リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

352. 「福田緑写真展 No.3」のチラシができました

2024年07月21日 | 旅行

▶やっとチラシができあがりました。





これは私が送った原稿の画像です。チラシはまたちょっと違います。


▶反省、反省!!

 届いた箱から取り出したチラシを見て反省で手が震えました。あ~、やっぱり素人仕事だった…。

 写真展のチラシは第一回目にプロの方にお願いして作っていただきましたが、その原稿を元に第2回目写真展の原稿も自分で手を入れて何とかきれいな原稿ができたので、今回も大丈夫だろうと更に改定したものでした。
 ただ、2021年に原稿を作ったときにはさほど心配しなかったのに、今回は文字数が増えたので、これでちゃんと画面に収まるだろうかととても心配でした。そのため、フォトショップでトンボのガイド線も入れて作ったのですが、実際にそれがどのように印刷されてくるのか今一つピンと来ていませんでした。そのため印刷会社の方で原稿を見て内容が切れてしまうようだったら連絡をいただくという仕様で入稿したのでしたが、何も連絡が無かったため大丈夫だったかなと思いつつ箱を開いて見ると(この写真では見えにくいのですが)、用紙一杯一杯でキツキツ感この上なし。一番残念だったのは表面中央のマリアに微かに日が差していて私のパソコンではちゃんとお顔が見えるのですが、印刷された後ではほとんど見えないぐらいに全体が暗めでした。その微妙なと明暗はもっと自分で判断しなければいけなかったのです。三津夫に「マリアの顔が暗いね」といわれて一度は全体を明るめに直してみたのでしたが、それだと重厚な雰囲気が薄められてしまうため、元のままで入稿しました。今後はもっと気をつけなければなりません。

 「今後」と書いたのは、リーメンシュナイダーの亡くなった日が1531年7月7日なので、2031年(できれば7月頃?)には是非清瀬で「リーメンシュナイダー没後500年記念写真展」を開催したいと思っているからです。果たしてその時まで私は元気で生きているのかどうかわかりませんが。
 それまでにあと1~2回は写真展ができるかどうかというところですが、できるようであれば、また皆さんにもっと上出来のチラシでお知らせしたいものだと考えています。

 今回のチラシは今まで写真展に来てくださった方には郵送したいと考えています。まだ先の話なので9月から本格的に郵送作業を始める予定ですが、もしここにも送ったらどうかなどのご意見、ご提案がありましたら遠慮無くお知らせください。


▶カフェギャラリー縁について

 会場の「カフェギャラリー縁(えん 「みどり」とよく間違えられるそうです)」は前回のブログでお知らせした参考ウェブサイトで書かれているように、86歳という高齢の藤澤瑩子(えいこ)さんという方がお一人で営業しているカフェです。以前一度ホームページを見たのですが、今はホームページを作ってくれた方とうまく連絡が取れないようで、会場予約を申し込む段階になっていくら探しても見当たりませんでした。
 ただ、2023年に書かれた記事で大変好意的なレポートがあり、これを見ていただければ皆さんにもおいでいただけると判断しました。1階がカフェで珈琲は美味しいと評判です。以前、食事にきたことがある人はカレーが美味しいといっていました。ただ、今は藤澤さんのお耳の聞こえがよくないようで、大きな声で何回か叫ばないと注文ができないかもしれません(^_^;)。私たちが写真展の契約をしに訪ねたときも、大きな声で呼んでも返事がなく、しばらく待ってようやく姿を見かけてお話することができたのでした。そこは大目に見ていただき、是非珈琲を飲んだりお食事もしてくださいませ。

 第1回写真展でいらしてくださった皆さんとあれこれお話しできたのは私にとって大変貴重な時間でした。
 今はコロナもまたピークを迎えているようですが、開催は10月末。涼しくなって患者数も減っていることを祈りつつ、このカフェギャラリー縁でもゆっくりお茶や珈琲を飲みながらリーメンシュナイダー談義を交わしたいと願っています。ギャラリートークは今回は予定しておりません。

 場所は西武池袋線秋津駅の北口から1~2分です。人によっては1分では足りないかもしれないと思って160mと書いておきましたが気持ちとしては駅を出て右方向を見ればすぐです。お車の方は、秋津駅北口前に大きなコインパーキングもありますし、カフェギャラリー縁のすぐ斜め前にドラッグストアの駐車場、少し先の踏切を左に曲がればスーパーいなげやの駐車場があります。お買い物をすれば2時間ぐらいは無料で停められます。

 ということで、今からご予定いただけると嬉しいです。多くの皆さまのおいでをお待ちしております。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

 

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351. 「福田緑写真展 No.3 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」を開催します。

2024年07月19日 | 旅行

▶前回の続きです。


の可愛い花の名前はペパーミントツイストです。

 

▶同時代の彫刻家「作品資料集」に目をつぶる理由とは??

 それは今年、3回目の写真展を開催することにしたからです。あと何回ドイツに行けるかわかりませんが、クレークリンゲンのヘルゴット教会に寄付をしたいと始めたチャリティー絵はがきがまだ結構残っているので、人気で完売してしまった聖母子像・女性聖人像の絵はがきを現在焼き増し中です。この絵はがきをなんとか全部売り切って、もう一度だけヘルゴット教会に寄付を納めたいのです。

 そのため、以前から清瀬市内で写真展を開いて欲しいと要望のあった仲間たちにも気軽に来てもらえるように、「福田緑写真展 No.3 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」を以下のように計画しました。

  ◆日時 2024年10月26日(土)~11月6日(水) 木曜定休
      午前10時~午後6時30分

  ◆会場 カフェギャラリー縁 
      東京都清瀬市野塩1-300-5
      ※ホームページは現在ありませんが、以下のウェブサイトでお店の様子が詳しく紹介されています。

カフェだけじゃない!多目的スペースがある『カフェギャラリー縁』

カフェだけじゃない!多目的スペースがある『カフェギャラリー縁』

清瀬市の秋津駅北口から徒歩1分の「カフェギャラリー縁」は、アートやイベントを楽しむことができる魅力的な場所です。1階のカフェは美術作品や装飾で溢れており、コーヒー...

Mediall(メディアール)

 

  ◆展示内容 マリア祭壇の「光の奇跡」(2023年8月15日撮影)を中心に、ここ2~3年の旅行で見たインパクトの強い同時代作家の作品も紹介します。

 

▶チラシは前回のブログをアップしてから頑張って作り、昨日ようやく印刷会社に入稿しました。来週届いたら早速ここにアップします。

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350. 「リーメンシュナイダー作品 2023年版基礎資料」完成!

