リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

166. 15回目のドイツ旅行(14)ニュルンベルクへ

2019年01月28日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(14)ニュルンベルクへ


職人村のシンボルの塔(ニュルンベルク)


朝早くの見送り、ありがとう。

 9月20日(木) ホールストとマリアンヌは朝9時にホテル上の坂に来てくれるということだったので、私たちは8時45分にホテルをチェックアウトして坂の上に着き、車を待ちました。朝早くの見送り、本当にお世話をかけます。55分には車が到着。道路が混むと時間がかかるだろうからと念のため9時に出ることにしてあったのですが、順調で9時10分にはシュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅に着いてしまいました。ニュルンベルク行きの列車は10時です。念には念を入れすぎました。ゆっくりと重たいトランクを持って階段を下ってまた上がり、それでも40分以上待つような時間。ベンチに座ってのんびりお喋りをしました。これなら家に寄ってコーヒーでも飲んでもらえばよかったとマリアンヌは言っていましたが、そうするにはゆとりがなさ過ぎましたのでしょうがありません。列車は遅れることもなくやってきて、10時には窓からお別れ。二人の健康を祈りつつ…。



 この日は列車も時間通りに11時25分、ニュルンベルク中央駅に着きました。ドイツで遅れることなく移動できるのは大変まれです。この駅にはエスカレーターもエレベーターもあると思っていたのですが、見付かりません。たまたま離れたところに下りてしまったのでしょう。しかたなくトランクを持って階段を下り始めたら、体の大きな若い男性が駆け寄ってきてトランクを下ろしてくれました。Danke!

 ホテルも駅の近くでそれほど迷わずに見付けることができ、午前中にも拘わらずチェックイン。部屋は少々狭いけれどもトランクを置くことができてホッとしました。ここでエスターと待ち合わせなのです。

 エスターとは、2018年の1月に軽井沢で会いました。彼女はジュエリー作家ですが、日本の文化に興味を持ち、2017年末から3ヶ月ほど日本に滞在して金継ぎや漆のことを学びたかったそうです。そして間を取り持ってくれる人がいて、漆作家の八代淳子さんの工房に研修に来たのです。八代さんとしてはエスターと英語でのやりとりは何とかできるけど、ドイツ語を話せる人はいないかしらと探していたようです。八代さんは娘の奈々子の先輩で、「それならうちの母がいますけど」と伝えたそうです。そんな次第で、娘と一緒に冬の軽井沢に行き、3日間彼女と八代さんとのやりとりを手助けしたという間柄です。エスターは若い素敵な女性で、しかもとても器用。八代さんの指導をすぐにのみ込み、作業できる人でした。そんな彼女の素直な人柄に好意を持ち、お互いに仲良くなって、「ニュルンベルクに行ったら会いましょう」と約束していたのでした。

 ちょうどフロントに下りたところでエスターがホテルに入ってきたのとばったり会い、三津夫と挨拶。夏のような日差しだったので彼女はノースリーブの薄いワンピースという軽やかな出で立ちです。まずはお昼を食べましょうと、駅近くの職人村の中にあるレストランに入り、ニュルンベルクソーセージを頼みました。ここで彼女が食事をするのは初めてなのだそうですが、私たちも初めて。でも、とても美味しくて気に入りました。


ゲルマン国立博物館と聖ゼバルドゥス教会

 昼食後、まずはゲルマン国立博物館に行きました。私が前回探して見付けられなかったペーター・デル(父)の「カルバリア」というレリーフを是非見付けたかったのです。エスターは自分の専門であるアクセサリー関係の作品を見たかったので、時間を決めてあとで落ち合うことにしました。今回も受付、インフォメーション、館員の6~7人に聞いて探し回りましたが、写真を見せてもやはりこの作品は見付けられませんでした。諦めるしかなさそうです。少し疲れてカフェに入り、一休み。

 その後はマルクト広場に近い聖ゼバルドゥス教会を目指して歩きました。ここにはリーメンシュナイダーと同時代の作家、アダム・クラフトの彫刻があるのです。エスターと三津夫には待っていてもらって目的の彫刻だけ急ぎ写しました。


