リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

139. 3冊目の写真集 ▶再校原稿がやってきます

2018年05月26日 | 日記

▶再校原稿がやってきます


 

 友人の庭先から


 ちょっと原稿から離れますが、このところ、ご近所の庭先の花々が美しい姿を見せてくれます。

 私は、娘やお隣の若いママさん、範子さんと3人でご近所のお庭の手入れをしています。その友人(仮にKさんとしておきます)はご高齢の域に入り、持病のため庭仕事をしたくてもできないお体。娘はおばあちゃん(夫の母)譲りで植物への愛情はとても深いのですが、植えたくても植えるスペースと自由に使えるお金があまり無い…。この両者の思いを繋いだのが4年前のことでした。

 ある日、Kさんが広いお庭が荒れているのを見て嘆いていらしたので、娘が「どこか勝手に庭造りをさせてくれるところがないかなぁ…」と話していたことを伝えたところ、「どうぞこの庭で好きなようにやってくださいな。助かるわ~!」と…。好きな花を植えても、道具の費用がかかっても構わないので請求してくださいとおっしゃるので、ボランティアで花を植え始めました。娘はよろこんであれを植えたい、ここをこうしようとアイデアを練り、お隣の範子さんと時に買い出しツアーを行っては花壇に植えてきました。あるときはせっかく植えたイチジクが、しばらくしてから降った大雨で枯れてしまったり、1年間元気だった芝が翌年は茶色くなって枯れてしまったりと、失敗もたくさんしたのですが、Kさんご夫妻は目くじらを立てることも無くおおらかで、名前の知らない花々が咲くとよろこんでくださるのです。上の写真は、そんなKさんのお庭の一角にある草花。名前はわからなくなってしまいましたが、風になびく穂が美しく、ところどころに顔を覗かせる赤いファイヤーフライ(シレネ)が喜んでいるようです。ちょうど今は一昨年、昨年と少しずつ増やしてきたギガンジウム(ギガンチウム)が花盛り。全部で9つの球根を植えたのですが、5月11日には左下のようにつぼみが開き始め、今は満開です。


 


 私も家から数分のKさんのお宅の庭先を時々覗いては写真を撮らせていただいています。つい先日は、娘の長い間の夢だった睡蓮鉢をもうけ、小さなヒメダカを10匹放しました。

 ちなみに我が家の庭にはそのようなスペースは無いので、小さなトマトや小花を植えて楽しんでいます。すでにユスラウメの赤い実は夫が収穫してジャムにしてくれました。東に面した娘の部屋にはこれから日がさしてとても暑くなるので、ゴーヤとキュウリを植えました。グリーンカーテンが早くのびて2階まで上がってくることを祈っています。

 さて、来週は再校原稿が届くことになっています。また疲れたらちょっとKさんの庭の花やメダカを覗きに行って、がんばって修正していこうと思います。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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138. 3冊目の写真集 ▶すべてのチェックは難しい…

2018年05月21日 | 日記

▶すべてのチェックは難しい…


すずらん


 前回書いた校正原稿のことですが、フランケン博物館の名前のことだけではなく、中世ドイツの彫刻家たちに関するデータ、作品名などでも念のため調べ直して見たら、違っていたということがずいぶんありました。

 また、情報が違っていたというよりは、確認のために検索してみたところ、改めて認識し直してあわてた例もありました。今回一番あわてたのは、およそ年代順に並べていた同時代の作家たちの生年が調べたものと違っていたことです。やはり作家の作品や生い立ちなどはウィキペディアに頼ってしまいがちですが、ドイツ語版のウィキペディアでは、ハンス・ラインベルガーの生年は1470頃-1480頃となっています。岡部由紀子さんほかが書いた『世界美術大全集 14 北方ルネサンス』 (小学館 1995年)を見てみると、1470頃の生まれということになっているので、私は1470頃-1480頃の生まれとして編集したのです。

 ところが、校正段階でボーデ博物館のデジタルデータを念のため確認したところ、1480-1485の生まれとなっていたのです。作品の内容については何回も確認していたのに、生年をきちんと確認したのが遅すぎたのですね。これでは10年後ろにずれますから、作家の順番も入れ替わってしまいます。このハンス・ラインベルガーについては7作品、18頁分もの写真を掲載しているので、これら全作品の頁と作品番号を入れ替えるとなると大作業となり、初校校正ゲラの段階ではミスも出やすいし、どうしよう…と冷や汗が出てきてしまいました。結果的にボーデ博物館には申し訳ないのですが、こちらの生年情報には目をつむることにして、元のままでいこうと決めました。ちなみにミュンヘンのバイエルン国立博物館ではラインベルガーの生年は書かれていなくて、創作活動の時期だけが載っています。どこの資料を選びとるかは、まぁ、本を作る側に任される範囲かなと考えることにしました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA


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137. 3冊目の写真集 ▶必死で校正した一週間

2018年05月15日 | 日記

▶必死で校正した一週間

 

カンパニュラ

 

 まず、ご報告しておきたいことは、3冊目のタイトルが正式に決定したことです。丸善本社との合同会議で「少し長いけどいいでしょう」いうことになったそうです。ドイツ語のタイトルももう一度添えてここに書いておきます。

 『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』

  Skulptur als Gebet
  
    Annäherung an Tilman Riemenschneider
    und weitere Bildhauer des Mittelalters  
Band III

 8月から書店に出る予定ですので、買うには高いなと思われる方、是非図書館に要望を出していただけるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。


