リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

289. 17回目のドイツ旅行(17) フランクフルトで啓子さんとお別れ

2023年01月31日 | 旅行

▶今日は啓子さんの帰国日です。



フランクフルトのリービークハウス(美術館・博物館⑫)

 

▶今日は木枯らしのような風が吹くとても寒い日でした。 
 まだ9月というのに今日はとても寒い日でした。日本の秋の終わりのような風の冷たさ。啓子さんもショールやスカーフで防寒していました。それなのに足下はサンダル、返す返す申し訳ないことでした。私も毛糸の帽子を被ってはいましたが、もっと真冬用の帽子にすればよかったと後悔しました。
 今日は啓子さんが帰国する日です。コロナ禍での旅行は何かと準備にストレスがかかりましたが、MySOSという厚生労働省のアプリを旅行前に用意しておいたので、啓子さんはそれを見せれば無事日本に入国できるはず。どうか気をつけて無事にお宅に戻れますように。


◆2022年9月18日(日曜日)11137歩
 ケルン中央駅からフランクフルト(マイン)中央駅(以下、マインは省略)に行くには途中で乗り換えなければならいため面倒です。でもケルン中央駅からフランクフルト空港駅までは直行の ICE で1時間もかかりません。そのため私たちも空港まで一緒に行くことにしていました。
 空港駅で三津夫に荷物番をしてもらって、啓子さんと2人で彼女のトランクを預けに行きました。コインロッカーならすぐに取り出せるし、1人分で5ユーロぐらいです。すぐに見つかると思いきやコインロッカーはなかなか見つかりません。ここでも2~3人に聞きながら荷物の一時預かり所をようやく見つけ、啓子さんの荷物を預けて身軽になりました。その後、啓子さんも一緒にフランクフルト中央駅まで乗り、私たちの荷物を駅前のホテルに預けてから一緒に美術館を2箇所訪ねる予定です。帰国前にフランクフルトの後期ゴシック作品や有名画家の絵を見る機会を楽しんでもらおうと、最後まで欲張りな私たちの旅行です。



左にマイン川を見ながら歩く遊歩道 この先の右手にリービークハウスがあります。


▶まずは荷物を預けてリービークハウスに向かいます。

 フランクフルト中央駅のすぐそばに私たちが1泊するホテルはありました。最初はホテルの地図をなぜかプリントアウトしていなかったので、余計な時間とエネルギーを取ってしまいました。
 ホテルは午前中にもかかわらずチェックインできて助かりました。部屋は古いけれどまぁまぁ大きく、元々は立派なホテルだったように見えました。フロントで待ってもらっていた啓子さんと合流し、寒風の吹く町へ。マイン川の Friedensbrücke(平和橋)を渡り、左に曲がってしばらく歩くとリービークハウス、シュテーデル美術館と2つの美術館がほぼ並んでいます。まずはリービークハウス(美術館・博物館⑫)に入りました。ドイツ後期ゴシックの彫刻をもう一度確認したかったのですが、残念ながら特別展示が入って彼らははずされたようです。リーメンシュナイダーのマドンナも啓子さんに見せてあげられず、残念でした。特別展示は象牙彫刻で、本当に手の込んだ細かな彫りの作品がたくさん並んでいました。興味のある人にはたまらない魅力でしょう。



もう秋の景色です。そろそろリービークハウスが近づいているところです。



ようやくリービークハウスに着きました。既に疲れ果てている私です。


▶シュテーデル美術館(美術館・博物館⑬)

 続いてシュテーデル美術館へ足を伸ばしました。ここにはカフェがあるので私は暖を取りながら待っているつもりでしたが、入って見たらカフェはコロナ禍で閉じていました。でも端っこに一つだけソファーがあり、1人の女性が座っていたので、腰に痛みがあるのでとお願いして隣に座らせてもらいました。三津夫と啓子さんは有名な画家の作品を見て回り、なかなか戻ってきません。とても広い美術館なので無理はありませんけれど。日記を書き、待ちくたびれて数独を少ししているうちに2人が戻ってきました。待つ身には長かったのですが、本当は1時間ぐらいしか経っていないのでした。それでも2人は有名画家の絵はほぼ見てきたようです。パワフルです。

 再びフランクフルト中央駅までゆっくり歩いて戻り、啓子さんを S バーンの乗り口まで案内してお別れしました。どうか無事に帰国できますように。


▶これからは粗食の旅です。

 2人になると、もうほとんどレストランには入りません。啓子さんを見送ってから遅めの昼食兼早めの夕食をとることにしました。駅のフードコートで焼きそばと春巻きを食べ、売店で林檎とバナナを買ってホテルに戻りました。

 足を痛めると、それをかばって歩くために腰も痛くなり、以前交通事故で傷めた古傷が腰から腿にかけてうずくようになります。アーヘンで痛めた日にこの後の旅行が心配で携帯用の鍼を入れたのですが、いつもはよく効く鍼が今回は効果が感じられません。時間が経つのを待つしかないのでしょうか。本当なら温かいお風呂に入るだけでもずっと楽になるのですが、ドイツではバスタブ付きのホテルは稀です。夜はシャワーをしばらく当てて暖かくして寝ました。

 明日はアイゼナハのエルケさんと会う約束になっています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

288. 17回目のドイツ旅行(16) アーヘンでこの旅初めての躓きを体験しました。

2023年01月30日 | 旅行

▶今日はアーヘン観光後、ケルン大聖堂も訪ねました。

 


アーヘン大聖堂(教会・修道院⑯)

 

▶アーヘンに23年ぶりに行きました。

 三津夫は長いことアーヘンのズエルモント・ルートヴィッヒ美術館に行くことを楽しみにしていました。その理由を彼のブログ〔532〕後期ゴシック彫刻を歩く⑯に以下のように書いています。

***************************************
 私たちにとってどうしてもアーヘンに行きたかったわけがあります。ズエルモント・ルートヴィヒ美術館を訪れたかったのです。
 1994年、国立西洋美術館と愛知県美術館で「聖なるかたち 後期ゴシックの木彫と板絵」展が開催されました。この時、ズエルモント・ルートヴィヒ美術館の木彫や絵が数多く来日したのです。大部な図録が発行され、私も少し前にネット購入したことはこのブログで紹介しました。さらにこの時、「芸術新潮」(1994年7月号)でこの展覧会の特集をしているのですが、解説を書いているのが植田重雄さんです。
*******************************************

 三津夫はこの芸術新潮を何度も眺めては一度この博物館を訪ねてみたいと思っていたのでした。こうした図録や本を眺めるのは彼の趣味の一つで、私よりずっと多くの作品に目で親しんできています。
 過去の旅行歴を調べてみたら私たちが初めてアーヘンを訪れたのは1999年の8月でした。リーメンシュナイダーの聖マグダレーナを初めて見て「リーメンシュナイダーの追いかけ人になる!」と決めた年です。とても寒かった記憶が残っていたので別の旅行で冬に行ったような気がしていましたが、実際は真夏なのに寒くて長袖の上衣を着ても冷えたのでした。23年ぶりの訪問だったのですね。


◆2022年9月17日(土曜日)10849歩
 
今日はアーヘンでは朝のうち8~9度との予報でしたので念のためセーターも鞄に入れ、レギンスも履いて暖かめのブラウスを着て出かけました。地図で見ただけではなかなか着けないのが私の方向感覚の情けないところ。地元の2~3人のアドヴァイスを受けてようやくズエルモント・ルートヴィッヒ美術館(美術館・博物館⑪)に到着しました。受付には入ることができましたが、開場まであと少しお待ちくださいとのこと。9時過ぎにはアーヘン駅に着いていたので、ここまで40~50分かかってしまったことになります。10時になると同時に一番乗りで入場しました。


朝一番で訪ねたズエルモント・ルートヴィッヒ美術館(美術館・博物館⑪)

 館内では何人もの館員がつかず離れず私たちを見守り、よくお仕事をしていました。クルティウス博物館とは大違いですね。
 三津夫はどんどん自分の好きな彫刻を探して動いていきます。私は興味のあるところはじっくりと、そうでないところはササッと通り過ぎるので、それほど大きくない美術館の中で啓子さんと三津夫にも会ったり離れたりの自由行動です。

 展示の中でも私が一番面白かったのは当時の画家と彫刻家の工房モデルが作られていたことでした。中の道具も見られますので彫刻をする人、絵を描く人にはもっと興味深く見ることができるかもしれません。
 三津夫が一番見たかったと思われる聖バルバラ像は確かにこの館の宝と言えるでしょう。作者は「Hans Sixt の周辺作家」と書かれていました。この美術館の彫刻は、ほとんど作者名が「Unbekannter Künstler」と書かれています。はっきりどこの誰が制作したのかが知られていない(わからない)ものでした。私が知っていた作者による作品はニクラウス・ヴェックマン工房作の「聖ゲオルク」でした。なかなか凜々しい若者の彫刻で、リーメンシュナイダーの優しげで哀しげな聖ゲオルクとは雰囲気が大分違います。シュレースヴィッヒ聖ペトロ大聖堂で購入したカタログにはハンス・ブリュッゲマンの聖ゲオルクが紹介されていましたが、堂々たる迫力で大きな竜をまさに「今やっつけてやるぞ!」と言っているような熱血熟練騎士の姿でした。こちらはコペンハーゲンの国立博物館に所蔵されていると書いてあったので、チャンスがあればデンマークにも足を伸ばしてみたいと思っています。

▶今日の二つ目の目的地はアーヘンの大聖堂(教会・修道院⑯)です。


アーヘン大聖堂(教会・修道院⑯)裏口ドア上部の彫刻


 ズエルモント・ルートヴィッヒ美術館から大聖堂まではそれほど遠くはなく、迷わずに行くことができました。途中で眼鏡屋さんに寄りました。私の眼鏡のネジが2日前から壊れてしまっていたのです。列車情報など眼鏡がないと不便ですので、何とか早めに修理してもらいたいと思っていましたが、昨日はそのゆとりがありませんでした。2019年にもフランクフルトでこの弦を留めるネジが取れてしまい、修理をしてもらうために走り回ったことがあります。今度こそ海外に行く前に一度眼鏡をみてもらっておかないといけないと心に刻みました。

 今日は大聖堂近くの賑やかな通りで眼鏡屋さんがあったらなぁと思いながら歩いていましたら、ありました。「fielmann」という大きな眼鏡屋さんです。中の受付には列ができていました。来店目的に応じて振り分けられるようです。私は直接カウンターに行くように言われました。気難しそうな貫禄ある技師さんの前に並び、前の人が終わるまで待ちました。簡単な修理はここでしてくれるようです。私の番になり、眼鏡を見せるとすぐに頷いて後ろ向きになり、棚にたくさん並んでいるネジから一つ取り出して付け始めました。長く先っぽが出ている状態で「これで大丈夫ですか?」と見せたので大丈夫ですと答えると、難しい顔で「これ、あなたがかけるんですか?」と言います。そうだと頷くと、キュッキュッと眼鏡の全体の向きを少しねじるようにしてから「かけてみてください」と言います。試すと以前よりフィットしているのでした。その後、飛び出しているネジの先っぽを切り落として渡してくれました。調整してくれたんだなと、思わずお辞儀をしてしまいました。「ありがとうございます。おいくらですか?」と尋ねたら「要りませんよ」とジェスチャー、最後ににっこり笑ってくださいました。ホッとして心が温かくなりました。

 眼鏡屋さんの近くにノルト・ゼーがあったので、ここで昼食をとりました。ビール大好きな2人も、さすがにこの時はまだビールを頼みませんでした。

 
大聖堂前のお花屋さん 日本ではあまり見かけない並べ方です。 

 

▶アーヘン大聖堂宝物館で、この旅初めての躓きを体験しました。

 アーヘン大聖堂はドイツの世界遺産登録第一号だそうです。大聖堂の中はきらびやかではありますが、建物はそれほど大きな造りではありません。どんな様子だったのかすっかり忘れてしまっていたので、初めて来たかのように新鮮な気分で見て回りました。
 その後、金や宝石がきらめく宝物を見に、別の建物にある宝物館に入りました。王様の胸像やら王冠やら、宝石や金がたくさん使われてキラキラと輝いた宝飾品です。確かに美しいですし、その細工や技巧は素晴らしいものですが、正直、私は彫刻を見る方が好きです。

 この宝物館を歩いているときに、どこかの階段で左ももにズキッと痛みが走りました。これが腰ならぎっくり腰と言うのでしょうけれど、腿だとギックリ腿とでも言いたくなるような痛みです。しばし動けなくなってしましました。そろそろと動いても一歩一歩が痛むのです。宝物館を出て駅までの帰り道でも段々動きが鈍くなり、この旅に来てから一番辛い時間となりました。左足を引きずりながらアーヘン中央駅までなんとかたどり着きました。まだ旅の第Ⅰ部なのに、この後の旅は大丈夫なのかと悲しい思いで一杯でした。


