リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

326. 18回目のドイツ旅行(6) 家族7人旅 ヴュルツブルクからフランクフルトへ

2023年12月15日 | 旅行

▶ヴュルツブルクの2日間


ヴュルツブルク、シュタインベルクにあるお城のホテルからの景色 前を流れるのはマイン川 
 左奥の丘の上に見えるのがフランケン博物館-ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館のあるマリエンベルクです。

 

▶ヴュルツブルクで家族7人旅が始まりました。

 8月16日。無事ホテルのチェックインを済ませ、荷物はあとで各部屋に入れてくれるということでお願いしたまま、ヴュルツブルク中央駅からICEでゆっくり座ってフランクフルト空港に向かいました。ここ3日間はゆっくり日記を書くゆとりがなく、列車内で思い出しながら日記を書きました。年々記憶力が落ちていくので、できるだけ早めに細かなことも記録しておかないと次の旅行に活かせないと思って書いていますが、こうした旅の記録は海外旅行毎に大学ノート1冊ほどになります。

 フランクフルト空港駅から第一ターミナルへのルートを歩くのは2回目。奈々子の飛行機は幸い息子の時とは違って比較的順調で、それほど待たずに出てきました。ドイツ鉄道パスのバリデートも今回はすぐに済み(これが当然なのです)、夕食のパンと飲み物を購入して19時35分発のICEミュンヘン行きに乗りました。ヴュルツブルク中央駅には21時頃到着。タクシーは朝と較べてずっと少なく、2台あったうちの1台に乗りました。夜の道はまっ暗で回りの景色が全然見えませんが、朝とは全く反対側のルートでしたので、もしかしたらふっかけられるかもしれないと内心ドキドキしていました。今朝のタクシーは2台ともチップ込みで23ユーロ払いましたが、今夜の運転手さんは21ユーロ強の料金を見せてくれたので、心の中で「疑ったりしてごめんなさい」と詫びながら22ユーロ払いました。トランクもにこやかにサッと下ろしてくれて親切な方でした。

 娘の部屋はシングルルーム。「日本に持って帰りたいぐらい可愛い部屋」と喜んでくれたので嬉しくなりました。私たちの部屋は広さもゆったり、ウォークインクローゼットもついていて高級感のある仕様でした。


娘が泊まった部屋の窓

 

▶フランケン博物館―ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館

 8月17日。昨夜は部屋ごとにちょっと寄って挨拶しただけの7人が、ようやく一堂に会したのが朝食会場。この部屋に入って皆がびっくりしたのは蜂蜜が巣からとりだした状態で置かれていることでした。下に流れ出てくる蜜をすくってもよし、蜂の巣ごと匙ですくってもよし。孫たちはこれを見て歓声を上げていました。テーブルセンターもなかなかお洒落な雰囲気。


このように出された蜂蜜を初めて見ました。いつもの蜂蜜とは一味違うような気さえします。


 食事をしながら今日の日程を確認。午前中だけはフランケン博物館-ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館(以後フランケン博物館)まで行きました。ここは、リーメンシュナイダー作品収蔵数世界一を誇る博物館です。その秀逸な作品群を孫たちの記憶に残したいのが私たちの願い。でもその後はそれぞれ見たい対象も違うので自由行動としました。

 市内まで7人でおしゃべりしながら歩いて丘を下り、バルバロッサ前のバス停からちょうど来たフランケン博物館行きのバスに乗りました。でもバス代をまとめて払おうとしたら「いいよ、いいよ」と手を振って受け取らなかったのが不思議です。
 こうした博物館歩きは孫たちにはしんどいかと思いましたが、リーメンシュナイダーの部屋も真面目に見ていました。ここで、親切な館員が館内の要所要所でチェックポイントがあり、クイズに答えると何かご褒美がもらえるということを教えてくれましたので、その後はチェックシートを手にして私の助言や翻訳機などを頼りに一生懸命答えを探して書いていました。担当者がそれとなくヒントをくれたりしていたせいか、思っていた以上に熱中していました。昨年来館したときは観客も少なく、集客力が心配になるぐらい静かな館内でしたが、今年は子どもの姿が多く見られて賑やかだったのはこの取り組みの成果でしょう。夏休みだったこともあるかもしれません。ただ、あまりにも答えを出すまでに時間がかかりすぎて問題も段々難しくなり、孫たちもヘルプする大人たちも最後はギブ・アップ。それでもリーメンシュナイダーの主立った名作を解説できたので満足です。

 博物館を出てからマリエンベルク要塞の庭園に回って市内の眺望を楽しみ、再びバスで丘を下ってマルクト広場の脇道にあるハンバーグレストランに入りました。店内には竹の柱があちらこちらに立ち、なかなか凝った作りです。手作りハンバーグと看板にうたっていたのですが、本当に美味しくて全員感激。良い昼食となりました。私たちにも初めてのお店でした。
 このあと、息子一家はフランクフルトの1泊を残して日本へのお土産を見たいということで別れ、奈々子はドイツ特製のガラス保温ポットを探したいというので私と町中へ。三津夫は帰ってゆっくりすると、一人で丘を上って戻ることになりました。夜は7時にホテルで夕食を予約してあります。それまで解散!

 奈々子が探していたのは、内部がステンレスではなくガラスでできていて保温力の高いポットだそうです。EMSAというドイツメーカーの製品で、日本でも買えないことはないけれど大変高いのだとか。こちらで買って帰りたいと意欲満々。これはつきあうしかないなと観念して生活用品を探し歩きました。でもそれに近い製品はあってもなかなかEMSAはないのです。結局諦めて、丘を上り、ホテルに帰りました。三津夫も「一人でちゃんと帰ってこれたよ」と余裕の顔。息子一家は下の孫が靴擦れしてしまい、タクシーで帰ってきたとか。この日は日傘を差すほど暑かったので、やはり疲れました。



「この席だね」と座った7人用のテーブルと、その後出てきたご馳走 

 午後7時。私はレストランの中庭ではなく、室内に7人分の席を予約していた(タバコの煙と虫を避けたくて)ので、ここだなと思って写真の席に座ったのでした。しかし、なぜかウェイターが憮然とした顔で私たちのテーブルにつかつかとやって来て並んでいた食器を無言で片づけ始めたのでどうしたのだろうと思っていました。しばらくすると違う食器を持って来て並べ始めるのです。感じが悪いので、「朝、室内でと予約をしていたのですけれど」と言うと、ふっと表情が和らぎ「外に準備していたものですから」と。どこかで行き違いがあったのでしょう。その後は丁寧に食事のメニューを案内してくれるようになりました。写真で見るようにご馳走が出てきましたが、せっかくの金婚式ディナーは正直私たちには塩味が強くてなかなか全部は食べきれないのが残念でした。


▶フランクフルトでトーマスと会いました。

 8月18日。ヴュルツブルクとは今日でお別れ。私たちも数え切れないほど訪ねた町ですが、親切だったペーターが亡くなり、ご家族とはあまり連絡がうまく取れず、ここに来ることはもうないかもしれません。でもリーメンシュナイダーの工房があって素晴らしい彫刻をたくさん作った町。一生忘れることはないでしょう。

