リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

124. 3冊目の写真集 ▶産みの苦しみから創る喜びへ 

2017年11月25日 | 日記

産みの苦しみから創る喜びへ 


  

   藤の花で有名な足利フラワーパークにて

 

 前回報告した手紙の発送が終わった日から、私の心がなんと軽くなったことか。仮の頁構成を決め、自宅のプリンターでプリントアウトした9月の始めから、手紙を書き終えるまでの約2か月半が一番心がしんどかった時期でした。「あとは野となれ、山となれ!!」と思えた日から純粋に新しい本を作る創作の喜びがわいてきました。表紙のデザイン、途中の扉に載せる写真の選定、地図の作成、作品一覧のまとめ、資料のまとめ、後書きなどなど…。夫と話し合ってこの写真を表紙と裏表紙に載せようということは決めてあるのですが、写真の大きさや背景の色合いなど考えるのは楽しいことです。そうそう、本のタイトルをどうするか、これもはっきり決めなければなりません。手紙には仮題として書きましたが、本当にそれでいいのかどうか、もっと言葉を探したいところです。


  さてさて、今週は喜びがじわじわと湧いてくる日々でした。先週発送した美術館宛の手紙に対して毎日のように返信が届くようになったからです。

11月20日(月)フランクフルトのリービークハウスから真っ先に許可をいただきました。ここの美術館では作品3点を掲載する予定です。

11月21日(火)ライプツィヒのグラッスィ応用工芸博物館からもリーメンシュナイダー作品の写真1点の掲載許可をいただきました。また、ウルム博物館からも2点の掲載許可ばかりか、見学はできたけれど写真を撮ることができずにいた女性胸像の画像もどうぞ使ってくださいと送ってくださったのです。心から感謝です。

 ただ、嬉しい返信ばかりではありません。ミュンヘンのアルテ・ピナコテークからは個人の写真は出版不可。「もし使うなら画像を買うことはできます」というお返事でした。

11月22日(水)アルテ・ピナコテークに1枚買うといくらするのか問い合わせたところ、直接代理店に聞いて欲しいとのことで問い合わせ中です。

11月23日(木) マインツのドーム博物館から了承のメールをいただきました。また、良かったら使ってくださいと無料の画像もいただいたのですが、私の写真のタッチとあまり雰囲気が違っているので、心苦しいながらお礼だけにとどめました。

11月24日(金)ここでぴたりと返信が来なくなりました。あとは長期戦になるのか、無視されるのか、どちらでしょうか。アルテ・ピナコテークの画像の値段は、「ドイツから日本の代理店に連絡したからそちらからの連絡を待って欲しい」と言われました。でも、来週になるのかもしれません。ウェブで調べてみてもその会社名での検索ができませんでしたので、もう少し待ってみようと思います。日本は飛び石連休ですからね。

 また来週の動きはまとめて書こうと思います。

 ※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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123. 3冊目の写真集 ▶産みの苦しみ その3

2017年11月18日 | 日記

産みの苦しみ その3


 

 藤の花で有名な足利フラワーパークにて


 ある日、「今までに写したリーメンシュナイダー関係の写真は何枚ぐらいあるのだろう」と、ふと思ったのです。そして「訪ねた教会はいくつぐらい? 美術館は何館??」と、何だか数えてみたくなったのでした。パソコンが壊れてしまってどこにいったかわからなくなった写真については残念ながら数えられませんが、2007年の旅以降は写した写真も年月日と訪問先がわかるようにファイルごとにまとめて外付けハードディスクに保存してあります。これなら万が一パソコンが突然壊れてしまっても無事ですから。

 ファイルのプロパティを開くと保存してある画像の枚数も容量も数字として出てくるので、数えようと思えば何とか数えられそうです。そこで、本作りが重たくて仕方がなかった私はエクセルで画像の数をまとめてみました。不思議にこういうことならパソコンに向かっていられるのです。