アーヘン大聖堂(トップ写真から更に回り込んだところです)




大聖堂内も、このようにきらびやかな壁一面の装飾や彫刻、花など
が一杯でした。


▶ケルン大聖堂2回目の見学

 ケルンに戻ってきてから、さらにケルン大聖堂の補充見学に行きましたが、もう私は1人でゆっくりゆっくり歩いて回ることしかできませんでした。そんな中でもロストックのヘルヴィックが教えてくれたケルン大聖堂内にあるという白黒の模様を写しました。ちょうど人が通っていないチャンス。この模様をヘルヴィックはなんと呼んでいたか忘れてしまいましたが、それを集めた本を見せてくれたのです。そしてケルン大聖堂にもあると教えてくれていたので、帰国後にこの写真を送ったら喜んでいました。



ケルン大聖堂の地下に下りる階段 白と黒の模様がくっきり見えます。


「北京亭」の窓から見たケルン大聖堂 ここで最後の乾杯をしました。


 今日はドイツでの啓子さんとの最後の夕食です。またしても北京亭(もしかしたら「北京酒楼」だったかもしれません。正式名称は「
China Restaurant Peking am Dom in Köln」だそうです)にやって来ました。9月4日の朝早くに合流してから今日で14日目。明日は啓子さんがフランクフルトから帰国します。再び2人はビールで、私はジュースで乾杯。
 この日まで啓子さんには共有会計係をしてもらっていました。食事の度に誰がいくら払うか計算するのでは面倒なので供出金から一緒に支払ってもらうのです。毎日面倒な仕事をどうもお疲れさまでした。そして何よりも貴重な運動靴を快く譲っていただき、この後の旅をどんなに助けてくれたことか、どんなに感謝してもしきれません。三津夫は飲み友だちがいるとビールも一層美味しいようです。私があまりお酒に強くないので、こんなに賑やかな夕食はこのあと望めなくなります。三津夫はさぞ寂しいことでしょう。
 毎日朗らかにお喋りをし、食べて、見て回って、賑やかな旅となりました。啓子さん、本当にありがとうございました。

 明日はフランクフルトまで一緒に行き、啓子さんとお別れします。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

287. 17回目のドイツ旅行(15) リエージュへの旅は難関でした。

2023年01月29日 | 旅行

▶今日は国境を越えてベルギーのリエージュ(ドイツ語ではリュッティッヒ)まで出かけます。

 


ロストックで啓子さんが譲ってくれた運動靴を履いている私と、サンダルで歩く啓子さん。申し訳ない🙏 


リエージュの駅

 

▶なぜリエージュへ出向いたのかという理由

 しつこいようですが、今回の旅の大きなテーマの一つがダニエル・マウホの足跡を辿ることでした。最初のドライブ旅行も主にマウホ作品を訪ねたのでしたが、リエージュのクルティウス博物館には三津夫の大のお気に入り「三日月の上の聖母子像(ベルゼリウスのマドンナ)」があるのです。優しい顔の聖母マリア、穏やかな顔をした幼子イエス、マリアの服の襞から顔を覗かせる2人の天使も子どもらしい無邪気な表情(下のマウホのカタログ表紙)で、この博物館の宝と言える存在です。また同じ市内の聖ジャック教会、聖ポール大聖堂にもマウホ作品があるとカタログや『地球の歩き方』には書かれていたので、一日かけて市内を歩き回ることにしたのでした。


クルティウス博物館の「三日月の上の聖母子像」
   
カタログ『DANIEL MAUCH Bildhauer im Zeitalter der Reformation 』表紙


◆2022年9月16日(金曜日)16992歩
 まずは7時42分の ICE で出かけようと駅からホームに出たところで不穏なアナウンス。「大変な事故がアーヘンで起きたため列車は1時間ぐらい遅れます」といったような内容でした。列車の編成も変わったようで皆走り回っています。何とか皆と同じ方に走って行き、取りあえず乗り込みました。数分遅れで出発したものの途中からノロノロ電車となり、1時間経っても途中の要所、アーヘンにすら到着しません。それなら今日はアーヘン見学にして明日と予定を入れ替えたらどうかと三津夫が言いましたが、明日はケルンの最終日となるので帰国間近の啓子さんはお土産を買う予定もあるでしょうから、近くのアーヘンの方が時間にゆとりができてよいと思うと話し合い、やはりリエージュまで行くことにしました。結局2時間遅れで着いた時には11時を大分過ぎていました。

 駅前はトップ写真のようにスッキリしていましたが、一歩ここから出ると町中が工事中という感じで歩く道幅も狭くて落ち着かず、予想していた穏やかな町とはイメージが大違いでした。地図を見ながら歩くのですが、なかなか一番近い目的のジャック教会が見つかりません。若い人には英語で聞くと反応がありますが、大半の人はフランス語のようなベルギー語のようなことばで返事が来ます。まぁ、それでも地図を示しながらなので大体通じました。何とかジャック教会(教会・修道院⑭)にたどり着くとちょうど12時になっていて「今からお昼休みなので2時過ぎに来てください」とのこと。仕方がないので次に近いはずの大聖堂を訪ねました。ここもずいぶん苦労してやっとわかりました。ただ、残念なことに中に入っていくら探してもマウホ作品の石彫レリーフは見つけられませんでした。その後ゆっくり昼食をとってから再び聖ジャック教会に戻りました。



聖ジャック教会(教会・修道院⑭)


聖ポール大聖堂(教会・修道院⑮)

  
聖ジャック教会に戻ってようやく拝観できた彫刻たち(左2体は名前がわからず。最後は洗礼者ヨハネ)(緑)
 

 2回目にようやく拝観できた聖ジャック教会では、マウホのカタログに出ていた
4体だけでなく合計8体見られて感激でした。ただ今回も半数以上がきれいに撮れていなかったので三脚がなかったにしても我が技量にはがっかりしています。アマチュア写真家と名乗るのはもう無理な状況です。もっと練習しなければ…。

 

▶本日の最終で最大の目的地クルティウス博物館

 クルティウス博物館は、地図で見るとジャック教会からマース川沿いに出て、ずっと北上して歩けば到着するはずでした。それは正しかったのですが、その道の長かったこと。最大の難関は大雨でした。しかもランダムに土砂降りになるのです。傘を差したりすぼめたりも忙しい上に歩道が圧倒的に狭くて歩きにくいのです。この雨で啓子さんのサンダルを履いた足がずぶ濡れになりました。心の中でお詫びし続けながら歩きました。濡れれば体も冷えます。本当に申し訳ないことでした。

 
 
クルティウス博物館(美術館・博物館⑩)に向かって歩く間は雨が降ったり止んだり。降り出すととても激しい雨でした。やっとたどりついた博物館。


▶クルティウス博物館は命が縮まる迷路のような博物館でした。

 やっと着いたクルティウス博物館ですが、入口がわかりません。近所の方に聞いてこの赤い壁の裏側に入り口があると教わりました。その入り口は下の写真のようにまったく雰囲気が違います。


クルティウス博物館の正面

 入館してからどこでマドンナに出会えるかと楽しみにしながら回りましたが、グルグル回り込んでようやく出会うことができました。想像していたよりずっと小さな彫刻でした。ガラスケースに入った状態で写真も写しにくかったのですが、やはり本当に優しげな聖母のお顔が心に残る作品でした。カタログの表紙の何倍も優しげでした。服の裾や襞から顔を出す天使たちはハンス・ラインベルガーでも見かけましたが、ラインベルガーの天使たちはいたずらっ子風で、マウホの天使たちには何だかおっとりした無垢な子どもらしさを感じました。

 ホッとしたらお手洗いに行きたくなって啓子さんと一緒に行ったのはいいのですが、エレベーターがなかなか動かず、動いたと思ったら上がったり下りたりでようやく地下1階のトイレに到着。2階に戻るときもスッと動いてくれないエレベーターでした。それにしてもここの館員は2階の角に椅子を丸く並べてずっとお喋りをしていました。会議という雰囲気ではないので「もっと働いたら?」と3人でこっそり言い合うほどでした。

 さて、マドンナもしっかり拝観できたし、3人揃って1階に戻ろうと思ったら何とも複雑なのでした。近くには階段が見当たらないのでエレベーターに乗って地上の0回を押しても、どうしてもそこに止まってくれないのです。地下一階に舞い戻り、そこから乗ってきた地元のカップルと一緒にあがったり下りたりしているうちに階段で下りれば行けるのかなと思い付きました。入館したときに上ってきた階段を探しましたが見つからず、それなら非常階段で下りられるのではないかと気が付いたのです。日本ではどのビルでもこうした非常階段に出入りできますからね。
 ところがこれが魔物だったのです。うかつに非常階段に下りるとこうなるかもしれませんから皆さんも気をつけてくださいね。私たち3人が一度非常階段に出てドアが閉まりました。地上0階(日本の1階)に戻ってドアを開けようとしたところ、そこのドアにはガッチリ鍵がかかって開きません。慌てて出てきた地下1階に戻ったのですが、ここも既に鍵がかかっているので戻れないのです。さぁ、困りました。どうしようと胸がドキドキしてきました。電話をして助けを求めようかどうしようかと3人で困り果てていると、ちょうど先程の夫婦も同じ非常階段のドアを開けて入ってきたのです。チャンス!「ここからは行けませんから戻らないと」と言いながら慌ててドアを押さえ、私たちもそのドアから中に戻ったのでした。セーフ!! 

 でも、彼らがいなかったらどうなっていたでしょう。今思い出しても寿命の縮む思いで体が熱くなります。もう一度皆で、つまり5人でエレベーターに乗り直したら鞄を持った紳士がちょうど乗ってきました。渡りに船と、受付に戻りたいけど戻れなくて困っていることを訴えると、彼は「私の後についていらっしゃい」と、一旦2階まで上がってからスタスタ歩き、部屋のずっと奥にある階段に案内してくれたのでした。「ああ、ここから最初は上がってきたんだったわ」と思い出しました。入り組んだ建物なのだからせめて館内案内図とか出口のサインとか矢印とかがあればこんなに苦労しなかったのに…と安堵すると共に腹が立ってきました。でもまぁ、この迷路のような博物館から出られて本当に良かった、二度と非常階段に入ってはいけないと肝に銘じました。また何かの時には外部と連絡できるようにスマホはいつも持って歩かないと危険だと思い知らされたことでした。


▶風の吹き抜ける寒い駅

 クルティウス博物館からの帰り道も周りの人たちに何度も教えてもらって迷いながらバス停に行きましたが、どうもここから駅に行くバスが来ないようです。若い女性に英語で尋ねてみると、もっと先のクルティウス博物館のマース川沿いにあるのだと教えてくれました。ほとんどさっきまでいた場所の方角に逆戻りです。そうしなければ駅行きのバスには乗れないことがわかりました。大分寒くて腰もしんどいのでバスが待ち遠しくてたまりませんでした。

 リエージュ駅に戻ると、ケルンに行く列車は1時間後に来ることがわかったのですが、地下にいても風が冷たく吹き抜けて寒いのです。以前この駅で列車を待っていた心細い体験を思い出しました。当時はこんなカフェもなかったように思います。今日も風が段々冷たくなって、外にいると体が冷え切ってしまいそう。駅のデザインは大変モダンで美しいのですが、地上のホームは風避けがなく吹き抜けるので寒さは相当なものです。風を避けるためにはこうしたカフェに入らなければなりません。私たちも取りあえずカフェに入って一休みすることにしました。

 少しおつまみと飲み物を頼んで暖を取り、無事にケルン中央駅に戻ったのは8時を回った頃でした。今日は目的はなんとか達したけれど、今までの旅の中で最も波瀾万丈の日となりました。

 明日はアーヘンの美術館と大聖堂を訪ねます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

286. 17回目のドイツ旅行(14) ロストックからケルンへ

2023年01月28日 | 旅行

▶この日は列車でケルンへ移動しました。

 


世界遺産ケルン大聖堂(教会・修道院⑬)当日は曇りでよく撮れず、2010年撮影の写真です。



▶最後の朝、ヨーラは寂しそうでした。

◆2022年9月15日(木曜日)3701歩
 今日でロストックの猫家族とはお別れ。特にヨーラはトランクの関係で車が一杯になるため、家の前でお別れしなければなりません。そのせいか何だか朝から元気がありませんでした。8時に朝食。盛大に朝からチキン、ベーコン、エビフライ、エビの燻製、燻製チーズ、お米のパン、庭で採れた葡萄と出ました。朝食中に「あとで緑とお弁当を作るから」とご指名がありました。台所に行くとお握りを作りたいのだと言います。2人で炊き上がったご飯にエビ、スモークサーモンを入れてお握りを作り、海苔で巻きました。今まで何回この台所で一緒に料理をしたかしらと思い出を辿りながら…。大きな手提げに入れたたくさんのお握り、葡萄、林檎にケーキまで持たせてくれました。ヨーラ、本当にありがとう。
 最後はヨーラも笑顔でハグしてお別れしました。ヘルヴィックもいつも穏やかな笑顔でどこにでもつき合ってくれて本当にありがとう。ホームで無事にミュンヘン行きの ICE に乗ってお別れ。今度2人が日本に来ることがあったら私たちが心を込めてお迎えします。

