リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

179. 15回目のドイツ旅行(27)ヴュルツブルクのマリエンケッペレ

2019年03月30日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(27)ヴュルツブルクのマリエンケッペレ


 

マリエンケッペレの屋根

 

9月30日(日)

 朝食を食べにレストランに行くと、大変小さなスペースではありましたが食事内容はとても良く、サラダもハムも果物もあり、卵は希望に応じて調理してくれるシステムでした。これがサービスでいただけるなんてちょっと嬉しいと思えるほどでした。

 食後、他の部屋でもぬるいお湯すら出ないのか確認しようと受付に行くと誰もいません。レストランから出てきた女性4人組に確かめたら、機械の故障で月曜日にならないと直らないのだそうです。(すぐに修理に来てくれる日本とは違いますね。)どの部屋でも水しか出ないことがわかったので、他の部屋やホテルを探すよりはがまんしようということになりました。

 ペーターが10時に迎えに来ることになっているのでエレベーターで降りようと思ったらまったく動きません。明日は大丈夫だろうかと不安になりました。4階分をトランクを持って降りるのは大変です。数えながら降りたら80段もありましたから。

 2日続けてのフランケン博物館。今日の目的はペーターがリーメンシュナイダーザールの奥にある小さなモデルを見せたいと言ったこと、三津夫が昨日見たPeter Dellのカタログを買いたいと思ったことの2点です。ペーターの案内で行くと、ガラスケースの中に砂岩か木で作った小さなモデルがあり、最初はそれに線を書き入れ、測って2倍、3倍と大きくしていく技法を説明してあるのでした。リーメンシュナイダーが作ったものかと勘違いして勇んでいったのでしたが、ペーターはリーメンシュナイダーもこうやって作ったんだよと言ったようでした。私のリスニングもまだまだです。帰りがけにカタログを買い、目的は達成できました。


初めて訪ねた教会、マリエンケッペレ

 ここでペーターが「マリエンケッペレのキリストの道行きという彫刻がきれいになったんだよ。見に行ってみるかい?」と聞きました。マリエンケッペレとは聞いたことがありませんでしたが、マリエンベルク要塞からの景色で、一つ谷を越えた山の中腹に見えるきれいな葱坊主の屋根の教会のことだったのでした。景色としては目立っていたため気になりながらも行ったことがありませんでしたので大賛成! 私たちを山の麓で下ろしてくれて、ペーターは「上で待っているよ」とのこと。あとで地図で確認したところ、グーグルマップでは「Wallfahrtskirche Käppele ケッペレ巡礼教会」と書いてあり、「マリア」ということばはついていませんでした。地元の人たちの呼び方なのでしょう。

祠Ⅵ 十字架を運ぶキリスト

 上の写真のような祠(ほこら)がⅠ(キリストの逮捕の場面)からスタートして段々に上がり、ⅩⅣ(キリストの埋葬)まで続きます。本来ならキリストの復活場面もあるはずなのですが、見落としたのでしょうか。ⅩⅣの埋葬場面でたまたま手前の女性の服がよく見えたのですが、砂岩の彫刻なのに模様がくっきりと刻まれていました。

 頂上の教会入り口まで登るとペーターがベンチで待っていてくれました。教会の中はミサの最中。邪魔にならないように脇の小さなカペレに入ると不思議なマリア像がありました(写真、下)。黒いマリアは時に見かけますが、どう見ても顔が大きく、体とのバランスが合っていない感じがします。ペーターが献金して2本の蝋燭を持って来てくれました。私たちはそれに火を付けてマリア様の前に置き、最近とみに大きく足をひきずるようになった「ペーターとイングリッドの足をお守りください」と祈ってきました。


 この後、ペーターの家に戻り、イングリッドお手製のシュパーゲルトーストをいただき、帰りがけに「今朝友だちの庭で拾ったクルミだよ。」とどさっとクルミの実を手渡され、ホテルに戻りました。これでクルミは2袋になりました。ペーター、イングリッド、今日も一日、ありがとう!

