少し風はありましたが、日差しは柔らく、気持ちの良い散歩となりました。
でも、寒い
冬の柔らかい光を受けて、川面に映るススキ
調整池・・・コガモ、カルガモ
アオサギとマガモも見えます。
今日の富士山・・・いつもとちょっと違う所から
おっ、ジョウビタキです。
ダイサギ
今日はクリスマス、義兄から思わぬプレゼントが送られてきたり、教会に行った奥さんはプレゼントをたくさんもらってきたり・・・
ちょっと楽しい1日になりました。
日差しは柔らかく、穏やかなクリスマス・・・いつもアニメの赤毛のアンの最後の言葉、
「時は今、神の子の生まれたまいしクリスマス 世は並べてことも無し・・・」が思い浮かびます。
どうも、私の記憶違いで、実際には
アンがそっとささやく最後のセリフは「神は天にあり、世はすべてこともなし」でだったようですが・・・
どこか記憶がかわったんでしょう。
この言葉、イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「ピッパが通る」(Pippa passed)の中の「ピッパの歌」(Pippa’s Song)の一節です。
詩人上田敏が「春の朝(あした)」として訳し、それが知られるようになりました。
「ピッパが通る」は、
====
純真無垢な機織り娘のピッパがイタリア・アーゾロを歩いて行く。町は悪人どもであふれているが、1年に一度の休みの正月にピッパが朝、昼、夕、晩に歩いて行くと、彼女に感化されて、彼らが改心して行くというような内容である(wikiより)
====
ですが、その中でピッパが歩きながら歌う歌が、この「ピッパの歌」
The year's at the spring 時は春、
And day's at the morn; 日は朝(あした)、
Morning's at seven; 朝(あした)は七時、
The hill‐side's dew‐pearled; 片岡(かたをか)に露みちて、
The lark's on the wing; 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
The snail's on the thorn; 蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
God's in his heaven ― 神、そらに知ろしめす。
All's right with the world! すべて世は事も無し。
岩波ジュニア新書の福田昇八氏の『英詩のこころ』に
ブラウニングのこの詩が取り上げられていて、詳しい解説が見られます。
そこからの引用ですが、
「この詩は、イタリアの小さな町アソロを舞台にブラウニング(1812-1889)が書いた詩
劇『ピッパが通る』(Pippa Passes, 1841) の中で、町の織物(おりもの)工場で働く少女ピッパ
が朝早く街を歩きながら歌う「ピッパの歌」です。劇の中で、街の4人
の悪者がその清らかな歌声を聴いて、罪を悔(く)い改めるという筋立てになっています。」
という解説の後に、上田敏の訳詩に触れ、さらに、
「この歌のポイントは結びの2行にあります。ここは「神様が天にいて見ていてくださる。だ
から、世は太平だ」という意味です。イタリアはカトリック教国ですから、すべては神の思(おぼ)
し召(め)しで、この劇の悪人たちも、ピッパの歌声でそのことに思いいたります。清らかな少
女の歌声にのせて、詩の力、唄の力が発揮された歌です。」
とあります。
何となく、最後の「すべて世は事も無し」は
平たく言えば・・・単純に「世の中、平和だな~・・・」というニュアンスと思っていたんですが、
もっと宗教的で、
天で神が見ていらっしゃる、だから・・・
「全てこの世界は正しい姿である
全ては神の思し召しのまま」
という感じでしょうか。
その言葉通りの世界が訪れるのを祈るばかりです。
では今日の続きは、また明日(^^)/~~~
でも、寒い
冬の柔らかい光を受けて、川面に映るススキ
調整池・・・コガモ、カルガモ
アオサギとマガモも見えます。
今日の富士山・・・いつもとちょっと違う所から
おっ、ジョウビタキです。
ダイサギ
今日はクリスマス、義兄から思わぬプレゼントが送られてきたり、教会に行った奥さんはプレゼントをたくさんもらってきたり・・・
ちょっと楽しい1日になりました。
日差しは柔らかく、穏やかなクリスマス・・・いつもアニメの赤毛のアンの最後の言葉、
「時は今、神の子の生まれたまいしクリスマス 世は並べてことも無し・・・」が思い浮かびます。
どうも、私の記憶違いで、実際には
アンがそっとささやく最後のセリフは「神は天にあり、世はすべてこともなし」でだったようですが・・・
どこか記憶がかわったんでしょう。
この言葉、イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「ピッパが通る」(Pippa passed)の中の「ピッパの歌」(Pippa’s Song)の一節です。
詩人上田敏が「春の朝(あした)」として訳し、それが知られるようになりました。
「ピッパが通る」は、
====
純真無垢な機織り娘のピッパがイタリア・アーゾロを歩いて行く。町は悪人どもであふれているが、1年に一度の休みの正月にピッパが朝、昼、夕、晩に歩いて行くと、彼女に感化されて、彼らが改心して行くというような内容である(wikiより)
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ですが、その中でピッパが歩きながら歌う歌が、この「ピッパの歌」
The year's at the spring 時は春、
And day's at the morn; 日は朝(あした)、
Morning's at seven; 朝(あした)は七時、
The hill‐side's dew‐pearled; 片岡(かたをか)に露みちて、
The lark's on the wing; 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
The snail's on the thorn; 蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
God's in his heaven ― 神、そらに知ろしめす。
All's right with the world! すべて世は事も無し。
岩波ジュニア新書の福田昇八氏の『英詩のこころ』に
ブラウニングのこの詩が取り上げられていて、詳しい解説が見られます。
そこからの引用ですが、
「この詩は、イタリアの小さな町アソロを舞台にブラウニング(1812-1889)が書いた詩
劇『ピッパが通る』(Pippa Passes, 1841) の中で、町の織物(おりもの)工場で働く少女ピッパ
が朝早く街を歩きながら歌う「ピッパの歌」です。劇の中で、街の4人
の悪者がその清らかな歌声を聴いて、罪を悔(く)い改めるという筋立てになっています。」
という解説の後に、上田敏の訳詩に触れ、さらに、
「この歌のポイントは結びの2行にあります。ここは「神様が天にいて見ていてくださる。だ
から、世は太平だ」という意味です。イタリアはカトリック教国ですから、すべては神の思(おぼ)
し召(め)しで、この劇の悪人たちも、ピッパの歌声でそのことに思いいたります。清らかな少
女の歌声にのせて、詩の力、唄の力が発揮された歌です。」
とあります。
何となく、最後の「すべて世は事も無し」は
平たく言えば・・・単純に「世の中、平和だな~・・・」というニュアンスと思っていたんですが、
もっと宗教的で、
天で神が見ていらっしゃる、だから・・・
「全てこの世界は正しい姿である
全ては神の思し召しのまま」
という感じでしょうか。
その言葉通りの世界が訪れるのを祈るばかりです。
では今日の続きは、また明日(^^)/~~~