 その結果、いわゆる写真の枚数としては27,044枚、画像の総容量は540.81GBありました。RAWデータが入っているので多くなっているのでしょう。

 また、訪ねたリーメンシュナイダー関係の教会はドイツ国内で72カ所、その他で1カ所、美術館はドイツ国内で35カ所、その他で26カ所となりました。

 「だから何なの??」って思いますよね。写真の枚数よりもどれだけ良い写真が撮れているかが大事なのですから。それは重々わかっていて、でも、表にまとめて数字にしてみると多いような、少ないような不思議な気がします。一つ一つの教会を訪ねたときの苦労が思い出されます。やはり私の人生後半18年に亘る時間を貫いているのが、中世ドイツに生きて多くの彫刻を残したリーメンシュナイダーだったのだと改めて思うのです。


 11月14日(火曜日)、私の心に重くのしかかっていた美術館への写真使用許可申請レターを発送することができました。ドイツ語に関しては1冊目からお世話になっている平野泉さん、英語に関しては姉の助けを得て、何とか書き終えたというところです。結局は語学力の不十分さについて以前は平気だったのに、今回はさすがにこの年であまり文法的におかしな手紙を書きたくないというプライドが邪魔をして、より重荷に感じていたのだとわかりました。それでも100%正しい手紙を書けたわけではありませんが、私の思いを伝えることはできたと思うので、許可をもらえないところがあっても、また返事をもらえないところがあっても開き直ることにします。来年に入ったら、掲載許可をいただけたところと既にいただいているところの写真で頁を組み直して、いよいよ本当の本の形に整えていきたいと思っています。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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122. 3冊目の写真集 ▶産みの苦しみ その2

2017年11月11日 | 日記

産みの苦しみ その2


  

 藤の花で有名な足利フラワーパークにて

 

  2009年の1~2月、できあがったばかりの本を何冊もトランクに入れて再びドイツに向かったのでしたが、一番気がかりだったのが写真を提供してくれたヨハネス(Johannes Pötzsch)がどう感じるかということでした。その辺の事情は既に前からのブログ記事をご覧いただいた方はおわかりでしょうけれど、彼が写した「聖血の祭壇」の素晴らしい写真の色合いが本では赤っぽくなりすぎていて、彼の目にどう映るだろうかという危惧があったからでした。案の定、本を手にしたヨハネスの顔は暗く、「いつ印刷をし直させるんだい?」と聞かれたのでした。そのとき、私はいつか続編を出版して、ヨハネスの写真をもう一度正しい色合いで印刷し直すと心に決めたのでした。

 その後、アメリカを含む4回の取材の旅を経て、私自身の手で撮りためた写真を発表するために『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版しましたが、ヨハネスが途中で倒れて入院したり、ドイツの友人たちが会う度に病気がちになったりしたのを見て、少しでも早く仕上げなくてはという使命感は常に心の中で燃えていました。従って、ようやく作品の写真選定を終え、頁の構成を始めると、やはり2008年と同じように作業はどんどん進んだのです。この本では私の未熟な解説頁は極力なくし、写真でリーメンシュナイダーや工房、弟子たちの作品を見ていただくことに専念したこともあってインパクトは強まったように思います。私の心の中にも「これだけドイツやヨーロッパ国内の作品を訪ねて回った人はいないだろう」という自信が育っていたので、作品一覧には私の退職後の人生をまとめるつもりで取り組むことができました。再掲したヨハネスの写真の色をこんどこそは妥協せず、最後の最後まで見届けてから印刷に入ってもらいました。


 こうしてできあがった『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を再びトランクに詰め(大半は夫のトランクにですが)、2013年2月にヨハネスを再び訪ねました。2010年に起こした脳梗塞の後遺症でことばをうまく話せなくなっていた彼にも満足の笑顔が浮かんだのを見て、ようやく肩の荷を下ろすことができたのです。その時点で、もう私の仕事は終わったと思いました。持っていた力は全部出し切ったと…。

