リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

214. 16回目のドイツ旅行(17)雨のモースブルクとランツフート

2020年04月29日 | 旅行

▶今日は雨の一日でした。



ハンス・ラインベルガーの「休むキリスト」

 

◆2019年7月31日(水)まずはモースブルクへ。

 朝起きたら雨でした。うっかり充電していた小さいデジカメ(チビデジと呼んでいます)を忘れて出発。私は一眼レフで作品を写し、チビデジで館内カード、建物、主立った目印やちょっとした面白いものなどのスナップを撮りわけているのですが、こういうときは教会を写しわすれたり、駅の写真を撮り忘れたりすることが多いので、あとからガックリするということも。気をつけなければ。

 モースブルクへはランツフート中央駅からニュルンベルク行きで一駅目。たった5分で到着です。これがしんどいスタートとなりました。三津夫は列車内でトイレに行くことができましたが、私は行く暇がなかったのです。

 モースブルクの聖カストゥールス大聖堂には2016年に箭本啓子さんと3人で来たのでしたが、その時にはハンス・ラインベルガー作の祭壇ばかりに注目していて、祭壇横に並んでいた4枚のレリーフに目が行きませんでした。今日は、あのとき気が付かずにいたハンス・ラインベルガーの浮き彫りと、さらに磔刑像、ペストのための奉納石碑の3点をしっかりと見に来たのです。  
 祭壇の手前には柵があって中に入ることができません。祭壇両脇のレリーフはすぐにわかりましたが、壁が斜めになっているため真っ正面からは写せませんでした。そしてどうしても遠目からの撮影になるので、もう少し性能の良い望遠レンズでないと詳細が写せないなぁと思いながら撮影していました。そうこうしているうちに次第にトイレに行きたくなってきました。雨の中の教会は冷えるのです。困った。ドイツの教会にはあまりトイレがありません。ちょうど掃除に来ていた若いお兄さんに三津夫が見たがっていた磔刑像と「ペストのための奉納石碑」(下の写真)はどこにあるのかと尋ねたところ、さらにもう一点磔刑像があると全て教えてくれたので、レリーフを写した後、3点の写真を撮りました。10時過ぎから約1時間、何とか撮影を終えた頃にはトイレのがまんができなくなり、三津夫はお腹も空いていないのにと機嫌が悪かったのですが、教会前のカフェに飛び込んで、取りあえず注文をしてからトイレに駆け込みました。今回の旅の中でも一番の危機でした。

 


ハンス・ラインベルガーの「ペストのための奉納石碑」

 


ハンス・ラインベルガー(1510) モースブルク、カストゥールス大聖堂
 撮影:福田三津夫


◆ようやくランツフートの町を歩きました。

 ランツフートは、中世彫刻家の中でも作品の多い一人、ハンス・ラインベルガーの工房があった町です。この町にアパートを借りたものの、毎日のように出掛けていてなかなか町の探索ができませんでした。ちょうど予定していた今日は生憎の雨。雨合羽を羽織っていても心の中まで冷たく沁みてくるような雨でした。モースブルクから電車で戻り、中央駅から歩いてニコライ教会へ。どこから入るのかと探しているとようやくドアが見つかりました。しかし、あまりにも新しい造りの教会で、私たちが探しているような500年前のキリスト像が見当たりません。奥はさらにドアがしっかりと閉まっています。押してみても開きません。どなたかいれば鍵を開けていただこうとあちらこちら探して歩きましたが、工事をしている人はいても教会の関係者らしき人は見当たりません。念のためもう一度ドアを押してみたら、何だ、ちゃんと鍵は開いていたのでした。先ほどはちょっと恐る恐る開けたので力が足りなかったのかもしれません。ずいぶん時間を無駄にしてしまいました。