2024年07月02日 | 旅行

▶ようやく出来上がりました(画像と文章を追加してあります)。

 


 この資料集改訂は大仕事でした。

 

▶今回の資料集で最終版として、あとは補完版を作って行きます。

 今まで何冊この基礎資料を作ってきたのかよく覚えていないのですが、少なくとも4回は作成したと思います。以前は確かもっと小さなB5判で作っていた記憶があるのです。でも2019年版を作った後で都市名に続く教会と博物館名のアルファベット順が間違っていることに気が付いたため、今回は大改訂をしたのでした。今回の基礎資料はA4版で102頁です。頁を間違えないように印刷するのはとても神経を使いました。約3週間かかって、ようやく今日のお昼にできあがりました!

 昨日この頁をアップロードしてから、連れ合いに「内容が全然わからないから具体的な写真を入れた方が良いよ」と言われました。それもそうだと思い、ちょうど昨年初見だったバンベルク大聖堂博物館の部分をアップしておきました。2番目の写真、5頁右上が大聖堂博物館についての記述を追加した部分。3番目の写真、一番左上にその聖母子像を作品通し番号(013)として入れてあります。記事と写真があまり離れすぎても見にくいし、かといって近づけようとすると記事がバラバラでまとまらなくなるし、配置が難しく頭を悩ませています。 

 訪れた教会や博物館・美術館はそれほど増えてはいませんが、三津夫にも見せながら「もうほとんど見られるリーメンシュナイダー作品は見ちゃったね」と心の区切りが付きました。ただし、来年はニュルンベルクのゲルマン国立博物館で新発見の「復活のキリスト」を拝観する予定です。

 あ~、でも私は本当は同時代の作家たちのこうした基礎資料も作っていたのでした。特に『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の執筆中は、やはりこうした一覧表がないと不便だったので作らざるを得なかったのです。そしてその後の旅ではたくさんのこうした彫刻を拝観してきたので、それも補完していくとなったら膨大な作業になってしまいます。今は目をつぶることにします。その理由は次回書くことにします。

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349. 野村和子さんからの投稿「カタロニア北部・ロマネスク教会群への旅」

2024年06月16日 | 旅行

▶今回はリーメンシュナイダー友だちの野村和子さんからの投稿です。


この写真は野村和子さん撮影のサグラダファミリアです。

「サグラダファミリアの写真、皆さんが気に入ってくださるので、お裾分けいたします。
 高窓から入る自然光が虹色のステンドグラスを通して、天国のような空間を演出しているのです。ガウディは、この光を生み出すために、光学を学んだりして、天才ぶりを発揮しました❗️
ガイドブックには、混雑するから午前中に見てくださいと書いてありますが、この光の饗宴は、午後でなければ見られません。」という野村和子さんからのメールに添付で送られてきた写真です。


▶野村和子さんとは?

 和子さんとは2015年2月からのお付き合い。「クレークリンゲンのヘルゴット教会を訪ねたときに泊まれる宿を教えていただけませんか」というメールをいただいたのがきっかけでした。私が日本で初めてのリーメンシュナイダー写真集『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を丸善プラネットから2008年に出版したのを読んでくださって連絡されたのだったと思いますが、もしかしたらもっと後の写真集だったかもしれません。とても嬉しくて近くの宿をお教えした記憶があります。

 その後、旅のコースについて相談を受けたり、私が実家に帰るときに通りかかる場所にお住まいの和子さんのお宅を何回か訪ねてはリーメンシュナイダーについてのお喋りを楽しんだり、写真展を開催するとお友だちと見にきてくださったりしたのでした。

 そんな和子さんから今年、素敵な旅をされたとメールが届きました。ロマネスク美術を訪ねて回った和子さんは何人もの天使に助けられたといいます。これは是非皆さんにも紹介したいと思って掲載のお許しをいただきました。以下にご紹介します。旅した場所はスペインのバル・デ・ボイだそうです。参考までにウィキペディアの記事のリンクを以下に載せておきます

バル・デ・ボイ - Wikipedia

バル・デ・ボイ - Wikipedia

 

 

 以下、和子さんからの投稿です。


◆カタロニア北部・ロマネスク教会群への旅(2024年4月15日ー23日)

                        野村和子 (フリーライター)

 ロマネスク様式は、11世紀後半から12世紀にかけて西ヨーロッパで広まった美術建築様式で、厚い石造りの壁と堅牢な構造を特徴としています。窓やドアは小さく、防御的な要素としても機能していました。石柱やアーチには、聖書の物語などを描いた精巧な彫刻が施されました。ゴシック様式の尖ったアーチとは異なる半円アーチを多用し、教会の正面入り口扉の上部にも彫刻が施されました。

 人里離れた修道院や小さな村の聖堂に至るまで、内部壁面には、聖書の物語や教義、動植物や幾何学模様などのフレスコ画が描かれました。一見ほほえましく稚拙にも見えるそれらの彫像や絵画は、各地の文化の豊かさ、深い宗教性を伝えてくれます。

 スペインのロマネスクは、800年続いたイスラム統治の結果、イスラム文化の影響を色濃く受けました。イスラム文化の装飾手法や空白を埋めつくす幾何学的造形などが加わり、他の地域には見られないエキゾチックな光彩を放っています。
(国立西洋美術館ロマネスク美術写真展カタログ、スペインロマネスクアカデミー・勝峰昭氏の論考などから抜粋)

 ***  

   スペイン、カタロニア州北部の山村には、世界遺産とされている9つのロマネスク教会があります。1987年、写真家の田沼武能氏はこれらの教会を撮影し、写真集『カタルニア・ロマネスク』を出版なさいました。当時それを見た私は、いつかこの教会群を見たいものだと、漠然とながら願うようになりました。

 2020年の初めには具体的な旅行計画を立て、フライトとホテル、バスまできっちり予約を済ませたところ、コロナウイルスの世界的パンデミックのため、4月には渡航禁止となってしまったのです。その後も、いつかは必ず行くのだと思いつつ月日が流れていきました。

 2023年の暮れ、私は不覚にも路上で立て続けに3回も転んで、右脇腹の肋骨を1本折ってしまいました。初めての骨折で、さすがに自分の老化を実感した次第です。こんな調子では間もなく海外旅行に行けなくなる、との危機感を持った私は、今年(2024年)こそ、懸案事項だったスペインに行こうと思いました。4月には主人がドイツとスイスに9日間出張することがわかりました。85歳の主人を、一人留守番させて海外に行くのは無理だと思っていた私にとって、千載一遇のチャンス到来です。

