リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

190. 16回目のドイツ旅行(2) マリエンベルク要塞へ 

2019年09月29日 | 旅行

 ▶ペーター宅訪問とマリエンベルク要塞

 

ヴュルツブルクのマルクト広場に建つマリア礼拝堂

◆ペーターの好意に甘えて 2019年7月17日(水曜日)

 時差の関係で私は4時過ぎに、京子さんも6時頃には目が覚めて、まずは朝食。京子さんが持ってきていたお餅をいただきました。ペーターの様子に今日は自分たちでヴュルツブルクの町中を見て歩くつもりでしたが、マリエンベルク要塞には車で行ってくれるというのでそこは好意に甘えて、10:38のバスで出かける予定にしました。食品や水などを買う必要があったので、朝食後にまずは近くのREVEというスーパーマーケットまで買い物に出ました。スーパーは朝7時から開いています。野菜やベーコンを買い、これでベーコンスープを作ると朝晩のおかずになります。水類は駅や街のスーパーで買うと重くて大変なのでコロコロ(小さなキャリーバッグ)を持って行ってREVEの裏側にあるREVE飲料水専門店で買いました。ここは駅の3分の一ぐらいという安さで買えました。水道水は日本茶に渋が出やすく、味も今一つになることが前回の旅でよくわかったので、今回は水を買い置きすることにしたのでした。ただ、京子さんとは初めての旅行なので食の好みがよくわかりません。パンは好きなようなのでパンとお米も買って宿に戻りました。

 久しぶりのバスです。前回2016年にこの休暇用アパートに泊まったときは毎日のようにバスに乗っては近郊の街に出掛けたのでした。でもバス停までの近道を忘れていて愕然としました。何とかバス停には到着しましたけれど…。駅から歩いてマリア礼拝堂、ドーム、ノイミュンスターと回って、マルクト広場で京子さんは早速お子さんやお孫さんのお土産を買い込んでいました。バスの回数券を買うためにドーム前の交通事務所に行きましたが、このときもこの辺にあったはずと思っているのに見落として行ったり来たり。何と記憶力の衰えていること…。バスの往復一日券は1人5.2ユーロ。前回より0.2ユーロ値上がりしていました。6回の回数券を買うと11.2ユーロですから1往復分は約3.7ユーロと割安になります。これと9時以降のバス・トラム・各駅停車の列車などが何回でも乗れるバイエルンチケット(2人用で32ユーロ)を使いわけることで近郊への旅は割安にできるのです。

 主要な教会を見て回った後でペーターに電話をすると、いつも行く寿司レストランKAHで待っているというのでてっきり一緒にお昼を食べるつもりなのだと思っていまいました。ペーター・イングリッド夫妻に一度はお礼にお寿司をご馳走するのが習いとなっていて、今回はこのあと通院や手術でその機会がないことがわかっていたので今日の夜ご馳走するつもりでいたのですが。でも、京子さんと一緒に旧マリエン橋を渡ってKAHまで行くと、ペーターが車の中から手を振っています。ただ単にここなら車を停めやすいということでここを指定したのだそうです。その後お宅に向かい、イングリッドとハグをして、日本からもってきたお土産を渡しました。そしてイングリッドが季節の最後というシュパーゲル(アスパラガス)トースト(写真:下)を作ってくれて美味しくご馳走になりました。アスパラガスはこのあともう手に入らなくなるのだそうです。京子さんはこの味は忘れられないと感激していました。食後のデザートのケーキ、コーヒーまで一気にいただき、夜の再会を約束して一端お別れ。



◆マリエンベルク要塞へ

 いつもならペーターが率先してフランケン博物館の中まで連れていってくれるのですが、今回は足が痛むから外で待っていると言います。中に入ってみたら、今まで何回も会っている受付の方々とは顔ぶれがすっかり変わっていました。ペーターも今年の1月までは不定期に働いていたけれど、今は完全リタイアしたのとメンバーも入れ替わっているのとで、今までのようには中に入りにくいのだろうと納得しました。

 京子さんの気の向くままに館内を歩き、外へ出てみるとペーターは外のカフェでウトウトしていました。彼とこのフランケン博物館(旧マインフランケン博物館)で出逢ったのはちょうど20年前だったと思い出しました。お互いに年をとるのも無理ないなぁと感じます。世界で一番リーメンシュナイダーの作品を見られるこのフランケン博物館でずっと便宜を図ってくれていたペーターに心の中で手を合わせました。この後、京子さんが見たいというレジデンツまで車で送ってくれてペーターとは一端お別れ。私はこのレジデンツも何回かはいっているので外のベンチで休んでいることにしました。メールをチェックしたりしている内に京子さんが庭に戻ってきたので、しばしお喋りをしてからKAHに向かいました。6時少し過ぎにレストランに入ると、2人はすでにビール(ノンアルコールです)を飲んで待っていてくれました。それぞれ食べたいおすしやチャーハンを選び、おしゃべりをしながらゆっくり夕食。手術の後でもっと痛みなく歩けるようになると良いなと願いながら。

 夕食後はペーターとイングリットが宿まで車で送ってきてくれました。京子さんは今日がお別れ。私は三津夫とまたヴュルツブルクに来るので、病院にお見舞いに行くことを約束し、いつも本当にありがとうとハグしながら見送りました。宿に戻った途端、私は疲れが出てバタン・グー。2時間ほど眠ってしまったようです。その間に京子さんはシャワーを済ませ、私が目を覚ますのを待っていてくれたのでした。明日の朝の時間を確認してから彼女はベッドへ。私はシャワーを浴び、翌朝のためにベーコンスープを作って床に就きました。

 そうそう、今回の旅で初めてトライしたことがあります。それはグローバルWi-Fiを成田空港で借りていき、どこでもインターネットができるようにしたのです。その分スマホ2台分ぐらいの機械が荷物に入るので重たくはなりますが、必要なときにいつでも連絡が取れるようになったのは本当にありがたいことでした。空いている時間やローカル列車の中でも検索ができますし、メールを書いたり送ったりできるのは助かりました。1日あたり500円ほどかかるのですが、もっと安くなってくれると嬉しいですね。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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189. 16回目のドイツ旅行(1) ヴュルツブルクからスタート

2019年09月24日 | 旅行

▶チラシができてすぐに出発

ヴュルツブルクの旧マイン橋

 

◆暑い夏の旅

 2019年7月16日(火曜日)。日本はまだ本格的な暑さではなかったのですが、ドイツに着いたら真夏日でした。この数日後にはパリで40℃を超えたとか。三津夫と合流する25日までは友人の京子さんとの2人旅。京子さんとは、2008年の『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版後に出会い、「いつかリーメンシュナイダーの主要作品を見たい」と何度も私に言っていました。今年はちょうど7月にシルヴィアの結婚式に出席するという用事があり、ドイツに行くことが決まったので、京子さんに一緒にこの頃旅に出られるかどうかと尋ねました。すると大丈夫との返事。そこで結婚式に先行して9泊10日間、二人で主立った作品を見て回る旅を計画したのでした。ヴュルツブルク郊外にあるゲルブルンという休暇用アパートに8泊しながらの旅だったので日程は体調や諸般の事情によって変わる可能性がありましたが、目的地は以下のとおりです。

①ヴュルツブルク市内 フランケン博物館、マリア礼拝堂、大聖堂、ノイミュンスター等
②ヴュルツブルク郊外 マイトブロン、リンパー、フォルカッハ
③ローテンブルク
④クレークリンゲン
⑤ニュルンベルク、バンベルク
⑥ミュンヘン
⑦フランクフルト

 フランクフルト空港についてまず最初のドタバタは私の腕時計が止まっていたことから始まりました。機内で時差を調整した後リューズがしっかりはまっていなかったようで、ホームで特急を待ちながら時計を見て、まだまだ次の列車かなとのんびりしていたら、京子さんが「この列車ではないんですか?」と気づいたのです。彼女の時計と私の時計の時刻が違う! あわてて目の前の特急列車に乗り込んだのでした。ヴュルツブルクの駅ではペーターがいつものように待っていてくれることになっていたので、これを逃したら何十分も待たせてしまうところでした。京子さんに感謝、感謝。時計のリューズを再度しっかりはめ込んで、その後は止まることはなかったのでしたが冷や汗をかきました。

 何回来たのか数え切れないほどのヴュルツブルク中央駅。一昨年頃、ようやくエレベーター工事が始まっていて、長距離列車のホームはすでに完備したので、私たちはホームの後ろ側から下りました。ペーターには手紙で伝えてあったにも拘わらずいつものように中央の階段側で待っていてくれたようでした。でも、私たちが下りてこないので変だと思って回ってきてくれたようです。ロビーでちょうど彼が歩いてくる姿が見えました。でも何だか今まで以上に足を大きく引きずっています。足が痛むのだと顔をしかめながらトランクを持とうとするので、一番小さなコロコロトランクをお願いして私も京子さんも自分たちでトランクを運びました。歩きながら聞いたところによると、今月末に股関節の手術をすることになっているのだそうです。そんな時に無理させてしまって申し訳ないと胸が痛みましたが、それでも迎えに来てくれるのが彼の気持ちなのだとありがたく受け止めることにしました。幸い、車の運転には差し障りが無いそうです。

 宿は2016年に泊まったゲルブルンのアパートです。ヴュルツブルク中央駅からはバスで約20分。歩いて6~7分ですので、大きなトランクを持っての移動はなかなか大変。でもペーターのおかげでいつも助かっています。彼が明日も迎えに来てくれるというので、アパートの前でお別れ。宿のオーナー夫妻が迎えてくれました。2階まで重たいトランクをいつも運んでくださるので感謝です。支払いを済ませ、何かあったらいつでもどうぞと言って1階のお住まいに戻って行かれました。ここは玄関が一つで、中に入ってから1階がオーナーご夫妻の住居、2階がアパート2室とユーティリティー、3階が下宿の女性の居室となっているようです。彼女とは時々顔を合わせますが、アパートの清掃を引き受けているようでした。何かあってもすぐにSOSが出せるところがとても安心です。

 京子さんがロフトのベッドを使い、私はリビングのソファーベッドを使ってゆっくり過ごすことにしました。早速彼女が持ってきてくれた素麺を茹で、簡単な夕食を食べてこの日はそれぞれシャワーを浴びてから就寝。京子さんとの旅は初めてなので、少々緊張もしますが、今日は彼女に助けられての旅の初日となりました。もう少ししっかりしないと。

 

◆大変遅くなりましたが、第22回自費出版文化賞の記事をここにアップしておきます。

 

 この受賞式は10月に行われます。多少のアピールが許されたので4分ほどリーメンシュナイダーの追いかけ人として話をしてきます。

 ※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

 

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188. 第22回自費出版文化賞 特別賞受賞

2019年09月08日 | 自己紹介

▶まずはご挨拶から。

フランクフルトにあるお店のワゴン


◇ご無沙汰していました

 7月13日の記事をアップした後、長いご無沙汰をしてしまいました。7月16日からドイツへ16回目の旅をしてきて、8月14日に帰国しました。その間の様々なできごとや思い出は次号から徐々にアップしていきたいと思います。この間の写真は旅の写真を入れていきますので、よろしくお願いいたします。今日は嬉しいニュースを書いておきます。


◆2019年9月5日のことでした。

 9月5日の朝、メールを開くと丸善プラネットの白石好男さんから「自費出版文化賞 特別賞」 受賞のお祝い というメールが届いていました。慌てて夫の元に駆けつけ、彼の見ている朝日新聞朝刊をのぞき込むと、確かに特別賞の最後に、


▽「祈りの彫刻リーメンシュナイダー3部作」福田 緑


と書かれていました。夫が悔しがることといったら。彼はいつも朝ゆっくりと新聞を読みます。1面から順番に見ていってあと少しでこの記事が載っていた29面にたどりつくところだったのです。自分が第一発見者になることが大好きな彼は、「先を越された」と大変残念がっていましたが、それと同時に大変驚き、二人して喜び合いました。というのも、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』は入選、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』も再度トライしましたがやはり入選、「それなら3部作で今年は出してしまおう。これでもダメならあきらめよう」と、3冊揃えて3度目のトライをしたのですが、夫はまず入選止まりだろうと言っていたのでした。3冊そろったことで、やっと何とか20年かけてリーメンシュナイダーを追いかけてきた私の仕事が認めていただけたということなのでしょう。

 そもそも、自費出版にせざるを得なかったのは、2008年に『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版しようと、あちらこちらの出版社に掛け合ったときに、ある方から言われた「リーメンシュナイダーなんていうマイナーな作家の本を誰が買うと思いますか?」という言葉がきっかけでした。「そう言われてしまうのなら、少しでもリーメンシュナイダーの名前を世間に知らせるしかない」と自費出版を決意し、写真集でも大丈夫と誠実な価格で応じてくれたのが丸善プラネット株式会社だったというわけです。この本は「とても自費出版とは思えない」と言われながらも内容的には反省の多い本でした。その後、自分で撮りためた写真を中心に掲載した同じ体裁の続編、続々編とリーメンシュナイダー・シリーズの出版を丸善プラネットにお世話になる中でチームとしてのまとまりができてきて、昨年は出版を記念する会まで設けてくださったのでした。
 そのチームリーダーの白石さんが、こうしていち早くメールを書いてくださったことにも深く感謝しています。その後、続々とお世話になった方々からメールが届き、大変幸せな一日でした。もっとも、特別賞と言っても賞金はなく、賞状と記念品をいただけるだけですが、チラリとでも朝日新聞のこの小さな記事を目にした方々に、「リーメンシュナイダーって誰だろう?」と思っていただければこんなに嬉しいことはありません。このブログに書こうと思いながら既に3日たってしまいましたが、ここでご報告しておきます。
 

このお店の長い歴史に驚きました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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