美しい彫刻たち その1
フアナ1世(ナバラ女王) (石灰岩) 1305年頃、パリ (作者名は書かれていません。)
◆しばらくの間リーメンシュナイダー関係から離れて、美術館、博物館などを訪ねたときに撮影してあった彫刻の中でも忘れ得ぬ美しさを持った作品たちを紹介していきたいと思います。
今日ご紹介する彫刻は、2年ほど前にボーデ博物館のユリエン・シャピエさんから『Auf den Spuren einer vergessenen Königen (忘れられた女王の足跡?)』(Robert Suckale、MICHAEL IMHOF VERALAG)という本をいただき、今度ボーデ博物館に行ったら是非見てみたいと思っていた作品です。この写真は、2016年11月にベルリンのボーデ博物館を訪ねたときに撮影したものです。
このフアナ1世を実際に見たときに、とても美しいと思いました。そしてリーメンシュナイダーより200年前ぐらいに、既にこのような気品のある女性像が彫られていたということに感銘を受けました。服の襞も流れるように折り重なり、プロポーションも姿勢も自然です。きっと腕の立つ彫刻家が彫ったに違いありません。
でもフアナ1世というのはどういう人なのか、またどういう意味合いで教会のようなものを手に載せているのかわからず調べて見たところ、日本語のWikipediaでは、以下のように書かれていました。
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フアナ1世(スペイン語:Juana I、1271年4月17日-1305年4月4日)は、ナバラ女王およびシャンパーニュ女伯(在位:1274年-1305年)。シャンパーニュ伯としてはジャンヌ(フランス語:Jeanne)。エンリケ1世とその妃ブランカ(ブランシュ・ダルトワ、ルイ9世の弟・アルトワ伯ロベール1世の娘)の一人娘。後にフランス王フィリップ4世の王妃となった。
1274年、父王エンリケ1世(シャンパーニュ伯アンリ3世)の死去により王位と伯位を継承した。幼少だったので母親が摂政として政務を執ったが、幼い女王に女性の摂政、さらに相続人の少なさといった点がナバラ内外の対立勢力に付け込まれることとなった。そこで母子はフランス王フィリップ3世に庇護を求めた。1284年8月16日にフアナは王太子フィリップ(後のフィリップ4世、ナバラ王としてはフェリペ1世)と結婚して共同統治を行ない、以後およそ半世紀にわたってナバラとフランスは同君連合となった。フィリップとの間に、ルイ(スペイン語名ルイス、後のルイ10世)、フィリップ(フェリペ、後のフィリップ5世)、シャルル(カルロス、後のシャルル4世)、イザベル(イサベル、イングランド王エドワード2世妃)らをもうけた。
1305年にフアナは死去、セーヌ左岸のコルドリエ修道院(フランス語版)に埋葬された。フアナの死因はその状況が不可解なものだったため、フィリップ4世によって暗殺されたのだと主張する歴史家もいる。
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となると、この手のひらの教会のようなものは、コルドリエ修道院を意味するのかもしれないと思ってしまいますが、まったくわかりません。3歳で即位させられ、10歳で結婚させられ、4人の子供をもうけて謎の死を遂げたのは34歳という若さ。この彫刻が1305年頃の作というのは彼女が亡くなってすぐですから、よほど慕われていたのか、悲劇の女王として歴史に残る女性だったのでしょうか。歴史に疎い私は、彫刻を見てからどんな人なのかと調べたくなり、初めて彼女のことをほんの少しだけ知った次第です。それにしても700年ほど前の人で、生まれた日も、結婚した日も、亡くなった日もわかっているというのに驚きました。
きっとこれから先、こんなポーズの彫刻や絵画を見たら、フアナ1世かどうか、いつ頃の作品なのかを確かめてみたくなると思います。もし、もっとフアナ1世について詳しくご存じの方がいらしたら教えていただけると嬉しいです。
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