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

178. 15回目のドイツ旅行(26)ヴュルツブルク、シャワーの壊れたホテルへ(2)

2019年03月29日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(26)ヴュルツブルク、シャワーの壊れたホテルへ(2)


リーメンシュナイダー作品とよく似た祭壇


リーメンシュナイダーが捕らわれた牢獄へ。

 9月29日(土)の続きです。

 昨年、ペーターから届いた新聞記事にリーメンシュナイダーが捕らわれていた牢獄の写真が載っていたので、マリエンベルク要塞にあるその牢獄を訪ねたいと思っていました。何年か前にペーターに聞いたときには「ここには誰も入れない」と言われたのですが、今はツアーで回ることができるそうです。そこで、午後3時からのツアーに乗ることにして、それまではフランケン博物館のリーメンシュナイダーの部屋を回って見ました。すると、20回以上も来ているのに気がつかなかった作品を見付けました。まず入り口を振り返ると上の壁に周辺作家のレリーフがあり、1階下の廊下に新しい聖女像(周辺作家)がありました。ローテンブルクで初めて発見した作品が1体ありましたが、これで初見は3作品となります。

 ペーターとはここで一端お別れ。午後6時に寿司レストランで会う約束をして帰って行きました。私たちは3時に英語のツアーに参加し、ようやくリーメンシュナイダーが1525年6月から2か月間入れられていたという牢獄にも入ることができました。下の写真がその入り口です。大勢の参加者がいたのでなかなかシャッターチャンスがなく、一部分しか写せませんでしたが、高い窓が一つあるだけの暗い部屋でした。英語の解説は充分聴き取れず、残念でした。ただ、リーメンシュナイダーをさかんに素晴らしい彫刻家だったと話しているのはわかって、いつ、すぐそばのフランケン博物館に代表的な彫刻がたくさんあると紹介されるかと思って待っていたのですが、それには触れませんでした。一度、きちんと日本語の解説を聞きたいものです。


ペーターお薦めの日本庭園

 今まではペーターの車で送迎してもらうことがほとんどだったのですが、今回は歩いてホテルまで戻るので、ペーターがマリエンベルク要塞から旧市街に下る道の途中に日本庭園があると教えてくれました。その中を通ってみると、なるほど、日本の職人が来て作った庭園だそうで、「近江の庭」と名付けられている本格的な作りでした。「ヴュルツブルク市と大津市の友好をより深めることを目的に、1989年の姉妹都市宣言10周年を記念し、1990年に開かれる庭園博覧会会場に両市の協力によって作庭されたものです。」という碑が建てられていました。


やはりリーメンシュナイダーの影響でしょうか。

 町に下りるといくつも教会があり、できる限り中を覗いてみました。ある教会(トップの写真)には、リーメンシュナイダーの影響を感じさせる祭壇がありました。もしかしたらレプリカかもしれません。表情がリーメンシュナイダー作品とそっくりです。次回、確認できたらいいのですが、もう一度この教会にたどり着けるかどうか自信がありません。

 この後、ペーターとイングリッドと約束した寿司レストランへ。2人はもう来ていてペーターはお寿司とダックの料理を頼みました。私たちは普通にお寿司を。味はそれなりに良いのですが、お値段もそれなりです。

 明日の予定を確認してホテルに戻ると疲れが出て、いざシャワーへ。ところがぬるめのお湯ならでるかと思ったら冷たい水しかでないと三津夫はカンカン。私の勝手な推測だったのでした。申し訳ない。冷水で何とかちょこっと洗ってベッドに潜り込みました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

177. 15回目のドイツ旅行(25)ヴュルツブルク、シャワーの壊れたホテルへ(1)

2019年03月28日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(25)ヴュルツブルク、シャワーの壊れたホテルへ(1)


Museum für Franken いつもと違って横からの眺めです。


ペーターとイングリッド

 9月29日(土)ローテンブルクを9:06発の列車でヴュルツブルクに出発しました。シュタイナハまでは荷物車に大きなトランクを入れて座りましたが、乗り換え後は普通席が満席でした。仕方なく1等席の脇にトランクを置いて立っていたところ、車掌さんが「こちらにどうぞ」と空いていた1等席に案内してくれたのです。ここは座席の間が広くて自席の前にトランクがおけるのでびっくりしました。親切な車掌さんに感謝です。

