リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

291. 17回目のドイツ旅行(19) ミュールハウゼンまで日帰りのバス旅行

2023年02月02日 | 旅行

▶今日はドイツ農民戦争記念館を訪ねました。



ドイツ農民戦争記念館の一つであるコルンマルクト修道院(美術館・博物館⑭)


▶もう少し知りたかったドイツ農民戦争

 2019年に第一回目の写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」を開催したときに、何人かの方から「農民戦争記念館には行きましたか?」と聞かれ、「まだ行っていないんです」と答えたのがずっと気になっていました。調べてみるとアイゼナハからさほど遠くないミュールハウゼンという町にドイツ農民戦争記念館があるというのです。今回はそこを訪ねてみようと決めていました。リーメンシュナイダーはこの農民戦争で農民側に加担したために逮捕され、拷問を受けた後は仕事ができなくなったといろいろな文献に書かれていましたので、この農民戦争の指導者であるトーマス・ミュンツァーとの関係性を知りたかったのでした。


◆2022年9月20日(火曜日)10905歩
 ミュールハウゼンにはエルケさんももしかしたら一緒に行けるかもしれないと言っていたのですが、昨日「今の体調ではちょっと無理なのでごめんなさいね」と言われました。ただ、アイゼナハ駅前のバスターミナルからミュールハウゼン行きのバスが8時15分に出ることを調べておいてくれたのでした。昨日通じるようになったばかりのエルケさんとのショートメールが朝早く届き、「今朝は寒いから気をつけてね」と伝えてくれたので、この旅で初めてセーターを着込み、厚い上衣を引っ張り出して真冬用の毛糸の帽子を用意しました。

 朝食には昨日エルケさんが持たせてくれたバケットとトマトを切っていただきました。備え付けの珈琲メーカーは前の宿泊者が残した珈琲滓を洗った後もちっとも動いてくれないのであきらめて、結局日本から持って来たパック珈琲を入れました。朝から気持ちがめげますが、こんなことに負けていては勿体ない。気を取り直して8時前に宿を出ました。

 バス停にはまだ誰もいません。うっすらと霧のかかった寒い朝でした。エルケさんが教えてくれた番号の停留所で待っていると、向こうに停まったバスから運転手さんが下りてきて「どこまで行くんですか?」と聞きます。「ミュールハウゼンです」と答えたら、「今日はそのバスはあちらの停留所から出るんですよ」と教えてくれました。知らん顔で発車されたら乗れなかったバスですが、運転手さんが親切に声をかけてくれたので胸をなで下ろしました。私たちのあとから来て同じバス停で待っていた女性も、一緒にそちらのバスに乗り込みました。
 バスは順調に走り、9時29分に予定通りミュールハウゼン駅に到着。ここから戦争記念館まで歩きますが、まずは方向を確認するため、駅のホームにいた何人かの人に尋ねました。皆親切で、駅に対して直角にずっと道なりにまっすぐ行けば着くよと教えてくれました。2人ぐらいが腕をくねらせたジェスチャーで説明してくれたので、多少カーブがあるらしいとわかりました。


 この町では農民戦争の指導者トーマス・ミュンツァーは英雄として扱われています。駅から少し歩くとトーマス・ミュンツァー学校が建っていました。この胸像の顔は農民戦争記念館でも何度も出てきました。

 
トーマス・ミュンツァー学校と、横に立っている胸像

 そこを通り過ぎて真っ直ぐ進んだのですが、スマホで見たような修道院は見当たりません。町の人々のジェスチャーや写真に惑わされて途中で少し曲がってしまったからのようです。さらに何人かの人に聞きながらようやくたどり着いたのがトップ写真のコンマルクト修道院(美術館・博物館⑭ 建物は教会なのですが、この記念館は博物館としてカウントしました)でした。結構込み入ったところにあったので、もう少しわかりやすい矢印とか案内があると助かるのにと思いました。

 入館するときに「すぐ近くの聖マリア教会にも展示がありますよ」と教えられたので共通チケットを買いました。堂内には壁に沿ってずらりと解説ボードが並んでいました。全部写真に撮るのは相当大変なので、途中であきらめてしまいました。これが本にまとまっていれば買って帰りたかったのですが見当たらず、パンフレットだけもらってきました。ざっと読んだ限りではミュンツァーたちの部隊がヴュルツブルクまで行った形跡はなさそうです。でも詳細は読み取れず、帰ってから調べるしかないとあきらめました。



