リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

117. 「追いかけ人(びと)」18年間を振り返る No.6

2017年09月30日 | 彫刻

美しい彫刻たち その1

 

                 

        フアナ1世(ナバラ女王) (石灰岩) 1305年頃、パリ (作者名は書かれていません。) 


 ◆しばらくの間リーメンシュナイダー関係から離れて、美術館、博物館などを訪ねたときに撮影してあった彫刻の中でも忘れ得ぬ美しさを持った作品たちを紹介していきたいと思います。


 今日ご紹介する彫刻は、2年ほど前にボーデ博物館のユリエン・シャピエさんから『Auf den Spuren einer vergessenen Königen (忘れられた女王の足跡?)』(Robert Suckale、MICHAEL IMHOF VERALAG)という本をいただき、今度ボーデ博物館に行ったら是非見てみたいと思っていた作品です。この写真は、2016年11月にベルリンのボーデ博物館を訪ねたときに撮影したものです。

 このフアナ1世を実際に見たときに、とても美しいと思いました。そしてリーメンシュナイダーより200年前ぐらいに、既にこのような気品のある女性像が彫られていたということに感銘を受けました。服の襞も流れるように折り重なり、プロポーションも姿勢も自然です。きっと腕の立つ彫刻家が彫ったに違いありません。


          

 

 でもフアナ1世というのはどういう人なのか、またどういう意味合いで教会のようなものを手に載せているのかわからず調べて見たところ、日本語のWikipediaでは、以下のように書かれていました。

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 フアナ1世(スペイン語:Juana I、1271年4月17日-1305年4月4日)は、ナバラ女王およびシャンパーニュ女伯(在位:1274年-1305年)。シャンパーニュ伯としてはジャンヌ(フランス語:Jeanne)。エンリケ1世とその妃ブランカ(ブランシュ・ダルトワ、ルイ9世の弟・アルトワ伯ロベール1世の娘)の一人娘。後にフランス王フィリップ4世の王妃となった。

 1274年、父王エンリケ1世(シャンパーニュ伯アンリ3世)の死去により王位と伯位を継承した。幼少だったので母親が摂政として政務を執ったが、幼い女王に女性の摂政、さらに相続人の少なさといった点がナバラ内外の対立勢力に付け込まれることとなった。そこで母子はフランス王フィリップ3世に庇護を求めた。1284年8月16日にフアナは王太子フィリップ(後のフィリップ4世、ナバラ王としてはフェリペ1世)と結婚して共同統治を行ない、以後およそ半世紀にわたってナバラとフランスは同君連合となった。フィリップとの間に、ルイ(スペイン語名ルイス、後のルイ10世)、フィリップ(フェリペ、後のフィリップ5世)、シャルル(カルロス、後のシャルル4世)、イザベル(イサベル、イングランド王エドワード2世妃)らをもうけた。

  1305年にフアナは死去、セーヌ左岸のコルドリエ修道院(フランス語版)に埋葬された。フアナの死因はその状況が不可解なものだったため、フィリップ4世によって暗殺されたのだと主張する歴史家もいる。

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   となると、この手のひらの教会のようなものは、コルドリエ修道院を意味するのかもしれないと思ってしまいますが、まったくわかりません。3歳で即位させられ、10歳で結婚させられ、4人の子供をもうけて謎の死を遂げたのは34歳という若さ。この彫刻が1305年頃の作というのは彼女が亡くなってすぐですから、よほど慕われていたのか、悲劇の女王として歴史に残る女性だったのでしょうか。歴史に疎い私は、彫刻を見てからどんな人なのかと調べたくなり、初めて彼女のことをほんの少しだけ知った次第です。それにしても700年ほど前の人で、生まれた日も、結婚した日も、亡くなった日もわかっているというのに驚きました。

 きっとこれから先、こんなポーズの彫刻や絵画を見たら、フアナ1世かどうか、いつ頃の作品なのかを確かめてみたくなると思います。もし、もっとフアナ1世について詳しくご存じの方がいらしたら教えていただけると嬉しいです。   