 静かな聖堂に入るとハンス・ラインベルガーの「休むキリスト」(写真トップ)がありました。さんざん鞭打たれ、荊の冠を被った状態でこのように休むことができたのだろうかとは思いますが、ラインベルガーは何体か、同じように座っている傷ついたキリストを作っています。写真集第3巻にはボーデ博物館のキリスト像(1525頃の作)を載せました。ラインベルガーの彫るキリスト像は筋骨逞しく、リーメンシュナイダーとは全然違った雰囲気です。特にごつい足はみごとです。ただ、このランツフートのキリストは1520年以前の作で、ボーデ博物館にあるキリスト像よりは筋張っている感じがします。何故かラインベルガー作の他のキリスト像(写真・上)も結構骨張っているので、ボーデ博物館のキリスト像が特に筋骨逞しかったと言えるのかもしれません。

 ここから旧市街までは結構あるので、もう一度駅まで戻り、バスで乗って行くことにしました。28日に通った道です。旧市街で下車してまずは市立博物館に行きました。ここにもラインベルガーがあるはずなのですが、受付のお兄さんは無いといいます。取りあえず見てみてくださいと切符も買わないままで入らせてくれました。ついでにトイレに行かせてもらって助かりましたが、隅々まで探してもやはり彫刻は見つかりませんでした。仕方がないのであきらめて聖マルティン教会でこちらも逞しい聖母子像を見ました。中はこちらも工事中。鉄骨が張り巡らされた中で大きなマリア様ににらみつけられるように感じます。私としては珍しく緊張しながら写しました。この写真は第4巻に載せますが、マリア様の裾の襞が素晴らしく彫られていて、その中に小さな天使が見え隠れしているという他には無い特徴を持っています。

 このあと他にも聖霊教会でラインベルガー周辺作家の「マリアの戴冠」を見て回り、BIO Markt(有機農産物のお店)に寄り、スパゲティと野菜を買って宿に戻りました。それほど遠くないと思っていたのですが、結構歩きました。14,089歩。

 この日の夕食は三津夫が美味しいスパゲティを作ってくれました。

 


ハンス・ラインベルガー周辺作家の「マリアの戴冠」

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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213. 閑話休題 📖本屋さん開店のお知らせ

2020年04月26日 | 自己紹介

▶今日はちょっと旅の話はお休みして、お知らせをさせていただきます。

 
第三巻『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』2018年8月発行 丸善プラネット

 

 
第二巻『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』2013年1月発行 丸善プラネット

 

 
第一巻『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』2008年12月発行 丸善プラネット


◆私が夫と共に自費出版してきた写真集

 もう何度もお知らせしていますが、もう一度だけリーメンシュナイダー三部作の表紙と裏表紙をまとめて載せておきました。
 といいますのは、こうしたマイナーな彫刻家の写真集というものはどこの出版社も相手にしてくれず、大変な苦労をして丸善プラネット株式会社からようやく自費出版してきた📖本ですから、人間の我が子は二人いてもう成人していますが、第二の我が子のようなものです。少しでも多くの方に手にとってリーメンシュナイダーの魅力を味わっていただけたら今までの苦労も吹き飛ぶというものです。

 連れ合いの福田三津夫も数冊の教育書を出版していて、わが家には買い取った本が山と積まれているのです。この重さのためにかどうか、最近は家に歪みが生じ、雨戸が閉まらない、玄関の鍵がかからない、雨漏りがするといった不具合が次から次へと出てきています。新型コロナウィルスで家に籠もらなければならないこの日々、三津夫はずっと気になっていたこれらの本を少しでも減らしたいと、ネット書店に取りかかったのでした。以下、福田三津夫のブログからコピーして宣伝させていただきます。リーメンシュナイダー三部作はAmazonを見ても販売していないシリーズがあり、このネット書店「猫家族」からですと新本が書店よりお安く手に入ります。一度のぞいてみてくださいませ。

