リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

23. ニュルンベルク近郊の小さな町へ

2015年07月31日 | 旅行

新・旅日記 No.6 2009年冬の旅

  親切なインフォメーションセンター

 ニュルンベルクに着いた翌日は、月曜日でゲルマン国立博物館はお休み。それで近郊の小さな村にある教会に行くつもりでしたが、ホテルのすぐ前にインフォメーションセンターがあったので便利な切符はないか尋ねてみることにしました。翌日はもう一つの村に行くつもりでしたが、窓口の女性は、「明日は地下鉄がストライキなので動きませんよ」と教えてくれました。この親切な女性に出会わなかったら次の日に地下鉄に乗ろうとしてどんなにショックだったことでしょう。

 何にしても、この日一日しか近郊まで動けないとなると、この日のうちに2カ所回ってしまわなければなりません。それで1日切符を買いました。いちいち切符を窓口や自販機で買うのは列に並んだり、時間も手間もかかったりして大変なのです。9.2ユーロでしたが、2カ所回るし、バスにも乗るので元は充分取れそうです。 

 2つ目の目的地、クラインシュバルツェンローエの諸聖人教会は普段は人がいないので近くの人に鍵を開けてもらうのですが、この電話番号をシルヴィアが調べてくれていたのです。日本でいろいろ調べても私にはたどり着けない情報でしたので本当に助かりました。ホテルに戻ってすぐに電話をしてみたところ、この日の午後2時頃なら都合が付くとのことで、お願いしました。

 すぐにも出かけないと2カ所回るのは大変です。お昼も食べる場所や時間があるかどうかわからないのでリンゴとパンを急ぎバッグに詰め込みました。まずはヘロルツベルクへ向かって出発です。経路はニュルンベルク中央駅→ニュルンベルク・ノルトオスト駅→ヘロルツベルク駅。乗り換えた後の列車は2両ですが新しくてきれいな車両で、トイレも付いているので安心です。教会の多くにはトイレが無いからです。地図をプリントアウトしてきているので、駅からは間違えずに着くことができました。徒歩で約20分の聖マティス教会にはリーメンシュナイダー初期の磔刑像がありました。静かな教会でじっくり拝観し、撮影させていただきました。

 ヘロルツベルク駅まで戻り、列車を待つ間にリンゴとパンで昼食。ホームには屋根が無く、小さな風よけはあっても寒風が吹きすさび、とても寒かったのを憶えています。ブーツを履いてきたのは正解でしたが、ホッカイロも持ってくれば良かったと後悔しました。今度はニュルンベルク中央駅を通り越し、地下鉄でフランケンシュトラーセまで行きました。ここからはバスと検索では出ていたのです。ここでの待ち時間も寒いこと! 651番のバスに乗りましたが、アナウンスが無かったのでメモを運転手さんに見せて諸聖人教会で下車したいと知らせておきました。

 バス停のすぐ目の前に小さな古い教会があり、迷う余地はありませんでした。でも約束の2時までにはまだ間があります。しかもどこも寒かったのでトイレに行きたくなってきました。教会の周りにはトイレはありません。近くに喫茶店もスーパーも見当たりません。すこし歩いてみるとガソリンスタンドがありました! ここでトイレを使わせてもらってからちょっと小物を買い、教会に戻りました。教会前で2時10分まで待ってみましたがどなたも現れないので電話をかけてみました。するとすぐ前の家のドアが開き、「今行くから」と地元のおじ様が合図してくれました。ホッとして待っていると鍵を開け、電気を付けてくれました。三脚を使っても良いかどうか尋ねると黙って頷くのですが、何だか寡黙な方でした。私が一生懸命撮影している間、彼は黙ってみていましたが、最後に絵はがきと教会のパンフレットを買いたいと話すとすこしほぐれた表情で持って来てくれました。料金と献金を渡したところ、彼の手で献金箱に入れて終了。この日はリーメンシュナイダー初期の有名な作品を2点見ることができて充実した日となりました。


                      

              <写真32> 磔刑像                           <写真33> 使徒離別祭壇

                    Kruzifixus                                                               Apostelabschiedsaltar   

                                           Tilman Riemenschneider, 1485                                   Tilman Riemenschneider, 1491

                                           St. Matthäus, Heroldsberg                                          Allerheiligenkirche, Kleinschwarzenlohe

 ※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA      

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22. シュトゥットガルト

2015年07月31日 | 旅行

新・旅日記 No.5 2009年冬の旅

 シルヴィア

 シュトゥットガルトの旅の窓口Reise Zentrumでシルヴィアと待ち合わせ。トランクは駅に着いてすぐにコインロッカーに入れました。旅の最中、いつも1ユーロ、2ユーロ硬貨をいくつか持って歩くのは、以前、こうした重い荷物を持ったまま小銭がなくて冷や汗をかいたことがあったからです。こうして外国で友だちや家族と待ち合わせをするのはちょっとドキドキします。無事に会えなかったときに電話をかけるのが苦手だからです。日本ならショートメールで連絡できますが、シルヴィアの携帯には文字が出ません。でも、この日はちゃんと背の高いシルヴィアが階段を上ってくるのが見えてホッとしました。

