つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

劇的な津幡町の春。

2012年04月13日 07時53分27秒 | 自然
人生を「劇」に例えるなら、演目は主人公が置かれた立場によって様々。
悲劇だったり、喜劇だったり、一人芝居だったり、群像劇だったり。
シチュエーションは千差万別十人十色ながら、それぞれのドラマがある。

そして、一年を一本の作品とするなら、四季は起承転結の「場面」。
光が溢れ、草木が芽吹き、花が咲く春は、
舞台の緞帳が上がり物語が始まるファーストシーンだ。
今年は長かった冬を経て迎えたからこそ、尚更、華やかに感じる。

例えば「冒頭の一枚」…霞のかかる田園。
これを花曇(はなぐもり)とも言うらしい。
桜の咲く季節に、空一面が薄ぼんやりと曇り、景色が煙って美しい。
暖かく湿潤である証なのだ。
山々からは、春告げ鳥…春が来たことを知らせる「鶯」の声が聞こえる。
生命の息吹が音になって心地よく耳を打つ。
歩きながら自然と笑みが零れてきた。

視覚を刺激する春の真打は、やはり「桜」。

 

津幡小学校のグラウンド沿いにある桜並木は、淡い紅の帯である。
週末には満開になるだろう。
本津幡駅前の一本桜は3分咲きといったところだ。

 

桜を愛でての帰り道、
通りがかったコンビニ前では、早くもこんな幟がはためいていた。
 
 

少々先取りしすぎの感がなきにしもあらずだが、
これも浮き立つ春ならではの勇み足と考えれば微笑ましい。
そして自宅近くでは“自然の語り部”(※前々回投稿を参照)を発見。

 

春到来を告げる使者…初燕である。
コメント
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