時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百十四)

2008-11-06 23:26:39 | 蒲殿春秋
しばらく思案した後範頼は瑠璃に三河へ戻ることを告げた。
瑠璃は黙っていた。
けれどもしばらくするとおだやかに
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
といってくれた。

その言葉と表情が愛しい。

翌日から瑠璃は範頼が三河へ行くのに必要な支度を整え始めた。
驚くべきことに瑠璃は自分の旅の支度も始めている。
不審な顔をして見つめる範頼に対して
「あなたが平家を追い返したら直ぐ私を呼んでください。」
と瑠璃は言ってのけた。

同日範頼は大蔵御所の頼朝に面会を求めた。
半日待たされた後に許された面会において範頼は三河へ行くことを願い出た。
委細を聞いた頼朝はそのことを即座に了承した。
しかし、
「藤九郎を連れて行け」という言葉が了承の意の後に添えられた。
妻瑠璃の父安達藤九郎盛長も同行させよというのである。

盛長は西三河に重大な影響力を持つ熱田大宮司家との関係が深い。
また、度々三河に赴いている盛長の人望は彼の地では高い。
盛長を連れて行くのは範頼としても願ったり叶ったりである。
三河の動揺を防ぎに行く範頼にとってはこの上もなく頼もしい同行者となる。

が、盛長の妻は現在懐妊している。
しかも、当時としては高齢での懐妊である。
その妻を置いて三河へ行けというのは酷な話であるように思えた。

「藤九郎殿はご承知くださいますでしょうか。」
範頼は率直な疑問を兄にぶつけた。
「藤九郎ならばわしの命にはそむくまい。」
頼朝はあっさりと答える。
「しかし、ご内室が懐妊している今そのような命を下されるというのは・・・」

「案ずるな。あの内室はしっかりものだ。
それに、此度内室の今一人の妹を呼び寄せた。妹がおれば内室も安心しよう。」
今一人の妹とは現在頼朝の嫡子の乳母をしている河越重頼の妻ではなく、その下の伊東祐清の妻楓のことである。
「しかし!」
「妻の両親を案ずるそなたの気持ちはわかる。
しかし、今の鎌倉のことを考えてみよ。
木曽とは和議を結んだとはいえ、奥州がどのように動くかがまだ見えぬ。平家に呼応して佐竹がまたどのような策動をするか判らぬ。その上三河から平家に付くものが現れて西から攻め寄せられれば鎌倉は危ういものとなる。
もし鎌倉が攻め滅ぼされれば、藤九郎も、内室も、生まれ出でるはずの子も無事ではおられまい。そしてそなたの内室も。
そなたが真に妻やその家族の事を案ずるのならば、三河を押さえる為には何が必要か考えてみるがよい。」

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