 今日の列車はハンブルクで乗り換えます。10時25分発でハンブルクまで2時間1分なので予約席は取っていませんでしたが、十分席が空いていたので困りませんでした。溜まってしまった日記をこの間で書きました。でもハンブルクからシュトゥットガルト行きの IC に乗る予定でしたが、またもや列車の遅れが発生。ケルンまでは4時間4分かかるので座席を予約してありました。駅の雑踏で待っている間は落ち着かないのでがまんして、やっと来た列車に乗ってからヨーラのお弁当を皆で美味しくいただきました。お弁当を食べた後は啓子さんとゆっくりお喋りしたりウトウトしたりして過ごしました。
 ケルンには50分遅れの17時40分に到着。駅に直結したホテルにチェックインしてすぐ大聖堂(教会・修道院⑬)に行ってみました。見学時間は午後6時までかと思っていました。それなら10分ほどしかありませんでしたが、夜7時まで見学ができることがわかってホッとして入館しました。この時間でもまだミサをしていて入れない場所が一部あったので、いずれもう一度来る予定です。啓子さんにとってはベルリンとケルンを見学したいというのが今回の旅の希望だったので、この大聖堂も目玉でしたが、まだ2日間あるので何とか時間が取れるでしょう。


大聖堂内のキリストシリーズのレリーフを撮影する啓子さん



大聖堂内の祭壇(名前はわかりませんでした。)

 大聖堂を出ると広場には土砂降りの雨。ウクライナへの侵攻に反対する集会でしょうか、ウクライナの国旗を立てて準備をしていたのですが、あっという間に濡れてしまい、集会を諦めて片づけ始めたところでした。私たちも雨の中を「北京亭」に行くことにしました。以前三津夫と入って美味しかったのでその後友人と来たときにもここに入ったところ、その美味しさがなくなっていたのです。でも他のレストランを探し回るにはこの雨ですから、今日はどうなっているかとやはりここに入ったのでした。ちょっと心配しつつお試しにチャーハンを頼んだら美味しかった! ホッとしました。中華料理のよいところはみんなで分け合って食べても恥ずかしくないことです。啓子さんと三津夫は地ビールで乾杯し、すごく嬉しそう。啓子さんとの旅もあと残すところ3日となっています。


大聖堂近くの北京亭にて乾杯!!


 それにしてもここのホテルは予め名前と人数を知らせてあるのに、1人で泊まる啓子さんの部屋の方が高い料金なので、おかしいと思ってお互いに部屋を見合ってみました。するとなぜか啓子さんには広くて高い料金の部屋を、私たちには狭くて安い部屋をあてがっていたのです。どうしてこうなるのか不思議でたまりません。そこでお互いの部屋を交換して、私たちが高いけど広い方の部屋を取ることにしました。この部屋では2人分の大きなトランクをしっかり広げることができてホッとしました。

 明日はベルギーのリエージュまで国境を越えての旅となります。
 旅に出る前は、ケルンで啓子さんの帰国に備えてPCR検査をしなければいけないことになっていたので、朝のうちに大聖堂横の橋を渡ったところにある検査施設に行く予定を組んでいました。でも出発直前にワクチン証明のある人には PCR 検査の必要がなくなり、シルヴィアがケンプテンに泊まった折にキャンセルしてくれたのでした。おかげで明日は早めにベルギーに向かうことができます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

285. 17回目のドイツ旅行(13) シュレースヴィッヒまで往復ドライブ旅行

2023年01月27日 | 旅行

▶シュレースヴィッヒはデンマークとの国境近くにあります。




シュレースヴィッヒ聖ペトロ大聖堂(教会・修道院⑪)

▶ロストックからシュレースヴィッヒに今回行ってみたかった理由

 三津夫と旅程を相談したときのことです。以前からこの祭壇が気になっていたという三津夫が、その理由を『リーメンシュナイダーの世界』(植田重雄著 恒文社、1997年)の18頁に「北ドイツのシュレスヴィッヒのボルデスホルマーには、ハンス・ブリュッゲマンによる十字架祭壇が建立された。高さ十二メートル六十センチの巨大なものである。祭壇彫刻以外に教会内部をかざる聖者彫像も活気を呈し、独特なものが生まれつつあった。」という記述があるからだというのでした。私は同じ本を読んでいても当時はリーメンシュナイダーばかりに気を取られていて、そういう記述はまったく頭に残っていませんでした。改めて読み直してみると、確かに植田先生が高く評価されている祭壇なのだろうと感じました。最近3年間はコロナ禍で海外旅行もままならず、私たちもいつまで海外に行く体力を維持できるのかわかりません。そこでこの祭壇を見るためにシュレースヴィッヒも今回の旅程に組み込むことにしたのです。

 しかし、このシュレースヴィッヒというデンマークとの国境近くにある町に一体どこからどう回ったら良いのかと日程を組むのに悩んでいたところ、三津夫がヨーラたちにロストックから車で連れてってもらえないだろうかと言いはじめました。でもドイツ北部の東寄りにあるロストックから西のシュレースヴィッヒまで走り抜けるというのは相当な距離になるはず。日帰りは無理なのではないかと私は思ったのでした。地図上でアバウトに測ってみると約250kmもあります。でも今までヴィリーたちにもずいぶん遠くまで連れて行ってもらっているし、ドイツの人たちにとってこの距離はそれほど遠いと思わないのではないかという気持ちも一方では持ったのでした。というのも、以前ヨーラたちの家に泊まらせてもらった後で留学先のシュヴェービッシュ・ハルまで戻る日に、彼らはいとも簡単にハンブルクまで車で送ってくれて、その夕方に私はちゃんとシュヴェービッシュ・ハルまで戻ることができたのでした。ハンブルクといえばロストックから190kmほど。それでも彼らにとっては車で行ける身近な町のようだったのです。このような遠距離の日帰りドライブをお願いするのは少々気持ちが引けたのですが「とにかく頼んでみて」と三津夫に言われてダメなら仕方がないと、ヨーラにメールしてみました。すると「大丈夫よ。まだヘルヴィックも私も行ったことがない町なので今から楽しみにしているわ」という返事が即座に届いたのでした。これで安心して日程を確定することができました。


◆2022年9月14日(水曜日)4992歩
 ロストック3日目は朝食も早めにスタート。この日はたくさんのハム、ベーコン、お米のパンにサラダなどがあり、しっかりいただきました。猫たちの世話やら後片付けやら私たちもできるところは手伝い、朝8時45分頃出発。今日は曇りで一日中17度ぐらいと聞いたので、半袖の上に薄い上衣を着て更にコートを羽織って出かけました。それでもまだ薄ら寒く、もう少しちゃんと長袖のシャツを着てくれば良かったと後悔しました。
 途中のトイレ休憩時に無機質なトイレが数個あるだけの場所で停車しました。トイレの個室そのものは大きいのですが汚れも目立ち、あまり気持ちのよいものではありませんでした。「便座を上げると自動洗浄してくれるのよ」とあとでヨーラに聞きましたが、次回への知識として頭に入れておくことにしました。殺風景な場所ではありましたが、ヨーラが準備してくれた珈琲とケーキが振る舞われてホッとしました。途中キールを通り過ぎる辺りで工事のため渋滞しましたが、それでも12時過ぎ頃シュレースヴィッヒに到着しました。

 港の駐車場に車を停め、歩いてシュレースヴィッヒ聖ペトロ大聖堂(トップの写真 教会・修道院⑪)に向かうと大きな尖塔がそびえ立っていました。全容を写真に収めるのは難しく、下の部分が写っていませんがあしからず。

 中に入ると若い女性がドイツ語で祭壇の説明をしていて、ベンチにはツアーのメンバーが座っていました。もう少しゆっくり話してくれたら半分ぐらいは理解できたかもしれないのですが、やはり難しいのであきらめて後ろの方で写せるところを写し始めました。ツアーの人々が移動した後で近くを写しました。この日は何故か三脚を持ってこなかったので、帰ってから見ると手ぶれがひどいものが多くて残念でした。でも三津夫のカメラがこの大きな祭壇の全体像をよく捉えていたので彼の写真で祭壇をご紹介しておきます。


ボルデスホルム祭壇(三津夫) ハンス・ブリュッゲマン 7年かかって1521年に完成
 

 以前カルカーの聖ニコライ教会で圧倒的な数の彫刻が彫り込まれた祭壇(『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』171~176頁に掲載)を見ましたが、この祭壇はそれに次ぐ数の彫刻が彫り込まれているように思いました。また一体一体が精緻に彫られていて、ハンス・ブリュッゲマンの力量にも目を見張りました。下のクリストフォロス像(高さ440cm)では杖を持つ手がすごく馴染んでいて丸彫りだと思うのですが、よ~く見ると左腕の外側、杖の先、右側になびく衣は木を接いで彫られていることがわかります。それにしてもこの素材は大木だったのだろうと思われます。やはり才能のある人はあちらこちらにいるものなのですね。リーメンシュナイダーから一途に彫刻を見る旅に入ったのでしたが、三津夫の幅広い興味に引っ張られて多くの彫刻を見るようになり、その思いを強くしています。


大聖堂 大きなクリストフォロス(緑) ハンス・ブリュッゲマン 1515頃
 高さ440cm 
 

▶キールで寄り道

 予め帰り道ではキールに寄って、ある日本料理店でご馳走したいとヨーラとヘルヴィックに言われていたので楽しみにしていました。キールまでさほど遠くはなかったのですが、ここでも駐車場を探すのに少しぐるぐる回りました。そのレストランは「Sakura」と言い、2階に掘りごたつのような席がありました。ただ座面を歩かないとテーブルの両側に座ることができない造りでちょっと不便でした。お昼には遅めの3時ごろ、写真のようなお寿司の盛り合わせを美味しくいただきました。今回初めてヨーラはうなぎが好きだったのだとわかりました。このあとはヨーラが運転してくれるというのでヘルヴィックや啓子さん、三津夫はビールで乾杯したのでした。



キールの日本食レストラン Sakura にて。

  食事後にまた車で移動したのか歩いたのか思い出せませんが、ヘルヴィックが「これからKunstを見ます」と言いました。そして2人に案内されたのはある教会でした。あぁ、バルラハの「闘う天使 Der Geistkämpfer」という剣を持って狼の上に立つ天使の像があるキール聖ニコライ教会 Offene Kirche St. Nikolai in Kiel(教会・修道院⑫)です。教会を出ると、ヨーラが私たちにこの像がプリントされたマグネットを手渡してくれました。ギュストローでこのときのために買っておいたそうです。今回の旅の記念として、このマグネットはパソコンそばのライトに貼り付けてあります。



キール 聖ニコライ教会(教会・修道院⑫)


聖ニコライ教会の横に立つ「闘う天使」(緑) バルラハ 1928年


▶最後の夜は穏やかにお喋り

 帰りの運転はヨーラで出発、途中のトイレ休憩でヘルヴィックに交替したので、ほぼ4分の3はヘルヴィックが運転してくれたことになります。お疲れさまでした。ガソリン代だけは私たちで支払わせてもらいました。

 こんなに忙しい一日だったにもかかわらず、夕食は鮭ご飯、エビのフライ、肉の紫蘇巻きと豪華。ヨーラは本当に手早く料理します。ご飯の上には卵の黄身が乗っています。白身は体に悪いからと食べません。小麦粉も同じ理由で食べません。食には拘りのあるヨーラですが、ご飯が好きなのでその点は私たちには安心感があります。ただお寿司にするには少々柔らかいのが玉に瑕ですが、三津夫は今までで一番美味しかったと最高の賛辞を送っていました。
 その後は明日でお別れの猫たちの写真を撮ったり、ヨーラの手作りのお酒を飲んだりして穏やかにすごしました。ヨーラ、ヘルヴィック、お疲れさまでした。そして3泊4日の宿とドライブ、本当にありがとうございました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

284. 17回目のドイツ旅行(12) ギュストローで見るバルラハ彫刻

2023年01月26日 | 旅行

▶ギュストローのエルンスト・バルラハ作品を訪ねました。



エルンスト・バルラハ・アトリエハウスの入口で

▶今日はギュストローまでドライブ旅行

◆2022年9月13日(火曜日)5377歩

 ロストックからほぼ南に約40km下ったところにギュストローの町があります。今日はその町までエルンスト・バルラハの作品を見るためにドライブ旅行に行く予定です。比較的近い場所なので朝もゆっくりの出発となりました。

