六坪の広さに二百余命ものキリシタンが押し込められた猿ヶ浦の牢は、悲惨を極めていた。最初の数日間は、ただ押しあって立ちつづけていたが、ともすると子供は眠ってずり落ち、親は引き上げようと苦労した。大人たちも立ちづめで脚が腫れ上がり、精根尽きて窒息死する者もでてきたため、板で仕切られた男女の牢にそれぞれ丸太を差し入れてもらって更に二つに仕切り、一方に隙なくぎっしりと人を詰め込み、もう一方の側に交代で座って休むことにした。しかし、便所すらない牢内の不潔さは一方で、衣服や髪には蚤虱がわき、土間には蛆がひろがって、体を伝いのぼって来る有様だった。拷問でうけて傷口に蛆がわき、生きながら肉を喰い破られる者も少なくなかった。老人や体の弱い者は次つぎに倒れ、稚いマリア・タキも熱病にかかって髪が抜け落ち、すっかり痩せ細っていた。もう立つことも出来ず、まるで影のように板壁にぐったりと寄りかかっていた。
(森禮子著『五島崩れ』より)
1867(慶応3)年に起きた「浦上四番崩れ」の後も、明治政府は、キリシタン禁制を続行。五島では翌年の明治元年1868(明治元)年9月、久賀島でキリシタン迫害が始まる。いわゆる「五島崩れ」である。
フランス人宣教師であるプティジャンの書簡には、この時の様子が次のように記されている。
「只今、数名の信者が腸を断つばかりの報告を齎して五島から参りました。南五島の小さな久賀島では、男女合わせて百九十名ほど一軒の牢屋に閉じ籠められ、背教を肯じない為に一ヶ月前から酸鼻見るに忍び難き責め苦を加えられています。すでに九名は非命の死を遂げ、他は長い長い死苦のうちに消え失すべき運命に置かれているのです」
牢内に囚われること8ケ月,一般信者はすぐ解放された が,指導的立場の信者が解放されたのは,それから2年余 後だった。
その間牢内で死亡した者39人,出牢後死亡した 者4人を数えた。
1969(昭和44)年,九州電力発電所の建物を利用し,殉教 者顕彰のための聖堂が創設された。その後1984(昭和59)年 記念聖堂が建立され,牢跡には殉教記念碑が建てられてい る。
About 100 kilometers west of Nagasaki Prefecture, Western coast of Kyushu, more than100 islands are floating in the eastern end of East China Sea. The group of these islands is called the Goto (five islands) Islands. It’s five main islands are Fukue , Hisaka , Naru , Wakamatsu , and Nakadori Island.
The Islands were a historically important center for transportation between Japan and mainland China, and served as the last stop for a ship carrying a Japanese envoy that crossed the sea on its way to Tang Dynasty China in 804.
The Goto Islands are also known as a place many inhabitants converted to Christianity before and during the Edo period (1603-1867) as a result of the efforts of European missionaries, so we can see numerous Catholic churches everywhere on the islands.
I had enjoy your picture.
How do you do, Mr.“J”san,
Welcome to my Tenkuu Café!
I’m very pleased to have your compliment.
Though I’m a very poor speaker of English,
I'll try my best to make myself understood in simple English.
So, please visit my blog again!
Thank you so much.
こんばんは。
お久しぶりです。しばらくぶりにコメントを書き込ませてください。私もすてきなsogoさんの写真を楽しんでいる一人です。コメントを書き込まなくても、毎日Tenkuu Cafe にはお邪魔させていただいています。
先ほどまで、龍馬伝を観ていました。お元が隠れキリシタンという設定の場面を観ながら、sogoさんの五島列島シリーズの写真と解説を思い出して、今コメントを書き込んでいる所です。
私も数年前五島列島を旅した事があります。その時は、長崎での龍馬の足跡を訪ねる旅でした。時間の余裕があったので、ぐるっと軽く一回りと思って船で渡りました。
自然が美しく、海がきれいな島ということで、「ゆっくり景色を楽しもう!」という軽い気持ちで渡りました。
行ってみて、五島列島と言うのは遣唐使やキリシタンと言った、日本史の中でもインパクトのある内容が詰まっている所と言うのを始めて知り、私の知識の無さを思い知らされたものでした。
龍馬を訪ねる旅だったのが、隠れキリシタン
の歴史に触れ、その事の方が強く印象に残った事を覚えています。
家に帰ってすぐ、遠藤周作の「沈黙」を読み返したり、大磯にあるエリザベスサンダーホーム敷地内にある、澤田美喜記念館を訪ねたりしました。今から思えば、五島列島の隠れキリシタンの歴史にかなりズシンとやられたのだということでしょうね。
澤田美喜記念館は、それこそ隠れキリシタン関係の様々なコレクションがあります。隠れキリシタン関連の資料としては、超一級のものがあります。見学するのには、予約が必要ですが、本当に丁寧に説明をしてくださいます。私は、特別に「鏡」に光を反射させるとキリストの像が浮かび上がるという「魔鏡」を見せてもらいました。
澤田美喜の話になったので、ついでにもう少しさせてください。澤田美喜は戦後、進駐軍兵士と日本人の間に生まれた、子供の世話をする「エリザベスサンダーホーム」という児童施設を大磯駅前の広大な敷地内に作った事で有名ですが、敬虔なクリスチャンでもあったのです。
そして、祖父があの岩崎弥太郎で、ここで龍馬と繋がってくるというオチで締めたいと思います。
それにしても、五島列島の写真、素晴らしすぎます。
芋焼酎さま。
こんばんは。
たいへんご無沙汰しております。
いつもご覧いただき感謝しています。
さっそくですが、芋焼酎さんのコメント読ませていただき、最後の
あまりにも見事な、“オチ”に、一瞬、目がテンになってしまいました。
大磯の「エリザベス・サンダース・ホーム」や澤田美喜さんのことは、
以前から、テレビで見たり、知人との関係で、名前はよく知っていたのですが…..
そうだったのですか。弥太郎のお孫さんだったんですね。
私も昨日、『龍馬伝』を見たばかりだったので、なおさら驚きました。
澤田美喜さんの偉業とは関係ないのかもしれませんが、何か不思議なつながりを感じます。
是非、「エリザベス・サンダース・ホーム」訪れたいものです。
芋焼酎さんからは、いつもインスパイアされます。
ありがとうございました。