 こうして4月15日から23日までの旅行計画を立てました。円安のため、ホテル代は4年前に計画した時と比べて2倍です。ただ、フライトはコロナ蔓延当時と比べて値段が少しは下落しており、最安値のエミレーツ航空にしました。

 バルセロナは治安が悪く、特に地下鉄では、旅行者はひんぱんにスリやひったくりの被害を受けているとの報告があります。一人旅の私は大いに気を付けなければなりません。でも、それにも限界がありますから、神様に守っていただこうと思いました。

 
 聖書(詩篇91篇10節)にはこうあります。

「禍はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。これは主(神)があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。」

 この聖句を旅日記に貼り付けて出発しました。

 ***

 ロマネスク教会が点在しているのは谷間(バル・デ・ボイ)のいくつかの集落で、人口は全部集めても1000人余りです。村の民宿で2泊しました。過疎地帯ですから、小中学生は一日一往復のスクールバスで30分かけて町の学校に通います。このバスには、一般の人も有料で乗せてもらえます。

 2日目は1380メートルの山村に建った教会に、歩いて登ることにしました。スタート地点がすでに1000メートルくらいあるし、1時間余りで着くと書いてありましたから。ところが半分まで登ったものの、どうにも疲れて道端の石に座っていたら、軽自動車に乗った壮年天使がやってくるではありませんか。手を挙げると停まってくれて、何も言わずに教会まで連れて行ってくれました。その村には人の気配がなく、商店もタクシーもないので、帰りは同じ山道を歩いて下り始めました。でもやはり30分ほどで疲れ果てて座り込んでいたら、2人目のワーキングウーマン天使登場‼️麓まで乗せて行ってくれました。
 3つの教会を見た後、宿まで30分の道を歩き出したものの、きつい登り坂でやはり疲れはてました。それで、やってきた小型車に手を挙げたら、小学生の息子さんを連れた30代のお父さん天使が停まってくれました。私の宿の近くに住んでいるとのことで、宿のそばまで連れて行ってくれました❗️
 極めつけは3日目の金曜日。スクールバスに、今日は子供たちが一人も乗らない日だったらしく、私が1分早くバス停に着いて手を上げていれば停まってくれたのに、誰も乗る人がいないと思った運転手さんは、私の10メートル先をさーっと通り過ぎてしまいました。Oh my God!次の集落まで30分歩いて、電話でタクシーを頼むしかないと思いつつも、たしかその村は昨日ひとっ子一人見たことがなかった。果たしてタクシーなんて頼めるのでしょうか? 車が2台通ったのでヒッチハイクを試みたけど停まってくれず、暗澹たる気持ちになりました。

 ところが3台目の車に手を挙げると、停まってくれたのです!今度はサングラスをかけた太めのマダム天使で、英語が上手です。途中の町で息子さんとお店を経営しているとのこと。マダムはその日、バルセロナ行きのバスが停まる町に仕事で行くそうです。私はその町にスクールバスで行く予定でしたから、なんて好都合なのでしょう。神様とそのマダム天使に大感謝しました。もし彼女がいなかったら、旅行計画は大幅に狂ってしまうところでした。

 こうして世界遺産の教会群9か所のうち、公開している6つの教会を見終えることができました。10~11世紀に、このような教会に集っていた村人たちの素朴な信仰を思いました。

 教会の壁画はどれも傷みが激しいので、修復保存のため20世紀の初めにバルセロナのカタルーニャ美術館に移しました。今現地にあるのはすべてレプリカです。村人たちは、当然ながらそのことをとても寂しく思っているそうです。

 ***

 今回の一人旅を振り返ってみるとき、私はバルセロナでスリなどにも会わずにすんだし、聖書が約束したように、確かに、何人もの天使たちが私の足を守ってくれたことを実感した次第です。

 なお、世界遺産に指定されている9つの教会名と場所は下記になります。
Taull(タウイ)地区
     〇 Sant Climent de Taull(サン・クリメント教会)
     〇Santa Maria De Taull(サンタ・マリア教会)
Boi(ボイ)地区
     〇Sant Joan de Boi(サン・ホアン教会)
Erill la vall(エリル ラ バル)地区
    〇Santa Eulaliad’Erill la Vall(サンタ・エウラリア教会)
Barruera(バルエラ)地区
  〇Sant  Feliu de Barruera(サン・フェリウ教会)
Durro(ドゥーロ)地区
     〇 La Nativitat de Durro(ラ ナティビタ デ ドゥーロ)教会
   L'ermita de Sant Quirc de Durro(サント・キルクの庵)
Cardet(カルデト)地区
  Santa Maria de Cardet(サンタマリア教会)
Coll(コル)地区
  Santa Maria de I' Assumpcio de Coll(聖母被昇天聖堂)

〇は現在公開している6つの教会。

  下記、現地のロマネスクセンターのサイトを開くと、日本語でこれらの教会についての情報を得ることができます。 Centreromanic.com
  とにかく交通不便な場所ですから、出かける前に野村にお声をかけてくだされば、バルセロナからのバスの時刻表などもお知らせできます。


▶何と素敵な旅だったことでしょう!

 和子さんは無事に6か所の世界遺産の教会を見て回ることができて何よりでした。

 連れ合いと私はドイツ後期ゴシックの彫刻を訪ねられるところはほぼ訪ね歩き、次はどこへ行こうかと考えているところですが、ロマネスクに強い興味を持ってカタログを眺めている我が連れ合いは、今後はロマネスク彫刻を見て回ると意気盛んです。和子さんが訪ねた場所を私たちもいずれ訪ねるかもしれません。その時は良い宿などお教えいただこうと思っています。でも日程的・体力的に難しければ是非カタルーニャ美術館には行ってみたいものです。

 私たちの旅でも度々「お助け人(びと)たち」(=和子さんの「天使たち」)に恵まれてきました。こうした旅は忘れられませんね。これからもどうぞ良い旅を!

