時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百三十七)

2009-12-07 22:26:49 | 蒲殿春秋
近江に陣を張る範頼の元に今回の出陣に関する軍議が開かれることとなった。
集まったのは、範頼、義経、土肥実平、梶原景時、そして安田義定。
この坂東から来た面々に加えて摂津国住人多田行綱も加わる。

最初に都に残る人々がいることが確認される。
甲斐源氏の一条忠頼と加賀美遠光が都に留まり、都の警護をすることとなった。

ついでいかように福原に攻め寄せるかということが議題に上る。

その福原についてそこの地勢に明るい多田行綱が説明をする。

「福原に入る入り口は三つござる。生田、一の谷、そして山の手。」
行綱は図面を広げて説明する。

「この三箇所から同時に攻め寄せるがもっとも上策かと存ずる。」
その説明に将たちは一斉にうなずく。



「この生田は山陽道に沿いにある。故に大軍を率いて行くには最も都合が良い。
一の谷、山の手は山間の道を抜ければ回りこめる。
ただし山間の道ゆえに大軍が通るにはいささかの支障がござる。
よって、生田と同刻に矢あわせをするためにはあまり多くの兵を引き連れることはできぬ。」
この話にも一同はうなづく。

「そしてもう一つ、この山の手、一の谷に進む山間の道の要衝にはすでに平家が陣を張っていることが考えられる。
山の手、一の谷に行くためにはここを通り抜けなければならぬ。」

図面の「三草山」と記された場所を多田行綱が指差した。
「搦手はこの三草山を落とさねばならぬのだな。」
と誰かが言った。



その後しばらく軍議は続いた。

この軍議でまず陣分けが決まった。
生田口を目指す大手の大将軍は蒲殿源範頼。その軍目付には梶原景時。
大手には多くの坂東の武士がつき大人数で進軍する。

搦手はまず三草山を目指しその後二手に分かれる。
一つは、甲斐源氏安田遠江守義定が率いて山の手口をめざす。この山の手口に通じる道は難所が多く道も分かりにくいので
地理に明るい多田行綱が同行することになった。
そしてもう一つはさらに西へと迂回して一の谷口を目指す。
その一の谷口を率いるのは源九郎義経。その軍目付には土肥実平がつく。
この搦手には、土肥、三浦といった相模の武士そして乞うて搦手に回った武蔵の小豪族
そして新たに鎌倉勢に与力した畿内の武士達が従うことになった。

そして、具体的な矢合わせの日は、正式な宣旨の発令を待ち追って定めることとした。

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