聖ゼバルドゥス教会の外壁にあるアダム・クラフトの彫刻


うどんと海苔巻き

 その後、エスターの住まいを目指して歩きましたが、結構な距離を暑い中歩いたので大分くたびれました。途中で彼女が作りたいといううどんと海苔巻きの材料をアジアンショップで購入。彼女の住まいに着いてからゆっくりと準備を始めました。まずはうどんをこねて寝かせ、だしを取ってめんつゆを作り、ご飯を炊いて酢飯を作り、キュウリとサーモンを切って海苔で巻きました。その後、うどんをもう一度こねてのばして、ゆでて…。なかなか忙しい夕べでしたが、こんな食事になりました。もう少しお野菜があったらよかったのですが。



毎回お断りしてはいませんが、オレンジ色の日付が入っている写真は三津夫の撮影です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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165. 15回目のドイツ旅行(13)シュヴェービッシュ・ハルでの一日

2019年01月21日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(13)シュヴェービッシュ・ハルでの一日


 

シュピーゲル家での朝食


ゆで卵への愛

 9月19日(水) 前回、たまたまマリアンヌがチェックインに付き添ったときに私たちが朝食抜きで泊まっていることを知り、とてもかわいそうに思ったようで全部の食事を賄ってくれたのでしたが、今回も彼女は朝食を準備してくれました。体調の悪いマリアンヌに本当に申し訳ないことでしたが、ありがたくいただくことにしてホールストがホテル前の坂を上がった交差点に迎えに来てくれるのを待ちました。ホテルの前はいつも満車で車を停めるスペースがないのです。8時45分、約束通りに彼の車がやってきました。

 マリアンヌは昨夜よりは元気そうな顔で食卓を整えて待っていてくれました。笑ってしまったのはゆで卵の様子です。写真を見てください。動物の帽子をかぶったり、足がついていたりして何とも可愛らしいこと! 私の席には緑色の足のたまご君が待っていました(トップの写真)。

 でも、びっくりしたのはこの後出てきた”ゆで卵割り器”です。初めて見たときは「この道具、何に使うのだろう」と思っていたのですが、マリアンヌが「こうしてボールを上に持ち上げてから落とすのよ」とやってみせてくれたのです。すると、なんとまぁ、ゆで卵の頭がくるりんと割れて坊主頭になったのでした。彼女は2回目できれいに割れたのですが、三津夫がやったら1回でパカンと頭がむけたので大笑い(下の写真)。




 私はこのゆで卵割り器がとても気に入ってお土産に買って帰ろうと思ったのですが、その後どこのお店でも(あまりたくさん見て回ってはいませんけれども)見かけませんでした。今度マリアンヌに会ったらどこで売っているのか教えてもらおうと思います。


2冊の本をお世話になった方へ献本

 前日に時間を打ち合わせたのでしたが、マリアンヌが「ミヒャエル教会には献本しなくても良いのではないかしら。それよりもミドリがお世話になったゲーテ・インスティテュートにプレゼントした方が役に立つと思うのだけど」と言い出しました。ミヒャエル教会にはミッヒェル・エアハルト作の磔刑像があり、それを掲載する件についてはマリアンヌが教会に話をしてくれたので献本したほうがいいのだろうと思っていました。でも、彼女がしなくて構わないというのなら、3冊目の集大成でもあるのでお世話になったゲーテに献本もいいかなと考え直し、「そうしましょう」と決めました。となると、最初にゲーテ・インスティテュート、その後ハル・フランケン博物館に行くことになります。早速マリアンヌがゲーテに電話をして校長がいるかどうか確認してくれました。

 マリアンヌはお友だちの葬儀に出かけるのですが、その前に一緒に回ってくれるそうです。ゲーテ近くの駐車場までホールストが送ってくれたので、あとは歩きで回ります。マリアンヌの体調が気になりましたが、昨日よりは落ち着いた足取りなのでちょっとホッとしました。ゲーテに着いて懐かしい階段を上がると、受付へ。電話では校長のフラウ・ハウプトさんがいるはずだったのですがご不在で、秘書の方に手渡すと、大変喜んでくださいました。