 今日はフランクフルト中央駅まで行き、お昼をトーマスと一緒に過ごすことになっています。去年は帯状疱疹で大変な思いをしたトーマスがやっと杖で歩けるまでになってルースと一緒にフランクフルトのホテルまで訪ねてきてくれましたが、今日はルースが実家の集まりで来られないため、一人で来てくれました。もう長時間の飛行機の旅は難しい彼らが孫たちに会えるのは滅多にないチャンスです。

 ホテルからヴュルツブルク中央駅までは予約しておいたタクシーで向かいました。列車も順調。フランクフルト中央駅前のホテルはまだ早くてチェックインできませんでしたが、トランクを預け、息子のスマホナビを頼りにトーマスの待つカフェに歩いて向かいました。
 トーマスは元気そうな顔で私たちを既に待っていてくれました。奈々子は何度も会っていますので、まずは息子一家が自己紹介。持って来たお土産を渡し、昼食の注文。この辺りから孫たちの様子がおかしくなりました。外の大きな木の下のテーブルだったのですが、大きめの蠅が飛び回るのです。特に甘い料理にたかってきます。それが怖くてキャーキャーと逃げ回るのでした。息子の連れ合いも虫は大嫌いでいつもなら孫たちと一緒に叫ぶところ、さすがにトーマスがいるのでグッと我慢したそうです。虫を追い払いながらなんとか食事を終えたところで室内に席を移してもらい、今度は虫も飛んで来ないのでゆっくりとデザートをいただきました。


この日は元気そうなトーマス 正面は娘の奈々子です。

トーマスとの帰り道。足取りも元気で杖なしでさっさと歩く姿を見て本当にホッとしました。今も散歩をしながら筋力を戻しているところだそうです。「ルースによろしくね」と挨拶して旧オペラハウス前でお別れしました。ここから息子一家も買い物へ。奈々子と私はまたまたポットを探しに。三津夫は大きな本屋さんで本を見てからベンチで集合ということにしました。
 地図ではその近くにEMSAの支店があったので探し回りましたが、現在は移転しているとのこと。その案内の通りに行ってもどうしても支店が見つからず、結局諦めて合流のベンチへ。夕食は駅でそれぞれ買ってきたもので済ませました。淡々としたものです。


▶息子一家は帰国し、残り3人でシュトゥットガルトへ

 8月19日の朝はホテルで7人旅最後の朝食を一緒にとり、フランクフルト中央駅で少し空港への行き方を息子にレクチャーしながら一日券を購入。時間はゆっくりあるので自分たちで好きなところにいってから空港へ向かうと言います。トランクを預けるところまで皆で顔を合わせ、ホテルのラウンジでお別れ。奈々子と私たちは一足早くシュトゥットガルトに出発しました。息子一家の無事の帰国を祈りながら。


◆ここまでで7人旅は終わります。残る3人旅からは来年また書くことにします。

 皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA


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325. 18回目のドイツ旅行(5) 家族6人旅 ローテンブルク→ヴュルツブルクへ

2023年12月13日 | 旅行

▶ミュンヘンからローテンブルクへ



ローテンブルクの町中にかかる看板 

▶ミュンヘン中央駅でも再び「ドイツ鉄道問題あり!」でした。

 8月14日は皆で一緒に朝食を取りました。なかなか潤沢なメニューで、息子一家は美味しいと感激しながら食べています。今までのホテルよりは格上なので料金もそれなりにかかりましたからね。でもほとんどの人がタバコを吸える外で食べるので、室内に運んで食べている私たちはごく少数派。この日など、まだ楽しく食べている最中に食堂の電気を消されてムッとしました。ちょっと中を覗けば6人が食事中だとわかるはずなのですが。このホテルも工事中で臨時の部屋使いだからかもしれません。

 さて、駅に着き、9時35分発トゥロイヒトリンゲン行きの列車の番線を確認すると、なかなか表示が出てこないのです。何人かが車掌を取り囲んでどうしたのかと聞いています。そうこうしているうちにも列車の時間は過ぎ、結局カットされてしまったことがわかりました。せめてカットしたことぐらい表示してほしいものです。
 仕方なく約1時間後の列車を皆で待つことになりました。今度の列車では何とか座席も確保できてホッとしましたが、トゥロイヒトリンゲンで乗り換えたときは大混雑。乗り換えるシュタイナハまで約1時間を車両間の狭間に我が家6人だけでなく倍ぐらいの人数がぎゅうぎゅうに乗り合わせました。車内の座席にも立つスペースがありません。辛うじて座席に寝そべっていた女の子を座らせてその家族が私を座らせてくれましたけれど、暑さを我慢しながら皆の様子を見つつ座っていてもやはり心が疲れました。 

 シュタイナハで乗り換えてローテンブルクの宿に何とか落ち着いたのは午後2時を過ぎていました。私は明日クレークリンゲンまで行くタクシーをフロントで頼み、6人乗りタクシーが予約できてようやく気持ちが落ち着きました。


▶ローテンブルクの町でリーメンシュナイダーを見ました。

 ちょっと一休みしてローテンブルクの街に繰り出したのは午後3時過ぎ。まずは聖ヤコブ教会に行ってリーメンシュナイダーの三大傑作祭壇を見学。小さな声で孫2人に内容を説明して、案外しっかり聞いてくれたのにホッとしました。彼らにとって本物のリーメンシュナイダー作品を目にしたのはこれが初めてのこと。心に残ってくれることを祈りつつ、その後はケーテ・ヴォールファールトクリスマス博物館や店舗を回り、雰囲気のある街角(トップ写真)を眺め、シュニーバルを買って頬張り…。息子もよく家族の面倒を見てみな楽しそうでした。私は何だか疲れが出て出窓に座り込んだりしながらお土産屋さんを覗く皆を待ちました。
 最後にドイツ料理が美味しいローター・ハーンに入って夕食をとろうと思ったのですが、何だか雰囲気が違います。壁にはカラフルな帽子が掛かっていて、落ち着いた美味しいドイツ料理のメニューが見当たらず、何とメキシコ料理店に様変わりしていたのでした。私は恥ずかしながらタコスを食べたことがありませんでしたので、ここは息子一家のリードに任せました。彼らはドイツ語は読めなくてもササッと翻訳機で見て注文する品を決めていきます。メキシコ料理も食べたことがあるのでしょう、あれこれ迷いなく注文してはよく食べ、よく飲み、つつがなく一日が暮れていきました。



ローター・ハーンのカラフルなタコス入れ

 ドイツには網戸というものがほとんどありません。暑い日はやはり窓を開けたままで寝たいのですが、ちょっと用があって灯りをつけると蛾や虫が飛び込んでくるのです。私たちが泊まった宿は昔ながらの小さな旅館。虫嫌いの息子の連れ合いと孫たちは大騒ぎで大変だったようです。私たちの部屋にも大きなアブのような蠅(?)が2回ほど入り込み、三津夫が奮闘してやっつけてくれたあとは落ち着いて休むことができましたが、こう暑い夏だとやはり大きなホテルでクーラーの効いた部屋の方が安心だと思ってしまいます。でも休むベッドも食べるご馳走もない人たちのことを考えるとこんなことは言っていられませんね。情けない…。


