島の最南端青苗地区には、北海道南西沖地震により被害を受けたこの地域を公園として整備し、「奥尻島津波館」や慰霊碑「時空翔」がある。
地震で犠牲になった方の慰霊碑であり、壁に犠牲になった198名の名前が刻まれ、奥尻出身の詩人麻生直子氏の詩『憶えていてください』が刻まれている。
復興宣言をした奥尻島は、新しい町並みも完成し、以前の活気に満ちた姿へと戻りつつある。
1993年7月12日午後10時17分、奥尻島民にと
っては永遠に忘れることのできない日となった。
自然の恵みにつつまれた平穏な島のたたずまいが大地の
鳴動とともに一瞬にして廃虚と化したあの日、あの時の悪
夢を…。
焦燥と悲惨さにあえぎ、さながら“瓦礫のマチ”をさす
らった島民が、その再起、再生の悲願に燃え、立ち上がっ
たのは全国から差しのべられた救援のあたたかい手のぬく
もりであり、島民にとっては決して忘れることのない人間
の愛の尊さだった。
人は苦しみ、悲しみを時として忘却の彼方に追いやる。
しかし、家族や友人など198名の尊い人命を失った冷厳
な事実を、私たち生きながらえた島民は、長く後世に語り
継ぐ責務がある。
私たち島民は、あの辛さ、苦しみに耐え、希望と勇気を
今、21世紀の新しいスタートに向け、未来「奥尻創造」
の大いなる理想に英知と総力を結集することを誓い、ここ
に完全復興を宣言する。
(『北海道南西沖地震復興宣言』より)
地震で犠牲になった方の慰霊碑であり、壁に犠牲になった198名の名前が刻まれ、奥尻出身の詩人麻生直子氏の詩『憶えていてください』が刻まれている。
復興宣言をした奥尻島は、新しい町並みも完成し、以前の活気に満ちた姿へと戻りつつある。
1993年7月12日午後10時17分、奥尻島民にと
っては永遠に忘れることのできない日となった。
自然の恵みにつつまれた平穏な島のたたずまいが大地の
鳴動とともに一瞬にして廃虚と化したあの日、あの時の悪
夢を…。
焦燥と悲惨さにあえぎ、さながら“瓦礫のマチ”をさす
らった島民が、その再起、再生の悲願に燃え、立ち上がっ
たのは全国から差しのべられた救援のあたたかい手のぬく
もりであり、島民にとっては決して忘れることのない人間
の愛の尊さだった。
人は苦しみ、悲しみを時として忘却の彼方に追いやる。
しかし、家族や友人など198名の尊い人命を失った冷厳
な事実を、私たち生きながらえた島民は、長く後世に語り
継ぐ責務がある。
私たち島民は、あの辛さ、苦しみに耐え、希望と勇気を
今、21世紀の新しいスタートに向け、未来「奥尻創造」
の大いなる理想に英知と総力を結集することを誓い、ここ
に完全復興を宣言する。
(『北海道南西沖地震復興宣言』より)
こんばんは。いよいよ北海道シリーズが再開しましたね。楽しみです。
奥尻島の津波は、私の脳裏にいまだに強烈な記憶として残っています。しかし、それはテレビのニュースや新聞報道からのものでしかなく、大災害の裏側にあった様々な出来事などは全く知らないと言っていいくらいです。いつもながらsogoさんの写真と解説で勉強させてもらっています。
さて、話は奥尻島の話題から外れますが、全日空の北海道キャンペーンで「でっかいどう、北海道!」の名キャッチコピーを作ったコピーライターの槇木準氏が今年の春に(5月だったと思います)亡くなりました。享年60歳という若さでした。残念でたまりません。
私は槇木準氏のコピーの中でも、この「でっかいどう、北海道!」は秀逸だと思っています。日本航空ファンだった私が全日空ファンに変わったのはひょっとしたらこの槇木準氏のコピーのせいだったからと思っています。そのくらいインパクトの強いコピーでした。
槇木準氏の他のコピーではJR東日本の「東北大陸」というが強烈な印象として残っています。こんなセンスはどこから来るのか、羨ましく思います。槇木準氏は博報堂の社員でしたが、いつだったかフリーのコピーライターに転進しました、「でっかいどう、北海道!」は博報堂時代なのかフリーの時代かは知りませんが本当にいいコピーと思います。
「東北大陸」というコピーの件ですが、鈍感な私でも「東北大陸」というフレーズと同時に雪の林の中を疾走する山形新幹線の映像を見ると、今すぐにでも旅に出たくなったものでした。やっぱり企業活動の中で宣伝は重要な要素なんですね。因みに全日空は「博報堂」、日本航空は「電通」を使っているという噂を聞いたことがあります。
槇木準氏はほかにも朝日新聞社の「AERA」という名前も付けています。本当に惜しい人を亡くしたと思います。5月は私が大好きだった忌野清志郎氏も亡くなりました。私にとって、かなり堪えた季節でした。
P.S
「でっかいどう、北海道!」や「東北大陸」に匹敵す津るコピーは、やはり「そうだ京都行こう!」でしょうかね。いまだにこのコピーは続いていますからね。ひょっとしたら、これがナンバーワンかも知れませんね。
こんばんは。
いつもご覧いただきありがとうございます。
今回は、キャッチコピーのお話、いつもながら、目を皿のようにして読ませていただきました。
槇木準という方は全く知りませんでした。
キャッチコピーは、万人の心を捉える、いわば“現代版俳句”として、とても気になる存在です。
駅や街で見かけるポスターの中には、写真だけでなく、そのキャッチコピーを見て、思わず立ち止まることたびたびです。
「そうだ京都、行こう」は、映像、音楽、コピー、と三拍子揃った、私も大好きなCMです。
手元の手帳にメモがあります。
こどもは、ひと夏ごとに、
おとなは、ひと秋ごとに、
何か大事なものを身につけてゆくように思います。
何年か前の「そうだ京都、行こう」のコピーです。
どこかの駅で見かけて、思わずメモしてしまいました。
明日からは、シルバーウィーク、こんなコピーを目にすると、本当にどこかに出かけたくなります!
こんばんは。レス、ありがとうございました。「そうだ京都、行こう」は槇木準氏のコピーではありません。たしか、女性のコピーライターの作品だったと思います。JR東海がこのコピーで「京都大キャンペーン」を張った時点で、JR東海と東日本の新幹線対決の勝敗が決まったともいわれています。
京都という一大観光都市を抱えているというアドバンテージがあるとしても、「そうだ京都、行こう」はJR東海のイメージアップに大きく貢献したと言ってもいいと思います。
>「そうだ京都、行こう」は、映像、音楽、コ>ピー、と三拍子揃った、私も大好きなCMで>す。
>手元の手帳にメモがあります。
>こどもは、ひと夏ごとに、
>おとなは、ひと秋ごとに、
>何か大事なものを身につけてゆくように思い>ます。
本当に、グッときますね。映像と音楽が目に浮かんできます。
この、東海の「京都」キャンペーンに対抗してできたのが、槇木準氏の「東北大陸」キャンペーンと言われています。これも大好きなコピーです。
すみませんね、せっかく奥尻島の津波について語っておられるのに、腰を折ったような話を持ち出して・・・・。奥尻島についてはもう少し勉強してみます。