リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

336. 18回目のドイツ旅行(16) 2人旅 フィラハからランツフートへ

2024年01月25日 | 旅行

▶ランツフート、聖マルティン教会の聖母子像

 




ラインベルガーの聖母子像は本当に逞しく、力強い。裾から顔を出している天使たちもラインベルガーマドンナの特徴です。
 ハンス・ラインベルガー 1518年

 

▶フィラハから再びドイツ、ランツフートに戻ります。

 2023年9月10日。今日は朝7時16分発ウィーン行きという早めの列車でフィラハを出てザルツブルクまで行き、そこからミュールドルフ(ドイツ)という駅に出てランツフートに向かうという、2回乗り換えの旅です。しかもランツフートでトランクを預けてから再び列車でフライジングまで行き、マティアス・ヴェニガー博士(バイエルン国立博物館の中世担当博士)とお連れ合いのルースさんと会う約束。なかなかに忙しい1日でもあるのです。共働きのヴェニガー夫妻はこの日なら午後時間が取れるということで、約1年ぶりの再会です。

 市内ツアーのガイドも務めているルースさんはこの日、普段は縄を張ってあって中には入れないフライジング大聖堂の内陣席を見せてくださるというので楽しみにしていました。通常は位の高い人々しか真正面から彫刻を見ることができないので、見せていただけるのは貴重な体験です。ヴェニガーさんでも自由には入れない場所らしく、嬉々として写真を撮っていらっしゃいました。
 この内陣席には初代からの司教像がズラッと並んでいて、これだけの彫刻が記録として残っているのはあまり見たことがありません。いえ、もしかしたらちゃんと知らないだけで他の教会でもそうなっているのかもしれないと今、思い始めていますが。胸像も温かみのある表情で、その下の飾り模様も一つ一つ微妙に違っている感じがしました。


この一番左の方が初代の司教さんで、あとは順に並んでいるそうです。


 内陣の撮影後は大聖堂内のあちらこちらを回り、また回廊の墓碑を見て回りました。ルースさんが優しい英語で説明を始めると途中からヴェニガーさんが来てドイツ語で熱心に解説し始めるのでルースさんは見守るというパターンが多く見られました。レリーフの墓標にも奥行きのある彫刻があり、一目見ただけでお二人は作者名がわかるのです。私たちはまだまだその名前が覚えられませんが、共通の特徴は少しずつわかるようにはなりました。その後、昨年再開した大聖堂博物館にも再度入館してゆっくり拝観しました。昨年見たエラスムス・グラッサーの「嘆きの天使像」は、今年はガラスケースに収められていました。昨年はケースはなかったのでじっくり写すことができて良かったと思いました。

 その後は一休みと市内のカフェに入ると、三津夫がハンス・ムルチャーのカタログなど何点かヴェニガーさんに質問したいことがあると話し始めました。すると彼は自転車で家までカタログを取りに行ってくるとサッと出かけていきました。思い付いたら行動しないと気のすまない方のようです。しばらくしたら3冊のカタログを重たそうに持って戻っていらっしゃいました。その時の写真を以下に載せておきます。本当にあふれるほどエネルギッシュで親切な方です。


このカタログの中で右側の2冊を帰国後早速注文しました。

 しばらくお喋りを楽しんでフライジング駅でお別れしました。ヴェニガー夫妻に感謝です。下の写真はフライジング駅まで見送ってくださったお二人と。

 

▶ランツフート市内2日間

 ここランツフートはハンス・ラインベルガーが工房を構えていたという町。2019年に初めて来たときにも聖マルティン教会(最近は聖マルティン・カストゥール教会と出てきますが、こう書かせていただきます)の力強い聖母子像(写真・トップ)を拝観してその強い眼差しに身のすくむ思いをしながら撮影したのでしたが、まだ見残した作品があるということと、ホテルの予約をした時点ではヴェニガー夫妻とはいつ会えるかわからなかったため、ゆとりを見て3泊4日の宿を取っていました。

 9月11日。今日の第一目的は聖マルティン教会とハイリッヒ・ガイスト教会(美術館)を訪ねることでした。
 駅に近いホテルを出て、旧市街までは少し距離があるからバスで往復してはどうかと思ったのですが、連れ合いは歩いて行けるだろうと言います。日差しがきついので日陰を選びながらイーザル川を越えて旧市街まで歩きました。
 