▶ローテンブルクからブッフ・アム・ヴァルトへ

 8月15日は私にとって孫たちとの一番の記念になると思われる日でした。第一目的は写真集を作るきっかけをくれた故ヨハネス・ペッチュの家を訪ね、手押し車で生活しているフリーデルに孫たちを会わせること、第二目的は既に321. 18回目のドイツ旅行(1) 旅の概略とハイライトでご報告した「マリア昇天礼拝」に家族皆で参加することでした。2007年に奈々子と三津夫と一緒にヨハネス・ペッチュが連れてきてくれて参加したのが初めてで、このとき深く感動し、私の写真展ではこのときに撮れた写真をチラシのメインとして載せてきました。ただ、この写真は2.4MBしかなくて大きく引き延ばすことができませんでした。次回の写真展では2023年8月15日に写した写真をチラシやポスターに活用しようと考えています。

 朝、たっぷりの朝食を食べて旅館前に皆集合。フリーデルに渡す花束も用意できました。約束の時間よりも早めに旅館の前に来てくれたタクシー運転手さん。誠実そうな方で、これなら今日一日安心しておまかせできそうだと思いました。ブッフ・アム・ヴァルトまで順調に走行、ちょうど約束の10時頃にフリーデルの家に到着しました。タクシーは午後1時10分に迎えに来てくれる(彼自身がクレークリンゲンへの時間を計算して決めてくれた時間でした)ということで一旦お別れ。

 フリーデルは手押し車を使いながらも私たちのためにケーキを焼き、珈琲を煎れて待っていてくれました。昨年訪ねたときはお世話をしてくれるエリーナさんが一緒に生活してくれていたので安心でしたが、どういう事情か今は一人住まい。よくこれだけの食器やケーキなどを一人で用意してくれたものだと驚きました。彼女のきれいに整った住まいも荒れた様子はなく、息子一家にドイツ人の住まいと広い庭を体験してもらう良い機会となりました。フリーデルは今年91歳。ドイツの友人の中で最年長です。いつまで長生きしてくれるか、楽しみに見守りたいと思います。



サンルームの食卓でフリーデルと


▶ブッフ・アム・ヴァルトからクレークリンゲンへ。

 フリーデルの家に再び時間通りに迎えに来てくれたタクシーでラインハルト家へ。クレークリンゲンが近づいたら町中に入るのではなく、左折して教会に向かう坂を上り始めたので、あわてて運転手さんに「教会に行くのではなく、朝お渡しした住所に行ってください」とお願いしました。てっきりこの日は教会に行くものだと勘違いしたようですが、すぐにUターンしてくれました。町の入口近い坂を上がっていくとラインハルト家があるのです。彼らの家に着いてベルを鳴らし、イングリッドさんの顔を見て安心しました。いつもは彼らが車で案内してくれるのでドアが閉じたままの玄関は見慣れない感じがしたのでした。今日はヴォルグガングさんは大病の治療の合間で家にいらっしゃって、私たちの送り迎えなどもできるとのことでご厚意に甘えさせていただきましたが、実際にお顔を見るまで心配でした。でも彼の表情も明るくて胸をなで下ろしました。

 ラインハルト家でもイングリッドさん手作りのケーキをいただき、もうお腹が一杯。広い居間で孫たちは人形遊びを楽しみ、夕方4時半にお二人が車をそれぞれ運転してくださって合計8人でヘルゴット教会に出発しました。幸い2台分の駐車スペースがあってホッとしました。
 入口まで行くと見慣れた女性が「Frau Fukuda!」と言ってくれたのでとても嬉しくなりました。私の方ではお名前が思い出せず、ごめんなさい。撮影禁止の表示が相変わらず壁にかかっていましたが、彼女に撮影の許可をもらって一番後ろの壁際で三脚を立てて準備。三津夫、孫たちはラインハルト夫妻と一緒に前方の席で静かに座っています。「マリア昇天礼拝」が始まり、途中まで明るい光が祭壇の左隅に当たっていたのですが、一時パッと消えたので「何とかマリア様のお顔に当たる時間までには戻ってきてくれますように」と祈りながら撮影しました。皆の願いは届き、11分後には光が戻ってきてくれました。2007年は午後ずっと曇っていたのですが、夕方になると晴れ上がり、じっくり光の饗宴を見学することができたのです。2回、この礼拝時にヘルゴット教会にいて、2回とも祭壇中央の光を拝観できるとは、多分、私たちはお天気運がとても良いのでしょうね。


▶ローテンブルクからヴュルツブルクへ。

 8月16日。朝はゆっくり食事をとって、9時5分発の列車でヴュルツブルクに向かいました。始発列車なのでゆったり座って、乗り換えもスムーズ。ヴュルツブルク中央駅に予定通り10時17分頃到着。
 その後は私にはちょっと忙しい日。なぜなら今年は金婚式のお祝いも兼ねて普段はとても泊まらないお城のホテルを予約してあったからです。このホテルに行くにはバス便もトラム便もないのですが、重いトランクを転がしながら歩くにもまた大変な距離がありました。高い丘の上に建っているのです。ここはタクシーという選択肢を選ぶしかありません。

 そこで、ヴュルツブルク中央駅についてから、まず皆でホテルまで荷物を持ってタクシーで行き、荷物だけホテルに預けてから歩いて町へ下りました。荷物無しで歩いても、町まで30分はかかりました。
 リーメンシュナイダー作品の宝庫である市内
のマリア礼拝堂や大聖堂を案内してから、息子一家の希望の一つでもあったノルト・ゼーで昼食をとりました。その後の市内観光は三津夫が引き受けてくれて、5人で夕食まで済ませてもらいます。私は歩きで先にホテルに戻ってチェックインを済ませ、また歩いて駅まで行って特急でフランクフルト空港へというスケジュール。奈々子が「一人で平気よ」と言っていれば任せてホテルで待ったかもしれませんが、ホテルがとても不便なところにあるだけに、娘が夜遅くにヴュルツブルク駅から一人でタクシーに乗るのは気がかり。「迎えに来てくれるんでしょ?」と言われて「うん」と言ってしまっていたのでした。続きは次回に。


一人でホテルに戻るときに見かけた可愛い汽車。これは初めてみました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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324. 18回目のドイツ旅行(4) 家族6人旅 フランクフルト空港からミュンヘンへ

2023年12月12日 | 旅行

▶フランクフルト空港で息子一家と合流してミュンヘンへ

 