 次回は、また旅の続きに戻ります。

〔263〕個人本屋【猫家族】開業-コロナ禍からの反転、ついにネット販売に踏み出しました。

   コロナ禍で右往左往する私たち人間、その原因理由は様々なことが謂われています。人類が招いた地球温暖化により氷土が溶け出し、そこに眠っていたウイルスが出現再生したとか、人間が獣の住処まで開発、進入したために野生の動物との接触が増しウイルスに感染することが増えたとか。いずれにしてもペストから数えて何回目かのパンデミックに遭遇していることは間違いありません。
 そんななか70歳を過ぎた私にやれることは限られています。外に出られないことを逆手にとって、むしろやれることをやろうということで、懸案だった本のネット販売に踏み切ることにしました。アマゾンでの小口出品です。
  以前からネット販売の希望を持ってはいたのですが、忙しさに紛れて、なかなかその1歩を踏み出すことができませんでした。パートナーの力を借りながら、ようやく1週間かかってスタートしたのは2日前でした。
  アマゾンの販売には品物をアマゾンに預けて注文から発送まですべてをやってもらう方法と、個人で行う小口出品があります。私が採用した小口出品の条件と手数料は以下の通りです。

【配送条件】
■小口出品では、すべての商品についてAmazonが指定する配送料が適用されます。配送料について詳しくはこちらをご覧ください。
■リードタイム(出荷作業日数)が自由に変更できません。注文された商品は、予約販売を除き、2営業日以内に出荷してください。
■配送のサービスレベルおよび配送予定などの条件もAmazonが指定する条件に従う必要があります。
〔手数料〕
■小口出品が完了すると、取引が完了した商品1点ごとに100円の基本成約料、販売手数料とカテゴリー成約料が請求されます。


  わたしが本のネット販売を考えたのは、拙著の在庫がかなりあるからです。パートナーと合わせて10冊近くの自費出版的な本を世に出しました。出版社との関係でそれ相当の数買い取りをしているのです。講演会やワークショップなどで本を売らせていただいたのですが、それにも限りがあります。
 アマゾンのサイトにあげた本は、私たちの拙著と手持ちの本、先輩諸氏からいただいた本(自分ですでに持っている本のみ)などです。皆さんに手にとっていただけるように、ほとんど最安値で価格をつけてあります。下掲の本がノミネートしたものです。
 私どもの「本屋」は【猫家族】です。どうぞよろしくお願いします。

■販売する本

『いちねんせい-ドラマの教室』福田三津夫、晩成書房
『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』福田三津夫、晩成書房
『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』福田三津夫、晩成書房
『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』福田三津夫、晩成書房

『ことばで遊ぼう 表現しよう!』日本演劇教育連盟編、晩成書房

『劇遊びの基本』小池タミ子、晩成書房
『劇あそびを遊ぶ』小池タミ子、平井まどか編、晩成書房

『子どもっておもしろい』福田緑、晩成書房    

『祈りの彫刻-リーメンシュナイダーを歩く』福田緑、丸善プラネット 
『続・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーを歩く』福田緑、丸善プラネット          
『新・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』福田緑、丸善プラネット  

『演技者へ!』マイケル・チェーホフ著、ゼン・ヒラノ訳、晩成書房
『パニックの子、閉じこもる子達の居場所づくり』山﨑隆夫、学陽書房

『げき(高学年)』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『新・演劇教育入門』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『赤い鳥童話劇集』冨田博之編、東京書籍
『日本児童演劇史』冨田博之、東京書籍
『人形劇とはどういうものか』オブラスツォーフ他、大井数雄訳
『劇のある教室を求めて』大隅真一、晩成書房
『劇へ-からだのバイエル』竹内敏晴、星雲書房

『小学校たのしい劇の本・低学年』日本演劇教育連盟編、国土社
『小学校たのしい劇の本・中学年』日本演劇教育連盟編、国土社
『小学校たのしい劇の本・高学年』日本演劇教育連盟編、国土社

『中学校演劇脚本集1』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『中学校演劇脚本集2』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『中学校演劇脚本集3』日本演劇教育連盟編、晩成書房