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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116. 「追いかけ人(びと)」18年間を振り返る No.5

2017年09月23日 | 日記


              

              ニュルンベルク郊外のクラインシュヴァルツェンローエ、諸聖人教会

      

思い込みと目隠しをはずして

   前回のブログで載せた表の拝観率について、今日は書いておこうと思います。

  私は、追いかけ人になりたての頃、拝観率100%を目指して突っ走っていました。教会にも美術館にも多くの彫刻や作品があります。祭壇にもいろいろあって、多い教会では10を超える祭壇があるのです。その中で、ヴュルツブルクのマインフランケン博物館が発行したカタログや他の本に載っていた写真を元に、この作品はないか、この嘆きの群像はないか、このレリーフはないかと探し回るのですから、結構大変なことです。教会に入ると、まるで目隠しをした馬のように、リーメンシュナイダー関係の作品がありそうな場所を目指すわけです。その際、全部の作品を丁寧に見て回るゆとりがありません。何しろ小さな村や町に行くときに、車がない私は電車やバスに乗って行くわけですし、戻ってくるバスに乗るまでに20~30分しか撮影できない場合も間々あるのです。トップ写真のように人通りの少ない場所の教会を出て帰りのバスを逃したら、どこかの家に泊めてくださいと頼み込まなければなりません。必死です。それが習い性となってしまって、ゆとりのあるところでも目隠しの馬になってしまうのでした。

 ところが2011年のことです。バンベルクの大聖堂を見学していたときに、夫や友だちが「あそこにもリーメンシュナイダーみたいな作品があるよ」と教えてくれたのです。恥ずかしいことに私はその祭壇を完全に見落としていました。真ん中の彫刻が彼の作品とは雰囲気が違っていたからです。ところがその左端に目を向けると、リーメンシュナイダーの聖セバスチアンが立っているではありませんか。色鮮やかで雰囲気が違っていたとしてもそれは言い訳にしかなりません。あわてて教会のパンフレットを見てみると、確かにリーメンシュナイダー工房作と書いてありました。ショックでした。

 このように、時にはまさしく彼の作品であったり、時には弟子の作品であったり、関係のない作家の作品であったりするのですが、私はリーメンシュナイダーにこだわるあまりに回りの作品を見ようとしていない自分に気がつきました。せっかく一生に一度しか訪れないかもしれない場所なのですから、その場所の雰囲気全体と、他の祭壇や絵や彫刻を見ないのは大変もったいないことです。「ここにはこれがある」というはやる気持ちが、いつの間にか「ここではこれだけ見ればいい」という思い込みになってしまっている。よく見ると他の作品も素朴であったり、深いたたずまいを感じたりするのです。リーメンシュナイダーしか見ないという態度はどんなに僭越だったかということにようやく思いが至りました。追いかけ人となってから12年ほどは目隠しをした馬のようにまっしぐらでしたが、ここ数年は心がけて目隠しを取り、思い込みをなくして謙虚な気持ちでリーメンシュナイダー以外の作家たちの作品にも目を向けるようにしました。

 また、最初の頃はリーメンシュナイダーか工房の作品にしか目が向いていなかったのですが、よくよくカタログを見直してみたら、せっかく訪ねている美術館に弟子の作品もあったり、周辺作家の素朴な味わいの作品があったりするのに見ていなかったことに気がつき、「今度ベルリンのボーデ博物館に行ったらこれも探してみよう」とか、シュヴェービッシュ・ハルのミヒャエル教会の磔刑像を撮影してこようと思うようになりました。この磔刑像はリーメンシュナイダーより少し前の時代に活躍していたミッヒェル・エアハルトが作っていたことが最近になってわかったのでした。