 その後ハル・フランケン博物館へ。ここではパンサーさんが会議中だけれど、すぐに行くからとおっしゃっていたそうで、受付を通すと本当にすぐに下りていらっしゃいました。大変嬉しそうに「ハル・ウンターヴェールト門の紋章」を見てあれこれ質問され、話が弾みました。ここでマリアンヌとはお別れ。ホールストが彼女を迎えにきてくれるそうです。私たちはパンサーさんのご招待でそのまま博物館内をもう一度ゆっくり見て回りました。

 ホテルに戻るとマリアンヌが持たせてくれたパンやハムをサンドイッチにして昼食。昼食後は二人でホテル前のミヒャエル教会に行き、磔刑像を望遠レンズでしっかり写してきました。5時までしばし一休みして、再び坂の上の待ち合わせ場所へ。今夜は私たちがご招待するからと日本食レストランを探しておいたのですが、「ここに来たらドイツ料理を食べましょう。美味しいところに連れて行くから。あなた方はゲストなんだから気を遣わないこと」とたしなめられてしまいました。


茶色い畑を通り過ぎて…。

 二人がお薦めのレストランまで車で相当走りました。マリアンヌは車中ずっと「この夏は暑くて全く雨が降らなかったから畑がこんなに枯れた色で…」と残念がっていました。そう、いつもならドイツの畑はこの時期まだ青々していて気持ちが爽やかになる景色のはずなのですが、今年はドイツでも35度を超えて相当暑かったそうです。雨の降らなかった今年は、いつものようななだらかな緑の丘が見られませんでした。

 着いたレストランは Biebelsfeld のBesen wirtschaft でした。1ヶ月に3日間×2回しか開けないレストランだそうで、この日も早くからビール片手に語らい合う地元のグループで賑わっていました。私も三津夫も内容が推測できない料理だったので適当に選んで頼んでみたところ、大変大盛りで食べきれず、残してしまいました。次回は何と言われても1品だけ頼んで分け合おうと思います。ご馳走様でした!


 食後、レストランから出るとマリアンヌが歩いてどこかへ向かいました。どこに行くのかと思ってついていくと、小さな平屋の建物に入っていきます。中は工場のようで、マリアンヌの挨拶に答えて小柄な男性が出てきました。彼の名前はローマン・ヴェラー。マリアンヌが紹介してくれたところによると、彼はとても軽い飛行機を作っているのだそうです(写真・下)。一人か二人乗りの小さな飛行を注文に応じてこつこつと作っているようです。ホームページには修理も行うと書かれていました。ずいぶん面白い友だちを持っているなぁと思ったら、マリアンヌが所属するシュヴェービッシュ・ハルのフィルムクラブの仲間なのだそうです。彼女はこのフィルムクラブでずいぶん様々なフィルムを撮ったり編集したりしてきて、これが今、最も楽しい趣味なのだと話してくれました。近くまで来たのだから会っておきたかったのでしょうね。何も言わずにレストランで置き去りにしてしまったホールストも、ここに来たことがわかっているのかどうかと気がかりでしたが、ちゃんとこちらに車を回して中に入ってきました。予めそういう話ができていたのでしょう。



 帰りがけにまた彼らの家に寄り、小一時間おしゃべりしながらレストランの名前や料理の名前などを教えてもらいました。そして8時頃、二人でホテルまで送り届けてくれました。まだ明るかったので安心して送ってもらいましたが、明日またホテルまで迎えに来てくれるそうです。この2日間、何度も何度も私たちのために車を出すことを惜しまない姿には頭が下がります。ちなみにシュピーゲル家は町から少しはなれた小高い丘の上の住宅地にあります。町まで歩くと相当な時間がかかるでしょう。留学中はバスで行ったことがありますが、バス便は休日は特に少ないのでなかなか大変でした。いつまでも車が運転できるように、そしてまた何度も会えますようにと祈る気持ちです。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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164. 15回目のドイツ旅行(12)ウルムからシュヴェービッシュ・ハルへ

2019年01月16日 | 旅行

 

▶︎15回目のドイツ旅行(12)ウルムからシュヴェービッシュ・ハルへ

 

本を手に取るマリアンヌとホールスト

 