 ヨーラは以前から抹茶が大好きで、着物まで買ってドイツの友人たちにお茶を点てています。そんな彼女に啓子さんがお土産としてお抹茶を買ってきてくれた上、お茶碗までドイツに持って来てくれていました。啓子さんはシュトゥットガルトでもアンゲリカたちにお茶を点ててあげようと準備していたのですが、毎日忙しくてなかなかそのゆとりを持てずにロストックまで来てしまいました。
 この日の朝ようやくゆとりができたので、啓子さんが皆にお茶を振る舞ってくれたのです。9匹の猫のうちサニー・ボーイは一番人なつこく、ここでもお点前に参加しています。三津夫の前のお皿に山盛りになっている白いお菓子は、ヨーラ手作りのギモーヴというマシュマロのようなお菓子です。2人が2015年に我が家に来たときに、一緒に青梅・檜原村までドライブ旅行をしたのです。そのときに「あきる野 みつばちファームカフェ」に寄ってこのお菓子を初めて食べ、ヨーラがお店の担当者の方に頼み込んでレシピを教えてもらったのでした。ヨーラが自家製蜂蜜で作ったギモーヴは、今では私のお気に入りのお菓子の一つです。



ヨーラの家では食卓に蝋燭を灯します。啓子さんは持参のお茶碗で抹茶を点てているところです。



ヘルヴィックに抱かれたサニー・ボーイが啓子さんの手許を興味津々で見つめています。


▶ギュストローへ出発

 ヘルヴィックが運転して三津夫は助手席へ。私たちは後部座席に乗っていざ出発。最初に向かったのは ギュストロー、インゼル湖畔のエルンスト・バルラハ・アトリエハウス Ernst-Barlach-Atelierhaus am Inselsee Güstrow (美術館・博物館⑧)でした。9時15分に出発してほぼ10時に到着。ロストックを出た後は次第に木々の緑が深くなり、最後はほとんど森の中でした。

 ここを訪ねたのは三津夫は2回目、私は3回目で、2人ともアトリエハウスの外観を写し忘れ。今度の旅は相当気が緩んでいたなぁと反省しています。
 建物内には小振りながら木肌の美しい、秀逸な木彫作品がぎっしりとつまって置かれていました。見どころ満載です。バルラハの作品は第二次世界大戦で焼かれたり撤去されたりしたものが多かったそうですが、それだけ人間の本質を捉えた深い重みのある彫刻だと感じます。重いだけではなく、「笑う人」(トップ写真の右上のカタログ表紙)の彫刻は見ている私も笑顔になってしまう朗らかさを湛えています。

 次に作品が多く展示されているのは Ernst Barlach Museen Güstrow - Gertrudenkapelle (美術館・博物館⑨)でした。車に乗って少し移動したところにあります。以前より壁際や中央に置かれた作品は増えている気がしました。



ゲルトルンデンカペレ(美術館・博物館⑨) 回りを広々とした芝生で囲まれた教会建築ですが美術館としてカウントしました。

 

▶ギュストロー3軒目はギュストロー大聖堂でした。

 この大聖堂は町の中央に近いのですが、なかなか駐車スペースが見つかりません。ぐるぐる回ってようやく少し離れたところに車を置くことができました。この大聖堂の中で「漂う天使」を見ました。炎にくべられた作品ですが、ちゃんと型を保存してあったとどこかで読みました。この頭部だけはゲルトルンデンカペレで見たのでした。天使の下の柵には音楽を演奏している天使の彫刻がついていたのですが、暗い中で写した写真を家に帰ってからパソコンで見てみると手ぶれであまり撮れていませんでした。辛うじて何とか見られた2体の天使を入れておきます。天使像は誰の作だったか、記録はないようでした。




ギュストロー大聖堂(教会・修道院⑩) ようやくここで天使と再会することができました。

 

 
漂う天使の下で演奏する天使たち

▶今日も靴屋さんを何軒も回りました。

 ギュストローで3箇所の建物を回った後、ヘルヴィックはロストックを通り過ぎてヴァルデミュンデという観光地まで私たちを連れて行ってくれました。ここに美味しいレストランがあるそうです。大きな広々したチェコ料理店でした。素敵な船の中にいるような気分で、落ち着いて食事をすることができました。

 この日の朝、啓子さんが出発時に「試しに履いてみて」と運動靴を渡してくれました。足を入れてすぐに「なんて履きやすい靴だろう」と感激。彼女はサンダルで動けるから大丈夫と言ってくれるので、朝から履いて来ていました。それでも良い靴があればと、食事後もヴァルデミュンデで靴屋さんを何軒も訪ねて歩きました。やはりどうしてもピンとくる靴がなく、熱心に連れ歩いてくれたヨーラに頭を下げて「啓子さんの靴が一番フィットするので、靴を買うことはあきらめます」とお詫びしました。そして皆にアイスをご馳走したのでした。

 ヨーラの熱意で合計20箇所近い靴屋さんに入ったような気がします。皆の時間を無駄遣いさせてしまったのも旅の準備で油断した私のせいでした。この日までの反省は以下の通りです。全部当然のことなのですが…。

★1  足にフィットし、履き慣れた靴で旅に出ること
★2  念のために予備の履き物も持って出ること
★3  訪ねた場所は禁止されている場所を除き、必ず外観も撮影してくること

 もう一つ忘れていました。出がけにどうしても腕時計が見つからずに不便したことを。
★4  旅に必要なものは、前日の夜までにすべてきちんと揃えておくこと!

 

 夕食は帰宅後にヨーラが調理してくれた鮭のムニエルとご飯です。とても美味しくいただきました。そして彼らは48年前の9月13日に婚約したのだと、シャンペンを出してきたのです。まぁ、この日は何とめでたい日だったことでしょう。

 ヨーラ、ヘルヴィック、おめでとう! 乾杯 


ヨーラとヘルヴィック、48回目の婚約記念日、おめでとう!

 次回はシュレースヴィッヒまでのドライブ旅行について書きます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

283. 17回目のドイツ旅行(11) ロストックの猫家族

2023年01月25日 | 旅行

▶今日訪ねるのはロストックに住む猫家族です。



ヨーラとヘルヴィックの家には猫が9匹いるのですが、名前が覚えられません。この猫はサニー・ボーイだったような気がします。

▶ヨーラとヘルヴィックの家では9匹の猫が走り回っていました。


◆2022年9月12日(月曜日)1017歩(午後のロストックの町歩きにスマホを持って行くのを忘れて歩数がカウントされていません。残念!)

 ベルリン中央駅からロストック中央駅までは IC(準急列車)で2時間1分。列車に乗り込み、取りあえずトランクを置けたのですが、座席は何も書かれていない空席だったのに「ここに予約しています」という家族が現れて別の空席へ。私たちは旅行中2時間を越える列車については極力予約席を確保しましたが、1分超えだったので大丈夫だろうと踏んで取っていなかったのです。でも何とか座れただけ良かった、良かった。

 ロストック中央駅についてホームに下りるとヘルヴィックが待っていてくれました。ヨーラは家で昼食の用意をしてくれていました。トランクを私たちの膝に抱えないと1台の車に3人分の荷物を載せるのは難しいかと思っていましたが、ヘルヴィックが向きを上手に調整し、無事全部収めてくれました。
 彼らの家は町の中心部から少し離れたヴァルノウ川の河口近くにあります。途中ヘルヴィックと何を話したか思い出せませんが、それほど長い時間はかからずになつかしい家が見えてきました。私が彼らの家を訪ねるのは多分7回目。留学中には2回も訪ねてお世話になっています。

 今までもこの家に来るといつも数匹の猫と一緒に過ごしました。それにしても猫が9匹とはどういうことでしょう。今回は間が開いたこともあって以前飼っていた猫たちはみな死んだりもらわれていったりでいなくなっていました。今は新しく飼った猫が子どもを産み、その娘の猫が更に子どもを生んだという三代の猫家族がいるのです。お父さん猫はよその猫で、ここにはいないようです。2~3回説明を聞いたけど理解しきれず諦めました。この9匹が1階と2階を行ったり来たりしているのですが、さすがに子猫は1階で母親 Fila のお乳を飲ませる必要があり、外にも廊下にも出さないように気をつけていました。


名前はよくわかりませんが、一番手前が Zuza、白い猫は No.2という名前のようです。子猫と一緒に食べているのが Filaでしょうか。


▶ヨーラのお寿司

 ヨーラは2回、ヘルヴィックは1回、我が家に泊まりに来たことがあります。その前からもお寿司やご飯が好きでよく作ってくれましたが、今回も私たちの迎えをヘルヴィックに任せて、家でお寿司をたくさん作ってくれていました。
 トランクを部屋に収めると、啓子さんのお土産を渡し、私たちの『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』を渡し、ヨーラの心づくしのお寿司をいただきました。


ヨーラお得意のお寿司の昼食 啓子さんはササッと台所に行ってお手伝いをしています。



❤ 庭は広くて葡萄や林檎の木があり、野菜もホップも育てています。蜂の巣箱も10箱以上あり、自家製蜂蜜を取る小屋も完備しています。

 

▶昼食後は船でロストックの町へ出かけました。

 この日はロストックに初めてきた啓子さんのためにヨーラがロストックの町を案内してくれました。船で渡ればあっという間に対岸に着くので、車でぐるっと回るより近いのです。そこから町並みを見ながら歩いて聖マリア教会(⑨)へ。ここで車で来たヘルヴィックと合流しました。ここには1472年作という天文時計があり、何回かの修復を経て今でも動いています。教会を出てからゆっくり散歩を兼ねて町の広場へと進みました。

 その途中で靴屋を見かけた私は思わずヨーラに靴の不具合を話してちょっと探して見て良いかと聞き、靴屋さんに入ったのです。さぁ、それからが大変。ヨーラはこの靴はどうか、あの靴ならどうかと一生懸命探してくれるのです。でもまずサイズが大きめですし、靴底が滑らず、歩きやすくて色も気に入ったものはなかなか見つかりません。見つからないとなると更にあの靴屋へ、この靴屋へとヨーラは熱心に案内してくれますが、ただでさえ疲れた足を酷使するのが辛くて「また明日にしましょう」と断るのが大変でした。それを見ていた啓子さんが、「私が持って来ている運動靴を履いてみたら? 私はサンダルで歩けるからサイズが合ったら緑さんに上げるわよ」と言ってくれたので、その靴を試してみることにして取りあえず靴探しに一旦区切りを付けさせてもらいました。


ヨーラの家から歩いて数分のところにある桟橋から向こう岸まで渡ります。ヘルヴィックはあとから車で合流の予定。


▶町のレストランで。

 この日の夕食はロストックの町にあるトルコ料理レストランに連れて行ってくれました。週に一度ぐらい友だちとこのレストランでおしゃべりするのが楽しみなのだそうです。でも結局この日は友人たちが誰もレストランには来なかったので、ヨーラは寂しく思ったようでした。私たちはケバブを頼みました。最初は美味しかったのですが、次第に塩辛く感じるようになって、やはり最後は頑張って食べ終わるという結果でした。

 レストランを出て、市役所前に駐車してあった車で帰宅。少しお喋りをしてヨーラお勧めのお酒を少し飲み、それぞれの部屋に戻りました。

 夜トイレに起きて廊下に出ると、籠に入って寝ている猫たちの動く気配がし、いくつかの目玉がキラッと光ります。最初はちょっと驚きましたが、そのうちに慣れました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

282. 17回目のドイツ旅行(10) ベルリンの町並み観光

2023年01月24日 | 旅行

▶今日は町並みを見てからビヤホールです!

 


ベルリンのイーストサイドギャラリー 
   Du hast gelernt, was Freihait heisst und das vergiss nie mehr.  (自由の意味するもの、決してそれを忘れてはいけないことを学んだ)

 

▶今日はもっと歩き回る旅?