 こんな次第で、いつまでたっても100%見終えることは無理とわかってきたので、現在の目標は、

★リーメンシュナイダー関係の作品で、(個人蔵で拝観がむずかしい作品を除き)公開展示されている作品はできるだけ訪ねて拝観する。

★その際、その場所にある作品も時間の許す限り丁寧に見て心の財産にする。

と変わりました。未拝観のリーメンシュナイダー関係の作品はドイツ国内であと14点ほど、国外では4点ほど残っています。ただ、この半数ほどは訪ねて探し回っても見つからなかった作品ですので、恐らく全部を見ることはできないでしょう。それでも体が動き、世界が戦争に巻き込まれない限り、訪ねて歩きたいと思っています。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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115. 「追いかけ人(びと)」18年間を振り返る No.4

2017年09月17日 | 日記

                                  

                                 

                  ヘロルツベルク、聖マタイ教会 2009年2月 ニュルンベルクの郊外にある小さな町の教会です。

                             構図は気に入っているのですが、青みが強いですね…。ホワイトバランス、間違えたかな??    


これまでの旅の一覧と拝観数

 ちょうど良い機会なので、リーメンシュナイダー作品を追いかけた(実際には見られなくとも見ようとした)旅の一覧をまとめておくことにします。その際、リーメンシュナイダー作品を見た国には♥、見に行ったけど見られなかった国には♣のマークを付けておきます。何もマークがついていない国は、リーメンシュナイダー以外の美術作品を見に行ったり、観光したり、友人との再会を目的としたりして訪ねた国です。


 ①1998年7月~8月 ドイツ♣ → スイス → イタリア

   ミュンヘンでリーメンシュナイダーを見るつもりが休館日で見逃す。

 ②1999年8月 ドイツ♥ → オランダ → ベルギー → フランス

   リーメンシュナイダーの作品に初対面。深く感動し、「追いかけ人(びと)」の真のスタートとなった旅。

 ③2000年8月 ドイツ♥ → チェコ → ハンガリー ♥ → オーストリア → ドイツ♥ → オランダ

 ④2001年8月 ドイツ♥ → オーストリア♣ → スイス

 ⑤2004年3月~4月 オランダ → ルクセンブルク → ドイツ♥

 ⑥2006年4月~11月 ドイツ留学♥ その間スイス♥、イギリス♥ にも足を伸ばす。

 ⑦2007年8月~9月 ドイツ♥ → スイス♥ → ドイツ♥

 ⑧2009年1月~2月 ドイツ♥ → スイス♥ → ドイツ♥ → ポーランド → スロヴァキア → オーストリア♣ → チェコ → ドイツ♥

 ⑨2010年5月~7月 ドイツ♥ → スイス♥ → オーストリア♥ → ドイツ♥ → ポーランド → チェコ → スロヴァキア → ドイツ

 ⑩2011年2月 アメリカ♥ → カナダ♥ → アメリカ♥

 ⑪2011年8月~9月 ドイツ♥ → フランス → ドイツ♥

 ⑫2012年3月~4月 ドイツ♥ → オランダ♣ → ベルギー → フランス♥ → イギリス♥ → ドイツ♥

 ⑬2013年2月 ドイツ♥

 ⑭2014年9月 オーストリア♥ → ドイツ♥

 ⑮2015年2月 アメリカ♥

 ⑯2016年10月~12月 ドイツ♥ → オーストリア → ドイツ♥ → オランダ♥ → ドイツ♥


  我ながらよく14回もドイツに通ったものだと思います。何度も見た作品はたくさんありますが、今年1月現在の拝観数をまとめたところ、以下のようになりました。


  

 ただし、作品の数え方については様々な考え方がありますので、私なりに次のような観点で数えました。また、表内の作品数はリーメンシュナイダーの手になる作品、工房の作品、弟子たちの作品、周辺作家の作品を全部合わせたものです。