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348. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(8)まとめ

2024年06月12日 | 旅行

▶今回は今までの18回の旅のまとめです。


この画像は私の個人的な基礎データの表紙です。

 

▶339回分のブログを最初から読み返して、ようやく最後まで読み切りました。

 3月21日から今日まで、途中の文章に間違いや齟齬がないか振り返りながら339回分のブログを読み直してきました。途中の旅の記録は大分抜けていましたが、残っている記録だけでも我ながらよくこれだけたくさんの教会や美術館を訪ねてきたものだと感心するやら呆れるやら。特に心に残った部分については7回のブログで触れてきましたが、独りよがりだったのではないかと今はちょっと反省しています。

 最近の旅については結構細かく書き込んでしまいました。余程リーメンシュナイダーや同時代の彫刻などに興味のある方でないと長ったらしくて読む気にもならないかもしれません。申し訳ないと思いながら、それでも読んでくださる方が少しでもいるとしたらと思うとつい長くなってしまうのです。いつまで続けられるかわかりませんが、エネルギーと時間が持てたときには書いていきますので、時々お訪ねいただけると嬉しいです。


▶「リーメンシュナイダー2023年版 基礎資料」を作ります。

 コロナの前までは旅に出ると、新しく見たリーメンシュナイダー及び関係者の作品について、トップ写真のように「リーメンシュナイダー作品○○版 基礎資料」としてまとめてきました。毎回は忙しすぎたので3回ほど改訂してきたのでした。
 ただ、コロナ明けの2回分はまだリーメンシュナイダー作品新発見を上記のデータに加えていません。これから修正版を作ります。これが結構大仕事なのです。全頁に表でまとめた地名ごとの作品を動かしていくので頁構成が難しい。「そんな苦労をして一体誰が見るの?」って思うのですが、私がリーメンシュナイダーを追いかけながら歩いてきた軌跡のまとめでもあり、今まで踏ん張ってきました。でも2020年の旅からは新作発見も少なくなりましたし、今回で最終改訂版としてまとめ、今後の旅での新発見は巻末に加えることにしようと思っています。

 それにしても、どなたかリーメンシュナイダーに情熱を持ってくれている研究者をご存じないでしょうか? 今でさえ「以前この美術館で見られた作品がもう行方不明になっている」ということが多発しているので、万全のデータとは言えなくなってしまいましたが、少なくとも私が見たものはこの時点でここにあったという記録にはなると思うのです。いわば私のリーメンシュナイダーに関する終活ですね。この自作の一覧と、本やパンフレットなどの資料もありますので、いずれそうした方にお譲りしたいと思っているのですが。



ようやくオリーブの枝に2粒の実(?)がついたようです。風が強くてなかなかうまく写せませんでしたが…。

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347. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(7)ハラハラドキドキの旅 トップ3

2024年06月01日 | 旅行

▶今回は17回目のドイツ旅の中でも、特にハラハラドキドキした教会訪問を3点ご紹介します。

 


この黒々とした木が、伝説の「冬にも枯れない樫の木」だそうです。
 アダモフ、聖バルバラ教会「ツヴェットゥル祭壇」エラスムス・ライサー主導 1516~1525年 

 

▶旅で出会ったお助け人たちに感謝!

 まずは一番ハラハラしたアダモフ行き。

308. 17回目のドイツ旅行(36) ウィーンからチェコのアダモフへ

 この日、チェコまで足を伸ばして出かけたのはトップ写真のツヴェットゥル祭壇を見たかったからでした。迫力ある彫刻の塊といった感じがする祭壇です。
 でも何と言っても一番困ったのはチェココルナに換金できなかったことです。スーパーがあっても買い物もできず、タクシーにも乗れない状況でしたが、無事に切符を買うまで多くのチェコ人がジェスチャーで教えてくれました。おかげでこの旅一番の目的地に無事到着できたのでした。

 トップ写真の樫の木のいわれはブログ308でお読みいただけます。

 

   二つ目に大変だったマウアーはオーストリアの小さな村。バス便のない土曜日に出かけたので帰りのバスは無し、タクシー会社の電話番号もわからないという危機を救ってくれたのは誰だったでしょうか?
 

309. 17回目のドイツ旅行(37) ウィーンからマウアーへ

 三つ目に大変だったこのマウアーで見た祭壇。上記のアダモフの祭壇とはどことなく似ているようで人物彫刻の個性が違います。


マウアー、教区巡礼教会 「マリア被昇天群像」パッサウのマイスター 1520~1525年頃

 

312. 17回目のドイツ旅行(40) リンツからフラウエンシュタインの旅

 さて、今度は3番目のドキドキハラハラ旅です。

 この日訪ねたフラウエンシュタインもなかなか大変な場所にありました。ここでも1人のお助け人(びと)が現れました。彼女のおかげで小高い山の教会で静かにグレゴール・エーアハルトのマドンナと対峙できたのでした。


フランエンシュタイン、教区巡礼教会「庇護マントの聖母子像」 グレゴール・エーアハルト 1510年頃

 この日の教会は上記2館とは違って連絡を取らずに出向いたので、万が一鍵が閉まっていたらアウトでした。私は行く前にわりと周到に準備する方なのですが、ここの教会は何で問い合わせをしなかったのか、今となっては思い出せません。でも幸い中に入ることができて本当にラッキーだったと思います。


  17回目の旅で忘れられない三大冒険をご紹介しましたが、思い出すと今もドキドキハラハラした思いが吹き出してきます。よく無事で行って帰ってこられたなぁと、お助け人たちに改めて感謝です。

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346. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(6)感動をもらったブログ

2024年05月23日 | 旅行

▶写真展の感想から私の方が感動をいただきました。

 


友人宅のオリーブの花 


▶第2回目の写真展後のことでした。

 2022年の1月はコロナのオミクロン株が東京でも患者数を押し上げ始めました。こんな中で開催を決行した「福田緑写真展 No.2 リーメンシュナイダーを歩く」ではありましたが、1週間で500人を超える方が足を運んでくださったのでした。このとき、三津夫の大学時代からの親友、山﨑隆夫さんが何年ぶりかで写真展に来てくれて三津夫とも話し込んでいきました。

 その後、山﨑さんのブログ「扉の向こうは子どもの時間」に「彫刻はこう見るのか!」という記事が掲載されました。連れ合いが送ってくれたメールからこの記事を読んで、私は深く感動してしまいました。山﨑さんの表現力の素晴らしさと感受性の深さに参ってしまったのです。
 ミュンヘンのバイエルン国立博物館で専門の彫刻部門に加えて写真部門も担当しているマティアス・ヴェニガー博士が以前から「あなたの写真は素晴らしい」と言ってくださっていましたが、なんでそんなに喜んでいただけるのか理由を伺うとはっきりとしたお返事がいただけなかった
のです。どうも表現しにくいと困ったようなご様子でした。おそらく山﨑さんが書いてくださったような思いもあったのかもしれないと今は感じています。山﨑さんがどんな文章で表現してくれたのか、この頁から辿ってみていただけると嬉しいです。