 ヴュルツブルク中央駅ではペーターがホームの階段下で待っていてくれました。ホテルは町の中心地に近いバルバロッサにあり、歩いても行けるのですけれど、いつもペーターは車で迎えに来てくれます。案の定、町の中心に車で入るのは結構面倒で時間がかかりました。しかもビルの4階がホテルなので、ペーターは下に車を停めて待っていると思うと気が気ではありません。大急ぎでチェックインしたときに「今日は熱いお湯が出ないので、朝食はサービスしていますが召し上がりますか?」と聞かれたので、それならとお願いしておきました。まぁ、熱いお湯が出なくてもぬるいお湯でなんとかなるだろうと荷物を置き、急いで階下まで下りました。ペーターは「これからフランケン博物館に行くかい? それとも家に来るかい?」と聞くので、お土産と本を先に渡したいからお宅へとお願いしました。

 家ではイングリッドが待ちかねていて、「ケーキが良い? それともパンとハムの方が良いかしら?」と聞きます。すでに11時半となっていたので、「それではパンとハムでお願いします」と答えました。下の写真はイングリッドの用意してくれたコーヒーカップ。「トイ、トイ、トイ!」というのはドイツ語で「うまくいきますように」という意味だそうです。


 昼食をいただいたあとで2016年に一緒にお邪魔した箭本啓子さんからのプレゼントを渡すと2人とも嬉しそうな笑顔。出来上がった3冊目の『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』も手渡して、フランケン博物館へと向かいました。(続く)

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

176. 15回目のドイツ旅行(24)クレークリンゲンの守り神

2019年03月16日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(24)クレークリンゲンの守り神、ヴォルフガングさん


Ev. Stadtpfarrkirche St. Georg Weikersheimで見かけた彫刻


クレークリンゲンの守り神とは…

 2014年秋のこと。私と三津夫はクレークリンゲンのバス停で午後にあるはずのバスを待っていました。時間になってもバスの来る気配がないのです。夕方にはローテンブルクの町で人と会う約束があったので焦っていました。回りには誰もいなくて確かめることもできません。でも朝インフォメーションでもらった情報をよくよく見たところ、私たちがあると思って待っていたバスはRufbusといって電話で予約をしないと来ないバスだったことに気がつきました。そこに1台の車がスーッと現れ、下りてきたのがヴォルフガング・ラインハルトさんだったのです。彼はお連れ合いのイングリッドさん(当時、バス停前の学校の校長先生でした。)を迎えに来たところでした。私は彼に駆け寄ってバスが来ないのですが、バス会社に確かめていただけませんかと私の携帯電話を渡したのです。やはりルーフバスは予約がいるから今から行くのは無理とのこと。するとそこに出てきたのがイングリッドさん。事情を聞いて「ローテンブルクまで送ってあげなさいよ」と言ってくれたのかどうか、ヴォルフガングさんはイングリッドさんを家まで送り届けてから戻ってきて、私たちをローテンブルクまで送ってくれると言ったのです。本当に涙が出そうにありがたかったことを忘れることができません。戻ってきてくれたヴォルフガングさんには申し訳なさでなかなか気楽に話すこともできずにいましたが、徐々に話し始めると彼はやはり学校の先生をしていて8月で退職し、年金生活になったばかりとのこと。同じ元教師として話しているうちにお互いの緊張がとれてきました。ローテンブルクのヴォルフガング教会そばまで送ってくれたときに「お礼の手紙を書きたいので」とお名前とご住所を書いていただいたところ、彼の名前が教会と同じヴォルフガングさんだったことがわかりました。それからは、私にとってはヴォルフガングさんは守り神となっているのです。このご恩を忘れられずに連絡を取りあっていたのですが、ヴォルフガングさんはその後ご病気になって、なかなかお目にかかることができずにいました。そのラインハルトご夫妻とようやくクレークリンゲンで会う機会が持てたのです。


9月28日(金)

 この日がラインハルト夫妻と4年ぶりに会う約束をした日でした。午前10時半頃に私たちのホテルまで迎えに来てくださるとのことで、ホテル前で待っていると上品な夫婦がこちらに向かって歩いてきます。やはりラインハルト夫妻でした。ヴォルフガングさんは治療の末回復されたとのことでお元気そうな姿を見て嬉しくなりました。そしてまず一緒に訪れたのがクレークリンゲンのヘルゴット教会です。イングリッドさんはヘルゴット教会の受付の女性(以前とは違う方)と知り合いだったので色々と話がはずんでいました。入り口にはまだ写真撮影は×と表示があったのですが、その女性に撮影はだめなのかどうか聞いてみるとフラッシュをたかなければ良いですよとのこと。ホッとして撮影させてもらいました。以前大変お世話になったこの教会の牧師、トーマス・ブルクさんは撮影はNOと仰っていたので何度も通いながらあきらめていましたが。彼は異動となってこの年から別の牧師さんが見えたのです。でも私は三脚を持って来ていなかったのと急遽あわてて撮影したのとで、この日は良い写真は撮れませんでした。