開館前のウルム博物館を訪ねました

 9月18日(火) 朝7時頃、朝食用のパンを買いに出ました。昨夜、どうも近くのサンドイッチ屋さんで買ったパンは味が今一つなので、自分の店で焼いている地元のパンやさんはないのかと探してみたのでした。すると、ウルム大聖堂の裏手の通りでStaibというパンやさんを見付けました。朝6時半から開店しているというので、このStaibまで行ってみたのです。ショーケースにはすでに沢山のサンドイッチが並べられていました。三津夫がハムサンドを選び、私はタマゴサンドにしてみました。合わせて5.3ユーロ。ホテルに戻ってコーヒーを入れて食べたらちょうど口に合うおいしさでした。次回ウルムに来ることがあったら、このパンやさんをひいきにしようと思います。

 さて、この日の朝には特別な用事がありました。ホテルの近くにあるウルム博物館に開館前の9時に伺い、「ウルムの美女」の画像を快く送ってくださったエヴァ・ライステンシュナイダー博士に面会するという約束です。ウルムに来た日は日曜日なのでエヴァさんはお休みです。月曜日は休館日。でも、もし火曜日の朝だったら8時には仕事場に入っているから会えますよというメールをいただいたので、9時にお目にかかる約束をしていたのでした。ドアの横にあるベルを鳴らせば良いと教えていただいてはいたのですが、ちょっとドキドキ。でもちゃんと返事があってエヴァさんがドアまで来てくださいました。小柄で、輝く笑顔が素敵な女性でした。中に入ると廊下で数人の館員の方々が打ち合わせ。学校の朝会を思い出しました。エレベーターで上がると、大きくはないけれど歴史を感じさせる部屋に案内されました。ここでしばし話を交わし、新刊本を手渡しました。こんな写真になりましたよと見せると笑顔でご覧になっていました。エヴァさんに、

「日曜日にはここにいらしたのですか? ノートであなたの名前を探してみたけれど何も書かれていなかったので。」

と言われ、普段、こうしたノートはよほど特別なことがないと書かずに済ませていたので、お世話になったところではきちんと一筆書くべきだったと反省しました。

 お仕事の邪魔になってはいけないので短時間で失礼して、ホテルをチェックアウト。トランクを転がしてウルム中央駅に向かいました。


初めて乗ったヘッセンタール行きの電車

 ウルムからはシュトゥットガルトで乗り換えてシュヴェービッシュ・ハルに向かいます。ここは2006年に半年間滞在してゲーテ・インスティテュートに通った思い出深い町です。木組みの家も多く、中世の雰囲気の残る小さな町。当時、交流家族として親しく面倒を見てくれたマリアンヌもホールストも、その後病気を繰り返し、大分年をとりました。それでも今回はシュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅までいつものように迎えに来てくれるというのです。ヘッセンタール駅はシュヴェービッシュ・ハルに行く途中の乗換駅で、私が留学していた頃はここから出ているバスで旧市街まで行ったものでした。

 今回、シュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅が終点という珍しい列車があり、今まではこんな列車はなかったのに…と思って乗ったら、新しいきれいな車両にびっくり(写真・下)。2016年に来たときまでは従来の古い車両だったのですが、色々と変化するものですね。


 

 

突発性難聴のマリアンヌ

 シュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅に着くとベンチに座っているマリアンヌとホールストが見えました。でも私たちを見付けて歩いてきた姿がいつもとは何か様子が違うのです。ホールストは一度脳梗塞で倒れてからは足下がふらつくことがありましたが、この日はマリアンヌの歩く姿が不安定で、思わず「大丈夫?」と聞くと、マリアンヌは2~3週間前から突発性難聴になってしまい、ふらつくのだというのです。

 私も教員時代に同じ病気にかかったことがあり、回りの人たちから「すぐに病院に行かないとダメよ」ときつく言われて翌日休暇を取って病院に行ったのでした。その後大分回復はしましたが、当時は耳の奥でいつもトラックが走っているような音がし、会話もよく聞こえず苦労したことを思い出しました。マリアンヌはめまいがしてふらつきが出るのと、自分の声が頭の中でズレて聞こえるので気持ちが悪くなる症状のようです。それなのに歓迎の昼食とケーキまで、沢山お料理してくれて、私たちを迎えに来てくれたのでした。胸が痛みました。ありがとう。