269. 新刊『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』が届きました。

 

▶オリーブの花

 話題は変わりますが、我が家には庭と言える庭がほとんどないのですが、友人夫妻宅には比較的大きな庭があり、高齢になって手入れができないと嘆いていらしたので娘や友人と一緒に好きな花を植えさせていただいています(花苗の購入費用はこのご夫妻が出してくださるのですけれどボランティアでできる範囲で手入れをするという関係です)。コロナで世界を自由に行き来できなくなった何とも重苦しい世界状況に加え、2022年2月24日にはロシアがウクライナに攻め込みました。

 このような時期、少しでも平和の花を咲かせたいとオリーブの苗を買ってきて植えたのは同年の4月8日でした。昨年は黄緑色の小さな粒がビッシリと枝についたので喜んでいたところ、1週間後には全てなくなっていました。鳥か虫に食べられたものかとガッカリしたのでした。今年はどうかなと気にかけていたところ、5月20日にようやく花を見ることができました(トップの写真)。今年こそ、この花がいくつかでも実を結び、高齢のご夫妻や私たちに元気をもらえるとありがたいと思いながらときどき様子を見に行っています。

 世界には平和を願う二つのバラ 「反核のバラ」と「アンネのバラ」 が咲き広がっているようですが、清瀬にも咲かせたいと、平和のバラの入手も友人たちと考え始めました。

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345. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(5)友人・知人の紹介

2024年05月19日 | 旅行

▶援助の手を差し伸べてくださった方々のご紹介です。

 


友人宅の芍薬

▶ドイツの「リーメンシュナイダー追いかけ人の旅」の恩人たち

 少しずつ自分の書いてきたブログを通して読み直していますが、コロナ禍の息苦しかった頃、こうしたビデオが多く作られました。私の「リーメンシュナイダー追いかけの旅」を様々な形で支援してくださったドイツの博物館関係の方々のお仕事をビデオでご覧になれますので、紹介しておきたいと思います。

216. 16回目のドイツ旅行(19)ミュンヘン、バイエルン国立博物館

 この頁のトップ写真は、最近日本の新聞でも取り上げられたマティアス・ヴェニガー博士です。今はユダヤの人々の家宝を関係者に戻すという国際的なプロジェクトでがんばっておられます。
 この頁で紹介したバイエルン国立博物館のビデオにはヴェニガーさんは登場しませんが、彼が撮影した写真を『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』に掲載させていただいたモーリス・ダンスの踊り手たちがみられます。



 次に紹介するのは今はお目にかかれなくなってしまったボーデ博物館の元館長ジュリアン・シャピュイさんです。この後ご病気で入院され、メールも今では通じなくなってしまいました。残念ですが、せめて今は無事に静養されていることを祈るばかりです。

 

 そしてフランクフルト・アム・マインにあるリービークハウスのシュテファン・ロラーさんです。ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンの素晴らしい彫刻がアップで写っています。

 

 この他のビデオも紹介してあります。ドイツに行きたくても旅行するのがとんでもなかった時期、これらのビデオでどれだけ心慰められたことか。いつまでもお元気な姿が見られるのもありがたいことですし、彫刻も普段写せない角度からの撮影が多く、新鮮です。是非ご覧になってみてくださいね。

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344. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(4)我ながら驚く強行日程!

2024年04月30日 | 旅行

▶またまたご無沙汰していました。

 


2018年の旅で走ったバスの窓から

 

2018年の旅でのことでした。

 この年は、いろいろな人と会う予定が錯綜してあっちへ行ったりこっちへ行ったりと複雑な旅程だったのですが、中でもここでご紹介する旅の記録を読み直していたときに、自分で驚いたのです。よくこんなに忙しい旅程を組んだものだと…! 皆さんはどう思われるでしょうか? 今から6年前のことでしたが、今の私ならもっとゆとりを持って組むことしかできなかっただろうと思います。勇気があったというか無謀というか…。

 チロルへ向かう旅の最後はバスですが、もしこの便を逃したら一体どうするつもりだったのでしょうね? 以下に旅程を紹介しておきますが、詳しくは本文を覗いてみてください。


169. 15回目のドイツ旅行(17)チロルへ出発!

*9月23日(日曜日)

 この日は旅の一番の目的地、チロル地方へ向かう日です。とても気ぜわしい乗り換えの一日、経路はこんな感じです。

  ①ニュルンベルク中央駅 9:02の準急列車で出発→10:52頃ミュンヘン中央駅
  ②ミュンヘン中央駅 オーストリア鉄道特急11:34発ベネチア・サンタルチア行き
   →12:44ヴェルグル駅(既にオーストリア)
  ③ヴェルグル駅 13:00発特急グラーツ行き→キッツビューエル駅13:29下車
  ④キッツビューエル駅13:35発(実際は45分に出発)リーエンツ東チロル駅行きのバスに乗車
   →
終点リーエンツ東チロル駅15:20頃下車


173. 15回目のドイツ旅行(21)オーストリアからブッフ・アム・ヴァルトへ

 9月26日(水)この日は何度も寿命が縮まった感じがした一日でした。

  ①リーエンツ東チロル駅 6:29発 → シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:27着
  ②シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:40発 → ザルツブルク中央駅 9:48着
  ③
ザルツブルク中央駅 10:00発 → アウクスブルク中央駅 12:15着
  ④
アウクスブルク中央駅 12:30発 →シュタイナハ 14:02着
  ⑤
シュタイナハ 14:36発 → ローテンブルク 14:50着


▶今ならもっと寿命が縮まったと思うに違いない旅でした。

 以上2回の旅程は自分で読んでいてもハラハラします。最近はもっともっと列車の遅れが頻繁になったような気もしますし、用心深さが増しているのでこんな旅程は最初から組まないと確信します。若かったんだなぁと振り返ったひとときでした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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343. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(3)地方紙のインタビューとボーデ博物館

2024年04月05日 | 旅行

▶留学地のシュヴェービッシュ・ハルでインタビューを受けました。


2016年 マリアンヌが用意してくれたご馳走です。

 