 次に行ったのが下のレストラン「Zum Falken」。クレークリンゲンからヴァイカースハイムに向かう道筋にありました。ラインハルト夫妻のお気に入りのお店です。若いシェフが料理していて人気のあるレストランだとのこと、早めに行ったので店内は空いていて、料理名は忘れましたが美味しくいただきました。


シェフが写してくれた写真。


この次に回ったのはヴァイカースハイムというロマンチック街道の一つの町でした。私たちは名前を聞いたことはありますがまだ行ったことのないところで、お城を回って見学しました。そのお城の真ん前に建っていたのが聖ゲオルグ教会です。中に入ると何とも可愛らしい子どもの彫刻がありました(トップの写真)。ドイツにしてはとても珍しい笑顔の彫刻です。詳しい説明を読んでいないのでこの子がキリストなのか他の誰かなのかわかりませんが印象に強く残りました。

 そしてクレークリンゲンに戻り、お二人の家に招待されました。大きなお家です。窓の外にはこれまた大きなクルミの木が立っていました。ヴォルフガングさんはクルミを「持っていきますか?」と袋にバサバサ入れてくださいました。三津夫はこうしたナッツ類が大好きなので大喜び。イングリッドさんは日本からのお土産を丁寧に開け、日本の包み紙は何て美しいのでしょうと感心していました。だから毎年送っているちょっとしたお菓子の箱やお茶の包装紙まで取ってあるのだそうです。




 ローテンブルクまでの帰り道では日本庭園に連れて行ってくれました。私たちから見るともう少し手が入っていると良いなと思いましたが、ドイツにしてはよく日本風のしつらえをしたと言って良いでしょう。夕食は私たちがホテル横の日本食レストランでご馳走しました。あまりお箸は使い慣れていないようでしたが、お寿司を美味しいと食べてくれました。「次からは家に泊まりなさいね」と言ってくれましたが、そのうち伺うことがあるかもしれません。ここで自然にハグしてお別れしました。まだ私たちよりお若いので日本にも来てくれるかもしれません。楽しみです。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

175. 15回目のドイツ旅行(23)ローテンブルクをゆっくり歩く(続き)

2019年03月15日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(23)ローテンブルクの続きです。


主祭壇(聖ヴォルフガング教会、ローテンブルク)

犬を連れた聖ロクス

 そして次に行ったのがクリンゲン門のそばの聖ヴォルフガング教会。犬を連れた聖人(写真・上)が祭壇の右端にいるのですが、それが聖ロクスだったことが今回初めてわかりました。バンベルクで写してきた聖人像と同じ名前です。どういう聖人なのか知らなかったので調べてみたところ、ウィキペディアでは、以下のように書かれていました。

カトリック教会の聖人。ペスト(黒死病)に対する守護聖人とされたことから、古くからヨーロッパで崇敬の対象となってきた。絵画や肖像では、裂傷を負った脚を見せて立ち、傍らにはパンをくわえたイヌが描かれている。

…20歳のとき両親をなくしたのを機に全財産を貧者のために投げうってローマ巡礼の旅に出た。ローマでは当時流行っていたペスト患者の看護にあたった。ロクスが患者の頭上に十字架の印をすると、患者はたちまち癒えたという。やがてロクス自身もペストにかかったが、犬が食べ物を運んできたり、舐めてくれて、ロクスのペストを治してくれたという伝説がある。…」

  上の写真ではパンをくわえているのかどうかよくわかりません。今度はしっかり見てきます。何で犬がいるのか不思議だったのですが、ようやく理解できました。

 

この旅で初めての新作品発見

 最後に今まで入らずにいたReichstadtmuseumに入ってみたところ、リーメンシュナイダー周辺作家によるアンナ・ゼルプドリット像を見付けました。入ってみるものですね。(何だかこの頁は文字数が3万字より多くなってしまうため、投稿ができなくなってしまうので、ここで終わりにしておきます。写真1枚だけでこれだけ短い文章で現在29475文字っておかしいですよね?)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

