ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

未来への希望

2008-11-15 00:42:47 | Weblog
ダライ・ラマ来日講演集『未来への希望』。大蔵出版。

この本は、2007年秋にダライ・ラマ法王が来日講演した際の内容をまとめています。
2007年は日本各地で講演会を行い、その対象は、中学生・高校生から一般までと
とても幅広い層だったようです。

仏教は、キリスト教やイスラム教のような「神」をもたず、
心の科学をおこなう無神教的な考え方をとる。
しかし、どの宗教であっても、目的は同じで、人間が幸せになるためのアプローチ。
その方法論が違ったとしても目的は一緒なのだから、
お互いを尊び、対話を続けていけば、人類はもっとしあわせになれる。
そう語ります。

そして、チベットを侵略した中国共産党に対しても、
これと同じ態度をとり続けているダライ・ラマという人は、
本当にすごい人だと思う。

私には、それほど強力な敵はいません。
敵との対面よりも、もっと心を乱すことは、好きな人に対する執着。

先日、結婚を決めた高校の同級生の男性は、
「女性は嫉妬するくらいのほうが、いい」と話していました。
でも、私には「ほどほど」の独占欲や、「かわいい」嫉妬など、
とてもわからないでしょう。

それよりも、「好きだ」と思う気持ちがやって来たこと、
そんな気持ちを私にくれたことを、その相手に感謝していたい。
だけど、こんなきれいごとではいかないからな。

〈宗教化〉する現代思想

2008-11-13 00:06:01 | Weblog
これは、昨日、大阪からの帰りの新幹線で読んだ本。
光文社新書、仲正昌樹著。

感想を一言で言うと「読みやすい!」
私は西洋哲学を体系的に学んだ訳ではなく、
芋づる式で興味がある哲学関連の本を乱読してきたので、
この本の、シンプルにまとめられた哲学の流れの紹介は、
たいへん助かりました。

ギリシアから続く西洋の哲学史について、
日本の学校教育で、一連の流れとして学ぶことはないけれども、
欧米人と話すときには、それは知識としてのデフォルトなわけで、
それがとても、日本人にとってはコンプレックスに感じられると思う。
(少なくとも、20歳当時の私にはそうでした)
ついでに、日本人は東洋哲学の流れも体系的におさえていないし、
じゃあ、日本はどうなの。東洋はどうなの。と、
欧米人から質問されると、もっと困る・・・。

ということで、西洋哲学の流れを
ここまで平易にまとめてくれたことに対して、
まずは著者に感謝を気持ちを述べたいと思います。

それに「サヨク」に対する嫌悪感に近い感情は、
とても共感できるところがありました。
そうそう、彼らの、自分たちが理性的だと勘違いしてて、
「サヨク」という宗教にはまっていることに、
気づいてないのが困るんだよね。
という感覚は、
私が高校時代、教師のみなさんに対して持っていた感情まさにそのまま。
痛快でした。

それに、形而上学についての説明はよかった。
ジャック・デリダの脱構築についても、ここまで素人にも
わかりやすく説いた本はないのではないかとも思いました。
いろいろな意味で、ツボにはまった一冊。

著者の相対的な考え方に対する立ち位置は、
もともと統一教会の信者だった方だというけれども、
むしろ仏教的な印象すら受けました。
きっと「中論」なんかも、うまくわかりやすく
書いてくれるに違いない。
そうだなあ。もし機会があったら「華厳経」について
書いて欲しいな。

いつもは退屈な新幹線の時間が、
とても楽しい時間になりました。感謝です!

容疑者Xの献身

2008-11-12 00:24:05 | Weblog
日曜日から大阪出張に行き、先ほど帰宅しました。
その行く新幹線で読んだのは、友人から勧められた『容疑者Xの献身』。
ちなみに映画は観ていません。

東野圭吾さんの小説を読むのは今回がはじめてでしたが、
物語のプロットがとてもしっかりしたミステリーだと思いました。
詳しくはよくわからないけれども、ジャンルとしては「本格」なのかしら。

日付のトリックがあること、
逃げられないところまで自分を追い込むこと、
そして消える、という道筋しか残らないことは、
ある程度まで読むと、見えてくるとはいえ、
ネタがある程度わかっても読み進めたくなったので、
なかなか見事な書きっぷりだと思いました。

それにしても、誰も幸せにならないエンディングというのは、
なんとも後味が悪く、たいへん気に入りました。

ただ、感情移入して泣くほどではなかったです。
私にこの本を紹介してくれた人は、本でも映画でもよく泣けたようですが、
そこまではのめり込めませんでした。

直木賞受賞作なのですねえ。
「このミス」でも1位をとっているとか。
確かに、読み応えがありました。

個人的には、純粋にミステリーとして選んだ場合、
綾辻行人さんの『十角館の殺人』が一番好き。
あれは、絶対映画化、というか視覚化できないし、
本で楽しむしか方法がありません。
スケールの大きさが予算の関係で映像化不可能、というのでもいいんだけど、
文章でしか楽しめないミステリーが読みたいなあ。

幻戯

2008-11-09 00:07:13 | Weblog
中井英夫さんのベストセレクション『幻戯』を読みました。

『虚無への供物』は、日本のミステリー史上に残る名作と言われているけれども、
私は、いまひとつ、その「よさ」がわからなかった。
でも、読後なんとなくのこるものがあったので、
なんとなく、この残滓は今後ミステリーを読む上での判断基準になるのだろうと思いました。

『幻戯』には、21の短編が収録されています。
その中で、特に心に残ったのは「黒鳥譚」と「見知らぬ旗」。

「黒鳥譚」を読んだとき、的外れかもしれないけれども、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を思い出しました。
カラマーゾフで語られる原罪が、ここでは「恥」という言葉で
表現されているように思いました。
それは、生き延びてしまったことゆえの「恥」。
いま生きている人は、みな生き残り。
戦争のない平和な日常に生きていたとしても、この世界は「生き残り」の日常。

「見知らぬ旗」は、三島由紀夫が中井がこんな文章を書くとは思わなかった、
と言った作品。
確かに、そこには三島の『豊饒の海』に通じる時代観がありました。
もし、「見知らぬ旗」に書かれているとおり、
太平洋戦争の末期、銀座には自由な雰囲気があふれていて、
みな戦後にいかに繋げるかを考えていたとしたら、
私は同じ日本人として、救われるなあ。
少なくとも祖父母の世代を尊敬します。

約15年前、北京に留学した時、
よく中国人の戦争を経験していない若い世代から
日本の戦争責任について、問いつめられ、
永遠に中国人とは仲良くなれないと確信したけれども、
いまの中国人はすっかり生活が豊かになったからか、
あんな議論をふっかけてくる人はめっきり減った。

人にとって、一番重要なのは今。
その時間が豊かであれば、他人にも寛容になる。
そこにポッカリと広がる「虚無」。

たとえ見えたとしても目をそらせるべき「虚無」。
それを「熟視」した人を、心の底から尊敬します。

悪夢のエレベーター

2008-11-07 23:40:16 | Weblog
大好きなサッカー選手のブログで、先日紹介されていたので読んでみました。
『悪夢のエレベーター』木下半太著。
帯で知ったけれど、2008年9月に舞台化されたのだとか。
まったくノーマークでした。

4名が閉じ込められたエレベーターの中、
そこで繰り広げられる会話が、3人の角度からそれぞれ描かれていました。

章によって語り手が変わる、ということは、
主役が希薄になる→視点が定まらない→作者すら物語溶け込んでいるような感覚
が出ていて、そこはとてもおもしろかった。

あと、結末。
予想外ではありました。
確かに舞台にすると、おもしろいシナリオになりそうです。

しかしながら、若干の違いがあるとはいえ、
ほぼ同じ会話を3回も読むのは、少し疲れました。
それぞれの人物が、背景となる状況を少しずつ補完してくれるのだけれど、
基本的には、もう知っているストーリー。
そのため、2人目以降は、ほとんど読み飛ばしてしまいました。

このように、登場人物それぞれの目線から物語を描いている作品としては、
『真夜中の五分前』は、とても面白かったな。
人物の内面が、よく描かれていたと思うし、構成もしっかりしていたと思います。

それにしても、いろいろな文章表現が出て来て、豊かになって来ているのに、
なんで出版不況なのかが、不思議です。

ダライ・ラマ法王

2008-11-06 22:04:37 | Weblog
今日は、ダライ・ラマ法王の講演会に行きました。
ダライ・ラマ法王の講演会に行くのは、今回で3回目。
その中でも、今日の講演は、一番内容が濃くて、よかったと思います。

何年か前は、妙なヒーリング系の人たちが多くて、
彼らは半分以上どこかに繋がりながら、
独りよがりに思える雰囲気で、座禅を組みながら話を聞いていたし、
前回は、ロビーのグッズ販売があまりにも盛り上がりすぎていました。

今日は、私たち聴衆もダライ・ラマ法王の著書や仏教関連の本を読んでいる人たちが
中心だったように思います。
また、やりすぎなグッズ販売もなくて、
ダライ・ラマ法王の著書や仏教関連の書籍販売がメインだったし、
コンセプトが「ダライ・ラマ法王の話を聴く」という一点にしぼられており、
とても好感がもてました。

ダライ・ラマ法王の話は、常に慈悲と利他を説いているのですが、
今日は、初心者向けの話の中にも、仏典からの引用や、
仏教用語による概念の解説が出て来て、要所でゾクゾクしました。

特に、般若経、ナーガルージュナの『中論』やサーンキャ哲学への言及があったのは、
これまでの一般向け講演会にはないことでした。
「空」の概念については、『中論』を読んでも、わからないことだらけでしたが、
頭で理解したことを実践をとおして、より深く理解していくこと、
日常とはその繰り返しであることの意味を、改めて教えていただきました。

私は仏教を体系的に学んだ訳ではないし、
仏教関連の本では、中村元先生の『ブッダのことば』が一番わかりやすくて好きだけれども、
もう一度、仏典や注釈書にチャレンジしてみようと思います。

それにしても、今日の聴衆を少し高いところから眺めると、
その頭の色は、黒、白、照り。
いい光景でした。

質疑応答の時間、柔道の石井選手がした質問も、サプライズでとてもよかった!

