▶︎15回目のドイツ旅行(14)ニュルンベルクへ
職人村のシンボルの塔(ニュルンベルク)
9月20日(木) ホールストとマリアンヌは朝9時にホテル上の坂に来てくれるということだったので、私たちは8時45分にホテルをチェックアウトして坂の上に着き、車を待ちました。朝早くの見送り、本当にお世話をかけます。55分には車が到着。道路が混むと時間がかかるだろうからと念のため9時に出ることにしてあったのですが、順調で9時10分にはシュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅に着いてしまいました。ニュルンベルク行きの列車は10時です。念には念を入れすぎました。ゆっくりと重たいトランクを持って階段を下ってまた上がり、それでも40分以上待つような時間。ベンチに座ってのんびりお喋りをしました。これなら家に寄ってコーヒーでも飲んでもらえばよかったとマリアンヌは言っていましたが、そうするにはゆとりがなさ過ぎましたのでしょうがありません。列車は遅れることもなくやってきて、10時には窓からお別れ。二人の健康を祈りつつ…。
この日は列車も時間通りに11時25分、ニュルンベルク中央駅に着きました。ドイツで遅れることなく移動できるのは大変まれです。この駅にはエスカレーターもエレベーターもあると思っていたのですが、見付かりません。たまたま離れたところに下りてしまったのでしょう。しかたなくトランクを持って階段を下り始めたら、体の大きな若い男性が駆け寄ってきてトランクを下ろしてくれました。Danke!
ホテルも駅の近くでそれほど迷わずに見付けることができ、午前中にも拘わらずチェックイン。部屋は少々狭いけれどもトランクを置くことができてホッとしました。ここでエスターと待ち合わせなのです。
エスターとは、2018年の1月に軽井沢で会いました。彼女はジュエリー作家ですが、日本の文化に興味を持ち、2017年末から3ヶ月ほど日本に滞在して金継ぎや漆のことを学びたかったそうです。そして間を取り持ってくれる人がいて、漆作家の八代淳子さんの工房に研修に来たのです。八代さんとしてはエスターと英語でのやりとりは何とかできるけど、ドイツ語を話せる人はいないかしらと探していたようです。八代さんは娘の奈々子の先輩で、「それならうちの母がいますけど」と伝えたそうです。そんな次第で、娘と一緒に冬の軽井沢に行き、3日間彼女と八代さんとのやりとりを手助けしたという間柄です。エスターは若い素敵な女性で、しかもとても器用。八代さんの指導をすぐにのみ込み、作業できる人でした。そんな彼女の素直な人柄に好意を持ち、お互いに仲良くなって、「ニュルンベルクに行ったら会いましょう」と約束していたのでした。
ちょうどフロントに下りたところでエスターがホテルに入ってきたのとばったり会い、三津夫と挨拶。夏のような日差しだったので彼女はノースリーブの薄いワンピースという軽やかな出で立ちです。まずはお昼を食べましょうと、駅近くの職人村の中にあるレストランに入り、ニュルンベルクソーセージを頼みました。ここで彼女が食事をするのは初めてなのだそうですが、私たちも初めて。でも、とても美味しくて気に入りました。
昼食後、まずはゲルマン国立博物館に行きました。私が前回探して見付けられなかったペーター・デル(父)の「カルバリア」というレリーフを是非見付けたかったのです。エスターは自分の専門であるアクセサリー関係の作品を見たかったので、時間を決めてあとで落ち合うことにしました。今回も受付、インフォメーション、館員の6~7人に聞いて探し回りましたが、写真を見せてもやはりこの作品は見付けられませんでした。諦めるしかなさそうです。少し疲れてカフェに入り、一休み。
その後はマルクト広場に近い聖ゼバルドゥス教会を目指して歩きました。ここにはリーメンシュナイダーと同時代の作家、アダム・クラフトの彫刻があるのです。エスターと三津夫には待っていてもらって目的の彫刻だけ急ぎ写しました。
聖ゼバルドゥス教会の外壁にあるアダム・クラフトの彫刻
その後、エスターの住まいを目指して歩きましたが、結構な距離を暑い中歩いたので大分くたびれました。途中で彼女が作りたいといううどんと海苔巻きの材料をアジアンショップで購入。彼女の住まいに着いてからゆっくりと準備を始めました。まずはうどんをこねて寝かせ、だしを取ってめんつゆを作り、ご飯を炊いて酢飯を作り、キュウリとサーモンを切って海苔で巻きました。その後、うどんをもう一度こねてのばして、ゆでて…。なかなか忙しい夕べでしたが、こんな食事になりました。もう少しお野菜があったらよかったのですが。
毎回お断りしてはいませんが、オレンジ色の日付が入っている写真は三津夫の撮影です。
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