   ①個別に展示されていたり、所属所で個別にカウントされていたりする作品は、1点と数える。
  ②オリジナルの祭壇や、磔刑像とセットになったマリアとヨハネは、まとめて1点と数える。
   ③同じ土台の上の作品グループや、部分的につながっている作品は、1点と数える。
   ④元は同じ祭壇の中にあった作品でも、現在個別に展示されていたり、所属所で個別にカウントされたり、別の祭壇に取り入れられたりしているものは、単独で1点と数える。
   ⑤元は同じ土台の上にあった作品でも、現在は土台から離ればなれになって個別に展示されているものは、それぞれの作品を1点と数える。


 なお、これで全作品だと言い切れるものではもちろんありません。私が情報を得た限りでの数であることをお断りしておきます。大きな美術館、博物館には相当数の作品が保管されていて、その全貌は知るべくもありませんし、数年に一度はどこかから新たに発見されているようですから。 

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114. 「追いかけ人(びと)」18年間を振り返る No.3

2017年09月13日 | 日記

写真ってむずかしい その3


     

             

               フォルカッハ、葡萄畑の聖マリア巡礼教会

 

  今までにも書いたかと思いますが、教会や美術館の中で、ガラスのケースに入っている作品は本当に撮影がむずかしいと感じます。自分やカメラの影がガラスケースに映ることもですが、光の反射で大事な作品の全体をきれいに撮ることがなかなかできません。少し斜めから影や光の反射を避けて写すことを覚えましたが、そうなると作品の正面像がなかなか撮れないのです。つい最近わかったことですが(気づくのが遅すぎる…!!)、白っぽい服装はこういう場合、ガラスに映りやすいのですね。撮影日には、できるだけ黒っぽい服装を心がけようと思うようになりました。そして天候も、晴れよりは雨や曇りの日の方が建物内部での撮影には向いているようです。窓から入る逆光で苦労したところは何カ所かあります。例えば、ツェル・アム・マインの聖ラウレンティウス教会にある「嘆きの聖母(ピエタ)像」は、ちょうど窓の真下に設置されています。最初に撮影したときはどうしても正面の全体像がうまく写せませんでした。その後、もう少し日差しが弱い日に教会を訪ねて、何とか写すことができましたが。

 また、トップ写真の葡萄畑のマリア巡礼教会(フォルカッハ)にある「ローゼンクランツのマリア像」の撮影にも苦労しました。この彫刻が壁に掛かっていたのは1962年までです。この年の8月6日から7日にかけてローゼンクランツのマリア像は盗難に遭ったのでした。手を尽くして探しても見つからなかったため、やむを得ず報奨金を出してようやく取り戻すことができたそうですが、ずいぶん批判もあったとのことです。見つかったときにはマリア像は床用のワックスや煤で汚れ、5つあったメダリヨン(薔薇の輪の中にある小さな彫刻部分)も2カ所失われていたと聞きました。修復を受けてきれいになった像は1年後の8月6日に教会に戻り、9月には盛大な儀式が行われたという新聞記事が本(写真・下)に載っていました。それからはローゼンクランツのマリア像は高い天井に吊り下げられています。リーメンシュナイダー関係の本によっては背景がステンドグラスではなくて壁の写真が掲載されているものがありますが、現在はそういう写真は撮れません。私が撮影した日はいつも晴れでしたので、やはり逆光になって苦労したのでした。昨年の旅でここを訪ねたときはちょうど曇りだったので撮影にはよかったのですが、ミサと重なり、自由に撮影することはできませんでした。残念です。

 

 

           この本はヴュルツブルクのウルリヒさんが譲ってくださいました。

      

 これで写真の苦労話は終わりにしておきます。

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113. 「追いかけ人(びと)」18年間を振り返る No.2

2017年09月08日 | 日記

写真ってむずかしい その2


                 


 この写真も前回載せたマッターホルンと同じ2001年に写したものです。画素数も少ないのにビギナーズラックでしょうか、遠くの山が比較的手ぶれもせずに写せているなぁと思います。お天気がよかったおかげかもしれません。多分、ユング・フラウ・ヨッホだと思うのですが、どこから写したものやら、当時の記録はアバウトで特定できませんでした。多分、登山列車に乗って着いた、テラスのような展望台から写したような気がします。