アルトエッティング、聖フィリップ・ヤコブ  カトリック教会 
 アルトエッティングの
扉のマイスター 1518年~20年頃

▶真夜中にたどりついたミュンヘン中央駅

 8月11日。アイゼナハからやってきたフランクフルト空港。12日前にフランクフルト空港から入国したばかりなので、今度は迷わずに行けるだろうと考えて、遠距離列車ホームの上で連れ合いにトランクを預け、私1人で第1ターミナルまで迎えに行きました。ところが一歩外に出たらすでに来たときとは景色が変わっていて面食らいました。確かに大きな工事中ではあったのですが、この前下車した場所でバスに乗ろうと思っても、その乗り場が見つけられず心細いことったら…。無事に戻って来られるようにスマホで撮影しながらやっとバスに乗り込み、なんとか第一ターミナルに着きました。息子一家が乗った飛行機は到着時にトラブルがあって一度やり直したとかで、予定より大分遅れていました。息子と連絡を取り合いながら待っていると、ようやく孫の顔が見えてホッとしました。皆疲れた様子です。取りあえず空港の長距離列車ホームに戻るのですが、またまた前回乗ったエレベーターが見当たりません。我ながら記憶力と位置情報の弱さには参りました。
 何とか遠距離列車ホームにたどり着き、三津夫と合流。息子一家はライゼツェントルムにドイツ鉄道パスのバリデートをしてもらいに行きました。でもなかなか戻ってきません。せっかくミュンヘンまでの列車で6人分の座席指定をしてあるのにその列車に間に合うかどうかギリギリです。息子が呼びに来たので私も駆けつけ、若い車掌にバリデートしてくださいと伝えても「バリデートって何ですか?」ときょとんとしているのです。「今日からこの鉄道パスを使うので、彼らのパスポートを見て確かめたらここに判を押してください」と説明しても、どうしたものかとおろおろ。離れた席の先輩のところにいってお客さんの対応が途切れるまで待ってやっと作業の確認ができたようで戻ってきました。私のイライラは爆発寸前。「2~3分もあれば終わる作業が何でわからないのか?」と。最近はデジタルの鉄道パスがほとんどで、担当の若者は紙のパスを見たことがなかったのかもしれません。やっとバリデートを済ませ、三津夫と一緒にトランクを持ってホームに下りたら結局予定の列車は既に出発した後。ガッカリしました。こんなときは「いつものように遅れてきてくれたら良かったのに」と思ってしまいました。
 仕方がないので遅めの夕食を買い出しにいき、次にミュンヘンまで直行で行ける列車を待つことにしました。フランクフルト空港からミュンヘンまでは3時間35分かかります。到着はほぼ真夜中になりそう。幸い次の列車で隣同士の空席があって座ることができました。何とか買って来たパンで食事をしたあと、孫たちは丸まって眠りこけていました。やれやれ…。

 ミュンヘン中央駅では、すぐそばにあるはずのホテルなのに暗くてなかなか入口を見つけられず、スマホでここしかないはずだと工事中らしき囲みの中に踏み込んでみたら、なんとそこがホテルの入口だったのでした。翌日は息子一家は日本語ツアーを予約しているので、彼らの朝食だけはホテルに申し込み、私たちはゆっくり別行動することにしました。お疲れさま!


▶アルトエッティングの大天使ミカエル像

 8月12日。7時45分にツアーに無事合流できたと息子から連絡があり、ホッとして私たちはパンを買いに行きました。その時に気が付いたのですが、ホテルのドアには薄い文字で名前が書かれていました。だから昨夜は見えなかったのですね。
 アルトエッティングには「アルトエッティングの扉のマイスター」と呼ばれる彫刻家が彫った教会の入口扉(トップ写真)があり、いつか見に行きたいと思っていました。
 アルトエッティングの駅前は静かでしたが、教会まで行くと結構観光客もいて賑わっていました。特に教区教会にある黒いマリア像が有名らしいのですが、堂内ではミサをしていたので中には入れませんでした。その後で訪ねた聖フィリップ・ヤコブカトリック教会でようやく長いこと見たいと願っていた扉彫刻を拝観することができました。

 この教会は大きく、見応えがありました。その中で見た大天使ミカエルの写真を載せておきます。


アルトエッティング、聖フィリップ・ヤコブカトリック教会 大天使ミカエル像


 それにしても今回の旅ではいつも以上に聖ゲオルク像に出会ってきたような気がします。聖ゲオルクの闘う様子にも様々あり、竜の風貌も大きさもずいぶんと違うものです。一方でこの教会のように大天使ミカエルがやはり竜退治をしている像もあり、聖ゲオルクの場面と大天使ミカエルの場面では竜退治の意味がどう違うのかといつも迷っていました。そこで、この項を書く前に検索をかけてみたところ、
ある文献が出てきました。それは何と植田重雄先生の書かれた「早稲田商学第333号(平成元年2月)ドイツ・スイスにおける年間民俗行事研究」でした。平成元年といえば1989年、今から35年も前のことです。植田先生が早稲田大学を定年・退任されて後の研究論文のようです。
 全部で90頁という長い論文ですが、その中の11頁に第二章として「竜退治の聖ゲオルクの展開」が、19頁には第三章として「守護天使ミカエル」がまとめられていました。

 第二章「竜退治の聖ゲオルクの展開」では、元々人類の原初の時代から爬虫類との闘いがあり、世界中のあちらこちらでそれぞれの王や聖者、英雄たちと龍(場合によっては蛇、鰐、鯨など)との闘いの伝説が語り継がれているそうです。
 さらに、第三章は「地上のもろもろの悪にたいし、闘う守護聖者ゲオルクがこの世界に存在しているように、天上には天上の悪と闘う守護天使ミカエル(Michael ミヒャエル)がいる。」と始まります。そして24頁では、
「龍として象徴される荒々しく混沌として無秩序なもの、あるいは闇と闘い、これを制圧する光と正義、秩序を実現しようとする存在が、守護天使聖ミカエルであり、守護聖者聖ゲオルクである。ミカエルが天の叛逆者を制圧しているのに対して、ゲオルクはこの現世の悪逆にたいして正義を守る存在である。両者が相応じていることによって、ヨーロッパのキリスト教文化は保持されていると考えられる。」とまとめておられました。様々な例を挙げ、聖ゲオルクや、彼と同じように殉教した聖セバスチアンが、民衆を疫病や災いから守ることのできる守護神になっていく様子なども詳しく書かれています。何回か読み直すともっと理解が進むかと思いますが、今回は聖ゲオルクと大天使ミカエルの竜退治の場面に絞ってここに抜き書きさせていただきました。
 ※植田先生はタイトルの「竜」と違う「龍」の文字を文中では使われていましたのでそのまま書き写しました。

 今まで両者の関係がよく掴めずにいた私は、先生のこの論文のおかげで、同じような竜退治の場面が描かれていても、天上の守護天使ミカエルと地上の聖ゲオルクの違いが納得できるようになりました。

 ここまで書いたところで三津夫に論文のことを報告すると、本棚から『守護聖者──人になれなかった神々』(植田重雄著 中公新書)を取り出して「この本を見れば簡単にわかるのに」と言われてしまいました。植田先生は論文をちゃんとこうして2年後に出版していらしたのですね。どうも私が三津夫に頼まれてアマゾンで買った本らしいのですが、読んでいなかったので完全にすっぽ抜けていました。失礼しました。まずは我が家の図書管理者に聞けば良かったと反省しています。