『きまぐれ月報上』相川忠亮、社会評論社
『きまぐれ月報下』相川忠亮、社会評論社

『学級通信生きる』川津晧二、社会評論社
『「日の丸・君が代」が人を殺す!』北村小夜・天野恵一、社会評論社

『不可視のコミューン』野本三吉、社会評論社
『裸足の原始人たち』野本三吉、社会評論社

『もうひとつの学校へ向けて』村田栄一・里見実、筑摩書房
『じゃんけん党教育論』村田栄一、社会評論社

『教師の声を聴く』浅井幸子、黒田友紀他、学文社
『リーメンシュナイダーの世界』植田重雄、恒文社
『ひとりで操体法』小崎順子、濃文協

『鏡像と懸仏』 (日本の美術 No.284) 難波田徹、至文堂

ご覧いただき、ありがとうございました。

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212. 16回目のドイツ旅行(16)レーゲンスブルクの「美しい聖母子像」

2020年04月19日 | 旅行

▶今日もまた、たくさん歩きました。



ハンス・ラインベルガー作「美しい聖母子像」(聖カシアン教会)

 

◆2019年7月30日(火)ランツフート南駅からレーゲンスブルクへ

 昨夜も疲れてベッドに転がり込んだため、痛む腰の手当がなおざりでしたから、朝から腰が重く痛んでスッキリしないスタートとなりました。昨日作っておいたお握りを電子レンジで温めて朝食。多少のサラダがあるだけ昨日よりはマシです。外はやはりコートがあってちょうど良いぐらいの気温。今朝はバスではなく電車で出てみることにしました。古い小さな教会の横を通りぬけるときだけ坂がきついのですが、ゆとりを持って出掛けたので電車にはしっかり間に合いました。ランツフート中央駅で乗り換えてあとは終点のレーゲンスブルクへ。9:15に予定通り到着。順調です。

 まずはハンス・ラインベルガー作の「美しい聖母子像」があるという聖カシアン教会に向かいました。地図では大体この辺という所まで行ったのですが、工事中であちこち回らなければならず、迷いました。3人の人に尋ねながらようやくたどり着くと、本当にそこには美しいマリア像が輝いていました。何とも優しいお顔です。同じハンス・ラインベルガー作でもすごく逞しかったり、怖かったりする聖母子像がありますが、彼の作った中では一番優しいマリアではないかと感じました。

 このあとは、歴史博物館へ行き、やはりペーター・デル作の「美しい聖母子像」があるというので探して回りました。やっと見付けた聖母子像は残念ながらガラスケースに日差しが反射してほとんど写せませんでしたが、ここではハンス・ラインベルガー作と書かれています。ペーター・デルはヴュルツブルク生まれの彫刻家でリーメンシュナイダーに師事しますが、その後ハンス・ラインベルガーにも弟子入りしたようです。作風はリーメンシュナイダーよりラインベルガーによく似ていますので、本で読んでいたペーターデル作なのか、それともここに書かれているようにラインベルガー作なのか、よくわかりませんでした。

 二人の「美しいマリア像」を見られたので、これにてレーゲンスブルクの目的は達成。ここのソーセージを以前友人と来て食べたことがあり、とても美味しかったので、前回食べられなかった三津夫にも食べさせたいと思って有名な Old Stone Bridge のたもとにあるソーセージ売り場に行ってみました。ベンチの座席は満杯でしたが、回りの石畳や階段に座ってなら食べられそうです。三津夫に場所を取っておいてもらい、私が列に並んで買ってきました。やはり美味しかったです。でも辛子は甘ったるいので断れば良かったかしら。いつも持ち歩いている日本製の辛子で食べた方がもっと美味しかっただろうと思いました。残念ながら食べるのに夢中でソーセージの写真を撮り忘れました。


三津夫が写した世界遺産の古い石の橋

 この1135 ~ 1146年にかけて作られたという古い石の橋をちょっと渡るとこんな景色が広がっています。


 