 この後、私の写真は力みが入って手ぶれが多いことを痛感し、一眼レフに買い換えてアルバイトで三脚を使うようになってからは、旅にも三脚を持って歩くようになりました。その分、荷物は大きくなるし、重たくなるし、体力が必要になります。また、美術館では一般的に三脚の使用は禁止なので、必死で頼み込んだり、それでも許しがもらえなかった美術館には次回の訪問前にあらかじめメールで三脚を使えるよう許可をもらうという面倒なことにもなってきました。

 また、レリーズというコード付きのシャッターがあることがわかり、直接カメラのシャッターを押すとボディに力が伝わってぼやけることが多い私は、少しでも余分な力を伝えずに済むようにと、リーメンシュナイダー作品を写すときにはレリーズでピントを合わせて写すようにしました。

 教会の中では結構三脚で撮影している人もいるので、禁止の断り書きが無い場所では使わせてもらいました。教会では特に天井高く磔刑像がかかっていることが間々あります。これは普通の広角カメラではなかなかとらえにくいので、望遠レンズが必要となります。あまり高価なレンズは買えませんでしたが、少し遠くの作品や高い場所にかかっている作品もある程度は写せるようになりました。

 そして、一番むずかしいのが色合いの調整です。ニコンカレッジで教わったホワイトバランスの調整の仕方は、プリセットバランスです。薄暗い教会の照明の元で白かグレーの場所にピントを合わせてシャッターを切り、それを基準にして写すという写し方でした。あとは明るさの補正、ISO感度の調整など、いろいろな要素が絡まって色合いが決まってくるのです。少しずつ慣れては来ましたが、まだまだうっかり前の場所の調整のままで写してしまって、途中で気がついて撮り直すなんていうこともあります。プロのカメラマンはマニュアルでささっと調整しながら写していくのだからすごいなぁと思うのです。

 なかなかそこまでできずにいる私の最後の奥の手は、RAWデータで撮影することです。これだと色合いが良くなかったときに相当修正ができるからです。とはいっても元の色合いは記憶に頼るだけでは再現できませんので、小さなデジタルカメラを持って行き、比較的正しい色合いを写してくれるこのカメラの画像に合わせるように修正するということがあります。最初からきちんと色調整ができていればこんな苦労はしないですむのですが、素人の悲しさです。1年間ぐらい写真の専門学校に通えばもう少しましな腕になるのではないかと思うのですが…。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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112. 「追いかけ人(びと)」18年間を振り返る No.1

2017年09月04日 | 日記

大分お休みしました

 昨年の旅の記録をまとめ終えてから第3冊目の写真集の編集にとりかかっていました。けれども様々なできごとで心落ち着かず、なかなか進まずにいて、とうとう9月になってしまいました。まだ編集は道半ばではありますが、ブログの更新をぽつりぽつりとでもしていかなければと思い、「追いかけ人」としての18年間を振り返ることにしました。

           

          
                       

写真ってむずかしい その1

 私はきちんと写真を勉強したことがありません。リーメンシュナイダーを訪ねて回るぞと決意したのは1999年8月のことでしたから、それから18年経っているのですが、最初の頃はこんな自分がカメラを持ってヨーロッパ、アメリカなどの町や村を回るようになるとは考えてもいませんでした。まずは「リーメンシュナイダー作品を自分の目で見る!」、ただそのためだけにドイツを回り始めたのでした。

  でもなぜか、私はオリンパスのデジタルカメラを2000年には買っていたようです。このカメラで作品の写真を撮ったはずなのですが、今現在そのファイルが見つかりません。手元にある一番古い写真データが2001年の8月に写したマッターホルン(スイス)でした。この日は大変天候に恵まれて風もなく、リッフェル湖に映る逆さマッターホルンを写すことができたのでした。それが上の写真です。画素数も少なく、質の高い写真とは言えませんが、自然が私に恵みをくれたと感じた一瞬でした。