174. 15回目のドイツ旅行(22)ローテンブルクをゆっくり歩く

2019年03月15日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(22)ローテンブルクをゆっくり歩く


ローテンブルクの町に向かう一角で


 

この旅一番ののんびり・ゆっくりデーでした。

 9月27日(木)快晴。こんなにゆっくりできる一日はこの旅で初めてで最後です。

 元々、この日はフリーデルと一日を過ごす約束をしていたのですが、彼女の都合が悪くなって前倒しになり、昨日はあんなに焦って厳しい乗り換えをしてきたのでした。そして明日28日は私達の最も新しい友人家族と一日を過ごすことになっているので、今日はぽっこりと時間が空いたのです。そこで朝もゆっくり起きて、ホテルの隣のショッピングモールでパンを買い、部屋に戻ってコーヒーを入れ、いつものようにマヨネーズと辛子を加えてサンドイッチを美味しくして食べたのでした。

 ローテンブルク駅前のホテルから旧市街の門までは歩いて数分。その曲がり角にあるのが上の写真の自転車です。ホテル ガストホーフポストのシンボルマーク。いつもきれいな花で飾られているので、ここを通る度につい写真を撮りたくなるのです。レーダー門を通りぬけ、町の真ん中にあるマルクトに向かいます。その途中の商店街はまだ開店前ですが、素敵なショーウィンドウを覗いて歩くのも楽しみなのでした。


ちょっとエキゾチックな柄ですね。


 午前中にまずは旧フランシスコ会教会に行ってみました。ここは開館時間が短く、時々見られないことがあるのです。この日はあと少しで10時になるところだったので教会前で待つことにしました。もう一人女性が開館を待っていました。何だか落ち着かない様子です。事情を聞いてみると「私は今日会議に参加しなくてはならないので10時10分までしかいられないのよ。だから早く開けて欲しいのだけど…。」というのでした。大体10時開館なら9時40~50分には来るのではないかと思いますが、もうすぐ10時になるという頃にようやく自転車で駆けつけたおじさんがいました。彼女は早口で自分の都合を訴え、1秒でも早く開けて欲しいという気持ちが伝わったのでしょう、「では、ここから入りなさい」と、私達3人を司教室(?)から入れてくれました。彼女はすっ飛んで足早に見て回りました。私たちは今までいつも急ぎ足だったので、今回は一つ残らず丁寧に見て回ったのでした。昨日、お墓参りに行ったヨハネスはここでも撮影していたので、彼が写した写真も絵葉書となって売られていました。

 次は何回も通った聖ヤコブ教会です。前回はクリスマスマルクトの時に来たのでしたが、今日はそこまで混んではいなくて落ち着いて見ることができました。ただ、以前一度だけ聖ヤコブ教会のホームページで見た柱の上の興味深い彫刻を探しながら撮影したのですが、それらしいものは見当たらず、どこを写した写真だったのかと後ろ髪の引かれる思いがしました。もっと性能の良い望遠レンズでないとわからないのかもしれません。そのときも直後にもうその写真が見られなくなっていたので、とても気になるのです。(続く)

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

173. 15回目のドイツ旅行(21)オーストリアからブッフ・アム・ヴァルトへ

2019年03月05日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(21)オーストリアからブッフ・アム・ヴァルトへ


フリーデルの食卓から見える景色(ブッフ・アム・ヴァルトにて)


この旅一番の厳しい乗り換え

 9月26日(水)この日は何度も寿命が縮まった感じがした一日でした。

 今回の旅行では3回、列車の乗り換えが大変な日がありました。最初はデュッセルドルフからヘールまでの往復の旅、2回目はニュルンベルクからオーストリアのリーエンツまでの旅、そして3回目がこの日のオーストリアからローテンブルク近郊にあるブッフ・アム・ヴァルトにフリーデルを訪ねる旅です。フリーデルと会えるのがこの日しか無く、できるだけ早くローテンブルクに着いてタクシーでフリーデルの住むブッフ・アム・ヴァルトに行きたかったので、列車の乗り換えがこのような予定になりました。