▶留学地はシュヴェービッシュ・ハル

 早期退職後、留学の準備をして一人ドイツへ旅立ち、シュトゥットガルトとニュルンベルクの間にある小さな町シュヴェービッシュ・ハルに留学したのは2006年のことでした。まだ木組みの家が多く残り、ミヒャエル教会を中心とした歩いて回れるほどのこぢんまりした町では中世から続くお祭りもあり、そんな日には地元の人たちが民族衣装を着て、まるで中世の町にいるような雰囲気になります。水曜日と土曜日には教会前のマルクト広場に市が立ちます。
 私はこの町に6か月滞在し、必死でドイツ語の授業を受けました。その時にタンデム家族として私の面倒を見てくれたのがマリアンヌとホールスト夫妻でした。宿題のわからないところも先生のようなマリアンヌに教えてもらったものです。

 その後、連れ合いや娘と一緒に何度も彼らを訪問して、2016年の旅では地元紙のインタビューを受けました。そんな体験もマリアンヌの計らいがあってのこと。ありがたく思い出します。このときの記事は送ってもらっていたので写真で載せてあります。ご覧になってみてください。

60. シュヴェービッシュ・ハルでインタビューを受ける

 

▶こちらはベルリンでの得がたい体験を綴った記事です。

 ボーデ博物館の館長ジュリアン・シャピュイ博士とは2010年に撮影許可のメールを出して知り合いました。最初は緊張してなかなかお話を交わす感じではありませんでしたが、2012年にシャピュイさんたちが「ベルリン国立博物館店」の開催のために来日したあとはグッと距離が近づき、伺う度にカフェでしばらくお喋りを交わすようになりました。そして展示されていない作品についていつ展示されるのかお尋ねした際に「収蔵庫にあるので案内しますよ」とお返事をいただいたのです。天にも昇る心地でした。ゲーテ・インスティテュートでお世話になった松本晃一さんが、ちょうどこのときベルリンにいらしたので一緒に伺うことになりました。実際の案内はお忙しい館長さんに替わって収蔵庫の管理をされている方にバトンタッチ。その時の様子を書いた記事です。

70. ベルリンのエキサイティングな一日


 その後シャピュイさんは体調を崩されてお仕事を離れられ、お目にかかることができなくなったのが残念です。

 ボーデ博物館を訪ねた後は、晃一さんのドイツ語の先生、レー先生のお宅を訪問しました。こちらでもご馳走をいただき、リーメンシュナイダーのファンだというアメリカ人のお友だちも訪ねてきて話が弾みました。とても充実したベルリンの1日でした。

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342. 閑話休題 ヴェニガーさんの記事

2024年03月25日 | 旅行

▶ヴェニガーさんの記事が朝日新聞Globeに掲載されました!




2024年3月24日(日)朝日新聞Globeに掲載されたマティアス・ヴェニガーさんの記事



▶マティアス・ヴェニガー博士

 マティアス・ヴェニガー博士は、今まで何度もこのブログにご登場いただいたミュンヘンのバイエルン国立博物館(中世彫刻及び絵画、写真を担当)の博士です。リーメンシュナイダーの取材にも快く応じてくださり、写真の掲載許可だけでなく、今まで氏ご自身が写した貴重な彫刻写真も提供してくださった方です。私の写真集『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』にも巻頭言を書いてくださいました。

 以下のブログナンバー320にも毎日新聞で取り上げられた際の内容を掲載しましたが、今回は朝日新聞の記事を上にご紹介しました。あまりにも見開き全面に書かれた多くの記事で読み応えがあります。その全てが上の写真のタイトルに書かれているようにナチを追いかけた執念の記録です。
 その中の一つとして、ヴェニガーさんが戦時中にユダヤ人家族からナチが奪った銀製品を返還するお仕事が紹介されているのです。記事の内容は毎日新聞の方がヴェニガーさんのお仕事ぶりに集中して書かれていますが、朝日新聞はいろいろな立場の人々を記事にして幅広くドイツという国の姿勢を伝えています。

320. マティアス・ヴェニガーさんのお仕事

 以前も書きましたが、このようなお仕事に邁進するヴェニガーさんを誇りに思います。
 

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341. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(2)素敵なご縁

2024年03月23日 | 旅行

▶初期のブログを辿っていると色々な体験が思い出されます…



三日月の上の聖母子像 ティルマン・リーメンシュナイダー 1505~1510頃 
 ウィーン、美術史美術館


31. 続編出版のために

 今回の2010年の旅では、遠いウィーンまで行こうかどうしようかと悩み、無駄足を踏まないためにメールで問い合わせをしたことが大きな幸運を導いてくれました。
 皆さんは美術史美術館の奥まで入ったことはおありでしょうか。美術関係の専門家や学者さんならあり得ても、私のようなずぶの素人で、ただただリーメンシュナイダーの作品を愛して止まない人間が、こんなに著名な美術館の奥深くにある収蔵庫まで案内していただけたというのは希有な幸運だったと今でも思い出します。是非その成り行きをお読みになってみてください。

32. ゲーテ校がつないでくれたご縁

 この回は「旅の中では図々しいことも大切」と思えた思い出の一つです。
 たまたま誰も日本語の通訳がいない日にゲーテインスティテュートに通訳の依頼が来て、たまたま日本人生徒で私が最高齢だったことから声がかかり、古城での通訳体験をしてその報酬などについて書いたものです。どんな幸運が来てくれたのか、どうぞお楽しみください。

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340. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(1)博物館独り占め

2024年03月21日 | 旅行

▶私が一番好きなマリア像



マリア祭壇中央 ティルマン・リーメンシュナイダー 1505~1508 
 クレークリンゲン、ヘルゴット教会 2023年8月15日撮影


▶初めての体験

 この340号の記事をアップしてあったのに、どういうわけかうっかり削除してしまったようで、なくなっているのに気が付きました。こんなことは永年ブログを書いていて初めてのことでとてもショックです。残念ですが、思い出しながらもう一度書いて入れておくことにします。多少以前と文章が変わるかもしれませんが、お許しください。

 

▶旅の振り返り

 今年はゆっくり腰を据えて日本にいるので、以前の旅を少し振り返ってみようと思い立ち、ブログの一番最初の頁から読み直しています。ドイツ語も初歩なのに案外図々しく一人旅、また娘や夫との二人旅を計画してはドイツ、ヨーロッパ、アメリカ旅行を繰り返してきました。その頃の苦労とハラハラドキドキや親切な方との出会いを思い出して涙ぐんでしまうこともあります。せっかくなのでその時の感動を今まで私のブログを読んでこられなかった方々にもちょっと覗いていただきたくて以下にリンクをかけておきました。是非覗いてみてください。

 

