今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて・・・

2022年12月09日 | 徒然なるままに
今日は陽が顔を出す前の散歩スタート


西の空には、落ち残る今年最後の満月


「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」

柿本人麻呂の歌として、よく知られていますね。

こんな、光景だったのでしょうか。

炎(かぎろひ)とは輝く光のこと、つまり朝陽によって真っ赤に染まった空のことです。

ただ、この歌、このような情景を詠った単純なものではないようでして・・・

まさに沈もうとしている月を舎人として仕え亡くなった草壁皇子、昇る朝日をその子で後の文武天皇である軽皇子を喩え

輪廻転生、魂の復活を詠っていると考えられています。

草壁皇子は、天武・持統天皇の子で、将来天皇になることが有力視されていましたが、即位することなく亡くなっています。

『万葉集』には、その死を悼(いた)む歌が数多く収録されており、彼の死が重大なこととして受け止められた様子が伝わってきます。

「日並(ひなみしの) 皇子(みこ)の命(みこと)の馬並(な)めて 御猟(みかり)立たしし 時は来向かふ」
(日並皇子の命が馬を連ねて今しも出猟(しゅつりょう)なさろうとした、あの払暁(ふつぎょう)の時刻が今日もやがて来る。)

日並皇子は軽皇子の事です。

これも、人麻呂の歌

軽皇子が亡父ゆかりの地を訪ねた際に詠まれたもので、

天皇になるはずだった偉大な皇子が出猟しようとした時刻がやって来るというこの歌は、

前の歌同様に軽皇子の姿に草壁皇子の姿を投影しているのでしょう。

父から子へ、周囲の人々が思いを託した軽皇子は、やがて大宝律令の施行など、重要な政策を実行した文武天皇として歴史に名を残すことになります。

この歌が詠まれたといわれる、奈良県宇陀市では、旧暦の11月17日の早朝に「かぎろひを観る会」が開催されます。

明日がその旧暦11月17日、という事で、私は一日早く炎(かぎろひ)を拝みました。

さて、散歩、

呉越同舟でしょうか、カワウの定位置にアオサギ


セキレイ


カルガモ




富士山・・・朝日を受けて、少し赤いですね。


月をもう一枚





ホトケノザ


川霧が少し・・


水仙


サザンカ




お隣の柿


これもお隣
コメント
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