、皆さん気の毒と思わないで下さい。
とても幸せな一生でした」
とご挨拶されたのが、心に迫りました。
48才で天に昇ってしまった先生。
飛行機操縦がご趣味でしたね。
思い切り飛び回って下さい!
裏社会の方が充実していたらしいね。安らかに、と言っても消えたわけだが(藁藁藁)
病人を弄んだ結果だ。宗教的に言えば天罰。それにしても良く出来てるな世界は。あの世が有ったら今は地獄に居るんだろうね。
あちらの世界ではね。
早死には当然の結果だね。良かったよ、早く死んで。
ゲシェンク,ゲシェンク、もっとカネを。
こういったコメントが入るということは、
先生が如何に医師として人間として素晴らしいものを持っていたかがわかります。
先生を失ったことは、本当に残念なことですね。
約3時間位だったと思います。 永田先生から大成功でしたよ。とにっこり笑ってマスクを外され。先生が神様に見えた瞬間でした。 ゴム鞠の様な頭で大変だったそうです。 今その子も5年生になりました。 自閉症という病気に1歳半になり大変でしたが先生から助けて頂いた命は大切に育っています。 ありがとうございました。 ご冥福をお祈り申し上げます。
永田先生は本当に色々なところで色々な方々に多くにものを残されたのですね!
私も今でも、心に強く残る何かがあります。
亡くなったなんて・・・・
信じられません。
医療からはなれて10年、明るく楽しい先生の笑顔を今でも覚えています。少しエッチで、いい加減で、そして暖かかった。
5年ぐらい前にメールで話したのが最後でしょうか?
残念でなりません。
沢田研二の曲で手術していたあの頃が懐かしい。
ご冥福をお祈りします。
ついに矢折れ、刀つき
天に召された勇者!
人の心に届く優しさを教えて頂きました。
私は 強く生きていくことを
教わったのが 印象的です