ROSE POSYのハンドクラフト・ブログ

”手仕事”の楽しさをお伝えできればと思います。ROSE POSYオリジナル作品もどうぞお楽しみ下さい。

沈黙は金なり ~展覧会のマナー~

2008年11月05日 | ROSE POSYのひとりごと
ちょっと、久々にぼやき&辛口モードです。

先日、学校主催の作品展示会で遭遇した出来事です。学校の生徒さんらしき人が友達を連れ立って会場に来ていました。私とその人たちはお互いに面識はありません。

そ の友達(お客さん)の方が、私の作品コーナーに立ち止まって、ある作品をしかと手にとり、「可愛いね~。」と言ったので、遠くから心の中でありがとう!とガッツポーズを していました。すると同伴の生徒さんが、一瞥するなり「この人のね、可愛いのは石だけだね。」 と吐き捨てるように言いながら通り過ぎました。

その生徒さんは他の作品もにぎやかに”品評”していたようで、会場はそんなに広くないですから、いやがおうでも聞こえちゃいます。その場にはお客さんだけではなく、私のような他の生徒もいましたし・・・。

  

”可愛いのは石だけ” か・・・。言いたいことはすごくわかります(タメイキ)。まあ、私の場合、デザインも技術も未熟ですから、”可愛く見える石(そんなもんがこの世にあるのか?!)を使って、人の目をくらませてるだけ。作品としては全然たいしたことない。”、と言いたいその人の気持ちもわからなくはないですけど・・・。でも、それを言う場所を考えて欲しかったですね。

一方的に言われっぱなしも悔しいのでこの場を借りて、持論をぶちまけちゃいますと、石というのは、そのままでは所詮はただの石でしかなく、自力で自分をかわいく演出したり、かっこよく見せることができません。無表情の石に命を吹き込み、石自身に何かを”語らせる”のは、ずばり、『ひとの手』(デザイン+造り)です。つまり、人による表現、作為のことです。

陳腐な石でも、デザイン次第で可愛くも見せられるし、クールにも見せられる。同じ石でもつくり次第で、やぼったくもなるし、かっこよくもなる。クラシックな感じにもコンテンポラリーにもなる。けして、裸石がひとり歩きして勝手に可愛い子ぶってるわけじゃないんです。

この世には何のためにデザインがあり、デザイナーという職業があるのでしょうか。それは、『素材』に新しい”価値”を与えるため、ということじゃないでしょうか。布切れだけでは可愛い服は作れません。鉄板だけではカッコイイ車は作れません。・・・とても当たり前のことだと思いますが。
   

たまたま、身近で残念なケースに遭遇してしまいましたが、絵 画など一般的な芸術の展示会でも、他人の作品を”したり顔”で品評している人が必ずいます。絵描きを 趣味にしているうちの姑さんが、まさにこの典型パターンでして、ひそかに心を痛めております。

絵画展に連れて行くとプロの絵を眼前にして、”おかしな色使いだわね”とか、”バランスが悪いね”、”顔の書き方がヘタね。”などと、口さがなくあーだこーだと批評するので、ドキドキハラハラ、思わず周囲に人がいないか振 り返ってしまいます。もし後ろに作家さんがいたら、と思うとぞっとします。悪気はないのだと思いますが、デリカシーもないっつうか。(^^;;

私は絵はまったくの素人なので、姑は人の絵を批評することで自分の技術力や知識をアピールしているつもりかもしれないですが、やっぱり、ネガティブな感想はいい気持ちはしません。そんな貴女はドンダケ素晴らしい上手い絵を描くの~?というと、(まあおそらく巧いのかもしれないけど、)プロの絵と素人のそれの区別もつかない私にはまったくもってわかりません。

  

素人が何も知らずに頭で思ったことをべらべら言ってしまうのは、まだしょうがないと許せるものの、同じ道を志す者同志が作品を鑑賞する場合には絶対にそうしてはいけないのです。その人の品格が疑われるだけです。

良い作品はまずおおいに褒めて、じっくり鑑賞し、なぜ良いのかを自分なりに学び取り、そうでない作品は黙ってやり過ごす。これが芸を志す者同士のプロトコルです。技を極めた人にもいえることだと思います。(ただ、師が直接、生徒に向かって、改善すべき点を言うのはこれまた意味が違いますが・・・。)

工芸・美術に限らず、アートというのは作り手の”世界観”です。ネガティブな発言は、その人の世界観を否定することになりかねません。常に『制作者がそこにいるかもしれない』ということをよく肝にすえて、人の作品を鑑賞する際には、心を込めて拝見し、細心の心配りを したいものです。