◆またしても予定を変更し、帰路につきました。

 レーゲンスブルクの街は結構歩く距離が長いのです。朝から重たかった腰が中央駅に向かう間にまた痛んできてしまいました。この日はもう一箇所アルトエッティングという街に行く予定でしたが、厳しいのであきらめました。その分、早めにランツフートに戻ってきたので、駅からアパートまでの途中にある大きめの教会をのぞいてみました。ここは旧聖マルガレート教会 Alt St. Margaret というらしいのですが、中に入ってみると新しそうですけれども美しい彫刻がずいぶんたくさんありました。そしてブロンズ製の最後の晩餐もあり、誰がいつ頃作ったものだろうと思いましたが、よくよく見るとレオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐を真似て作られたようでした。

 
聖バルバラ


聖カタリーナ


最後の晩餐


 宿に戻ってから久しぶりにゆっくり休んで、腰の手当もして、この日は終了。スマホに記録が残っていたのでわかったのですが、昨日は15675歩で10.5km(昨年6月にスマホを買い換えてから一番の記録だそうです。でも一歩の距離は逆算すると約70cmのようですから長く計算しすぎのような気がしますが、誰が設定したのかしら?)歩き、今日は11813歩で7.9kmというハードな行程でしたから、昔の交通事故で傷めた腰の古傷がしくしくしても無理はなかったのでしょう。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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211. 16回目のドイツ旅行(15)台所の底が抜けちゃった!!

2020年04月02日 | 旅行

▶昨日までとは打って変わって涼しい朝


アウクスブルク聖アンナ教会にあるフッガー礼拝堂


◆2019年7月29日(月)ランツフートまでバスに乗ってみました。

 朝6時頃に起きたら雨が降っていました。ここしばらくは暑い日が続いていたのに、今日は打って変わって涼しく、長袖シャツに上衣が必要です。ヴュルツブルクの宿から持ってきた残りのお米を全部研いで朝ご飯を炊きました。おかずは梅干しと錦松梅、インスタント味噌汁です。残ったご飯はお握りにして冷蔵庫へ。ご飯を炊くのは簡単ですが、お鍋にお米がくっついて、それを洗うと流しの穴が塞がってしまうのが気になりました。三津夫は平気、平気と流してしまったのですが…。

 今日は取りあえずバスに乗って出掛けてみることにしました。時刻表では8:08発の予定ですが、結局8:15にやって来ました。ランツフート中央駅まで一人2ユーロ。8:48発のミュンヘン行きで終点まで。今日はランツベルク・アム・レヒ (Landsberg am Lech) まで行く予定でしたが、ミュンヘンで乗り換えるときに列車が遅れていて、午後に回る予定だったアウクスブルクに着くのが大分遅くなりそうだとわかりました。アウクスブルクは見所がたくさんあって見切れないかも…と言うと、三津夫が「じゃぁ、ランツベルクは今度で良いよ」と言います。急遽方針変更で特急に乗り、アウクスブルクに行くことにしました。


◆アウクスブルクを歩き回り、4つの教会を訪ねました。

 11時頃アウクスブルク中央駅に到着して、まずは聖アンナ教会へ。駅から一番近い目的地でしたが何とクローズ! ショック。でも、どうもこちらは裏門のようなので正門まで回って見たところ、「月曜日は12時から」と書かれていたのでホッとしました。近くのスタバに入って昼食をとることにしましたが、三津夫の頼んだランチボックスは「全く美味しくなかった」とご機嫌斜め。私が頼んだバーゲルはまぁまぁでしたけれども。

