今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

一週間のご無沙汰でしたが・・・

2022年08月15日 | 徒然なるままに
相変わらず被写体不足・・・毎回同じような写真が並びますが・・・m(__)m

今朝は曇り




稲穂が垂れてきました。香ばしい香りがします。


田んぼ脇の用水路・・・カルガモの家族です。




シオカラトンボとムギワラトンボ


その下にシオカラトンボ


ガマの穂がだいぶ大きくなりました。




これもカルガモの家族


ゴイサギ


調整池、カワセミがいました。


アブラゼミ


ムクゲ


我が家の庭から

ナミアゲハ


アブラゼミ


ここにも


空蝉


この空蝉、語源は「うつしおみ(現臣)」が「うつそみ」になり、さらに「うつせみ」に変わった語で、

この世に生きている人、現世の意味でした。

万葉集では、この意味で「空蝉」、「虚蝉」という漢字があてられて40首以上詠まれています。

「原文: 虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞」

「よみ: うつせみの、世は常なしと、知るものを、秋風寒(さむ)み、偲(おも)ひつるかも」

(意味: この世ははかないものと知ってはいますが、秋風が寒く、(妻のことを)思い出します。)

大伴家持(おおとものやかもち)が妻を亡くした一か月後に詠んだ歌です。

題詞に「月がかわった後に、秋風を悲しんで家持が作った歌」とあります。

もう一首

「原文: 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食」

「うつせみの、命を惜しみ、波に濡(ぬ)れ、伊良虞(いらご)の島の、玉藻(たまも)刈(か)り食(は)む」

(意味: 命惜しさに、波に濡れながら、伊良虞(いらご)の島の藻をとって食べるのです)

天武天皇によって「罪あり、因幡に流した」と日本書紀に記されている、麻続(をみの)の王(おほきみ)を詠んだ歌です。

日本書紀では因幡とありますが、『万葉集』巻第一では伊勢国の伊良虜の島に流罪されたとありますので、実際のところは不明です。

万葉集のあと、古今集では蝉の抜け殻の意味でも詠われるようになっています。

「空蝉の 殻は木ごとに とどむれど 魂のゆくへを 見ぬぞかなしき」

(蝉の殻は木ごとに残っているけれど、魂の行方がわからないのが哀しい)

地上での生活は数日から一週間程度、地中での長い年数を想えば、いかにも軽く短い命です。

空蝉を手に取った時のその軽さも、命の空しさや儚さを覚えます。

「掌の中に空蝉爪を立つる軽さ」 (原田種茅)

そういえば、今日はお盆

「父の忌の空蝉母の忌の螢」 (齋藤愼爾)

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~


コメント
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