リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

207. 16回目のドイツ旅行(11) リービークハウスで新たな出会い。

2020年01月27日 | 旅行

▶フランクフルトのリービークハウスで初めてロラーさんと会いました。

 


この日も暑い日。マイン川のほとりに建つWesthafen Tower


◆2019年7月26日(金)まずはリービークハウスへ。

 朝は6時頃に目が覚め、チェックアウトの準備をしてからレストランに下りました。前日、京子さんがホテルの朝食を取りたいとのことだったので、ここだけは朝食付きで頼んであったのでした。たっぷり美味しく食べてお腹がいっぱいになったところで町へ出発。三津夫とはいつも歩いてリービークハウスまで行きます。私は昨日に引き続き2回目のリービークハウスですが、三津夫はここでミヒェル・エーアハルトのマリア像を見るのが楽しみの一つでした。ミュンヘンのバイエルン国立博物館マティアス・ヴェニガーさんがこのリービークハウスのシュテファン・ロラーさんと親しく、私がここを訪ねたら是非会うようにと何度もメールで促してくださったおかげで、今回初めてロラーさんにお目にかかる約束になっていました。私は2010年からロラーさんと何度もメールのやりとりはしてきたのですが、ご挨拶をしたいと書いてもその点だけはお返事をいただけなかったのです。今回9年目にしてやっと面会が叶いました。

 受付でロラーさんとお約束した者ですと名乗ると、みんなで手分けして探してくれて、しばらくしたらチェックのシャツのロラーさんがニコニコとやってきました。会うまでには長い時間がかかりましたが、会ってみるととても親しみやすい方でした。そのまますぐに中世彫刻の部屋へと案内され、話が弾みました。ミヒェル・エーアハルトのマリア像は小さいけど、ボーデ博物館のマリア像よりは良いと思っているとか、ミヒェル・エーアハルトの工房では彫るときに芯を通して彫っているが、このマドンナとそっちの聖バルバラは全く同じ芯で彫っていることがわかったのだとか、裸のキリスト像をエーアハルトは何体か彫っているけれど、ここのキリスト像が一番大きいので一番高かったんですよとか、嬉しそうに話してくださいました(写真下)。

 


この日初めてお目にかかったシュテファン・ロラーさん

 話が一段落したところで三津夫が「以前リービークハウスでニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンの写真集があったのだけれど、今見ても見つからないからどこで売っているのかロラーさんに教えてもらって」と言います。伺ってみると、「あぁ、表では売っていないなぁ。でも僕が持っていますよ。ちょっと待っていてください。」と、どこかに行ってしまいました。しばらく他の作品を見ながら待っていると、大きくて重たそうなカタログを手にして戻って来られ、「どうぞ、差し上げますよ」とくださったのです。買うつもりだったのでびっくりして、お礼を言いながらいただきました。そして図々しく「サインをお願いできますか?」と頼んでみたら、受付まで持って行ってサインも書いてくださいました。思いがけないプレゼント! このカタログもロラーさんの力作なのです。何年も憧れていたカタログが手に入って、三津夫は大喜び。今回の旅の後半にはゲルハルトの有名な彫刻がたくさんあるストラスブールまで行くので、その予習ができるというものです。日本ではほとんど情報が得られませんでしたから、ロラーさんには心から感謝です。
 ここでロラーさんとはお別れして、三津夫はまだ見ていない作品の鑑賞を、私は昨日一眼レフを持ってきていなかったので、今日は一眼レフでの作品撮影に集中。

 疲れたので、お隣のシュテーデル美術館のカフェに入り、ちょっとケーキとコーヒーで休みながら、いただいたばかりの本を眺めました。素晴らしい写真もたくさん掲載されていて、ニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンの情報もたっぷりです。ここでついでに軽食を取りました。

 帰りがけにフランクフルト中央駅でライゼ・ツェントルムに寄ってジャーマンレイルパスのバリデートを済ませました。いつもは空港で済ませて来るのですが、昨日はすっかり忘れてしまっていたのです。ここはさすがに20人ぐらい窓口で応対していたので、あっという間にバリデートも終了。ゆっくりホテルに戻り、トランクを引き取ってから再び中央駅へ。列車は4分遅れで来きたので、シュトゥットガルト中央駅で待っているヴィリーたちにはそれほど大きな迷惑をかけないで済みそうです。
 列車は混んでいて、空席がコンパートメントにしかなかったので、仕方なく大きなトランクを持って入りました。隣の席の若者が網棚に荷物を上げてくれました。シュトゥットガルト中央駅に着いたときにも下ろしてくれて感謝、感謝! 三津夫と私だけでは大きなトランクは上げられないのでコンパートメントは苦手なのですが助かりました。


◆シュトゥットガルトでヴィリーとアンゲリカと再会

 さて、いよいよ私たちの初体験、ドイツでの結婚式に招待されているのです。地名はわかりませんでしたが、シュトゥットガルト中央駅でヴィリーとアンゲリカと会うと、車で夕食の会場に向かいました。結構長い時間走ります。ヴィリーが運転席に、三津夫が助手席に座り、アンゲリカは後ろからナビ役です。会場に着くとまだ明るいのですが、既に時間は7時を回っていました。結構遠くまで来たものです。シルヴィアが珍しくワンピース姿で皆に挨拶をしていました。会場に入ると、シルヴィアのご両親、お兄さんのトルステンとお連れ合い、クラウスの数え切れない親戚が集まって挨拶とお喋りの渦。写真は、三津夫とヴィリーと、ヴィリーの柔術仲間(多分)です。