 私のスマホは自動的に歩数をカウントして記録してくれています。また時差も自動的に調整してくれるので、旅の最初から計算しなくとも記録が残っていました。それをここまで書いてみると以下のようになるのです。

 9月  4日 7732歩(8時間の時差も含まれていますので家から駅まで歩いた距離もカウントされています。)
 9月  5日 3853歩
 9月  6日 3560歩
 9月  7日 8935歩
 9月  8日 7448歩
 9月  9日
  10342歩
 9月10日    8972歩

 さて、この日は何歩歩いたのかというと下に書いたとおり約5割増し。これからも歩数を書いていこうかと思います。
 この日、私は薄々気がつき始めました。毎日の歩きで何でこんなに疲れるのかという原因についてです。それは新しい靴のせいでした。旅行前に靴を変えるのはまずいことは承知していたのですが、たまたま出発前日に普段履いていて、この靴で行こうと思っていた運動靴で歩いていたところ、雨水が染みてきたのです。これはまずい、寒くなるドイツで足が冷えると腰に来ます。仕方なく西友で試し履きをしてみて「これなら大丈夫だろう」と思い、以前持っていたのと似たような靴を買ったところ、いざ歩き始めると靴底で足が滑るのでした。毎歩毎歩の歩きで滑りを感じた足はどこか緊張を強いられていたのでしょう、段々足が疲れ、その疲れが回復しないうちに次の日が来る…。これで次第に足腰までしんどくなって三津夫と啓子さんがスタスタ歩くと追いつけないぐらいになっていたのでした。この日は更にその疲労が溜まったという次第です。この解決編はロストックの日記で書きます。


◆2022年9月11日(日曜日)15843歩
 朝5時半頃目覚め、わずかなスペースの床にバスタオルを敷き、しんどい腰をほぐすヨガをしているうちに三津夫が起きてきました。朝食は昨日の買い物で十分だったのですが、三津夫が持ってきている即席ラーメン(といってもカップラーメンではありませんが)を食べようというのです。朝からラーメン?? でも毎朝しっかりパンを食べ続けてきた彼はそろそろパンに飽きていたのですね。私は2人旅になって夕食もままならない日が来たら食べたいと思っていたのですが仕方ありません。しかも大きなどんぶりがないので小さめの器にわけっこして半分ずつです。でもそれが美味しかったのでした。少々物足りない分はバナナやヨーグルトで補いました。

 今日は9時半にロビーで集合し、昨日と同じ市内の交通チケットを買って15番線の S バーンでベルリン東駅へ。第一目的地はこの駅からシュプレー川沿いに続くイーストサイドギャラリーです。

 
ベルリン、イーストサイドギャラリーの大作の前で

 このギャラリーは地図の上で測ると500mほど続くのですが、ウェブサイトなどでは1km以上続くと書かれています。そのサイトでは大分落書きもひどかった同じ絵が今回は落書き一つなくきれいになっていました。今は手入れされると同時に以前より少し短くなっているのでしょうか。もう無くなってしまったのかなと思った『「兄弟キス」または「独裁者のキス」と呼ばれるキスシーン』でしたが、これは後半の壁にしっかり残っていました。この作品は旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長のキスだと書かれていて、ロシアでは男同士のキスも挨拶としてされていたそうなので、気持ち悪いと思ってしまっていた私の認識も少し変わりました。三津夫が立っている壁画は新しいもののような気がします。修復に関しては「みゅう」という旅行会社のサイトに記事が載っていました。興味のある方はご覧ください。

 この壁を通り過ぎるとオーバーバウム橋があります。ここには独特な建築様式の塔があり、興味が惹かれながらも写真だけ撮って通り過ぎてしまいます。ベルリンで最も美しい橋といわれているそうです。



ベルリンのオーバーバウム橋

 

▶今日の私にとっての第一目的地、バイエリッシャー・プラッツ

 ここは2018年にも来ています。第二次世界大戦当時のドイツがどれだけユダヤの人々を迫害したかということがわかる看板を今でも立ててある町なのです。今回は、もっとたくさんの看板を見たくてもう一度見に来たのでした。

 まずは駅の真上に建つカフェ TUKAN で腹ごしらえ。我慢していたトイレも使えて助かりました。
 撮影中に雨も降り出しましたが、駅の近くはほとんど見て回ることができました。



バイエリッシャー・プラッツ駅の近くに建つ「立て看板を紹介する」ための立て看板

 上の看板に描かれた絵を数えたら全部で79枚か80枚ありそう(右下の真っ黒な一枚は本当に立っている看板なのか黒で余分なスペースを塗りつぶしただけなのかがわかりません)でしたが、実際に撮影できたのは17枚だけでした。前回撮影したもの(重複を除く)が6枚だったので合わせても23枚、まだ三分の一にもなっていません。これは泊まり込んで探さないと全部は見られないのかもしれませんが、17枚写すだけでも疲れました。全部撮影するにはもっともっと時間とエネルギーが必要です。

 看板の内容としては、ユダヤ人はジャーナリストや俳優業、医者、弁護士などになってはいけない、海水浴をしてはいけない、赤いベンチに座ってはいけない、ウールの暖かい服や宝石類は供出しなければいけない、生活用品の買い物は午後の1時間だけ(下のパンの絵)、合唱団からは排除する(楽譜の絵)など。その後ユダヤ人たちは町の隅々から集められ、列車に乗せられてアウシュヴィッツなどの虐殺施設に送られていったのです。2度と繰り返してはいけないという自戒を込めての立て看板ですが、いつまで無事に立っていられるのでしょうか。昨年2月24日から始まったロシアによるウクライナへの侵攻から世界戦争になれば、ドイツのような国でも愛国精神が台頭して、こうした過去を反省する内容のものを維持していくのは難しくなることでしょう。
 こんな時代が戻って来ないように何をしていかなくてはいけないのか、私たちは今、大変重たい課題を突きつけられています。


 

  
バイエリッシャー・プラッツ市内に立つユダヤ人迫害を記憶するための看板例2枚

 

▶今日の〆はビアガーデンで若い家族と過ごしました。

 亜美さんと知り合ったのは2006年、ドイツ語留学中のシュヴェービッシュ・ハルにあるゲーテ・インスティテュートでした。同じ期間に留学していて寮で出会い、他の仲間と一緒に日本料理を作って食べる会を開いたりしたのでした。留学終了後もずっとやり取りが続いている若い女性です。彼女とは以前住んでいたハンブルクでも彼氏のヤンと一緒に食事をし、その後2人は結婚して現在はベルリンに住んでいます。そして現在3歳になった男の子がいます。亜美さんからは「家に泊まってください」と嬉しい言葉ももらったのですが、子育てで忙しい家庭に大人3人が泊まるのは避けた方が良いし、朝早くから出かけたりするのはお互いにきついだろうと思って中央駅前のホテルを確保したのでした。そのかわり、ベルリンを発つ前夜はビアガーデンで一緒に食事をしましょうと約束していました。

 S バーンでホテルまで戻り、啓子さんは「散歩に出る」と、まだ元気! 三津夫と私は明日出発のための荷物整理を試みましたが疲れてウトウト。その後荷物にSDカードケースが見当たらないと気付いて大捜索をする羽目に。3回トランクを探し回ってようやく小さなポケットに入っているのを見つけたのでした。今まで写した写真で一杯になったカードを入れてあったので、なくしたらどうしようと寿命の縮まる思いがしました。

 午後4時半、啓子さんと合流し、駅を通り越してさほど遠くないところにあるビアガーデンに入りました。亜美さん一家も既に来ているはずでしたが、姿が見えず、取りあえず席を確保。大人も子どもも合わせて6人ですし、外では涼しくなりすぎ、タバコの煙が辛くなるので空いていた最後のテーブルに滑り込んだのでした。連絡を取った亜美さん一家も到着。写真では見ていたけれど何と可愛い子(ともき君と言います)でしょうか。私だけでなく啓子さんもメロメロです。三津夫のカメラに興味を持っていじり始めたので、相手をしながらも画像を消されないようにヒヤヒヤしたという三津夫。その様子を見て笑う私たち。あとあとになってもともき君は「またみどりしゃんにあいたいなぁ。みつおしゃん、けいこしゃんにもあいたいなぁ」と皆の名前を言ってくれるそうです。それを聞くとベルリンに孫ができたような気分です。亜美さんはあまりウェブサイトに写真を載せないで欲しいと言っていたので、ここではご馳走の写真だけ載せておくことにします。このあとほぼみんなで食べ尽くしたのです。三津夫と啓子さんはビールも楽しみ、3人も大人がいるのだから私たちがご馳走するつもりでいたところ、知らない間にヤンが支払いを済ませてくれていました。嬉しいやら申し訳ないやら。大変ご馳走様でした。そのお礼に、ともき君が大好きだという日本の絵本を送ることにしました。



ベルリン中央駅にほど近いビアガーデン Zollpackhof にて


 後日談ですが、帰国後、まず啓子さんが身近にある絵本の中で送っても良い本を選んで我が家に送ってくれました。それに加えて三津夫の眼で良いと思った絵本を古本で探して一緒に船便で送り出したのが11月7日。その
本は今年1月14日に亜美さん宅に着いたそうで、以下のメールが届きました。


昨日から届いた絵本をもう何回も何回も読まされました☺️
ドイツでチャイルド社からの絵本を定期購読しているのですがそちらは全く興味がなく...というか一度読んだらもういいっていう感じで「また読んで」とはなりません😔
やはり福音館の絵本は魅力があるのか1人でも絵を見て楽しんでいます。
本当に送って頂きありがとうございました!


 今後の新たな楽しみができました。この本はドイツポストから費用を要求されずに済んだということも嬉しく、送る側としてもホッとしました。

 いよいよ明日は北の町ロストックに向かいます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

281. 17回目のドイツ旅行(9) ベルリンの美術館探訪

2023年01月23日 | 旅行

▶今日からはベルリンの美術館巡りです。



ベルリン、ボーデ博物館(美術館・博物館⑥)

 

▶まずはボーデ博物館へ。

◆2022年9月10日(土曜日)
 朝食は7時半にホテルのロビーで待ち合わせて、駅の売店を回りました。この旅行中は啓子さんに一緒の食事や交通関係の支払をしてもらう共有会計の担当をお願いしてありました。啓子さんはちゃんと買い物袋を持ってきて準備万端。私はそんなに大きな袋が必要かなと一瞬思ったのでしたが、3人分のパンを買い、ヨーグルトを買いたいというのでREWEにも回り、結局果物も買って買い物袋は一杯に。三津夫は「そんなに食べられるのか?」という顔でしたが重たくなった買い物袋は持ってくれました。部屋は狭くてトランクを広げるのもギリギリの状態だったため一緒に食べるスペースは皆無。お互いに自分たちの食料を持って帰り、8時半出発ということで別れました。

 今日はボーデ博物館(写真トップ、美術館・博物館⑥)を初めとしていくつかの場所を回るため、駅のチケット売り場で地下鉄・バス・S バーンに乗れる一日チケットを買いました。このボーデ博物館に行くのは私にとっては8回目となります。却ってその気の緩みから、何番線の S バーンに乗るのだったかチェックするのをすっかり忘れていて慌てました。やはりベルリンやミュンヘンなどの大きな都市では地下鉄や近郊列車の最新路線図を予め入手してチェックしておかないとこんなことになると身に染みました。大荷物がないだけ身も気持ちも楽でしたが、教訓として今後の旅のために心に刻んでおきます。

 ボーデ博物館ではジュリアン・シャピュイさんにお目にかかれないかと受付で聞いたところ、出勤していないとのことでしたので、「お大事に」と簡単なメッセージを書いて彼女に渡すと嬉しそうに受け取ってくれました。ミュンヘンのヴェニガーさんには「大分良くなったようですよ。でもまだ仕事はむりなのではないかな」と聞いてはいましたが、まだ体調が整わないのかもしれません。またお目にかかれる日があればと願っています。

 今回の
新たな発見は、ファイト・シュトースの「幼子キリスト」、ハンス・トーマンの「マリアの死」、ハンス・ラインベルガーの「キリストの降架」「嘆きの群像」などの作品でした。全部一通り回ってリーメンシュナイダー作品にも挨拶してきましたが、以前は一つの部屋にまとめられていた作品たちがあちらこちらの部屋に散らばっていたり、あとから訪ねた絵画館(写真・下 文化フォーラムとも書かれています)にも置かれていたりしたのには驚きました。リーメンシュナイダー作品をまとめて見たい人には少々残念な状態ですね。このボーデ博物館の思い出深いカフェで軽く昼食を取りました。


▶そのあと訪ねた美術館は2館でした。

 ボーデ博物館の後は、近くのドイツ歴史博物館までペーター・デルのレリーフを見に歩いて行ったのですが、ここは何と工事中で入れませんでした。またの機会に是非入って見ておきたいレリーフです。


 今度は地下鉄に乗って絵画館(美術館・博物館⑦)に向かいました。下車してから地図を頼りに歩いたのですが、3度目の訪問にもかかわらずまったく記憶がなく、大分迷いました。大回りをして中に入るともう足がクタクタ。それでも展示室に入ると三津夫が一番見たがっていたハンス・ムルチャーの祭壇画8枚が真っ先に目に飛び込んできました。美術館・博物館の作品写真は著作権の関係で勝手にブログに載せられないので残念ですが、私たちが5冊の写真集にまとめてきたドイツ後期ゴシックの彫刻家たちのトップバッターなのです。ウルムでキリスト像を始め、たくさんの彫刻を見ましたが、絵画は初めてです。いえ、一度は来ているので見ていたのかもしれませんが、ハンス・ムルチャーという彫刻家でもあり作家でもある偉大な人物への認識がまったくなかったということでしょう。

