時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百八十九)

2009-05-30 09:08:52 | 蒲殿春秋
義仲は都における自分とその与党の地位を強化し、政敵に回ったものたちへの報復を行なった。

そして自らの宿願を遂げようとする。
義仲最大の宿願は鎌倉の源頼朝を追い落とすことである。

その最初の一矢は、いまだ伊勢に留まっている頼朝の代官九郎義経に向かって放たれた。
義仲は自軍を伊勢に差し向けて九郎義経とその与同者を攻め立てた。
この猛攻により義経は伊勢を追われ東へと下ることとなった。

さらに頼朝を追い込むべく義仲は遂に奥州藤原氏と交わした本来の盟約を遂げようとする。
義仲は奥州の藤原秀衡に再度頼朝を討つように働きかける。
その藤原秀衡が動きやすくなるように、義仲は頼朝追討の院宣を後白河法皇に願った。

法皇のお心のうちには頼朝を討つお考えはないことは義仲は百も承知していた。
しかし、法皇の御身を幽閉はしていないものの現在の状況において法皇は義仲の願いに否を出すことができないであろう。
近いうちに頼朝追討の院宣が出されるはずである。

源頼朝を倒す。
その願いが現実化した

そう思った矢先義仲にとって思わぬ報が飛び込んでくる。

法住寺の戦いの直前平家追討に向かった源行家、
その行家が十一月末播磨国室山(現兵庫県西部)において平家と戦い大敗したという。
行家は共に西国に下った石川義兼と共に和泉国へと撤退した。

十二月始めに入ったこの知らせは義仲に暗い影を落とす。

この戦いの以前から平家は山陽、南海において勢力を回復していた。
彼の地のものは殆ど平家にしたがっている。
その平家がついに畿内に程近い播磨国にまで進出してきたのである。
平家は都を射程圏内に捕えたといってもよい。

この頃から都では平家が近々入洛するという噂が交わされるようになる。

都から遠く離れた坂東への対応より、都に程近い平家への対処が義仲に迫られるようになる。

義仲は平家とは和睦しても構わないと思っている。実際に和睦の使者が何度も送られた。
だが、畿内において義仲に同意した都の武士達は平家との和睦を快く思っていない。また、都の廷臣たちも和睦を望むものもいる一方で、強攻策を願うものもいるのも事実であった。
和睦と図りたい義仲と都の武士達との齟齬、そして廷臣たちの意見の不一致、そのことが和睦工作に支障をきたす。

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