 


◆シルヴィアは輝いていました。

 

 上はシルヴィアとクラウスの写真です。昨日までシルヴィアは学校の授業があったので、今日から夏休み。この日の午前中に家族と近い親戚が集まり、市役所に結婚届を出してきたのだそうです。書類の結婚届けが先で、後からゆっくりと式や披露宴をするのがドイツ方式なのですね。お兄さんのトルステンも長いこと同棲してから結婚式を挙げていましたし、フランクフルトのトーマスのお嬢さんも同様です。日本とはずいぶんちがうものです。でも、シルヴィアが18歳の頃にオーストラリアのエアーズロックで出会ってから既に23年目、この日は今までで一番綺麗に輝いていました。

 夕食は誰が誰だかわからない中で賑やかにいただき、夜は再びヴィリーの運転でルートヴィヒスブルクのホテルまで乗せて行ってもらいました。彼らのホテルはもう少し先なのだそうです。部屋に入ってトランクを空け、ようやくゆっくりしました。それにしても暑い! クーラーはないので、シルヴィアが小さな扇風機を貸してくれましたが、これがなかったらなかなか寝苦しい夜となっていたでしょう。明日はうまく着物が着られるかどうか、気になりながら床に就いたのでした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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206. 16回目のドイツ旅行(10) 京子さんと三津夫の入れ替わり。

2020年01月23日 | 旅行

▶フランクフルトで京子さんと三津夫が入れ替わりました。



この日の気温は39度ほど。暑い毎日です!


◆2019年7月25日(木)は京子さんの旅行最終日

 カメラをなくして一時意気消沈していた京子さんでしたが、この日はフランクフルトのレーマー広場に行き、その後ゲーテハウスに行きたいとのことで、元気いっぱいに出発。せっかくレーマー広場に行くのならと大聖堂にも寄りました。ここフランクフルト(マイン)はハンス・バックオッフェンの磔刑群像が多く見られる町です。大聖堂を入るとすぐにこの代表的な磔刑群像があるのです。私の写真集『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』でもこの彫刻家の別の磔刑群像を紹介しましたが、磔刑像そのものの雰囲気、例えば手や足の彫り、風に翻る衣が大変リーメンシュナイダーによく似ています。両者の違いは、
 ★磔刑群像に二人の囚人も含まれることが多い。
 ★マグダレーナが十字架の下で嘆き悲しむ構図が多い。
 ★キリストの頭には光輪の一種か王冠がついている場合が多い。
 ★キリストの肩幅が広く、上半身がリーメンシュナイダーのキリスト像よりガッチリしている。
などです。以前、ネット検索していたらアメリカ合衆国のサンフランシスコにあるリージョン オブ オーナー美術館に「リーメンシュナイダーまたはハンス・バックオッフェン」とされる聖人像2体があったのです。そこで2015年にわざわざ訪ねて行きましたが、その頃は館内カードにはっきりと「ハンス・バックオッフェン」と書かれていて、リーメンシュナイダーの名前は消えていました。でも、その聖人像の顔は、ミュンヘンにあるリーメンシュナイダー作の聖人像によく似ているので、以前に二人の名前が併記されていた状況も理解できます。自分の目で確かめて良かったと思うので後悔はしていません。



ここまではハンス・バックオッフェンの磔刑群像です。動きがあります。


この「マリアの死祭壇」は立体感があって、家庭的な雰囲気が漂っていました。作者名不明。


◆ゲーテハウス、その後帰国の途につく京子さん

 このあと、京子さんは旅の最終日でもあるので通り道で良いお店を見付けるとおみやげを買っていました。

 最後にゲーテハウスに行きましたが、周りが工事中のためあまり良い写真が撮れませんでした。1749年8月28日にこの家で生まれたゲーテ。文学好きの人なら必見の場所ですね。私はあまり文学好きとは言えないので、何度もフランクフルトに来ていながら2回目の入館でしたが、少なくとも270年は経っているこの家、よく保管してあるものだと感じました。ただ、古いだけに注意札があちらこちらに掲げてあるわりに、ここは何の部屋なのかという案内はあまりなかったのが残念でしたが。
 近くのレストランで朝食メニューを取って、ホテルに戻り休憩。

 空港まではSバーンという郊外に続く電車で行くのですが、予定を立てたときにはS8で空港まで行けるとなっていたのに、いざ探してみると全てS9なのです。ドキドキしましたが、前に座っているおばさまに聞くと「これでいいのよ」という答え。何でラインが変わってしまうのか、今はどうなっているのか気になります。何はともあれ、フランクフルト空港で下車し、ターミナル1にいくバスを待ったのですが、日蔭もなくて本当に暑く、参りました。なかなか来ないバスにイライラしながら待って、ようやくターミナル1に到着。あとは京子さんは慣れたものでさっさと一人で手続きをし、JALのラウンジでゆっくり休むと言って2階へ上がっていきました。このとき4時15分。


◆そして三津夫が到着。

  毎日の暑さで参っている身体にさっきのかんかん照り太陽がきつく、喉が乾いてお茶も底をついたので、水を買いました。でもREWEと比べてあまり高いので、つい割安の1リットルを買ってしまって、その重さにげんなり。
 三津夫の飛行機は4時30分頃到着の予定だったので、ロビーのベンチに座って待ちました。まだトランクを引き取っている頃だと表示があり、安心して待つことができました。三津夫は案外早く出てきたのでホッとしました。ここで会えないと旅の第2部はスタートしません。でも、今日までの案内旅行を無事に終え、いよいよ二人で見たかった作品を訪ねて回る本来の旅に入ることができます。私に「リーメンシュナイダーのツアーを」という声を度々聞きましたが、個人のツアーはやはり気を遣うので、どこかの会社で全部手配してくれるなら一緒に行っても良いかなぁなどと思うようになりました。