▶親切だった博物館

 この2回分の記事では、真冬で閉館中の美術館を訪ねた折に親切にしてくださった方々のことを記しています。

26. 親切なクロナハの博物館

 この博物館はミュンヘンのバイエルン国立博物館の分館のような存在で、時々収蔵品が入れ替わっているようでしたが、リーメンシュナイダー作品も数がありましたので是非見たいと思っていた博物館でした。
 2009年当時の私はまだインターネット検索にそれほど慣れていなくて、地図を調べて印刷し、出かけていったのでした。しかし行ってみたら何と閉館中。そんな時の思い出です。

 

27.ゲロルツホーフェン

 こちらはバスで行って教会内に入ることはできたのですが、どうしてもリーメンシュナイダーの作品が見つからず困ったときの人々の助けです。

 これらの記事に書いたようなドイツの方々の親切は今でも忘れません。日本で同じように迷ったり困っている人を見かけたら私も親切をお返ししたいと思いながら過ごしています。

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339. リーメンシュナイダー友だち、野村和子さん

2024年03月03日 | 日記

▶ウクライナの芸術家たちは今……

 


アルトエッティング、聖フィリップ・ヤコブ  カトリック教会の聖母子像

 

▶野村和子さんからのメールをご紹介します。

私の友人・大阪の片山ふえさん(ロシア語通訳者)が、ウクライナの画家さんと長いお付き合いをなさっておられて、このたび下記のメッセージと動画をお送りくださいました。どうぞご覧くださり、ご自由に拡散してくだされば幸いです。」

 野村さんはリーメンシュナイダーの作品を熱心に見て回っているリーメンシュナイダー友だちです。彼女の思いを皆さまにもお伝えしておきたいと思って以下にそのご友人、片山ふえさんのメール内容も載せさせていただきました。


◆記◆

「キーウの画家オリガ・ペトローワさんの依頼で、戦時下で創作を続ける画家たちの頑張りを観ていただくビデオを作りました。

 お時間が許せば、ご覧いただけないでしょうか(13分くらいです)。
    https://youtu.be/jtLJdGYgLg4

  そして、もし彼らに声援を送ろうと思ってくださったら、「いいね」をクリックしてください。

  ウクライナでも、このyou tubeを見ることができるのです。よろしくお願いいたします。

  片山ふえ

 

 野村さん、ありがとうございます。1日も早い平和をと願います。


▶暗い時代を導く光として

 以下に掲載するのは、私がたまたまナウムブルクの大聖堂で見たたいまつを掲げる4体の像です。制作者も制作年もわかりませんが、このウクライナの動画を見て、ウクライナの芸術家たちに共通する「暗い時代に光の道を作って導く人々」のように思えます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

 

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338. 18回目のドイツ旅行(18) 2人旅 バーデン・バーデンからフランクフルトへ

2024年01月28日 | 旅行

▶旅の〆(しめ)は大体フランクフルトです


トーマスとルース夫妻と知り合ったのは1998年でした。それから25年を超えるおつきあい。

 

▶バーデン・バーデンを発ち、フランクフルトへ

 2023年9月15日。今日はバーデン・バーデン駅からこの旅の最終宿泊地、フランクフルトへ向かいます。いつもならフランクフルト中央駅にあるコインロッカーにトランクをいれてからリービークハウスに寄ったりするのですが、ここ数回は展示替えであまりリーメンシュナイダーや中世後期の作家による作品にお目にかかれないので今回はパスすることにしました。

 バーデン・バーデンの宿を10時にチェックアウトして道路に出ると、たくさんの親子連れが歩いて学校に集まってきています。私たちが泊まった宿のすぐ近くに学校があるのです。これが、話に聞いたことがある入学式のようで、ちょっとおめかしした親子連れがあちらからもこちらからも…。子どもたちは大きな花束やプレゼントらしきものを腕に抱えています。これから先生たちと楽しい学校生活を送れますようにと思いながら駅に向かいました。
 はじめは空いていたバーデン・バーデン駅は次第に混んできて、ベルリン・ゲズントブルンネン行きの列車に乗車すると満席。民族衣装の男性が大勢大きな声で笑ったり喋ったりしながらビールを飲んでいました。こちらではほとんど瓶ビールで缶ビールを車内で飲む姿はあまり見かけません。そういえばオクトーバーフェストなのですね。私たちは車両のつなぎ目にトランクを置いて1時間20分を過ごす覚悟でしたが、マンハイムで空いてきたので、最後に少しだけ座ることができました。


▶フランクフルトの2泊3日

 フランクフルト中央駅に着いてから駅の簡易食堂で昼食をとり、地下のSバーンに乗ってからルースにSMSを送るも届かないようなので、最寄り駅に着いてから電話しました。ルースが車で迎えに来てくれます。15分ぐらいかかるとのことでした。でもルースを待つ間にも周りでひっきりなしにタバコを吸う人がいて、とても辛く感じました。今では日本の方がタバコの煙に悩まされることはずっと少なくなりました。

 ルースは運転が得意で、トーマスと出かけるときももっぱらルースが運転するのだそうです。遠くへ避暑に行くときも旅行に出るときも運転手はルースです。他の友だち家族とは反対です。 
 何度も泊まらせてもらった2人の家に再びやって来ました。去年は来られなかったので4年ぶりになります。外観は変わりませんが、いつもの半地下室は絨毯がなくなり、サッパリしたような寂しくなったような感じがしました。昨日買ったリンツのチョコレートとカメラを持って1階に上がるとトーマスも出てきて1か月ぶりの挨拶を交わします。8月は元気に歩いていたのに、今日はゆっくりと歩いています。自転車で倒れたなんて、もうすぐ80歳というトーマスの体には衝撃が大きかったことでしょう。何とか年内にまた元気で歩けると良いなと願いながら挨拶。一緒にルース手作りのコーンスープをいただきました。
 食後は定番の「スーパーでのお土産購入」です。ルースに近くのREWEに連れて行ってもらって身近な人たちへのお土産を買いました。

 その後、旅の報告をしながらおしゃべりしていると、トーマスが嬉しそうに7月21日付けのフランクフルター・アルゲマイン新聞の記事を見せてくれたのです。何とリーメンシュナイダーの彫刻「復活のキリスト、または昇天のキリスト」が発見され、ただいまニュルンベルクで修復中という内容です。ゲルマン国立博物館に「近々展示」と書かれていたので9月ならもう展示しているはずだと。「あら~、それなら明日ニュルンベルクまで行ってこようかしら?」と急遽三津夫と盛り上がったのでした。というのも、旅行前には明日はマリア・ラーハまで車で連れて行ってくれることになっていたのですが、トーマスがこういう状態では難しく、次回来たときにゆっくり泊まりがけで行こうと話しているところでした。では、明日一日何をしようかな…と思っていたので、まさに渡りに船。まだグローバルユーレイルパスが使えますから。2人は私たちの素早い決断に驚きながらも嬉しそうで、「それなら明日帰ってきたら一緒にレストランに行こう」と言っていました。もしそのリーメンシュナイダー彫刻まで見られたら、今年はリーメンシュナイダーの新発見2体の拝観で、素晴らしい結婚50周年記念となります。

