リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

161. 15回目のドイツ旅行(9) ホーエンツォレルン城

2018年12月29日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(9)小高い山頂のホーエンツォレルン城


 

 

来年の結婚式に正式な招待を受けました

 9月14日(金)の続きです。

 夕方、テュービンゲン旧市街の散策からホテルに戻ると、合流したシルヴィアとクラウスから小さな箱を受け取りました。箱の中には素敵な結婚式への招待状が! 前回会ったときに2019年に結婚式を挙げるけど来られるかどうかと聞かれてはいましたが、まだ日程がはっきりせず、三津夫の仕事(大学の非常勤講師)と重ならないかが気になっていました。この日受け取った招待状には7月27日挙式となっていたので、これなら大学も夏休みに入っているので大丈夫だねと確認して二人とも出席させてもらうことにしました。わぁ、外国での結婚式は初めて! 着物を着ようかどうしようか、でも夏用の着物は持っていないし、袷(あわせ)の着物では汗びっしょりになりそうだし、でもせっかくだからやっぱり着物を着たいし…。また来年ドイツまで来るのならこの結婚式をはさんでどんな旅行をしようかしら…などとあれこれ考えてドキドキ、わくわく。新たな目的ができたので帰国したら早速検討しなければ

 夜は近くのイタリアンレストランをヴィリーが予約してくれて、5人で出かけ、私たちのおみやげと『祈りの彫刻 シリーズ第3巻』となる新刊本を手渡しました。あとは食べること、飲むこと、しゃべることに専念。なかなか本についての詳しいやりとりはできませんでした*¹。三津夫はシュトゥットガルトのアンゲリカの家でもビールをいただき、夜もレストランでドイツビールを飲んでご機嫌でした。私もビールが大好きだったらなぁと羨ましく思います。

 

 *¹このあとシルヴィアは手紙で感想を寄せてくれました。「とても良い写真集だと思う。特にニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンの女預言者の頭部、いわゆるオッテンハイムのベルベル(Nikolaus Gerhaert von Leyden の Sibylle „Bärbel von Ottenheim“)がとても気に入ったわ」とのことでした。何と、この作品は私も見る度にシルヴィアを思い出すのです。彼女の雰囲気とどこか似ている感じがするものですから。シルヴィアも何か感じてくれたのでしょう。 


ホーエンツォレルン城に向かう

 9月15日(土)は青い空が晴れ渡る好天。レストランでゆっくり朝食を取ってから5人でいざホーエンツォレルン城へと出発しました。こんなに良い天気なのですが、残念ながら写真を写すには逆光となり、今ひとつ美しいお城をカメラで捉えることができませんでした。テレビで見たのは別の高い場所から雲に囲まれたホーエンツォレルン城を捉えた景色で、幻想的で深く感動したのです。でも、そんな景色を見るには、多分長期滞在して車で自由に移動でき、朝早くからでも夕方遅くにでも条件の整ったときにサッとかけつけられる状態でないと難しいのでしょうね。

  お城の入り口も中世風の兵士や楽士がいて雰囲気を盛り上げます。そして土曜日だからでしょうか、広場には鷹匠と何羽かの鷹がスタンバイしていて、もうじきショーが始まるとのことでした。日差しは真夏のように暑く、しばし日陰に避難。私はこの白い鷹が気になりました。

 

鷹を腕に乗せるヴィリー

 ここでは何人もの鷹匠がいて、おじいさんがボスのようです。少年も女性もいました。家族営業なのでしょうか。一番大きな鷹は主にボスらしき羽根飾りの帽子をかぶったおじいさんが扱い、空を飛ばせて呼び戻したりえさを手に載せて取らせたり。でも本当のメインはこのあとです。一人5ユーロで鷹を自分の腕に乗せられるのです。クラウスが「ミドリもやってみない?」と誘ってくれましたが、私は「写真を撮る方が良いわ」とやんわりお断りしました。そこでヴィリーの出番です。彼は子どもの頃から一度やってみたかったんだと、一番大きな鷹の順番を待ちました。そして彼の番になり、その大きな鷹を腕に止まらせるとこの笑顔。とても良い写真になりました。

  