 ターミナル2までのシャトルバスもすぐに到着、鉄道もSバーンではなく各駅停車のRBとなりましたが順調。昨晩と同じホテルに着いて同居人だけが入れ替わったということになります。ようやくホッとして、町に食事に出ました。取りあえず何か食べようと、近くにあった「GYOZA」という店に入ってみることにしました。てっきり中華レストランだと思ったら何としっかりした和食レストラン。しかも綺麗で丁寧な日本語を話す女性が出てきたのでびっくりしました。話してみたら東京出身の女性でした。気をよくした三津夫、早速巻き寿司を頼み、それが美味しかったので追加までして機嫌良く過ごしました。今後の夕食はもっと質素になるはずですが、まぁ無事に合流できた記念としては良いでしょう。

 次回からは夫婦二人でのマニアックな旅の記録を綴っていきます。

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205. 今日は棚田康司さんの彫刻をご紹介します。

2020年01月18日 | 彫刻

ちょっと日本の話に戻ります。



子の子 樟材にオイル、樹脂 2019


◆棚田康司さんの作品展「鎮守の森の入口で」

 昨年の写真展でギャラリートークのゲストとしてお迎えした棚田康司さんの作品展が、茨城県笠間市にある常陸国出雲大社境内桜林館で2019年10月20日から2020年1月13日まで開かれていました。一度しっかり棚田さんの作品を間近に見てみたいと思っていたのですが、写真展後の片づけや年末・年始の慌ただしさに紛れて気がついたら翌日は最終日。慌てて列車の乗り継ぎを調べ、1月13日の朝8時半に家を出ました。常陸出雲大社に着いたのは乗り換え時間もかかったので、もうすぐお昼という頃。暖かい日差しの中を歩くと汗ばむぐらいでした。

 棚田さんの作品は『たちのぼる。』(青幻舎 2012年発行)で写真を拝見していたのと、昨年の9月に平櫛田中彫刻美術館で2体拝見していたのですが、今回は13体の実物をじっくり拝見することができました。トップ写真の「子の子」(何と読んでも良いそうです。私は「ねのね」と読みました。)は、棚田さんの作品としては珍しく笑顔の少年のように見え、髭のラインを見ていると何となく楽しい気持になりました。

 下の写真の「箱から出ていく彼女の像」は、前から見たものと後ろ姿が全然違うイメージで不思議です。前からの写真では神様の手で頭を撫でられているようにも見えます。後ろから見ると、まるで流れるような彼女の毛に見えます。この箱から出て、彼女は一体どこへ行こうとしているのだろう…と不安を感じます。



箱から出ていく彼女の像
 像:樟の一木造り オイル、銀箔
 箱:樟材、銀箔、コーチスクリュー
 2019

 

 これらの作品の中には樹齢1500年ほどの檜のご神木から彫られたものがあると伺いました。普段使っている素材とは、やはり彫る感覚が相当違うものなのでしょうか。素晴らしい機会に恵まれたのだなぁと思いました。

 


12のトルソ - No.1  不安少年のトルソ
  マンゴー材に彩色、銀箔 2016

 


つづら折りの少女 樟材に彩色 2019

 


白の斜像 檜材の一木造りに彩色 2018

 


12の現れた少女たち No.1 檜材に彩色、銀箔 2016

 


鏡の少女 檜の一木造りに彩色、銀箔、鏡 2017

 


マントの少年 - 日本の場合 -   檜の一木造りに彩色 2015

 


12の現れた少女たち No.4 檜材に彩色、銀箔

 

 『たちのぼる。』の作品は少年、少女の不安で繊細な表情が多く見られましたが、このギャラリー桜林ではもう少し意志の強さを思わせる作品が増えたような気がします。一作目を見て思わず写真を撮りたくなってしまいました。会場の方に尋ねたら「どうぞ」ということでしたので、じっくり撮らせていただきました。撮っている間に段々楽しくなってきて、彫刻たちの表情から不思議で繊細な感覚と、大きなエネルギーをもらいました。皆さんはどのように感じますか?

 棚田さんにご了解をいただいたので、ここで紹介させていただきました。ありがとうございます。 
 ただ、何点か作品名を写し忘れてきたようで、載せられなかったのが残念です。

 次回からまた16回目のドイツ旅行に戻ります。

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204. 16回目のドイツ旅行(9) フランクフルトへ。

2020年01月12日 | 旅行

▶フランクフルトで京子さん大慌て。


この日の写真がないので、前日のクアハウス写真をもう一枚入れました。


◆2019年7月24
日(水)

 この前日の夜はフランクフルトへの移動の準備がありました。私は3日後に迫ったシルヴィアの結婚式で着る着物をハンガーに広げてあったのですが、しまう前に一度復習しておこうと、京子さんが寝た後で着付けのおさらいをしました。夏物の着物はパリッと糊がきいていて、絹の着物と違い、後ろがよく見えません。全身を写せる鏡もないので手探りでしたが、その割りにはきちんと着られたのでホッとしてトランクにしまったのでした。

 フランクフルトへの移動の際は、ペーターが入院してしまっているので大家さんにお願いしてヴュルツブルク中央駅まで送っていただくことになっていました。ロフトから京子さんのトランクを下ろすのは、とても大変でした。到着した日は大家のシェドラーさんがささっと運びあげてくださったのでしたが、女性二人では結構足下もおぼつかず、これだけでも汗だくになりました。今日もとても暑そうです。
 取りあえず二人のトランクがアパートの部屋の出口に揃ってホッとしたところで掃除をしました。やはり8泊すると結構なゴミが溜まっているものです。1階の玄関横にある分別ゴミのバケツの中にゴミを入れ、ホッとしたところで9時半となりました。1階の玄関までトランクを下ろそうとしているところにシェドラーさんがやってきて、二人分のトランクを下ろしてくださいました。慣れているのでしょうけれど本当に力持ちです! でも駅まではシェドラー夫人が運転してくださいました。車の中であれこれお話ししたところに依ると、シェドラーさんはもう一軒新しくアパートを作ったそうです。そこは1階に部屋があって階段を上がり下りする必要がないので楽だとのこと。今度行くときにはそちらに泊まろうかしらと思っています。今までは前金を送金しなければならず、手間と高額な送金手数料がかかっていたのですが、次回からは送金しなくても良いと言ってくださったことですし。駅に着いたらシェドラー夫人が大きなトランクを苦もなく下ろしたのにびっくりしました。ご夫妻揃って力持ち!!
 
 ホームに着くと、私たちが乗る1本前のデュッセルドルフ行き特急列車に遅れが出ていました。これがすぐに来てくれないと次の列車が違うホームに着くことがあるので内心ハラハラしましたが、じきに来たのでもうホームの急な変更はないだろうと安心して待ちました。ところが乗る予定の列車も15分遅れ。しかも予約席の車両の停止位置を確認しておいたにも拘わらず、列車は予定よりずっと後ろに止まったのです。大きなトランクを持って走った、走った。息せき切ってその車両に着いたらそばにいた男性が二人のトランクを引き上げてくれました。Danke!!  予約した席には老夫妻が座っていましたが、「ここは私たちの予約した場所なんですけど」というと渋々移っていきました。何だか申し訳ない気もしましたが…。
 フランクフルト(マイン)中央駅に11時36分到着。ホテルの場所の地図をプリントしてきているのですが、結構わかりにくい場所にあり、見つかりません。道は石畳でトランクが引っかかってしまいます。京子さんにトランクを見ていてもらって少し近所を歩いてみたら1ブロック先に目指すホテルはありました。そこに着くまでは何となく荒れた治安の良くない感じがしたのですが、ホテルに着いてしまうと落ち着いた雰囲気でホッとしました。まだお昼頃だったにも拘わらずチェックインできて、広さもまぁまぁでした。これで1泊71.15ユーロは悪くないと思いました。

 この日はリービークハウスの聖母子像を見るのが第一目的です。このホテルからはトラムで往復できそうです。まずは中央駅まで歩いて戻りました。来たときは回り道をしたのでちょっと遠く感じたのでしたが、位置関係がわかって裏道を行くと3~4分ぐらいで駅に着くのです。でも駅構内は結構歩きますが、日差しに当たらないで済むだけ体力の温存ができました。まずはお昼を食べ、その後リービークハウスに向かいます。そのためのチケットを自動販売機で買いました。一日券を買って一人5.35ユーロでした。でも、トラムに乗ったら京子さん、何か様子が変です。鞄の中をあれこれ探し始めました。しばらくして「カメラがない。前の宿に忘れてきたみたい」というではありませんか。「トランクの中ではないの?」と聞くと、「いえ、いつもここに入れているのよ。夕べ充電したのをそのまま忘れてきてしまったみたい」とのこと。今までの旅の思い出がなくなったとしたら大変なことです。結局、ホテルに戻ってトランクを調べてみてから考えようということになりました。


◆ここでいきなりですが、アンケートをお願いします。

 何となく落ち着かない気持ちのままリービークハウスへ。
 ここの聖母子像はヴュルツブルクのフランケン博物館にある聖母子像と同じ時期に作られた作品で、どちらも損傷が少なく、今でもとても素敵な姿を維持しています。二体とも砂岩で彫られていて、似たようなポーズ。大きく違うのはヴュルツブルクの聖母子像が左側にキリストを抱いていて、ここフランクフルトの聖母子像は右側にキリストを抱いていることです。私は、この聖母マリアがどちら側にキリストの頭がくるように抱いているのか最初から興味がありました。私自身はやはり利き腕の右手を空けた方が便利だし、自然に左側に抱っこしていました。心理学で赤ちゃんは母親の心臓の鼓動を聞くと落ち着くと教わっていたこともあって、ほとんどの右利きの母親は左腕に赤ちゃんを抱えるのだろうと思っていました。母乳をあげられなかった私だからかも知れませんが、母乳をあげていたお母さんでも授乳以外の抱っこ場面では左に抱える人が多かったような印象です。ところが教会でも博物館でも、結構多くの聖母が右側にもキリストを抱いているのです。また、キリストのポーズも様々なので、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット株式会社 2008年出版)の169頁にリーメンシュナイダー、及びリーメンシュナイダーと工房作の聖母子像26体を比較した一覧表を作って載せました。
 結果的には26体のうち左側に抱いていたのは16体で61.5%でした。この後で見た作品をもう一度比較して4冊目に載せられたらと思っていますが、今では育児に関わる男性も多いので、母親だけではなく父親の育児体験からも、主に赤ちゃんをどちら側に抱いていたか伺いたいと思います。もしアンケートに答えてくださる方がいらしたら、頭が左に来るか右に来るかという抱き方と、ご自身の利き腕も一緒に教えていただけると嬉しいです。midfk4915(アットマーク)yahoo.co.jpまでお知らせください。可能であればお友だちやご自身のお母様はどうだったかもお知らせいただけるとより正確なアンケートになります。よろしくお願いいたします。
 この聖母子像をしばし眺めて、すぐ近くのシュテーデル美術館で少し喉を潤してからホテルに戻りました。


