本日の「冒頭の一枚」は、今朝、津幡銀座中央商店街にて撮影。
「太白山神社例大祭」のため、店頭に赤地白抜き文字の紙を掲示する様子だ。
「太白山神社」は、JR七尾線・中津幡駅近くにある社。
そのプロフィールについては、お宮前に建つ石碑より引用する。
『御祭神 大禍津日神(おおまがつひのかみ)
御神徳 生命の修理固成を司り、万物を生かす霊威を包合し、
殊更に罪穢を忌嫌われ罪穢を浄化し給う霊力のある神なり。
由 来 当社は、現在の清水八幡神社(延喜式内笠野神社と言われる)が
慶長元年(西暦一五九六年)まで大白山に鎮座せし跡地を
聖地として神祠を建立し、清水八幡神社の末社大白山社として
創祀したに始まる。
明治二年風災により神祠損壊し、同二十四年社殿新築竣工まで
本社清水八幡神社御神輿渡御の神事は、この由縁に基づくものなり。
昭和三年十月八日指定村社に列格、神饌幣帛料供進神社となる。
昭和八年六月三十日本殿新築、慶賀祭斎行。
昭和十五年年六月二十一日社殿創建五十年慶賀祭斎行。
昭和五十五年六月二十一日社殿創建九十年祭斎行。
右縁起如件
昭和六十三年 六月吉日』
つまり、平成二十四年の今月で
社殿創建一二二年を迎えた社の周囲は、歩行者天国。
普段は決して人通りの多くない路上に夜店が並び、獅子が舞う。
『通称「けんか獅子」と呼ばれ、6月21日に近い日曜日と
9月15日に獅子を出している。
現在の獅子頭は、昭和35年(1960)に富山県井波の
野村清太郎氏によって造られたもので、
表面には白鹿の皮が張られている。
蚊帳は、昭和52年(1977)に作られたもので、
麻布で牡丹を左右上部の中央にあしらい、巻毛模様が施されている。
ホネを3本入れ蚊帳の内側で縛り、
尾は3.4mの竹に2mの赤く染めた麻をつける。
衣装は、頭持ちが黒の腹がけにパッチ、
黒地に白で「つ」と染め抜かれた錦帯、
太白会と書かれた紺の法被を着、豆絞りの鉢巻に白足袋、
雪駄または女物の下駄を履く。
一方、棒振りは法被、錦帯を脱ぎ、
白か黒のシャグワン(赤熊冠)をかぶり、棒を振る。
棒振りの流技は、竹橋の故角尾伝蔵氏より伝わるもので、
金沢市大樋町の流れを汲むものといわれている。
「波自加弥神社誌」には、津幡に半右衛門流という
流派があったとされているが、
角尾伝蔵の広めた流派であることかは定かではない。
現在、長刀・太刀が行われているが、以前はチキリキ、鎖鎌があった。
囃子は、演技をするときは「舞バヤシ」、
行進をするときは「ノーエ節」「豊年満作」などを演奏する。
以前は蚊帳の中で演奏したが、
現在は蚊帳の外にいて獅子の後方に位置する。
獅子舞の道具一式は、祭礼日の3日前に神社の拝殿に飾る。
家々からの花(祝儀)には
「目録一ツ金貨一封御酒肴ハ沢山、右ハ御当町○○様御贔屓トアッテ、
津幡太白会獅子若連中ヘ下サル」と言上する。』
(※津幡町HPより引用、原文ママ)
耳馴染みの賑やかな祭囃子が響く一方、
沖縄囃子に誘われてお宮の境内へと足を運ぶと、そこには華やかな一団が。
昨年に続き登場した「琉球楽団 太陽人(てぃーだんちゅう)」のステージ。
やんやの喝采を浴びて盛り上がっていた。
天幕と提灯と紅白幕。
これぞ村の祭りの寿ぎである。
「太白山神社例大祭」のため、店頭に赤地白抜き文字の紙を掲示する様子だ。
「太白山神社」は、JR七尾線・中津幡駅近くにある社。
そのプロフィールについては、お宮前に建つ石碑より引用する。
『御祭神 大禍津日神(おおまがつひのかみ)
御神徳 生命の修理固成を司り、万物を生かす霊威を包合し、
殊更に罪穢を忌嫌われ罪穢を浄化し給う霊力のある神なり。
由 来 当社は、現在の清水八幡神社(延喜式内笠野神社と言われる)が
慶長元年(西暦一五九六年)まで大白山に鎮座せし跡地を
聖地として神祠を建立し、清水八幡神社の末社大白山社として
創祀したに始まる。
明治二年風災により神祠損壊し、同二十四年社殿新築竣工まで
本社清水八幡神社御神輿渡御の神事は、この由縁に基づくものなり。
昭和三年十月八日指定村社に列格、神饌幣帛料供進神社となる。
昭和八年六月三十日本殿新築、慶賀祭斎行。
昭和十五年年六月二十一日社殿創建五十年慶賀祭斎行。
昭和五十五年六月二十一日社殿創建九十年祭斎行。
右縁起如件
昭和六十三年 六月吉日』
つまり、平成二十四年の今月で
社殿創建一二二年を迎えた社の周囲は、歩行者天国。
普段は決して人通りの多くない路上に夜店が並び、獅子が舞う。
『通称「けんか獅子」と呼ばれ、6月21日に近い日曜日と
9月15日に獅子を出している。
現在の獅子頭は、昭和35年(1960)に富山県井波の
野村清太郎氏によって造られたもので、
表面には白鹿の皮が張られている。
蚊帳は、昭和52年(1977)に作られたもので、
麻布で牡丹を左右上部の中央にあしらい、巻毛模様が施されている。
ホネを3本入れ蚊帳の内側で縛り、
尾は3.4mの竹に2mの赤く染めた麻をつける。
衣装は、頭持ちが黒の腹がけにパッチ、
黒地に白で「つ」と染め抜かれた錦帯、
太白会と書かれた紺の法被を着、豆絞りの鉢巻に白足袋、
雪駄または女物の下駄を履く。
一方、棒振りは法被、錦帯を脱ぎ、
白か黒のシャグワン(赤熊冠)をかぶり、棒を振る。
棒振りの流技は、竹橋の故角尾伝蔵氏より伝わるもので、
金沢市大樋町の流れを汲むものといわれている。
「波自加弥神社誌」には、津幡に半右衛門流という
流派があったとされているが、
角尾伝蔵の広めた流派であることかは定かではない。
現在、長刀・太刀が行われているが、以前はチキリキ、鎖鎌があった。
囃子は、演技をするときは「舞バヤシ」、
行進をするときは「ノーエ節」「豊年満作」などを演奏する。
以前は蚊帳の中で演奏したが、
現在は蚊帳の外にいて獅子の後方に位置する。
獅子舞の道具一式は、祭礼日の3日前に神社の拝殿に飾る。
家々からの花(祝儀)には
「目録一ツ金貨一封御酒肴ハ沢山、右ハ御当町○○様御贔屓トアッテ、
津幡太白会獅子若連中ヘ下サル」と言上する。』
(※津幡町HPより引用、原文ママ)
耳馴染みの賑やかな祭囃子が響く一方、
沖縄囃子に誘われてお宮の境内へと足を運ぶと、そこには華やかな一団が。
昨年に続き登場した「琉球楽団 太陽人(てぃーだんちゅう)」のステージ。
やんやの喝采を浴びて盛り上がっていた。
天幕と提灯と紅白幕。
これぞ村の祭りの寿ぎである。