 リーエンツ東チロル駅 6:29発 → シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:27着

 シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:40発 → ザルツブルク中央駅 9:48着

 ザルツブルク中央駅 10:00発 → アウクスブルク中央駅 12:15着

 アウクスブルク中央駅 12:30発 →シュタイナハ 14:02着

 シュタイナハ 14:36発 → ローテンブルク 14:50着

 ドイツ鉄道をご存じの方はため息が出ると思います。綱渡りのような乗り換え時間ですから。10分や15分遅れるのが日常の鉄道旅では、一つ乗り変えに間に合わなければこの日の計画は大きく動き、あきらめるしかない状態もあり得るのです。でもブッフ・アム・ヴァルトではフリーデルが私たちを待っていてくれるので遅れるわけにはいかないという厳しい日程でした。

 まず最初の列車は途中駅からどんどん小学生、中学生たちが乗ってきて満席。案の定、ザルツブルクから少しずつ遅れが出てアウクスブルク中央駅1番線に着いたのは12時27分でした。多くの乗客が5番線に向かって走り出しました。ホームの前方に行く人、後方に行く人と自然に分かれ、私たちは後方への矢印があったのでそちらのグループに入ったのですが、何と途中で工事中の縄が張ってあって立ち入り禁止。みんな怒って縄をくぐり抜けるので私たちも後に続きました。結局途中の階段を重たいトランクを持って必死でかけ下り、かけ上がり、5番線に着くと車掌が今か今かと私たちを待ってくれていました。私は三津夫より一足先を走っていたのですが、どこの乗車口も人が一杯だったので一つ先の乗車口まで走って飛び乗りました。その直後に列車は出発! 三津夫は乗れたのかと振り向くと入り口近辺には見当たりません。胸がドキドキしました。席を取りあえず確保し、後ろの車両に探しに行こうとすると、ようやく三津夫の姿が見えました。良かった~! 「何で勝手に先まで走って行っちゃうのさ!」と怒られましたが。私は息が弾んで汗びっしょりでした。それにしてもアウクスブルク駅の表示、ひどいなぁ。

 このあと、シュタイナハでは、比較的乗り換え時間にゆとりがあったので充分間に合いましたが、下りたときに一瞬駅を間違えたかと思い、からだが固まりました。それは今までとホームの長さが違ったからです。古い小さな駅だったのにホームが長く、今までの見慣れたシュタイナハ駅とはあまりに違っていたのです。近くの人に確かめたら工事で駅を拡張しているということがわかってホッとしたのでしたが。

 ローテンブルクでは勝手知ったる駅前のホテルにチェックイン。すぐにフリーデルに電話を入れて、駅前のショッピングで急ぎ花籠を買いました。この間にタクシーが1台出て行ってしまってから中々戻ってこないのです。ブッフ・アム・ヴァルトまで行くバス便は無いため、いつもタクシーで行くのですが、ここまで長く待たされたことはありません。まだか、まだかと首を長くして待っていても来ないので、フリーデルにもう一度遅れると電話を入れました。しばらくすると一人のおじさんが私の方にやってきて、「あなた方がずっとタクシーを待っているからタクシー会社に電話を入れておいたよ。もうすぐ来ますからね」と言うのです。涙が出るほど嬉しくて頭を深く下げました。それでも何か混んでいるらしくて合計40分待ってようやく1台のタクシーがやってきました。フリーデルの住所を見せ、「今、タクシーに乗ったから」と電話を入れてようやく胸をなで下ろしました。これで何とか明るいうちにお墓参りができそうです。

 ブッフ・アム・ヴァルトに着くと待ちかねていたフリーデルが門から出てきてくれました。運転手さんとはどうやら顔見知りだったようで二人とも驚いて話をし、彼から名刺をもらっていました。懐かしい家に入ってしばしお茶とケーキで歓談のひととき。私はこの窓辺の景色が大好きです(トップの写真)。今まで何回ここでご馳走をいただいたことでしょう。この後、彼女の運転でお墓まで行きました。私にとっては2回目の、そして三津夫には初めてのお墓参りでした。前夜書いてきたカードを墓前に供えると、フリーデルは家に持ち帰ると言って読み、涙ぐんでいました。

 

ヨハネスのお墓。2015年1月30日に亡くなってもう3年が経ったのですね。


思い出を語り合い、お別れ

 その後、フリーデルが用意してくれていたマウルタッシェンをご馳走になりました。そして、美味しいコーヒーを飲みながらヨハネスが作ったアルバムを見、昔話をしてヨハネスを偲びました。最後はいつものように記念写真。このフリーデルの笑顔がいつまでもブッフ・アム・ヴァルトで見られることを祈りながら、さっき送ってきてくれた運転手さんに迎えに来てもらってローテンブルクに戻りました。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

