世の中は今日からお休みですね・・・何となくあたりが静かに感じます。
毎日が日曜日の私は、相変わらずいつもの散歩でスタートです。
朝一番はセキレイ
左の子は顔が黄色ぽいのでまだ若鳥、親子でしょうか。
富士山、今日も綺麗に見えました。
ひいて撮ると、こんな感じ
冬ばれの下、冷たい風を受けて裸木と枯草・・・まさしく「冬ざれ」という景色です。
「冬ざれの深まるばかり風の土手」 (鶴田佳三)
昔は「なる」という意味で「さる」が使われていて、その活用形が「され」、
春になって「春され」、「夏され」、「秋され」と季節の移ろいを表す言葉でした。
冬だけ濁って「冬ざれ」、連体形は「冬ざるる」ですが、濁音のせいでしょうか、
荒涼とした響きで、寂寥感があり、いかにも「ふゆ!!」っていう感じになります。
「風吹くはこの世彼の世や冬ざるる(急逝の大中祥生を憶ふ) 」(石原八束)
元々は、古い和歌にある「冬されば・・・」から転じた言葉のようですね。
たとえば、新古今和歌集に、
ゆふされば 衣手さむし みよしのの
よしのの山に み雪ふるらし
という歌があります。
「冬ざれの梢駈け行く千切れ雲」 (手島知韶)
カワセミです。
近寄って・・・
調整池・・・コガモです。
帰りにまたカワセミ
近寄って
飛び去ったんですが、近くなので、追いかけっこ
近づいて
ここでお別れ
今日もカワセミだけかと思っていたんですが・・・ジョウビタキ
ダイサギ
おまけは我が家の庭から
ツバキが一つ、冬枯れの庭に・・・
「枯苔に一つ落ちをり冬椿」 (日野草城)
では、今日の続きは、また明日(^_^)/~
毎日が日曜日の私は、相変わらずいつもの散歩でスタートです。
朝一番はセキレイ
左の子は顔が黄色ぽいのでまだ若鳥、親子でしょうか。
富士山、今日も綺麗に見えました。
ひいて撮ると、こんな感じ
冬ばれの下、冷たい風を受けて裸木と枯草・・・まさしく「冬ざれ」という景色です。
「冬ざれの深まるばかり風の土手」 (鶴田佳三)
昔は「なる」という意味で「さる」が使われていて、その活用形が「され」、
春になって「春され」、「夏され」、「秋され」と季節の移ろいを表す言葉でした。
冬だけ濁って「冬ざれ」、連体形は「冬ざるる」ですが、濁音のせいでしょうか、
荒涼とした響きで、寂寥感があり、いかにも「ふゆ!!」っていう感じになります。
「風吹くはこの世彼の世や冬ざるる(急逝の大中祥生を憶ふ) 」(石原八束)
元々は、古い和歌にある「冬されば・・・」から転じた言葉のようですね。
たとえば、新古今和歌集に、
ゆふされば 衣手さむし みよしのの
よしのの山に み雪ふるらし
という歌があります。
「冬ざれの梢駈け行く千切れ雲」 (手島知韶)
カワセミです。
近寄って・・・
調整池・・・コガモです。
帰りにまたカワセミ
近寄って
飛び去ったんですが、近くなので、追いかけっこ
近づいて
ここでお別れ
今日もカワセミだけかと思っていたんですが・・・ジョウビタキ
ダイサギ
おまけは我が家の庭から
ツバキが一つ、冬枯れの庭に・・・
「枯苔に一つ落ちをり冬椿」 (日野草城)
では、今日の続きは、また明日(^_^)/~