リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

147. 3冊目の写真集 ▶まえがき

2018年08月02日 | 日記

▶「まえがき」を載せておきます

 

 

エバーグリーン(エバーフレッシュ、アカサヤネムノキとも呼ばれる)の蕾


 

 エバーグリーンの花 今年はたくさん花が咲きました。

 

  本が届いてから友人・知人へのお知らせをしようと動き始めたのですが、どんな内容の本なのかわからないままでは、なかなか関心もわかないだろうと思い直し、今回は『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の「まえがき」を載せることにしました。
 


まえがき
                                                  

 2016年秋、14回目に訪れたドイツで、今まであまり重要視してこなかったティルマン・リーメンシュナイダーの徒弟、ペーター・デル(父)(Peter Dell der Altere)や、リーメンシュナイダー周辺作家、フランツ・マイトブルク(Franz Maidburg)、また同じ頃に中世ドイツを生きてきた彫刻家の作品や祭壇を見て回った。

 中でも印象に残った作品の一つにペーター・デル(父)のアンナ・ゼルプドリット像(43~46頁)がある。リーメンシュナイダーは聖アンナが大きく膝を開いて座り、その膝に娘の聖母マリアと孫のイエスがちょこんと座っている像(63~65頁)を彫っているが、このペーター・デル(父)の像はマリアとアンナがイエスをはさんで座り、ごく普通の家庭の団欒のような雰囲気を醸し出していた。マリアの表情はふんわりして可愛らしく、温かさを感じる。アンナといえば、町で見かけるおばあちゃんのようにせっせと孫の世話を焼いている。イエスも「ねぇ、ママ、このぶどう食べてもいい?」と、マリアに甘えているようだ。思わず微笑みがこぼれる作品だった。一方、リーメンシュナイダーのアンナ・ゼルプドリット像といえば、静かな中にも深い悲しみを湛えた表情が定番だ。それだけに、弟子の手になるこの像の持つ雰囲気に、ぐっと親近感が湧いてきたのだ。
 この作品はへルシュタイン(Horstein)という町のマリア被昇天教会にある。この像を見るために、フランクフルト(マイン)郊外に住むトーマス・メスト (Thomas Most、20年来の友だち) は2014年にも車を走らせ、最初の情報で得ていた聖ヴィルゲフォルティス礼拝堂を探してくれた。ようやく探し当てた礼拝堂は、小さな野原の真ん中にひっそりと建ち、長いこと締め切られたままのように古びて無人だった。この日は中に入るのを諦めて帰ってきたのだったが、「この中に本当に彫刻があるのだろうか」といぶかしんだトーマスは、その後、独自に調査をして現在この彫刻を保管しているマリア被昇天教会を突き止めてくれたのだった。こうして2016年にフランクフルトを訪ねたおりにトーマスの車でマリア被昇天教会に行き、普段は鍵のかかった小さな部屋の中に招き入れられ、この彫刻を自由に撮影させていただいたのである。ようやくこの作品にたどりつけた喜びはひとしおだった。

 また、ケルン郊外のカルカーにある聖ニコライ教会に入ったとき、あまりの祭壇の多さに圧倒された。中でも真っ正面に立つ主祭壇は人物と馬がひしめきあい、いななきさえ聞こえてきそうな迫力で、思わず時間を忘れて写真を撮りまくった。そのうちの1枚が前頁に掲載のものである。教会のパンフレットによると、祭壇は大小取り混ぜて10点もあり、主祭壇には212体の彫刻が刻まれているという。とても数えきれるとは思えないのに、根気よく数えた人がいたものだ。夫、福田三津夫は、『世界美術大全集14巻』(小学館)で岡部由紀子氏のドイツ木彫祭壇についての記述を読んで以来、ケルンまで行くことがあったら近くのカルカーにも足を延ばして是非この祭壇を見たいと言っていた。そのため、2016年に初めて旅のルートに入れたのだったが、非常に印象的な祭壇であった。

 私たちの旅は、フランクフルトのトーマス、ルース夫妻に報告をして締めくくるのが習いとなっている。トーマスの家がフランクフルト国際空港から車で30分ほどのところにあり、帰りがけに数時間でもいいから寄って欲しいと言われているからだ。彼の家でカルカー聖ニコライ教会の祭壇について話をすると、なんとカルカーはお連れ合いのルースの故郷だったことがわかった。二人は「今度お姉さんのところに行ったら、是非この教会を見てみなくちゃね」と目を輝かせていた。
       
                             
 リーメンシュナイダーのキリストはいつもやせ細っているが、ハンス・ラインベルガーの「苦悩するキリスト」(186~188頁)では筋骨隆々としてたくましい。そのガッシリとした足に私は見惚れた。リーメンシュナイダーの「悲しむマリア」(『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』59頁)は深い悲しみを湛えて静かに佇むが、ミヒャエル・パッハーの「悲しむマリア」(110~112頁)の後ろ姿からは荒野を吹き荒れる風の音が聞こえるようだ。そんな風の中を歩いて行こうとするマリアの凜とした強ささえも感じる。ファイト・シュトースの「二枚の紋章を持った婦人像のアントラー式シャンデリア」(159~160頁、裏表紙)は、当時サロンかレストランにかかっていたものだろうか。人々の会話を天井から眺めて愉しんでいるような表情がうかがえて面白い。
 こうした作品をいくつも見た体験から、リーメンシュナイダーの作品には深い感動を引き起こす力があるが、同じ中世ドイツの時代に活躍していた他の作家にもまた、それぞれの個性と魅力があるということに気づかされた。しかし、彼らの存在は日本ではまだ十分知られていない。ほぼ同時代にイタリアで活躍していたルネサンスの作家たち、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティなどは大変有名で、日本で開かれる展覧会でも多くの観客を集めてきた。
「中世ドイツでも同じ頃にこうした作家があちらこちらで活躍して独自の作品を遺しているということを、もっと日本に知らせたいんだよ」
と、夫は何度も私に言い、だから3冊目の写真集をまとめてはどうかと促してきた。しかし、その都度「エネルギーがまだ湧かない」と答えていた私だったが、ようやくこの旅の半ばで「よし、まとめてみようか」という気持ちになった。リーメンシュナイダー、及びその関係者の作品のみに「必見」のラベルを貼ってまっしぐらに突き進んできた私に対して、三津夫は以前からもっと幅広い作家や絵画などに興味を持ち続けている。夫と一緒に旅する中で、私の作品を見る目も少しずつ広がってきたからに違いない。親切なドイツの友人・知人、私の意欲を引っ張り出してくれた中世ドイツの作家たち、そして誰よりも三津夫に助けられ、促されて、ようやくこの『新・祈りの彫刻リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版することを決意した。
                             
                                  
 本書は、中世ドイツの彫刻家、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品を紹介した『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット 2008年)、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット 2013年)に続く3冊目の写真集となる。本書にはリーメンシュナイダー、彼の工房、及びその弟子の作品のみならず、同時代のドイツを生きた彫刻家の作品も多数紹介している。

 私がリーメンシュナイダーを追いかけるきっかけとなったのは1998年のドイツ旅行だった。初めてドイツの地を踏んでからちょうど10年後に「祈りの彫刻の写真集を作る」というライフワークをスタートし、20年後にその締めくくりができたことを大変うれしく思う。どうか本書を手にされた方は、私たちとご一緒に中世ドイツの旅を楽しんでいただきたい。


 2018年8月
           福田 緑     

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 146. 3冊目の写真集 ▶できあ... | トップ | 148. 3冊目の写真集 ▶目次 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事