◆やっぱり無いわ。

 困りました。ホテルに戻り、京子さんがトランクを隅から隅まで探してみましたが、カメラは見つからなかったのです。そして宿に電話をして聞いてみたところ、結局見つかりませんでした。どこかで落としたという可能性は低く、かといって部屋をお掃除した方を疑うのも失礼ですし。京子さんは、開き直って「良いの。もう気にしないで。あのカメラは古かったから良い機会だと思って新しいカメラを買うわ。撮った写真が戻って来ないと思うと残念だけど、あなたの写真をもらえたらそれでいいから。」と吹っ切れたようです。切り替えの早いのが京子さんの良いところ。私もホッとしました。今後も宿やホテルを出るときにはもう一度よく忘れ物がないか確かめてから出ようと肝に銘じました。

 さて、この後、疲れた京子さんはシャワーを浴びたいというので、私は眼鏡の蔓をなおしてもらうべく、町に出ました。ホテルで聞くと大きなショッピングセンターがあるから、その中の眼鏡屋さんで見てもらうと良いと教えてくれました。そのショッピングセンターはSKYLINE PIAZAというところでしたが、道路から見るとまだ工事中に見えたので一度通り過ぎてしまったのです。少し迷ったのですが、若い女性に聞いたら通り過ぎた場所だったとわかって戻りました。中に入ると沢山のショップがあり、店内図を見てもどれが眼鏡屋さんだかよくわかりません。歩いて探すしかないと思って歩き始めたら2軒目に eyes+more というお店があったので眼鏡屋さんだとわかりました。中に入って眼鏡と外れた蔓を見せ、「直りますか?」と聞くと、難しい顔で調べてから「合うネジを探してみます」と持って行きました。戻ってくると、「直したけれど、ピッタリ合うネジがなかったから外れやすいので気をつけて」と渡してくれました。ちゃんと蔓が付いています。「おいくらでしょうか」と尋ねると「いりません、いりません」とにこっと笑ってくれたので「ありがとうございました」と深くおじぎをして帰ってきました。とても嬉しくて、このショッピングセンターのことは是非ブログで紹介しようと心に決めました。でも、何よりもまず、普段からネジが緩んでいないかどうか、特に旅行前には気をつけないといけませんね。

 ホテルに戻るときに、トラムの停留所で翌日の一日券を買いました。明日は京子さんが日本に帰る日です。私も一緒に空港まで行き、成田から来ているはずの三津夫と会って、このホテルに戻ってくるという算段です。飛行機は夜の出発なので、午前中はゆっくり市内観光をしてくる予定です。今日買った一日券は近場の距離だったので安かったのですが、明日の一日券は遠く空港まで行くので値段は9.65ユーロでした。目的地の番号と料金段階が違います。次回行くときには参考になるかと思い、チケットの写真を撮ったので参考までに載せておくことにします。

……と書きましたが、後から間違いに気がつきました。この日はうまく買えなくて、翌朝苦労して買ったのでした。ごめんなさい。書き直しておきます。何が苦労かといえば何回もお札を入れても吐き出されてしまったのですが、画面上に赤いバッテンが付いているお札は使えなかったのでした。この日はちょうど使用できるお札を持っていなかったため、結局翌朝クレジットカードで買いましたけれども、全体的に切符の買い方を丁寧に書いてあるサイトが見つかりました。お困りの方は参考にされると良いと思います。(ただし、このサイトの写真は2018年なので、既に料金は多少上がっています。)

Arto Exprole  
https://artoexplore.net/frankfurt-ticket/

 



※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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203. 16回目のドイツ旅行(8) マリア祭壇再び。

2020年01月10日 | 旅行

▶今日はクレークリンゲンへ。

この日撮影したマリア祭壇の部分。2007年撮影のマリア様(194参照)とはお顔に変化が出ています。


◆2019年7月23日(火)

 この日はやはりむんむんに暑い日でしたが、ローテンブルクの駅前にあるショッピングセンターでイングリッド、ヴォルフガング・ラインハルトさんご夫妻と待ち合わせをしていました。お二人は以前、クレークリンゲンでバスが来なくて困り切っていた私と三津夫を車でローテンブルクまで送ってくださった親切なご夫妻です。今ではすっかり仲良くなってクレークリンゲンまでの送り迎えもしてくださり、マリア祭壇の撮影にも大変協力的です。ショッピングセンターで真っ先にヨハネスのお墓に供える花を引き取りました。前回予約しておいたものですが、いざ受け取ったら何と切り花でした。今まではいつも籠に入っていたのですけれど、これでは何か入れ物を調達しなければなりません。