 夕食まで50日間近く旅行で回ってきた内容を写真で見せたりお喋りで紹介したり。夕食にはブルスト入りのリンゼンスープが出て、乾杯!(写真・下)お二人は基本ベジタリアンなのですが、私たちが行くと肉類も入れてくれて一緒に食べます。


私はこの丸いテーブルが大好きです。ルース、いつも美味しい食事をありがとう!


 夕食後は夜道の住宅街を40分ほど歩きました。トーマスは杖をついてゆっくりと歩いてきます。私たちはお喋りしながらところどころ立ち止まって彼が来るまで待ったりして、ルースから自転車事故の直後の様子など聞きました。近くにいた人がトーマスの転倒に気が付いて医者に連れて行ってくれたようです。大怪我でも、今はこうしてなんとか歩ける程度で本当に良かった。
 星はよく見えましたが、月は見えない夜でした。日本なら満月の夜だったでしょうか。


▶ニュルンベルク往復

 9月16日(土曜日)。ルースは私たちのために早めの朝食を支度してくれました。1階に上がるといつものように生姜湯を出してくれます。生姜湯は彼女の健康の秘訣のようです。その後トーマスも2階から下りてきて一緒に朝食をいただき、10時頃出発。ルースが土曜日は道路も混んでいないからとフランクフルト中央駅まで車で送ってくれました。10時53分発のミュンヘン行きに乗車。後ろの方は空いていたのでゆっくり座っていくことができました。

 ニュルンベルク中央駅も約1年ぶりです。まっすぐゲルマン国立博物館まで歩き、受付で胸を弾ませながら「新聞記事で読みました。リーメンシュナイダーの彫刻はどこの部屋で見られますか?」と聞くと「25」と言うので、「それはどこですか?」とマップを見ながら更に聞くと不思議そうな顔をして「展示は25年からです。それまでは見られません」と言うではないですか。狐につままれたような気分。大事に持って来ていた新聞記事を引っ張り出してよくよく見ると一番最後の方の文章に小さな文字で2025年と確かに書いてありました! 私はトーマスのことばを信じて記事は帰国してからゆっくり読もうと、まだ前半少ししか読んでいませんでした。うかつでした。でもせっかく来たのだからもう一度中を見て回ろうと気持ちを切り換えて、ファイト・シュトース、ペーター・デル、ペーター・フィッシャー、ハンス・バルドゥング・グリーンやリーメンシュナイダーの現在展示されている作品などをゆっくり見学しました。2時間ほど見て回り、午後4時の列車で帰りました。

 フランクフルト中央駅には午後6時過ぎに着きました。途中でメールを送っておいたのでルースが迎えに来てくれているはずです。今朝送ってもらった場所に立つと、彼女が車から降りて合図を送ってくれました。もちろんトーマスも一緒です。家の近くのレストランに戻るのかと思っていたら、案外中央駅の近くから小道に入り、木組みの家に到着。そこは以前から親しくしているという知り合いのレストラン兼本屋さんでした。私たちは初めて行きました。この日の朝刊にも取り上げられたというレストランで、私は女性の店主から「美味しい魚が手に入った」と聞いてそのスープを頼んでみたところ、本当に美味しくてゆっくり最後まで食べられました。トーマスはポテト料理、ルースと三津夫は野菜を牛肉で巻いた料理で、三津夫は「ドイツで一番美味しいレストランだった」とご機嫌。おまけにデザートと珈琲までいただいてしまいました。本当にご馳走様でした。


この本屋さん兼レストランの名前を覚えていないのが残念です。

 このレストランに着いたときに、「ゲルマン国立博物館はどうだったかな?」と私たちの報告をゆっくり聞こうと待ち構えていたトーマスに「2025年にならないと見られなかったの」と伝えるとすごく怒った顔で「そんなはずはない!」と言うのです。でも新聞記事を見せると渋い顔になりました。「この書き方だとはっきりわからないじゃないか」と今度は記事の書き方に怒っていましたが、「2025年にまた来るから大丈夫。」と伝えるとようやく安心したようです。

 

▶ヨーロッパ旅行最後の一日

 9月17日(日曜日)。以前は教会にまめに通っていたお二人も今の体調では行かれないようで、最後の贅沢なブランチ(写真・下)をゆっくりいただきました。その後は再度写真の説明をするのですが、あまりにたくさんありすぎてお互いに疲れてきました。大きな画面で見られないかと色々試してみましたが、これもなかなかうまくいかず、小さなカメラで見ているので余計疲れます。何とか良い方法はないものかと思うのですが。


 午後はドイツで最後の散歩に出かけました(写真・トップ)。まだ日差しは暑く、普段帽子が嫌いな連れ合いも帽子を被っています。こんな森が家を出てすぐ近くにあるというのは羨ましい環境です。この森の中に以前飼っていた犬のミリーのお墓もあります。夕方、お二人に空港まで送っていただき、2025年の再会を期して挨拶。予定通りの飛行機で帰国の途につきました。

 お二人が日本に来られたら精一杯おもてなししたいのですが、ルースは飛行機が苦手でトーマスは体調が今一つ安定しないために実現していません。トーマスは来年80歳になります。せめて彼が素晴らしいと絶賛してくれている富士山ぐらいお見せしたいものです。

▶終わりに。

 今回の旅行は50日間で550,345歩。よく歩いたものです。昨年のように足を痛めることもなく、無事に歩けたのは幸いでした。 

 ここで18回目のドイツ旅行は終わりです。長い日記にお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。そして本当にお疲れさまでした。書き始めの頃は数回でまとめるつもりでしたが、結局何だかんだと書き込んで18回分にもなってしまいました。性分なのですね。なかなかまとめられません。ごめんなさい。

 今年2024年は旅の予定はなく、できれば第3回目の写真展を開きたいと思っています。実現できればお知らせをここに書きます。それまでごきげんよう。皆さま、どうかつつがなくお過ごしください。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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