先日より、児童文学に触れる機会が多い。
小学校2年生のとき、肺炎で1ヶ月間、入院した。
そのときのお気に入りだったのは「ぼくは王さま」シリーズ。
両親が離婚でもめていた小学校5年生のころは、
「はなはなみんみ物語」が大好きだった。
あの頃は、本を開くたびに、大きな世界が広がる感覚をもっていた。
世界観にふれる経緯はひたすら受動的なのに、いつのまにか能動的にその世界で遊んでいる。
いつでもその世界での主役になる能力を持っていた。
久しぶりに児童文学を読んでみると、
この世には、本当に美しく、心に響く文章があるのだと思える。
美しい文章は、ただ景色が美しいだけだったり、きらびやかだったり、
成功だけがつづられているものではなくて、
心の中にどうしても広がるさびしさや悲しさがある。
そのうえで、はじめて救われることがあったり、
やはりすべてが救われるわけではない、という結末に出会ったときに、
読み手は本当の美しさに気づくことができる。
読み進めるうちに、涙が出てきた。
いま、このタイミングで児童文学に再会したことは、
私にとって、本当にいいことなんだと思う。
小学校2年生のとき、肺炎で1ヶ月間、入院した。
そのときのお気に入りだったのは「ぼくは王さま」シリーズ。
両親が離婚でもめていた小学校5年生のころは、
「はなはなみんみ物語」が大好きだった。
あの頃は、本を開くたびに、大きな世界が広がる感覚をもっていた。
世界観にふれる経緯はひたすら受動的なのに、いつのまにか能動的にその世界で遊んでいる。
いつでもその世界での主役になる能力を持っていた。
久しぶりに児童文学を読んでみると、
この世には、本当に美しく、心に響く文章があるのだと思える。
美しい文章は、ただ景色が美しいだけだったり、きらびやかだったり、
成功だけがつづられているものではなくて、
心の中にどうしても広がるさびしさや悲しさがある。
そのうえで、はじめて救われることがあったり、
やはりすべてが救われるわけではない、という結末に出会ったときに、
読み手は本当の美しさに気づくことができる。
読み進めるうちに、涙が出てきた。
いま、このタイミングで児童文学に再会したことは、
私にとって、本当にいいことなんだと思う。