 12時になってもう一度聖アンナ教会に戻ると、今度は扉が開いていてホッとしました。ここの Fuggerkapelle を見たかったのです。ハンス・ダウハー (Hans Daucher) が作ったというフッガー家の礼拝堂ですが、青を基調とした美しい礼拝堂でした(写真トップ)。この礼拝堂手前の柵の上に6人の小天使像が載っています。中世作家の作品をまとめたカタログには4人しか写真が載っていなかったので何で6人なのだろうと不思議でしたが、帰国してから読み直したところ、1821年にこの小天使たちは取り払われてあちらこちらに散逸したようです。人手に渡ったものもあり、現在の左から4番目の小天使はオリジナルではないそうです。この天使たち、結構のびのびとくつろいだり、うたた寝していたりと大変愉快なので、礼拝堂の写真と共に4冊目の写真集に載せる予定です。

 次に向かったのが大聖堂。この中にもグレゴール・エーアハルトが彫ったという墓碑銘があるので見に行きました。グレゴール・エーアハルトというのは有名なウルムの彫刻家ミヒェル・エーアハルトの息子で、このあとの旅でも彼の作品を訪ねて歩いているのですが、こんなややこしい関係があるのです。
 ミヒェル・エーアハルトはリーメンシュナイダーの師匠といわれている。 
 ミヒェル・エーアハルトは、息子のグレゴール・エーアハルトとアドルフ・ダウハーをやはり徒弟として教えている。
 アドルフ・ダウハーは、グレゴールの姉か妹に当たるアフラ・エーアハルトと結婚し、二人の間にハンス・ダウハーが生まれた。
 つまり、ハンス・ダウハーはミヒェル・エーアハルトの孫に当たる彫刻家である(加筆しました)。     
 このハンス・ダウハーがフッガーカペレを制作したが、父親と一緒に制作したという記述もある。
 ※名前の書き方について…『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』ではミッヒェル・エアハルトと書いていましたが、いろいろな資料を読むとミヒェル・エーアハルトの方が一般的だとわかりましたので、今回からこちらに変更しました。ご了承ください。

というわけで、グレゴールの彫った墓碑銘が下の写真です。最初なかなか見つからず、受付の方に尋ねたら、ようやく場所がわかりました。


アウクスブルク大聖堂の回廊      グレゴール・エーアハルト作成の墓碑 

         拡大写真がこちら。


Epitaph des Arztes Adolph Occo († 1503) 医師アードルフ・オッコの墓碑銘
結構正面近くから撮ったように見えませんか? でも廊下の鉄扉は閉まったままなんですよ。
ヴェニガーさんの真似をして、柵の間から精一杯腕を伸ばして写してみました。


 この後さらに市庁舎の丸天井の部屋でハンス・ダウハーの父親、アドルフ・ダウハーが作ったというオーク材の箱を探しましたが誰も知りませんでした。ただ、これではないかと思われる箱を写真に写してきましたが。さらに聖マルティン教会でグレゴール・エーアハルトの「早朝ミサ祭壇」を探すも見つからず、4つめのウルリッヒ・アフラ教会に着いたときはくたくたでした。うっかりSDカードの替えを持ってくるのを忘れたため、残り少ない枚数の中で必死に美しい聖母子像を写し、ようやく帰路につきました。


◆疲れた身体に鞭打って…。

 宿に帰ってから荷物を置いて、すぐにREWEに買い物に出ました。ここでのアパート生活はあと5日間。できるだけ自炊したいと思っていましたから野菜、卵、パン、ハムなどを買い、それでも5ユーロちょっとでした。助かります。三津夫がおそばを作ってくれることになっていましたが、いざ作り始めたら流しの水が溜まって流れないのです。朝のご飯粒が詰まってしまったのではないかと責任を感じ、何とか掃除しようと流しの蓋を10円玉でこじ開けてみたらご飯粒は見当たりません。なんだ、とホッとしたのもつかの間、ドーンと下のパイプが落ちてしまったのです。あわてて流しの下の扉を開けたところ、ゴミを入れる透明ボックスの中にパイプと溜まりに溜まっていたゴミが…!! キャー、どうしよう。胸がドキドキしました。三津夫と二人、ペーパータオルなどを使ってゴミを掻き出したら、何年分かと思えるほどのへドロ状のゴミが出てきてしまいました。やれやれ、貧乏くじを引いたものです。とにかくきれいにゴミを全部掻き出し、また流しのパイプを接続して10円玉で留め終えたときにはドッと疲れが……。最後に箱も洗って拭いて、ようやく三津夫が調理を再開。既に夜の9時頃だったでしょうか。仮に大家さんを呼んでも、ドイツではこんな時間に来てくれる業者さんは恐らくいないでしょう。米粒を流した罰が当たったと思うしかありません。そんなこんなでこの日もぐったり。夕食後、痛む腰の手当もゆっくりしたかったのですが、エネルギーは空っぽ。シャワーを浴びてベッドに倒れ込みました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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210. 16回目のドイツ旅行(14) ランツフートのアパート

2020年04月02日 | 旅行

▶いよいよマニアックな旅の始まりです。


ランツフートの街で見かけた珍しい墓碑 不思議な静けさを感じます。


📪ちょっと一言
 しばらくブログを書くゆとりが持てずにいたのは、4冊目の写真集の原稿を必死でまとめていたからです。まずは写真頁の構成を考え、写真をチェックし、タイトルを入れてその掲載許可をとるために海外の美術館に手紙と写真のプリントを入れて発送準備。ここまでが最大の仕事で、3月9日に郵便局で発送してホッとしたところで日本でのコロナウィルス感染が大きくクローズアップされてきました。3月11日には丸善プラネットまでマスクをして電車に乗り、往復。この日、出版契約を済ませました。
   その後は2番目に大事で一番手間のかかる「作品一覧」を作り始めました。その間に美術館からのお返事が届くと期待していたのですが、3月16日にケルンから早速許可の返事が届き、喜んだのもつかの間、まったく返事が届きません。郵便が届いているのは確実なのに…と思ったところで気が付きました。ちょうどその頃、アメリカでもヨーロッパでも感染が急に拡大して厳しい規制が始まり、ウェブサイトを見るとほとんどの美術館が休館していたのです。そのため郵便物も見られないわけですね。そこで今度
はメールでのアクセスを試みました。ところがメールアドレスが一切書かれていない美術館が一箇所、アドレスは書かれているのにそこにメールを送っても届けられず戻ってきた美術館が一箇所ありました。現在あれこれ試みて5館とは繋がり、4館は許可をくださいました。1館は担当者に繋がらずに保留中です。残る2館もあきらめずにまた連絡を試みていきます。
 こんな中、何とか気持ちを繋いで作品一覧の仕上げに全力を尽くす毎日。ようやく一昨日の晩に仕上げたところです。こんな事情で旅の話がちょん切れたまま、大変失礼していました。その間にもアクセスしてくださる方が多くいて、驚いています。ありがとうございます。また少しずつ書き続けますのでよろしくお願いいたします。
 遅まきながらこの間に写真展のユーチューブフィルムをアップしました。遠くておいでになれなかった方、おいでになった方にも思いでの一つとしてご覧いただけると嬉しいです。バックの素敵な演奏は、若いチェンバロ奏者の中川岳さんが提供してくださったヘンデルの「アルマンド」です。心安まるメロディーですのでお楽しみください。

写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」
https://www.youtube.com/watch?v=ca4azZADBZA


