リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

164. 15回目のドイツ旅行(12)ウルムからシュヴェービッシュ・ハルへ

2019年01月16日 | 旅行

 

▶︎15回目のドイツ旅行(12)ウルムからシュヴェービッシュ・ハルへ

 

本を手に取るマリアンヌとホールスト

 

開館前のウルム博物館を訪ねました

 9月18日(火) 朝7時頃、朝食用のパンを買いに出ました。昨夜、どうも近くのサンドイッチ屋さんで買ったパンは味が今一つなので、自分の店で焼いている地元のパンやさんはないのかと探してみたのでした。すると、ウルム大聖堂の裏手の通りでStaibというパンやさんを見付けました。朝6時半から開店しているというので、このStaibまで行ってみたのです。ショーケースにはすでに沢山のサンドイッチが並べられていました。三津夫がハムサンドを選び、私はタマゴサンドにしてみました。合わせて5.3ユーロ。ホテルに戻ってコーヒーを入れて食べたらちょうど口に合うおいしさでした。次回ウルムに来ることがあったら、このパンやさんをひいきにしようと思います。

 さて、この日の朝には特別な用事がありました。ホテルの近くにあるウルム博物館に開館前の9時に伺い、「ウルムの美女」の画像を快く送ってくださったエヴァ・ライステンシュナイダー博士に面会するという約束です。ウルムに来た日は日曜日なのでエヴァさんはお休みです。月曜日は休館日。でも、もし火曜日の朝だったら8時には仕事場に入っているから会えますよというメールをいただいたので、9時にお目にかかる約束をしていたのでした。ドアの横にあるベルを鳴らせば良いと教えていただいてはいたのですが、ちょっとドキドキ。でもちゃんと返事があってエヴァさんがドアまで来てくださいました。小柄で、輝く笑顔が素敵な女性でした。中に入ると廊下で数人の館員の方々が打ち合わせ。学校の朝会を思い出しました。エレベーターで上がると、大きくはないけれど歴史を感じさせる部屋に案内されました。ここでしばし話を交わし、新刊本を手渡しました。こんな写真になりましたよと見せると笑顔でご覧になっていました。エヴァさんに、

「日曜日にはここにいらしたのですか? ノートであなたの名前を探してみたけれど何も書かれていなかったので。」

と言われ、普段、こうしたノートはよほど特別なことがないと書かずに済ませていたので、お世話になったところではきちんと一筆書くべきだったと反省しました。

 お仕事の邪魔になってはいけないので短時間で失礼して、ホテルをチェックアウト。トランクを転がしてウルム中央駅に向かいました。


初めて乗ったヘッセンタール行きの電車

 ウルムからはシュトゥットガルトで乗り換えてシュヴェービッシュ・ハルに向かいます。ここは2006年に半年間滞在してゲーテ・インスティテュートに通った思い出深い町です。木組みの家も多く、中世の雰囲気の残る小さな町。当時、交流家族として親しく面倒を見てくれたマリアンヌもホールストも、その後病気を繰り返し、大分年をとりました。それでも今回はシュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅までいつものように迎えに来てくれるというのです。ヘッセンタール駅はシュヴェービッシュ・ハルに行く途中の乗換駅で、私が留学していた頃はここから出ているバスで旧市街まで行ったものでした。

 今回、シュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅が終点という珍しい列車があり、今まではこんな列車はなかったのに…と思って乗ったら、新しいきれいな車両にびっくり(写真・下)。2016年に来たときまでは従来の古い車両だったのですが、色々と変化するものですね。


 

 

突発性難聴のマリアンヌ

 シュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅に着くとベンチに座っているマリアンヌとホールストが見えました。でも私たちを見付けて歩いてきた姿がいつもとは何か様子が違うのです。ホールストは一度脳梗塞で倒れてからは足下がふらつくことがありましたが、この日はマリアンヌの歩く姿が不安定で、思わず「大丈夫?」と聞くと、マリアンヌは2~3週間前から突発性難聴になってしまい、ふらつくのだというのです。

 私も教員時代に同じ病気にかかったことがあり、回りの人たちから「すぐに病院に行かないとダメよ」ときつく言われて翌日休暇を取って病院に行ったのでした。その後大分回復はしましたが、当時は耳の奥でいつもトラックが走っているような音がし、会話もよく聞こえず苦労したことを思い出しました。マリアンヌはめまいがしてふらつきが出るのと、自分の声が頭の中でズレて聞こえるので気持ちが悪くなる症状のようです。それなのに歓迎の昼食とケーキまで、沢山お料理してくれて、私たちを迎えに来てくれたのでした。胸が痛みました。ありがとう。


 この日は直接お二人の家に行き、いつものマウルタッシェン、カボチャスープの昼食をいただいてからゆっくり今までの事を話しました。そして翌日の予定を考えました。私の本に画像を掲載させていただいたミヒャエル教会とハル・フランケン博物館への寄贈用として本を2冊持っていったのですが、マリアンヌはお友だちが亡くなって明日の午後は葬儀が入ってしまったので、時間をどう調整するか、あちらこちらに電話を入れて考えてくれました。彼女は「今夜の夕食は家で食べるから」と準備してくれたので、一端ホテルにチェックインするためにホールストが車を出してくれました。急ぎチェックインして再びマリアンヌの待つお宅へ。


豪華な食卓


そしてマリアンヌお得意のツヴェッチゲン・クーヘン(セイヨウスモモのケーキ。辞書ではツヴェッチェン・クーヘンと出ていますが、シュヴェービッシュ・ハルではこう発音していました。)


 再びバラの咲くシュピーゲル家に戻ってからはベランダで二人の馴れそめも初めてじっくり聞き、「夕食は簡単なものよ」と言いながらもチーズやサラダをお腹いっぱいになるまで出していただきました。

 8時半頃、モニカがやってきました。彼女はホールストの元部下で、現在も毎週訪問してくるという私たちよりちょっと若い女性で、一緒におしゃべりの輪に加わりました。お子さんがいるらしいのにこんな夜遅くまでいて大丈夫なのかなと気になりました。マリアンヌの疲れた表情も気になり、9時半頃には失礼したいと申し出ました。するとモニカがホテルまで送ってくれるというのです。彼女に帰りの車の中で聞いたところでは、ホールストもマリアンヌも体の状態が万全ではないため夜の運転は無理だからと、最初から彼女が仕事帰りに寄って私たちを送る段取りになっていたそうです。そこまで皆さんにお世話になって、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで一杯になりました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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