 2004年3~4月には(まだ現役の教員時代)、ヴュルツブルクに春休みを利用して行ってきました。ヴュルツブルクの市制1300周年を記念してマインフランケン博物館でリーメンシュナイダー展が開催されたからです。夏休みになるまで待っているとその大展覧会は終わってしまっているので、無理をして短い春休みに出かけたのでした。その際、発行された2冊の重たいカタログにはたくさんの美しいリーメンシュナイダー彫刻の写真が掲載されており、迷わず買って帰ってきました。それ以来、このカタログが私の第一の参考書となりました。そしてこのカタログに掲載されている作品をできるだけたくさん見て回ろうと決意したのでした。

 この頃は、暗い美術館や教会での写真はほとんどうまく撮れないという状況でしたので、作品を見ると一生懸命ノートに汚い字でメモを書き、できるだけ写真の入ったカタログやパンフレットを買っては持ち帰ったものです。従って、どこに何という作品があるのかという記録はとても不正確で苦労しました。急いで書いた文字は自分でも読めなかったりしましたから。

 2005年に早期退職し、2006年にドイツ語を学びにドイツ留学したことはこのブログの始めに書きました。この留学していた7ヶ月の間にも拙い技術で何とか作品の写真を撮りためてはきましたが、いっこうに腕は上がりませんでした。

 帰国後、あるご縁で小さなブティックの写真撮影のアルバイトをすることになりました。2007年の途中から始めたように記憶しています。そこでは私が持っているよりは高級なデジタルカメラを三脚に立て、服やドレス、鞄、靴、アクセサリーなどに照明を当てて撮影するのです。その画像の処理の仕方を前任者から教わって、見よう見まねでトリミング(大きさや背景との兼ね合いを考えて切り取ること)し、画像処理ソフトのフォトショップ・エレメントを使ってウェブ用に画像サイズを小さくし、ヤフーオークションにアップするという仕事でした。仕事を始めた頃に「一度ちゃんと勉強してきて欲しい」と言われてフォトショップの講習を受けさせてもらえたのは幸運でした。お店の撮影対象はそれほど高級な商品ではありませんでしたが、アップされた画像は本物以上にきれいに見えるようになるのが驚きでした。このアルバイト期間で、1枚の写真をアップするためにはたくさんの明るさやアングルを変えた写真を何枚も写し、その中から一番見栄えの良いものを選ぶということを学びました。

 けれども1年ほど経ったある日、このカメラが壊れてしまったのです。私は自分の操作が下手でカメラを壊してしまったのではないかと責任を感じて、今度の旅行で使おうと思って買ってあったニコンの一眼レフD80をお店に持ち込んで仕事をしました。それと並行して自分でもニコンカレッジに通い、一眼レフの扱いを多少勉強しました。おかげでアルバイト中に自分の新しいカメラの扱いに大分慣れさせてもらえたのでした。そして、三脚使用で照明をうまく当てればそこそこの写真は写せるようになりました

 2009年、第1冊目の『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版し、ドイツの友人やお世話になった方々を訪ねながら、もっと真剣にリーメンシュナイダーや工房の作品を見て回りました。本に書いた情報が本当なのか、まだちゃんとその場所で見られるのか、そこまでどうやって行ったらいいのか、確認しながらの旅です。せっかく見た作品は何とか新しい一眼レフで写しておきたいとがんばったのですが、まだまだ美術館や教会ではアングルが悪くて全体が写っていなかったり、傾きが大きかったり。自分用の記録として見た作品を写すのが精一杯でした。ただ、嬉しかったのは美術館の作品の横にある解説カードを書き写すのではなく、写真に撮って帰ってから何度も確かめられるようになったことです。当時、SDカードの容量もどんどん大きくなって、そういう記録が可能になったのだと思います。作品を写してからその作品カードを写すという順番さえ守れば大丈夫。これでいつもメモ帳にカードの内容を書き写していた時間が大分短縮されて助かりました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA 

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