 さて、世間ではゴールデンウィークで比較的お天気の良い日が続いていましたが、私は、用事のあるとき以外は家にこもりきりで初校ゲラの校正に没頭しました。公文さんの丁寧なチェックでいくつもの思い込みや間違いが指摘されてショックでした。

   何といっても一番のショックは、マインフランケン博物館と言い慣れ、書き慣れていたマリエンブルクの「秀逸なリーメンシュナイダー彫刻が世界で一番たくさん拝観できる博物館」が、気づかないうちに名前が変わっていたということです。多分、ペーターから博物館の改修が始まると聞いたときにそのようなことを聞いていたように思うのですが、よく理解していなかったのですね。彼に対しても申し訳ない気持ちです。2017年1月の段階で名前と体制まで変わってしまったというのに何も気がついていなかった自分を恥じました。今の名前は、

Museum für Franken – Staatliches Museum für Kunst- und Kulturgeschichte in Würzburg

日本語では、フランケン博物館 ーヴュルツブルク美術・文化史国立博物館ー となるのでしょうか。訳に自信はありませんので、また機会を見てバールケ先生に伺ってみます。


 この機会に簡単にこの博物館の歴史を辿ってみようと思います。

1913年 Fränkischen Luitpoldmuseum、フランケン・ルイトポルド博物館として開館

1945年 建物が大きく破壊される

1946年 マリエンベルクにマインフランケン博物館として開館

2003年1月1日よりUnterfranken自治体連合の施設となり、ヴュルツブルク市に所属する博物館となる

 詳しい内容に興味のある方は、以下のドイツ語ウェブサイトをごらんください。

 http://museum-franken.de/museum/museum-fuer-franken.html


 公文さんの数え切れないほどの指摘はショックではありましたが、目を見開かされることも数多く、優秀な校正者は著者に対しても大変良い刺激を与えるのだなぁということを痛感しています。アバウトに書いてあった食い違う記事については必ず整合性を求められ、その出典をもう一度探して、どちらが正しいのか答えを書くということの繰り返しでした。この初校校正ゲラをチェックするのに大変時間はかかりましたが、おかげさまで、よりよい本になると思い、心から感謝しています。

 またバールケ先生の2回目の個人授業を受けて、もう一度ドイツ語をチェックしていただきました。特にジュリアン・シャピュイさんの「ごあいさつ」は一部難しいフレーズがあり、うまく訳すことができなかったのですが、概要をよく掴んで訳していますよと拍手してくださったのはありがたかったです。せっかく心を込めて書いてくださったドイツ語のごあいさつを、私の未熟な、そして失礼なミスで損ないたくはなかったので、バールケ先生にも本当に感謝です。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

 

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136. 3冊目の写真集 ▶準備万端整いました

2018年05月05日 | 日記

▶準備万端整いました


シャクナゲ


 4月25日(水)、思っていたよりも早くジュリアン・シャピュイさんから挨拶文が届きました。彼らしい誠実な文章でまとめられていて嬉しく思いました。ただ、お名前しか書かれていないので、夫も丸善もやはり彼の肩書きが欲しいといいます。私もシャピュイさんが博士であることは知っていますが、ボーデ博物館の中でどういう位置におられるのかは伺ったことがありません。せっかく原稿をいただいたところで終わりにならないのが少々心苦しいのですが、今、肩書きについて問い合わせています。

 また、この挨拶文について書き忘れていましたが、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』ではドイツ大使館の当時文化部長であったハラルド・ゲーリック氏から「ご挨拶」文をいただくことができ、私の「まえがき」の次に掲載していました。私はその順序を逆に記憶していて、シャピュイさんの文章を「まえがき」として一番始めに置き、「まえがき」が重なるとおかしいと思って私の文章は「はじめに」として二番目に置くという構成をしまったのです。4月20日の編集会議で、これは似たようなことばが重なっていて、しかも著者のまえがきのような文章が2番目にきているのはやはりおかしいと指摘され、その通りだと思いました。外国の本では最初に目次があり、次に誰かの挨拶があって、その後いきなり本文が始まるというのも結構あるので、そのイメージにすり替わっていたようです。

 そこで、シャピュイさんには「まえがき」ではなく「ごあいさつ」という文章で送っていただきたいことを恐る恐る伝えておきました。そのため、彼はGrußwortとして送ってくれたのですが、でも内容的には同じ事だったようでホッとしました。

 丸善プラネットでは、本の題名についても丸善本社との合同編集会議で認められないと最終決定はできないそうです。私たちが話し合って『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』で決めたと思っても、それだけではなかなか難しいのだなということを感じました。このタイトル、「まえがき」「はじめに」といった項目名、その順序なども、私が作ったままで出したらきっと批判されてしまうのでしょうね。でもこのような厳しい編集会議で認められたら本物かなとも思うので、5月8日に行われるという合同編集会議後の報告を楽しみにしています。タイトルも無事認められますように。


  5月3日(木)シャピュイさんから肩書きについてお返事がありました。ドイツ語でLeiter ということは一昨日わかったのですが、辞書を見るとライターは英語のリーダーと同じ意味とか、館長と書かれていたのです。でも、ボーデ博物館のホームページを見ると、館長さんは別の方がお名前も顔も出しているので、どのように訳したら良いのかイメージが湧かずに、再度質問してみました。今日は、「館長の次に立つ立場で、英語では deputy directorです」と書いてくださったので、副館長さんだとわかりました。これで「ごあいさつ」もちゃんと訳すことができます。

 ようやく原稿もすべて揃い、準備万端整いました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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