リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

317. 17回目のドイツ旅行(45) フライブルクからブライザッハ往復

2023年02月28日 | 旅行

▶今日はブライザッハまで往復します。



ブライザッハの聖シュテファン大聖堂(教会・修道院56)

 

▶ブライザッハは3回目の訪問です。

 今日はブライザッハのシュテファン大聖堂(教会・修道院56)にあるマイスターH.L. 作と書かれている祭壇の詳細をもう一度目に焼き付けたくて出かけました。ここは撮影禁止の教会なので雰囲気をおぼろげながら覚えていてもなかなか詳細は思い出せないからです。おそらくこれが最後の訪問になるでしょう。


◆2022年10月17日(月曜日)9720歩
 昨日チェックインしたときに、朝食をどうするか聞かれて体力が落ちていた私たちはここでは頼んでも良いかなと判断して申し込んでおきました。6時半に起床、45分頃に食堂に下りたらまだ空いていて、丁寧に「お一人17ユーロかかります、よろしいですね?」と確認され、サインを求められました。ブライザッハへの列車は9時2分発なのでゆっくり食べられます。品揃えも一通りあって悪くない内容ですが、でも2人で34ユーロと考えると高いですね。今のレートでも約5,000円ですから。いかに普段安上がりの朝食で節約しているのか再認識させられます。

 三津夫はこのブライザッハへの往復を楽しみにしていました。以前来たときは花が咲き乱れてとても気持ちの良い沿線の景色だったのを覚えていたからです。ところが今回は花も見当たらず、畑は刈り取られた後の土の色でしたのでガッカリしていました。調べてみたら初めて来たのが2012年の4月でしたので、その印象がずっと残っていたのでしょう。2回目に来たときは2016年の10月で、今回とほとんど変わらない季節でしたが、確かにここまで寂しい景色ではなかったような…。今夏の異様な暑さも関係していたのかもしれません。

 小高い丘の上のシュテファン大聖堂に着くと、大きな菩提樹が黄葉していました(写真下)。


 私たちが着いた時にはこの菩提樹の下で十数人のツアー客たちがガイドさんの説明を聞いていたので、先に周りの景色を見てから中に入りました。すると少し残っていた人がしきりに写真を写しています。入口には目に入るようにちゃんと「撮影禁止」という札が立っているにも拘わらずです。平気なのか、余程うっかりで気が付かなかったのか。どこの国にもこういう人たちがいるけれど、やはり嫌な気持ちになります。その一方、これだけの文化財を写してはいけないと言われるのもやはり残念なことだなと思います。

 マイスターH.L. の祭壇は印象に残っていたより大きく、近くでじっくり見て味わいました。ショーン・ガウアーが描いたフレスコ画はコロナ禍で修復でもしたのでしょうか、以前は全体像が見えにくかったのですが、この日は案外はっきり見えたように思えました。


 ブライザッハ駅への帰り道でもドラッグストアを探しましたが、歩いた範囲では見つかりませんでした。

 


フライブルク大聖堂(教会・修道院57)


▶今日もフライブルクの町を歩きました。

 フライブルクに戻り、買って来たお昼を部屋で食べ、仕切り直して再び町へ向かって歩き出すと、すぐにドラッグストアがあるのを見つけました。「のど飴はありませんか」と聞くと、下の写真ののど飴を「これは添加物は入っていません」と勧めてくれたので早速購入、一粒口に入れてみました。外で待っていた三津夫にも1つ。素直な味で効果がありそうです。しばらく咳がひどかったり喉が痛かったりしたときにはこののど飴が助けてくれると思って気分が楽になりました。


 今日はフライブルク大聖堂(教会・修道院57 写真・上)と大聖堂美術館で三津夫が見たい作品があるというのでどちらも訪ねることにしました。もしかしたら美術館は月曜日で休館しているかもしれませんが。

 最初に美術館を探してみました。ホテルのフロントで聞いた場所には見当たらず、関係しているらしい名前のホテルがあったので入ってみました。その受付の人が「Erzbischöfliches Diözesanmuseum という美術館はないのです。主な作品はいろいろな美術館に貸し出されているんです。でも一番多くの作品がアウグスティーナー博物館に展示されていますよ」と教えてくれました。「そうだったんですね」と腑に落ちました。

 そこであとはゆっくり見学しようと、大聖堂に入りました。主祭壇の近くまで入るには1人2ユーロ払わなければなりませんでしたが、ありました、ありました。祭壇の「マリアの戴冠」はハンス・バルドゥング・グリーンが描いたもので、彼の作品としては大変有名なものだそうです。彼が描いたにしては天使たちは皆、素直に演奏したり歌ったりしているようでした。昨日見たアウグスティーナー博物館の「Schmerzensmann von Maria und Engeln beweint」(マリアと天使たちが嘆き悲しむキリスト受難像 ← 私の勝手な意訳です)では、40体を超える天使たちがみんな嘆き悲しんでいるのです。中には傷ついたキリストの腕にしがみついて口をへの字に曲げながら泣いている天使もいます。本当に表情豊かです。このバルドゥング・グリーンの描写力には目を惹かれますが、当時の画家として彼の表現は相当異端扱いされたのではないかとも思えます。







フライブルク大聖堂(教会・修道院57) 主祭壇 ハンス・バルドゥング・グリーン 1512~1516年(写真:緑)

 また、堂内の壁に沿ってズラッと並ぶ礼拝堂の中にも同時代の彫刻家の祭壇がありました。この大聖堂で良い作品をじっくり見ることができたので、大満足の1日となりました。


フライブルク大聖堂、ロヘラー礼拝堂「庇護マントの祭壇」
 シクスト・フォン・シュタウフェン 1521/25(写真:三津夫)

 

▶帰国に当たっての難題


 部屋に戻って一息ついたところで JAL からのメールに気が付きました。「帰国する人は全員答えてください」という厚労省からの質問票です。明日はトーマスとルースにも会うし、コロナでないことを書かねばならないだろうしと考えて、もう一度3回目の抗原検査をしました。私たちが発熱してから4~5日目ですが、今回も陰性だったのでまず大丈夫だろうと安心して取りかかりました。この後のドタバタについては、以下のブログに書いておきましたのでご覧になってみてください。

  273. 17回目のドイツ旅行(1) まずはご報告から


 ホッとしたところで夕食は結局パンを買ってきて食べました。
 
 明日は最終宿泊地フランクフルトに向かいます。帯状疱疹で苦しんだトーマスに会えるのは嬉しいけれど、ちゃんと歩けるのかどうかと気がかりでもあります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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316. 17回目のドイツ旅行(44) インスブルックからフライブルクへ

2023年02月27日 | 旅行

▶今日からフライブルクで2泊です。


フライブルクの夕暮れ


▶今日からフライブルクに2泊します。

 今日の目的はまずインスブルックからフライブルクに移動し、アグスティーナー美術館に行ってマウホのレリーフや他の後期ゴシック彫刻家の作品を見ることでした。
 また、フライブルクの旧市街には多くのマークが路上にタイルではめ込まれています。それらのマークをできるだけたくさん写してくることももう一つの目的でした。

◆2022年10月16日(日曜日)5266歩
 5時半に目覚ましをかけておきましたが、「夜中の咳がずいぶんひどかったよ」と言われたように、自分でも度々咳で目が覚めてあまりよく眠れない晩でした。熱は2人とも平熱に戻って一段落でしたが、咳のひどさに「このあと大丈夫かなぁ、コロナじゃないよね?」と不安が募ります。

 パンを食べて7時15分にはホテルをチェックアウト。地下に通じるエレベーターで駅に出たところ、トイレの入口でお掃除のおばさんが怖い顔をして「出てけ、出てけ!」とモップを振り回しながら怒鳴っています。若者たちがお金を払わずにトイレに入ろうとするのを防ごうとしているのです。もしかしたらそのお金もないのか、あるいは節約しようとしているのか、これも難民問題が関わっているのかもしれないと思うと辛い光景です。

 今日の旅程はインスブルック中央駅7時47分発の RJX に乗り、10時23分に Sargans 駅に到着、 Sargans 駅を10時53分の ICE に乗り換えて13時46分にフライブルク中央駅に到着するという段取り。両列車とも2時間以上の乗車となるので座席指定を取っておきましたし、乗り換えも30分あるので余程のことがなければ大丈夫でしょう。2人とも完全復調ではないので座席を予約しておいて良かったと思いました。結局最初の列車が遅れたので乗り換え時間は10分しかありませんでしたが、スロープで下って上って移動できました。ハンブルク・アルトナ行きなので混んでいるのではないかと思いながら乗ったのですが、がら空きでした。
 それにしても階段だけしかなかったら大変でしたが、せめてスロープが使えてホッとしました。日本の私が普段利用している駅にはほとんどがエレベーターか、エスカレーターか、あるいは両方ともが設置されている駅が多いのですが、ドイツなどの海外旅行先では、しばしば大きなトランクを持って階段を上り下りしなければならない駅が多いのが残念です。私の第二のふるさとシュヴェービッシュ・ハルに行くために通るシュヴェービッシュ・ハル・ヘッセンタール駅はその一例です。ヴュルツブルク中央駅もそうでしたが、ようやく数年前にエレベーターが開通しました。


▶フライブルクに来るのは4回目です。

 フライブルクではインターシティホテルを予約しておいたのでイビスよりは部屋が広めだと期待していたのですが、入ってみるとほとんど同じ広さで窮屈だったのが残念でした。それでも午後3時より前に着いてもチェックインできたのは助かりました。
 荷物を置いてから町に出ました。まず最初に遅めの昼食としてケバブを食べ、路上のマークを探しながらアウグスティーナー博物館目指して旧市街に向かいます。マークはずいぶんたくさんあって次から次へと出てきますが、そのうちに目新しいマークも増えてきました。これはお金を出して最近作ったのだろうと思えるものはやはり魅力が今一つです。古くからあるのだろうと思われたマークをここにいくつか載せておきます。










フライブルクの路上のマーク


▶アウグスティーナー博物館(美術館・博物館㉚)でお宝発見

 こうして道草を食いながらようやくアウグスティーナー博物館にたどり着いたときは汗をかくほど暑くなっていました。そのためロッカーに上衣とリュックを入れて回り始めたところ、今までの疲れと寒さとでまた腰がミシミシ痛み始めたのです。「全く懲りないわね!」と自分を叱りました。この博物館はもと教会の建物です。こういった昔の教会建築は冷えるということをすっかり忘れていたのでした。後半はベンチに座って休みながら歩き、三津夫が閉館時間ギリギリまで歩き回るのを見て「こんなに回復して良かった」とは思いつつ、早く暖かい外に出たいと思いながら待ちました。マウホのレリーフもしっかり見られましたし、三津夫のお気に入りとなったハンス・バルドゥング・グリーンの「燃える矢を持つアモール」も大変興味深い絵でした。
 閉館間際、受付であれこれ見ていた三津夫が見つけたのはアウグスティーナー博物館のカタログでした。トランクが重くなるからどうしようかなと悩んでいましたが、「明日は休館日だし、買うなら今日しかないと思うけど」と私が言うと、ついに決心して購入。今夜はこのお宝を眺めて十分楽しめるはずです。

 帰りがけに小さなお寿司屋さんを見つけたので持ち帰り用パックを握ってもらい、部屋に戻りました。三津夫は美味しかったと言い、私は今一つかなと思いましたが、考えてみるとフライブルクでこのように職人さんが握って作られたお寿司は初めて食べたように思います。

 明日は日帰りでブライザッハに行ってきます。そして月曜日になるのでどこかで絶対にのど飴を買います!

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315. 17回目のドイツ旅行(43) インスブルック最終日はゆっくりと

2023年02月26日 | 旅行

▶今日はインスブルックをゆっくり歩きました。







インスブルックの黄金の小屋根


▶インスブルック最終日

◆2022年10月15日(土曜日)5384歩
 昨夜は夜中にひどく咳が出て、それでも眠ったようですが、三津夫も咳が出るので気になりました。起きた後、三津夫が「すごく喉が痛いんだ」というので、これもかかりつけの先生からいただいていた漢方薬を勧めました。私も咳がひどいので同じ漢方薬を飲んでおきました。のど飴が欲しいのですが、持って来たのど飴は既に食べ尽くしてしまいました。列車で移動中の時など口に入れたくなるのですね。もっとたくさん持ってきていれば良かった。ちょうどのど飴の必要性が最高に高まったときに運悪く土曜日、つまりドラッグストアも開いていない可能性が高いのです。

 この日、もう一度2人揃って抗原チェックをしてみたら陰性でした。「2回OKだったのだから大丈夫だよね。多分急な風邪の症状だったのかな」と判断し、お昼前にパンを買い出しに行きました。三津夫も少し元気が出てきたようで「黄金の小屋根」に行ってみようかと言い出しました。

 今日で3回目となる同じ通りを通って途中の噴水や建物を写したりしながら以前も見たことのある「黄金の小屋根」に到着(トップの写真)。もうコロナなどなかったかのようなマスク無しの人々が大勢来ていました。私たちはまだ咳もひどく出るのでマスクは外せません。三津夫も2日前よりは普通に歩くことができていてホッとしました。





 その後大聖堂に回って見たところ、工事中で入れませんでした。11月中旬から開くそうです。これにてインスブルックの散策は終了。まだ私の体調は回復中で足取りも今一つ重めでしたから。

 ホテルに戻るまで常にドラッグストアがないか気にしていたのですが、見当たりません。2人で中央駅の地下におりて夕食用にチャーハンを買い(結局懲りずに中華かサンドイッチです)、明日の朝食用のパンも買ってホテルに戻りました。
 
ここインスブルックで3泊確保していたときにたまたま2人とも体調を崩したのは、結果的にとてもラッキーだったと思いました。これが1泊か2泊の場所だったら熱がありながらの移動で大変だったと思うのです。計画では今日行ってくるはずだったイタリアのシュテアツイングには次回の旅で行きたいと思っています。

 1つ朗報が入りました。18日か19日、私たちがフランクフルトにいる間にルースとトーマスが会えそうだとのこと。「いつが良いかしら」と問い合わせがあったのでした。アンゲリカが送ってくれた私の上衣もその時に持って来てくれるそうです。最後まで三津夫のトランクに残っていた『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』の写真集もトーマスとルースに手渡しできることになってホッとしました。最終日では慌ただしいので「18日のお昼までにはフランクフルトに着いているから、この日にホテルで会いましょう」と返事を出しておきました。ただ、2人でこんなに咳ばかりしていたら申し訳ないので一抹の不安も残ります。


 明日はドイツのフライブルクに移動します。いよいよ旅も終盤です。

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314. 17回目のドイツ旅行(42) ザルツブルクからインスブルックへ

2023年02月25日 | 旅行

▶今日はインスブルックへの移動日。



インスブルック、宮廷教会(美術館・博物館㉘)「Elisabeth von Gärz-Tirol」
  Leonhard Magt 作  Sesselschreiberとその工房鋳造 1516年(写真:緑)

 

▶今日からインスブルックに3泊します。

 今日の目的はインスブルックのチロル州立博物館フェルディナンデウムで
  9)ミヒャエル・パッハーの祭壇画「聖ラウレンティウス教会」の部分を見ること
  10)エラスムス・グラッサーの「祈る10人のシスター」を見ること
でした。


◆2022年10月13日(木曜日)8656歩
 朝起きると、三津夫が「昨日は暑くて気分が悪くなっちゃって…。ソファーに移ってみたりしたけど全然眠れなかったよ」と疲れた顔で言います。私は眠れないほどではありませんでしたが、確かに暑めではあったので、部屋が暑すぎて温度調整ができなかったのだと考えて調べたらお風呂場の前の壁にエアコンのスイッチがあるのがわかりました。「今度から暑かったり寒かったりしたときはこれで調節するといいのよ」「そうか、気が付かなかった」と話しながら朝食を食べました。

 8時56分発の RJX に乗ってからも三津夫はずっと眠っています。相当疲れているようです。2時間弱でインスブルック駅に到着。ホテルがどの方向か確認するまでトランク番をして待っていてもらいました。今日は Ibis ホテルなので駅に直結しているはずなのですが、位置がわかりにくくてようやく見つけられました。受付でトランクを預け、三津夫にはソファーで待っていてもらい、私はオーストリアに来てから書きためていた絵はがきを出したくて切手を買いに出ました。今回は古い『地球の歩き方』(オーストリア版)を持って来ていたため、駅から500mほど歩いたところにあるはずの郵便局はすでに無く、歩いて戻ってきたらなんとホテルの真ん前に大きな郵便局があったのでした。ほんの少し角度が違って全然気がつきませんでした。ここでやっと葉書を出すことができました。

 ホテルに戻ってから二人で町へ。通りから見える景色はやはりひと味違って山の近くだと感じます(写真・上)。三津夫はまだ足取りが重い感じです。最初にお昼を食べにパン屋さんに入り、シュニッツェルサンドを取ったのですが、食欲が湧かないようでほんの少ししか食べませんでした。何だか心配です。

 その後、今日の第一の目的、チロル州立博物館フェルディナンデウム(美術館・博物館㉘)に入館しました。これがガッカリだったのです。館内修復中とかで、0階と3階しか鑑賞できず、そこには私たちが見たかった後期ゴシック彫刻はなかったのでした。しかも三津夫の疲れもますますひどくなって足取りの重いこと。残念だったけど帰ろうと歩き出して、私は「この人がこんなにゆっくり重い足取りで歩く姿を見たことがない」と危機感を持ちました。しかもどんどん小幅になっていくのです。今にも倒れてしまいそう。「熱でもあるんじゃないの?」とおでこを触ってみたら熱いのです。ホテルの部屋に戻って体温計を渡したら37度~38度台を行ったり来たり。「これはもしかしたらコロナ?」と不安になって2人で抗原検査をしてみました。以前一度試しにやっていたので検査の仕方はわかっていました。でも2人とも陰性の結果が出てまずはホッとしました。とりあえず熱が出たときに飲むと良いと言ってかかりつけの先生からいただいていたカロナールを1錠飲んでもらうとすぐに寝てしまいました。
 私は万が一彼が陽性となったらどうすれば良いのかと気になって、出国前に加入した旅行保険の文章を調べてみました。病院を探してくれたり緊急の場合は入院の手配をしてくれたりするのかと期待したのですが、どうもそういう項目は見当たらず、必要な場合には間に立って通訳をしてくれると書いてあったように思います(今、こう書きながら私の読み方が足りなかったのかと思い始めましたが、もう冊子を処分してしまって手許になく、確かめられません。もし違っているよという方は教えてください)。今日は取りあえず様子を見ていて病院に連絡する必要まではないだろうとは思いましたけれど、高いお金を払った割りにあまり頼りになりそうもないなという印象だけが残りました。

 夕方5時ごろ、ときどき目を覚ましながらも始終ウトウトしている三津夫が食べられそうなものを買い出しに行きました。こんな時は冷たくて喉ごしの良いプリントやゼリー、アイスクリームなどが良いのですが、なかなか程よいボリュームのものが見つかりません。仕方なくバニラアイスクリームの大カップ(日本のインスタントラーメンぐらいの)とバナナ、ミニトマト、ブドウを買って部屋に戻りました。この頃は部屋から駅まで最短コースで出るルートもわかってわりと楽でしたが、途中の階段なども食べ散らかした跡があったりして町の印象はあまり良くありませんでした。
 三津夫の目が覚めたときにアイスクリームを3分の一ほど食べ、少しテレビを付けたりし始めたのでホッとしましたが、冷蔵庫のないこの部屋でアイスクリームの残りは捨てるには忍びないので私が食べるしかなく、日本のように小さなカップが何で売られていないのだろうと恨めしく思いました。三津夫も「さっきの薬を飲んだら楽になった」というので8時ごろにもう1錠カロナールを飲んでもらい、私も念のため早くシャワーを浴びて床に就きました。


▶今日は動けるかしら?

◆2022年10月14日(金曜日)4271歩
    三津夫が少しでも元気になったら市内をゆっくり回ろうと思っていたのですが、朝はまだ38.6度あったので諦めました。7時ごろにバナナを1本食べ、皮をゴミ箱めがけて投げて「はずれた」と苦笑し、カロナールの3錠目を服用。8時ごろはまたすやすやと眠っていました。本来の計画では今日の目的は、
 11)宮廷教会にある28体のブロンズ彫刻を見ること
だったのですが、無理かもしれません。無理だったらこちらを明日に回して、元々明日に予定していた
 12)イタリアのシュテアツィングまで出かけてハンスムルチャーの「聖ウルスラと聖母子像」を見ること
という目的は次回の旅行に計画し直すしかないだろうと考えていました。

 私も昨夜は寝苦しい気がして心配でしたが、朝、熱を測ったら36度台だったのでホッとしました。このまま2人とも落ちつくことを祈ります。二度目に彼が目覚めたときにもう一度抗原検査をしてもらったところ、また陰性でした。やはり風邪だったのか疲れが出たのかと思えるようになりました。ところが私も何となく頭や肩が重い感じがし始めました。熱は36度台と37度台を行ったり来たり。それでも動くことはできたのでパンを買いに行って朝食を食べました。お昼頃になると三津夫も少し気分が良くなったようで「宮廷教会に行ってみようか」と言い出しました。それならと2人で出かけたのです。

 
▶宮廷教会の彫刻群は圧巻でした。

 いよいよ今回の旅でもマウホ作品の次に大きな目的だった宮廷教会(美術館・博物館㉙ ここは教会の建物の美術館と数えました)の彫刻群を見られます。28体の中にはファイト・シュトース、ハンス・ラインベルガー、そしてペーター・フィッシャー(父)が関わった作品があるとわかっていたので楽しみでした。私はある女性像が特に見たかったのです。それがトップの写真エリザベートです。パンフレットによると彼女の名前は Elisabeth von Gärz-Tirol (日本のウィキペディアでは「エリーザベト・フォン・ケルンテン・ゲルツ・ウント・ティロル」と書かれています)。1313年に没した彼女を彫刻したのはレオンハルト・マークト、鋳造したのは ギルク・ゼッセルシュライバーとその工房だそうです。何とも若々しく、気品のある王妃です。夫はアルブレヒト1世。




インスブルック、宮廷教会(美術館・博物館㉙)「Elisabeth von Gärz-Tirol」
  Leonhard Magt 作  Gilg Sesselschreiber とその工房鋳造 1516年
(上の2枚の写真:緑)






「Graf Albrecht Ⅳ. von Habsburg」  ハンス・ラインベルガー作 Godl 鋳造  1517/1518年


Theoderich, König der Ostgoten」 Artusmeister 作  ペーター・フィッシャー(父)鋳造  1513年


「Zimburgis von Masowien」  ファイト・シュトースとSesselschreiber 作・鋳造 1516年


インスブルック、宮廷教会 「皇帝マクシミリアンⅠ世の墓廟」 Ludovico del Duca 作  Hans Lendenstreich 鋳造
 (ここまでの6枚の写真:三津夫)

 この彫刻群はマクシミリアンⅠ世の墓廟を囲むように設計され作られたそうですが、皇帝には相当な借金があってインスブルックの滞在を拒否されていたとかで、ウィーナー・ノイシュタットの聖ゲオルク教会で母親エレオノーレのもとに埋葬されたそうです。ウィーナー・ノイシュタットに行った時にマクシミリアンⅠ世の墓碑を見た記憶がなく、もっと歴史を勉強してから行くべきだったと今頃反省しています。


▶今日は私が寝込みました。

 宮廷教会からの帰り道、今度は私の足が重くなり、頭も肩も痛いほどで参りました。28体の彫刻群を一眼レフカメラを高めに持ち上げて三脚無しで写すうちに腕もふるふると震え始めたので、その筋肉痛なのか、風邪の症状なのかわかりませんでした。辛うじて残っている体力で昼食兼夕食を買って帰り、ホテルに戻って体温を測ったところ37度台から38度台を行ったり来たり。ちょうど三津夫の後を追いかけるように同じ症状に悩まされました。加えて咳が出始め、喉が痛くて辛くなりました。私も1回目のカロナールを飲んで一眠り。夕方には37度台に落ち着いてホッとしました。今日は私が2度目の抗原検査、やはり陰性でした。この状態では明日も遠出は無理だと観念してゆっくり過ごすことにしました。

 こんな時に帰国時の手続きを見てみたらMy SOSは既に使えなくなっていました。これをインストールして入力するのに大変な時間と労力を費やしたのに腹立たしいことです。ただ三津夫が使っているタブレットは古く、インストールすらできませんでしたが。そして新たに厚労省が用意したアプリをインストールしようと試みたところ、メールアドレスのパスワードが「英大文字+小文字+数字+記号で10桁以上必要」だと受け付けてくれません。「そんな面倒なパスワードに今さら変えられるもんですか!」と腹が立ち、もう対面でやるしかないと投げ出しました。

 明日はゆっくり過ごして2人の体調を取り戻し、せめてフライブルクでは予定通りに動けたらと願います。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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313. 17回目のドイツ旅行(41) リンツからザルツブルクへ

2023年02月24日 | 旅行

▶今日はリンツからザルツブルクに移動します。


ザルツブルク、ホーエンザルツブルク城(美術館・博物館㉖)
  

▶ザルツブルクは3回目の訪問です。

 今日の目的はザルツブルクで
  8)ノンベルク修道院にあるグラッサーの「聖霊降臨祭の奇跡」を見ること
です。
 ザルツブルクには以前にも来たことがあり、今回で3回目です。主な観光名所は見ていたのですが、今回、この町のノンブルク修道院に興味深いエラスムス・グラッサーの作品があることがわかったので再度の訪問を計画しました。


◆2022年10月12日(水曜日)20337歩
 昨日は6時半に食堂に下りたら混んでいたので、今朝は6時15分頃下りてみました。すると2~3人しかゲストはいないのです。不思議なことにその後も混雑せずに静かでした。曜日によって忙しさが違うのか、昨日はたまたま何かの仕事があって大勢泊まっていたのか、不思議です。ゆっくり食事をいただき、部屋に戻ってユーレイルパスに列車を登録すると、昨夜はできなかったのにあっさり入ってくれました。まだまだこのパスの正体が掴みきれません。

 8時10分に部屋を出てチェックアウト。受付には宿のペット、雄猫のベリッキーが定位置に丸まって寝ていました。ゆったりした部屋でありがたかったとお礼を述べてリンツ・ドナウ中央駅に向かいました。6番線A-Cに上がるともう列車が来ていたので乗り込んで入口側のテーブル席に座りました。荷物も荷棚に入れられたところでホッとすると同時に列車が動き出したのです。「あれ? 違う列車に乗っちゃった?」と慌てて行き先を見たらちゃんとザルツブルク行きでした。どうやら私たちがせっかちなので、いつものようにゆとりを持って出てきたため1本早い列車に乗ってしまったようです。それ自体は良いのですが、今日はスムーズにユーレイルパスに列車登録ができたため既に次の列車用のチケットが発券されています。「どうしよう? 入れ替えられるものかしら?」あたふたしながらトライしてみたら、ちゃんとキャンセルできたのでした。今までキャンセルできないと思い込んでいましたので、これは大収穫でした。修正が効くならデジタルチケットも悪くはありません。ユーレイルパス、見直しました。最初は「もう二度とデジタルパスなんかにするものか」と怒ってばかりでしたけれど、1か月も使っていて慣れてきたら案外便利なものです。次回もデジタル・ユーレイルパスで行くことになりそうな予感がしてきました。


ベリッキー どこが足やら手やら頭やら?

 ザルツブルク中央駅に着いたのは9時48分でした。大きな新しい駅舎の前は雨で濡れていました。地図を頼りに数分歩き、ホテルにも無事チェックイン。トランクを預けたら受付横のスペースに置いてくれたのですが、仕切りもなく、チビコロが一番手前で誰でもサッと持って行けそうな気がして不安でした。ちょうど傘を出し忘れていたことに気が付き、戻って傘を出してからチビコロを大きなトランクの奥に置き直しました。

▶旧市街までは結構歩きます。

 以前来たときは駅の旧市街側のホテルだったのですが、それでも旧市街までは大分歩きました。今回は更に距離があり、遠く感じました。まず最初に聖ペーター修道院の墓地に入ってみました。そこから墓地を抜けてホーエンザルツブルク城(美術館・博物館㉖ 写真トップ)に繋がる歩道に入ることができるのでした。結構な急坂です。息を切らしながらやっとお城の門にたどり着くとチケットを買って中に入るシステムです。一人10.6ユーロのベイシックカードを購入。門の奥はザラザラと滑りやすい砂地で、壁際に板を打ち付けた歩道がありました。気をつけながら歩き、ここで相当腰に来ました。私たちはこのお城の中にノンベルク修道院があると何故か思い込んでいたのでした。でも、お城の中には小さな教会はありましたが修道院は見当たらず、ノンベルク修道院まで更に30分歩くと書かれていてガッカリしました。

 時間と体力を消耗したかなという感じで門を出て、更に坂道を上がっていく途中、細い崖っぷちの道をトラック2台がすれ違おうとしているところにぶつかりました(写真:下)。「絶対無理でしょう!」と思いながら見ていたらお互いにギリギリ譲り合い、何とかすれ違うことができたときは思わず拍手。


▶ようやくノンベルク修道院に着きました。


ザルツブルク、ノンベルク修道院(教会・修道院54)


修道院内の女性像 パンフレットがなく、詳細はわからず。(写真・下)(写真:緑)


 やっと今日の目的のノンベルク修道院(教会・修道院54)には着いたのですが、中にはグラッサーの「聖霊降臨祭の奇跡」は見当たりませんでした。どこかに修復にでも出しているのでしょうか。グラッサーのカタログにはこの修道院にあると書かれていたのに残念です。

 旧市街まで下って小さな道を入ったところにある中華料理店でお昼を食べました。焼きそばにチャーハンを食べたら美味しかったので二人でペロリと平らげました。

 お昼を食べて落ち着いたところでザルツブルク大聖堂(教会・修道院53)に入ることにしました。
 大聖堂では5ユーロ払ったのですがあまり興味のある彫刻はなく、隣の大聖堂美術館(美術館・博物館㉗)に入りました。2016年に来たときに大聖堂にも、大聖堂美術館にも入っていますが、その時は気が付かなかったことがありました。この美術館は大聖堂からスタートしてフランツィスカナー教会や聖ペトロ教会の美術品まで続けて見ることができる合同の美術館なのでした。
 途中で目にとまった聖ペトロ教会の展示作品にオットーボイレンのマイスターが制作した祭壇がありました。残念ながらここだけは撮影禁止だったため写真も写せなかったので詳細は覚えていないのですが、祭壇全体の地色が黒で塗られているとても不思議な雰囲気の祭壇なのです。これがオットーボイレンベネディクト修道院に戻るのであれば次回の旅行でもう一度見ることができると思うのですが。
 もう一点目がとまったのはグレゴール・エーアハルト作の「磔刑像」が展示されていたことでした
。これは個人蔵の彫刻で貸し出し展示となっています。以前からあったものか、2016年以降に展示されるようになったものか定かではありませんが、この磔刑像はリーメンシュナイダーにも通じる雰囲気を持っていました。

 じっくり回っての帰り支度で三津夫が何だか慌てています。彼の青い上衣が無いと言うのです。リュックの中にも無くロッカーにも無い、どこかで落としたかもしれないと。確かに午前中は着ていたのを覚えていますし、お昼を食べたときに脱いで…、「あ、あのレストランだ」と思い出し、大急ぎでお店に戻りました。もうお店のドアはしっかり閉まっていて部屋には灯りも点いていません。どうしよう。「Hallo!」と大きな声で何回か叫ぶうちに中の灯りが点きました。ドアが開いてお店の女主人が笑顔で青い上衣を手に持って出てきてくれたのです。二人して何度もお礼を言い、ホッとしてお店を後にしました。お店の人が親切で本当に良かった。滅多に忘れ物をすることがない三津夫も、忘れ物をしょっちゅうする私も、揃って上衣を忘れて慌てるという旅となりました。
 見残したフランツィスカナー教会(教会・修道院55)のパッハー祭壇をじっくり見てからホテルに戻ることにしました。

 ホテルへの帰り道で迷ってしまいました。ちょうど姿を見かけた男性に駅の方向を聞くと、駅ならずっと戻って右に曲がらないとと言われ、戻っては人に聞き、また別の人に確認してようやく見慣れた道に戻って安堵しました。
 駅のスーパーで今夜と明日のサンドイッチとバナナとおやつのポテトチップスを買い、ホテルにチェックインしました。幸いトランクは大2個、小1個とも無事に残っていました。部屋は広々してきれいで、使いやすそうです。珈琲メーカーも置いてあり、使い方がわかったので、珈琲をゆっくり飲んでくつろぐことができました。

 

▶さすがに疲れました。

 それにしても今日はこの旅で2回目の2万歩越え。やはり疲れました。でも嬉しかったのはこのホテルの部屋にはバスタブが付いていたことです。今夜ばかりはお湯を溜めてゆっくり浸かることにしました。おかげで腰を温めることができて大分楽になりました。

 明日はオーストリア最後の宿泊地、インスブルックに向かいます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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312. 17回目のドイツ旅行(40) リンツからフラウエンシュタインの旅

2023年02月23日 | 旅行

▶今日はフラウエンシュタインまで出かけます。



フランエンシュタイン・バイ・モルン、教区巡礼教会(教会・修道院52) 遠くからはとても高い山に見えました。 


▶今日はリンツからの日帰りの旅です。

 今日の目的は、リンツからフラウエンシュタイン・バイ・モルン(以下フラウエンシュタイン)に行って 
  7)巡礼教会にあるグレゴールの「庇護マントの聖母子像」を見ること
でした。
 
ここもビーゼルバッハ同様に、地図上では位置が確かめられてもバスを降りてからどの位歩くのか見当が付きにくい教会で少々不安でした。今回の旅で一番冒険になるだろうと思っていたのはチェコのアダモフ、二番目がオーストリアのマウアー、そして今日訪ねるフラウエンシュタインが三番目でした。ビーゼルバッハはドイツ国内だし、アウクスブルク駅から直行のバスにさえ乗れたら何とかなるという安心感もあって四番目と位置づけていました。さて実際はどうだったでしょうか。

 

◆2022年10月11日(火曜日)15516歩
 今日は久しぶりにホテルでの朝食です。6時少し前に目覚めたので食堂に下りたのは6時半頃でした。まだ早いかなと思いながら食堂に行くとなんと活気あふれる光景でしょうか。仕事着の男の人たちが10人ほども来ていてどんどんパンがなくなり、みんなすごい勢いでおかわりして食べています。パンやおかずを補充する女性が忙しく立ち働いています。そして私たちが食べ始めようとする頃に男性たちはサーッと出ていったのでした。これから一斉にどこかのお仕事が始まるような感じがしました。もしかしたら地域の人々の朝食を賄うホテルなのかもしれません。
 ヨーグルトと炒り卵は見あたりませんでしたが、ゆで卵、ハム、チーズ類、トマト、パプリカに果物と内容も潤沢でした。目が欲張ってオレンジを取ったらこれはまだ堅くて食べにくく、三津夫が取ったマンゴーのような色と形をした果物は美味しい梨でした。

 リンツ・ドナウ中央駅を7時57分発の IC に乗ってしばらくしたときのこと。何と昨日のニコニコ車掌さんがまた検札に来て「今まで元気でしたか」と言うのです。朝から気分良く「はい、元気です」とやりとりして元気になりました。約40分でキルヒドルフ・クレムス駅に到着。ここからバス433番の Steyr City Point via Molln 行きで Molln Steyr Marktstraße で下車すればよいようなのですが、ここも運転手さんに聞いて確かめないと不安でした。乗るときに「フラウエンシュタインの教会に行きたいのですが」と言うと、合図するからと言われました。

 バスに乗っているときに段々不安になったのは、遠くの小高い丘の上に教会の尖塔が見え隠れしてきたことです。もし、あそこがフラウエンシュタインだとすると結構高い場所にあります。歩いてどれだけ上らなければならないのでしょう。バスが走っている道路自体も少しずつ上り坂にはなってきましたが。
 運転手さんに「ここですよ」と言われて下車したバス停は予想していた通りの Molln Steyr Marktstraße でした。9時18分にバスを降りました。バス代は2人往復で11.2ユーロ、乗車時間は28分ほど。ビーゼルバッハに行った時は40分乗って17.6ユーロで高いと思いましたが、順当だったのかもしれません。

 さて、どれだけ歩くことになるのかまだ想像は付きませんが、私は長いことこの庇護マントの聖母子像を見たいと願ってきたので何時間かかろうと上らなければ。少し歩くとフラウエンシュタインへの登り口の表示が立っていました。




フランエンシュタインへの標識


 上の写真でカメラを構えている三津夫の右側の道に曲がって歩き始めました。数分坂を上ったところで黒い乗用車が来て横に止まりました。運転していた女性が窓を開けて「どちらまで?」と聞きます。「教会まで行きたいのですが」「それならどうぞ乗ってください。私もそちらに帰るところですから」と親切に声をかけてくれたのです。私たちも嬉しくなって乗せていただきました。「助かります」とお礼を言うと、「ここは不便なんですよね。でもとても良いところなんですよ。私はここで生まれて今も住んでいるんです」と言い、しばらく上ったら「教会はこのすぐ上です」と車を止めてくれました。本当に天の助けとはこのことです。フラウエンシュタイン教区巡礼教会(教会・修道院52)はすぐそこに見えていました。

 恐る恐る教会の扉を開けようとすると開きません。「あら、鍵が閉まっているのかしら?」とドキドキしてきました。念のためもう一度ゆっくり落ち着いて押したらちゃんと開きました。中に入ると人は誰もいません。教会の中央にはグレゴール特有の眼差しのマドンナが幼子イエスを膝に抱き、天使たちがマントを広げて中にいる信者たちを守っていました。グレゴールの父親であるミヒェル・エーアハルト作「守護マントの聖母像」(『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』表紙、127~134頁)はマリア様自身が凜と立ってマントを広げていました。人々を守る強い決意を表しているような姿でしたが、こちらの聖母は座して諦めたような悲しいような雰囲気を漂わせています。マリア様のお顔も作者の思いが反映するのだと思いますが、グレゴールはどんな気持ちでこのマリア様を彫っていたのでしょうか。






フランエンシュタイン、教区巡礼教会「庇護マントの聖母子像」 グレゴール・エーアハルト 1510年頃 (写真:三津夫)


教会の前に貼ってあった案内。皆さん。どこか「あれ?」と思いませんか?

 

▶帰りは歩かないとね。

 ゆっくり撮影させていただき、回りの表示も読んで帰り支度。幸い帰る前にお手洗いも使えたことですし、空は曇っていましたが心は爽やかでした。坂道を上ってくるエネルギーを使わずに済んだので、下るぐらいは自分たちの足で歩かなければ。でも回りの景色が美しいので疲れを感じませんでした。

 ※なお、上の写真では大事な聖母子像が裏焼きなんです。うっかりしてしまったのでしょうね。




フラウエンシュタイン、シュタイア川


 バス停まで戻ってきたのは11時少し前でしたが、11時44分まで待ってバスに乗車。キルヒドルフ・クレムス駅で20分ほど列車を待って午後1時過ぎにリンツまで戻ることができました。

 ホテルの部屋に荷物を置き、町へ出て昼食に良いところはないかと歩くと Tokyo という回転寿司があったので入ってみました。一皿の値段がわからないのでどこまで食べて良いか不安でしたが、2人で合計7皿食べて28.9ユーロでした。味は良かったのでまぁ体験料と思うことにしましょう。その後、昨日は休館していたリンツ城博物館(美術館・博物館㉕)を目指して歩きました。地図ではその辺にあるはずなのにどうも見つからず、最後は裏口の崖下に着いたのでした。結局そこから石段を155段も上がる羽目になってしまい、入館した時にはぐったり。

 館内の展示はなかなか面白く、巨大な動物たちと一緒に写真を写したりして楽しみました。最後に後期ゴシックの彫刻がたくさん出てきました。三津夫は何度もカタログで見ていた Passau、Kefermarkt、Altätting などのマイスターと名前が出ていると感激していました。 私には Kefermarkt の作家以外はまだあまりなじみがありませんでしたが、貴重な作品群だったと思います。


リンツ、城博物館(美術館・博物館㉕)こちらが正面でした。


▶明日はザルツブルクへ移動します。

 ザルツブルクはドイツとの国境近くに位置し、今までにも何回か出てきた大理石の産地でもあります。明日はリンツからザルツブルクに向かいます。 

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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311. 17回目のドイツ旅行(39) ウィーンからリンツへ移動

2023年02月22日 | 旅行

▶今日はリンツに移動します。



リンツ、新大聖堂(教会・修道院㊿)


▶今日はウィーンからリンツに移動し、ここで2泊します。

 今日は月曜日のため美術館、博物館は開いていません。そのため、今日の目的はリンツ市内の教会や史跡をたずねて明日に備えます。明日訪ねたいフラウエンシュタインに行くにはリンツから列車とバスを乗り継いで行くのが一番便利そうだったからです。

◆2022年10月10日(月曜日)10577歩
 朝6時ごろに目覚めて残り物で朝食とお昼のサンドイッチを作り、冷蔵庫の中をからっぽにしました。片づけておいた珈琲メーカーを元の場所に戻し、原状復帰OK。着るものにはここ数日悩まされましたが、基本は厚着に、暑くなったら脱げば良いと考えて出発しました。

 8時40分頃ホテルを出て一歩外に出たら冷たい風でやはり寒いのです。厚着で良かった。窓から腕を出しただけではあまり風の冷たさはわかりませんね。列車は9時15分発のドルトムント中央駅行きの ICE です。始発なので早めに行き、後部車両に乗るとまだ空いていました。パッサウからの予約席が空いていたので、その手前のリンツ/ドナウ中央駅で下りる私たちはテーブル席に座ることができました。これなら安心してサンドイッチも食べられるのに、今日は10時11分には下車です。回ってきた車掌は私たちを日本人とみて「ありがとう」と笑顔で言うので周りに笑いが起きました。でもなんで日本人だと思ったのでしょうね。アジア系の人間は判別しにくいと思うのですが。ユーレイルパスには国籍まで出ないので不思議です。


▶ホテルはとても親切でした。

 今回のホテル Hotel Lokomotive は駅から少し奥まっていて、見つけるまで時間がかかりました。駅のそばで赤い蔦の葉を集めていた老婦人がそれとなく私たちを見守ってくれていたようで、どこかなと見回していると「どちらまで?」と聞いて、案内してくれました。小さなホテルでした。ここまでのリンツの町の雰囲気にちょっと安心しました。

 ホテルに着いたのは11時前だったので「荷物だけ預かってください」と窓口に申し出ると、受付の男性が「もう掃除が済んだ部屋があるかもしれない」と言いながら探して2階の部屋の鍵を渡してくれたのです。そこまでは結構今までにもありましたが、入ってみたら何と4人部屋だったのに驚きました。ベッドも4つあり、トイレとバスルームが別になっているので助かります。どこにどうやってトランクを置いたら良いかと悩むほど。結局10分ぐらいしてそれぞれのトランクを広げる場所を決めて落ち着きました。使わないベッドは汚さないように気をつけながらここで2泊します。しかもここは朝食が料金に含まれているのです。親切なホテルで良かったと思いました。

 

▶リンツの町歩きは初めてです。

 リンツは以前ウィーンからメルクまで列車と船で往復した時に船で通り過ぎた町で、歩くのも泊まるのも初めてです。地図を見ながらまずはリンツの新大聖堂(教会・修道院㊿ トップの写真)に向かいました。この町には旧大聖堂と新大聖堂があり、今日は両方回る予定です。




リンツ、新大聖堂のステンドグラス

  リンツの新大聖堂内ではたくさんのステンドグラスが目を惹きました。このステンドグラスを写している間に段々人気の少ないところに来てしまいました。ふと気が付いたら男の人が1人来ていて「私はこんなにたくさん子どもが国にいるのです。食べるものを送ってやりたい」と家族の写真を目の前に突きつけてお金をせがみました。手を振ってごめんなさいと謝って参観者の多い場所に急いで戻ると、それ以上付いては来ませんでした。そのあとはできるだけ一人にならないように心がけましたが、大聖堂内でも気を抜けないのだと再認識しました。難民の方々の困窮は理解できます。私たちも日本から寄付を送っていますが、それで良いと開き直る気にもなれず、かといって1人1人対応していたらとてもやりきれません。目の前の現実に重い感覚が残ります。


 新大聖堂の前にはベンチがあり、ちょうどお昼時でもあったので持って来たサンドイッチと果物を食べました。朝とは打って変わって暖かいお天気です。

 ヨハネス・ケプラーが数学の講義を行ったという旧リンツ大学の中庭に入って「惑星の泉」を見たり、素敵な花屋さんやチョコレート店を見たり。このチョコレート店では少しお土産を買いました。




上:リンツの通りで見かけた花屋さん 下:お洒落な看板のチョコレート店



リンツ、旧大聖堂(教会・修道院51)


リンツ、旧大聖堂 手前はザルツブルクの大理石です。

 リンツ旧大聖堂(教会・修道院51)では歴史を感じました。内陣席も1脚1脚に彫刻が施され、当時の技術の粋を集めたものと思われます。私が強く興味を引かれる後期ゴシックスタイルではないのですが、立派な大聖堂です。ヴェニガーさんに説明を受けたザルツブルクの大理石も使われていました。
 その堂内で「聖イグナチオの水」が売られているのに気づきました。どうも足によく効くようです。そこでフランクフルトのトーマスのために一瓶買い求めました。トーマスの家には旅行の最後に1泊する予定でいたのですが、9月後半にトーマスから「今回の宿泊は申し訳ないけれど無理なので取り止めたい」とメールが来たのでした。理由が書かれていないのでどうしたのかなと気になっていたのですが、つい2~3日前にお連れ合いのルースからメールが来て、トーマスは足にできた帯状疱疹のために尋常ではない痛みで苦しんでいたのだけれど、ようやく少し回復の兆しが出てきたので多分旅行の最後にはちょっと会う時間が取れるだろうというのです。ホッとすると同時にそんなひどい帯状疱疹もあるのだと驚きました。ですからトーマスの足に良さそうと思ってこの聖水を買った次第です。


午後のドナウ川のほとり

▶このあとはのんびりした午後のひとときを過ごしました。

 旧大聖堂を見た後はドナウ川のほとりに出てみました。流れの穏やかな川です。向こうの丘の上にはお城もあるようです。この流れの左手にはリンツ城博物館があるのですが、明日の午後、時間があったら行こうと話しあいました。

 その後はゆっくり町の目抜き通りを歩き、途中でカフェに入ってリンツァートルテと珈琲で49回目の結婚記念日をささやかに祝いました。小さなスーパーを見つけたので明日の果物などを、ノルトゼーで魚のフライが入ったサンドイッチを夕食用に買い、ホテルに戻ろうとすると曲がる道がわからなくなっていました。駅に近くなって次第に人通りも増え、公園で過ごす難民らしき人々の姿も増えています。スマホで検索し、何とか方向を見定めてしばらく歩くとようやくホテルの前の通りに出ることができました。リエージュやアーヘンではなかなか使いこなせなかったスマホのアプリですが、少しは使えるようになってきたようです。

 明日は長いこと見たかったフラウエンシュタインの聖母子像を見に、この旅で3番目の冒険に挑みます。

※教会・修道院のナンバーは丸囲み文字が終わってしまったので51番からは数字で書いていきます。 
※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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310. 17回目のドイツ旅行(38) ウィーン市内の美術館巡り

2023年02月21日 | 旅行

▶今日はゆっくりウィーン市内を巡ります。



ウィーン、マリア・テレジアの像

 

▶今日はウィーン最後の日。

 今日の目的は、オーストリアで見たい作品
  6)美術史美術館で後期ゴシックの彫刻をしっかり見ること
でした。
 今までウィーンに来たときに主要な美術館を一通り回って見ていましたが、今回は新たに知った後期ゴシック時代の彫刻家たちの作品が美術史美術館でも何点かあることを確認し、再度訪ねることにしました。そのうちの何点が実際に展示されているのかわかりませんが、1点でも多くみられたら満足です。

▶今日も S バーンで旧市街に向かいます。

◆2022年10月9日(日曜日)14057歩
 卵とマッシュルームの炒め物をし、その余熱で昨夜作ったお握りを温めて食べたら、固くなっていたお握りも美味しく食べられました。
 昨日はとても暖かかったので今日はやや薄着で出かけたのですが、これが今日の間違いの一つ目。外に出たら案外風が冷たくて、歩いているうちに体が冷えてしまいました。

 今日も S バーンで Wi
en Mitte まで乗り、歩き始めました。昨日はタクシーの往復で思いがけず現金が出てしまい、残っているユーロが少々心細くなっていました。まだ10日ほどあちらこちら回るのに残金を気にしながら動くのはきついので、ウィーン旧市街に行ったら両替をしようと思っていました。Wien Mitte 駅からシュテファン大聖堂に向かって歩いていると、ちょうど壁に備え付けられたATMを見つけました。ここでいくらかキャッシングをし、お金を急いでお財布にしまって歩き出すと、後ろから付いてきた小柄な男の人が私に話しかけてくるのです。キャップ帽を被り、運動靴を履いてリュックを背負ってスタスタ歩きながら「私は子どもたちを国において働きに来ているのだけどお金がなくて困っています」と言います。こういうときにどうしたら良いのか一瞬悩みましたが、やはりここで情にほだされていては限度がなくなるのではないかと不安になりましたし、お金を引き出したところを見ていたに違いないと思うと、ことばが聞き取れない振りをして足早に歩き続けるしかないと思ったのです。でもそのあとも、ずっと付いてくるのです。三津夫は「知らん顔していた方が良いよ」と気にも留めない感じで歩き続けますが、私はその人が相当な覚悟で付いてきている気がして怖くなりました。シュテファン大聖堂近くで横道に入ってから後ろをそっと振り返ると、ようやく私たちを追いかけるのを諦めたのか他の人に話しかけていました。ホッとして体の緊張が少しほぐれましたが、私1人だったらお金を出すまでつきまとわれたのではないかと恐ろしさは抜けません。やはり町中でのキャッシングはこうした事態を引き起こすのだと反省。これが今日の躓きの二つ目でした。

 シュテファン大聖堂の周りには大きな教会がまだいくつもあります。見られる範囲で見ていこうと、まずはアウグスティナー教会(教会・修道院㊽)に入りました。中ではミサをやっていてちょうど素敵な音楽が流れていたので、入口でCDを売っている男性に「今演奏している音楽のCDはありませんか?」と聞くと残念ながらないとのこと。さすがは音楽の都だと感じました。こわばっていた心も少しほぐれました。せめて曲名を聞いておけば良かったと今振り返って思っています。


ウィーン、アウグスティナー教会(教会・修道院㊽)

 その後、美術史美術館を目指して歩いていく途中で王宮庭園を通りぬけました。今日は日曜日とあって多くの家族があちらこちらでくつろいだり遊んだりしています。でもすごく気になったのがゴミ箱からゴミがあふれていることでした。ゴミを持ち帰るという習慣がないのでしょうか。美しい芝生も荒れて見えてしまいます。どうやらゴミを片づける仕事の人たちがお休みする週末の2日間でゴミがあふれているようです。先週泊まったアウクスブルクのホテルの玄関前にも落ち葉やゴミが散らかったままだったのを思い出しました。着いた日は日曜日で、翌日の午後ホテルに戻ったときにはきれいになっていました。日本では考えにくい光景です。

 やっと美術史美術館(美術館・博物館㉔)にたどり着くと、既に冷えた腰には痛みが出ています。リュックを預け、ショルダーバッグにスマホとハンディカメラとお財布を入れて館内を歩きました。昨日、スマホを持ち歩くのを忘れたので、リエージュでの件も思い出してこのセットはいつも持ち歩けるようにショルダーバッグをトランクから引っ張り出して持って来たのでした。

 最初の展示室でまずリーメンシュナイダーの「聖母子像」(『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』125~126頁)に会い、さすがの気品に満ちた聖母子の姿に気持ちが洗われました。次にミヒェル・エーアハルト作の「無常の寓意、いわゆるヴァニタスの群像」(『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』153~158頁)がありました。こちらは今回表示が改められていて「ミヒェル・エーアハルトまたはイェルク・ジュルリーン(父)」となっていました。ジュルリーンは家具職人で、ミヒェルと一緒にウルム大聖堂の内陣席を制作した人です。今年、シュヴェービッシュ・ハルのヨハニターキルヒェでもジュルリーン作の胸像がありましたので、彫刻家としても評価されるようになったのかもしれません。
 その他、続々とハンス・ダウハーのレリーフ「聖家族」「パリスの審判」「受胎告知」、ダニエル・マウホの「遊ぶキューピッド」、ペーター・フィッシャー(父)の「巡礼者大ヤコブ」などが出てきて堪能しました。キューピッドたちはお互いに絡み合って遊ぶというより取っ組み合っている感じですが、ふっくらした足やお尻、可愛いブーツの彫りがすごく凝っていて見応えがありましたし、フィッシャーの巡礼者大ヤコブはロングブーツを履いて歩く姿がとても格好良く見えました。
 ただ困ったのは、ほとんどがガラスケースの中に置かれていて光の反射でよく写せないことでした。また、解説の表記が厚めの透きガラスの上に白文字で書かれているため、写真を撮ると文字がダブって写ってしまい、帰ってからパソコンで読もうとしても困難なものが多かったのです。やはり不透明な素材の上に見やすい色の文字で書いてほしいものです。

 絵画部門はここに書ききれない有名な絵画ばかりなので省略しますが、フェルメールの「絵画芸術」は修復中なのか、見当たりませんでした。


ウィーン、美術史美術館(美術館・博物館㉔)


 帰りがけにミヒャエル教会(教会・修道院㊾)
に寄ってみました。中にはフランスの作風を感じさせる聖母子像がありました。


ウィーン、MADONNNA della MAMIGULIA  1345年


 歩き疲れて腰の痛みも辛くなったところでホテルに戻ろうとすると、シュテファン大聖堂を通り過ぎたところで、行きがけにつきまとわれた男の人がいるのを見たのです。私たちの少し前を他の女性にピタッとついて歩いてしきりに話しかけています。私はその男の人に追いつかないようにしたかったのですが、三津夫は「関係ない」と早足で追い抜かす勢いで歩くので、私は必至で三津夫の腕につかまって追いつかないように追いつかないように歩いたものですから、とうとう「平気だよ!」と怒られてしまいました。

 ウィーン中央駅まで戻り、遅めのお昼を食べることにしました。フードコートのタイ料理店に入ってチャーハンを頼んだのですが、作り手が違ったら味も違い、前回ほど美味しく感じませんでした。その後、スーパーで買いものをした時もお金を出すのに手間取ってしまいました。一端からだがこわばるとますます頭も心もこわばります。計算がパッとできなくてモタついたのですが、二度あることは三度ある。これが三つ目の躓きでした。せっかく美術史美術館で良い作品をたくさん見てきたのに往復の道ではストレスがかかり、心身共にぐったりでした。
 

▶今日でウィーンの生活は終わりです。

 5日間、キッチンが使えて自炊で暖かい食事ができたのはやはり嬉しいことでした。このあとはずっとホテル住まいです。また同じようなサンドイッチを買って食べる生活に戻るのが少し残念ですが、かといってレストランに入っていろいろと美味しい物を食べようという美食家にはなれないのです。

 明日はリンツに移動します。まだまだオーストリアで見たい作品はたくさん残っています。 

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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309. 17回目のドイツ旅行(37) ウィーンからマウアーへ

2023年02月20日 | 旅行

▶今日はウィーンの4日目です。



マウアー、教区巡礼教会(教会・修道院㊼)

 

▶今日はウィーンからメルクまで行き、マウアーの教会を訪ねます。

 今日の目的は
  
5)マウアーにある「マリア被昇天群像祭壇」を見ること
 です。

 マウアーも大きな町ではないので、予め教会に連絡を取り、拝観できるかどうかを確認しました。すると「メルクまで行ってタクシーで来られます」というお返事でしたので、メルクからそれほど遠くはないのだろうと考えていました。昨日のアダモフはバスで40分ですからタクシーだと結構な金額になるでしょうし、ことばのわからない町でタクシーに乗るよりはドイツ語が通じるメルクでタクシーに乗った方がよいと考え、アダモフを金曜日のうちに訪ねるよう計画していたのでした。

 このマウアーの「マリア被昇天群像」も、やはり「 DER SCHNITZALTAR(彫刻祭壇)」に掲載されていた祭壇です。初めてこの祭壇の写真を見たときに、天使たちが口を動かしているように彫刻されているので、私は「歌を歌っているんだと思う」と言ったのですが、三津夫は「そうかなぁ」と疑わしそうでした。でも昨日の祭壇でもやはり同じように頬をへこませ何かことばを発している天使たちがいて、パンフレットには歌を歌っていると書かれていました。この口元や頬の表現は両祭壇ともよく似ています。そのため同じ作者なのかなと漠然と考えていたのでした。

◆2022年10月8日(土曜日)8194歩
 今日の朝食はベーコンエッグ。火加減の調節が今一つで少々柔らかすぎました。パンが少し余りそうだったのでトースト2枚ずつにしたこともあって「多過ぎ」だと三津夫。私にも少々食べ過ぎの感がありました。またもやお昼用のサンドイッチを持って出かけました。今日はちゃんと食べられるかしら。

 今日の列車は9時20分発だったので気持ち的にもゆとりがありました。途中のザンクト・ペルテンで乗り換えてメルクで下車すると他には殆ど人がいません。1台だけタクシーが停まっていましたが、念のためバスを探してみました。近くを女性が通ったので「マウアーまで行きたいのですがバスはありませんか」と聞くと、「あら、マウアーだったらロースドルフの方が近いのだけど」と不思議そうな顔をされました。「でも今日はバス便が無いからあのタクシーに聞いて見たら?」と促されて、やはりタクシーで行くしかないのだなと観念。
 タクシーの運転手に教会の住所を伝えると頷いたので乗り込みました。でも出発すると同時にメーターのカウンターを倒してしまい、不信感が徐々に募ります。一体いくらと言われるのかわかりません。でも歩ける距離ではないことはわかりました。落ち着かない気持ちでまだかまだかと思ううちに隣町まで来たようです。そこから更に結構奥まで北上して進み、ようやく丘の上の教区巡礼教会(教会・修道院㊺)が見えてホッとしました。料金は33ユーロでした。やはりちょっと高い感じです。

 下車してすぐに写したのがトップの写真です。マウアーの教区巡礼教会(教会・修道院㊼)はこぢんまりした教会でした。中に入ると昨日とは打って変わって賑やかでした。数人の団体が入り、長いこと一人の男性の説明を聞いていました。その話がなかなか終わりません。他に夫婦が一組、やはり団体客が出るのを待っていました。私たちも周りの絵や彫刻を写しながら祭壇の前が空くのを待っていたのですが、その夫婦がツヴェットゥルと言うのを耳にはさんだので、「昨日行ってきたばかりなんですよ」と話すと驚いてました。ちょうどまだパンフレットを持っていたので見せてあげると「私たちも絶対見に行くわ」と感謝されました。私たちと同じように祭壇などを巡ってドライブ旅行をしているそうです。内心、彼らが駅まで乗せてくれると嬉しいのだけどと下心がうごめきましたが、結局私たちの方が撮影に時間がかかるので、途中で「さようなら」と帰っていきました。

 ここの彫刻もとても独自性が高くて面白いのですが、昨日の彫刻に較べるとどこかおっとりしています。でもほっぺをへこませて歌っている天使たちの表情には大分似ているところがありました。一番違いがはっきり出ていたのはマリア様の表情や体のフォルムです。ここマウアーのマリア様はまだ少女のような幼さを感じ、体の動きも固いように思いましたが、アダモフでは成熟した女性でした。そしてマリアの被昇天を見送る女性たちの笑顔の明るさ。哀しんでいる様子はなく、使徒たちの様子と対照的でした。天使たちはまさに歌でマリア様を見送っている感じでしょうか。でもこの場面で幼子キリストがいるのは考えてみるとちょっと不思議な気もします。マリア様の服の裾から天使たちが顔を出しているのもハンス・ラインベルガーやダニエル・マウホと共通しています。









マウアー、教区巡礼教会 「マリア被昇天群像」パッサウのマイスター 1520~1525年頃


▶さて帰り道はどうしたものか。

 誰もいなくなった教会でようやく写真を撮り終えて、さて帰り道はどうしたものかと思案に暮れました。助かったのは今日は閉じている案内所の外に使えるお手洗いがあったことです。なかったら近所のお宅にお願いするしかありませんでした。この教会の入口にあったバス停で時刻表を見ると、平日は午後に2本のバス便がありましたが、それでもあと3時間は待たなければなりません。しかも週末はゼロです。タクシーを呼ぶか、歩きながらヒッチハイクをするか、どうしたらいいかなとバス停で悩んでいるところへ近くの家から子ども連れの家族が出てきました。どうやら散歩にお出かけのようです。ちょうど良かったと思って「すみませんが、タクシー会社の電話番号を教えていただけませんか」と聞いてみると、若いお父さんがタクシー会社にすぐ電話を入れてくれたのです。「どこまで?」と聞かれて「ルースドルフまでお願いします」と答えると、もうすぐ来ますからと親切な返事。ありがとうございました! 仲良く野原を歩いて行く家族に感謝しつつタクシーを待ちました。

 10分ほど待ったでしょうか。1台のタクシーがやってきました。今度は地元の方が電話で呼んでくれたのだから安心できるだろうと思いきや、乗った途端にまたメーターカウンターを倒され、結局来たときと同じ33ユーロかかってしまいました。今度の駅の方が近いのに…と心の中でつぶやきながら支払い、交通不便なところに来るにはこれぐらいの覚悟は必要なんだろうなと、料金に疑問を感じる自分にも反省しました。
 それにしてもあの親切な家族に会わなかったらどうしていたのでしょう? この地域のタクシー会社の電話番号ぐらい調べておくべきでした。

※ロースドルフ駅まで歩くには相当な覚悟が要る距離に思えたのでしたが、一体どの位あったのかと帰国してから地図上で測ってみたら約5kmでした。教会からはロースドルフ駅が近いと知っていたら予め覚悟もできて歩けた距離でした。メルクという有名な地名が先にインプットされていて、ロースドルフは全く頭になかったことを一番に反省するべきでした。

 帰りの列車は土曜日とあって混んでいましたが、荷物を寄せて詰めてくれたので私は座ることができました。三津夫は詰めてくれた人に大丈夫と断り、乗り換えてからは30分だったので2人とも立ったまま過ごしてお昼過ぎにホテルに戻りました。結局3日間お弁当を作っては持って帰ってくることとなりました。部屋で食べた方が落ち着いて美味しく食べられるのは確かですが、何だかな~という気もします。
 疲れのあまり昼寝。
午後1時半頃目が覚めたので、ベルヴェデーレ宮殿の残り半分を訪ねることにしました。今回は下宮だけ見て回ります。入館料は2人で25ユーロでしたが、あまりこれといった彫刻には出あわずに終わりました。後期ゴシックの小さな彫刻はたくさんあったのですが、解説カードを読もうと近づくとピーッとセンサーが反応して係員が来るのです。それほど不審なところまで近づいていないのに、三津夫も私も何回もセンサーが反応したので後半は読むのを諦めました。
 最後にアイスクリームでも食べたいねとカフェ入ったのですが、ここにはアイスクリームはないのです。それでケーキと珈琲を頼みました。何も言わないのにお水がついてくるのがなつかしく、嬉しく感じました。





ウィーン、ベルヴェデーレ宮殿 下宮に向かう道


ウィーン、ベルヴェデーレ宮殿館内のカフェ


▶バルバラさんとはまた今度

 昨日、バルバラ・ゴールドマンさんが出張から戻ったけれど今回は残念ながら会う時間が取れないとメールが来ました。またの機会に会えればと思います。
 今日は下宮を歩くときにスマホを持ち歩くのを忘れたため、歩数はあまり増えませんでしたが、明日からは忘れないように持って歩こうと思いました。

 明日は一日ゆっくり市内観光、そのメインは美術史美術館の予定です。

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308. 17回目のドイツ旅行(36) ウィーンからチェコのアダモフへ

2023年02月19日 | 旅行

▶今日はこの旅の最大の山場です。



チェコ、アダモフ 聖バルバラ教会(教会・修道院㊻)


▶今日はウィーンからチェコのアダモフまで行ってきます。

 今日の目的はオーストリアで見たい作品
 4)チェコまで足を伸ばしてアダモフにある「ツヴェットゥル祭壇」を見ること
でした。
 
 ※正しくは「オーストリアに滞在しながら見たい」とするべきですが文が長くなるのでご了承を。

 この祭壇について知ったのは昨年の5月のことでした。
 昨年1月に開催した第2回「祈りの彫刻 リーメンシュナイダー写真展」に植田重雄先生のご子息夫妻がおいでになっていたらしいことがわかったのが2月始め頃でした。名簿の整理をしていた時に苗字が植田さんでお名前に「重」の文字が入っていた方がいたのです。メールアドレスを残していただいていたのでメールをお送りし、その方が確かに息子さんだとわかったのでした。
 
その後、国分寺のUさんと一緒に会食をしたときに植田夫妻と初めてお目にかかりました。さらにそのあとでお二人が重雄先生の書籍の片付けをした際に彫刻関係などの本を我が家に送ってくださったのでした。その中の1冊が「 DER SCHNITZALTAR(彫刻祭壇)」という小振りの本でした。まだ見たことのない祭壇がいくつか紹介されていて、中でも目を惹いたのがこの「ツヴェットゥル祭壇」だったのです。一つ一つの造形がとても個性的で、素晴らしく威厳のある人物がいるかと思うと、ひょうたんのような頭の天使(?)がいたり、不気味な男性の顔が中央にあったり…。見ていて飽きないのです。しかもマリア様の下には大きなイガのようなトゲトゲがあって、マンモスの牙のような物が突き出ています。何とも不思議。ウィーンに連泊している間に見に行けないだろうかと交通手段を検索してみたら何とか日帰りできそうです。そこで思い切ってこの祭壇があるアダモフを目的地に組み込み、日本から見学の申し込みをして、数回のやり取りの後にようやく何とか見学許可をいただいたのでした。

◆2022年10月7日(金曜日)7896歩
 興奮のせいか2人とも朝5時過ぎには起床。昨夜お鍋にこびりついていたご飯にお湯をかけてふやかし、かき集めて梅干しで食べたら美味しく食べられました。三津夫の朝食は昨日と同じパンとベーコンレタスです。

 7時10分発のプラハ行きの列車に乗るとほとんどが予約席となっていました。ただ ブルーノからプラハまで予約している席があったので、ブルーノで下車する私たちは安心してそこに座ることができました。珍しく発車してすぐに検札がありましたが無事にパス。あとはブルーノからアダモフまでのバスに無事に乗れることを祈るばかりです。チェコ・コルナを持っていればもうこの段階で安心できたのですが、持っていないので予めどこかで切符をカード払いで買えることろを見つけるのが今日の最大の仕事でした。行き先の住所や教会名が入った現地語の地図を印刷して持って来たので、それを見せながら会話していくしかありません。1時間半ほど悶々としながら過ごし、8時36分頃ブルーノに到着。ここはチェコ第二の都市だそうです。ここの工房でツヴェットゥルの祭壇は修復されたとウェブサイトに書かれていました。

 下車してキョロキョロするもバス停留所の方向が見えません。標識に従って出たつもりが裏口の方に出ていたようで、若い男性にメモを見せたらジェスチャーで反対側に行きなさいと教えてくれました。急いで反対側に行く間にもここで良いのかどうか不安です。通りかかった女性にもう一度確かめると同じ方向を指さしたのでホッとして急ぎました。ようやく賑やかなバスターミナルが見えてきました。2~3人の人にメモ入りの地図を見せるとバス停はどうやらここらしいとわかったので、どこで切符が買えるかと聞くとバスで買えるとしか答えてくれません。「その切符を買うお金がないんだってば」と心の中で叫びながら周りを見回したら鉄道かバス関係者らしい制服を着た若い男性がいたので聞いてみました。すると彼は英語が話せたのでした。切符を売っている窓口はないかと聞くと坂を上がって左手にありますよと教えてくれました。そして私たちが乗るバスは目の前の停留所から発車するからとはっきり教えてくれました。ここで50%安堵。
 窓口が見つかって列に並んだら優しそうな女性の担当する窓口が空きました。英語でアダモフまで往復切符を買いたいと伝えると笑顔でササッとチケットを発行、カード払いでいとも簡単に買うことができたのです。あ~~~~~、良かった!!


 バスは順調に発車。40分ほど乗ってアダモフ(正式には Adamov-zastávka)に着きました。余裕を持って出発したので予定より30分早く到着してしまいました。バス停からはそれほど遠くないところにスーパーがあり、スーパーを通り過ぎると川の向こうに聖バルバラ教会(教会・修道院㊹)が見えました。まだ時間があるのでスーパーに入ってトイレを…と一瞬思いましたが、コルナを持っていないから買い物もできないし、まぁできるだけがまんしようと決意。
 教会までゆっくりゆっくり坂道を上がり、教会の周りの写真を写している間に10時半になりました。すると静かに教会の門が開き、学生のような若い女性が顔を覗かせました。彼女は英語が話せるのでした。メールを書いてくださっていた Josef Novotný さんが、ちゃんとそういう人を手配してくれていたのです。感謝です。彼女の他には誰もいない教会で静かに撮影させていただきました。




一般的にはマリア様の足下に上向きに彫られる男性像が逆向きなのがとても不気味です。


アダモフ、聖バルバラ教会「ツヴェットゥル祭壇」エラスムス・ライサー主導 1516~1525年
 (3枚とも 写真:緑)


 祭壇のテーマはマリアの被昇天ですが、見るなりその迫力にのみこまれました。登場人物一体一体の膨らみのある衣服や冠の彫りには深い奥行きがあり、ぐるぐると周りを取り囲んでいる雲は捻れ具合がすごくてびっくりします。マンモスの牙のように見えたのは三日月が逆さになっていたのでした。
 撮影後、パンフレットを買い、立ち会ってくれた女性に少しのお礼を渡して(それはすぐに寄付の箱に入れられました)、お手洗いも借りてから教会を後にしました。

 教会からの帰り道、三津夫は何度も「いや~、すごかったねぇ」と繰り返していました。「今夜はビールで乾杯しよう」と上機嫌でした。この小さな教会への旅は一生忘れられない思い出となりました。


 パンフレットによると、このツヴェットゥル祭壇の制作を主導したエラスムス・ライサーはシート派修道院の院長だったそうです。彼は芸術にも秀でていたと書かれています。この主導者の力量もさることながら実際に彫刻した職人たちの腕の冴えには本当に感動しました。

 この地には新年になっても緑の葉っぱを落とさなかった奇跡の樫の木があったそうで、そこにシトー派修道院が建てられたと書かれていました。その樫の木が祭壇の内側をぐるっと取り囲む黒っぽく見える枠となり、一番下に根っこが絡み合っています。珍しい構成です。でも栗のイガのような棘の正体はパンフレットを読んでもわかりませんでした。

 
▶帰りの列車が登録できなかったときの解決法

 バスに乗って無事にブルーノ駅に戻ってから、思い出しました。チェコやスロヴァキアでは駅のホールに列車の表示が出るまで何番線で待ったら良いのかがわからなかったのでした。多くの人が電光掲示板を見上げ、自分たちの乗る番線がわかると階段を下りていきます。でも私たちのウィーン中央駅行きの列車はなかなか出てきません。お腹も空いたけど、このほこりっぽい混雑の中で持って来たサンドイッチを食べる気にもなりません。諦めてひたすら待つこと1時間ほど。やっと列車に乗ることができました。

 ところがこの列車を急いでユーレイルパスに登録しようとしても、何故かダウンロード中の円がぐるぐると回るだけでちっとも先に進まないのです。それをそのまま見せるしかないと諦めて今日の冒険譚を日記に書いていると、意外に早く検札がやって来ました。スマホを見せたら「問題ありません」と簡単に見逃してくれました。最低ユーレイルパスを持っていることがわかればOKなのかもしれません。もうあまり悩まないことにします。

▶あとはゆっくり買い物

 ウィーン中央駅に戻ったのは3時過ぎ。一度部屋に戻り、持って行って再び持ち帰ったサンドイッチを食べました。
 その後、駅まで行ってフライブルクに帰る時の座席指定を取りました。以前ベルリンで座席指定をまとめて取ったときに、オーストリアの列車区間だけは取れなかったのです。ÖBB のチケット売り場に行き、待つこと10分。私の番になると
若い男性がテキパキと取ってくれてあっという間に終了。

 その後はあと2日分の食料を補充するための買い物をしました。りんご、トマト、椎茸、それと簡単な焼きそばもあったので買ってみました。夜は焼きそばを作ってビールで乾杯! よく頑張ったと自分で自分を褒めた日でした。焼きそばは私の苦手なフレーバーが入っていてあまり美味しく感じませんでしたが三津夫は気にならないと言っていました。やはり日本から持って来たラーメンの方が余程美味しいと感じます。次回は2倍の量を持ってこようかしら。


 さて、明日もまた結構心配な旅なのです。メルクのそばのマウアーというところにある小さな教会を訪ねます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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307. 17回目のドイツ旅行(35) ウィーナー・ノイシュタットは空振りでした。

2023年02月18日 | 旅行

▶今日から自炊生活が始まりました。


ウィーン、シュテファン大聖堂(教会・修道院㊺) 


▶今日はウィーンの2日目。

 今日の目的はオーストリアで見たい作品
  2)ウィーナー・ノイシュタットでゲルハールトの「皇妃エレオノーレの墓碑」を見ること
  3)
シュテファン大聖堂でゲルハールトの「皇帝フリードリッヒⅢ世墓碑の上板」を見ること
でした。

 どちらの墓碑もニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンが関わった墓碑ですが、そのいきさつは『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』(88~89頁)に書きました。
 ゲルハールトは皇帝フリードリッヒⅢ世に何度も手紙で催促されて、抱えていた仕事にようやく区切りをつけて、1467年9月3日にストラスブールからウィーナー・ノイシュタットに向かったようです。皇帝はゲルハールトに皇妃エレオノーレを何とか一目会わせたかったのでしょうけれど(私の勝手な推察ですが)、当時の旅で何日かかったかわからないとしても皇妃は彼の出発予定日の9月3日に亡くなっているため、無理だったと思われます。
 皇妃の墓碑は1470年頃に仕上げてウィーナー・ノイシュタットのノイクロスターに納められました。皇帝の墓碑も1467年頃から制作し始めたようですが、1473年に上板を完成させたところでゲルハールトは亡くなってしまいました。残りは工房の弟子や職人たちが仕上げたようです。これだけ大きな墓碑(写真・下)だと最初からシュテファン大聖堂内で作ったものでしょうか。その辺のことはカタログにも書かれていない(読み取れていないだけかもしれませんが)のでわかりません。もしかしたらウィーナー・ノイシュタットで両方とも制作されて、出来上がった皇帝の墓碑がウィーンまで運ばれたものか、タイムマシンがあったら乗って見に行きたいものです。
 その両方の墓碑を見たくてこの日にまずはウィーナー・ノイシュタットに出かけたのでした。

◆2022年10月6日(木曜日)14590歩
 朝6時頃に目覚めてゆっくり朝食の準備に取りかかりました。
 まずはレタスの外側の葉っぱをベーコンで炒めるつもりでした。フライパンをコンロの上に置いただけで「ピピッ」と音がするのでびっくり。電源を入れたら反応するというコンロがほとんどだと思っていましたから壊れているのかと慌てました。その後あれこれ試して、電源を入れる→どちらのコンロを使うか選ぶ→「+」「ー」の記号で火力を調整するという流れがわかりました。トースターも使ってパンを焼き、珈琲メーカーは使い方がわからないので手差しの珈琲パックで入れました。お湯は湯沸かしポットを持ち歩いているので問題無し。手間がかかりましたが、何とか朝食が整いました。やはり火が入った食べ物は美味しく感じます。お昼のサンドイッチも作りました。
 

 ウィーン中央駅からウィーナー・ノイシュタットまで列車で30分。ここは小さな町で、駅のそばはありふれた町並みでした。少し迷いながら旧市街に行くとノイクロスターがありました。中にはゲルハールトが制作した墓碑があるはずですがわかりません。入口で1冊だけ置いてあった雑誌で確かめて位置を確認したのですが、どうしてもそこには見当たりません。中央左手に大きな木のドアがあり、どうやらその奥にあるようなのですが、鍵がかかっているのです。来る前に連絡を取っておけばよかったと後悔しました。外を一周回ってみたのですが関係者らしき姿もなく、事務所も見当たらないので諦めて帰ってきました。





ウィーナー・ノイシュタット、ノイクロスター(教会・修道院㊹) 
 目についた聖母子像(詳細はわかりません。 写真:緑)


▶次はウィーンの旧市街へ。

 結局ノイクロスターは空振りに終わりましたので一度ホテルに戻り、持って行って持ち帰ったサンドイッチを食べました。時間が経っても美味しかったのは嬉しいことです。
 旧市街までは歩くと結構あるので、ユーレイルパスで無料で乗れる S バーンに乗りました。3つめの Wien Mitteで下車、少し歩くとシュテファン大聖堂(教会・修道院㊺)の塔が見えてきます。大聖堂の横には観光客を待つ馬車が何台かとまっていて、馬がおとなしく整列していました。


 大聖堂に入るとフリードリッヒⅢ世の墓碑は公開されていましたが、柵で囲われていて近くで写真を撮るためにはガイド付きのツアーに入らなければなりませんでした。せっかく来たのだからとそのツアー料金を2人で12ユーロ払ってイヤホンで日本語のガイドを聴きながら回りました。いくつもの作品を巡るので、じっくり聞いて撮影していると結構時間がかかります。でも残念ながらこの皇帝の墓碑も、ゲルハールトが彫った「上板」を見ることは叶いませんでした。柱にその写真(下)は掲載されていましたけれど。ただ、ゲルハールトの周辺作家と言われる彫刻家の自刻像(と言っていたと思います)がありました。

 このあと大聖堂のすぐ側にある大聖堂博物館(美術館・博物館㉓)に入ってみましたが、あまり目を惹かれるものはなく残念でした。


ウィーン、シュテファン大聖堂 「皇帝フリードリッヒⅢ世墓碑」 
 ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンと工房 1467~1473, 16世紀初め



「皇帝フリードリッヒⅢ世墓碑」の上板(写真) ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデン
 

シュテファン大聖堂内の説教壇 ゲルハールト周辺作家 (3枚とも 写真:三津夫)


▶両替所にチェコ・コルナを置いていない!?

 今日の目的の半分を達成して中央駅に戻ってきました。駅のホテル側にも大きなスーパーがあるのを見つけ、お米も売られていたので買って帰りました。夜はご飯を炊いてみます。

 でもその前に、明日はチェコにあるアダモフという町に出かけるため、何としてもチェコ・コルナに両替をしておきたかったので、昨日聞いた Wester Union という両替所に行きました。銀行なのかと思っていたらとても小さな両替所で女性が2人で受付をしています。私が日本円をチェコ・コルナとユーロに両替したいというと、「一万円札を見たのは初めて」なので本物かどうか確かめると言ってずいぶん時間を取られました。ここはウィーンですが、下町の両替所だからでしょうか。透かしてみたり、同僚に聞いたりしても誰も知らないようで、電話でどこかに確認したりしてようやく「ユーロに替えるのはできるけど、チェコのお金は扱っていない」と言われたのでした。隣国の通貨なのに扱っていないのかと驚いたのですが、日本で替えてくれば良かったと思いながらユーロだけ交換してもらいました。
 
今回は47日間の2人旅(2人旅では最長)でしたので、今までの旅と較べてどの位費用がかかるのかという目処が立ちにくかったのです。次回からゆとりを持って両替しておこうと思いました。ネットバンキングなどしている人ならユーロの調達も簡単なのかもしれませんが、私はおっちょこちょいなのでスマホを落としたりしたら大変だと、スマホでお金を扱うことは避けています。今後も辞めておいた方が賢明だと思うので仕方がありません。

 

▶オーストリアで初めてのご飯を炊きました。

 アイゼナハで一度ご飯を炊きましたが、オーストリアで初めてのご飯を炊いてみました。お鍋を置いてから火の具合をコントロールするのに難しく、炊き上がるまで時間がかかったので三津夫はお冠。おかずは何を作ったのだか日記に書いていないため思い出せませんが、何とか食べられたのでしょう。終わり良ければすべて良し。

 さあ、明日はいよいよチェコまで出かけます。この旅で一番の冒険の日となる予感。

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306. 17回目のドイツ旅行(34) 一気にウィーンへの列車旅

2023年02月17日 | 旅行

▶今日はオーストリアのウィーンまで移動しました。



夕暮れ近いウィーン中央駅 モダンになりました。

 

▶今日はウィーンまで5時間半の旅です。

 オーストリアまで旅程に入れたのにはいくつかの理由がありました。コロナ禍で旅ができなかった間に多くのカタログを手にし、ここに行きたい、あそこに行きたいとチェックし、見たい作品が多く集まりました。ドイツからウィーン方面には時間がかかるので、行くならまとめて見たいと考え、今回の旅でできるだけその思いを詰め込んだのです。その内容をこれから順にご紹介していこうと思います。


◆2022年10月5日(水曜日)10323歩
 今日の列車旅は長いので、アウクスブルク中央駅からミュンヘン中央駅まで出て一度乗り換えをしなければなりません。その乗り換えの際に時間が迫っていると心臓に悪いのでゆとりを持って早めに出発しました。
 アウクスブルク8時7分発のミュンヘン中央駅行きに乗り順調に到着しました。ところがここでブダペスト行きに乗り換えるホームは大混乱だったのです。多くの難民のグループが座ったり、子どもたちが走り回ったりしていて落ち着きません。彼らにしてみれば新しい地への移動で興奮したりホッとしたり、あるいは心配でたまらなかったりするのでしょう。でも列車が到着すると案の定真っ先に乗り込んで座席を確保し、大混乱となりました。それでも指定席だということはわかるようで次第に落ちつき、私たちも予約席に座ることができてホッとしました。隣の席の男性は一度食事に立ったときに幼子を連れた母親に座っていて良いと促したようで、二人の席に4~5人の子どもたちと赤ちゃんが入り、一番上のお姉ちゃんはお母さんが席を立つと、かいがいしく兄弟の世話をしていました。そして疲れているのでしょう、赤ちゃんと一緒に眠り込んでしまいました。男性が戻ってきても席を空ける気配はなく、それでも彼はずっと三津夫の前に立って子どもたちを見守っているのです。座っている自分たちが何だか申し訳なくなって顔が上げられなくなりました。あちらこちらで咳が聞こえ、約4時間緊張が続いて予定通りに13時30分ウィーン中央駅に着いた時にはすっかり疲れていました。
 ウィーンでは1人も下りなかった彼らを受け入れてくれるのはブダペストの人々なのか、更にどこかへ移動していくのか…。日本では難民の姿を見かけることがなく、世界の現状を突きつけられた複雑な思いでした。


▶ウィーン中央駅はモダンに生まれ変わっていました。

 前回2014年にウィーンに来たときはまだ完成していなかった中央駅が大変モダンな姿に生まれ変わっていました。スーパーもフードコートも充実しているようです。
 今回のアパートは駅に近い便利なところですが、午後3時からでないとチェックインができません。まずは駅で何かお腹に入れようと、タイ料理店があったのでチャーハンを頼んでみました。これが美味しかったので、今度はここのラーメンを食べてみようと話したり、飲み物も不足していたのでアイスティーを買って喉を潤したりするうちに2時を過ぎたので、三津夫が「トランクをコインロッカーに入れるより先にチェックインした方が良いんじゃないかな」と言います。

 ホテルの写真を見るとオレンジ色の壁だったので、地図を頼りに少し探したらすぐ見つかりました。でもまだ少々早すぎます。三津夫にトランクを預け、ユーロも心細くなっているし、チェコに行くための両替もしなければならないので、今のうちにしておこうと、目の前の大きな銀行に行ってみました。日本では顧客でなくても両替できる場所があるので気軽に考えていたのですが、ここでは顧客でないと両替できないと断られてしまいました。社会をよく知らない未熟者です。「誰でも両替してもらえるところはないのでしょうか」と聞くと、「一カ所あります」と、その両替所の名前を教えてくれたのでホッとしました。

 これでホテルに戻ると、他にもチェックインに入る人がいたので私たちも中に入りました。予めオンラインチェックインをしていたので簡単に入れると思ったら登録できていないとのこと。どこかまずかったようです。そこでもう一度慌てて入力すると Vorname (名前)と Nachname (苗字)を間違えてしまってまたやり直し、もう! 汗をかきながらなんとかチェックインして部屋に入ったらなんと狭いこと。駅近くで地の利が良いせいかビジネスアパートメントと名乗っているとおりキッチンもついているのですが、トランク2つ広げるのには玄関のドアの前ギリギリまで使わないとなりません。まぁ、それでも明るく、機能的でキッチンにはライトもあるし、食器も揃っているし、冷蔵庫もあるので「これならお料理できるから帰りに食材を買ってこようね」と機嫌よく話しながら出かける支度をしました。ところが部屋のライトが2箇所付かないことや、カーテンがカンから数個外れていて高いので手が届かず直せないなど、3箇所の不具合を発見。受付嬢は入力を手伝ってくれたときは親切だったのですが、クレームを伝えに行くと厳しい顔で「部屋で待っていてください、すぐ行かせます」と冷たい返事。でも町に出たいから留守でもいいので直しておいてくださいと言い置いて出かけました。

 今日の目的地はウィーンにいる間にしたいことの一つ目
  1)ベルヴェデーレ宮殿でミヒャエル・パッハーの祭壇画を見ること
でした。ベルヴェデーレ宮殿はアパートから歩いて1kmほどのところにあります。身軽になったし、とても暖かいので気持ちよく歩きました。


ウィーンに着いて一番先に訪ねたベルヴェデーレ宮殿(美術館・博物館㉒)


ベルヴェデーレ宮殿上宮入口 この辺りで私が写した三津夫が上の写真です。

 

▶今日は片方だけにしておいたらいかが?

 ベルヴェデーレ宮殿(美術館・博物館㉒)のこの入口から入って右手にチケット売り場があるのですが、「上宮と下宮のどちらにしますか?」と聞かれてどうしようかと私たちが話し合っていると、「今からでは両方見るのは無理ですよ。片方だけにしておいたらいかがですか」とのこと。確かにそうだねと、上宮だけ回ることにしました。これでもシニア2人で31ユーロとなかなかの値段です。でも見たかったパッハーの祭壇画が8枚しっかり展示されていて大満足でした。


満足したあとで記念撮影 背景をもう少し考えるべきでしたね。


▶今日のキッチン

 帰りがけに中央駅裏手のスーパーで買い物をしてきました。一見使いやすいと思われたキッチンですが、なかなかの曲者でした。水栓が固いため、ちょっと力を入れないと開かないのですが、開けたら水の勢いが強くて外まで飛び出してくるのです。この水栓のコントロールに慣れるまで少々時間がかかりました。また収納戸棚が多いのは良いのですが、スマートさを狙ったものかハンディのある人のためなのか、取っ手がなく押して開けるタイプ。結構使いにくいし、こちらは5日間泊まって最後まで慣れませんでした。明日の朝の調理はどうなることやら。
 そうそう、部屋に戻ってきたら2箇所のライトもつくようになっていたし、カーテンも直っていました。この辺の対応は評価したいと思います。

 2019年に来日した美術史美術館の修復士バルバラ・ゴールドマンさんと「ウィーンで会えたら会いましょう」とメールをし合っていたのですが、ドイツに着いてからのメールにはまだ彼女からの返事が届きません。もしかしたら出張が入るかもしれないと聞いていたのですが、5日間のうちどこかで会えないかと思っているのです。金曜日・土曜日の2日間は教会に見学の申し込みをしてあるので日程変更はできないのですが、あと2日間は彼女の都合のよい日に時間を取ろうと思っているのでした。
 取りあえず明日は近場のウィーナー・ノイシュタットでゲルハールト作の墓碑を見てこようと決めて床に就きました。

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305. 17回目のドイツ旅行(33) 憧れのビーゼルバッハへ

2023年02月16日 | 旅行

▶今日はビーゼルバッハの小さな礼拝堂を訪ねました。



可愛らしいたたずまいのフランツ・クサーヴァー礼拝堂(教会・修道院㊵)

 

◆2022年10月4日(火曜日)6592歩
 今日訪ねるビーゼルバッハは今回の旅でもメインの目的地の1つでした。アウクスブルクからバスで行けることはわかっていたのですが、地図上ではバス停からの距離がつかめず不安でした。どのバス停で下りるのかも確信が持てなかったので、ここは運転手さんに聞くしかありません。ホテル横のバスターミナルは工事中で小さく、ビーゼルバッハ行き506番のバス停は見つかりましたが、チケット売り場は見つかりませんでした。ようやくターミナルから見ると裏側に当たるプレハブの建物が、表通りから見たら REISE ZENTRUM だったことがわかりました。慌てて入って見ると、ここも人手が足りずに長い列が全然進んでいかないのであきらめました。これも運転手さんに聞くしかありません。

 9時11分の発車時刻ギリギリまで若い運転手さんは外で朝食を食べ、タバコを吸い、ようやく扉を開けて改札開始。2人で1日乗れる券が欲しいこと、ビーゼルバッハの教会に行きたいことを伝えると、下りるときは知らせるからと言いながら AVV Tarif のチケットを発行してくれました。17.6ユーロはバス代としては高い気もしました。ヴュルツブルクの市内一日券は6.4ユーロでしたから、しばらく「???」が頭の中を巡りました。でもまぁ、それぐらい遠いのだろうし、午後は市内を回るのに使えるからと思い直しました。結果的に、こうしたお得チケットもバスで普通に買えるということを学びました。

 バスはようやく発車です。市内を抜けて高速道路に出、約40分走って Bieselbach Staatstraße, Horgau でバスを止めると、運転手さんが私たちに「ここだよ」と合図してくれました。これだけ郊外を走ったのだからバス代も納得です。
 このバス停からは緑の草原が広がり、左手に鱒の養殖場がありました。緑の草地を鳥が歩いています。砂利を敷き詰めた道はコロコロを引っ張るのに大変でしたが、空気は爽やかでお天気も良く、ポリングに次いで気持ちの良い場所でした。確かに昨日の電話で聞いたとおりバス停からの距離もそう遠くはなく、じきに小さなお堂が見えてきました。横幅(下の写真)も奥行(トップ写真)もご覧の通り。可愛らしいたたずまいはケンプテンのマリア礼拝堂を思い出させます(今考えたらあちらも教会というより礼拝堂とした方が正しかったのかもしれないと気づき、修正しておきました)。







ようやくたどり着いたフランツ・クサーヴァー礼拝堂(教会・修道院㊵)


 礼拝堂の中に入ると小さなビーゼルバッハ祭壇がありました。この祭壇を設置するときの写真や解説など、三津夫が貴重な写真を写していました。最後に三津夫が階段で2階に上がって撮影したという堂内全体の写真を載せておきます。









手前の壁の聖パンタレオンは手を頭の上に乗せて釘打たれています。(写真:上の3枚は緑 4枚目は三津夫)


 2枚目の写真で敢えて部分拡大写真を載せたのは、子どもが腕に抱えているのが
犬なのかライオンなのかと不思議に思い、ライオンだとしたらリーメンシュナイダーのライオンよりずっと実物に近いことから「マウホはライオンを見たことがあるのかしら」と感じたからです。また中央シュライン両脇の柱がこのように不思議な雰囲気の王様や王子様の半身像で取り囲まれているのを見たのも初めてで、マウホがそれほど独創的な彫刻家だったということなのか、はたまた注文者が独創的な人だったのかと興味が湧いたのでした。

 

▶午後はアウクスブルクの市内巡りです。

 直行でアウクスブルクに戻るバスは50分ほど待たなくてはなりません。どこかに喫茶店でもないかと見回してもそれらしき建物もなく、ようやく見つけた村の人に声をかけてみたら「ここにはないね」と苦笑いされました。仕方がないのでバス停までゆっくりゆっくり戻り、バスを待ってアウクスブルクの町に戻りました。
 今日はトラムも乗り放題。中央部に出てまずは簡単な昼食を取り、昨日閉館だった聖アンナ教会(教会・修道院㊶)に入ってフッガー礼拝堂や小天使たちにも挨拶をしてきました。



「フッガー礼拝堂」ハンス・ダウハー 1512/1518/1525~28 聖アンナ教会(教会・修道院㊶)


 このあともアウクスブルク大聖堂(教会・修道院㊷)、聖アフラ教区博物館(美術館・博物館㉑)、聖ウルリッヒ聖アフラ教会(教会・修道院㊸)も回ったのですが、ここでの発見は教区博物館内にマウホの「アレクサンドリアの聖カタリナ」という女性像があることでした。マウホ独特の優しいお顔の女性像でしたが大分損傷が激しく、左手親指も欠けてしまっていました。

 ホテルに戻るときに隣の郵便局で切手を買い込んで残っていた絵はがきに貼り、お世話になった方へのお礼のハガキを出すことができました。そして例のコンビニで美味しかった林檎やバナナ、サンドイッチを買い込んで夕食。ここで買った林檎のすべてがとても美味しかったのが印象的でした。美味しさ100%って滅多にありませんから。


 明日はオーストリアのウィーンに行きます。途中でチェコまで日帰りの旅をする予定なのでチェコのお金も両替しなければなりません。今度のアパートではちゃんとお料理できるのかどうか、心配は尽きませんが、ワインをコップ半分ほど飲んで床に就きました。
 今日はそれほど歩いたわけではないのに左足に痛みの筋が張り、帰国したら鍼に通うしかないかなと思うようになりました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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304. 17回目のドイツ旅行(32) アウクスブルクから日帰りの旅

2023年02月15日 | 旅行

▶今日はランツベルク(アム・レヒ)とドナウヴェルトの町を訪ねました。



ランツベルクの朝は濃霧でした。


▶今日の目的地は2か所

 ランツベルク(アム・レヒ 以下ランツベルク)は16回目の旅でも予定に組んだのにその日はこの方面の列車が走らず、行くのを中断したことがありました。今回はそのリベンジをしたくて組み込みました。ここにはハンス・ムルチャーの聖母子像があるのです。ウルムでずいぶんムルチャー作品は見てきましたが、聖母子像はほとんど見たことがなく、どんなマリア様を彫っているのか見てみたいと思っていました。続いて訪ねるドナウヴェルトの町にはグレゴール・エーアハルトの秘跡室があります。三津夫はこうした秘跡室に大変興味があるようです。

◆2022年10月3日(月曜日)14354歩
 7時40分頃ホテルを出て8時3分アウクスブルク中央駅発の BRB に乗りました。昨日と同じブルーの地域列車です。こうした列車は車両が新しくてきれいで、2両編成が多いようですがトイレも備えています。駅のトイレが有料だったり使いにくかったりするドイツでは列車内のトイレが大変便利です。予定通りに8時56分にランツベルク駅に到着すると町は濃い霧に覆われていました。

 駅から少し歩くだけでゴーゴーと水の流れる音がします。しぶきを上げて流れるレヒ川です。橋を渡った奥に旧市街がありました。何だか大きな風船を膨らませていたり催し物の準備をしたりするグループがあり、ここもどうやらオクトーバーフェストの会場造りをしているようです。

 マリア被昇天教会(教会・修道院㊳)はすぐに見つかりました。しかし、中に入って見回しても聖母子像が見つかりません。教会のパンフレットを見てみると左奥の壁に立っているようです。ありました。少し奥まっているので見つけにくかったのです。しかも正面には縄が張られていて中には入れないのでした。それでも三津夫は右袖の方から迫って写真を写していました。


マリア被昇天教会(教会・修道院㊳) ランツベルク



正面からだと、左奥の聖母子像はまったく見えません。
 白い3本の蝋燭の奥、アーチ屋根の下に置かれていました。


「聖母子像」 ハンス・ムルチャー 1430~1440年(写真:三津夫)


 ムルチャーの聖母子像は写真で見ていたより柔らかな表情をしていました。背景の青っぽい石が聖母子像を引き立てていてなかなか映える造りです。今まで写真で見ていたときには今一つ良さが伝わりにくかったのですが、今日拝観してみて品格もあり、優しさを感じるマリア様でした。幼子イエスは少し細身に見えますが自然な動きをしています。

 帰り道ではランツベルクの町並みに映える建物の写真を写してきました。






ランツベルクの町並み

 

▶今日の2番目の目的地ドナウヴェルトへ。

 今度は10時過ぎに BRB でドナウヴェルトに向かいました。といってもまずはアウクスブルク中央駅まで戻って、ニュルンベルク中央駅行きに乗り換えるのです。その乗り換え時間が30分あったため、一度ホテルの部屋に戻りました。明日のビーゼルバッハへの見学申し込みのために電話をしたかったのです。ウェブサイトで見るとこの礼拝堂は原っぱの中にぽつんと建っているようなので、せっかく行っても中に入れないのでは残念ですから。連絡先の電話番号が書かれていたのでそちらに電話をしてみると、繋がりません。また後で電話することにして列車に乗り直しました。

 11時56分にドナウヴェルト到着。でもきれいな町並みですが大変静かでほとんど人通りがありません。ランツベルクとは対照的です。月曜日なのに何でこんなに町の活気がないのかと不思議でした。でもあとから10月3日は「ドイツの統一の日」だったことがわかって納得でした。こんな大事な日を頭に入れておかないと恥ずかしいですね。
 聖母大聖堂(教会・修道院㊴)に入ると左奥にその秘跡室がありました。三津夫はグラッサーの作品と思っていたのでしたが、教会のパンフレットを読んだらグレゴール・エーアハルトの作だったとわかりました。赤い枠が視界を遮るので中の彫刻が見えにくいのが少々残念です。



もっと聖母大聖堂(教会・修道院㊴)の全容を撮ってくるべきでした。





聖母大聖堂(教会・修道院㊴)秘跡室の彫刻飾り グレゴール・エーアハルト 1503年(写真:三津夫)


 帰り道でこんなに静かな町でレストランが開いているかどうか気になったのですが、一軒だけ美味しそうなカレーの匂いでお店が開いていることがわかり、入って見ました。インドカレーのお店で、魚のカレーとトマトスープを頼んでみると、今日のスープはこちらに来てからお店で頼んだ中では一番美味しいスープでした。三津夫はカレーは美味しかったけれどご飯が今一つだと残念がっていました。
 時計を見ると駅まで走れば次の列車に間に合いそうとわかってからが大変! 大急ぎで支払をし、食べたばかりのお腹を抱えて2人でダッシュ。ギリギリセーフでした。中はとても混んでいてトイレのそばしか空きがなく、そこでがまん。私はこんなに胸がキーンと痛くなるほど走ったのは何年ぶりだろうと可笑しくなりました。


 2時40分頃ホテルに戻ってもう一度ビーゼルバッハの連絡先に電話を入れてみると今度は繋がり、優しそうな女性が出ました。「教会は10時から開いていて中に入れますよ」とのこと。バス停から800mぐらいだと聞いてホッとしました。

 このあとはアウクスブルクの市内を回りましたが、聖アンナ教会は「ドイツ統一の日で休館」と書かれていました。ここで10月3日の統一の日がようやく頭にインプットできた次第です。部屋に戻ったらダッシュの疲れが出てしばらく爆睡。夕食は駅の隣のコンビニで買い、ゆっくり溜まっていた日記を書きました。


 明日はマウホの祭壇があるビーゼルバッハの小さな礼拝堂にバスで向かいます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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303. 17回目のドイツ旅行(31) ポリングの「妖しいマドンナ」

2023年02月14日 | 旅行

▶今日はインゴルシュタットからアウクスブルクに移動し、更にヴァイルハイムまで往復してきました。



ヴァイルハイム駅に向かう草原 この旅で一番気持ちがのびのびする道でした。

 

▶今日の目的地はポリングです。

 ポリング修道院(教会・修道院㊲)にはハンス・ラインベルガーの聖母子像があるのですが、私たちが持っている小さなカタログで見る限り、聖母マリアが何となく目つきが鋭いような、にらみつけるような独特の表情をしているのです。そのため、三津夫はこの彫刻を「妖しいマドンナ」と呼ぶようになりました。この「怪しいマドンナ」はバイエルン国立博物館にあるはずなのですが、今までは見られなかったので修復中なのかと思ってヴェニガーさんに伺ってみたところ、「修復が終わって、もうポリング修道院に戻っていますよ」と教えてくださったのでした。ポリングはアウクスブルクの東南約70km(直線距離で)にある町です。
 そこでポリング修道院に直接拝観できないかとメールで問い合わせたところ、「普段は鉄柵が閉じてて遠くから見ることしかできません。もし日曜日のミサにこられたらその後1時間ぐらいは鉄柵も開いているので撮影できますよ」と秘書のザビーネさんから親切なお返事をいただきました。三脚の使用許可もくださったので、日曜日の朝一番にアウクスブルクのホテルにまず移動を済ませ、ミサが終わるという11時半頃に撮影道具だけ持ってポリングの修道院に着いてるように日程を考えたのでした。本来ならランツベルク・アム・レヒ駅の方向なので同じ日に行ければ良かったのですが、日曜日に合わせるにはここしか取れなかったのです。


◆2022年10月2日(日曜日)11688歩
 今日もなかなか慌ただしいので朝5時半に目ざましをかけました。列車はインゴルシュタット中央駅7時10分発のアウクスブルク中央駅行きです。冷蔵庫に残っていた葡萄を食べ終え、熱い珈琲をポットに入れてチェックアウト。この3日間、悔しいことに1番線のエレベーターが壊れたままだったので早めに2番線にトランクを移動しておくためにもゆとりを持ってチェックアウトしました。その後パン屋さんに駆けつけて早く開いた方のパン屋さん(残念ながら嫌な感じの方です)でフィッシュフライサンドを買い込み、列車に乗ってから朝食を食べました。
 8時8分にアウクスブルク中央駅に到着。駅に近いホテルにトランクを預け、荷物預かりのチケットを受け取りました。今回の旅行中に泊まってきたホテルでは荷物預かりのチケットを受け取ったことはなく、管理がしっかりしているホテルだと思いました。

 駅に着くとヴァイルハイム行きの BRB が来るまでまだ50分もあるので、途中のおやつを買ったりして2番線 Süd でゆっくり待っていると普通列車と思える列車が来て止まったのです。一瞬違和感を感じて中に乗っている人に Weilheim に行きますかと聞いたら「行きます」と答えたので乗りました。でもおおぜいの若者がビールを飲んだり騒いだりしていてオクトーバーフェストに行く雰囲気です。そうだとしたらやはり違う列車なのではないかと不安になって別の人に聞いたら「これはミュンヘン行きだよ」と言います。ミュンヘンまで行く途中にヴァイルハイムがあるのかどうか知らないのでますます不安になり、ドイツ鉄道のサイトで検索してみたところやはり方向が違うことがわかって、慌てて次の停車駅で飛び降りました。そこは Mering という駅でした。近くにいた男性に「ヴァイルハイムに行く列車はありますか」と聞いたら「5番線だよ。あっち、あっち」と指さして教えてくれたのでお礼を言って駆け出しました。階段を上がると同時にブルーのきれいな列車が来て飛び乗り、ほっと一息。この列車が BRB だったのだとやっと認識しました。
 この列車も途中の駅でしばらく止まり、ちゃんとミサの終わりに間に合うかどうかと少々不安。でも20分弱待ってようやく出発したので今度こそ間に合うでしょう。この路線は単線で、対向列車と行き違うまで待つ時は一部複線になっている線路上でストップしなければならなかったのです。地域列車ではときどきこうした線路があります。

 ヴァイルハイム駅でポリングまでのバスを探してみましたが見つからないので、タクシーの運転手さんに「ポリング修道院まで行けますか?」と聞くと「住所はどこ?」と聞かれ、メモを見せました。するとOKと頷いて出発。地図で調べたところではヴァイルハイム駅からこの修道院までは4kmほどあるのです。11時20分頃修道院に着いたので14ユーロ払って下りました。これで撮影に間に合います。

 信者さんたちが出て来る時間には出入り口の前にテーブルが出され(下の写真)何か飲食できるものが並ぶのかと思ったらパンが売られるようです。このパンを買う人が多く、大きな籠に4つ位あったパンが最後には売り切れていました。残ったら買おうかと思っていたのですが残念。
 ようやくほとんどの人が出終わったところで中に入り、扉を閉めようとしている若い男性に「秘書のザビーネさんという方はいらっしゃいますか? 撮影の許可をただいているのですが」と話すと高齢の婦人を連れて来ました。今日は秘書さんは来ていないとのことで、怪訝そうなお顔でした。メールをお見せしたところ、「それなら良いでしょう。でも写真はインターネット上で公開しないでください」と釘を刺されました。そうお約束して三脚でしばらく撮影させていただきました。

 ただ、今までは「怪しいマドンナ」と呼んでいたラインベルガーの聖母子像、修復を終えた後はその怪しさが消えているような気がしました。帰り道、三津夫と「何だか普通のマドンナになっちゃったね」と言い合いました。ランツフートのラインベルガーの聖母子像は非常にたくましくて上からにらみつけられるような迫力を持っていて、それがラインベルガー作品の魅力でもありました。この「妖しいマドンナ」の不思議な眼差しの魅力も残っていて欲しかったようなさみしさを感じたことでした。



ポリング修道院(教会・修道院㊲)


▶ヴァイルハイム駅への帰り道

 ようやく今日の目標は達成。でもお腹も空きました。近くにあるバス停を見たら12時過ぎのバスはなく、まずは食事をすることにしました。歩き出すとすぐ近くにレストランがあってホッとしました。日曜日は開いているお店が少ないからです。ここでゆっくり食事をし、もう一度バスの時間をウェイターさんに聞いてみたところ、この日はやはりもうバスはないとのこと。「しょうがない、4kmだから歩けるね」と、コロコロを引っ張りながら歩き始めました。

 お天気も良く、暖かくて歩くには最適の日です。地図で見る限り道なりに駅まで行けるようだったので、安心して歩き続けました。途中の野原の何と爽やかなこと! 一番気持ちよく歩いた道をトップに載せておきました。時々自転車に乗った家族も通り過ぎていきます。
 10月となって紅葉が始まり、町に近づくとところどころ真っ赤な葉を付けた木も見られます。


気持ちの良い道を歩き、次第に町に近づきました。でも少しずつ雲が多くなっています。


▶ところがヴァイルハイム駅が見つからないのです。

 町まで広々した草原を気分良く歩いてきましたが、いよいよ町中に入ったのでスマホで駅を探してそこに行ってみてもなかなか見つかりません。途中5~6人の人に尋ねながら歩いたのですが、その度に指さす方向が違うのです。一時は雨まで降り出して踏んだり蹴ったり。最後に出逢った散歩中の夫婦が「ここはややこしいんですよ。ついていらっしゃい」と言って一緒に歩いてくれたのですが、とても細い裏道でした。最後に「ここから行けば駅に出られますよ」と教えてくれたところは、確かに近くを通っていたと思います。助かりました。ようやくブルーの列車に乗り込んでアウクスブルク中央駅まで戻りました。

 アウクスブルク駅近辺は大きな工事をしていてゴチャゴチャしているのです。ホテルの隣にはキオスクのようなお店が3つほど並んだプレハブがありました。そこで林檎やバナナ(最後の1本でした)を買い、サンドイッチを買ってホテルにチェックイン。部屋に入るとホッとしました。今日も昨日よりは少ないけれど、よく歩いたものです。

 明日はランツベルク・アム・レヒとドナウヴェールトに行く予定です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

 

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