今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

今日は母の日でしたね。

2019年05月12日 | 徒然なるままに
今日も雲が多め・・・


とっ、いうことで今日も野鳥メイン
モズの若鳥・・・近くに巣があったのでしょうね。


カルガモ


ダイサギ




コサギ・・・見えにくいですが、獲ったのはドジョウでしょうか。




遠くですが、オオヨシキリ・・・かなり以前から葦の茂みの中で大きな声でさえずっていたんですが、なかなか姿を見せてくれませんでした。


久し振りにアオサギ



今日は母の日ですね。

最初の母の日は1908年5月10日でした。

その起源をwikiから(抜粋です)・・・南北戦争で敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するためにウェストバージニア州で地域の女性を結束させ、「母の仕事の日」として活動したアン・ジャービス(Ann Jarvis)の娘アンナ(Anna Jarvis)が、母の死後2年経った1907年5月12日、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈りました。
これが日本やアメリカでの母の日の起源とされています。


そして、翌年の1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝いました。

アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡したことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなりました。

アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。

1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められました。

日本でも、「母の日」礼拝としては1913年に青山学院で行われています。

アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなりました。



日本での「母の日」の定着に、森永製菓が大きく関わっていたことはあまり知られていませんね。

森永のホームページからの引用ですが・・・

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昭和6年頃から世情が徐々に軍国調になっていくなかで、森永は全国に心あたたまるこの行事を広めようと、昭和11年(1936)に「森永母を讃へる会」を結成。関係諸団体に呼びかけを行い、「森永母の日」の行事を全国規模で展開した。
この年春、母をたたえる歌の懸賞募集を行なったところ、反響は予想をはるかに超え、1万5000余点もの応募があった。西条八十ら著名人の審査によって選ばれた歌詞は、古関裕而による作曲でレコード化され、市販もされた。記念すべき第1回「森永母の日大会」は、昭和12年5月8日・9日の両日、東京豊島園の野外ステージを舞台に開催された。20万人もの母親を招待して盛大に行なわれた催しは新聞や雑誌に大々的に取り上げられ、わが国に母の日運動を広める大きな力となった。
また同時に、「私のお母さん」をテーマにした図画や作文募集を、全国の幼稚園や小学校に呼びかける活動も開始。全国2500の公認幼稚園に呼びかけた図画の応募は1万1000余点にのぼり、小学校に呼びかけた作文の部には1万余点の応募が集まった。森永母の日大会はその後、全国の主要都市でも開催され、数多くのお母さんが主賓として招待されて「ありがとうお母さん」の感謝の声を受けた。
森永母をたたえる会では年ごとにこの運動を充実させていったが、昭和16年(1941)太平洋戦争の開始によって、中止に追い込まれてしまった。
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5月5日のこどもの日が実は母の日でもある事はあまり知られていませんね。


国民の祝日に関する法律第2条によると

こどもの日は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨となっています。

ちなみに、

敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」

勤労感謝の日は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」

とありまして、父に感謝する日はありません。


父親は寂し~いですね。


では、(*^-^*)ノ~~マタネー



















コメント
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