帰り際、両国国技館を振り返って見上げると、チベットの国旗が翻っていました。

ホメロス

2008-11-05 22:59:35 | Weblog
約1ヶ月かけて、ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』を読みました。
岩波文庫、松平千秋訳。

神々と人間の世界が渾然一体となった世界。
もともとは語り聞かせるために紡がれた物語は、文字を目で追っていても、
自然に発語のペースになっていき、いつもとは違う速さで読書の時間が流れました。

『イリアス』は、とにかく登場する人物が多かった。
正直なところ、物語にひたるよりも、カタカナの固有名詞を覚え、
人間(&神々)関係を覚えることに終始してしまった感があります。
登場する神々は、みなが全知全能の神なのに、それぞれ弱点があったり、
階級があるのがおもしろい。

『イリアス』に比べて『オデュッセイア』は、読みやすく、
物語として面白く思いました。
トロイア戦争が終結した後、英雄オデュッセウスが故国イタケへ帰るまでの冒険譚は、
昔、子ども向けの本で読んだときのことを思い出しました。
セイレンの話は、確か幼稚園生だったときに、母が読み聞かせてくれました。

この物語の登場人物たちは、神々の世界を思い描くことを通じて、
人よりも豊かで強力な自然界を理解していたばかりでなく、
自分を客観視し、身の丈を知っていたのだと思います。

それは、運命に流されるというような受動的な生き方ではなく、
神々の世界があるからこそ、自分に与えられたことを精一杯全うする、
という満ち足りた人生だったのだと思います。

「我思う、ゆえに我あり」は素晴らしい言葉だけれども、
ギリシア的な「天啓」のほうが、私にはぴったりくるような気がしました。

それにしても、精興社書体はグッときます。

哲学者の密室

2008-11-05 00:05:12 | Weblog
昨日少しふれた『哲学者の密室』について。

笠井潔さんの矢吹駆シリーズは、どの作品もいろいろな刺激をくれるのですが、
『哲学者の密室』では、特に「死」について考えさせられました。

マルティン・ハイデガーと、エマニュエル・レヴィナス、
『哲学者の密室』をとおしてこの2人の思想に出会ったとき、
私はちょうど、植物状態にある、1人の家族と向き合っていました。

ハイデガーの言う、死の可能性に先駆したことから生きられる今。
死を、たった一瞬の区切りとし、そこから現在に立ち返り、
本来的な生き方を可能にしようという考え方は、
それまでの私がもっていた「死」と「生」のイメージ、そのものでした。

しかし、病院の中で、10年以上も植物状態にある人間は、
ハイデガーの言う死の先駆性を剥奪された存在でした。
それは、レヴィナスの言う「存在の夜」。
死は、はじまりも終わりもない不気味な過程として、そこにありました。

そして、「愛情」はあるのに、どうしても心に忍び込んで来て離れない、
「存在のおぞましさ」に対する恐怖や嫌悪感。
「自分らしく生きること」「個性を発揮すること」といった価値観は、
どんな意味も持ち得ないように思える無力感。

そんな生活も、数年前に終わりました。
小さい頃から読書は好きだったけれど、
いま、心の底から本を読むのが楽しく思えるのは、
きっとあの時期に、出会うべき本に出会えたからなのでしょう。

スターリングラード

2008-11-03 20:39:01 | Weblog
今日は、ドイツ映画のDVDを観ました。タイトルは「スターリングラード」。
第二次世界大戦中の1942年、ドイツ軍がロシアに侵攻したときのお話です。
スターリングラードは、ドイツ、ロシア両軍の戦死者あわせて約100万人という
大激戦区だったそうです。

この映画を観るきっかけとなったのは、笠井潔さんの小説『哲学者の密室』。
『哲学者の密室』は、私がこれまでに読んだ本の中でも、
一気に読む本の幅を広げてくれた大著で、
小説中の重要人物、ヴェルナーSS少佐が経験したという東部戦線についても、
もう少し詳しく知りたいと思いました。

『哲学者の密室』の重要なテーマは、哲学者マルティン・ハイデガーの現象学。
「特権的な死の封じ込めである密室の殺人」から始まる考察にあります。

そして、「特権的な死」に対置されているのが、
戦場や絶滅収容所で、名もなく死んでいく人たちや、
生死の境も定かでない、永遠に続く死。

「スターリングラード」の印象は、台詞がよく考えられているということ。
『哲学者の密室』の作中で交わされていた哲学的な会話を補完してくれました。
特に、最後の方で、あるドイツ将校が「自殺は難しい」と言うシーンのあたりは、
この作品のシナリオをつくるまでに、
ものすごく深い哲学論争を、スタッフ同士で行ったのではないかと
感じさせられました。

ドイツという国には行ったことがないけれども、
いまでも変なアレルギー反応をしないで、
しっかり戦前・戦中の流れも含めて、
いまの学生にも哲学教育もしている国なのでしょうか。

戦争の映画は、むごいシーンも多くて、気がめいることもあるけれど、
「スターリングラード」は、観てよかったと思える映画でした。