  このあと、二人でビュルッテンベルク州立博物館に行きました。ここにも3点のリーメンシュナイダー作品があるのでデジタルカメラに収めておきたかったので す。三脚を使いたいとお願いしたところ、「許可は出せないんですよ。でも黙認するので、誰かに注意されたら辞めてくださいね」との親切な返事。中に入ると、ちょうど何かの講座を開いてイスに座っている人たちが何人もいました。シルヴィアが「今がチャンスよ。目立たないうちに三脚を使いましょう」と、三脚の準備をテキパキと手伝ってくれました。確かにこうした人たちの中では却って目立たずに撮影できたのです。でも家に帰ってパソコンに入れてみると、気持ちがはやってしまって写真が少しぼやけていたのが残念でした。それでも以前よりはクリアな写真が撮れたので良しとしましょう。

 夜はシュトゥットガルト近郊のヴィンネンデンという街で、シルヴィアのアパートに1泊させてもらいました。何となく胃が重くて外食をしたくなかったので、うどんを打つことにしました。彼女が以前シュヴェービッシュ・ハルでヤンコー先生の家に遊びに来たときも一緒にうどんを打ったのですが、小麦粉さえあれば案外簡単にできるものです。この日はうどんをゆでてからニンニクで味付けして焼きうどんにしたところ、とても喜んでくれました。


                        

                       <ドイツの友人で一番付き合いの長いシルヴィア 取材旅行にも協力してくれました>       

  翌日、シュトゥットガルトからニュルンベルクに向かいました。いよいよ、まだ見たことのないリーメンシュナイダー初期の作品巡りの旅が始まるのです。その手 始めとしてニュルンベルクには3泊することにしていました。シルヴィアと一緒にヴィンネンデン駅まで行って列車に乗り、さようならと手を振ってから外を見ると何だか見覚えのある景色。おかしいなぁと思っていたら、何とニュルンベルク行きのはずの列車はシュトゥットガルト行きだったのです。ドイツではよくあることですが、外側の表示が目的地と出発駅の両方が書かれているため、ときどきどちら行きなのかがわからなくなるのです。地元に住んでいるシルヴィアでさえこの列車だと思って送りだしてくれたのに、反対方向だったとは…。この日は早めにニュルンベルクに着く予定でしたが、次のニュルンベルク行きの列車は1時間半ほど待たなければなりません。ホテルに着くのは6時を過ぎてしまうし、ホテルの予約票には「6時以降の到着の場合は連絡を」と注意書きがあります。しかし何故か携帯が通じない! 大慌てでまたコインロッカーにトランク を入れ、ドイツで滅多に使ったことのない公衆電話を探して走り回り、何とかホテルに連絡がついた頃には疲れ切っていました。こんな時に旅の連れがいたらトランクを見てもらって電話を探しに行けたでしょうし、一人で待つ列車の時間もそれほど辛く感じなかったことでしょう。好きなようにリーメンシュナイダー作品を追いかけられるというプラス面と、一人では不自由な旅になり、心寂しいものだなぁというマイナス面と、心の計りは左右に大きく揺れ動くのでした。

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21. シュヴェービッシュ・ハル

2015年07月13日 | 旅行

新・旅日記 No.4 2009年冬の旅

 ヤンコー先生とマリアさん

 留学時代の後半3カ月は、シュヴェービッシュ・ハルの街からバスで10分ほどのミッヒェルフェルドにあるヤンコー先生のお宅に住みました。ヤンコー先生は5 月に私たちのクラスの先生が具合が悪くなり、替わりに来てくださったゲーテ・インスティテュートの元教師です。彼女がゆっくりギリシャの別荘に行って身体を休めたいということで、私に留守番を頼んで行かれたのです。その間、私は2匹の飼い猫、ハネマンとトムのお世話をし、週末に一度ギリシャの別荘にいるヤンコー 先生に電話で報告するという約束でした。上の階に住むマリアさんは認知症でしたが、私の拙いドイツ語を直したりアドヴァイスをすることは元秘書の仕事をし ていた方だけあってお手の物でした。毎日のように宿題でマリアさんにお世話になり、よくおしゃべりしました。そんなお二人にもできあがった本を届けるのが この旅の大きな目的の一つでした。懐かしいヤンコー先生のお宅まで伺ったときに、

「ミドリ、今、ヨハニター・ハレでリーメンシュナイダー作品の展示をしているから、夕食までの間に見に行ってきたら? 送ってあげるわよ」

と 言われたのです。実はフランクフルトのトーマスにもその新聞記事をもらっていたのですが、とても見て回る時間が無いとあきらめていたのでした。バスを待っ ていてはほとんど行けないのですが、車で送迎してくださるのなら充分見てくることは可能です。本当にうれしいことでした。ヨハニター・ハレで初めてのリーメンシュナイダー作品を2点、以前見たことのある作品を1点拝観しました。いずれにせよ写真撮影禁止なので、留学したときにお世話になった方を通して撮影の許可をいただき、出直したいと心に決めました。

  また、前の日には、チューリッヒからシュヴェービッシュ・ハルに着いた直後、ハル・フランケン博物館を訪ねました。そこでは、リーメンシュナイダーの弟子、ハンス・ボイシャーが作ったのではないかと言われる磔刑像と、周辺作家による聖枝祭のロバの2点を見ることができました。

 

                            

            <3ヶ月間、宿題の面倒を見てくださったマリアさん お別れするのがとても辛かった。ヤンコー先生はお写真が手元になく、載せることができないのが残念。>


 マリアンヌとホールスト

 2006 年に約半年間ドイツ語を学んだシュヴェービッシュ・ハルは、未だ中世のような雰囲気を持つ木組みの家々が並んだきれいな街です。ここでの文化交流家庭(タ ンデム)のマリアンヌとホールストは、私にとって学校を離れて話したり一緒に食事をしたりできる安心な模擬家族のような場所でした。帰国してからもずっと メールやカードのやりとりが続いています。マリアンヌは厳しいけど優しい先生のような方。でもお料理が得意でてきぱきとテーブルを整える様子は肝っ玉母さ ん。ホールストは大きな声でしょっちゅうマリアンヌと漫才をしているような朗らかなお父さん。甘いものに目がなく、その分野菜は嫌い。大きなだだっ子のよ うです。最初は彼の発音がなかなか聞き取れなかったのですが、少しずつ慣れてきました。


                                                    <本を手にして喜んでくださるマリアンヌとホールスト>                   


  2008年に出版した『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』の作品一覧にはシュヴェービッシュ・ハルの項目がありません。情報そのものが不足してい たこと、また私の語学力も不十分だったため、情報キャッチ力が不足していたことで、彼の作品を見つけることができなかったようです。

 その後、弟子の作品があるらしいという話を聞いたり、もう一度マインフランケン博物館発行のカタログを読み直したりした結果、現在ではシュヴェービッシュ・ハルの街では4カ所でリーメンシュナイダー関係の作品を見られることがわかっています。なんとも皮肉な結果ですが、この交通の便が悪い小さな街に留学後に何度も足を運ぶ理由ができて、却ってよかったのかもしれません。ミッヒェルフェルドのマリアさんはすでに老人施設に入られてから連絡が取れなくなり、ミュンヘンに引っ越したヤンコー先生からはメールを出しても返信が届かなくなりました。こうした方々がいなくなると心の故郷も次第に遠のいてしまいがちですが、シュヴェービッシュ・ハルにマリアンヌとホールストが元気でいてくれる間はまだ訪ねる理由があると思うと心がほっこりします。 

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20. チューリッヒ

2015年07月08日 | 旅行

新・旅日記 No.3 2009年冬の旅

 ロルフとイルマ

  1998年、私は娘とドイツ・スイス・イタリア地方を個人旅行で回りました。最初に訪ねたのはシュトゥットガルトの近郊に住むシルビア、トルステンの家で した。ドイツ国内の数日間はシルビアがナビをし、トルステンが運転して回ってくれたのです。何から何まで面倒を見てくれた彼らと別れて2人きりになったと き、本当にこれから2週間、私たちだけでやっていけるのだろうかと大きな不安に駆られたものです。

 この心細い2人旅の始めの途中、インターラーケンから登山鉄道に乗ったときに「19.第二の故郷ドイツ」でご紹介したルースとトーマス夫妻に出会ったのでした。ミリーの優しい眼差しが奈々子を捉え、それから会話を交わすようになったのです。


 そ の後、ツェルマットというマッターホルンの麓の村に宿泊しました。そこでは無料のアルプスの高山植物を見るツァーがあったので、せっかくだから参加してみ ようということになり、駅前に集合。グループは約10人ぐらいだったと思います。日本人は私と娘だけでした。地元ガイドさんが植物図鑑をもって山を歩きな がらドイツ語で説明してくれるのですが、私には全然わかりません。そこに親切な男性が二人現れました。そのうちの一人がロルフだったのです。このとき名前 はまだお聞きしていなかったのですが、ほっそりした紳士といった感じで、ゆっくりとした英語で解説を翻訳してくれました。このロルフが少し場を離れると、 髭の生えたマルクスという男性が替わって英語に訳してくれて、この二人のおかげで何とか内容を聞き取りながらいろいろな花を見て歩くことができました。
 リッフェル湖駅でツァーは急に流れ解散となり、私たちはお二人にお礼を言うまもなく離ればなれになってしまいました。娘と二人で「住所を聞いておけば良かったね」と残念がったのですが、後の祭りでした。

  翌日、私たちは登山列車でゴルナーグラードという山に登りました。ここから歩いてツェルマットまで下ってみようと歩き始めたところで、何と前日の親切なロ ルフとバッタリ出会ったのです。娘も大喜び。一緒に写真を撮らせていただいて手紙のやりとりが始まりました。2000年にはお連れ合いのイルマも一緒にス イスのシュールという街で再会したのでした。

 2006 年の留学時には再び彼らを訪ねてチューリッヒまで行きました。可愛らしい山小屋のような家で二人助け合って生活していましたが、イルマは出会った頃はかく しゃくとしていたのに、リューマチがひどくなって大分背中が曲がり、歩くのも辛そうでした。その分、ロルフが一緒にエプロンを着けて家事でも庭仕事でもし ているのでした。そ んな姿を見ているうちに、この優しいロルフとベルリンのボーデ博物館にある騎士ゲオルグの表情が何となく似ていると気がついたのでした。帰国してから騎士 ゲオルグ<写真30>の写真をロルフに送ってみたところ、「確かに弟といっても通用するかもしれないね。でもぼくはそんなにやせていないよ。」と返事が来たのでした が。   


           

       <イルマ(右)とロルフ(左) 2009年1月 チューリッヒのお宅に向かう道ばたにて>                  <こちらが可愛らしいお二人の家 門前にて>


                                   

                                <作品写真31>  竜と闘う聖ゲオルグ  Heiliger Georg im Kampf mit dem Drachen 

                                                         Tilman Riemenschneider, 1490~1495   Bode-Museum  

                                                    ※ロルフが静かに座っていると、このゲオルグにとても似ている感じがしました。
   

 残念ながらロルフは、2011年11月に交通事故で突然亡くなってしまいました。イルマはロルフが亡くなった後、一度だけ手紙をくれたのですが、返事を出してもその後は連絡がとれません。お元気なのかどうか気掛かりです。

 チューリッヒでは、新しく見たリーメンシュナイダー作品はありませんでしたが、チューリッヒ美術館にある「三日月の上の聖母子像」は拝観してきました。

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19. 第二の故郷ドイツ

2015年07月06日 | 旅行

新・旅日記 No.2 2009年冬の旅

 ルースとトーマス

 私にとってドイツは第二の故郷と言えます。以前はそれほど意識にのぼっていなかったこの国には、既に様々な縁で結ばれた友人がいるからです。

 2009年の1月、フランクフルト空港に着くとトーマスが出口で待っていてくれました。びっくりしたのは彼が松葉杖をついて立っていたことです。10日前に膝の手術をして2日間で退院したとのこと、少し痛むけれど、それぐらいの方が歩くのに気を付けるからちょうど良いのだと言っていました。それにしてもそんな彼を大分待たせてしまって申し訳なく思いました。車の運転には支障がなく、30分ほどでフランクフルト郊外の家に着くとルースが手料理を作って待っていてくれました。彼女の笑顔と温かな居間の懐かしいこと。何回このお宅に泊まらせていただいたことか。一つだけ残念なのは、1998年に娘と一緒にスイスを旅していた私たちをトーマスに出会わせてくれた犬のミリーが亡くなっていることです。来る度に一緒に散歩したミリー。今回は彼女のお墓参りをしたいと願っていました。でも、翌朝訪ねたお墓は、日本のような動物霊園ではなく、一緒に歩いた森の中にひっそりと埋葬されていたのでした。ミリーがよく遊んだボールがその目印でした。ミリーの優しい目が私たちを見守ってくれているような気がしました。

                                  <私たちを結び付けてくれたミリーが元気だった頃 ルースとミリー>

                                


         

     ここは以前、ミリーとよく散歩をした道 奥の森にミリーのお墓があった <ルースとトーマス>                  こちらは2月28日、帰国前のひととき トーマスが撮影 <三津夫・緑・ルース>


 フランクフルトでは、美術館を回るゆとりもなく、その日はできあがった『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を手渡したぐらいです。

 翌日は、お昼の列車でチューリッヒに行くために、ミリーのお墓参りだけしてお別れしました。旅の最後はまたフランクフルトからの出発でしたので、夜の飛行機に乗る前に、もう一度二人を訪ねてお茶をいただきました。そのときの写真が右上です。2枚の写真の間には35日の時間が流れているのでした。ケーキは全部BIO(有機栽培の穀物で作られたもの)です。もちろん、とても全部は食べきれませんでしたけれど。

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