戦争記念館の内部の様子 農民戦争で使われた武器や楽隊の様子などが展示されています。


▶もう一つの記念館、聖マリア教会

 コルンマルクト修道院からまたまた迷いながらなんとかたどり着いた聖マリア教会(教会・修道院⑰ 教会として機能しているので、こちらは教会としてカウントしました)。ここでは、ミュンツァーについての展示内容を覚えていなくて、ここに書けないことに今気が付きました。何体もの後期ゴシック彫刻があったので、私たちにはそちらの方が興味深く、時間をかけて見ていたのでした。特に妖艶な女性像と見えたのが聖ゲオルクだったのには三津夫も私も大変驚きました。本当に様々な聖ゲオルクの彫刻があるものです。またこの教会の宝としての「Der Einhorn-Verkündigung」(「一角獣と受胎告知」なのか、それとも「一角獣のいる受胎告知?」とでも訳したらよいのでしょうか)祭壇がありました。大変美しいマリアと一角獣のやりとりのテンペラ画は、受胎告知の場に一角獣がいてマリアの膝に足をかけている様子描き、静かで不思議な雰囲気を醸し出しています。ただ、制作時から600年近く経っているため大分破損が進んでいるようでした。


ミュールハウゼンの聖マリア教会(教会・修道院⑰)

 
聖マリア教会の2つの宝のうちの1つ 「聖ゲオルク」(緑) 1505年頃 アルテンブルクのヤコブ・ナウマン工房作か?

 
聖マリア教会のもう1つの宝 「Der Einhorn-Verkündigung」(三津夫) エアフルト 1430~1440頃


▶再びエルケさんのアパートへ

 帰り道で昼食を済ませ、12時30分のバスに乗って無事アイゼナハに戻ったのは13時42分。バス便はほぼ時間通りでした。エルケさんには宿に戻って14時ごろには電話をすると伝えてあったのですが、彼女は「着いたらすぐ電話してね」と返信してきました。どんな様子だったのか気になっているようです。急ぎトイレを済ませてすぐに電話を入れました。
 彼女のアパートへ行く道は昨夜ちゃんと帰ってこられた道なので簡単に考えていたのですが、反対側からの歩きで最後に迷ってしまい、少し時間がかかりました。最初に歩いたときはエルケさんと話しながらだったので曲がり角をしっかりチェックしていなかったことに気が付きました。緑地帯に出ればわかるだろうと思ったのですが甘かったようです。一度彼女に電話をして方向修正。やっと到着して彼女の部屋のベルを鳴らしたのですが、普通はこちらにもブザー音が聞こえるのに何も聞こえません。でもすぐに入口のドアが開きました。階段を上がるとエルケさんが待ちくたびれていました。

 玄関を入るとエルケさんからすぐにある薬を渡されて「試しに塗ってみて」と言われました。それは「 KLOSTERFRAU Mobilind Aktiv Gel (Latschenkiefer) 」と書かれている大きなチューブ入りの塗り薬でした。「化学薬品は入っていない痛み止めだから安心して使ってみてね。私にはよく効くのよ」とのこと。すぐにトイレに入って塗ってみました。スーッと冷たくなるのがあまり好きではないので、日本でも湿布を貼りたくない私ですが、まぁ、彼女の好意だし、薄緑色の透明な薬でしたので試すしかないなと塗った次第。でもじきにひんやり感は消えてホッとしました。
 
帰国してから調べたところ、Latschenkiefer とはハイマツのことだそうです。松ぼっくりの絵がありました。

 その後、待ちかねていた彼女が珈琲とケーキを勧めてくれました。今度のは買ったケーキだそうですが美味しくいただきました。ミュールハウゼンの様子を簡単に報告。そして「三津夫がシュトースのカタログをとても喜んでみているのよ」と話すと笑顔になり、私たちの写真集を5冊とりだしてきて、この写真集がどんな順番なのか教えて欲しいと言います。続編からは表紙に小さく番号も入れてあるのですがよくわからなかったようなので、第1巻から順番に番号を付けたメモをはさんで入れました。そのあとは教育問題やシリア難民の話など息もつけないほどの勢いで話し続けます。普段話し相手がいないのかなぁと思いながら必死で三津夫にも翻訳しながら話しました。「元同僚たちはとても親切で今でもやりとりがあるけれど、近くにおしゃべりできる人はあまりいなくて…」と話してくれました。彼女がヴァルトブルク城で働いていた時の写真を元同僚が誕生祝いにアルバムにして送ってくれたそうです。その若い時の姿も楽しみながら見せてくれました。出逢った頃のウヴェさんも写っていました。

 夜はスープとパンをいただいて8時ごろお別れしましたが、やはりたくさん話した後の彼女の顔は輝き、ずっと若返ったように見えました。
 帰り道、歩きながらふと気が付きました。左足の痛みがずいぶん楽になっているのです。あの薬がよく効いたのかもしれないと、嬉しくなってアパートに戻ってからショートメールを入れました。彼女も喜んでくれました。

 明日は10時にこちらを出てヴュルツブルクに向かいます。朝、エルケさんが送りに来てくれるそうです。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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1 コメント

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Unknown (Maki)
2023-02-03 12:16:36
こんにちは!ご無沙汰をしています。
ミュールハウゼン、アイゼナッハを旅をされたのですね。私はバッハが好きで音楽祭などで何度か訪れたことがありますが、また違った視点からの文章で興味深いです。
今は日本に一時帰国中ですがミュンヘンに戻ったらKLOSTERFRAU Mobilind Aktiv Gel 買おうと思います(笑)股関節症ですぐ足にくるので…
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