◆2019年7月28日(日) ランツフートのアパート

 私たちが予約したアパートはランツフート駅からは遠く、乗り換えてからもう一駅乗ったランツフート南駅からは歩いて10分~20分ほどの所にあるようでした。大きなトランクを持ったまま行ったことのない建物を探しながら歩くのは大変なため、この日はランツフート駅前からタクシーに乗りました。若い運転手さんが住所を見て気持ちよく重たいトランクを車のトランクに入れてくれて走り出しました。駅前の大通りを真っ直ぐ進み、旧市街に出ました。ここにきっとハンス・ラインベルガーの聖母子像があるのだろうという教会も見えました。右折してしばらく行ったところで小さな路地に入っていきます。運転手さんは「住所からするとこのあたりなんだけどなぁ」と言いながらすこし行っては停め、すこし行っては行き過ぎたと戻り、自信がなさそう。私が下車して地図を見ながら探してみたところ、ようやく番地が確かめられたのですが、何だかとても「評判の良いアパート」とは見えない狭いさびれた階段に「本当にここ?」と、ちょっとショックでした。階段を上がってみたら確かにここだとわかったので、運転手さんにここでOKと伝えたところ、トランクを持って上がりましょうかと言ってくれたのでお願いしました。少しだけチップをはずんでお礼を言い、運転手さんとお別れ。
 さて、入口に鍵を入れたボックスがあるから云々というメールを読み、確かめてみましたが「どこにそんなボックスがあるの??」という状況。ごく普通のアパートで、休暇用アパートという雰囲気がまったくありません。住人でもでてきてくれたら聞くこともできますが誰も出入りしていません。静か過ぎてますます不安になりました。階段を下りて大家さんとおぼしきお宅のドアを叩いてもベルを鳴らしても反応がなく、仕方なく電話をしてみました。電話をしたらすぐに通じて、「今行きますよ」という女性の声。ようやくホッとしました。彼女がとんとんと階段を上がってきて「ここに入っているのよ」と言ったのは、郵便ポストの横にぶら下がった少し大きな鍵のような容器で、それを開けるとコードボタンがあったのです。メールで知らされていたコード番号を押したらさらにその中に鍵が入っているのでした。う~ん、この中に入っているということはイメージできませんよね。みんなはちゃんとこれを開けて鍵を取り出せるのかなぁと思ってしまいました。

 中に入るといくつかの居室が廊下の脇に並び、その一番奥が私たちの部屋でした。間取りは確かに広々としています。ツインベッドのベッドルーム、浴室、台所、大きなソファーの入った居間に庭も広がっているのです。でもまず鼻についたのがタバコの匂い。禁煙ではなかったのですね。最近ドイツのホテルやアパートは禁煙が多くなっていたので油断していました。ひどく匂うわけではないのですが、タバコの匂いが苦手で、タバコが匂うところに居ると喉がやられてしまう私としてはきつい条件でした。極力窓を開けて換気するしかありません。写真で見たときはとても清潔に見えた部屋も実際は古びていて、浴室のタオルは大小バラバラで取り混ぜておかれていました。まぁ、トイレットペーパーなどはたっぷりあって使い切れないほどで安心しましたが。

 この日は日曜日なので買い物もできません。持ってきた即席ラーメンで取りあえず夕食とし、まだ明るいので近所を探索してみました。今日はターミナル駅のランツフートからタクシーで直接来てしまいましたが、明日は近くからバスに乗ることができるのか、それともランツフート南駅から電車に乗った方が良いのか、買い物ができるスーパーはどこにあるのか、南駅まで歩いて何分ぐらいかかるのかなど下見が必要だったからです。南駅までは歩いて15~16分かかることがわかり、6~7分坂を下るとスーパーがあることもわかりました。南駅からアパートに戻ってみると、小さなドアも開かない教会の横にトップ写真のような墓碑がずらっと並んでいました。いつも見るキリスト教の墓碑とは雰囲気が違います。異国の中で中世に戻ったような不思議な感覚…。大通りに出る前に小川が流れていました。途中のちょっとしたスペースには下の写真のような彫刻も立っていて、昔は栄えた教区の中心地だったらしいランツフートの面影が偲ばれました。

 アパートに戻ると一日動き回って疲れていたので、シャワーも早々に二人とも就寝。翌日はもっと大変な出来事が起きるとは思いもよらずに…。

 

 

一歩後ろにはごく普通のアパートが建っていますが、ここだけは中世の趣が残っていました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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