 この館内は大変広く、ボッティチェリ、レンブラント、フェルメールと見応えのある作品が多かったので啓子さんも三津夫も張り切って回っていましたが、私はどうも足が疲れて仕方がなく、一通り見てからベンチで休んでいました。



ベルリンの絵画館(美術館・博物館⑥)


 今日はこの美術館巡りでフルに一日かかり、帰りはバスを乗り継いでベルリン中央駅まで戻りました。今回はコンコース内のTOKYOという寿司屋に寄っていくつかあるテーブル席で食事をしました。お寿司はまぁまぁの味でした。ここでは食べ終わってもまだ話し足りずにゆっくり飲みながらお喋りをしてからホテルに戻りました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

280. 17回目のドイツ旅行(8) ウルムからベルリンへ特急列車で直行

2023年01月22日 | 旅行

▶今日からは3人旅です。


 
ベルリンのユダヤ人犠牲者記念館 (ブランデルグ門南100メートル)   2022.09.09  2711本のコンクリートブロック  (
地下に展示場あり)

 

▶ウルムからベルリンまでの直行の特急 ICE は一日に3本ありました。

 以前はウルムからベルリンまでの直行を考えたことがなかったので知らなかったのですが、今のドイツ鉄道ウェブサイトで調べてみると1日に16本ある特急便のうち3本は直行列車でした。大きなトランクを持っての旅では乗り換えがないというのは非常に気が楽です。今乗っている列車が遅れないか、次の列車に間に合うかと本当にハラハラしますから。できれば乗り換えはあっても1回で済めばありがたいところをこの日は直行でしたので、乗ってしまえば一日気楽な旅でした。

◆2022年9月9日(金曜日)
 この日の列車はウルム中央駅を7時49分発のICEです。ホテルから駅まで歩くと500mほどなので荷物無しだったら7~8分で着く距離でしょうか。でも大きなトランクを持って歩くと倍ぐらいはみておかなければならず、6時間という長丁場の列車旅なのでお昼ご飯も買っておいた方が良さそう、などなど、心配が大きかったので、昨日のうちにアンゲリカがタクシーを予約してくれたのでした。

 6時半に朝食をとり、7時20分にタクシーが来て、駅には順調に着きました。ところが列車構成がいきなり変更となって皆あたふたと移動し始め、その途中で売店があることがわかり、予約席に取りあえず乗り込んでからお弁当も買いました。これであとはベルリンまで事故なく行ければ安泰でした。ただ、夕方森鴎外記念館に行きたいと考えていたので、閉館時間までに間に合うよう、できれば遅れずに走って欲しいと願いながら出発。6時間のうち5時間ぐらい三津夫と啓子さんはあれこれおしゃべりに花を咲かせていました。話がとても合うようです。私は2人の会話に追いついていけないので溜まっていた日記を書いたり数独をしたり。14:29分着予定だった列車はベルリンに2~3分遅れただけで到着したのです。この奇跡に思わず拍手。15~30分の遅れは日常茶飯のドイツ鉄道、一体どうしたのでしょう? ありがたい予想外でした。

 ベルリン中央駅からは以前泊まったこともあるホテルなので迷わずチェックイン。今回の旅では森鴎外記念館(博物館・美術館④)を訪ねるのが目的の一つでした。開館時間が午後4時までということなので間に合うように入りたいと、荷物を置いてすぐに出発しました。森鴎外の生き方に興味を持ったのは、友人の国分寺に住むUさんが六草いちかさんと親しくされていて、彼女の著作を紹介してくれたからでした。最初は『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』(六草いちか著 河出文庫)を読んでみたら、いちかさんのパワフルな追求に息をつく間もなく読まされたのですが、その後『それからのエリス』(六草いちか著 講談社)いのちの証言: ナチスの時代を生き延びたユダヤ人と日本人』(六草いちか著 晶文社)を読んで、ますます六草さんの力量に引きずり込まれたのです。もしベルリンでお目にかかれれば幸運と思っていましたが、この頃は休暇で海外においでだとUさんから聞いていたので、せめて森鴎外記念館だけは訪ねようと思ったのでした。

 この日はとても暑い日で、日差しの中を歩くとウルムの疲れが甦ってきてなかなか辛かったのを思い出します。歩いて行ける距離と思っていましたが、方向を少し間違えたこともあり、道に迷って3時半過ぎ、入館できるかどうかという瀬戸際でようやくたどり着きました。若い男性が丁寧な日本語で応対してくれて、「まだ大丈夫ですよ。どうぞお入りください」と言われてホッとしました。小さな記念館でしたが、当時の鴎外のベッドや机をみると、134年前に使っていたようには思えず、今も鴎外がそこに座って文章を書いているような親近感を感じました。ただベッドだけは当時のサイズで小振りな感じがしましたけれど。いちかさんの著書ももちろんこの本棚に並んでいました。さすがに今回の旅では鴎外の足跡を辿るゆとりはなかったのですが、小さな一歩を刻むことができたと満足でした。


鴎外が使っていた本棚と六草さんの本

 鴎外記念館からはブランデンブルク門、ユダヤ人犠牲者記念館(博物館・美術館⑤ トップの写真)と歩いて回りました。ユダヤ人犠牲者記念館では若い人々が列を作って入館待ちをしているのをみて、日本とはずいぶん違うと感じました。そこからベルリン中央駅に戻ると、国会議事堂が右手に出てきて、その前になんと広々とした緑の草地がひろがっていることでしょう。このような中央駅前の一等地にこれだけの広場を作るドイツという国の気概を感じました。

 


ベルリン中央駅が左側の街灯の奥に見えます。この右手に国会議事堂(ガラスドームがある建物の写真)があります。


 この日はこれで観光終了。中央駅のコンコースにあるレストランで軽く夕食をとり、明日からの日程を打ち合わせました。
 今まではドイツの友人も一緒だったのでアンゲリカの食卓かホテルで一緒に朝食を取ることがほとんどでしたが、啓子さんと3人の旅になって、明日からは便利な駅の食堂や売店で好きなものを買って部屋で食べる簡易朝食に切り換えることにしました。そのため、朝の買い物の時間を決めてお開きとなりました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

279. 17回目のドイツ旅行(7) ウルムとその近郊の彫刻

2023年01月21日 | 旅行

▶今日で友人たちとはお別れです。



ウルム大聖堂(教会・修道院⑧)2018.09.17撮影


▶今日はドライブ旅行最終日

 今日はウルム大聖堂が最終目的地ですが、その前にウルム近郊の小さな町、ブラウシュタインとヴィッピンゲンにある2つの教会を回ってもらいました。前者にはグレゴール・エーアハルトの「エーレンシュタインのマドンナ」、後者にはダニエル・マウホの弟子か周辺作家によると言われる「聖母子像」「使徒ヤコブ」「使徒マティア」が置かれた祭壇があるのです。この二つの祭壇を見てからウルムの町に行き、夜はお別れパーティーを予定していました。シルヴィアは今日中に帰らないと明日から仕事。きつい思いをさせて申し訳なかったけど本当にシルヴィア、ヴィリー、アンゲリカのおかげで充実した旅をすることができました。


◆2022年9月8日(木曜日)
 ケンプテンのホテルでの朝食は、今までのアンゲリカの朝食と遜色のない美味しいものでした。6人で食べる朝食は今日が最後です。
 9時ごろにホテルをチェックアウトしてまず向かったのはウルムのやや西北に当たるブラウシュタイン(ウルムから各駅停車で二つ目の駅)にあるブラウシュタイン・エーレンシュタイン聖マルティン教会(教会・修道院⑥)でした。ここまでケンプテンから車で約1時間。駅から200mほどですのでゆっくり日程が取れればウルムから電車で日帰りのできる場所です。この町の中は駐車場が少なく、ヴィリーのお得意な上手な人間関係で、ショッピングセンターらしき駐車場から出る車のあとに停めて良いと言われてなんとか駐車場を確保。そこからは歩いてすぐの場所に小さな教会がありました。うっかりしたことにここでも教会の外観を写し忘れてしまいました。残念ですが作品写真だけ載せておきます。いかにもグレゴールらしい寂しいような哀しいような表情の聖母子像でした。近くの壁にかかっていた彫刻も彼の手になるものではないかと思って写してきましたが、教会の中にはパンフレットも見当たらず、誰の作品なのかを確かめることはできませんでした。





ブラウシュタイン・エーレンシュタイン聖マルティン教会(教会・修道院⑥ 緑)
  上:エーレンシュタインのマドンナ 下:聖ラウレンティウスと聖シュテファヌスと思われる像

 

▶ブラウシュタインからヴィッピンゲンへ

 この教会を出た後は町を通りぬけ、山道を登って森の奥の小高い台地にある教会に着きました。ここがヴィッピンゲンです。列車で来るときは今朝回ったブラウシュタインの一駅先(ウルムから三つめ)のヘルシュタインで下車し、あとは3.5kmほどをバスで上ることになります。健脚の方は歩いても上れると思いますが結構な坂でした。途中で下車して風景写真を撮りたくなるほど美しい自然の中の坂道です。下の写真がこのヴィッピンゲンのマリア教区教会(教会・修道院⑦)です。


ヴィッピンゲン、マリア教区教会(教会・修道院⑦)



ヴィッピンゲン、マリア教区教会の「中央祭壇」 マウホの弟子、または周辺作家作(緑) 
   
左から使徒大ヤコブ、聖母子像、使徒マティア 


▶ウルム博物館と大聖堂

 ヴィッピンゲンの教会を出てから山を下ってシルヴィアが予約してくれていたレストランに入りました。ここもで美味しい昼食をとりましたが、ヴルストの本数を選べると良いのにと思ったことでした。1本食べれば十分で、2本目には段々塩気がきつく感じられ、全部食べるのに苦労するのです。でも一皿には2本ずつ入っているのです。

 その後、最終目的地のウルムに到着。ホテルにチェックインしてから車を駐車場に停めに行ったヴィリーたちと合流しました。アンゲリカは私たちをホテルの受付で待ってくれて、翌日の朝が早いので大きな荷物を載せられるタクシーの手配をしてくれました。ウルムの町をヴィリーとアンゲリカと一緒に歩くのは2回目ですが、シルヴィアとは初めてでした。私たち日本人3人はもう一度ゆっくりウルム博物館と大聖堂を見たかったので噴水の前でシルヴィアたちと分かれて夕方レストランで合流することになりました。

 ウルム博物館(美術館・博物館③)ではお世話になったライステン・シュナイダーさんがいらっしゃるとのことだったのでちょっとご挨拶してからこの博物館のトップスター、世界遺産の「ライオン・マン」から見学をしました。この像は約4万年前にマンモスの牙で作られ、ライオンの頭をした人間の形をしています。今まで2回来ていたときにはなぜか見落としていて、次回訪ねたら見ておきたいと思っていた彫刻でした。そこから歴史を辿りつつ、ようやくマウホ作「山羊の角を持つ天使」やムルチャーの作品群をもう一度見て、ミヒェル・エーアハルトの「ウルムの美女」に挨拶をしてから大聖堂に回りました。

 ウルム大聖堂(教会・修道院⑧)に入ったときには既に薄暗く、大聖堂の外観も写すゆとりがありませんでしたので、トップには2018年撮影の写真を載せておきました。堂内の祭壇を今回は中心に見ましたが、どれが誰の作なのかきちんと確認することができませんでした。マウホの工房作らしい「バルバラ祭壇」と、作者がわからない祭壇の写真を載せておきます。





ウルム大聖堂内の祭壇2点(緑) 上が「マウホの作か?」と書かれている祭壇


 ウルム大聖堂で見学しているうちに、私は疲れて肩も凝り、腰も辛くなってしまい、出口近くのベンチに座って三津夫と啓子さんが出てくるのを待ちながら、明日の列車をユーレイルグローバルパスのアプリに登録する作業に没頭していました。しばらくすると2人が出てきて「緑さんが神隠しに遭ったのかと心配したのよ」と言われてしまいました。明日はウルムから何とベルリンまで直行6時間で行ける特急に乗ります。まだ慣れないユーレイルパスの操作が心配だったので、ここで啓子さんのスマホでも同じように登録できるか一緒に試し、何とか準備ができてホッとしたのでした。