教会に着いて中を見てみると、月曜日なのにミサの最中でした。これでは撮影はできません。後でまた来ることにして私は葉書を出したくて郵便局へ切手を買いに。教会まで戻ってくると、回りの写真を撮りながら待っていた三津夫が「ミサは終わったよ」と言います。でもドアまで行くと、なんと鍵がかかっているのです。横を見たら「毎週月曜日と金曜日は10時半から15時までの間に清掃をするため閉館します」という札がかかっていました。ガックリです。
 仕方がないので明日もう一度来ることにして、町の西側にあるハイリッヒ・ガイスト教会にまわることにしました。途中喉も渇いたしトイレも行きたくなったのでカフェかレストランに入ろうと見ながら歩きましたが、タバコの煙が苦手な私は室内に入りたいのでなかなかここならというところが見当たりません。そんなとき、ようやく見つけた日本食レストラン(写真・下)。若い青年が経営していて中の雰囲気もなかなか良くて気に入りました。味も良かったのでお薦めしたいのですが、残念ながら店名を日記に書き忘れていて思い出せません。私たちは一番早い客だったのですけれども、このあとどんどん地元の家族がやって来て店内のテーブルが埋まるほどでした。



 この後ようやく着いたハイリッヒ・ガイスト教会は何と展示替えで閉館中。ここにはラインベルガーとその周辺作家の作品が3点あり、以前も見ているのですが、もう一度よく見ておきたかったのです。今日は何ともツイていない日でした。ガッカリして疲れがドッと出たのと、あまりにも暑いのとでイーザル川のほとりで一休み。ここの美しい景色で少し元気が戻ってきました。


イーザル川のほとりは涼しく、心安まりました。

 ランツフート駅までの帰り道で、通りがかったキリスト教会と、ホテル近くにある聖ニコラ教会に寄りました。後者にはラインベルガーの「休むキリスト」があります。前回は館内修復中で工事の人に聞きながらやっと中に入れたのですが、今日は三津夫が入り方をよく覚えていてくれたおかげで、回り込んだドアの奥にあるキリスト像を静かに拝観することができました。ベルリンのボーデ博物館にある同じ彫刻とよく似ていますが、ランツフートの方がキリスト全身からの憔悴感が伝わってくるような気がします。

 今日は炎天下を18,741歩歩き、9月のトップ記録となりました。ホテルに帰ってベッドに倒れ込みました。


▶ランツフート市内見学2日目

 9月12日。今日もランツフート旧市街まで徒歩で往復です。
 まず最初は小高い丘の上にあるブルク・トラウスニッツというお城に登りました。細い階段を何段も上がってようやく到着。ここは小さな博物館になっています。城内はツアーでしか入れないので少し待って小柄な女性ガイドさんの案内で入りました。私たちだけだったので「すみませんが少しゆっくりお話ししてください」とお願いして話を聞いていると、後から地元の夫婦が一組駆け込んできたこともあり、残念ながら解説のスピードはアップしてしまいました。城主の所有する祭壇の彫刻がとても面白く、一体誰が作ったものなのかと思って聞いたところ、ストラスブールの作家ということしかわからないとのことでした。
 ツアーを終えて、庭の奥の展望台から見下ろした景色は爽やかでした。


ブルク・トラウスニッツから見たランツフートの旧市街(右側の高い尖塔は聖マルティン教会ではありません。)


▶聖マルティン教会

 お城からの階段を下るのはあっという間でした。昨日見られなかった聖マルティン教会に行って今日こそは堂内をゆっくり拝観しました。前回は工事中のパイプの合間に立っていたハンス・ラインベルガーの聖母子像(写真・トップ)は堂内のパイプもなくなっていて、ゆっくり好きな角度から撮影できました。失礼ながらスカートの下からも撮影。マドンナは花の上に立っていて、スカートの裾の襞の中から小さな天使が顔を覗かせています。この天使の姿が可愛らしいのです。
 また中央に大きなキリスト磔刑像(写真・下)があったのですが、この作品は誰のものかと気になって教会のパンフレットを見てみると、何とミヒェル・エーアハルト作で、「ヨーロッパ最大級の後期ゴシック様式の十字架。大きさは、5.50 m x 5.45 m(胴体)、7.53 m x 6.08 m(十字架)。下から見ると、シェーンブルン家の紋章が見える。この彫刻を寄贈したのはシェーンブルン家である。」と書かれていました。なんでこんな目を惹く作品に気が付かなかったんだろうと考えていたら、そういえば、前回は工事のパイプが屹立していて堂内をゆっくり見ることができなかったのだと思い出しました。
 その後、昨日は休館日だったランツフート彫刻美術館と裏側にある王宮彫刻美術館を訪ねました。ここにはラインベルガーに関する作品はないことはわかっていたのですが、前者にはほとんど彫刻自体が展示されていなくて残念。後者にはモダン彫刻が静かに展示されていました。


聖マルティン教会 磔刑像 ミヒェル・エーアハルト 1495年


 明日はバーデンバーデンに移動です。夜になって最後の宿泊先、フランクフルトのトーマスから「Eバイク(モーター着き自転車)でころんで怪我をしたので、予定していたマリア・ラーハには行けなくなった」と連絡が入りました。昨年は帯状疱疹で動けなくなり、ようやく歩けるまでに回復したというのに何と不運なことでしょう。それでも宿泊はOKとのことですので、ゆっくりお喋りを楽しもうと思っています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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