 この日は直接お二人の家に行き、いつものマウルタッシェン、カボチャスープの昼食をいただいてからゆっくり今までの事を話しました。そして翌日の予定を考えました。私の本に画像を掲載させていただいたミヒャエル教会とハル・フランケン博物館への寄贈用として本を2冊持っていったのですが、マリアンヌはお友だちが亡くなって明日の午後は葬儀が入ってしまったので、時間をどう調整するか、あちらこちらに電話を入れて考えてくれました。彼女は「今夜の夕食は家で食べるから」と準備してくれたので、一端ホテルにチェックインするためにホールストが車を出してくれました。急ぎチェックインして再びマリアンヌの待つお宅へ。


豪華な食卓


そしてマリアンヌお得意のツヴェッチゲン・クーヘン(セイヨウスモモのケーキ。辞書ではツヴェッチェン・クーヘンと出ていますが、シュヴェービッシュ・ハルではこう発音していました。)


 再びバラの咲くシュピーゲル家に戻ってからはベランダで二人の馴れそめも初めてじっくり聞き、「夕食は簡単なものよ」と言いながらもチーズやサラダをお腹いっぱいになるまで出していただきました。

 8時半頃、モニカがやってきました。彼女はホールストの元部下で、現在も毎週訪問してくるという私たちよりちょっと若い女性で、一緒におしゃべりの輪に加わりました。お子さんがいるらしいのにこんな夜遅くまでいて大丈夫なのかなと気になりました。マリアンヌの疲れた表情も気になり、9時半頃には失礼したいと申し出ました。するとモニカがホテルまで送ってくれるというのです。彼女に帰りの車の中で聞いたところでは、ホールストもマリアンヌも体の状態が万全ではないため夜の運転は無理だからと、最初から彼女が仕事帰りに寄って私たちを送る段取りになっていたそうです。そこまで皆さんにお世話になって、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで一杯になりました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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163. 15回目のドイツ旅行(11)「ウルムの美女」と大聖堂

2019年01月10日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(11) 「ウルムの美女」と大聖堂


ウルム大聖堂


ウルムのホテル探し

 9月16日(日)の続きです。

 ブラウボイレンからウルムに入りましたが、ホテルの位置がなかなか特定できません。ヴィリーはナビを使うより自分の感覚で運転したい人なので細かい住所には対応しにくいのです。大聖堂近くのホテルなのですが、一時停車した場所と私がプリントアウトしてきたホテルの地図との照合がうまくできず、皆に待っていてもらってあちこち走り回り、ようやくホテルとの位置関係がつかめました。ホテルに取りあえずトランクを預かってもらって、少し離れたところにあるという民間駐車場へ。でもここから駐車場への行き方がまた複雑でわかりにくく、結局、大聖堂の裏側にある駐車スペースに潜りこみました。ちょうど1台分だけ空いてて良かった!

 近くのレストランで簡単に昼食をとりましたが、ヴィリーはここでもすぐ側にいる若者たちに「どこか良いレストランは無いかな?」と聞いて「日本食の美味しいレストランがありますよ」と情報を得ていたのでした。こうしたポジティブな人柄はヴィリーの大変な長所だと思います。そこで、夕方待ち合わせてそのレストランに行き、ドライブのお礼にご馳走することにしました。二人はアンゲリカが見たいというモダン美術館へ、私たちはウルム美術館へと一端別れました。明日の月曜日は休館日なので今日のうちに「ウルムの美女」を見て写真を写しておきたかったのです。

*「ウルムの美女」は『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の152頁に掲載してあり、正式名称は以下のとおりです。

 Reliquienbüste der Heiligen Maria Magdalena, sogenannte „Schöne Ulmerin“ 聖遺物胸像、聖マリア・マグダレーナ、いわゆる「ウルムの美女」  


ウルムの美女との再会

 ウルムまで来た目的の第一は、この「ウルムの美女」をじっくりと見ることでした。前回は展示準備中で閉まっていた部屋をご好意で特別に開けていただき、急いで見ただけに、もう一度ゆっくり彼女と対面したかったのでした。やはりミッヒェル・エアハルト作の「ウルムの美女」は見応えがありました。特に洋服の腕や頭のかぶり物の彫刻が見事です。ちょっときょとんとしたような目は美人というよりはチャーミングといったほうが合っている気がします。この美術館には他にもハンス・ムルチャーの作品が多くあり、見所たっぷりです。でも内部の部屋の位置関係が複雑で、2回目なのに結構迷いました。途中で、ここはモダン美術館と繋がっているのだということがようやくわかりました。だから共通券も売っていたのですね。ヴィリーとアンゲリカとは出会いませんでしたが。

 夕方、ヴィリーとアンゲリカとホテルの近くで待ち合わせ。旧市街を通りぬけ、新市街へ向かって歩いて行くと、まだまだ木組みの家も残っていて、趣のある教会もあちらこちらに見かけました。着いたレストランの名前はSakura Sushi。旧市街中央からは十数分歩きましたが、とても落ち着いた清潔感のあるレストランで、しかもお寿司もおいしくてリーズナブルでした。お薦めです。住所は、。興味のある方は検索してみてください。


世界一高い大聖堂

 翌9月17日(月曜日)は、ウルム大聖堂で撮影をしました。これが二つ目の目的です。以前来たときには堂内が暗いのに三脚を持っていなかったため、写真はすべてぼけてしまっていました。ですから今回は三脚を持ってきたのです。

 ここにはハンスムルチャーの有名な「キリスト受難像」(ただし入り口の像は石膏で作られたレプリカで、教会内部にあるのがオリジナル。写真・下)があります。また祭壇の前の聖職者用椅子には、たくさんのミッヒェル・エアハルト(一部、入り口近くの3体はイェルク・ジュルリーン作。彼は椅子そのものを彫っているようです)の胸像彫刻があります。面白かったのは、片側に女性の胸像、反対側に男性の胸像が並んでいることです。女性は預言者で10体、男性はギリシャやローマの詩人・哲学者・弁士など8体だそうです。一つ一つの表情も興味深く、中には女性なのか男性なのか悩むものもありましたが、並びから見るとキリッとした女性のようです。

*以上、大聖堂パンフレットによる記述を元に書きましたが、誤訳の可能性があることをお断りしておきます。


 三脚で角度を変えながら写していると、「あなたは許可を取ってから写すべきですよ」とある男性から注意されてしまいました。そういった表示は見かけなかったので驚いて受付に行くと、撮影料として15ユーロを払い、しかも身分証明書を預けないといけなかったのだそうです。パスポートは部屋に置いてきてしまったのでホテルのキーをかわりに預けたら何とかOKしてくれました。ずいぶん厳しいものです。でも一端支払っておけば首からぶらさげるカードのようなものをもらえたような気がしますが、翌日でも撮影できると言われたので、本格的に撮影を続けたい人にはある意味ではありがたいルールなのかもしれません。

 正面の祭壇中央部分もイェルク・ジュルリーンとミッヒェル・エアハルト作となっています。宗教改革の聖画像破壊で大分壊されてしまい、辛うじて残った扉やプレデラ(元は個人蔵だった祭壇の)を取り付けてまとめたと書かれていました。



女性の並びにあった「きりっとした胸像」


 ようやく気が済むまで撮影してから、翌日の下見でウルム駅まで行ってみました。来るときにはヴィリーが車で運んでくれた重たいトランクも、明日は自分たちでころがしながら駅まで歩かなければなりません。駅周辺は工事中でしたから、下見をしておいて良かったと思いました。駅のフードコートにアジアンレストランがあったので、結局そこで昼食。ヴィリーたちと一緒の時は純粋にドイツ料理を取りましたが、二人になるとシュッとアジア食に戻ってしまいます。もうグルメの時期はとうに過ぎてしまって、お腹に慣れ親しんだ食べ物をとりたくなるものなのですね。


 午後はライン川まで出て、ゆっくりと散策しながら近くの景色を楽しみました。こんな素敵な家もありました。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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162. 15回目のドイツ旅行(10)ブラウボイレン修道院

2019年01月05日 | 旅行

 

▶︎15回目のドイツ旅行(10)ブラウボイレン修道院

 

ブラウボイレン修道院 緑色のとんがり屋根がきらきらと光っていました。

 

テュービンゲンで最後の朝食

 9月16日(日)、ようやく6人揃って朝食をとりました。ちょっと手狭なレストランに6人席を取るのは難しかったのですが、ヴィリーが頼み込んで席を確保してくれました。ゆっくりお喋りしながらの朝食時、クラウスが「君たちはブラウ・トプフを見たの?」と聞きました。何のことか全くわからずきょとんとしていると、ブラウボイレン修道院のすぐ裏側にある青いきれいな池のことだそうです。それがちょうど丸い鍋のような形に見えることからこの名前が付いたそうですが、2016年にブラウボイレンを訪ねたときにはその情報を知らず、素通りしていました。とてもきれいだから行ってみたらと薦められ、楽しみが増えました。

 食事が終わろうとする頃、シルヴィアがちょっと緊張した面持ちで「みどりにお願いがあります。」と言うのでなんなのかとこちらも緊張しました。「来年は結婚式でお金を使ってしまうので、その後お金を貯めたら是非二人で日本に行きたいから、日本語をもっと練習したいのです。1週間に一度スカイプで日本語で話し相手をしてもらえませんか。」との要望でした。ドイツと日本では7時間(夏時間の4月~9月)の時差があります。普段働いている彼らがいつならパソコン前に座れるのだろうと思いましたが、土曜日の夜中、12時なら大丈夫とのこと。それなら私が日本で日曜日の朝7時にパソコン前に座ることになり、いつもよりは1時間早起きをしなければなりません。でも、彼女の熱意に打たれて了承しました。私もドイツ語の勉強では生(なま)のネイティブとの会話が大事だと痛感しているからです。10月からは朝8時にスタンバイすれば大丈夫なので何とかできるでしょう。

 

 

ブラウボイレン修道院へ

 クラウスとシルヴィアとはホテルの前でお別れ。彼らは明日から又仕事なのでシュトゥットガルトに戻ります。ヴィリーとアンゲリカは既に年金生活をしているので時間が取れることから車でウルムまで送ってあげると言われて、お言葉に甘えることにしていたのでした。ブラウボイレンはウルムの少し手前にあります。私たちは翌日、ウルムから電車で行く予定を組んでいたのですが、ヴィリーとアンゲリカがついでに寄って行ってくれるというのでこれまた便乗させてもらいました。でもこの日は日曜日。観光客も多くて近くの駐車場になかなか空きがなく、少し離れたところでようやく駐車することができました。ブラウボイレン修道院は撮影禁止だったため、重たい一眼レフは車の中へ置いたままで。

 修道院に着くと、ミッヒェル・エアハルト作の祭壇の写真を送ってくださった担当者アンドレアさんは休暇中とのことで、受付の若い女性がラベンダー石けんとメッセージを手渡してくれました。会えなくて残念だけど楽しんでくださいと書かれていました。そこにちょうど通りかかった女性が「あなたがあの本を書いた人ですか? 素晴らしい本ですね」と握手を求めてきたのも嬉しいプレゼントでした。2016年には一人4ユーロ払った入館料も今回はフリーで、ありがたく中に入らせていただきました。

 でも、何か変です。以前はあちらこちらに書かれていた「撮影禁止」の注意書きがどこにも見当たらないのです。他の参観者も躊躇無く撮影をしています。受付に戻って「2年前は撮影禁止だったはずですが、今はどうなのでしょう?」と聞くと、「今は大丈夫です、どうぞ撮影してください」という返事。あら~、それならまだ手元に無い画像を写すチャンス、逃すわけにはいきません。一眼レフカメラを車から取ってきたいとヴィリーに申し出たところ、自分が行ってくるといって、車まで取りに行ってくれました。いつもながら彼の親切には頭が下がるばかり。その間に小さなデジカメであれこれ撮影していると、ヴィリーが汗をかきかき小さなトランクと三脚を運んできてくれました。感謝!! 天井も含めて細かな作品もできるだけ撮影させてもらいました。私にとっては二度と無い貴重な時間でしたが、三津夫やアンゲリカ、ヴィリーは時間をもてあましたようです。ごめんなさい。

 

ブラウ・トプフ

 撮影を終えて皆で修道院の裏手にある池に向かいました。ありました、ありました。本当に青いきれいな池です。教会の姿が池に映り込んで絵葉書のようです。入り口まで戻ると、3人がまたまた撮影に時間を取る私を並んで待っていてくれました。もう頭が上がりません。

 

 

 

まさに青いお鍋!

 

いつもお待たせしてごめんなさい。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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