 このあと約束していたレストランまで行くとアンゲリカが声をかけてくれたので、私も一緒に座ってお喋りタイム。啓子さんと三津夫はまだ元気で、ちょうどそこに来たシルヴィアと一緒にドナウ川を見てくると出かけました。このときヴィリーはどこにいたのかしら? 三津夫は一緒でなかったと言うし、私は日記にアンゲリカと2人で話したと書いてあるし、思い出せません。申し訳ないです。
 途中どうにもタバコの煙がすごくて辛くなったので室内に席を移してもらい、6時過ぎて皆が集まって最後の晩餐…と予定していたのですが、みんなはほとんど食べものを注文しようとしません。これからシルヴィアもヴィリーもそれぞれの車を運転してシュトゥットガルトまで帰ることもあり、ビールもジョッキ1杯しか頼まないのです。今までは割り勘で払ってきましたが、ここだけは私たちにご馳走させてもらいたいと伝えておいたのです。でも、お昼でしっかりご馳走するべきだったと反省するも時既に遅しでした。シルヴィアからはフランス旅行のお土産をたくさんもらってしまって、何だか早めのクリスマスのようでした。

 彼ら4人は来年(つまりこのブログを書いている2023年)には日本に来る予定です。そのときこそしっかり今までの分までお世話をして良い思い出を作ってもらおうと決心してお別れしました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

278. 17回目のドイツ旅行(6) オットーボイレンからケンプテンへ

2023年01月20日 | 旅行

▶ドライブ旅行は続きます。



オットーボイレン、ベネディクト修道院(教会・修道院③)


▶まずはオットーボイレンへ

 オットーボイレンのマイスターはドイツ後期ゴシックの彫刻家の1人で、優美な服の襞に特徴がある作品を残しています。マイスターの実名ははっきりしていませんが、もしかしたらハンス・トーマンかもしれないという情報もあったので、『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』に三津夫が彼についての記事を書いています。
 ハンス・トーマンについては「聖バルバラと聖マルティン」「聖ゲオルクと聖マルガレータ」という対になった4体の彫刻がニュルンベルクのゲルマン国立博物館にあり、前掲書に8頁にわたってその写真を載せました。この博物館は館所有の画像しか掲載を認めてくれなかったのですが、私が写した写真もどうしても載せたいとお願いしたところ、正面から写した写真に館の画像を使用すれば他のアングルの写真の掲載も認めるという条件で許可が下りたのです。「リーメンシュナイダーを歩く」写真集シリーズの締めくくりとしての5冊目にようやく載せることができたゲルマン国立博物館の作品は7点でしたが、その中でも最多の頁を割いたのがこのハンス・トーマンの彫刻でした。

 シュトゥットガルトからウルムを通り越して東南約130kmのところにオットーボイレンがあり、更に南に20kmほど下ったところにケンプテンの町があります。このケンプテンがこの日の最終目的地でしたが、このような流れから、ケンプテンまで行く間にせっかく近くを通るのならオットーボイレンにも寄ってみようと思ってこの日の訪問を計画したのでした。


◆2022年9月7日(水曜日)
 朝8時40分。いよいよアンゲリカのアパートとはお別れ。きれいに整えられた部屋と3日間にわたる心のこもった接待に感謝しつつトランクの荷物をまとめました。ヴィリー車と朝早くから駆けつけてくれたシルヴィア車との2台に分かれて乗車しました。アンゲリカ、ヴィリー、シルヴィアと私たちの6人で今夜はケンプテンに1泊します。大きなトランクと友人たちの宿泊荷物で車の中は一杯一杯でした。

 好天に恵まれ、広がる景色を楽しんでいたら、突然アンゲリカのアパートに私の上衣を忘れてきてしまったことに気づきました。部屋の扉の裏側にハンガーが設置されていてそこにかけていたのでしたが、ドアを開けっぱなしで荷物を詰めていたら完全に上衣の存在を忘れてしまったのでした。何という大失敗でしょう。今さら戻ることもできません。他にも上衣を持ってきてはいるので大丈夫なのですが、忘れてきた上衣をどうしたらよいのか考えて落ち込みました。あとでアンゲリカにお詫びしたところ、「どこにでも送ってあげるわよ」と笑顔で言われて心底ホッとしました。この旅の間は他の上衣で何とかなるので、最終宿泊予定のトーマスの家に送ってもらうことにしました。アンゲリカ、ありがとう! あなたの笑顔に救われました。

 オットーボイレンの Abbey とは、764年から連綿と続くベネディクト会の共同体が生活しているという大きな修道院でした。1250年以上前から続いているという歴史に驚きます。併設されている博物館は現在工事中と予め知ってはいました。でも修道院は開かれているのでハンス・トーマンかもしれないオットーボイレンのマイスター作品が一つでも残っていないかと探してみましたが、残念ながら何も見つけることはできませんでした。ただ、いずれもう一度自分たちの足で見に来ようと思っていましたので、無駄足ではありませんでした。
 ※この
博物館は2022年12月には再開するということでしたが、今ホームページで確認したところ、今年の4月2日から10月31日まで見学できるとのことなので冬場に訪ねても入れないことがわかりました。



ベネディクト修道院の正面


▶ケンプテンの奇跡

 旅の大きな目的の一つ、ダニエル・マウホの作品「マリアの戴冠祭壇」を見に行くためにケンプテンに向かいました。この町の名前はマウホのカタログを入手するまで知らなかったのですが、カタログの1番目にこの祭壇が取り上げられているのです。

 ヴィリーとシルヴィアの運転連携は素晴らしく、順調にお昼過ぎにケンプテンに到着しました。中世の頃には大変栄えていた町の一つだったようで、大きな教会がいくつも建っていました。取りあえずホテルの駐車場に車を置き、レストランを探すと、ちょうど6人が入れる落ち着いたレストランが見つかりました。食事後、マウホの祭壇が見られるはずの聖ローレンツ教会(教会・修道院④)に着いたのは午後2時半を回った頃でした。



聖ローレンツ教会(教会・修道院④)

 ここは大きな堂々とした造りの教会です。けれども、中に入っていくら探してもマウホの祭壇が見つかりません。シルヴィアもヴィリーもスマホで検索しては「あそこではないか」「いや、ここの美術館にあると書いてあるよ」とアドヴァイスしてくれるのですが、全部走り回って尋ね歩いた挙げ句、どこも「ここにはありません」とつれない返事。最後にシルヴィアがこのローレンツ教会の事務局に電話をかけて確かめてくれたところ、「実は今、その祭壇は個人蔵になっていてローレンツ教会にはないのです。その方に直接連絡を取ってみてください」と電話番号を教えてくれたというのです。シルヴィアが早速電話をして聞いてみたところ、何と今から見せていただけるとのこと。皆で拍手してしまいました。
 その住所を聞き取ったのはシルヴィアでしたが、歩いて探してもその名前の通りが見つからず、その方のお宅がどこなのかわからないのです。こちらかもしれない、もう少し先かもしれないとしばらく迷いながら歩き回って「どうやら無さそうだ…。住所が違っているのか、聞き間違いだったのかなぁ」などと感じ始めたところで、「ここよ、ここよ!」とシルヴィアがその小さな通りを見つけたのでした。その先に見えたのがこの景色です。シルヴィア、一瞬でもこんなこと考えて本当にごめんなさいと心の中でお詫びしました。



塀に囲まれた小さな個人所有のマリア礼拝堂(教会・修道院⑤)

 
マリア教会の正面で。 

 でも入口が見当たりません。ぐるっと回り込んで反対側に鍵のかかった門が見つかりました。シルヴィアがもう一度電話したところ、老婦人と少年が反対側の門の鍵を開けて入ってきて、私たちの側の門の鍵も開けてくれました。肌の輝いた元気そうなご婦人はクリスタ・フーバーさんとおっしゃるそうです。お孫さんだという少年は早速箒で礼拝堂前の落ち葉を掃き出し、ようやく私たちはマウホの「マリアの戴冠祭壇」を見ることができたのでした。フーバーさんはマウホのカタログを手に持ち、よどみなく解説をしてくださいました。門が開いているのに気が付いたご近所の方も一緒に聞いていました。

 それにしても何という奇跡の連続でしょう! この奇跡を招き寄せてくれたシルヴィアに心から感謝しながらその可愛らしいマリアの戴冠場面を表した祭壇を撮影させていただきました。


 
マリアの戴冠祭壇(緑) 

 この祭壇を拝観できた後は満たされた思いでゆっくり帰途につきました。その途中、さっき尋ねて回った美術館の一つ、Zumsteinhaus(博物館② なんて訳せば良いのでしょう?)が無料だったので皆で入ってみました。でもいわゆる郷土博物館のような内容で、受付の女性が答えたとおり、ここにはマウホ作品はありませんでした。
 ホテルにチェックインして一休みしてから夜は町まで出てカフェでそれぞれのお腹の空き具合にあった物を食べ、何度もこの奇跡の瞬間に話が戻ったことでした。

 次回はウルムとウルム郊外の教会について書く予定です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

277. 17回目のドイツ旅行(5) シュトゥットガルト市内見学

2023年01月19日 | 旅行

▶この日はシュトゥットガルト市内の見学です。

 


シュトゥットガルト、アカデミーガルテン 奥は新宮殿


▶シュトゥットガルトのヴュルテンベルク州立博物館訪問は12年ぶりでした。

◆2022年9月6日(火曜日)
 
今回の旅の目的の一つ、ダニエル・マウホの4枚のレリーフが見たくて、火曜日はシュトゥットガルトのヴュルテンベルク州立博物館(旧宮殿 美術館・博物館①)を訪ねました。元々ここにはリーメンシュナイダーの選りすぐりの作品「大ヤコブ」「マリア・クロパヨとアルパヨ」「悲しむ女性」の3点があり、私は2010年までに4回この博物館に来ていましたから今回で5回目の訪問となります。ただ、当時はマウホの名前も知らず、数ある作品の中で彼の作品はまったく記憶には残っていなかったのです。「今回はリーメンシュナイダー作品はここにはないけど大丈夫?」と予めアンゲリカが心配して知らせてくれていました。啓子さんには残念ですが、シュヴェービッシュ・ハルのヨハニターキルヒェに貸し出されているそうです。「まぁ、それなら私たちはあとでシュヴェービッシュ・ハルに行って会えるわね」と思っていました。

 うっかりしたことに、この日は博物館前の写真を撮り忘れてしまったので、便宜的に2009年1月に写した写真を載せておきます。


シュトゥットガルト、ヴュルテンベルク州立博物館(2009.01.31撮影)(美術館・博物館①)  


 しかし、入館したときに大きな違和感を感じてしまいました。12年の間にすっかり内部改築をしていたようで、以前と造りも展示の仕方も内容も大きく違うのです。「これがあのときと同じ博物館?」と頭が混乱しました。もしかしたら私の記憶が間違っているのかもしれないのですが。
 そして、ぐるっと一回りのなんと早いこと。圧倒的に展示作品数が減っていました。あるはずのマウホのレリーフも全く見当たらず、会場の人に聞いてもわからないのです。保管庫にあるというのならまた見る機会はあると思うのですが。大きな改築の後で訪ねたら以前あった作品が見つからなくなっていたというのは、過去いくつかの博物館で経験していますので、「リーメンシュナイダー作品も本当にちゃんと戻ってくるのかしら。戻ってきたとしても置き場所はあるのかしら」と少々心配になりました。

 展示作品の解説を見て、作者名を知っていたのはミヒェル・エーアハルト(磔刑像)とニクラウス・ヴェックマン(祭壇)だけでした。二人ともウルムの彫刻家で、ヴェックマンはマウホの師匠と考えられています。優しげなキリストや兵隊たちの様子からもマウホとの師弟関係がうかがわれましたが、ヴェックマンの作品の方が男性像の顔つきもまろやかに彫られているような感じがしました。一方、ミヒェル・エーアハルトはリーメンシュナイダーの師匠と言われています。ウルムは中世後期の大彫刻家を産み、育てた町だったのですね。


▶シュトゥットガルトの町並み

 以前来たときは駅前に大きなケーニッヒ・シュトラーセがあり、町並みも目の前に広がって見渡しやすかったのですが、シュトゥットガルト中央駅の大工事が始まってからは通りも分断され、町全体が工事中という感じで落ち着かない景色となってしまいました。「一体あと何年かかったら出来上がるんだ。日本の京都駅を見習え!」とヴィリーの怒りは収まりません。

 啓子さんは前回来たときにこの町を散策する時間が取れなかったので、今回は少しでも町を見てもらいたいと思ってこの時間を取りました。アンゲリカとヴィリーがガイド役であちらこちら説明をしながら歩いてくれました。歩いているうちに小腹も空いて入ったレストラン。アンゲリカ宅の朝食でパンもおかずもサラダもしっかり食べたので、昼食はあまり入りそうもありませんでしたが、確かに喉は渇きました。「それならこういうのはどうだ」とヴィリーが注文してくれたのがこの写真です。ピザより軽く、でもそこそこお腹に溜まりました。料理名を今度教えてもらっておき、次回の旅では自分で注文できるようにしたいと思っています。