 お城の庭に設けられたビアガーデンでまたまたビールで乾杯! ここで作られている地ビールです。


 テュービンゲンのホテルに戻るとヴィリーはアンゲリカの到着を待ち、私たち4人は旧市街へと繰り出しました。昨夜は遅めだったので教会も閉まっていたところがあり、見られませんでしたが、この日は片っ端から中に入ってみました。リーメンシュナイダーこそないものの、それぞれに歴史を感じさせる建物や祭壇がありました。途中でヴィリーからアンゲリカが到着した知らせが入り、皆で合流してカフェで休憩。その後、やっと6人で町の散策をすることができました。普段は鍵の閉まっている修道院がこの日、私たちの姿を見て門を開けてくれました。その思い出深い記念写真がこれです。

 

 

 この日の夜は旧市街のレストランが混んでいて入れず、結局前の日と同じレストランへ。ホテルに戻ってみんなは中庭でもっとお喋りしたのですが、私はお腹の調子が今ひとつで早目に引き上げてしまったのが心残りです。この6人全員が再度集うのは来年の結婚式になるはずです。


※この文章を書いているのは暮れも押し詰まった12月29日。旅行から戻ってきて既に3ヶ月近くが経ってしまいました。今年はこれで終わりますが、来年又できるだけ早目に旅行記を仕上げたいと思います。皆さま、どうぞ健康でよいお年をお迎えください。

 

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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160. 15回目のドイツ旅行(8) ベルリンからテュービンゲンへ

2018年12月24日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(8)ルリンからシュトゥットガルト経由でテュービンゲンへ


テュービンゲン


切手を探し回る

 9月14日(金曜日)

 この日は一気に南へ移動します。シュトゥットガルトのヴィリーとシルヴィアたちと合流してテュービンゲンに旅するのです。それは、かつてリーメンシュナイダーを訪ねて回るときに、ヴィリーたちが1200kmも車で走ってくれたこと、彼らの家に泊まるといつも食事もご馳走になってしまい、恩返しができないことから、今回は今までお世話になったお礼の旅に私たちがご招待したからでした。でもちゃっかり足は彼らの車なのですが。なぜテュービンゲンなのかというと、私たちがテレビで見たホーエンツォレルン城に行ってみたかったからです。このお城を訪ねるにもほど近いテュービンゲンは、シュトゥットガルトからそれほど遠くなく、ちょうどよいリゾート地だったので、シルヴィアとヴィリーが良い宿を探してくれたのでした。

 さて、この旅の前に、せっかくベルリンで書いた絵葉書を日本に送りたいのですが、ホテルで聞いても切手は無く、ベルリン中央駅のたばこ屋さんで買えるというので探してみたらそこでは売っていませんでした。結局近くのお店の人たちにあれこれ聞いて見付かったのは、ここ、McPaper。地上に繋がる階の真ん中辺だったでしょうか。切手を買いたい人は探してみてください。


 

コンパートメントは苦手です

 ベルリンからシュトゥットガルトまでは乗り換え無しの列車で5時間40分かかるので、座席を予約しました。座席指定はヨーラに頼んだのですが、乗ってみたらそこはコンパートメント(6人掛けで、ボックスごとにドアで仕切られているタイプ)なのでした。大きなトランクを二つも抱えている私たちには苦手な席です。このトランクを高い網棚に入れないことには足をゆっくり置くスペースも取れないからです。三津夫はあまり背が高くないので、重たいトランクを上げることは危険です。結局近くにいる若い人たちが私たちのトランクを上げてくれました。そこまでは良かったのですが、彼らはどんどん降りて行ってしまって、後半は私たち二人と同年齢ぐらいの女性が一人になってしまいました。最後に彼女がトイレに立ったすきに二人で何とかトランクを下ろして事なきを得ましたが…。


テュービンゲンは初めての町

 シュトゥットガルト中央駅にはヴィリーが迎えに来てくれていました。この駅は何年か前からずっと大工事が続いていて、あと何年かかるのかわかりませんが、落ち着きません。町全体がわさわさしている感じで、道路を走るといつも何かしら日替わりの工事が入り、渋滞も度々起きるそうです。そんな中、取りあえず町外れにあるアンゲリカの家に行き、ちょっと一休み。今日はまた夏のような日差しが戻ってきていたので、アンゲリカは半袖にミニスカートで待っていてくれました。お茶をいただきながら聞いた話にびっくり仰天! 以前から長いつきあいだった二人が今年9月7日に正式に結婚したというのです。でもそれぞれ離婚しているので、離れたところには子どもたち、孫たちがいて、行ったり来たり。二人の生活は今まで通り別居したままなのだそうです。外から見ていると全くいつもと変わりないので不思議な気分でした。アンゲリカはお孫さんのことで用事があるとかで、今夜はヴィリーが一人で私たちをテュービンゲンまで連れて行き、泊まることになっているとのこと。翌日の夕方アンゲリカが電車でやってきて合流し、初めて6人の旅になるのでした。そして、シルヴィアと婚約者のクラウスもこの日(金曜日)は仕事があるので、夜に合流するとのこと。というわけで、ヴィリーと私たち二人は一歩先行してテュービンゲンへと出発しました。

 ホテルは小さめで裏庭から川が眺められます(トップの写真)。三津夫と私で少し散歩してきたらとヴィリーに勧められ、町に出てみることにしました。彼は一休みしながらシルヴィアとクラウスを待つそうです。私たちはずいぶんあちらこちらのドイツの都市を回ってきましたが、ここに来るのは初めてです。道路には大きな花飾りが一杯並んでいて、観光の町という雰囲気です。川を渡ると旧市街に入り、教会がいくつもありました。通り沿いのお店も可愛い品物がたくさん。大変賑やかでした


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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159. 15回目のドイツ旅行(7) ボーデ博物館にて

2018年12月11日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(7) ベルリンのボーデ博物館でシャプイさんに献本しました。



ボーデ博物館

 9月13日は、ちょっと曇っていて前日までとは打って変わって寒い日でした。今までいつもSバーンのハーケッシャーマルクト駅からボーデ博物館に歩いて行っていたので、ボーデ博物館の横向きの姿しか写していませんでした。でも、やはり正面からの写真も撮っておかないとと思い直して写してみたのが上の写真です。10時前に到着して冷たい風を避けながらしばらくドアが開くのを待ちました。

 開館と同時に入館すると、すぐにジュリアン・シャプイさんがいらっしゃいました。手に大きな本を1冊とチョコレートを持っていらして、「この本は持っていないでしょう?」と見せるのですが、「いえ、持っていますよ」というと「本当ですか?」と驚いていました。それは、去年ドイツに来た中村英之さんが見付けてわざわざ私に送ってくださった

 Matthias Weniger: Tilman Riemenschneider (Michael Imhof Verlag, Petersberg, 2016)

という分厚い本だったのです。発行年の2016は私もドイツに行っていましたが、この本は見ていません。去年は第3巻『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』の作成でずっと日本にいましたので、まだこの新しい本は持っていないだろうと思われるのも無理ないことです。友だちが見付けて贈ってくれたと話したら驚いていました。この本を書かれたのはバイエルン国立博物館のマティアス・ヴェニガーさんで、写真も相当部分を彼が撮っているのです。ヴェニガーさんとはこのあとミュンヘンでお会いするので楽しみにしているところでした。せっかくシャプイさんが用意してくださったご本をお返しするのは申し訳なかったのですが、まだまだ私たちのトランクには13冊の本が残されているので心の中で手を合わせてお断りしました。

 ここでちょっとお詫びです。シャプイさんのお名前をこのブログの137ぐらいまではシャピュイさんとしていたのですが、今回ボーデ博物館の方に伺ったらシャプイさんだと教えてくださったので、ジュリアン・シャプイさんと今回から書くことにします。ご本人の返事ではシャピュイさんだったのですが、何度も変更して申し訳ありません。

 さて、ここでまたカフェに入り、献本したのですが、シャプイさんは端から端までご覧になっていました。私も思い入れの強い写真にはちょっと言葉を添えて。そして、最後までご覧になってから、

「『まえがき』と『あとがき』には何を書いてあるのかここで説明してください。」

と言われるのです。「話すと長くなりますよ~」と言うとそれでもいいとおっしゃるので、簡単にとまとめてあとがき部分をざっと語るとゲラゲラと笑いながら楽しんで聞いていらっしゃいました。そのうち、ご自分のお庭に松の木を植えているのだと写真まで見せてくださって、「あなたはどんな家に住んでいるのですか?」と聞くので、「庭も小さいし、家もとても小さいのです。では写真をお送りしますね」と答えました。(まだ送っていないことに今、気がつきました。)それからショップまで私を連れて行き、売り場の担当者の方に紹介してくださいました。「僕もこの本の挨拶を書いているので、できたらここに少し置いてもらえないかしら」と話しているようでした。「ちょっと見てみてください」と、『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』と私の名刺まで手渡して。今のところ、何も連絡が無いので、販売はなかなか難しいのだろうなとは思っていますが。

 その後、特別展「Beyond Compare  Art from Africa in the Bode Museum」まで案内してくださったのですが、今年1月にカタログをいただいていたにもかかわらず、中味をじっくり拝見するゆとりがありませんでした。アフリカの彫刻とヨーロッパの彫刻の同じようなテーマの作品を比較して展示されていて、その表現の違いは面白いと感じながらもその意味するところが十分は理解できず…。一生懸命説明してくださるシャプイさんにもそれが伝わったのでしょう。「難しいですか?」と聞かれて、「はい、難しいです」と答えてしまいました。ちょっと残念そうな顔をされたので、もっとしっかりカタログを読んでおかなかったことを後悔しました。

 その後、お忙しいシャプイさんとお別れして、ゆっくり展示を見ながら館内を回りました。自分の本を片手に、作品と見比べながら。正直、私の写真の方が実物よりも美しくなっていて、胸が少々痛みました。頭の中の映像は美化されていくのだとよくわかったからです。私も今まで家でカタログを見て、ようやくその作品を見に行ったときにあまりにも印象が違うということはありました。そんな印象を私の本を見てくださる方にも与えてしまい、場合によってはガッカリする人もいるかもしれないとも思いましたが、それは福田 緑の目と心と頭を通り抜けて出てきた表現としての写真集ということでお許しいただこうと思い直しました。

 先ほどのミュージアムショップで三津夫がMichel Baxandallの「DIE KUNST DER BILDSCHNITZER」を見付けました。でもビニールカバーが掛かっていて中味が見られません。他の本は1冊ずつ見本が置いてあるのですが、「これは見本がないのかどうか聞いてみて」と三津夫に言われて尋ねて見たところ、後ろの棚に載っていたのを見せてくれました。中味は私の『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』に共通する作家が載っていて、しかも約半額になっていたのです。三津夫は大喜びで買い求め、またトランクは重くなるのでした。


本に載せた作品も位置が変わっていました。

 

ドイツの美術館で列に並ぶのは珍しいのですが。

 今回も博物館島全体を回れるチケットをいただいたので、レストランで軽食を取り、その後、Neues Museum でネフェルティティを見、Pergamon Museumでは改修工事中で一部を見、Alte National Garalieでカスパー・フリードリッヒ展を見ました。ここは長い行列で40分ほど並んだのですが、ドイツでこんな行列ができるのは珍しいのです。あと3日で展示が終わってしまうため、特に列が長かったのかもしれません。最後にAltes Museumと、ほぼ全館を回って見ました。もう足が棒のようです。万歩計を付け忘れて歩いたのでカウントできずに残念。それでも帰り道でとても大きな本屋さんを見付けた三津夫はしばらく見て回っていました。私は疲れ過ぎたので入り口で待機。本に対する三津夫の情熱には感服します。体は疲れましたが、充実した一日となりました。何よりシャプイさんとの距離がぐんと近くなって嬉しかったのと同時に、いただいたカタログはせめてしっかり読もうと決意した日でした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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158. 15回目のドイツ旅行(6) マイセンへの一日旅行

2018年12月02日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(6)マイセンへの一日旅行


マイセン市立博物館前で(日付入りは三津夫の写真です。)


9月12日、今日も晴れ

 ベルリンのホテルはクーラーがついているのですが、夜は暑くてなかなかぐっすり眠れないので、クーラーが全然作動していないようです。昨日も今日も、大変良いお天気です。これでは今夜また眠れないかなと思って、出がけにクーラーを見て欲しいとお願いして宿を出ました。今日はマイセンまで足を伸ばします。2014年にマイセンに行ったときには、マイセン市立博物館が展示替えのために臨時閉館をしていたので見たかった作品を見ることができませんでした。今回は大丈夫だろうかと思いながら出かけたのですが…。

 朝、博物館に着くと、中には電気がついていてドアも開いていました。でも、中に入って探し回るものの全くペーター・デルの「美しいマリア」は見付からないのです。受付の男性に聞いてみましたが「僕にはわかりません。もうすぐ担当者が来るのでお待ちください」と言われ、待っていると、中堅どころの女性がやってきました。彼女に写真を見せながら「この作品を見たくて来たのです」と説明すると、知らないというのです。館内になかったことは確かめた上で、収蔵庫にあるかもしれないと電話をしてくれたのですが、そこにもありませんでした。無いとわかればそれはそれで私の作っている作品一覧も作り直せますから良しとしました。私のこのリストの参考資料は2004年のカタログですから、すでに14年も経っているのです。作品がどこかに移動したり売買されていたりしても無理はないことです。でも、どう移動したのか管理している場所はあるはずで、行く先がわからないということが不思議でなりません。ドレスデンの王宮美術館でもおなじ事がありました。日本でそんなことになったら大変だろうと思うのですが。

 結局、作品がないということをわざわざベルリンから確かめに来たようなもので少々空しさも残りますが、前回来たときには滑り込みセーフであまりしっかり見られなかったドームに行くことももう一つの目的でした。前回は相当な坂を上って疲れたこともあり、今回は巡回バスに乗ることにしました。



マイセン市立博物館内の作品(プレート読めず)


市内巡回バスのおばさま運転手

 マルクト広場から巡回バスが出ていると聞いたので、時刻表を見てみると少し時間があります。屋台のホットドッグ屋さんがあったので急いで買ってきてドームで食べることにしました。マイクロバスの運転手は、友だちのマリアンヌによく似た感じのおばさまで、流れるようなアナウンスをひっきりなしに続けます。何か面白いことを言っているらしく、回りはドッと笑うのですが、私たちにはよくわかりません。町を見ていて気がついたのは、石造りの建物のあちらこちらに「ここまで何年に水が上がった」というプレートがついていることです。日本も今年は水害で大変な犠牲を出しています。日本では大体数十年で家を建て替えてしまうので石碑などになるのでしょうけれど、村や町で何カ所か、こうした目印を作って人々にいつも認識してもらうことが大事ではないかと考えさせられました。

 バスは町の最も有名なマイセン博物館と工場まで行き、多くの人が降りました。でも、その後丘に登っていくかと思いきや、なにやら駅前を通り過ぎてバスは再びマルクト広場へ。「ドームまで行かないんですか?」とあわてて運転手さんに聞くと、「大丈夫、大丈夫、ちゃんと行きますよ」と言われてホッとしました。今度は本当に狭い道を結構ぐんぐんと上がっていきます。彼女は何回この道を通っているのでしょう。ハンドルさばきは慣れたものです。ようやく町で一番ぐらいに高い丘の上まで上り、バスを降りました。


ドームからアルブレヒト城へ

 広場の真ん中に大きな木があり、その下のベンチでさっき買ったソーセージとホテルから持って来たパンで軽く昼食。お天気も良く、爽やかでした。 

 前回ギリギリセーフで無料で入れてくれたドームは正式に払うと一人11ユーロ。少々高いと感じながらも館内をまわりましたが、私たちの気を惹いてくれる彫刻類は残念ながら見当たらず、ちょうどお昼のオルガンコンサートが始まったのでしばし聞き入りました。


コンサートの開かれたドームの祭壇前


 隣接のアルブレヒト城にも入れるチケットだったので城内にも入ってみました。きっと建築関係に関心の高い人には面白いのでしょうけれど、どうもここも印象に残っている特徴的なところがなく、一番心に残っているのはトイレのおかしさです。お城の地下のトイレに入ろうとしたときか出ようとしたときか忘れましたが、なぜか出入り口に回転バーがあるのです。一方にはいけるのですが反対には動いてくれない。お金を入れるわけでもなく、チケットをかざす仕組みでもなく、ただ、通せんぼするのです。三津夫は強引にこじ開けて通り、私は仕方がなく、くぐって通ってしまいました。何のための回転バーなのか不思議です。


マイセンドーム 左にかすかに見えるのがアルブレヒト城


再び市内巡回…

 バスは午後1時14分にやってきました。何と今朝と同じおばさま運転手。お城広場で満席となり、マイセン工場で相当数の乗客が降りていきました。次はマイセン駅ですが、下車したのは私たちだけ。とても疲れていましたし、持ってきたお茶もなくなっていましたので、何か飲んだりできる場所をさがし回って、ようやくカフェを見付けました。アイスクリームとコーヒーでリフレッシュ。2時19分の列車で帰ったので夕方少しゆっくりするゆとりが持てました。でもマイセン市立博物館は2回訪ねて2回とも作品を見られず、やはりちょっと残念な日帰り旅行でした。

 そして、帰ってきてからもクーラーは効かず。問い合わせてみると業者に見てもらったと受付では言うのですが…。

 ※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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