▶夜は皆でミュンヘンのビアホールへ。

 この日の夜はノイシュバンシュタイン城ツアーから戻ってきた息子一家と合流してミュンヘンでビアホールに行くことにしていました。ただ、ドイツの人々は外ではタバコを吸うことが大変多く、私は安心して食事ができませんし、孫たちにもよくありませんので、早めに室内の席を予約したいと思っていました。そこで午後は三津夫と下見にあちこち回りましたが、評判の良さそうなビアホールは既に満席。最後にマリエン広場の市庁舎地下にあるラーツケラーに入ってみたところ、「予約は必要ありませんよ。いつでもどうぞ」と言われ、半分安心しつつも半分不安でした。

 まだ時間があったので、ライプツィヒと同じようにミュンヘン中央駅でもライゼツェントルムに行き、6人分の座席指定をした列車にバリデートの時間がかかったため乗れなかったと訴えました。でも今回は冷たい顔をした男性で「返金はできません」とにべもありません。そこで「フランクフルト空港駅で鉄道パスのバリデートの仕方がわからない担当者がいること自体がおかしい。きちんと教育するよう是非伝えてください」と切り上げました。ついでにライプツィヒでもらっていた Gutschein 20 ユーロ分を元に明日の地下鉄やバスを乗るのに使えるバイエルンチケットを買いました。

 夕方、無事にツアーから「楽しかった」「きれいだった」と帰ってきた息子一家と再びマリエン広場に行きました。パンダのぬいぐるみと一緒に写真を撮ったり、ちょうど回り始めたからくり時計を見上げたりしてからラーツケラーに下りました。入口付近は満席でしたが、どんどん奥へと案内され、ちゃんと6人で丸いテーブルを囲むことができました。息子一家もおおいに飲んで食べて、皆満足したようでした。


▶今日も別行動でラーマースドルフに向かいました。

 8月13日。この日は息子一家はギュンツブルクにあるレゴランドまで列車で出かけました。1日遊び倒すのだそうです。とても私たちはつき合いきれないので、こちらは地下鉄に乗ってミュンヘン近郊のラーマースドルフへ。
 ラーマースドルフのマリア被昇天カトリック巡礼教会ではグラッサー工房作の磔刑祭壇を拝観。厚手の塗りのせいもあるかもしれませんが、あの躍動感あふれるモーリス・ダンスの踊り手たちに較べ、ぐっと感情を抑えた静かな磔刑群像でした。


ラーマースドルフ、マリア被昇天カトリック巡礼教会 
 エラスムス・グラッサーとその工房 磔刑祭壇 1482年頃                                   



 その後、市内に戻ってからバスに乗ってバイエルン国立博物館へ。日曜日は入館料が1ユーロです。ヴェニガーさんはお忙しいので後日会うことになっていましたから、私たちだけでゆっくりと館内を巡ると、今までは見ていないと思われるハンス・ムルチャーの作品が数点まとめられていました。

 明日は家族旅行第二の宿泊地、ローテンブルクに向かいます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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323. 18回目のドイツ旅行(3) 2人旅 デュッセルドルフからアイゼナハまで

2023年12月09日 | 旅行

▶取りあえずハンス・ブリュッゲマンを離れて…

 


世界遺産のあるナウムブルクの町角で

 

▶まずはデュッセルドルフへ

 8月6日。リューベックからデュッセルドルフへは近いようで結構時間がかかるのでした。私はドイツ鉄道のウェブサイトで列車検索をしているのですが、この日はハンブルクまで南下して、ここから FLX 1341 という列車でデュッセルドルフまで行くことにしていました。ここで「あれ?」と思われた方はドイツ鉄道に余程詳しい方ですね。そうなんです。ここは同じ駅から同じ駅まで行く列車でも違う会社が運営している者列車だったのです。だから予約席も無いんだなと。結構地域の列車で色違いの準急のような列車も入っているのでそれなのかなと思っていたのですが…。

 ハンブルクから無事に予定していた FLX1341 に乗車。発車してからしばらくすると検札が来て、ユーレイルパスを見せたことろ「これでは乗れませんよ。次の停車駅で下りてください」と言われてしまいました。若い車掌さんでしたが、だから何度も「乗車券無しで乗っている場合は600ユーロ支払わなければならない」と注意喚起をしていたのだなとやっとわかりました。私たちはちゃんとユーレイルパスを持っているので安心だと思っていたのでしたが。空席があったので座っていたのですけれども、途端に怖くなって席を立ち、トランクと共に乗降口に移って「一体次はどこに下りるのだろう」「デュッセルドルフまで行く列車は何番線から何時発なんだろう」とあれこれ検索。でも FLX の走行ラインがわからないので、下車してみるまで見当がつきませんでした。下りた駅はオスナブリュッケで、数分後にデュッセルドルフ行きが出ることがわかり、大急ぎで番線移動。この間お腹の大きなおじさまから若いお兄さんたちにトランク運びを助けてもらうことができ、無事にデュッセルドルフ行きに間に合いました。感謝、感謝 この旅で2回目の緊急事態もこうして無事に脱出することができたのでした。

 デュッセルドルフでは駅のすぐそばの大きなホテルでチェックインもスムーズ。行きたかったのは Kunstmuseumでしたが、以前チェックしたときは閉館だったのです。詳しい情報がわからないので一時的なものかと思い、ホテルマンに尋ねると開いているとのこと。あ~、よかったと雨の中傘を差しながら歩いて行きました。ところがやはり閉館中でなにやらコンサートを開催していましたがオットーボイレンのマイスター作品「クリストフォロス」はまたの機会に先送りです。帰り道の途中にあった美術館 K20 に入るもガッカリ感が尾を引き、あまり楽しめませんでした。疲れた身体で駅まで歩く途中リトルトーキョーを通り、ラーメン屋さんが何軒かあったのでラーメンを食べて疲れが飛びました。ちなみにこの日の歩きは17,240歩でした。

 8月7日は列車でライプツィヒまで移動するのですが、一旦フランクフルトまで行って乗り換えるというルートになります。午後3時までには着くはずでしたが、フランクフルトへの列車が40分遅れたため、座席指定を取ってあった列車に乗れませんでした。この日のフランクフルトはすごく寒くて駅で待つ間に体が凍えそうになりました。ライプツィヒには結局2時間ほど遅れてやっと到着。散々な日でした。
 あまりにも悔しいので
ライプツィヒのライゼツェントルムで使えなかった座席指定について返金を求めました。このためにも相当待って待ってやっと呼ばれ、返金することはできないけれど次回ドイツ鉄道を利用するときに使えるという50ユーロ分の書類を出してくれました。感じの良い女性担当者のおかげで少し気分も回復。

 ライプツィヒ中央駅は大変大きく、買い物もあれこれできて便利。駅真ん前のホテルの部屋も美味しい珈琲が作れるマシンがついていて、ゆっくり過ごすことができました。ここを足場に8日はナウムブルクの大聖堂(世界遺産)まで有名なウタ像を見にいき、9日はドレスデンへ足を伸ばして何回目かの緑の丸天井へ。ペーター・デルのレリーフ3枚を探し回りましたが、やはり見つけることはできませんでした。残念。この辺は三津夫のブログに詳しいのでご覧ください。

〔611〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く③ 世界遺産、ナウムブルク大聖堂で美しいウタ夫妻の彫刻に対面しました。 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

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リューベックから向かったのは3回目の訪問のデュッセルドルフでした。じっくり市内を巡るのは初めてでした。ここに1泊して次はライプツィヒに3泊です。デュッセルドルフでは...