172. 15回目のドイツ旅行(20)ハイリゲンブルートの祭壇

2019年03月04日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(20)ハイリゲンブルートの祭壇



 

聖ヴィンセント教会(ハイリゲンブルート、オーストリア)

 

青空に映える聖ヴィンセント教会

 9月25日(火)は好天となりました。これなら山並みに映える教会が見られそうです。でも心配なのはバスの乗り換えでした。リーエンツ東チロル駅から8時のバスで出発。第一目的地はヴィンクレルン・イム・モルタール・バスターミナル・ハイリゲンブルートと言うのですが、ここで8時31分に下車すると次のハイリゲンブルートまで行くバスが10:31発となっているのです。この日は幸いお天気が良くなったので何とか外でも過ごせるかもしれませんが、近くにカフェでもあるのかどうか…、トイレは大丈夫だろうかと気がかりだったのです。ところが、着いてみたら隣りにバスが停まっていました。行き先を見るとハイリゲンブルートと書かれています! 良かった~。それもすぐ出発しそうにエンジンがかかっているではありませんか。慌てて飛び乗りました。とっても得をした気分。三津夫も大喜びでした。終点のハイリゲンブルートに着くとまだ観光客は誰もいません。お店も準備中。それでもバスから下りてすぐに公共トイレを見付けました。これで安心です。無料で使うことができました。ウェブ検索では途中2時間待ちとなっていたバス便ですが、これから行く方、安心してくださいね。ちゃんと乗り継ぎができますから。

 終点から少し道を下っていくとスッとした教会の尖塔が見えてきます。回り込んでみると聖ヴィンセント教会が青い空と濃い緑の山を背景に見えました(トップ写真)。心が爽やかになるような景色です。入り口がよくわからなくて墓地のある裏側から入ってしまいましたが、静かで凜と立つ教会の中に入ると真っ正面にミヒャエル・パッハーの弟子が作ったといわれる祭壇がありました。確かにちょっとマリアの表情など今まで見てきたパッハーのものとは違います。そしてよくよく見ると、聖母マリアの上を舞っている天使たち(?)も今まで見たことの無いおかっぱ頭。金太郎さんが琵琶を弾いているような姿で何だかユーモラスでした。

 

 

この場面は今までに見たことがないものです。誰の足なのでしょう?

 

 

 不思議な雰囲気の祭壇をゆっくり撮影してから外に出ると、既に日は高くなっていて花々も元気に咲き誇っていました。近くのお土産店もオープンし、活気のある村に変身。もう一度景色を写してからバスの時間を確認し、それまでカフェーでひと休み。

 帰りのバスも乗り換えは順調で、お昼過ぎにリーエンツまで戻ってきました。


午後はリーエンツの探索です。

 帰りがけに昨日と同じインビスによってチャーハンを頼んだつもりが焼き鮭が乗ったご飯でしかも照り焼きの味付け。私には馴染まない味でしたが、仕方なく全部食べました。ホテルに帰って三脚や一眼レフカメラを置き、身軽になって町の探索へと出かけました。この町の中にもずいぶん沢山の教会があるのです。足を伸ばしてブルック城にも入ってみました。城内はアルビン・エッガー・リーエンツという画家の絵が中心に展示されていました。また中世のフレスコ画の展示もあり、きれいな色合いでした(写真・下)。


Leonhard von Brixen(1438-1475/76)

Christus in der Mandorla


  夕食は今度こそちゃんとした中華レストランで焼きそばとチャーハンを食べて満足しました。ホテルに戻り、翌日の朝食が早いため、食べられない旨伝えたところ、今夜持って来てくれるというのです。そしてトランクを下ろすには翌朝ではエレベーターが使えない(部屋の仕切りがあってそちらには入れない)ので、今夜のうちに下ろしておいた方が良いと言われ、早目にシャワーを浴びて少しの着替えと洗面用具を出しておき、他はトランクに入れて鍵をかけ、1階の裏口前に下ろしました。その間に、ホテルのスタッフが朝食として大きなお盆にパン4個、マーマレードとバター、ジュース、コーヒーとコーヒーカップを乗せて持って来てくれました。こんなに豪華な朝食を早目に出発する人に出してくれるホテルは初めてだったので感激しました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする