リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

171. 15回目のドイツ旅行(19)ボルツァーノの旧グリース教会を訪ねて

2019年02月25日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(19)ボルツァーノの旧グリース教会を訪ねて

 

旧グリース教会、エラスムス礼拝堂(ボルツァーノ、イタリア)


ボルツァーノへ往復の旅の続きです。

 9月24日(月)

 サン・ロレンツォ駅から出発して一度フォルテッサ(フォルテッツァ?)駅で乗り換え、ボルツァーノに着いたのは午後1時頃でした。駅を出るとすぐにバスが見え、これかなと思って「旧グリース教会まで行きますか?」と聞いたら運転手さんが「次のバスですよ」と教えてくれました。本当にすぐ次にやってきたバスに10Aと書かれていました。病院行きのバスです。どこで下りたら良いか停留所の名前がわからなかったので、乗車してから近くにいた女性に聞いてみたらスマホで調べ、「ここよ」と教えてくれたので下車。Grieser Platzと書かれた停留所でした。目の前に大きなゴシックの教会がありましたが、どうも雰囲気が違うのです。中に入ってみるとミヒャエル・パッハーらしい彫刻も祭壇も見当たらず、外に出て周りを見回してみると、すぐ側にイタリアンレストランがあり、その少し先にほっそりした尖塔が見えました(トップの写真)。私がプリントアウトしてきた地図の教会そばにはイタリアンレストランがあったので、ここが私たちが行きたかった旧グリース教会だとわかりました。

 ところが教会のドアは閉まっていました。ドアの横には午後は2時半からと書かれています。小さな教会にはお昼休みを取るところが多いのですが、遠くからやってくるとついそのことを忘れてしまいます。まだ昼食をとっていなかったのでバス停近くまで戻ってカフェに入りました。ここで時間調整。少し早めに教会に戻り、近くの景色や墓地の様子を写しました。


旧グリース教会横の墓地にて


ツアーに占領されて…

 ようやく午後2時半になって一人の女性が教会のドアを開け、丁寧に説明をしてくれました。ところが10分ぐらいして英語のツアーの団体が入ってきたのです。ようやく写そうとしていた祭壇もそのツアーに占領されてしまいました。せっかく長い時間待っていたのに仕方がありません。私たちは説明の邪魔にならないように回りを写し、やっと説明が終わって今度こそ撮影を…と思ったのですが、祭壇の前に何人か熱心な人たちが残ってずっと撮影をし続けているのです。黙って待っていてもらちがあかないので腹を決めて割り込ませてもらいました。ようやく譲り合って写させてもらったのがこの写真です。


旧グリース教会内のエラスムス礼拝堂、グリース祭壇


 ボーツェンからリーエンツまで戻ったときには既に8時過ぎ。昨日チェックしておいたアジアンフードの Haikky Imbiss はまだ開店していたのでホッとしてお寿司と焼きそばを買って帰りました。サーモンのお寿司は美味しかったのですが焼きそばは今一つでした。

 何はともあれ三津夫がずっと見たかったパッハーの聖母子像と祭壇がこの日、無事に見られました。切符を買うのには苦労しましたが、満足の一日でした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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170. 15回目のドイツ旅行(18)ボルツァーノ往復の旅

2019年02月16日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(18)ボルツァーノ往復の旅


 

聖ローレンツ教会(サン・ロレンツォ、イタリア)


急遽予定変更

 9月24日(月)

 前日は疲れて早目に就寝したせいか、5時40分には目が覚めました。この日に行く予定のハイリゲン・ブルートは高い山の上できれいな教会の写真が撮れると楽しみにしていた場所。天気はどうかしらとチェックしてみると、曇りか雨で気温も7度止まり。明日は晴れマークです。それなら今日と明日を交換したほうが良さそうと、三津夫と相談して急遽予定を入れ替えました。町中であれば多少雨が降ってもなんとかなりますが、山の途中で2時間の乗り換え待ちのときに雨が降って寒かったりしたらどうしたらよいのか悩みますから。




 上の2枚の写真はホテルのレストラン。この飾り物もちょっと芸術的です。顔の真正面なのでわかりにくいかもしれませんが、亀です。全体にとてもお洒落なレストランでした。そして毎朝地域の天気や見所を紹介するニュースがテーブルの上に置かれています。宿泊費が1泊112ユーロと、私たちにしてみれば高めでしたが、駅から近くて朝食付き(この地域のホテルにはほぼ朝食が付いていました)、その中でも評判の良いリーズナブルなホテルということで選んだのがホテル・クリスタル。朝食も美味しかったし、親切ですのでお薦めです。慣れれば駅から徒歩5~6分。


やはり不親切な窓口対応、でも結果オーライかな?

 今日は最初にイタリアのサン・ロレンツォ、その後ボルツァーノまで行って戻ってくるという、オーストリアからイタリアへの一日旅行です。リーエンツ駅を7:50発フォルツェッサ行きの電車のチケットをまず窓口で買わなければなりません。でも窓口は閉まったまま。隣りにある自動券売機は稼働せず。周りの人に聞いても待つしかないというあきらめ顔。一体どうなっているのでしょう。そこへ、列車が入ってきました。下りてきたのはあの駅員でした。ぶすっとしたまま、駅員室の横っちょのドアから入っていきました。すぐに窓口が開くかと思っているのにちっとも開きません。列車は折り返しで私たちが乗るものです。車中に車掌さんがいたので、「切符を買いたいのだけど窓口が開かないのです」と訴えると、彼も下りてきて駅員のいる部屋の入り口をノックしましたが、中から返ってきたのは「窓口は8時からだ」という声。車掌さんは首をすくめて「しょうがない、中で売るよ」と言ってくれました。もう一人、私たちと同じようにどうしたものやらと悩んでいたご婦人も一緒に列車に乗り込みました。でももうすぐ発車時間だったので「待っていてください」とジェスチャーをし、列車は出発。その後、その車掌さんが切符を売ってくれたのですが、「私たちはサン・ロレンツォ駅で一度下車し、その後更にボルツァーノまで行き、戻ってきたいのです」というと、その都度駅で切符を買ってくださいと言われてしまいました。「一日の往復券とかないのかしら?」とガッカリしましたが、無いそうです。

 それにしても昨日親切に窓口で明日用の切符を買っていたら、これまた日程の変更で面倒なことになっていたかもしれません。あの不親切駅員のおかげで安心して日程を変更できたとも言えそうです。結果オーライというところでしょうか。


サン・ロレンツォで見たかった聖母子像

 今回チロル地方までやってきたのは、いわば「ミヒャエル・パッハーを極める」ためといってもいいかもしれません。三津夫が深く感銘を受けているこのチロル出身の作家は、画家としても彫刻家としても優れた作品を残しています。そのパッハーの聖母子像が小さな村の教会に祀られているのでした。この教会の位置を特定するまでには相当苦労しました。同じような名前の教会があちらこちらにあるために今までも隣町で下りて苦労したことがあったので、念には念を入れてあれこれ検索しまくり、ようやくここの教会のウェブサイトにこのマリア像が写っている写真を見付けてサン・ロレンツォ駅で下りたらいいのだと確信したのでした。

 駅からはすぐに教会の方向がわかったので、帰りにあせらないように、まず券売機で切符を買いました。買えました! これで安心して次の列車が来るまで町の中を歩くことができます。駅の横の小道をでていくとすぐに教会が見えてきました(写真・トップ)。誰もいない教会の中でようやく見られたマリア像は優しい微笑みを湛えていました。


教会内の壁に祀られたミヒャエル・パッハー作の聖母子像


チロル地方の駅の名前は2つ併記で書かれています。S. Lorenzoがイタリア語、St. Lorenzenがドイツ語です(多分)。


サン・ロレンツォからボルツァーノへ

 駅の時刻表では予定していたより1時間早い列車があったこと、教会内の撮影もしやすかったことから、早い方の列車に乗ろうと駅に向かったのですが、他にも何人か乗客が待っているのに列車はなかなか来ませんでした。それでもみんなノンビリ待っているのは不思議…。結局40分待ってやってきた列車でボルツァーノに向かいました。(続く)

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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169. 15回目のドイツ旅行(17)チロルへ出発!

2019年02月11日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(17)チロルへ出発!


バスから見える山々…名前はわかりませんがチロルの風を感じます。

あとの2枚もバスからの景色です。

 

ニュルンベルクからリーエンツへ

 9月23日(日曜日)

 この日は旅の一番の目的地、チロル地方へ向かう日です。とても気ぜわしい乗り換えの一日、経路はこんな感じです。

  ①ニュルンベルク中央駅 9:02の準急列車で出発→10:52頃ミュンヘン中央駅

  ②ミュンヘン中央駅 オーストリア鉄道特急11:34発ベネチア・サンタルチア行き→12:44ヴェルグル駅(既にオーストリア)

  ③ヴェルグル駅 13:00発特急グラーツ行き→キッツビューエル駅13:29下車

  ④キッツビューエル駅13:35発(実際は45分に出発)リーエンツ東チロル駅行きのバスに乗車→終点リーエンツ東チロル駅15:20頃下車

 中でも②の列車は日曜日とあって大混雑。一時は座れないのを覚悟で立っていましたが、見かねた女性が「ここは空いているから大丈夫よ」と教えに来てくれて三津夫と向かい合わせで座ることができました。一番心配だったのは④への乗り換えでした。もともと6分しかないところで階段を下り、エレベーターで上がってバス乗り場へとギリギリセーフでかけつけたのですが、ドアが閉まっていて乗れません。少し待っていると大柄な女性運転手が戻ってきてドアを開けてくれました。車体の下にトランクを入れ、空いていたので一番前の座席へ。体が不自由な方が乗ってきたら譲るつもりでしたが乗客はそれほど多くなく、乗ってくるのは若い人ばかりだったのでそのまま居座って大パノラマを楽しみました。女性の運転手さんの技術もたいしたもので、途中の小さな村では相当狭い道もありましたが難なく通りぬけ、予定より10分ほど遅れて出発したにも拘わらず5分早めに到着しました。


 

 箱庭のような家々でしたが、なかなかシャッターチャンスがうまく捉えられません。


チロル地方の景色を十分楽しみました。


チロルの空気

 ようやくリーエンツ東チロルに到着。ここはオーストリアの西側、イタリアとの国境近くです。ニュルンベルクからここまで約6時間半近くかかりました。チロルの空気はやはり冷たい感じでキリッとしています。ホテルは駅からそう遠くないはずで、何とか地図を頼りに歩いて10分もかからずに着くことができました。ホテルはこぎれいで、部屋も大きく、落ち着いた雰囲気です。ここは朝食付きのホテルなので朝はゆっくりできますが、気になっていたのは夕食です。この日は日曜日。ヨーロッパでは日曜日にはお店が閉まっているので買い物はできません。レストランは開いているかどうかと心配でした。でもホテル内のレストランなら何か食べられそうです。

 ちょっとホッとして、取りあえず明日の朝の切符を買っておくことにして駅にもう一度出かけました。駅のインフォメーションに行き、まず「明日のバスの切符を買いたいのですが」というと、中年の男性が「ここは鉄道の切符だけだ。バスのことはバス会社に聞いてくれ」と突っぱねるのです。「それでは明後日の鉄道の切符を買いたい」というと、「明後日の切符は明後日来てくれ(と聞こえるような口ぶりなのでこのように訳しました)」とけんもほろろ。誰に対してもこんななのか、それとも私たちがアジア人だからなのかと疑いたくなるぞんざいな態度でした。ちょっと腹が立ちましたが、気分を切り替えて町の探索に歩き始めました。駅とホテルまでの途中にあるマルクト広場では、レストランも開いていて入れそうです。ざっと歩いて戻ってくると、開いているのはカフェがほとんどで、さっきまで開いていたレストランは次々に閉店となっていきます。仕方なく、唯一まだ開いていたイタリアンレストランに滑り込み、トマトソーススパゲティとニンニクスープを頼みました。三津夫はビールも。でも「ビールは美味しかったけどスパゲティはダメだね」と三津夫はガッカリしていました。私のスープは美味しかったけど、ちょっとパンぐらい付いてくるのかと思ったら当てが外れました。

 

 雰囲気は良かったものの、味は今一つのイタリアンレストラン


 帰り道でアジアンフードの店を見付け、明日はここで食べられるわねとホッとしてホテルに戻りました。明日は三津夫が最も楽しみにしているハイリゲン・ブルートに出かける予定ですが、検索をすると、バスが途中の乗換駅で2時間待ちと出てくるのが心配です。他の行き方はないのかとフロントで尋ねてみたのですが、やはり車が無いのであればそのバスで行くしかないとの返事。部屋に戻って明日の天気を調べてみたところ、明日は大分寒そうです。外で2時間も待つのか、それとも少しは休める場所があるのか、とても気がかりです。何にしても厚着をして行くしかありません。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA


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168. 15回目のドイツ旅行(16)ミュンヘン往復とマティアス・ヴェニガーさん

2019年02月08日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(16)ミュンヘン往復とマティアス・ヴェニガーさん


バイエルン国立博物館

 

ミュンヘンへ

 9月22日(土曜日)はニュルンベルク宿泊の最終日です。ミュンヘンのホテルは今まであれこれ泊まりましたが、どこもそれなりに料金が高く、駅からは結構歩くところばかりで、ここという宿が見付けられませんでした。そのため、駅近くのホテルにそこそこの料金で泊まることができるニュルンベルクから往復することにしたのでした。

 ニュルンベルク中央駅に着くと民族衣装の若い人たちがずいぶん集まっていました。薄ら寒いのに薄着です。考えてみたらこの日はオクトーバーフェストでミュンヘンまで誘い合って行くところでした。いつもは比較的静かな印象の若者たちも、この日ばかりは列車の中でも大きな声でお喋りをし、うるさいぐらいでした。

  ミュンヘン中央駅からは三津夫の持っていた地図に従って一気にバイエルン国立博物館まで歩きました。博物館の中央入口より手前でファイト・シュトースの彫刻「二枚の紋章を持った婦人像のアントラー式シャンデリア」が載っているポスターを見付けました(写真・下)。三津夫が気に入って『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の裏表紙に掲載する写真として選んだのがこの作品でした。


この角度だと彼女は貴婦人のたたずまいですね。



でも、この角度だとちょっとお茶目な表情に感じませんか?

ちなみにこれは私の『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の裏表紙です。


 博物館にはほとんど観客がいなくて、入館時は私たちだけでした。ゆっくりとリーメンシュナイダーの部屋に向かうと何ということでしょう! 2016年には空っぽだったリーメンシュナイダーの部屋に多くの作品がゆったりと立っているのです。1999年、初めてマグダラのマリアを見たとき、小さな暗い部屋に彼女は佇んでいました。その部屋の中でこそ、リーメンシュナイダーのメッセージは強烈に浮かび上がり、私の心臓を貫いたのでした。でもその後、大きな部屋にリーメンシュナイダー作品が集められてからは、明るすぎてガラスケース内には光が反射し、なかなか写真を写すのが難しかったのです。マリア・マグダレーナも少々疲れた表情に見えたのでしたが、今回はマグダレーナの雰囲気にぴたりと合った適度な照明の中で以前の敬虔な姿を取り戻していました。

 そして嬉しいショックも。展示室を回っているうちに何とペーター・デル作の「美しいマリア」があったのです!! 思わず小さな叫び声をあげてしまいました。9月12日にマイセンまで出かけていって見られなかった作品です。ここにあるとは…。三津夫はとっくに見ていて、私がどんな反応をするのか楽しんでいるようでした。解説カードを読んでみると、ジーメンス文化財団により貸し出された展示品となっていました。しかも以前はマイセンのアルブレヒト城に展示されていたとあります。それなら前回訪問したときにはすでにマイセン市立博物館ではなく、アルブレヒト城にあったのではないかと残念でたまりませんでした。でもそのときもお城に着いたのは夕方5時前でしたから、やはり見られなかったのかもしれませんね。ここで見られてラッキーでした。写真も撮ることができましたし。

 この展示に拘わっているのはマティアス・ヴェニガー博士です。中世の彫刻を担当している方ですが、この日、博物館ではお目にかかれませんでした。というのは、数日前からエストニアに出張があって、この日に帰宅するという日程だったのです。車を飛ばしてせっかく初めてのエストニアに行ったので帰りがけに見たい場所もあり、何とか夜までには戻ってくるということで、私たちのホテルに寄ってくださる約束になっていたのでした。

 

マティアス・ヴェニガーさん、ホテルに見える。

 ヴェニガーさんとメールのやり取りを始めたのは2007年だったと思います。マグダラのマリアなどの情報を教えていただいたのでしたが、できあがった『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を贈呈してもお返事がいただけずにいました。2010年に再度ミュンヘンに行くことになり、三脚を使って撮影させていただきたいとお願いのメールを送ったところ、撮影は良いけれども出版などには使って欲しくないと釘を刺され、その後はやり取りが途絶えていたのです。でも、『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版するに当たってどうしてもバイエルン国立博物館の作品を掲載したいと願い、2017年に重たい気持ちにむち打ってお手紙を書いたのでした。それからはとても親切にお返事をくださるようになり、ミュンヘンに私たちが行くときには是非会いたいと、このようなきつい状況の中でホテルに寄ってくれたのでした。

 電話のベルが鳴ったのはもうすぐ10時という頃。三津夫は買ってあったビールを待ちきれずに開けたところでした。急いでロビーに下りると痩せた背の高い男性が立っていました。「ホテルに遅くなると連絡をしたけど伝わりましたか?」と疲れた様子でした。残念ながらメッセージは伝わっていませんでしたが、それは最初から覚悟していたことで大丈夫ですよと答えて本を手渡しました。一冊はバイエルン国立博物館の図書館へ、もう一冊はヴェニガーさんご自身へ。本を手にとって内容を見始めるとどんどん表情が和らぎ、笑顔になったのでホッとしました(今考えればコーヒーぐらいご馳走するべきだったのに、頭が回りませんでした)。そしてしきりに「あなたの写真はアングルが良い」と言うのです。そうなのかなぁと思いましたが、誉められれば嬉しいものです。でもあとから気がつきました。ヴェニガーさんは背が高く、私は153センチ。見る角度は確かに違うし、撮影する角度ももちろん違うわけで、きっとそれが新鮮に見えたのではないでしょうか。

 旅の最後に訪問する予定のリービークハウス(フランクフルト)にいるシュテファン・ローラーさんとは連絡がついているのかと尋ねられ、手紙とメールで問い合わせたけれどお返事がいただけていないと答えると、「私から連絡を取るように伝えておきます」と言って、写してくださったのが下の写真です。三津夫はビールを少し飲んだので赤い顔をしていますが、二人揃ってこんなに笑顔で写っている写真は滅多に無いのでとても嬉しく思いました。

 再会を期して握手でお別れしました。ヴェニガーさんはあと2時間も車を飛ばすそうなので、夜中過ぎにお宅に着くのでしょう。本当にお疲れさまでした。

 

 ホテルのロビーでヴェニガーさんが写してくださった私たちの写真。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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167. 15回目のドイツ旅行(15)バンベルクへの一日旅行

2019年02月02日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(15)バンベルクへの一日旅行


 

聖ゼバルドゥス教会の聖櫃


リーメンシュナイダー初見作品

 9月21日(金曜日)

 一昨年、中村英之さんからいただいた『Tilman RIEMENSCHNEIDER』(Matthias Weniger著)の中に今まで見たことのない作品が一つ入っていました。名前も初めて聞く「聖ロクス像」です。その彫刻を見にまずバンベルクまで列車で出発。バンベルク駅からミューレンドルフの教会までは約10キロの距離にあるのですが、タクシーで往復してもそれほどの金額にはならないと思って駅前のタクシー乗り場で聞いてみました。ちょうど中東の方のような運転手さんが番待ちしていたので、「ミューレンドルフの教会まで行って少し写真を撮って戻ってきたいのだけど、何分ぐらいかかりますか?」と言ったら15分ぐらいとのこと。「いくらかかりますか?」と聞くと25ユーロと言ったので、それならと乗り込みました。教会に着くととりあえず料金を払えというのです。25ユーロ出すと「50ユーロ」だと突っ返されて「え~?」とびっくりしました。片道の料金だったの? ちゃんとメモで書いて聞くべきだったと後悔しましたが後の祭り。仕方なく50ユーロを渡して教会前で待っていてもらい、中に入るとありました。まさにリーメンシュナイダー作という顔立ちの聖ロクスです。びっくりしたのはミュンヘンのバイエルン国立博物館にある聖セバスチアンのレプリカがここにあったことでした。なるほど。元々あのセバスチアンはここにいたのですね。


 

お目当ての聖ロクス


レプリカの聖セバスチアン


バンベルク大聖堂にも寄りました

 帰りに三津夫が大聖堂にも行ってみたいねと言い、私もせっかくここまで来たのに直行で帰ってしまうのは勿体ない気がしていたので、運転手さんに駅に戻るかわりに大聖堂に寄ってもらえますかというとOKの返事。でも何だか狭い裏道を通るので本当にこの行き方で大丈夫かと少々不安になったのですが、「工事中なのでここを通るしかないんですよ」と運転手さん。大聖堂の裏側から回ったのでした。ここからは駅までの道はほぼわかるので、ホッとして大聖堂に入りました。ここにはファイト・シュトースの黒っぽいマリア祭壇もあるのですが、今回は修復中とみえて写真が貼ってあるだけでした。リーメンシュナイダーの力作、「聖ハインリッヒと后クニグンデの石棺彫刻」も、もう一度見てきました。何度見ても素晴らしい彫りです。写真の公開は許されていないので今まで本に載せませんでしたが、掲載許可をお願いしてみれば良かったかなぁと思いました。


再びニュルンベルクで

 昨日外壁の彫刻だけ撮影した聖ゼバルドゥス教会には、パンフレットを読むとファイト・シュトースの作品もあることがわかったので、じっくり撮影しに行きました。また、初めて見たペーター・フィッシャーの「聖ゼバルドゥスの聖櫃」は小さいながらもしっかりしたブロンズの作品で、ここにフィッシャーの自刻像も入っていることがわかりました。三津夫はすごい、すごいと感激していました。そして、この聖ゼバルドゥス教会にも聖ロレンツォ教会にも、ファイト・シュトースの磔刑像がかかっていることが分かり、今まで何を見ていたんだろうと反省。やはりきちんとパンフレットを読み込むと見る目が違ってきます。ニュルンベルクは今年、その価値を再認識させられた町となりました。


聖ゼバルドゥス教会 ペーター・フィッシャーの聖櫃横で


*帰国してからの大ショック! 私はミューレンドルフの教会写真を撮ってくるのを忘れてしまっていました。タクシー代に気をとられていたのですね。とっても残念です…。


※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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