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〔612〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く④ 「アルトエッティングの扉のマイスター」の扉をガン見する。 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

〔612〕2023夏・ドイツ後期ゴシックとフランスロマネスクを歩く④ 「アルトエッティングの扉のマイスター」の扉をガン見する。 - 後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

ライプツィヒ滞在の最終日、ドレスデン国立美術館を訪ねました。ここは2020年11月17日に世界を揺るがす大盗難があったところです。巨額の金銀財宝が盗まれたため、入場の際...

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▶ライプツィヒからアイゼナハへ

 8月10日は2人旅第一弾の最終宿泊地。2010年から交流のある友人エルケさんを訪ねました。お連れ合いのウヴェさんを亡くしてから町の中心部近くに住まいを移し、1人で静かな生活を送っています。アイゼナハ駅に着くとエルケさんと何となくつかず離れず歩いてくる大柄の女性が…。どなたかと思ったらミュンヘンにいる娘さん、ウルリケがたまたまこちらに来ているのでした。まずは一緒にホテルまで行って荷物を預け、その後もう少し歩いてエルケさんのアパートへ。手作りの昼食をいただき、少しずつウルリケさんとも話を交わしてミュンヘンの町でどこのビヤホールが良いかと盛り上がったり。娘さんはその後用事で出かけ、エルケさんと3人であれこれ買いものをしてから車でウヴェさんのお墓参りに。去年来たばかりなので大体のお墓の位置は覚えていてささやかな花を供えて祈りました。
 その後は友愛記念碑の建つ丘の上まで行って、遠くにヴァルトブルク城を見ながらあれこれお喋り。昔住んでいたという家にも連れて行ってくれました。でも道が狭くて、よくこんな細い道路で駐車できるものだと感心するほどでした。
 夜の食事にはウルリケさんも戻ってきて一緒に楽しく話しながらいただきました。エルケさんは「明日は娘と近くの山歩きを予定しているの。あなた方が午後ゆっくり時間があるとは知らずに申し訳ない。明後日からは天気が崩れるので明日しか行けないの。ごめんなさい」と言うので「明日はゆっくり教会巡りをするから大丈夫よ」と言ってお別れしました。第一目的のお墓参りと、エルケさんとのお喋りが出来たので、十分満足です。

 8月11日。この日も良く晴れた暑い日。ゆっくり朝食を食べた後、ちょうどテレビでワールドカップ女子サッカーの「なでしこ対スウェーデン戦」を中継していたため目が離せず、10時50分まで粘って応援しながら見ていました。その後チェックアウトしてからトランクを預け、聖ゲオルク教会に行ったところオルガンコンサート中で中には入れませんでした。今回の旅では聖ゲオルク像に度々出会うので、アイゼナハの中でも大きな聖ゲオルク教会にあるゲオルク像はどんなものかと見ておきたかったのです。そこで早めのお昼を買って食べてから再び教会に出向きました。ところが、どこを探してもそれらしき彫刻は見当たりません。教会の人に尋ねたところ、「聖ゲオルクはステンドグラスにあるだけなんですよ」と申し訳なさそうに言っていました。教会前の広場には金色のゲオルク像が建っているのですが、残念。でも考えてみればステンドグラスに聖ゲオルク像は珍しいので、写真に写してきました。 

 


アイゼナハ、聖ゲオルク教会のステンドグラスと広場のゲオルク像

 

 このあと私たちはフランクフルト空港まで列車で行き、息子一家と合流しました。次回からは家族旅が始まります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

 

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322. 18回目のドイツ旅行(2) 2人旅 コペンハーゲンからリューベックまで

2023年12月06日 | 旅行

▶ドイツからコペンハーゲン、シュレースヴィッヒ、リューベックを訪れた目的とは?


シュレースヴィッヒ、聖ペトリ大聖堂の「ボルデスホルマー祭壇」1521年  Hans Brüggeman
 ※元々はボルデスホルムにあるアウグスティヌス教会参事会教会に設置されていました。

 

▶ハンス・ブリュッゲマンがテーマの旅

 昨年の秋には初めてシュレースヴィッヒの大聖堂を訪れ、この頁のトップ写真として掲載した偉大なる「ボルデスホルマー祭壇」を拝観しました。北ドイツで最大の祭壇(高さ12.6m)だそうです。そのとき、私たちはハンス・ブリュッゲマンの力量に感銘を受け、その場で『Bordesholmer Altar(1521)』という冊子を買い求めました。その冊子を資料として今年は近隣にあるブリュッゲマンおよび工房等の作品を訪ねておこうと以下のように計画したのです。

 ★デンマークのコペンハーゲン国立博物館・歴史博物館:ブリュッゲマン作 聖ゲオルク像を見る
 ★シュレースヴィッヒ大聖堂を再訪:昨年はうまく写せなかった祭壇を丁寧に写す
 ★シュレースヴィッヒ、
ゴットルフ城博物館:ブリュッゲマン作、または周辺作家による作品を見る
 ★リューベック、聖アネン博物館:ブリュッゲマン作 「跪く聖人(大ヤコブか?)」を見る

 旅の1)は、こうしてハンス・ブリュッゲマンを訪ね歩くというテーマで5日間動き回りました。


▶まずはデンマークへ出発

 デンマークのコペンハーゲンまではドイツから列車で行けるので、私たちはフランクフルト空港で1泊し、翌日列車でコペンハーゲンに向かう予定でした。ドイツの友人たちは飛行機で行くと思っていたようですが、グローバルユーレイルパスを持っているので、わざわざ飛行機の切符を買う必要もありません。こうした列車旅も時間がゆっくりある老夫婦の特権でしょうか。

 8月1日。朝8時にフランクフルト空港駅を出発し、ハンブルクで乗り換えてコペンハーゲンへ。乗り換え時間に余裕を持っての列車選択に頭を悩ませ、一度乗り換えればコペンハーゲンまで行ける列車で行くことにしたのです。どちらも5時間前後の長旅なので座席予約は必須。日本にいる間にインターネットで汗をかきかき座席を予約できたときにはホッとしました。乗り換え時間が50分あるのでまずは大丈夫でしょう。大きな遅れも事故もなく、無事にこの2本の列車でコペンハーゲンに到着したのは午後8時近くとなりました。
 コペンハーゲン中央駅を出ると町は暗くて景色もわからず、少しウロウロして何とかたどり着いたホテルは、人は良さそうだけどエレベーターがありません。階段でトランクを運ばなければならないと予め情報は届いていましたが、それにしてもこの年寄り夫婦を3階の部屋にしなくても…とぼやきながら疲れた身体で何とか運び上げました。途中若い女性が少し手伝ってはくれましたが、なかなかきつい体験でした。部屋もベッドも狭くて、旅の始まりとしてはちょっと意気消沈した夜となりました。

 8月2日、早速コペンハーゲン国立博物館に向かって歩き、念願の「聖ゲオルク像」を堪能しました。これはリーメンシュナイダーの静かでアンニュイな雰囲気を持つ聖ゲオルク像とは正反対で、長い槍を既に竜の喉に突き刺して最後のとどめを打とうと鋭い剣を振りかざしている姿。今にも「我こそお前を征伐する者だ!」という音声が聞こえてきそうな迫力を感じました。この彫刻も皆さんにお目にかけたいところですが、残念ながら美術館・博物館の作品は勝手に載せられないので興味のある方はネット検索をしてみてください。


コペンハーゲン国立博物館・歴史博物館


博物館の奥にある宮殿 丸く並んだ石がおもしろくて写しました。

 

▶次はシュレースヴィッヒへ

 8月3日。この日はコペンハーゲンからハンブルクに向かう特急が停車するシュレースヴィッヒに宿を取りたかったのですが、駅の近くには宿の空きがなく、2駅手前のタープという町に宿を予約していました。しかし1時間に1本しかない列車では行ったり来たりが大変。できればシュレースヴィッヒ駅でコインロッカーはないか見てみて、無ければ2駅準急列車で戻るしかないと覚悟はしていたのですが、タープまで行く列車で戻り、ホテルにチェックインしてまたシュレースヴィッヒまで戻ってくると2時間はロスしてしまいます。シュレースヴィッヒはもっと大きな町かと思いきや、鉄道駅近くは閑散としたものでコインロッカーはおろか、荷物預かり所も見当たりません。すぐ近くに何か聞けそうなのはと見回したところ、下に掲載した写真のKioskだけしか見当たりませんでした。
 中に入って「この近くにコインロッカーか荷物預かり所はありませんか?」と店の女性に尋ねると、気の毒そうな顔で「ここには無いんですよね」とのこと。困ったなぁという顔をしながら「夕方まで預かってくれるところを探しているんですが」と言うと、「何時頃までですか?」と。「夕方4時か5時頃までお城博物館を見て、ここに宿が取れなかったからタープまで戻るんですけど」「このキオスクは午後6時までですから、確実に戻ってきてくれるのであればここで預かることはできますが」との返事。その瞬間、心がパーッと明るくなりました。「はい、必ず6時前には戻ってきます」と約束して大きなトランクを2個預けることができたときには、その親切なおば様と神様(無宗教ですけれど)に心から感謝しました。そして、まずはここでお昼の食べものと飲み物、少しおやつも買って、近くの芝生で食べました。第一難関突破。幸先の良い旅です。


とても親切なシュレースヴィッヒ駅のキオスク

 駅から歩いて行けるゴットルフ城博物館を訪ね、ブリュッゲマン、あるいは弟子か周辺作家の作品をいくつか拝観しました。それほど大きな博物館ではなく、午後3時半頃、博物館の目の前にあるバス停へ。来るときにはまだ元気でしたが、博物館が修復工事中で大回りしたため思っていたより長い時間歩いたことに旅の疲れも加わって、今日はバスで帰ろうということになったのです。夕方4時頃には駅に戻り、親切なおば様にお礼を言ってトランクを引き取ることができました。
 列車は16時15分発。タープまでは準急列車で14分。とはいえビュンビュン飛ばすのに驚きました。そして小さな駅 Tarp に着き、無事に宿に入ることができました。

 この宿は静かで部屋も広く、大きなテーブルセットと浴室がついています。トランクを4個ぐらい広げても大丈夫なほどで心もゆったり。夕食は宿で食べ、翌朝までゆっくり休みました。

 
 翌8月4日はタープからシュレースヴィッヒへ。駅を下りて早速キオスクのおば様に挨拶に行くと、今日も元気に働いていらしたので、再度お礼を言ってメッセージカードと日本の飴を手渡しました。

 昨年はヨーラとヘルヴィックが車で連れて来てくれたのですが、駅から大聖堂までは3km以上あり、歩くのは少し大変です。この日はバスで直接大聖堂に行くことにしました。まだツアー客もほとんどいない静かな大聖堂でゆっくり拝観し、撮影をさせてもらいました。この祭壇には彫刻がおよそ400体あるそうです。以前は日常的に翼が閉じられており、塔の上に立つキリストやアダムとエヴァなどの彫刻しか見られなかったそうです。一般の信者たちは年に数回、特別な行事の折りにしか見られなかったこれらの精緻な祭壇彫刻を、私たちはいつでも見せてもらえるというのは幸運なことだと思います。
 

 


「ボルデスホルマー祭壇」部分 いずれも奥行きのある細かな彫りに目を見張ります。

 

▶リューベックへ

 8月5日。ゆったりしたタープのホテルに別れを告げ、リューベックに着いたのは10時半頃でした。ホテルを見つけてトランクを預け、まずは駅まで戻って腹ごしらえ。ホルステン塔を通りぬける頃には真夏の太陽が照って喉が渇きました。何回か地元の人に聞きながらアネン博物館にたどり着くと、中には思っていた以上に多くの宗教彫刻がありました。そしてブリュッゲマン作「跪く聖人(大ヤコブか?)」も拝観することができ、一番の目的は達成。その後、いくつもある教会を巡り、最後にカタリーネン教会でエルンスト・バルラッハの彫刻を歩道から撮影しました。深く人間の悲哀や苦しみを感じさせる彫刻群です。よくご覧になりたい方は双眼鏡などお持ちになることをおすすめします。




エルンスト・バルラハの彫刻群:リューベック、カタリーネン教会ファサード


エルンスト・バルラハ:「聖者の集い」左から風の中の女・松葉杖の乞食・歌う修道僧 1930~1935 


エルンスト・バルラハ:上記3点の作品名は見つけられませんでした。 

 

 取りあえず、ここでハンス・ブリュッゲマンをテーマにした旅は一区切り。このあとは今までの取りこぼし、再訪、新規開拓の作品を見る旅が始まります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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321. 18回目のドイツ旅行(1) 旅の概略とハイライト

2023年12月05日 | 旅行

▶帰国してから既に2か月半経ってしまいました。

 


暑かった日々を思い出すランツフートのイーザル川


▶遅くなりましたが、「18回目のドイツ旅行」の記録です。

 大変ご無沙汰しています。

 今年2023年は7月31日に日本を出発し、9月18日に帰国(50日間)と、今までで最長の旅となりました。
 今回はドイツを中心としてデンマーク、フランス、イギリス、スイス、オーストリア、イタリアの合計7か国の町を回ってきました。

 私たちはドイツで友人、シルヴィアとクラウス、アンゲリカとヴィリーの2組の夫婦と1週間弱生活を共にしました。シルヴィアの庭に行ってバーベキューをしたり、クラウスの運転でホーエンツォレルン城を訪ねたり、昨年最後に間違えて行った Bingen のリベンジで、本当の Bingen にある教会を訪ねたのでした。
 私たちが無事日本に戻ってきた直後に、今度は彼らが日本を訪れたのです。その旅の最後、10月中旬には我が家に一週間弱滞在しました。大柄のドイツ人が4人も泊まるための準備もなかなか大変ではありましたが、笑いの絶えない日々を過ごし、記念に川越まで連れて行き、着物体験をしてもらってから成田に向けて送り出しました。
 そんなこんなで10月一杯はとても旅の記録をまとめるゆとりがありませんでした。彼らの帰国後は旅先で写した何千枚にもなる写真の整理、ドイツの友人たちへのクリスマスの贈り物やカードの準備などで私の頭もエネルギーも一杯一杯でした。

 12月に入ってようやく少し落ち着いてきた今、何とか旅の記録をまとめておきたいと思うようになり、ブログを書き始めています。ただ、前回までは日記帳を元に細かな記事を書きましたが、これも相当なエネルギーと時間を要していましたので、今回の旅は要所要所だけ数回にまとめて書いてこうと思います。


▶「18回目のドイツ旅行」のルート

 今年は大きく分けると以下の3つの日程での旅となりました。

 1)8月上旬の夫婦2人旅(宿泊した町を主として記載) 
  フランクフルト空港 → コペンハーゲン(デンマーク) → タープ (ドイツ)→ リューベック → デュッセルドルフ → ライプツィヒ → アイゼナハ → フランクフルト空港

 2)8月中旬の家族旅
  フランクフルト空港 (息子一家と合流 計6名となる)→ ミュンヘン → ローテンブルク → ヴュルツブルク(娘と合流 計7名となる) → フランクフルト(息子一家帰国 計3名となる) → シュトゥットガルト → ヘッヒンゲン → シュトゥットガルト

 3)8月下旬の夫婦2人旅
  シュトゥットガルト(娘帰国 2人に戻る) → フランス(パリ) → ロンドン(イギリス) → フランス(トゥールーズ) → バーゼル(スイス)  → インスブルック(オーストリア) → フィラッハ(オーストリア) → ランツフート(ドイツ) → バーデン・バーデン → フランクフルト → フランクフルト空港

 

▶この旅のハイライトは、8月15日の「マリア昇天礼拝」に参加できたことでした。

 今までにも何回か娘の奈々子とはドイツを一緒に旅しましたが、息子一家4名と孫とはしたことがありませんでした。今年は私たちの結婚50周年でもあり、少しでも体が動くうちにきれいな町や私たちが愛する教会や彫刻を孫たちとも一緒に見て回っておきたいと計画したのです。息子一家はドイツ旅行が初めてなので、ちょうど8月15日にクレークリンゲン、ヘルゴット教会で「マリア昇天礼拝」を参観することにしました。奈々子は2007年に私たちと一緒に見ていますし、仕事の都合でこのあとのヴュルツブルクで合流することになってしまいましたが、息子夫婦と孫たちと一緒にこの日にクレークリンゲンを訪ねることができるのは本当に幸いでした。私が2回のリーメンシュナイダー写真展を開催し、5冊のリーメンシュナイダー関係の写真集を発行してきた理由も感じ取ってもらえるのではないかと思う気持ちもありました。そのマリア祭壇に奇跡の夕陽が当たり、時間と共に移り変わっていく様子をここに数枚の写真でお届けします。


①16:53 まだ少し明るい状態で左翼下の「受胎告知」が照らされています



②17:16 左下に跪く弟子たちに光が当たり始めました 



③17:33 この少し前に11分間曇り、光が戻ってきたところです



④17:34 ③よりもほんのわずか光が右上に移りました



⑤17:41 光が聖母マリアから右翼へと移っていきます 



⑥17:48 光の先が右翼の中央を過ぎました



⑦17:50 光はもう少しで聖母マリアからも弟子たちからも離れていきます


毎年8月15日の「マリア昇天礼拝」にて
 
 

 このようにして光とリーメンシュナイダーの祭壇彫刻が織りなす祈りのひとときが終わりました。私は④から⑤に光が移ろう間に必死で聖母マリアをアップで写していました。このとき、聖母マリアの一番美しい表情と手が見えるのです。このアップの写真は次回の写真展で展示するつもりです。
 昨年まではマリア様の左頬に黒いシミのような汚れが広がりつつあってとても心配でしたが、この日はそれがきれいに拭われていて安堵しました。

 

▶そしてもう一つのハイライト

 私たちは旅行中に、できる範囲で友人宅を訪ねていますが、そうしたドイツ人の家庭を息子一家と一緒に訪問する機会も今後そうそう持てるものではないので、ローテンブルク近郊にあるブッフ・アム・ヴァルトのフリーデルと、クレークリンゲンに住むラインハルト夫妻のお宅を訪ねることも計画しました。フリーデルは私が写真集を作るきっかけともなった写真家ヨハネス・ペッチュのお連れ合いで、今年91歳になりました。広いお庭には林檎の木が何本もあり、大人たちのおしゃべりに退屈した孫たちも元気に遊ぶことができます。実際は私とフリーデルのおしゃべりの時間となり、三津夫も息子たちもこの庭の雰囲気をゆっくりと楽しんでいたようです。

 ただ、このときは合計6名の集団を乗せてくれるタクシーを頼めるかどうかすごく不安でした。ローテンブルクのホテルの受付で6人乗れるタクシーがあるかどうかと尋ねたところ大丈夫という答えで予約も入れてもらえてホッとしました。当日の料金はローテンブルクからブッフ・アム・ヴァルトまでとブッフ・アム・ヴァルトからクレークリンゲンまでの2回お願いして合計156.5ユーロでした。
 クレークリンゲンでは昨年泊めていただいたイングリッドとヴォルフガング・ラインハルト夫妻がケーキを焼いて待っていてくださいました。フリーデルのところでもケーキをたくさんいただき、こちらでも美味しいケーキが待っていたので孫たちは大喜びでしたが、息子は頑張って食べたため、お腹を壊してしまったとのこと。するとイングリッドさんが大変強いお酒を出してくださって、ドイツではお腹が緩いときにこれを飲むと良いのだと勧められ、結果的にはすっかり良くなったのだそうです。ヴォルフガングさんは体調が整わなかったのにも拘わらず、イングリッドさんとお二人で私たちをヘルゴット教会まで送り迎えしてくださいました。来年にはすっかりお元気になられることを祈っています。

 そして息子たちの最終目的地フランクフルトでは、毎回お世話になっているトーマスがわざわざ駅から歩いて行けるカフェを予約して私たちを待っていてくれました。ここでも美味しい食事とケーキをご馳走になり、申し訳ないようでした。 

 昨年はトーマスの帯状疱疹がひどくて泊まるには負担が大きくなり、帰国前日にフランクフルト駅前のホテルまでルースと杖をついて歩くトーマスがやって来てくれたのでした。今年はトーマスは杖無しで歩いてこられるようになっていましたが、ルースは残念ながら故郷で集まりがあって出かけなければならず、息子一家に会うことはできませんでした。
 それでもこうしてドイツ人のお宅を2回訪問でき、息子一家には貴重な体験になったのではないかと思っています。

 ちなみに、ミュンヘンについた翌日に息子一家は日本語ツァーでノイシュバンシュタイン城に行ってきました。夜は私たちと待ち合わせてミュンヘン、マリエンプラッツにあるラーツ・ケラーに入ってビールやドイツ料理を楽しみました。2日目には近郊のレゴランドで1日遊びまくり、大変満足したようです。その間私たちは近隣の町まで足を伸ばして小さな教会を訪ね歩いたのでした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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