カフェレストランにて


 このレストランで面白かったことが一つありました。三津夫たちの後ろの席で子どもがスマホばかり見ていてちっとも食べていないのを知ったウェイターが「食べるまでそのスマホを預かるから寄越しなさい。スマホは食べてからするものです」と何度も強く促したそうです。両親も苦笑していました。こう注意できるウェイターは偉いですね。
 ただ、ドイツでは食事中にタバコを吸う人が日本よりずっと多いと感じます。この両親もしょっちゅうタバコを吹かすので、私は喉が痛くなって困りました。三津夫と私だけなら煙の来ない建物の中の席に座るのですが友人たちは外が大好きなので辛いところです。


▶この日の夜はバーベキュー

 一昨年だったと思いますが、シルヴィアとクラウスは住まいの近くの林の中に庭を買いました。その庭を整えてこの日の夜に初バーベキューパーティーをすることになっていました。その準備でシルヴィアは今日は家で過ごし、シュトゥットガルトにはヴィリーとアンゲリカが連れて来てくれたのでした。それまでまだ時間があるので、ヴィリーのアパートで一休みするということになっていました。彼は市内に家があり、アンゲリカは高台に家があって再婚同士の別居夫婦です。この日はアンゲリカがコロナ禍でずっと会えずにいたお友だちとの会が入っていたため、まずアンゲリカ宅に行き、ここで彼女とはお別れ。
 その後、残った4人でヴィリー宅へ。三津夫と私は余程疲れた顔をしていたからか、「別室で休んでいいよ」といわれてバタン・グー。確かにドイツに着いた早々、朝早くから出かけていたので時差惚けも残っていました。一眠りして起きると、ヴィリーと啓子さんは今までの旅行の話などして盛り上がっていました。啓子さんはほっそりしているけどとてもパワフルです。ただ、テーブルの上にはまたしても飲み物とケーキが…! お腹を空かせてバーベキューに行きたいと楽しみに思っていたけれど、これでは無理なようです。

 一休みした後で、今度はシルヴィアの家へ。ここも何だか大忙し。永年使っていたキッチンの備え付けソファーを取り替えたいと新しい椅子を買ったものの、そのソファーがなかなかはずせずにクラウスが大汗をかいていたのです。そこにヴィリーと三津夫もできるところは手助けに入り、シルヴィアの友だち夫妻が電動工具を持って来て更に大がかりな工事に突入。しばし電動鋸の音が響き渡っていました。この日も暑い日で、働いているみんなは汗びっしょりでした。

 ようやく片付けができて新しい椅子を据え付け、いざシルヴィアとクラウスの庭へ出発。車で数分の移動でしたが、食材や飲み物やクッションと、運ぶ荷物がたくさんありました。庭先に車を停めてシルヴィアの案内で庭を見て回りました。なかなか広々とした庭で、日本とは規模が違います。彼女が1人で時間をかけて作った池も見せてもらいました。何度も家から水を持って来てはこの池に入れてきたそうです。生き物が大好きでチビちゃんと名付けたバルトアガメ(エリマキトカゲに似たような動物。彼女はこうして保護された生き物を引き取っています。下の写真)というペットを飼うほどのシルヴィア。それにしても自力でこんなに大きな池を作るとはすごいエネルギーです。





 いよいよバーベキューが始まりました。クラウスは初めて使うというバーベキューセットでグリル担当。他のみんなでテーブルセッティング。美味しく焼けたソーセージに会話も弾みます。星が輝く時間になるとさすがに冷えてきて少々寒さを感じるほどとなり、お開き。
 シルヴィア、クラウス、ヴィリー、お友だち夫婦に準備をありがとうと感謝しながら再度ヴィリーの運転でアンゲリカの待つアパートに戻ったのでした。







たくさん食べてたくさんおしゃべりして、楽しいバーベキューでした。

  次回はケンプテンへのドライブ旅行です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

276. 17回目のドイツ旅行(4) ガイスリンゲン祭壇

2023年01月18日 | 旅行

▶マウホ探訪のメインの一つはこのガイスリンゲンにありました。

 


ガイスリンゲンの町 美しい組み木の家も残っています。

 

▶2022年9月5日(月曜日)の続きです。

 シルヴィアは以前から年齢(私たちの娘世代)よりずっとしっかりした考え方をしていると思っていましたが、今回の旅で驚いたのは、小さな町を訪ねる日程ではレストランの予約まで心配りをしていてくれたことでした。何しろドイツの友人たちが3人(クラウスは仕事でした)、私たちと一緒だと6人になりますから、お昼時に簡単に入れるレストランを探すのはなかなか難しいのです。この日の午後は、普段は閉じている教会の関係者に連絡を取って午後3時にドアを開けてもらう手配をしてくれていましたから、時間に遅れてはいけないということもあったようです。

 前号に書いたレヒベルクハウゼンの町でも近くのイタリアンレストランの予約を入れてくれていました。下の写真がその昼食風景です。運悪くヴィリーが頼んだスパゲティの中に虫らしきものが入っていてシェフと言い争いになった一場面もありましたが、早口の応酬にはとてもついていけませんでした。でもピザは美味しく食べました。


レヒベルクハウゼンのレストランにて昼食

 
 ここから約22kmほどのところにガイスリンゲンの町があります。ゆっくり食事をしてもゆとりを持って到着することができました。約束の3時にルター派教区教会 ガイスリンゲン・アン・デア・シュタイゲ(註)に行くと、教会のミュールホイザー氏が来て鍵を開けて待っていてくださいました。氏はこの教会に関する話をたくさんされるのですが、私は撮影に必死で、楽しそうにその方の解説を聞いているみんなの輪には入れないのが残念でした。三津夫はこのガイスリンゲン祭壇をこの旅のメインの一つに挙げていましたので、じっくり堪能したと思います。最初は一番下のプレデラが閉じられていた(下の写真)のですが、そのすぐ後で扉を開けてくださったので、「煉獄の炎」で苦しむ人々の姿を見ることもできました。マウホの作品は穏やかな表情のものが多いので、2021年に手に入れたマウホのカタログで見たこの表現に三津夫はすごく驚いたと言っていたのです。扉を開けてもらえなかったら相当ガッカリしていたことでしょう。シルヴィアがたのんでくれたのだったか、私はカメラの準備で見ていませんでしたが、誰にしてもありがとう!

※註:私は『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』制作時に「アン・デア・シュタイゲ 」を「シュタイグ 」と勘違いして読んでしまったため、この場合は発音が「ク」となるはずと考えて、そう書いてしまいました。このブログを書く段階でもう一度確認しなおしたところ、「シュタイゲ」であることに気が付きました。なぜ編集時にもう一度きちんと確認しなかったのかとほぞを噛む思いです。大変申し訳ありませんでした。ここでお詫びして訂正させていただきます。



ガイスリンゲン祭壇(三津夫)



ガイスリンゲン祭壇のプレデラ(緑)

 


ルター派教区教会 ガイスリンゲン・アン・デア・シュタイゲ(教会②)

 

▶今日の予定は無事終了

 こうして(実質的には)旅の初日で見たかったマウホ作品を2つの教会で無事拝観することができました。みんなもホッとして、「ちょっとアイスクリームが食べたいね」と、頼んだのがこの写真でした。アンゲリカのアイスはまだ届いていませんでしたが、なぜか一番手前の私が頼んだアイスは蜂に人気で、何匹も飛び回るのでおちおち食べることができませんでした。余程甘さがあったのか、香りが蜂好みだったのかわかりません。



 町で見かけた噴水の写真も載せておきます。なかなかユニークですね。


作者名(?)は CHRISTIAN SCHUBARI  *1739 + 1791 と書かれていました。モダンに見えますが、18世紀の作品なのでしょうか。


 なお、このブログでは今回の「17回目のドイツ旅」で一体いくつの教会と美術館・博物館を訪ねたのか、自分でもはっきりしなくなっているのでカウントしながら書いていくつもりです。①、②はそのカウントの数ですのでご了承ください。


 次回はシュトゥットガルト市内観光のお話です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

275. 17回目のドイツ旅行(3) シュトゥットガルトからレヒベルクハウゼンへ

2023年01月17日 | 旅行

▶旅の始まりはシュトゥットガルトからでした。

 


アンゲリカの家でいただいたドイツ初日の夕飯は、ことこと煮込んだ美味しいカボチャスープでした。

 

▶旅の概要

 2016年に一緒に「ドイツ中世後期の彫刻家を訪ねる旅」をした箭本啓子さんが、今回も同行したいと希望したので、9月4日からの2週間は日本人3人の旅行としました。啓子さんが訪ねたいというベルリン・ケルンを入れながら、次のような3部構成(主な宿泊地を書き入れました)で計画を立てました。

  第1部 フランクフルト空港→シュトゥットガルト→🚐→ケンプテン→🚐→ウルム
       6
人でのドライブ旅行

  第2部 ウルム→ベルリン→ロストック→ケルン→フランクフルト
       啓子さんと一緒に3人での
列車の旅
 
  第3部 フランクフルト→ドイツ西南部→東南部→オーストリア→フライブルク→フランクフルト
       夫婦2人での列車の旅


 どうして最初はドライブ旅行だったのかというと、シュトゥットガルトに住む友人のシルヴィアは学校の先生をしています。そのため真っ先に会っておかないと授業が始まってしまうので、旅の始めにシルヴィア・クラウス夫妻とアンゲリカ・ヴィリー夫妻と共に訪ねられる南ドイツの教会を回ることにしたのでした。私たちが行きたい教会は大半が交通不便な町にあり、列車で回ると1日で1~2箇所回るのが精一杯なのですが、車だと1日で3~4箇所回れます。シルヴィアとヴィリーが1台ずつ運転して車2台が連携し、私たちの行きたいところを全部回ってくれることになったのです。本当にありがたい友人たちです。

 

▶第1部 

 ◆2022年9月4日(日曜日)
 この日は早朝の一番電車で清瀬を出発、池袋駅で啓子さんとも無事合流しました。飛行機はカナダ方面から大回りでフランクフルトへ。お土産の詰まった重いトランクも無事回収し、フランクフルト空港駅からシュトゥットガルトまで混んだ特急列車に乗って夜8時半頃シュトゥットガルト中央駅に到着しました。

 そこで待っていてくれたのはシルヴィアとクラウス夫妻、アンゲリカとヴィリー夫妻の4人でした。クラウスとヴィリーが運転する車2台を中央駅の駐車場に置いて、いつものようにホームの端で待っていてくれました。列車が20分ほど遅れたので気を揉みましたが、大丈夫とシルヴィアが返事をくれたおかげで気持ちも落ち着きました。ここから町中を抜けて高台にあるアンゲリカのアパートまで車を走らせ、3階建てのアパートに到着。その最上階に住むアンゲリカの部屋まで40段前後の階段を上らなければなりません。本が何冊も入ったトランクを運び上げるのは、いくらたくましいドイツ男性でも息が上がる大仕事。ホッと一息入れた時には既に夜の10時を回っていました。その後、ビールとジュースで乾杯!! 彼らにとって啓子さんとは6年ぶり、私と三津夫とは3年ぶりでの再会となりました。

 


左から三津夫、ヴィリー、アンゲリカ、シルヴィア、クラウス、啓子さん

 

 この乾杯の後で日本から持って来たお土産を渡したり(啓子さんのお土産はお店が出せるほどたくさん!)、三津夫と私の新刊共著『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』を渡したりしてから美味しいカボチャスープをいただきました。このあと11時ごろまであれこれおしゃべりをしてシルヴィアとクラウスは家まで帰って行きました。彼女たちの家は今までシュトゥットガルトと書いてきましたが、実際は車で40~50分かかる距離にあります。シルヴィアは翌日の朝、また車で来てくれるのです。本当にお世話をかけます。

 

◆2022年9月5日(月曜日) 
 クラウスは仕事があるので、シルヴィアが一人でやって来ました。皆で朝食を取ってから2台の車に分乗して出発です。この日の第一目的地はレヒベルクハウゼン Rechberghausen のマリア被昇天教会(教会①)でした。
  

 

教会① レヒベルクハウゼン、マリア被昇天教会


 この教会内にはダニエル・マウホ(1477~1540)とその工房による「聖バルバラ」「聖マルガレータ」「聖人(聖ベルンハルト?)」「使徒ヨハネ」の4体の単体彫刻と群像「聖母マリアの昇天」があります。小振りですが、特に女性像はマウホ独特の柔らかな微笑みが目を惹きます。また、最後の写真にあるように、不思議な取り合わせの中央もマウホの作です。


 

 

 
教会内の4体の彫刻(三津夫の撮影、以下作品写真には撮影者の名前だけ入れておきます。)



中央の群像はダニエル・マウホ作ですが、不思議な手は誰の作なのかわかりません。(緑)


 次回はこの日の午後に訪ねたガイスリンゲン祭壇について書く予定です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする