リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

191. 16回目のドイツ旅行(3) バスでマイトブロンからリンパーへ 

2019年10月21日 | 旅行

▶10年ぶりのバス旅で、まずはマイトブロンへ



マイトブロンの道ばたで。


◆バスでマイトブロンへ 2019年7月18日(木)

 3日目の朝は徐々に流れもできて、パンとレタス、トマトにベーコンスープで朝食をゆっくりとりました。私はもう少し濃い味が好きですが、京子さんは薄味がお好きとのことで、自分の器には少し醤油を足して食べました。

 マイトブロンはヴュルツブルクからバスで16分ほどの小さな村です。いつもはペーターが車で連れて行ってくれたので、バスで行くのは2009年2月以来のことです。10年も経つと記憶もおぼろげになっているので、少し早めにヴュルツブルク中央駅につくバスに乗って出発。まずは急いで駅の自動券売機でバイエルンチケットを購入しました。450番のバス、Gramschatz行きがすぐにやってきたので乗り込みました。マイトブロンの聖アフラ教会に行くにはAlbin-Jörg-Straßeで下車します。下車してどちら側に教会があったのか一瞬方向がわからなくなりましたが、「リーメンシュナイダー通り」の標識が出ていたのでホッとしました。道ばたには写真のようなリーメンシュナイダーの作風によく似たマドンナが置かれていました。

 聖アフラ教会の中は静まりかえっていました。今まで何回も来ていますが、たまに誰か入ってくることはあってもしばらくすると出ていくので、リーメンシュナイダー最後の作品と言われている砂岩の「嘆きの群像」と心静かに向き合うことができます。リーメンシュナイダーの初期の頃の作品では十字架から下ろされたキリストは身体が固まっているように彫られていますが、このマイトブロンのキリストはなだらかな肌をして柔らかさを感じます。マリアの後ろに立つニコデモはリーメンシュナイダーの自刻像と言われています。私が知っている限りでは、こうした自刻像はマイトブロンの嘆きの群像、クレークリンゲンのマリア祭壇、デトヴァングの十字架祭壇の3カ所に残されています。

◆マイトブロンからリンパーへ

 先ほど下車したAlbin-Jörg-Straßeのバス停に戻り、さらにRimperに回ってみました。マイトブロンからヴュルツブルク中央駅まで戻るにはリンパーを通るのです。ここの聖ペテロ・パウロ教会にもリーメンシュナイダーの手になるグルムバッハの墓碑があるのでせっかくだから下車して案内したのでした。でも京子さんは男性像にはあまり興味が無いのだそうです。わざわざ途中下車して却って申し訳なかったかもしれません。
 マルクト広場のバス停に戻るとき、ちょうど目の前を綺麗な民族衣装を着て歩いているおばさまがいました。同じバス停まで行ってベンチに座られたので、「きれいな衣装ですねぇ。今日はなにかあるのですか?」と話しかけてみると、「親戚がこの衣装のお店をやっているのでいつもこういう衣装を着ているのよ」とのことでした。とても素敵に似合っているので写真を撮らせていただきました。



 何でも彼女は日本人学生を下宿させているようです。おばさまの隣に座った女性もルーマニアから来たとかで、大きな声でとても朗らかにおしゃべりの輪に加わり、楽しいひとときを過ごしました。


◆ゆっくり午後を過ごしました。

 ヴュルツブルク中央駅に戻るとちょうどお昼時。疲れていたし、喉も渇いていたので(それにトイレにも行きたかったので)駅前にあるKilianbäckに入り、お昼を食べました。食後は駅前の郵便局で京子さんが日本に送るための絵葉書に貼る切手を買い、今後の列車で座席予約が必要なところがあったので、旅行窓口で予約をし、町中でもう少し買いものをして宿に戻りました。さすがに京子さんも疲れが出たようでしばし休憩。私はいろいろと細かな支出があったので会計のまとめをし、夕食用にご飯を炊きました。

 ご飯も美味しく炊けました。しっかりしたお鍋が何種類もあるのでお料理には便利です。アパートの設備の良さが滞在を助けてくれます。正味2時間ほどのバスツアーを午前中に終えられたので、夜はこの旅でも珍しくゆっくり過ごすことができました。京子さんが日本から持ってきた佃煮や梅干しなどをおかずにお喋りしながら食べました。家族のこと、英会話のことなど話も弾み、グッと距離が縮まったひとときでした。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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