 この本が帰国直後の3月3日に朝日新聞の書評欄「視線」で北沢憲昭氏(美術評論家)によって取り上げられたのは何よりものご褒美でした。

  43. 朝日新聞に載るhttp://blog.goo.ne.jp/riemenschneider_nachfolgerin/e/547eafa62baa9dea521a907aaea482a6


 この後の私はいわば燃え尽き症候群。撮りためた写真をどうしようか、机の回りにぎゅうぎゅう詰めになっているリーメンシュナイダー関係の本をどうしようかと終活について考え始めたのでした。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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121. 3冊目の写真集 ▶産みの苦しみ その1

2017年11月02日 | 日記

産みの苦しみ その1


  

 藤の花で有名な足利フラワーパークにて…時期は既に遅く、藤は終わっていました。

 しかも雨。でも、ちょうど今の私の気持ちにぴったりなので、このシリーズには花の写真を載せていきます。

 

 ここのところ、何とも苦しい日々が続いています。

 私の本作りは、まず写真の選定から始まります。これなら私が胸を張って本に載せられる、つまり作者の思いや作品の心を伝えられるのではないかなと自分で思える写真を選ぶわけです。『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』はリーメンシュナイダーやその工房、弟子たちの作品を是非日本の皆さんに紹介したいという強い気持ちで選ぶことができました。しかし、今回の3冊目は同時代の作家の作品集をまとめたいという夫の強い願いがあって、その作家たちの写真も相当数撮りためてあったので、お世話になった方々への恩返しをしなければという私の気持ちとすりあわせ、何とか作品を選んできたのでした。すると、ある程度の写真の枚数が必要になってくるのですが、以前、三脚での撮影すら許してもらえなかったいくつかの美術館に、今回取り上げたいある作家の代表作があったりすると、やはり写真を載せたいと思うわけです。三脚がなくても最近は連写でRAWデータで写すので、十分掲載できる写真が撮れているのですが、でも掲載許可をもらえるのだろうかという不安や疑問がずっとついて回ります。選んではみたものの、この中のどれだけを載せられるのだろうかという黒い雲。それがどうも私の心をいつも揺さぶるのです。せっかくエネルギーを溜めて溜めてパソコンに向かったときにちょっとした用事が入ったりすると、途端にそのエネルギーがシューッと脱けていってしまう。困ったものです。

 とりあえず見本の下見本は9月までにはできていて、前2冊と同程度の200頁を超える予定ですが、このあとそれぞれの美術館等にお願いの手紙を書くのが何とも気持ちが重たくて重たくて…。


 最初の『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を作ったのにかかった時間は実質1年ほどでした。

 2006年11月にドイツ留学から戻り、2007年にはもう一度取材の旅をし、どの作品を載せるかのめどはつけていましたが、2008年の1月から執筆開始。このときは、自分でも背中から「バリバリ」という音が聞こえるのではないかと思うほど本作りに集中できました。一端パソコン前に座ったら、お昼ご飯も夕ご飯も夫が作って1階から「ご飯できたよ~」と呼んでくれるまで時間を忘れて没頭できたのです。1月に左肩を骨折して痛みを抱えながら重たい本を開き、読み解き、原稿を書き、写真を編集して見本が出来上がったのが確か3月。夫と平野泉さんとの編集会議を経て、修正版ができたのが4月頃だったでしょうか。その後、あちらこちらの出版社に見本を送っても出版してくれるというところが見つからず、最後に丸善プラネットと自費出版の契約を交わしたのが8月。A4版で見本を作り、文章をまとめてあったものを、この大きさだと本棚に入れにくいこと、出版費用も相当高額になると言われたことから、全部B5版に原稿を作り直し終えたのが9月。その他の地図や索引などの原稿は10月に仕上げて送りました。そして印刷ができあがったのが12月末でした。このときは何が何でも年内にというエネルギーがどんどんわいてきたのでした。(つづく)

※ごめんなさい。作り方を間違えて今日まで出していた「美しい彫刻たち5」の記事を消して上書きしてしまいました。原文がどこにも残っていないため、あきらめて新たなシリーズを始めました。結局「美しい彫刻たち」は4回で終了とします。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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