 ヴォルフガングさんとイングリッドさんと無事にショッピングセンターの駐車場で会い、最初にブッフ・アム・ヴァルトにあるヨハネス・ペッチュのお墓参りに行ってくださることになりました。ここで初めての方に簡単に説明をしておきますね。ヨハネスとは、ローテンブルク近くに住んでいたアマチュアカメラマンで、頑固で元気なお爺ちゃんでした。2007年に初めて知り合い、彼の写真を提供していただいたおかげで『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版することができたのです。お連れ合いのフリーデルと共に何回も会ってお喋りをしましたが、彼は2015年に亡くなりました。
 7月23日は奇しくもフリーデルの誕生日だったのですが、彼女は最近足が痛んでよく歩けないとのこと。そのため息子さんたちが迎えに来てどこかでお祝いしてくれるのですが、行き先も何泊するのかも彼女は知らないそうです。フリーデルがお留守でもお墓参りは行かせてもらうと電話で伝えてありました。
 お墓に着いて、まずは花の入れ物をどうしようかと思っていたら、イングリッドさんがご近所の方に声をかけて入れ物を貸していただくことができました。ヨハネスのこともよく知っている方たちでとても嬉しく、お礼を言って花瓶に生けさせてもらいました。


真ん中がそのお花です。ヨハネスが亡くなって4年が経ちました。

 このあと、メッセージカードを供えたのですが、ここに置いておくのでは濡れてしまうからとフリーデルの家に車を回してくださったので、おみやげの緑茶とヨハネスへのカードをお家のポストに入れてからクレークリンゲンに向かいました。

 このクレークリンゲンにあるヘルゴット教会のマリア祭壇は、今回の旅の大きな目的の一つでした。前のトーマス・ブルク牧師さんの代から撮影禁止が強く押し出され、2009年以降、自分の手では撮影できずにきました。牧師さんの代替わりで、2018年に来たときには撮影禁止の札は相変わらず下がったままでしたけれど撮影も大丈夫ですよと言っていただけたので、急いで写したのですが、気がせいていたのと連写で写したのとで全然良くなかったのです。そんな訳で今年は三脚を持参したのでした。ラインハルトご夫妻と京子さんには少し時間がかかるけどとお断りして撮影にかかりました。京子さんはこのマリア様を拝観するのを楽しみにしていたので、ゆっくりとベンチに座って見ていました。ご夫妻は「では、ちょっと家に戻って1時間後にまた来ますね」と帰っていきました。他の参観者もいるので、邪魔にならないよう気を遣いながらアングルを変え、高さを変えて祭壇を写しました。この祭壇の写真を合成して大きく伸ばし、ギャラリーの真ん中に下げたいと思っていたからです。(これが写真展の頁194~198に度々登場する大きなマリア祭壇の巻物です。)
 でも、今までにも何回か書いたように、マリア様のお顔に黒いシミが徐々に広がっている(トップの写真)ことには胸が痛みました。写真展のチラシは2007年8月15日の夕方5時半頃、まさにマリア様に夕陽が射してきたところを撮影したものですが、マリア様のお顔には一つのシミもありません。このシミの原因は何なのか、とても気になります。

 トーマス・ブルク牧師さんが担当する以前のヘルゴット教会は薄暗くて、マリア様のお顔もあまり肉眼ではよく見えませんでした。でもブルク牧師の代に、心の目で見て欲しいと言いながら暗くてよく見えないだろうと思われたのか、天井に灯りを付け、暗くても冬でも見えるように館内の修復工事をしたのです。その2009~2012年の工事に130万ユーロ(仮に1ユーロ120円と安く設定しても1億5600万円!?)かかったため、現在でも寄附を募っているのですが、そのうちの教会負担分が31万5千ユーロ(3780万円)で、今はまだ9万3993ユーロ(1127万9160円、30%弱)しか寄附が集まっていないとホームページに書かれています。(9日に一度アップしたときは私の計算間違いでした。このときご覧になった方、失礼しました。本日10日に修正してアップし直しました。)そこで、写真展の際に何とかヘルゴット教会への寄付を集めたいと思って、チャリティー絵はがきを24種類、各200枚印刷したのです。幸い写真展の最中に皆さんにたくさん買っていただいたおかげで既にこの費用は回収できましたが、残る絵はがきをリターンとして今年中にクラウドファンディングでさらに寄附を募ろうと思っています。その折にはまたご紹介しますので、是非回りの方々に呼びかけていただければ幸いです。

◆再びラインハルトご夫妻と合流。

 このあと、ラインハルトご夫妻が教会に戻っていらして、少し遅めの昼食にと近くのレストランに連れて行ってくださいました。そこでは私たちはイングリッドさんと同じ鱒と野菜サラダを頼みましたがけっこうなボリュームでした。ヴォルフガングさんはシュニッツェルとジャガイモ団子をペロリと召し上がり、大きなお腹をさすっていましたが、全体はスリムでいらっしゃるのにお腹が大きい人を見るとちょっと心配になります。その後、ケーキ屋さんに案内されてどれが食べたいかと聞かれ、ヒンベリーのケーキをお願いしたらその他にも3種類も買ってくださいました。そして坂の上のお宅へ。車を降りたときに眼鏡の蔓が外れているのに気がつき、フランクフルトで修理をしなくてはと思いました。
 外はあんなに暑かったのに中はひんやりとしていてクーラー要らずの涼しさ。庭先には何本もの大きな木が立ち、林の中にいるようです。京子さんはすてき、すてきと喜んで写真を写していました。ケーキとお茶をいただきながらあれこれゆっくりとおしゃべりをしました。その後、まだ帰りの列車まで時間があるからと、連れて行ってくださったのがこちらです。



見ているだけで涼しげでしょう? 何度もローテンブルクを訪ねていますが、ここWirdbadというクアハウス(保養地)に来たのは初めてです。こんな川縁の回廊を散歩しながら劇を見たり宿泊したりする場所のようでした。すてきな一日に感謝です。ラインハルトご夫妻のおかげです。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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202. 16回目のドイツ旅行(7) フォルカッハを歩く

2020年01月07日 | 旅行

▶久しぶりにバスに乗ってフォルカッハへ


 
ようやく葡萄畑の聖マリア巡礼教会が見えてきました。


◆2019年7月22日(月)

 日曜日はバスの便が悪いので、月曜日にフォルカッハまでバスで出掛けることにしました。正直、フォルカッハは交通の便が余り良くなくて、今まではペーターが車で連れて行ってくれることが多かった場所なのです。今回、ペーターは入院してしまったのでどうしようかと思ったのでしたが、京子さんが「フォルカッハには行ってみたいんです。」と言ってきたので、葡萄畑の聖マリア巡礼教会まで予定通りに足を伸ばすことにしました。
 2010年には列車→バス→徒歩と乗り継いで約1時間の行程だったのですが、今回検索してみるとヴュルツブルク中央駅前のバスターミナルから Eichelfelder Straße, Volkach という8105番のバスがあることがわかりました。つまり直行便です。でも、終点まで乗るとフォルカッハの町の中心部まで行くことになります。そのルートでは教会まで1.7kmほど歩くことになるので、途中で下車した方が良さそうです。地図で見ると、どうやら Gaibacher Straße の方が近く、町と教会を繋ぐ道路の途中にあることがわかりました。ここで下りれば約600mほど歩く距離を短くできるので、この日のように暑い夏の日には助かります。日本を出る頃は涼しかったのですが、ドイツに着いてみたら日本以上に暑い日が多いのでした。

この建物はヴュルツブルク中央駅前の大きな郵便局です。その手前に8105番のバスが停まる停留所がありました。

 バス停で待っていると、観光バスのような豪華バスがやってきて、朝8時45分に駅前を出発。乗るときに「葡萄畑の聖マリア巡礼教会に行きたいのですが、下りるのは Gaibacher Straße で大丈夫ですか?」と尋ねると、「そうだよ。着いたら知らせてあげるよ。」と言われてホッとしました。フカフカの座席はいいのですが、路線バスにある電光掲示板がありませんでした。見知らぬ町で今どこを走っているのかわからないと不安なものですから。32分で運転手さんが着いたよと知らせてくれて下車。そこから左方向に町から続く道路を歩いていくと、右手の丘の上に目指す教会が見えてきました(トップの写真)。

 朝の出発が早かったので開館時間前に到着。しばらくして教会が開き、京子さんの見たかったローゼンクランツのマリアに対面することができました。これは、リーメンシュナイダーが市長になっていた頃の作品で、マリア像はリーメンシュナイダーの手になるものと思われるのですが、よく見るとマリアに抱かれたキリストは腕が何だか関節が多すぎてちょっと変です。ここはお弟子さんの作なのかなぁと思える作品です。京子さんはベンチに座ってしばらくローゼンクランツのマリアを見つめていました。

どう見てもキリストの右腕は不自然だと思うのですが…。


◆ここのワインは美味しいようです。

 帰りがけに絵はがきを買ってから、京子さんがワインの試飲ができないかしらと言いました。坂を上る手前に、ワイン醸造所の看板が立っていたのです。私はまだ行ったことがないけれど、多分試飲もできるのではないかなと考えて寄ってみることにしました。それがこの写真です。

 京子さんはあれこれ試飲をさせてもらって、美味しいから買って行くと、ロゼとバッカスを買いました。小瓶は2ユーロだったので、それならもうすぐやってくる三津夫のウェルカムワインとして私も買って行こうという気になり、ロゼを買うことにしました。その後はゆっくりと町まで歩き、古いレストランでフランケン料理を食べました。お店の名前をメモし忘れましたが、美味しくいただきました。

 さて、帰りのバスはフォルカッハのバスターミナルから13時2分に出る予定なのですが全然来ないのです。時刻表には書いてあっても来ないバスには本当に悩まされます。結局もう一時間待たなければならないことがわかり、ベンチに座ってうつらうつら。ようやく来た8105番のバスは、何と今朝の運転手さんが運転する豪華バスでした。乗換場所を教えてあげるからと言われて安心してクーラーの効いた車内でまたうつらうつら。Ortsmitte Kürnachで「すぐ次のバスが来るからここで待っていなさい」と言われて下車。ドイツ鉄道の時刻表では200m歩くように書かれていましたが、全く歩く必要はなく、下車した場所にちゃんと430番のヴュルツブルク行きがやってきました。こちらは冷房が効かず、暑さを我慢してヴュルツブルクまで帰ってきました。

 私はこのところの疲れがこの日ピークになっていたようで、最後の宿までのバスでも再び前後不覚に眠りこけてしまったのです。ハッと目を覚ましたら終点のようです。慌てて下車したら、そこはまだ一つ手前のバス停でした。京子さんは目が覚めていたのですが、私たちのバス停の名前が頭に入っていなかったようでした。この最後の歩きは、一歩一歩が本当に辛かったのを覚えています。京子さんはすたすたと歩き続け、彼女のパワーに降参した一日となりました。
 それでも宿について一息入れてから再びREWEに出向いて買いものをし、宿に戻ると洗濯もして、お掃除もして、夕食をゆっくり食べたのでした。今回の旅の中でも最もハードな一日でした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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201. 16回目のドイツ旅行(6) ミュンヘン日帰り旅行

2020年01月05日 | 旅行

▶昨年2019年の旅に戻ります。今日はミュンヘンまでの日帰り旅行。

 

この日はこんなに晴れていました。(ミュンヘン、バイエルン国立博物館前)

 

◆2019年7月21日(日)

 日曜日はミュンヘンのバイエルン国立博物館の入館料が1ユーロだということをご存じでしょうか。
 私たちはそれもあって敢えてこの日をミュンヘンの日帰り旅行に当てました。この旅を計画をした頃は京子さんの体調が読めなかったため、もし疲れすぎているようだったらこの日は市内でゆっくり過ごそうと思っていたのでした。ところが京子さんは思った以上にパワフルな人だったので、安心してミュンヘンまでの日帰り旅行を実施することにしました。ただ、週末は特急列車が混み合いますので、2~3日前に往復とも座席指定券を買っておきましたが。

 この日は、バイエルン国立博物館のマティアス・ヴェニガーさんが午前中のツアーガイドとして来館していることを伺っていましたが、午後は帰宅されるとのことでした。私たちは朝ゆっくり出発してお昼過ぎにミュンヘンに着く予定でしたので、ヴェニガーさんにはお目にかかれないとお伝えしておきました。

 特急列車でヴュルツブルクからミュンヘンまで約2時間。駅で買ってきたサンドイッチを車内で食べました。ミュンヘン駅には12時32分着。ミュンヘン一日券を買って市内を移動しようと券売機に向かうものの、どうしても一日券という項目が出てきません。MVV(ミュンヘン交通)の券売機なのにどうしてでしょうか。別の場所にあった同じMVVの券売機でもう一度試してみたら、ちゃんと出てきたのが不思議です。二人で12.8ユーロ(5人まで同じ値段)でした。
 次に困ったのがバス停がどこだかわからなかったこと。いつもは歩いて回っているのでバスやトラムに弱いのです。券売機に近かった北口を出てみると、バス停らしき所がありました。近づいて見ると100番のバスが書いてあってホッとしました。乗ってしまえばそれほど時間はかからないと思っていたのですが、結局1時50分にようやくバイエルン国立博物館に着いたのでした。一応、受付でヴェニガーさんはもう帰られたことを確認し、念のため「8月にまた三津夫と来ます」とメッセージを書いて受付に渡してから京子さんとゆっくり館内を回りました。

 私が「リーメンシュナイダーの追いかけ人」となったきっかけの「天使に支えられる聖マグダレーナ」は、昨年同様に薄暗い部屋の壁に神秘的に浮かんでいました。このときの写真を写真展にプリントして掲載し、絵はがきにもしたのでしたが、私の思いを多くの方に共感していただけたようです。

 このあとアルテ・ピナコテークもせっかくだから回りましょうと帰ろうとすると、受付嬢が私に「ちょっとここで座って待っていてください。ヴェニガーさんがあなたを探しているので」と言うのです。午後には帰宅すると聞いていたのでびっくりしていると、慌ただしくあちこちに電話をかけ、ようやくヴェニガーさんが息せき切って走ってきました。「よかった! ボラーコレクションを見せたくて探していたのですよ」と言われます。このコレクションは本館とは少し離れた場所にあるのですが、帰る前に行ってみたときには鍵がかかっていたのです。彼はその別館に私たちを案内して鍵を開けて見せてくれたのでした。申し訳ないやらありがたいやら。でも京子さんにはあまり興味がわかなかったようであっさりと見て回り、お礼を言って、また27日にはフライジングでお目にかかる約束をしてお別れしました。ヴェニガーさんには何ともいそがしい思いをさせてしまって…。あの疲れ切ったお顔を思い出すと今でも申し訳なくなります。

 その後100番のバスを待つ間に、ぱらぱらと雨が降ってきました。バスに乗ってアルテピナコテークに向かう間に雨は更に激しくなり、着いたときには下の写真のように路面はびしょ濡れ。私たちは天気予報を見ないで晴れのまま一日過ぎるのだろうと考えて傘も持たずにきてしまいました。深く反省。下車してほんのわずかの距離を歩く間にも雨はますます激しくなり、アルテピナコテークの入口は雨宿りをする人で一杯。中はと見ると長蛇の列で、ドイツの美術館としては珍しい人気の特別展示があったようです。3人の作家の名前が書いてあったようですが、カラヴァッジォだけ読めました。中に入る列を待つのも30~40分かかりそうなのですが、帰りの列車に間に合わないと困ります。結局この日は数十分待ってから中に入ってもゆっくり見られないため、あきらめることにしました。


 再びバス停に戻ると、なかなか100番のバスが来ません。でもトラムは結構何本も走ってきます。それでトラムに乗ってミュンヘン中央駅に向かうことにしました。この路線はミュンヘン駅の南口に繋がっていて、下車しても雨に濡れずに入ることができました。結果オーライです。

 アルテピナコテーク内部は見る時間がありませんでしたが、まだ列車までは1時間もありましたので、駅のトイレに行き、フードコートでゆっくりお茶を飲みました。近くにあったお店で巻き寿司を売っていたので、それを買って特急列車内で夕食。ヴュルツブルク中央駅に着くと、地面はまったく雨に濡れた形跡がありません。あれはミュンヘンだけの通り雨だったのですね。今回の旅で初めての本格的な土砂降りでした。


追伸

 自費出版文化賞の授賞式でお隣に座っていらした瀧沢敬三さんに写していただいた写真をようやくスマホからパソコンに送ることができました。また、ご自身のスマホで写した写真も送ってくださったので、授賞式の頁(199)に追加しておきます。お時間がありましたらご覧ください。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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